萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - … 萩山 教嚴(はぎやま きょうごん、1932年3月20日 - 2015年10月13日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党所属の元衆議院議員(6期)。伊吹派所属。 長男の萩山峰人は氷見市議会議員(2003年の富山県議選に立候補し落選)。 1932年、石川県羽咋郡北志雄村(現・宝達志水町)の寺院の次男として生まれる。1953年、石川県立羽咋高等学校卒業。1957年、立命館大学法学部を卒業し、衆議院議員・正力松太郎の秘書を1969年まで務めた。 1971年、富山県議会議員に初当選し、2期務めた。1979年、第35回衆議院議員総選挙で落選(富山2区)。1980年、第36回衆議院議員総選挙で落選。
土生川 正道(はぶかわ しょうどう、1932年(昭和7年)3… 土生川 正道(はぶかわ しょうどう、1932年(昭和7年)3月20日 - 2026年(令和8年)4月19日)は、高野山真言宗の僧。 高野山大学西洋哲学科卒業。高野山無量光院住職。高野山第508世寺務検校執行法印。 1993年に出版された『中院流初心行者行様指南』を監修。 2000年に高野山真言宗の宗務総長に就任。2003年6月23日までに行われた高野山真言宗の臨時宗会で、土生川正道が宗務総長に再任する。2003年7月5日から3年間就任。 2007年3月12日に金剛峯寺で土生川正道の第508世寺務検校執行法印の転衣式が行われる。 2018年8月30日に放送のNHKの戦争のテレビ番組に出る。戦時中の1944年に高野山は軍隊に徴用され、海軍航空隊の予科練が置かれていた。
伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito,… 伊藤 文學(いとう ぶんがく、英: Bungaku Ito, 1932年3月19日 - )は、日本の実業家、雑誌編集者、作家、歌人。 日本初の商業ベースの同性愛雑誌『薔薇族』創刊者・編集長。第二書房代表取締役社長、ロマンの泉美術館館長。 男性同性愛者のためのゲイ雑誌刊行により、全国の書店に置くことで「同性愛者の存在を可視化」させ、社会的少数者は「自分だけではない」と明確に分かるようになる。雑誌の投稿欄、読者座談会やカフェ開業など交流の場を設け、コミュニティ作りに尽力。「薔薇族」「百合族」を命名。『薔薇族』編集長を40年間務めた。 東京府に生まれる。荏原小学校代沢分教場(世田谷区立代沢小学校)、世田谷中学校・高等学校を経て、駒澤大学文学部国文科を卒業。
吉澤 欣一(よしざわ きんいち、1932年3月19日- )… 吉澤 欣一(よしざわ きんいち、1932年3月19日- )は、日本の経営者。大同生命保険社長、会長を務めた。 大阪府出身。京都大学理学部を経て、1955年に京都大学大学院理学研究科修士課程を修了し、同年に大同生命保険に入社した。1977年6月に取締役に就任し、1982年7月に常務、1985年4月に専務を経て、1988年7月に社長に就任。京大では数学を専攻し、業界では珍しい理数系出身の社長であった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月… フランク 永井(フランク ながい、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2008年〈平成20年〉10月27日)は日本のムード歌謡歌手である。 本名は永井 清人(ながい きよと)。「魅惑の低音」と称された独特の豊かな低音を武器に、師である作曲家の吉田正(吉メロ)とともに都会的でジャズテイスト溢れるムード歌謡のジャンルを切り開き、数多くのヒット曲を世に送った。 宮城県大崎市出身。幼少時に父を亡くし、芝居小屋を経営する母に育てられる。幼少時から歌手に強い憧れがあり、旧制宮城県古川中学校(現・宮城県古川高等学校)卒業後の昭和26年ごろに東京へ出て就職していた兄を頼り上京し、進駐軍のキャンプ地でのトレーラー運転手、アルバイト生活を送る。
真継 伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。193… 真継 伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。1932年3月18日 - 2016年8月22日)は、日本の作家。元姫路獨協大学教授。京都市生まれ。 京都大学文学部独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。 一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から浄土真宗に帰依する男を描いた歴史小説『鮫』で文藝賞を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また中村錦之助主演で東映で映画化された。 その後、芝浦工業大学に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。
江頭 啓輔(えがしら けいすけ、1932年〈昭和7年〉3月1… 江頭 啓輔(えがしら けいすけ、1932年〈昭和7年〉3月18日 - 2021年〈令和3年〉9月13日)日本の実業家。元三菱ふそうトラック・バス代表取締役会長。 1932年(昭和7年)3月18日、生まれ。 1954年(昭和29年)、野村證券株式会社 入社 1975年(昭和50年)、野村セキュリティーインターナショナル(米国)社長 1978年(昭和53年)、野村證券株式会社 常務取締役 1979年(昭和54年)、野村インターナショナル(英国)会長 1983年(昭和58年)、株式会社 西武百貨店 常務取締役 1986年(昭和61年)、株式会社 大沢商会 代表取締役社長 1997年(平成9年)、クライスラージャパンセールス株式会社 取締役会長 1999年(平成11年)、ダイムラー・クライスラー日本株式会社 取締役 2000年(平成12年)、ダイムラー・クライスラー日本株式会社 特別顧問。
森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17… 森川 公也(もりかわ きんや、1932年〈昭和7年〉3月17日 - 1989年〈平成元年〉12月11日)は、日本の俳優、男性声優。本名同じ。 満洲国哈爾浜市出身。明治大学英文学科卒業。 第二次世界大戦まで満洲国で過ごし、戦後は広島県に引き揚げて広島県立呉三津田高等学校を卒業。 明治大学入学後は、のちに俳優となる金内吉男たちと演劇活動を行い、大学卒業後の1952年に東京演技研究所に入所。その後は、劇団現代派、劇団中芸を経て1961年に劇団演劇座に所属する。東京芸術座、鈴木事務所、文芸ぷろだくしょん、劇団四季、タドポール企画、プロダクションエム・スリー、モリヤマ企画、エムワイ企画、MOU企画、大沢事務所にも所属していた。
烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年(昭和7年)3月1… 烏賀陽 正弘(うがや まさひろ、1932年(昭和7年)3月17日 - )は、日本の国際ビジネスコーディネーター、ライター、翻訳家。ジャーナリストの烏賀陽弘道は息子。京都大学名誉教授の烏賀陽然良は祖父。 フィリピン・マニラ生まれ。横浜正金銀行元行員で江商(現:兼松)取締役や東京皮革社長を務めた烏賀陽恒正の長男として生まれる。父親の仕事の関係で、生後すぐアメリカ合衆国に渡り、幼少期をニューヨークとロサンゼルスで過ごす。京都大学法学部卒業。東レ入社、国際ビジネスに従事。帰国後、同社マーケティング開発室長などを経て独立。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、… 赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、日本の科学史家、評論家、翻訳家。NHK職員、慶應義塾大学教授、放送大学教授等を歴任。 専攻は科学史、技術論、メディア論。 京都市生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業後、NHK入局。NHK科学番組プロデューサー、NHK科学技術担当解説委員(NHK解説委員)を経てNHKを退職。 慶應義塾大学環境情報学部教授、放送大学教授、コロンビア大学ジャーナリズム大学院フェローを歴任。 慶應義塾大学での教え子に、吉川浩満、山本貴光ら慶応SFC一期生がいる。
中村 希明(なかむら まれあき、1932年3月16日-200… 中村 希明(なかむら まれあき、1932年3月16日-2000年7月)は福岡県生れの医師。アルコール症治療専門医として知られている。 慶応義塾大学大学院医学研究科を卒業。専攻は精神医学。国立久里浜病院、川崎市立精神保健センター所長を経て、明治大学法学部心理学講師、川崎市麻生保健所所長、川崎市立井田病院精神科部長、エルステ社会精神医学研究所所長を務める。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 20… 山中 郁子(やまなか いくこ、1932年3月15日 - 2022年2月26日 )は、日本の労働運動家、政治家。参議院議員(日本共産党公認・3期)。日本共産党中央委員会名誉幹部会委員。 秋元有子(あきもと ゆうこ)のペンネームで創作活動も行っていた。夫は国文学研究資料館名誉教授の山中光一(1926-2021)。 東京都練馬区出身。東京都立豊島高等学校を経て、早稲田大学第二文学部卒業。1952年、日本電信電話公社(現・NTT)へ入社し、電話交換手として勤務。同年に日本共産党へ入党し、のち全国電気通信労働組合(全電通)中央委員および東京市外電話支部書記長などを務める。また、1970年に電電公社を退社した後は党中央委員会の労組部へ入り、後進の育成に当たる。
平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 20… 平岩 弓枝(ひらいわ ゆみえ、1932年3月15日 - 2023年6月9日)は、日本の小説家、脚本家。 長谷川伸門下。『鏨師』(たがねし)で直木賞を受賞。次いでテレビドラマの脚本家として多くのヒット作を生み出した。その後小説の世界に戻り、女の生き方を描いた国際色豊かな家庭物や恋愛物、推理物で人気を集め、やがて時代小説に専念し永く活躍した。代表作の『御宿かわせみ』シリーズは江戸情緒溢れる人情物語で、40年以上に及ぶ人気シリーズ、ベストセラーとなった。そのほか『はやぶさ新八御用帳』シリーズなどがある。 文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 代々木八幡宮の宮司の一人娘として生まれた。母親は箱根神社で育った女性。
宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2… 宮川 俊行(みやがわ としゆき、1932年3月15日 - 2022年12月14日)は、日本の神学者、哲学者。カトリック教会司祭。元長崎純心大学教授。安楽死に関する研究で知られる。 1932年、茨城県土浦市生まれ。1944年に大村教会で洗礼を受けた。長崎県立長崎東高等学校を経て、1955年に東京大学経済学部卒業後、東京カトリック神学院に入学。1957年から1968年にかけてローマとミュンヘンへ留学し、1963年に司祭叙階を受けた。1965年教皇庁立ウルバニアナ大学大学院神学研究科、1968年同大学大学院哲学研究科をそれぞれ修了し、神学博士号と学術博士号を取得した。 1967年に東京純心女子短期大学専任講師となり、1971年長崎純心女子短期大学(現:長崎純心大学短期大学部)教授を経て、1995年長崎純心大学人文学部教授。
山手 茂(やまて しげる、1932年3月15日 -2025年… 山手 茂(やまて しげる、1932年3月15日 -2025年4月15日 )は、日本の社会学者・福祉学者。新潟医療福祉大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1954年東京大学文学部社会学科卒業。 県立広島女子大学助教授、東京女子大学教授、東京都神経科学総合研究所研究員、茨城大学教授、東洋大学教授、新潟医療福祉大学社会福祉学部学部長、同名誉教授をそれぞれ歴任。 1997年「福祉社会形成とネットワーキング-社会学・社会福祉学論集2」で東洋大学社会福祉学博士。 日本保健医療社会学会会長、日本医療社会福祉学会会長、日本社会病理学会理事、日本介護福祉学会理事、日本学術会議社会福祉研連第16期・17期委員。
佐藤 力(さとう ちから、1932年3月14日 - 2025… 佐藤 力(さとう ちから、1932年3月14日 - 2025年2月17日)は、日本の応用物理学者・実業家。慶應義塾大学名誉教授。パデュー大学元教授。学位は博士。 1932年、宮城県仙台市生まれ。幼い頃から父(後述)に憧れて研究者を目指すようになる。宮城県仙台第二高等学校を卒業後、東京大学理科I類に入学。東京大学大学院を卒業後、慶應義塾大学にて研究者となる。同大学の助手、助教授、パデュー大学客員教授を経て、1967年に35歳で慶應義塾大学教授に就任。軍用、航空宇宙、携帯電話やwi-fiなど今日において幅広く利用されているスペクトラム拡散通信方式の研究、開発に尽力した。 1997年に慶應義塾大学を退官し名誉教授の称号を授与される。
小沢 冬雄(おざわ ふゆお、1932年3月14日 - 199… 小沢 冬雄(おざわ ふゆお、1932年3月14日 - 1995年3月19日)は、日本の小説家、比較文学者。 静岡県掛川市生まれ。本名・小沢虎義。東京大学文学部仏文科卒。中学校、高校の教師を経て、常葉学園大学教授。1974年「鬼のいる杜で」で第11回文藝賞受賞。1975年「営巣記」で第73回芥川賞候補、同年つづけて「黒い風を見た…」で第74回同候補。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
坂東 性純(ばんどう しょうじゅん、1932年3月13日 -… 坂東 性純(ばんどう しょうじゅん、1932年3月13日 - 2004年1月18日)は、東京都台東区出身の浄土真宗大谷派の僧侶(坂東報恩寺住職)、仏教学者(大谷大学・上野学園大学教授)。法名は釋 闡了、俳号は黄邨。 東京上野に坂東環城(1904-82)の子として生まれる。 1955年東京大学文学部印度哲学科卒業。57年同大学院修士課程修了。1960-61年オックスフォード大学に学ぶ。大谷大学文学部教授、上野学園大学教授。坂東報恩寺住職を歴任。 仏教伝道協会において海外を含めた仏教の普及に力を尽くす。
村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12… 村上 利夫(むらかみ としお、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の農業技術者、政治家。元福井県小浜市長(2期)。 福井県遠敷郡上中町(現・三方上中郡若狭町)出身。福井県立遠敷農林学校(現・福井県立若狭東高等学校)卒業。福井県立高等農業講習所(現・福井県立大学)鯉淵学園研究科卒業。 1952年から、福井県農業改良普及員・専門技術員等。1971年から1976年まで、福井県立農業短期大学校(のち福井県立大学看護短期大学部)教授。その後、福井県農林水産部長、同県議会議員、同県農業会議会長、同県森林組合連合会長などを経て、福井県小浜市長(2000年8月から2期)。全国歴史研究会本部正会員。1998年、協同農業普及事業功労(農林水産大臣)。
迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025… 迫田 太(さこだ ふとし、1932年3月12日 - 2025年10月28日)は、日本のジャーナリスト、実業家。毎日新聞社顧問。同社元副社長・大阪本社代表。関西プレスクラブ名誉会員。福岡県または鹿児島市出身。2017年現在、兵庫県神戸市在住。 学制改革により新制高等学校となった鹿児島県立甲南高等学校を1期生として卒業。 1954年、鹿児島大学農学部農芸化学科卒業。同年4月に毎日新聞社に入社。1985年5月、大阪本社編集局長。1986年5月、本社販売局長。1987年6月、取締役西部本社代表。1991年6月、常務取締役大阪本社代表。以後、専務取締役大阪本社代表を経て、副社長大阪本社代表に就任。2000年6月に退任し、相談役となる。
大栗道栄(道榮、おおぐり どうえい、1932年3月12日-2… 大栗道栄(道榮、おおぐり どうえい、1932年3月12日-2021年6月21日)は、真言宗の僧、文筆家。 徳島県四国八十八カ所第十三番霊場に生まれる。中央大学を経て、高野山専修学院を卒業。 1977年東京代々木に大日寺を建立。伝燈大阿闍梨と高野山真言宗大僧正。 日本文芸大賞特別賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
普川 光男(ふがわ みつお、1932年3月12日- 2006… 普川 光男(ふがわ みつお、1932年3月12日- 2006年6月2日 )は、日本の経営者。日清製油(現在の日清オイリオグループ)社長、会長を務めた。 神奈川県出身。1954年に成城大学経済学部を卒業し、同年に日清製油に入社した。1974年11月に取締役に就任し、1976年12月に常務、1979年6月に専務を経て、1980年6月に社長に就任。1996年6月に会長に就任。 1990年11月に藍綬褒章を受章。 2006年6月2日、肺腺癌のために死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三上 満(みかみ みつる、通称の読みは「みかみ まん」、男性… 三上 満(みかみ みつる、通称の読みは「みかみ まん」、男性、1932年〈昭和7年〉3月12日 - 2015年〈平成27年〉8月21日)は、日本の教育評論家。テレビドラマ「3年B組金八先生」のモデルの一つになった元・中学校教諭である。全国労働組合総連合(全労連)議長・全日本教職員組合(全教)委員長を歴任。 東京都生まれ。1953年日本共産党に入党。東京大学教育学部を卒業後、1955年に東京都公立中学校の社会科教諭となる。文京区立第一中学校と葛飾区立大道中学校に勤務し、非行対策などの教育実践を積み重ねる。三上の教育実践が「3年B組金八先生」のモデルになった。 教員として現場で実践を積み重ねる傍らで教職員組合役員を歴任し、その後労働組合専従役員となる。
佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12… 佐藤 陽三(さとう ようぞう、1932年(昭和7年)3月12日 - )は、日本の教育学者。合唱指揮者。愛媛大学名誉教授。 全日本合唱連盟名誉会長。国際合唱連合顧問。四国二期会顧問。愛媛県文化協会名誉会長。東京芸術大学音楽学部卒業。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部卒業。大学卒業後は愛媛大学教育学部で講師となり、合唱の指導者として全国的に評さた。愛媛大学では助教授・教授を経て、退官後に名誉教授に就任。 またこれまでに四国二期会顧問・全日本合唱連盟名誉会長・国際合唱連合顧問・愛媛県文化協会名誉会長などを歴任。 2017年(平成29年)4月に瑞宝中綬章を受章した。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。
谷本 一之(たにもと かずゆき、1932年(昭和7年)3月1… 谷本 一之(たにもと かずゆき、1932年(昭和7年)3月11日 - 2009年7月19日)は、日本の教育学者、音楽史学者。知里真志保門下。 北海道美唄市出身。北海道岩見沢東高等学校、北海道大学教育学部卒業。1958年同大学院教育研究科修了。代議士の私設秘書などを務めたのち、1976年北海道教育大学教授。1987年同札幌分校主事。1989年学長。1995年停年退官、名誉教授、北海道立アイヌ民族文化研究センター所長。2000年北海道浅井学園大学生涯学習システム学部芸術メディア学科客員教授。2006年退職。 民族音楽学が専門で、特にアイヌ音楽、音楽理論、音楽史を中心に研究。
藤井 学(藤井 學、ふじい まなぶ、1932年3月11日 -… 藤井 学(藤井 學、ふじい まなぶ、1932年3月11日 - 2003年12月5日)は、日本史学者。 岡山県出身。岡山大学教授だった藤井駿の長男。岡山大学法文学部史学科卒、京都大学大学院博士課程満期退学。京都府立大学助教授、教授。1996年定年退官、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
泉 誠二(いずみ せいじ、1932年3月11日 - 2022… 泉 誠二(いずみ せいじ、1932年3月11日 - 2022年2月15日)は、日本の実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。 1954年北海道大学経済学部経済学科卒業、北海道電力入社。1988年取締役企画室長。1989年常務取締役。1991年取締役副社長。1993年取締役社長。1999年取締役会長。2000年北海道経済連合会会長、北海道国際航空取締役。2001年には伊達忠一北海道議会議員の参議院議員への転身を促し連合後援会長も務めた。高橋はるみ北海道知事の資金管理団体萌春会会長なども務めた。
栗田 勝(くりた まさる、1932年3月11日 - 1980… 栗田 勝(くりた まさる、1932年3月11日 - 1980年1月16日)は、愛知県岡崎市出身の元騎手・元調教師。息子の栗田伸一は元騎手・調教助手であったが、父同様に若くしてこの世を去っている。 子沢山な地方公務員の11人兄弟の下から二番目として誕生し、公務員である父の担当が地元にあった岡崎競馬場の管理であった事や、幼くして母と死別してから母代わりとなった姉が調教師の妻だった事から、幼少期から競馬と接した栗田は騎手を目指す事となった。1946年に京都・武田文吾調教師に弟子入りし、一旦松田由太郎厩舎に移籍したが、再び武田厩舎に戻って1951年にデビュー。初騎乗は6月16日のミスヨシ(7着)で、初勝利はデビュー3ヶ月後の9月15日・ノーベルと手間取った。
髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 -… 髙橋 忠雄(たかはし ただお、男性、1932年3月11日 - 2012年5月23日)は、日本の洋画家、彫刻家、陶芸家である。 兵庫県加西市生まれ。34歳で二科会彫刻部会員となり、木彫をはじめ、石膏、ブロンズ、金属、陶芸等あらゆる素材を駆使した立体を得意とした。1981年49歳で脳梗塞に倒れ、半身不随の車椅子生活ながら絵画制作を行う。大作を続々と国内外に発表し髙橋芸術を確立。立体、平面とも日本国内外に多数作品が収蔵されている。
中西 由行(なかにし よしゆき、1932年3月10日 - )… 中西 由行(なかにし よしゆき、1932年3月10日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)。 1951年に愛知県立横須賀高等学校から名古屋に入団。制球は悪かったが、左腕からの快速球とドロップカーブを武器に3年目の1953年に初勝利を挙げ、この年は4完封を含む6勝を挙げた。 しかし翌1954年には1試合の登板に終わり、チームの初優勝に貢献できなかった。 年明けの1955年に伊藤四郎とともにトンボに移籍。「若くて馬力のある選手を」ということで移籍し、大いに期待されたが南海戦での1勝だけに終わり、この年限りで引退した。
中村 功一(なかむら こういち、1932年(昭和7年)3月1… 中村 功一(なかむら こういち、1932年(昭和7年)3月10日 - )は、日本の政治家。元東近江市長(1期)、元八日市市長(3期)。旭日小綬章受章。 滋賀県八日市市(現・東近江市)出身。滋賀県立神愛高等学校(現・滋賀県立八日市高等学校)卒。滋賀県庁に入り、企画部水政室長、県議会事務局長、農林部長などを経て、八日市市助役となる。 1994年の八日市市長選挙に立候補して初当選、3期務めた。3期目途中の2005年2月11日、八日市市は近隣4町と合併し「東近江市」が発足した。発足直後の東近江市長選挙に立候補し、元県議の西澤久夫を破り初当選した。同市長は1期務め、2009年に引退。2015年に東近江市の名誉市民に選ばれた。
西尾 哲(にしお あきら、1932年3月10日 - )は、日… 西尾 哲(にしお あきら、1932年3月10日 - )は、日本の経営者。大阪府出身。 1957年に大阪市立大学(現大阪公立大学)理工学部高分子化学科を卒業し、同年に日商に入社。 1984年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1989年6月に副社長に就任し、翌年6月には社長に昇格した。1999年6月に相談役に就任した。 1998年11月に藍綬褒章を受章した。
世良 譲(せら ゆずる、1932年3月10日 - 2004年… 世良 譲(せら ゆずる、1932年3月10日 - 2004年2月17日)は、日本のジャズピアニスト。本名は世良 哲壮(せら てっそう)。 島根県大原郡木次町(現在の雲南市)出身。明治大学在学中の1950年から、プロ活動を始め、奥田宗宏とブルースカイ・オーケストラなどに在籍した。 1965年、白木秀雄クインテットの一員としてベルリン・ジャズ・フェスティバルに出演し、国際的に注目を浴びる。 1974年から7年間、TBSテレビ「サウンド・イン"S"」に出演し、軽妙な語りで広く親しまれた。 1988年、世良譲トリオ自己のトリオとしてモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演し、スイス放送曲より絶賛される。
米盛 裕二(よねもり ゆうじ、1932年3月10日 - 20… 米盛 裕二(よねもり ゆうじ、1932年3月10日 - 2008年3月19日)は、日本の哲学者、琉球大学名誉教授。 沖縄出身。1955年、琉球大学卒業。1960年、オハイオ州立大学大学院博士課程修了。チャールズ・サンダース・パースの哲学を日本に紹介した。
袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2… 袖井 林二郎(そでい りんじろう、1932年3月9日 - 2025年2月10日)は、日本の国際政治学者、評論家。法政大学名誉教授。専門は、戦後日米関係史、国際政治史、アメリカ政治論。 宮城県遠田郡小牛田町(現・美里町)出身。占領期研究の第一人者。戦後史関係資料を広範に探索してきたことで知られている。妻は社会学者の袖井孝子。
高橋 俊龍(たかはし しゅんりゅう、1932年3月9日 - … 高橋 俊龍(たかはし しゅんりゅう、1932年3月9日 - 2019年2月18日)は、日本の地方公務員。東京都港湾局長や、東京都副知事、東京都競馬代表取締役社長、ゆりかもめ代表取締役社長などを歴任した。 山形県西置賜郡白鷹町出身。山形県立長井高等学校を経て、1954年東京教育大学教育学部卒業。1966年中央区教育委員会事務局社会教育課長。1967年中央区教育委員会事務局学務課長。1969年中央区総務部財務課長。1971年東京都総務局人事部給与課長。1972年東京都総務局人事部調査課長。1976年東京都監察員。1977年東京都公害局参事。1979年東京都総務局勤労部長。1982年東京都総務局総務部長。
福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、… 福川 伸次(ふくかわ しんじ、1932年3月8日 - )は、日本の通産官僚・実業家。学校法人東洋大学総長(2018年12月より)。通商産業事務次官・株式会社神戸製鋼所副会長・株式会社電通総研社長・学校法人東洋大学理事長などを歴任した。 東京府出身。父の福川篤四郎は鉄道官僚で運輸省鉄道総局総務長官などを務めた。東京都立第八高等学校(現:東京都立小山台高等学校)から慶應義塾大学工学部に進むも転学し、1955年3月に東京大学法学部卒業。 大臣官房企画室長、大平正芳内閣総理大臣秘書官、貿易局長、通産大臣官房長、産業政策局長を経て、1986年6月から1988年6月まで事務次官。中曽根内閣からの要請で、1986年4月に起こったチェルノブイリ原子力発電所事故をきっかけに、省内で台頭してきた原発撤退派を排除する使命を担ったとされる。
嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日 ‐ )は、日本… 嶋岡 晨(しまおか しん、1932年3月8日 ‐ )は、日本の仏文学者・詩人・評論家・小説家。立正大学名誉教授。本名はしまおか あきら。 高知県高岡郡四万十町生まれ。高知県立高知工業高等学校建築科、明治大学文学部仏文科卒、同大学院文学研究科修了。大学在学中に後輩の片岡文雄らと詩誌「貘」を創刊。1958年に寺山修司と「様式論争」を繰り広げるが、1959年には寺山らと詩劇グループ「鳥の会」を結成する。「歴程」同人、「無限」編集長を歴任。 詩集や詩論のほか、坂本龍馬などの土佐国出身の幕末維新期の人物伝、フランス詩の翻訳もおこなう。小説も書き、1980年に『裏返しの夜空』で第84回芥川賞候補、1982年に『《ポー》の立つ時間』で第87回芥川賞候補となっている。
渋谷 昶子(しぶや のぶこ、1932年3月8日 - 2016… 渋谷 昶子(しぶや のぶこ、1932年3月8日 - 2016年2月1日)は、日本の映画監督、記録映画作家、ルポルタージュ作家。 1932年3月8日、関東州大連市に生まれる。本名、前畠昶子。両親は3月生まれにちなみ「春の陽のように日永にのんびりと成長するように」と日が永いという昶子と命名した。 大連弥生女学校1年在学のとき敗戦。2年間の棄民生活で人間形成の原点が形成される。 1947年に「最後の引き揚げ船」で帰国し、父親の出身地だった鹿児島県に移る。1951年、鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業。 弁護士たらんと大志をいだいて中央大学法学部に入学。しかし、スクリプターに関心をもち、大学は3年で中退し、2年後にスクリプターになる。
三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日… 三浦 公明(みうら こうめい、1932年〈昭和7年〉3月8日 - 2011年3月20日)は、日本の政治家、元千葉県君津市長(2期)。位階は正六位。旭日双光章受章。 長崎県出身。中央大学法学部卒。 君津市役所に入り、助役などを務める。1998年、君津市長選挙に立候補し、現職を破り、初当選する。2002年に再選。市長を2期務め、2006年に退任した。2010年秋の叙勲で旭日双光章を受章。2011年3月20日に死去。死没日付をもって叙正六位。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年… 河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年〈平成10年〉11月5日)は、日本の女優。本名は久松 桃子、旧姓大河内。血液型はO型。俳優座所属。 東京府東京市下谷区谷中出身。日本女子大学附属高等学校卒業。 昭和20年代にデビューした女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。 高校卒業後、OLをしていたが[要出典]、1953年に東宝ニューフェイスの6期生として東宝に入社。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠、岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で映画初出演を果たす。
柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 198… 柳田 邦夫(やなぎだ くにお、1932年3月7日 - 1988年3月1日)は、日本の編集者・ジャーナリスト。筆名に小川晴夏(春香)、小原壮八。日本ジャーナリストクラブ会員。 鹿児島県鹿児島市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)、ラ・サール高等学校卒業。1959年、学習院大学政経学部政治学科卒業。大学時代には囲碁部に所属し、のちに囲碁アマ四段、将棋アマ二段となる。 中央公論社に入社。「中央公論」「週刊公論」「暮しの設計」「経営問題」「小説中央公論」の雑誌編集に携わったあと、1962年「思想の科学」天皇制特集号事件で労組委員長として闘争し。1972年に退職。のちフリーのジャーナリスト、編集者として活躍した。
戸田 壽一(とだ じゅいち、1932年3月7日 - 2014… 戸田 壽一(とだ じゅいち、1932年3月7日 - 2014年1月30日)は、日本の実業家。カナダのブリティシュコロンビア州出身。 1955年に学習院大学政経学部を卒業。 イギリスの航空会社での勤務等を経て、1962年に飯田亮とともに日本警備保障(のちのセコム)を設立し、常務、専務を経て、1976年2月に副会長に就任し、1998年6月から取締役最高顧問を務めた。 2014年1月30日心不全のために死去。81歳没。
大浦 政弘(おおうら まさひろ、1932年3月7日 - 19… 大浦 政弘(おおうら まさひろ、1932年3月7日 - 1996年4月25日)は、日本の経営者、理学博士。堀場製作所社長を務めた。宮崎県出身。 1953年に京都大学理学部を経て、1955年に京都大学大学院理学研究科修士課程を修了し、同年に堀場製作所に入社。 1968年1月に取締役に就任し、1974年5月に常務を経て、1978年1月には社長に就任。1992年1月に副会長に就任。日本環境技術協会会長を務めた。 1987年4月に藍綬褒章を受章。 1996年4月25日胃癌のために死去。64歳没。
山田 慶児(山田 慶兒、やまだ けいじ、1932年3月7日 … 山田 慶児(山田 慶兒、やまだ けいじ、1932年3月7日 - )は、日本の科学史家。専門は東アジア科学史。京都大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。 1932年、福岡県で生まれた。京都大学理学部宇宙物理学科で学び、1955年に卒業。京都大学大学院文学研究科に進学し、西洋史学を専攻。1959年に修士課程を修了した。 同1959年10月、京都大学人文科学研究所助手に採用された。1966年4月、同志社大学工学部助教授に就いた。1970年5月、京都大学人文科学研究所助教授に就任。1978年4月に同研究所教授昇格。1989年3月に京都大学を退官し、4月より国際日本文化研究センター教授となった。
大橋昭一(おおはし しょういち、1932年〈昭和7年〉3月7… 大橋昭一(おおはし しょういち、1932年〈昭和7年〉3月7日- )は、日本の経営・観光学者。関西大学名誉教授・大阪観光大学名誉教授・和歌山大学名誉教授。 愛知県生まれ。1955年和歌山大学経済学部卒、1960年神戸大学大学院経営学研究科博士課程満期退学、67年「ドイツ経営共同体論史研究 ドイツ規範的経営学研究序説」で経営学博士の学位を取得。1957年関西大学商学部助手、60年専任講師、63年助教授、70年教授、2000年名誉教授、大阪明浄大学観光学部教授・副学長・学部長。大阪観光大学名誉教授、2008年和歌山大学観光学部長、同名誉教授。観光学術協会初代会長。2011年4月瑞宝中綬章受章。
登石 雋一(といし しゅんいち、1932年3月7日 - 20… 登石 雋一(といし しゅんいち、1932年3月7日 - 2012年9月11日)は、日本の映画プロデューサー、映画会社経営者である。東映東京撮影所で進行主任、企画者を務めた後、東映人事部長、次いで取締役企画製作部長・経営企画室長、東映動画(現在の東映アニメーション)代表取締役社長、東映化学工業(現在の東映ラボ・テック)代表取締役社長を歴任した。本業の傍ら、劇映画や演劇への俳優としての出演作もあり、十石 峻(といし しゅん)の別名ももつ。 1932年(昭和7年)、東京府(現在の東京都)に生まれる。 第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)4月、東京大学法学部に進学、在学中は「東大演劇研究会」に参加して演劇活動に取り組み、同期には梶谷典子、成島庸夫、田村孟、三善晃、渡辺守章らがいた。
山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - … 山下 一海(やました かずみ、男性、1932年3月7日 - 2010年2月15日)は、日本の俳文学者。鶴見大学名誉教授。 福岡県福岡市生まれ。幼時から両親の影響で俳句に親しみ、小学校上級から中学にかけて句作に熱中した。やがて句作からは離れたが、早稲田大学文学部国文学科卒、大学院で近世文学を専攻。 成城大学短期大学部助教授、鶴見大学文学部国文科教授を務めた。著書は多く、松尾芭蕉、与謝蕪村など近世俳人についての研究、評論が多い。 2010年2月15日、逝去。77歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
岩井 宏實(いわい ひろみ、1932年3月5日- 2016年… 岩井 宏實(いわい ひろみ、1932年3月5日- 2016年2月29日)は、日本の民俗学者。国立歴史民俗博物館・帝塚山大学名誉教授。大分県立歴史博物館顧問。 奈良市生まれ。奈良県立奈良高等学校、立命館大学文学部卒業。同大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。大阪市立博物館学芸員、国立歴史民俗博物館教授、1996年定年退官、名誉教授、帝塚山大学教授、学長。88年「地域社会の民俗学的研究」で筑波大学より文学博士の学位を取得。民具、民間信仰、宗教民俗学研究。
和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日… 和久井 節緒(わくい せつお、1932年〈昭和7年〉3月5日 - 1981年〈昭和56年〉1月18日)は、日本の声優、俳優。東京府日本橋区(現:東京都中央区)出身。東京俳優生活協同組合に所属していた。 東京府日本橋区(現:東京都中央区)で誕生。 日本大学芸術学部演劇学科卒業。 1954年、ドラマグループ二十一世紀参加。劇団新芸設立を経て、一時的に芸能界から離れていたが復帰。1957年、金星プロ所属、1959年、PTC芸能部所属、東京俳優生活協同組合、笹の会、文芸プロを経て、再び東京俳優生活協同組合に所属していた。 『ジ・アニメ』で連載されていた『勝田久の声優入門』にあるニュースによると、1981年当時は、体調が悪かったものの、同年1月17日夕刻まで、CM録音に奮戦して、帰宅後に胸の苦しみを訴えて直ちに入院。