髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月2… 髙橋 育郎(たかはし いくお、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2026年〈令和8年〉3月7日)は、日本の童謡作詞家、童謡作曲家、著述家、元日本国有鉄道(国鉄)職員。東京都出身。国鉄時代から合唱団で音楽を学び、在職中から団体旅行ソングなどの作詞・作曲を手がけた。退職後は日本童謡協会に所属し、代表作「大きな木はいいな」(作詞)などの童謡作品を発表したほか、昭和から平成にかけての自身の体験を綴った著書を複数出版している。 1935年(昭和10年)3月、東京都に生まれる。1941年(昭和16年)4月に赤羽国民学校に入学し、戦中・戦後の動乱期を過ごす。1947年(昭和22年)3月に埼玉県杉戸町の杉戸国民学校を卒業。
会田 健二(あいだ けんじ、1935年3月25日 - )は、… 会田 健二(あいだ けんじ、1935年3月25日 - )は、日本の経営者。日本触媒社長、会長を務めた。 愛知県出身。1957年に名古屋大学工学部化学工学科を卒業し、同年に日本触媒に入社した。1985年に取締役に就任し、1989年2月に常務、同年5月に専務を経て、1995年2月に副社長に就任し、1996年1月には社長に昇格した。2000年6月に会長を経て、2002年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
高橋 朗(たかはし あきら、1935年3月25日 - 200… 高橋 朗(たかはし あきら、1935年3月25日 - 2006年8月14日)は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、デンソー取締役会長、日本科学技術連盟理事長などを歴任した。藍綬褒章受章。デミング賞本賞受賞。 山形県出身。1957年山形大学工学部機械科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1984年大橋正昭、大西匡らとともに取締役に昇格。1988年常務取締役。1996年取締役副社長。1999年デンソー取締役副会長。2000年デンソー取締役会長。同年藍綬褒章受章。2004年デンソー相談役。TQMをトヨタグループで実践したことが評価され、同年デミング賞本賞受賞。2006年日本科学技術連盟理事長。
金城 名輝(きんじょう めいき、1935年3月25日 - 2… 金城 名輝(きんじょう めいき、1935年3月25日 - 2003年10月12日)は、日本の経営者。オリオンビール社長を務めた。沖縄県那覇市出身。 1959年に琉球大学文理学部経済学科を卒業し、同年にオリオンビールに入社。1970年5月に取締役に就任し、1977年6月に常務、1980年6月に専務を経て、1985年6月に社長に就任し、2003年6月までに務めた。 沖縄県工業連合会会長、沖縄電力取締役、琉球銀行監査役なども歴任。 2003年10月12日、心不全のために死去。68歳没。
橋本 聖二(はしもと せいじ、1935年3月25日 - 20… 橋本 聖二(はしもと せいじ、1935年3月25日 - 2021年2月21日)は、日本の政治家。東京都日の出町長(3期)。 現在の東京都西多摩郡日の出町に生まれる。東京都立五日市高等学校中退。日の出町職員となり、都市開発課長、特命参事などを経て、日の出町議会議員となる。町議を4期務める(自民党)。 2010年、引退する日の出町長青木国太郎の後を受けて、町長選挙に立候補、初当選した。 町長時代は青木前町長の75歳以上の医療費無料化など、日本一の福祉政策を継承する。 2014年に再選。2018年に無投票で三選した。 2021年2月21日、急性腎不全のため死去した。
川島 正夫(かわしま まさお、1935年3月24日 - 20… 川島 正夫(かわしま まさお、1935年3月24日 - 2014年6月27日)は、日本の実業家、公認会計士。ピー・シー・エー創業者・元代表取締役会長兼社長。元日本パーソナルコンピューターソフトウェア協会会長。元関東ITソフトウェア健康保険組合理事長。 1960年中央大学法学部卒業、プライスウォーターハウス会計事務所入所。1965年川島公認会計士事務所開設。1980年ピー・シー・エーを設立し、代表取締役社長に就任。1995年通商産業大臣表彰受賞。 2000年ピー・シー・エー代表取締役会長、日本パーソナルコンピューターソフトウェア協会会長、ソフトウェア情報センター理事、公認会計士白門会会長。 2006年ピー・シー・エー代表取締役会長兼務社長に復帰。
秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22… 秋山 祐徳太子(あきやま ゆうとくたいし、1935年3月22日 - 2020年4月3日)は、日本の現代美術家。本名は秋山 祐徳(あきやま すけのり)で、雅号は聖徳太子をもじって付けた。1970年代の東京都知事選挙へ出馬したことでも知られている。見世物学会理事。 選挙に立候補した際の選挙ポスターが国立国際美術館などに収蔵されている。2002年には著書『泡沫桀人列伝―知られざる超前衛』を出版。落選後も自ら「泡沫のソムリエ」と称した。
新間 寿(しんま ひさし、1935年〈昭和10年〉3月22日… 新間 寿(しんま ひさし、1935年〈昭和10年〉3月22日 - 2025年〈令和7年〉4月21日)は、日本の実業家。元新日本プロレス専務取締役営業本部長。元WWF会長。新間事務所代表取締役社長、リアルジャパンプロレス会長を務めた。 実父は東京プロレスを立ち上げ、新日本プロレス役員も務めた新間信雄。息子の新間寿恒もユニバーサル・プロレスリング(のちにFULLと改称)を立ち上げるなどプロレス業界の裏方で活躍した。元参議院議員でタレントの新間正次は従兄弟、声優の高山みなみは姪にあたる。 1935年、東京都新宿区で生まれる。 中央大学入学後、柔道部に所属。その傍ら、強い男に憧れを抱く新間はボディビル練習生として当時日本橋人形町にあった日本プロレスの道場へ通った。
吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 20… 吉田 勝豊(よしだ かつとよ、1935年3月21日 - 2016年3月9日)は、佐賀県武雄市出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)・コーチ。 武雄高校では、1951年秋季九州大会県予選準決勝に進むが佐賀高に敗退。翌1952年夏の甲子園県予選も準決勝で佐賀商に敗れる。卒業後は日鉄二瀬に入社し、1956年の都市対抗に四番打者として出場。1回戦では本塁打を放ち富士製鐵室蘭を降すが、2回戦で日本コロムビアに9回サヨナラ負け。チームメートには古葉竹識・江藤慎一・井洋雄らがいた。 1957年、東映フライヤーズへ入団。3月30日の阪急との開幕戦(西宮)では新人ながら四番左翼手に抜擢され、梶本隆夫からプロ初安打を放つ。
森 謙治(もり けんじ、1935年3月21日 - )は、日本… 森 謙治(もり けんじ、1935年3月21日 - )は、日本の化学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。農学博士。専攻は有機合成化学、生物活性物質化学。元日本農芸化学会会長。元社団法人有機合成化学協会会長。日本統治時代の朝鮮京城府生まれ。
井上 孝雄(いのうえ たかお、1935年3月21日 - 19… 井上 孝雄(いのうえ たかお、1935年3月21日 - 1994年10月16日)は、日本の俳優、声優。本名は同じ。東京市(現東京都)渋谷区出身。玉川大学文学部卒業。染谷事務所に所属していた。妻は女優の馬渕晴子(2012年死去)。次男は陶芸家の井上恵介。 1957年に大学を卒業。 劇団東宝現代劇に入団して菊田一夫に師事。芸術座の演劇『モデルの部屋』で初舞台を踏む。 1987年、菊田一夫演劇賞を受賞。 森光子主演の『放浪記』では、1974年以降死去する1994年まで、福地貢役を20年間演じていた。 声優の仕事もこなしており、洋画の吹き替えではロック・ハドソンとピーター・オトゥールのフィックス(専属)声優として知られていた。
鏡味 健二郎(かがみ けんじろう、1935年3月21日 - … 鏡味 健二郎(かがみ けんじろう、1935年3月21日 - 2020年5月16日)は、日本の太神楽曲芸師。本名:鈴木 茂男。東京都台東区出身。実父は、5代目古今亭今輔。太神楽曲芸協会および落語芸術協会(参与)会員。 この項目は、お笑いタレント・コメディアン(これらの関連記事を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:お笑い/PJ:お笑い)。
竹内 淳彦(たけうち あつひこ、1935年3月20日 - 2… 竹内 淳彦(たけうち あつひこ、1935年3月20日 - 2015年6月19日)は、日本の経済地理学者、日本工業大学名誉教授。 1932年3月20日、長野県東筑摩郡四賀村(現松本市)生まれ。1953年、長野県松本深志高等学校卒業。1957年、東京学芸大学学芸学部(現教育学部)社会科卒業。東京工業高等学校赴任と同時に立正大学大学院文学研究科に進学し、1959年、立正大学大学院修士課程修了。1967年、日本工業大学開校と同時に助教授となり、1985年、同大学教授。2006年3月定年退任、名誉教授。 1976年「京浜地域における工作機械工業の地理学的研究」で文学博士(立正大学)。地道な実態調査分析とその理論化、理論に基づく地域・産業政策の提言は「竹内工業地理学」として高く評価された。
中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2… 中山 忠彦(なかやま ただひこ、1935年3月20日 - 2024年9月24日)は、日本の洋画家、日本芸術院会員。日展元理事長 (現在は顧問)。白日会会長。福岡県小倉市(現・北九州市)生まれ。 9歳で大分県に疎開。1950年に15歳で県展に入選。 中津西高校(現・大分県立中津南高等学校)卒業後上京して伊藤清永に入門。アルバイトのかたわら三輪孝主宰の阿佐ヶ谷洋画研究所に学ぶ。1965年の結婚以来は、良江夫人をモデルにした美人画を描き続けた。結婚を機に1966年に市川市市川1丁目の小島鉦治方に転居。1970年に市川市国府台に画室を新築して転居。
武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1… 武市 好古(たけいち よしふる、1935年3月20日 - 1992年8月6日)は、日本の評論家・演出家。日本文芸家協会、日本アカデミー賞協会、日本音楽執筆者協議会、各会員。 徳島県徳島市出身。明治大学を中退。1956年- 1961年の間、劇団四季演出部に在籍した。1969年に渡米して、ラスベガスでショービジネスの演出に従事する。1967年に帰国し、フリーの演出家としてステージの演出および記録映画の監督をつとめる。 また、映画評論、競馬評論、音楽評論、エッセイ、翻訳など大衆文化をテーマに幅広く文筆活動を行う。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
斎藤 季夫(さいとう すえお、1935年〈昭和10年〉3月1… 斎藤 季夫(さいとう すえお、1935年〈昭和10年〉3月19日 - 2023年〈令和5年〉1月頃)は、NHKの元アナウンサー。 青山学院高等部、慶應義塾大学経済学部卒業。大学では同級生に石原裕次郎がいた。1959年入局、1993年に定年退職。 現役時代は『スタジオ102』、『NHKニュース(正午、午後7時)』など、報道番組のキャスターとしての出演が多かった。特に、1985年8月12日に起きた日本航空123便墜落事故翌日の生存者発見の第一報や、1989年1月7日の午前6時36分から10時過ぎまで昭和天皇の危篤、そして崩御の第一報を伝えた。一方で『訪問インタビュー』ではその淡々とした語り口で好感を得た。
鈴木 鐸志(すずき たくし、1935年3月19日 - )は、… 鈴木 鐸志(すずき たくし、1935年3月19日 - )は、日本の経営者。淀川製鋼所社長を務めた。 高知県出身。1957年に高知大学文理学部社会学科を卒業し、同年に淀川製鋼所に入社。1993年6月に取締役に就任し、1995年6月に常務を経て、2001年6月に社長に就任。2006年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18… 岡部 文雄(おかべ ふみお、1935年(昭和10年)3月18日 - )は、海上自衛官。第19代海上幕僚長。 福岡県出身。筑紫中央高校を経て、1958年(昭和33年)3月、防衛大学校(第2期)を卒業し、海上自衛隊に入隊。入隊後は主として対潜哨戒機のパイロットとして航空隊等に勤務。その後、海上幕僚監部防衛部長、教育航空集団司令官、舞鶴地方総監、佐世保地方総監等の要職を歴任し、第19代海上幕僚長に就任。
矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - )は、… 矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - )は、日本の芸能評論家、エッセイスト。東京市代々木八幡出身。歌舞伎学会、日本文芸家協会会員。都民劇場理事、早川清文学振興財団理事[3]。
佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18… 佐久間 一(さくま まこと、1935年(昭和10年)3月18日 - 2014年(平成26年)7月18日)は、日本の海上自衛官。第18代海上幕僚長、第19代統合幕僚会議議長。神奈川県出身。位階は従三位。 1935年(昭和10年)3月、横須賀市に生まれる。父は海軍大佐の佐久間良也(海兵第51期)である。父の転勤により軍港の街を転々とし、戦時中は母の実家のある宮崎市郊外に疎開し、終戦後も宮崎で中・高校生活を送った。高校3年生の時に大阪に引っ越し府立勝山高校に転入し、卒業した。 1953年(昭和28年)4月、保安大学校(後の防衛大学校)に第1期生として入校。卒業後は海上自衛隊に入隊し、幹部候補生学校を経て、1958年(昭和33年)3月、遠洋練習航海に参加。
横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 20… 横山 菁児(よこやま せいじ、1935年3月17日 - 2017年7月8日)は、日本の作曲家、編曲家である。広島県広島市出身。 両親とも学校の教員。小学3年生の時に父親の転勤により呉市に転居したため、1945年の原爆被災を免れる。本人は呉から原爆のキノコ雲をもろに見て覚えていると話している。 小学6年生の時に再び父親の転勤により同じ広島県の甲奴郡に転居、甲奴郡には中学3年生の時まで暮らす。ある日に父親の勤務していた上下高等女学校(現・広島県立上下高等学校)で行われた、オペラ歌手の藤原義江と大谷洌子が出演する演奏会を父親と一緒に観に行き、魅了される。これに元々音楽が好きだったこともあって、中学2年生の時の進学指導で先生に「歌手になる」と答えたところ、先生から「音楽をやるなら作曲家にならなきゃだめだ」と言われ、広島音楽高等学校を勧められて同校に創立2期生として入学。
大隅 正子(おおすみ まさこ、1935年3月17日 - )は… 大隅 正子(おおすみ まさこ、1935年3月17日 - )は、日本の生物学者。専門分野は細胞生物学。学位は、医学博士。日本女子大学名誉教授。夫は鯨類研究者の大隅清治、長女は神経科学者の大隅典子。 日本女子大学附属豊明幼稚園、日本女子大学附属豊明小学校、日本女子大学附属中学校・高等学校を経て、1957年、日本女子大学家政学部家政理学科Ⅱ部(生物農芸学専攻)卒業。在学中、湯浅明の指導を受ける。 日本女子大学家政学部家政理学科生物学教室助手、南イリノイ大学生物学研究所研究助手、日本女子大学家政学部家政理学科専任講師、同助教授を経て、1975年、教授。1983年、「酵母細胞の微細構造と機能の研究」の業績により、第3回猿橋賞を受賞する。
井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )… 井上 礼之(いのうえ のりゆき、1935年3月17日 - )は、日本の実業家。ダイキン工業代表取締役会長兼社長を経て、同社取締役会長兼グローバルグループ代表執行役員、関西フィルハーモニー管弦楽団理事長。ダイキン工業で1994年の社長就任時に3千億円台だった売上高を4兆円超に育てた。 京都市生まれ。同志社中学校・高等学校を経て、1957年同志社大学経済学部卒業、大阪金属工業(現ダイキン工業)入社、淀川製作所総務部配属。人事部長等を経て、1979年取締役に昇格。1985年常務取締役。1989年専務取締役。 1994年から代表取締役社長を務め、経営危機にあったダイキン工業を世界トップクラスの空調機メーカーに成長させ、同社中興の祖とされる。
鴨下 信一(かもした しんいち、1935年3月17日 - )… 鴨下 信一(かもした しんいち、1935年3月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー・演出家・TBSテレビ相談役。東京都出身。
村上 政敏(むらかみ まさとし、1935年3月16日 - 2… 村上 政敏(むらかみ まさとし、1935年3月16日 - 2015年10月22日)は、日本の実業家。元日本広告審査機構理事長。時事通信社顧問。 1953年、兵庫県立北条高等学校を卒業。1957年、早稲田大学教育学部卒業。株式会社時事通信社入社。経済部長等を経て1996年同社代表取締役社長に就任。また、1999年から2002年にかけて株式会社電通取締役を兼務。2004年より日本広告審査機構理事長に就任。中央調査社会長、内外情勢調査会会長、政府税制調査会等、各種政府委員を歴任。 2001年9月にフランス共和国政府よりレジオンドヌール勲章を授与される。
平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は… 平山 祐次(ひらやま ゆうじ、1935年3月16日 - )は、日本の経済学者。信州大学名誉教授、元長崎県立大学学長。専門は近代経済学、産業構造論。 長崎県福江市(現・五島市)生まれ。長崎県立長崎東高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業後、経済企画庁入庁。同庁経済研究所主任研究官を経て、1978年に信州大学助教授となり、1982年教授。同大学附属図書館長などを務め、2000年に退官、名誉教授。2002年に長崎県立大学学長となり、2005年まで務めた。2008年に長崎県立大学名誉教授。アルカスSASEBOの館長も務めた。
尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、… 尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、日本の放送技術者、実業家。元フジ・メディア・ホールディングス取締役(常勤監査等委員)、元フジテレビジョン監査役。 京都府宮津市出身。京都府立宮津高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科卒業。フジテレビジョン開局前の1958年12月に同社に入社。 入社後は映画部写真室を皮切りに、報道部外信班、放送部主事、放送技術局部長(技術管理)、総務局人事部長などを経て1987年6月、技術局長。 1989年6月、取締役技術局長。1991年6月、取締役 総務・人事担当兼人事局長、1992年6月、常務取締役。1994年7月、常務取締役 総合調整担当、1997年6月、専務取締役 管理業務本部長。
今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は… 今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は、日本の漫画家。現東京都千代田区(当時は東京市)出身。東京都練馬区在住。日本の女性少女漫画家の草分け的存在。 子供の日常生活をほのぼのとして快活なタッチで描き、1950年代後半から1970年代中半にかけて多くの作品を発表していた。 父親は貸本漫画家の今村つとむ。弟も同じく漫画家の今村ゆたか。 10代の頃から貸本漫画家である父、今村つとむのアシスタントをしており、1952年、単行本『子豚のラッパ』でデビュー。 昭和34年、『少女』誌上に『チャコちゃんの日記』を連載し一躍人気漫画家となる。その後、ハッスルゆうちゃんなど多くの作品を発表し、人気を不動のものとした。
西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2… 西村 恕彦(にしむら ひろひこ、1935年3月15日 - 2019年12月23日)は、日本の計算機科学者。機械翻訳や、COBOLをはじめとするプログラミング言語、情報処理に関わる用語、文字コード等の標準化を研究分野とした。 石川県金沢市に生まれる。父は旧制金沢医科大学(現・金沢大学)の医師であった。父の転勤により、富山市に移る。太平洋戦争中の1945年に魚津市にある母方の実家に疎開した。富山市立芝園中学校の1期生となり、校章をデザインする。 東京都立両国高等学校を経て東京大学に進学。1958年に東京大学理学部地質学科を卒業する。卒業後は東京大学文学部心理学科大学院に進み、1961年に修了した(修士号取得)。
ヨネヤマ ママコ(1935年3月15日 - 2023年9月2… ヨネヤマ ママコ(1935年3月15日 - 2023年9月20日)は、日本のパントマイミスト、振付師、女優、モデル。本名は米山ママコ(よねやま ままこ)。米山 曼舞子(よねやま ままこ)名義での映画出演もある。 1958年 俳優座劇場、 劇団人間座・現代舞台芸術協会合同公演
ヨネヤマママコ(よねやま ままこ、1935年3月15日 - … ヨネヤマママコ(よねやま ままこ、1935年3月15日 - )は、日本の舞踏家、振付師、パントマイマー。本名は、米山 ママコ(よねやま ままこ)。米山 曼舞子(よねやま ままこ)名義での映画出演もある。
田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023… 田川 律(たがわ ただす、1935年3月15日 - 2023年1月28日)は、日本の音楽評論家、舞台監督、歌手、料理研究家、翻訳家、ミステリ評論家。 1935年、大阪市生まれ。本名、永島律〈ながしま・ただす〉。1960年、大阪大学文学部国史学科卒業。 関西フォークの全盛期に、鑑賞団体「大阪労音」事務局に勤務。大阪労音事務局時代に、助言者的な立場で関わっていた音楽評論家の中村とうよう、飯塚晃東と知り合う。 1968年、東京に移る。 1969年4月に飯塚晃東、小倉エージらとともに、中村とうようを編集長とする雑誌「ニューミュージック・マガジン(現ミュージック・マガジン)」創刊に参加。 1970年、フリーとなり、音楽評論、舞台監督、レコーディングディレクターなど様々な音楽関連の仕事を体験。
井箟 重慶(いのう しげよし、1935年(昭和10年)3月1… 井箟 重慶(いのう しげよし、1935年(昭和10年)3月15日 - )は、日本の実業家。オリックス・ブルーウェーブ(現・オリックス・バファローズ)元球団スペシャルアドバイザー・顧問・代表。関西国際大学名誉教授。 岐阜県瑞浪市出身。少年時代は中日ドラゴンズのファンで、医師の家系だったことから慈恵高校に進学したが、肺を患って医者の道を断念した。上智大学外国語学部卒。1959年丸善石油(現コスモ石油)入社。米国丸善石油→米国コスモ石油副社長を歴任。なお、勤務の傍ら上智大学硬式野球部監督を務め、その後丸善石油の野球部(松山市。現在廃部)にも携わり、古賀正明らをスカウトした。 1989年、一般公募に応募し、オリックス球団常務に就任。
安原 和雄 (やすはら かずお、1935年3月15日 - 2… 安原 和雄 (やすはら かずお、1935年3月15日 - 2020年3月28日)は、広島県生まれの日本の経済学者、足利工業大学名誉教授。元毎日新聞論説委員。専門は仏教経済学。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
木崎 喜代治(きざき きよじ、1935年3月14日 - )は… 木崎 喜代治(きざき きよじ、1935年3月14日 - )は、日本の経済思想史家。京都大学名誉教授。 1935年、愛媛県生まれ。1950年、川之江市立金田中学校卒業。1953年、愛媛県立川之江高等学校卒業。1963年、香川大学経済学部卒業。1968年、パリ大学法経学部大学院退学。1969年、専修大学経済学部助手。1970年、京都大学大学院経済学研究科博士課程中退。同年専修大学経済学部講師、1972年同大学経済学部助教授。1977年、京都大学経済学部助教授、同年「フランス政治経済学の生成」で京都大学より経済学博士の学位を取得、1983年、同大学経済学部教授。1995年京都大学名誉教授。のち、立命館大学教授、京都橘大学教授、放送大学京都学習センター教授。
吉川 久一(よしかわ ひさかず、1935年3月14日 - )… 吉川 久一(よしかわ ひさかず、1935年3月14日 - )は大阪府出身の元プロ野球選手。
佐久間 章行(さくま あきゆき、1935年3月14日 - )… 佐久間 章行(さくま あきゆき、1935年3月14日 - )は、日本の経営システム工学者、教育情報システム工学者。青山学院大学名誉教授、慶應義塾大学工学博士。日本におけるインダストリアル・エンジニアリング研究の第一人者であり、近年は「高度知能AI」、「次世代AI文明への移行」を主要な研究分野としている。 佐久間章行は、生産システム工学を専門とし、青山学院大学理工学部経営工学科(現:経営システム工学科)で長年にわたり教鞭を執り、同大学名誉教授の称号を授与された 。また、日本経営工学会の会長を務めるなど、日本の経営工学分野の発展に貢献してきた。 主要な研究テーマは、企業の総合的な生産性の向上(IE:インダストリアル・エンジニアリング)のための手法・技法及びその基礎理論の構築 であり、近年では「人類存続・最優先主義」を提唱し、高度AI時代における人類の価値体系の再構築や恒久平和の実現に向けた基礎理論開発へと展開している。
飽戸 弘(あくと ひろし、1935年3月14日 - )は、日… 飽戸 弘(あくと ひろし、1935年3月14日 - )は、日本の社会学者、東京大学名誉教授。専門は、社会心理学、コミュニケーション論。 神奈川県生まれ。1959年東京大学教育学部卒業。 東京大学新聞研究所助手、埼玉大学教養学部助教授、東京大学新聞研究所助教授、東京大学文学部助教授・教授、95年定年退官、名誉教授。 その後、東洋英和女学院大学人間科学部教授、東洋英和女学院大学学長、放送倫理・番組向上機構(BPO)理事長(2015年3月まで)を歴任。2013年秋、瑞宝中綬章受勲。現在、一般社団法人・社会調査協会理事長。
蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月… 蒔田 尚昊(まいた しょうこう、1935年〈昭和10年〉3月13日 - 2024年〈令和6年〉12月26日)は、日本の作曲家、編曲家である。別名︰冬木 透(ふゆき とおる)名義を用いる。 満洲国の首都新京出身で、14歳で母の郷里広島県へ戻る。広島県北の高校から広島市内の広島観音高等学校へ転校。1952年創立のエリザベト短期大学作曲科に入学し、宗教音楽専攻科を修了。1956年、TBS(当時ラジオ東京)へ音響効果技師として入社。当初はラジオを担当していたが、途中から開局したばかりのテレビへ軸を移す。翌1957年、国立音楽大学作曲科に3年生として編入するが、TBSにも社員として在籍。1958年、連続テレビドラマ『鞍馬天狗』において、不足分の音楽を作曲して劇伴作曲家デビュー。
山崎 源三(やまざき げんぞう、1935年3月13日 - )… 山崎 源三(やまざき げんぞう、1935年3月13日 - )は、日本の弁護士、オンブズマン。第一東京弁護士会会長や、日本弁護士連合会副会長、三鷹市総合オンブズマン等を務めた。 1957年中央大学法学部法律学科卒業。1964年弁護士登録。1966年山崎源三法律事務所設立。1996年第一東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。1998年日本弁護士連合会弁護士推薦委員会委員長。2000年三鷹市総合オンブズマン。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
久富 惟晴(ひさとみ これはる、1935年3月13日 - 2… 久富 惟晴(ひさとみ これはる、1935年3月13日 - 2015年2月11日)は、日本の俳優・声優。東京府出身。 武蔵大学卒業。NHKテレビ俳優養成所1期生、劇団三十人会代表。BMGメイクII(メイクIIハセガワルーム)、柊企画、宝塚企画、テラクリエイティブ、サンプロモーション、コスモプロジェクトに所属していた。 NHKの俳優養成所第1期生で、専属俳優として多くのNHK作品に出演した後、劇団三十人会の結成に参加し、運営委員長を務める。初期の大河ドラマにおける常連俳優の一人だった。 1960年代後半からは映画や民放にも活動の場を広げ、時代劇、刑事ドラマ、2時間ドラマなどでは主に二枚目の知性派悪役を演じた。
福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 20… 福田 真久(ふくだ まさひさ、1935年3月13日 - 2005年10月25日)は、日本の国語学者・国文学者。国士舘大学名誉教授。専攻は国語学・国文学(万葉集・俳諧・芭蕉)。 新潟県佐渡島生れ。中央大学大学院国文学博士課程単位取得満期退学。国士舘大学文学部助教授、教授、2005年退任、名誉教授。北京大学中日詩歌比較研究会名誉会長。 2005年10月25日、肝臓癌のため死去。没後、従五位瑞宝中綬章叙勲。
加藤 孝造(かとう こうぞう、1935年〈昭和10年〉3月1… 加藤 孝造(かとう こうぞう、1935年〈昭和10年〉3月12日 - 2023年〈令和5年〉4月17日)は、荒川豊蔵を第一世代とする美濃の第三世代の陶芸家。「瀬戸黒」人間国宝。 岐阜県土岐郡瑞浪町(現・瑞浪市河戸町)出身で後に多治見市星ケ台に移住した。2012年旭日小綬章受章。瑞浪市、多治見市、可児市の名誉市民。美濃陶芸協会会長、名誉会長及び名誉顧問を務めた。 瑞浪市土岐町で製糸業を営む家に生まれた。瑞浪町立瑞浪中学校を卒業後、岐阜県立多治見工業高等学校窯業科(現セラミック科)に進学。ほどなく全国最年少の18歳で日展洋画部に入選し、「天才」と騒がれる。高校卒業後、多治見市の岐阜県陶磁器試験場(後に岐阜県セラミックス研究所)に研究生として入所及び就職。
山本 次男(やまもと つぎお、1935年3月12日 - 20… 山本 次男(やまもと つぎお、1935年3月12日 - 2024年9月21日)は、日本の経営者。ミネベア社長、会長を務めた。 大阪府出身。1953年に兵庫県立尼崎高等学校を卒業し、同年に積水化学工業に入社。 1964年11月に日本ミネチュアベアリング(のちのミネベア)に転じ、1983年10月に取締役に就任し、1993年12月に常務、1984年6月に専務を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務めた。 2024年9月21日、死去。89歳没。
松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )… 松岡 享子(まつおか きょうこ、1935年3月12日 - )は、日本の翻訳家、児童文学研究者。ビバリー・クリアリーの「ゆかいなヘンリーくんシリーズ」(学習研究社)や、マイケル・ボンドの「くまのパディントンシリーズ」(福音館書店)の翻訳で知られる。
増子 曻(ますこ のぼる、1935年3月12日 - 2019… 増子 曻(ますこ のぼる、1935年3月12日 - 2019年9月23日)は、日本の金属工学者。東京大学名誉教授。元資源・素材学会会長、元電気化学協会会長。 神奈川県出身。1957年東京大学工学部冶金学科卒業。東京大学大学院化学系研究科修士課程中退後、東北大学選鉱製錬研究所助手を経て、1963年東京大学工学部講師。1965年東京大学工学部助教授。1978年東京大学生産技術研究所教授。1986年東京大学生産技術研究所長。1993年電気化学協会会長、資源・素材学会会長。1995年東京大学名誉教授、千葉工業大学教授。2019年9月23日、横浜市の自宅で心不全のため死去。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
松村 多美(まつむら たみ、1935年3月12日 - )は、… 松村 多美(まつむら たみ、1935年3月12日 - )は、日本の俳人。 東京生まれ。1957年東京教育大学国文科卒。高校教師となる。俳人大野林火・野沢節子に師事。1993年6月主宰誌「四葩(よひら)」創刊。俳誌「四葩」主宰。文京学院大学非常勤講師、文京学院大学生涯学習センター講師。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
喜多 道枝(きた みちえ、1935年〈昭和10年〉3月11日… 喜多 道枝(きた みちえ、1935年〈昭和10年〉3月11日 - 2024年〈令和6年〉11月6日)は、日本の女優、声優。 父は能楽シテ方喜多流十五世宗家喜多実。十六世宗家喜多六平太と喜多節世は兄である。 東京府(現・東京都)出身。 小さい頃から演劇が好きで役者を志す。 東京都立豊多摩高等学校卒業。 俳優座養成所第5期生。 劇団仲間、劇団四季、東京演劇集団「TES」、ユニオンプロ、プロダクション・エムスリーを経て、希楽星に所属していた。 2024年11月6日、東京都内の自宅で老衰のため死去。89歳没。同日の朝は同居する長男の出勤を見送る元気な様子を見せていたが、長男が帰宅したところ喜多が倒れているのを発見した。
増田 孝介(ますだ こうすけ、1935年(昭和10年)3月1… 増田 孝介(ますだ こうすけ、1935年(昭和10年)3月11日 - 2014年(平成26年)11月11日)は、日本の銀行家。みちのく銀行頭取を務めた。 山形県西村山郡朝日町出身。中央大学経済学部卒業後、弘前相互銀行(のちみちのく銀行)に入行。 約40年間の銀行員生活においては営業店に20年、本部勤務に20年それぞれ携わった。みちのく銀発足後の新人事制度導入に際しては、人事部長として先頭に立ち、ねばり強く両行の出身者の調整にあたった。 1996年(平成8年)10月、合併20周年を迎え区切りがつき金融ビッグバンを控えた中、新体制で世代交代をはかるべく、大道寺小三郎の指名により後継者として頭取に就任した。
本田 弘(ほんだ ひろし、1935年3月11日 - )は、日… 本田 弘(ほんだ ひろし、1935年3月11日 - )は、日本の行政学者、日本大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1964年明治大学大学院政治学専攻博士課程修了、1978年「現代都市行政論 都市化過程と行政変動」で政治学博士。 日本大学法学部助教授、教授。2005年定年となり、名誉教授。1974年日本都市学会奥井賞受賞。