島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 20… 島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 2002年6月15日)は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。父親はシマノ創業者の島野庄三郎で、三兄弟の長男(次男が島野敬三、三男が島野喜三)として生まれる。 1944年に旧制堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を卒業し、1946年に島野工業(現在のシマノ)に入社。常務を経て、1958年9月に父・庄三郎の逝去に伴い社長に就任した。当時のシマノは売上高7億円弱の赤字会社で、誰も社長の座に手を挙げなかった中、唯一人「3年で黒字化するから、その間は自分の言う事を聞いてほしい」として社長に就任し、本当に3年で経営を黒字に転換させた。
守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや た… 守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや たかお)、1928年1月3日 - 2022年12月24日)は、華厳宗の大僧正。東大寺第214世別当、華厳宗管長を務めた後、東大寺長老を歴任。 長野県諏訪市に生まれる。幼少期に両親と死別し、祖父のいる東大寺知足院に入寺。僧名を隆英と名乗るが、後に弘斎と改める。 東大寺が境内で運営する旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)を1945年卒業。同期に新藤晋海第216世別当。 奈良県の県花、奈良市の市章になっている奈良八重桜(天然記念物:非公開)や、国の重要文化財である木造地蔵菩薩立像で有名な塔頭、知足院住職。 31回の修二会(お水取り)参籠記録をもち、最も修二会に精通した僧侶の一人。
大河 千弘(おおかわ ちひろ、1928年1月3日 - 201… 大河 千弘(おおかわ ちひろ、1928年1月3日 - 2014年9月27日)は、日本の物理学者。長らくアメリカ合衆国で活動した。 石川県金沢市に生まれる。旧制石川県立金沢第一中学校4年修了、旧制第四高等学校卒業。1955年に東京大学理学部物理学科を卒業後、アメリカ中西部大学共同研究所に留学。その後、欧州原子核研究機構(CERN)の研究員などを経て、ゼネラル・アトミックス社の研究員になる。 日本原子力研究所の核融合反応装置の開発に参加し、1969年に水素プラズマの閉じ込め実験に成功した原研核融合トーラス第一号(JET-1)装置を完成させる。この装置は、開発に貢献した大河の名を冠して大河トーラスと呼ばれた。
大久保 輝臣(おおくぼ てるおみ、1928年1月3日 - 1… 大久保 輝臣(おおくぼ てるおみ、1928年1月3日 - 1996年6月4日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。元学習院大学教授。 父は大久保偵次。東京出身。1952年東京大学仏文科卒業。学習院大学助教授、教授。在職中に死去。
山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月… 山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉1月6日)は、日本の地理学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 筑波大学名誉教授。筑波大学自然学類長、筑波大学附属高等学校長、第27代日本地理学会会長等を歴任した。学位は理学博士(東京教育大学・1961年)。 静岡市生まれ。1945年(昭和20年)静岡県立静岡中学校卒業。1948年(昭和23年)東京高等師範学校文科4部3年修了。1951年(昭和26年)東京文理科大学地学科地理学専攻卒業。1951年(昭和26年)4月、静岡県立静岡城内高校教諭。1952年(昭和27年)3月、同校教諭退職。1955年(昭和30年)東京文理科大学(研究奨学生)前期修了。
岡上 淑子(おかのうえ としこ、1928年1月3日 - )は… 岡上 淑子(おかのうえ としこ、1928年1月3日 - )は日本の写真家、コラージュ作家。高知県生まれ・在住。 1928年 (昭和3年)、高知県高知市に生まれる。翌年、東京に転居し1945年 (昭和20年) に終戦を挟み高知に疎開した一時期を経て、東洋英和女学院を卒業。恵泉学園に進み、武満浅香(旧姓・若山浅香)と同じクラスになるのは1946年 (昭和21年) である。この人物は、芸術家集団「実験工房」のメンバーだった作曲家の武満徹の後の妻であり、岡上を武満へ繋ぐことになる。 岡上は1950年 (昭和25年)、文化学院カネコデザイン科に入学すると、カラーコーディネートの授業で、雑誌を切り貼りする課題をきっかけにコラージュの面白さに目覚め[要出典]、「ヴォーグ」や「ライフ」などのファッション誌やグラフ誌を切り抜いて貼付けたコラージュ作品の制作を始める。
池田 廉(いけだ きよし、1928年1月2日 - 2025年… 池田 廉(いけだ きよし、1928年1月2日 - 2025年4月24日)は、イタリア文学者、大阪外国語大学名誉教授。 1928年、東京生まれ。京都大学文学部文学科伊語・伊文学専攻、1950年に卒業。1953年、京都大学大学院修了。 1953年、京都大学文学部助手。1955年、イタリア政府給費奨学生としてパドヴァ大学に留学。1966年、大阪外国語大学助教授となり、1972年に教授となる。1993年に大阪外国語大学を定年退官し、名誉教授となった。その後も名古屋芸術大学の教授として教鞭をとった。 2025年、97歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山田 昭夫(やまだ あきお、1928年1月2日 - 2004… 山田 昭夫(やまだ あきお、1928年1月2日 - 2004年9月15日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道生まれ。北海道大学文学部国文科卒。東京大学大学院修士課程(国文学専攻)修了。中学・高校教諭などを経て、1973年、藤女子大学文学部助教授、のちに教授、1993年、退任。有島武郎を中心に北海道の作家を研究した。
正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 202… 正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 2024年12月2日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道小樽市出身。 1949年に北海道大学農学部を卒業し、同年に北海道酪農協同(のちの雪印乳業)に入社。1981年に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年1月に社長に就任。1993年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に就任。社長在任時には、自社グループの結束と強化、海外進出による国際化の進展、チーズの日の創設による普及活動への貢献などを行った。1997年6月には農林中央金庫監事にも就任。 1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2024年12月2日に死去。
森本 茂(もりもと しげる、1928年1月2日 - 1996… 森本 茂(もりもと しげる、1928年1月2日 - 1996年6月24日)は、日本の国文学者。 京都府生まれ。1956年(昭和31年)3月、立命館大学大学院日本文学科修士課程修了。相愛女子大学助教授、教授、梅花女子大学文学部教授、香川大学教育学部教授、1992年奈良大学文学部国文学科教授。1992年3月28日、「大和物語の考証的研究」で立命館大学より論文博士として博士(文学)の学位を取得。
鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - 2022… 鈴木 光男(すずき みつお、1928年1月1日 - 2022年11月2日)は、日本の経済学者。専門はゲーム理論、日本の第一人者として中村健二郎ら有数の研究者を育てるとともに、『ゲーム理論入門』などの著書を残した。学位は、経済学博士(東北大学)。東京工業大学名誉教授。東京工業大学教授(工学部社会工学科、理学部情報科学科)、東京理科大学教授(工学部経営工学科、経営学部)を歴任。学徒勤労動員の著書でも知られる。瑞宝中綬章受章者(2013年)。 福島県石川郡石川町出身。3人の兄がいたが長兄と三兄は鈴木光男が生まれる前に夭逝し、次兄も鈴木が5歳の時亡くなっている。1943年4月、石川町立尋常小学校に入学する。
増田 芳雄(ますだ よしお、1928年1月1日 -2017年… 増田 芳雄(ますだ よしお、1928年1月1日 -2017年3月22日)は、日本の植物学者。理学博士(京都大学・1961年)。大阪市立大学名誉教授。スイス・ローザンヌ大学名誉博士。 関東州大連市生まれ。敗戦で引き揚げ、松山高等学校卒。1953年、京都大学理学部植物学科卒業。1961年、「オーキシン作用機作の細胞生理学的研究」で京都大学より理学博士の学位を取得。1965年、大阪市立大学理学部助教授、のち1971年に教授。1991年、定年退官、名誉教授、帝塚山学園人間科学研究所所長、帝塚山短期大学教授。1997年、退任。スイス・ローザンヌ大学名誉博士、国際植物成長物質学会会長。退任後は、ウィーン音楽に関する論文をいくつか執筆している。
飯田 文彌(いいだ ぶんや、1928年(昭和3年)1月1日 … 飯田 文彌(いいだ ぶんや、1928年(昭和3年)1月1日 - )は、日本の歴史学者・郷土史家。山梨郷土研究会会員。 山梨県山梨市下神内川に生まれる。1952年(昭和27年)3月に中央大学法学部を卒業後、同年4月に山梨県の高等学校教員となり山梨県立山梨高等学校に配属される。 翌1954年4月には谷村高等学校教諭となり、菅沼英雄・手塚寿男らとクラブ活動としての郷土研究を行い、1957年(昭和32年)には『郡内機業発達史』として刊行する。なお、同年には甲斐史学会が立ち上げられており、飯田も会員として参加し機関紙『甲斐史学』に論考を発表している。以来、主に甲斐国近世期の経済産業史・百姓一揆や民衆生活史に関して研究を行う。
内須川 洸(うちすがわ ひろし、1928年1月1日 - 20… 内須川 洸(うちすがわ ひろし、1928年1月1日 - 2016年11月10日)は、日本の教育心理学者。筑波大学名誉教授。吃音教育が専門。 東京出身。1955年東京大学教育学部卒、1960年同大学院博士課程満期退学、62年「吃音の診断法に関する臨床心理学的研究」で教育学博士。1960年東京慈恵会医科大学助教授、1963年東京学芸大学特殊教育研究施設助教授、1974年大阪教育大学教授、1978年筑波大学教授、92年定年退官、名誉教授、昭和女子大学教授・生活心理研究所所長。従四位、瑞宝中綬章追贈。
江藤 价泰(えとう よしひろ、1928年1月1日-2016年… 江藤 价泰(えとう よしひろ、1928年1月1日-2016年3月21日)は、日本の法学者。東京都立大学 (1949-2011)名誉教授。東京出身。師は兼子一。ゼミ出身者に足立啓明他。 1952年東京大学法学部法律学科卒業。1952年東京都立大学人文学部助手。1957年同法経学部助手。1958年同法経学部助教授。1966年同法学部助教授。1967年同法学部教授。1989年東京都立大学停年退官。同名誉教授。大東文化大学法学部法律学科教授。1991年同法学研究所長(1997年まで)。1997年同法学部長・学校法人大東文化学園理事(1999年まで)。2001年大東文化大学定年退職。 この他に、東京都立大学評議員や東京都立大学学生部長、大東文化大学附属図書館長、日本国際法律家協会会長、日本司法書士会連合会顧問などを歴任。
三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - 202… 三浦 洸一(みうら こういち、1928年1月1日 - 2025年1月11日)は、日本の歌手。本名は、桑田 利康(くわた としやす)。 神奈川県三浦市出身。持ち歌は文芸を題材にして書かれた曲いわゆる「文芸歌謡」が多い。謹厳実直な歌唱法が特長で、社歌や自治体制作の音頭など委託制作盤も多数吹き込んでいる。血液型はA型。 神奈川県三浦市三崎地区の浄土真宗本願寺派最福寺の三男・第四子(四人兄弟の末っ子)として出生。長兄は陸軍に入隊しビルマで戦死したため、次兄が住職を継ぐ。その次兄も1993年に死去し、現在は甥(次兄の長男)が住職を務めている。幼少期より厳格な祖父のもと、読経を学ぶ。 現在の三浦市立三崎小学校、市立横須賀商業学校を卒業。
吉野 正敏(よしの まさとし、1928年1月1日 -2017… 吉野 正敏(よしの まさとし、1928年1月1日 -2017年7月4日)は、日本の地理学者・気候学者・気象学者。東京都出身。 東京文理科大学地学科地理学卒。東京教育大学大学院、1953年同助手、1961年「風に及ぼす小地形の影響」で理学博士の学位を取得。1957年に法政大学助教授となり、その後、教授となる。1961-1963年ボン大学研究奨学生。1974年に筑波大学教授となり、1992年に定年退官し名誉教授となる。その後、愛知大学教授となる。1967-1968年ハイデルベルク大学客員教授。 2001年から2010年まで国際連合大学の上席学術顧問をつとめた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 202… 田中 信昭(たなか のぶあき、1928年1月1日 - 2024年9月12日)は、日本の合唱指揮者。東京混声合唱団の創立者。新潟県出身。東京藝術大学講師、桐朋学園大学客員教授、国立音楽大学招聘教授を歴任。 作曲家と協力して日本の合唱音楽の創造に尽くし、400曲以上に渡る合唱曲の初演の指揮を行った。 旧制大阪高校中退。合唱部の後輩に作曲家の多田武彦がいる。1951年、中学校教員を退職し、NHK大阪放送合唱団へ入団。指揮者であった森本芳雄の死去により急遽指揮者を務めたことが指揮者デビューとなる。1952年、東京藝術大学音楽学部声楽科に進学。声楽をネトケ=レーヴェ、指揮法をクルト・ヴェスの各氏に師事する。
小宮山 昭一(こみやま しょういち、1928年1月1日 - … 小宮山 昭一(こみやま しょういち、1928年1月1日 - 2013年1月21日)は、日本の実業家、埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)元専務、学校法人立教学院元理事長。 1928年生まれ。1950年、立教大学経済学部経済学科卒業。 埼玉銀行(現・埼玉りそな銀行)に入行。銀行では広報マンとして広報業務を担った。 同行専務を務める。同行退職後、1995年7月から2007年5月まで学校法人立教学院理事長を務めた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 19… 坂崎 乙郎(さかざき おつろう、1928年1月1日 - 1985年12月21日)は、日本の西洋美術史研究家、美術評論家。早稲田大学教授。父は美術史家坂崎坦。東京都生まれ。 『夜の画家たち』などの著作でドイツ表現派や幻想派の画家を紹介、評論活動、執筆活動をおこなう。深井克美など無名の芸術家の紹介にも力をそそいだ。1985年9月7日に自殺した盟友鴨居玲の後を追うように同年12月21日に自殺。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994… 下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994年3月7日)は、日本の数学史研究者、和算史研究者。 1957年、東京教育大学理学部数学科卒業。1967年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了、前橋市立工業短期大学助教授、のち教授。1978年、「初期円理の発達 関孝和の業績の根源」で日本大学より学術博士の学位を取得。1983年、国士舘大学教授。在職中に死去。
山田 善二郎(やまだ ぜんじろう、1928年1月 - 202… 山田 善二郎(やまだ ぜんじろう、1928年1月 - 2022年1月20日)は、日本の社会運動家。 新潟県南蒲原郡(現三条市)生まれ。父親は陸軍省の下級職員であった。尋常小学校の同級生にのちの法学者江藤价泰がいた。担任の勧めで第一東京市立中学校夜間部を受験し合格、昼間は給仕を務め家計を助けながら通学した。1943年、軍国少年として憂国の思いから、海軍飛行予科練習生(予科練)を親に隠れて志願し合格。三重海軍航空隊に入り、1945年、日本の敗戦により除隊。 戦後、連合国軍最高司令官総司令部通信資材部隊、同対敵諜報部隊、キャノン機関、中央情報局(CIA)横須賀海軍施設拠点などに日本人従業員として勤務。
小林 末男(こばやし すえお、1928年(昭和3年) - )… 小林 末男(こばやし すえお、1928年(昭和3年) - )は、日本の経営学者、経済学者。経済学博士(法政大学、1982年)。専門は経営管理で、特に行動科学的組織論。拓殖大学北海道短期大学学長、産業能率大学常務理事、同監事などを歴任。 北海道有珠郡壮瞥町生まれ。北海道庁立帯広中学校(旧制)に学び、北海道勇払郡野安部太小学校の代用教員となる。 上京し、学習院大学に学ぶが、1954年に中退して大正製薬に入社。その後、法政大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科修了。1963年、産業能率短期大学能率科講師。1968年、拓殖大学商学部助教授。1972年、拓殖大学商学部教授。1977年、同大学院商学研究科教授。
佐々木 欽三(ささき きんぞう、1928年 - )は、NHK… 佐々木 欽三(ささき きんぞう、1928年 - )は、NHKプロデューサー、広報事業局長。 宮城県大崎市生まれ。宮城県古川高等学校、東北大学文学部哲学科卒業。NHKに入局。 「新日本紀行」、「日本の素顔」など多くのドキュメンタリーを制作。とりわけ志賀直哉、三島由紀夫、荒木貞夫、スカルノなど、昭和史の人びととの接点が多かった。人事本部主幹、広報事業局長を務めた。
阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月… 阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月)は、日本の魔方陣研究者。「方陣界の超人」と称されている。 高校卒業後、家業の漆業の職人となる。高校時代に秋田県秋田市の古本屋で方陣の本に出会い、それ以降漆業の傍ら方陣の研究に邁進する。 2008年には「正方形分割224魔方陣」が東京の国立科学博物館で開催された「数学 日本のパイオニアたち : 関孝和三百年祭記念」(真島秀行, 渡辺純成執筆・監修 ; 国立科学博物館展示課編集)において展示された。この展示の中で阿部楽方は唯一故人ではない。この世界最高峰の方陣はサイエンスナビゲーターの桜井進が解説している。 以下に桜井の解説をもとにした概要を記す。
川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - 2020年)… 川村 親光(かわむら ちかみつ、1928年 - 2020年)は、埼玉県出身の画家。第4代埼玉県美術家協会会長。一水会特別会員。 北足立郡浦和町(のち浦和市)に生まれ、埼玉県立浦和中学校(現埼玉県立浦和高等学校)を卒業、叔父の洋画家関口隆嗣の紹介で寺内萬治郎の指導を受けた。日展初入選後は高田誠に師事し、一水会への出品を続けた。 作品の一部は埼玉県立近代美術館に収蔵されている。
長谷部 楽爾(はせべ がくじ、1928年 - )は、日本の陶… 長谷部 楽爾(はせべ がくじ、1928年 - )は、日本の陶磁器研究家。父は人類学者の長谷部言人。 仙台市生まれ。1948年私立武蔵高等学校卒業後、1953年東京大学文学部美学美術史卒。 1954年、文化財保護委員会美術工芸課。1958年、東京国立博物館学芸部工芸課。のち東洋課長、学芸部長、次長を経て、1988年、退官。文化財保護審議会専門委員、恵泉女学園大学教授、東京国立博物館名誉館員、日本貿易陶磁研究会会長。
藤田 整(ふじた せい、1928年 - 2018年)は、日本… 藤田 整(ふじた せい、1928年 - 2018年)は、日本の経済学者。専門は社会主義経済、ソビエト経済。大阪市立大学名誉教授、大阪経済法科大学名誉教授。 大阪市立大学経済学部長、大阪経済法科大学学長、比較経済体制学会代表幹事等を歴任した。 京都府生まれ。父は経済学者の藤田敬三(大阪市立大学名誉教授、大阪経済大学第3代学長)。大阪府立北野高等学校定時制を経て、1955年一橋大学経済学部卒業。1961年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。指導教官野々村一雄。1965年『社会主義経済と価値法則』で一橋大学社会学博士。審査員野々村一雄、高島善哉、岡稔。 1963年大阪市立大学経済学部講師。1966年助教授。
堀内 雄之(ほりうち ゆうし、1928年〈昭和3年〉 - 1… 堀内 雄之(ほりうち ゆうし、1928年〈昭和3年〉 - 1992年〈平成4年〉)は日本の俳人。妻は俳人の堀内律子。愛媛県松山市出身。 愛媛県松山市にて生まれる。愛媛県立松山中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)卒業。 愛媛県庁の職員として勤務。1953年には、俳人の堀内律子と結婚。 1984年(昭和59年)、松山市を本拠地とする俳句の結社・俳誌 初花を創設。初代主宰に就任。 1992年(平成4年)、死去。 「子規堂の 小窓開けあり 葉鶏頭」の句碑が愛媛県松山市に建立されている。 妻は俳人の堀内律子。律子は2002年に、俳誌 初花の4代目主宰へ就任した。俳人の大本あきらの娘は、律子の生家へ嫁いでいる。
池田 運(いけだ はこぶ、1928年 - )は、ヒンディー語… 池田 運(いけだ はこぶ、1928年 - )は、ヒンディー語文学の翻訳者でインド研究家。日印友好のために広く活動したことでも著名であり、代表的著作に『インドの農村に生きる』がある。一般社団法人日印サルボダヤ交友会員。 池田運は、1928年(昭和3年)、熊本県の農家に生まれた。1945年(昭和20年)、旧制熊本県立中学校済々黌を卒業し、その後は、自宅で家業を手伝った。1949年(昭和24年)からは熊本県菊池郡西合志町の役場に勤務していた。 1956年(昭和31年)、熊本の篤志家児玉亀太郎の世話で、当時、東京大学の神谷慶治教授が主催していた「日印土の会」から、農業指導のために派遣される青年6名のうちの1人に選ばれてインドへ渡った。
関田 寛雄(せきた ひろお、1928年 - 2022年)は、… 関田 寛雄(せきた ひろお、1928年 - 2022年)は、日本の宗教家、青山学院大学名誉教授。 1928年に北九州市で生まれ、幼少期に大阪府吹田市に転居する。父は牧師で母とは7歳で死別する。 吹田市に住んでいた幼い頃に洗礼を受ける。小学生の時には同級生から、アメリカのスパイや、キリスト教徒をやめるように罵声を浴びせられ、暴行を受ける。日中戦争が始まりアメリカとの緊張も高まっていた時期に日本でキリスト教徒でいることは危ないと感じる。 中学生になると軍事教練に積極的に励む。お国のために死ぬことが良いことと話して教師に褒められ、戦場に向かう先輩の姿を見て同級生に後に続こうと呼びかけ、そして周りから尊敬されていく自分を誇らしく思っていた。
杉本 龍太郎(すぎもと りゅうたろう、1928年 - )は、… 杉本 龍太郎(すぎもと りゅうたろう、1928年 - )は、英文学者、大阪女子大学名誉教授。 大阪生まれ。大阪帝国大学文学部英文科卒、同大学院修士課程修了、大阪大学助手、関西学院大学文学部講師、大阪市立大学文学部助教授、大阪女子大学教授、92年定年退官、名誉教授、広島女学院大学教授。英国の形而上詩が専門。
矢澤 一彦(やざわ かずひこ、1928年 - 没年不明)は、… 矢澤 一彦(やざわ かずひこ、1928年 - 没年不明)は、日本の工学博士。電気通信大学名誉教授。専門は電子工学(電子デバイス、電子材料物性、エネルギー変換)。長野県出身。
マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし… マサ アカシ(まさ あかし、本名:明石正義、(あかしまさよし)1928年 - 2023年)は、水彩画家、イラストレーター、ファッションデザイナー。イラスト専門学校マサモードアカデミー主宰。明石マサとも。 日本のファッション・イラストレーターの草分け的存在。 この項目は、ファッション関係の人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル ファッション)。
佐藤 保(さとう たもつ、1928年 - )は、日本の政治運… 佐藤 保(さとう たもつ、1928年 - )は、日本の政治運動家、社会運動家。 大分県に生まれる。1945年福岡県中学修猷館を第4学年卒業し、工業専門学校を経て、1953年九州大学経済学部を卒業。1958年九州大学大学院経済学研究科を修了。大学院では向坂逸郎教授のもとでマルクス経済学を研究し、向坂が中心となって発足した社会主義協会九州支部(後に支局)の事務も行った。 大学院在学中の1957年から総評本部に勤務し、1965年社会主義協会全国オルグとなり、1967年同事務局長を経て、1998年同代表に就任する。 1979年にソ連から米国へ亡命した、元KGBのスパイであるスタニスラフ・レフチェンコの証言により、佐藤は「アトス(ATOS)」というコードネームを持つKGBのエージェント(協力者)であったとされた。
佐藤 明達(さとう あきさと、1928年 - 2023年)は… 佐藤 明達(さとう あきさと、1928年 - 2023年)は、日本のアマチュア天文家・天文教育者、天文学史家。 少年時代から野尻抱影の著書で天文学に親しみ、京都大学理学部宇宙物理学科を卒業した。大阪市立電気科学館(現在の大阪市立科学館)に長年勤務した。その間と退職後も、アマチュア天文家向けに天文学史と天文教育に関する記事を、主に東亜天文学会の機関紙『天界』などに非常に多数執筆している(国会図書館によれば、記事は総数300篇以上に及ぶ)。また、天文学史研究会の「談天の会」でもたびたび報告したり意見を述べたりした。 2014年からは、それまでに執筆した記事を分類してまとめ、『佐藤明達選集』と題する6冊の分厚い著書・編著として出版し、晩年まで意見投稿を行った。
前田 卓(まえだ たかし、1928年 - )は、社会学者、関… 前田 卓(まえだ たかし、1928年 - )は、社会学者、関西大学名誉教授。 栃木県宇都宮市生まれ。1953年京都大学文学部社会学科卒、1958年同大学院博士課程満期退学、京大助手。1960年高野山大学講師、1962年「祖先崇拝論考」で京都大学文学博士。1967年関西大学社会学部助教授、1972年教授、1999年定年退任、名誉教授。
桃谷 好英(ももたに よしひで、1928年 - 2016年 … 桃谷 好英(ももたに よしひで、1928年 - 2016年 )は大阪市出身の科学者。 1928年、大阪市の桃谷順天館創業者の家に生まれる。京都大学理学部植物学科卒業。帝塚山大学助教授を経て、大阪府立大学総合科学部教授に就任。 学年末試験の際、試験を終了した学生に創作折り紙をプレゼントしてくれるお茶目な教授として慕われる。1992年3月に定年退職。 化学進化論を専攻。理学博士、薬剤師。現日本植物学会会員、形の文化会会員、日本折紙協会理事、英国折紙協会会員。日本数学検定協会評議員、日本理科学検定協会会長。 『折り紙手品』(誠文堂新光社発行)にて第25回産経児童出版文化賞受賞、フランス革命200年記念国際折紙コンクール・グランプリ受賞、『不思議の国のアリス』100周年記念コンペ(英国)第1位受賞、第1回ホビー大賞、ホビーライフ賞受賞。
坂本 育雄(さかもと いくお、1928年 - )は、日本の文… 坂本 育雄(さかもと いくお、1928年 - )は、日本の文芸評論家。東京生まれ。慶應義塾大学卒。鶴見大学教授。1999年、定年退任。『民主文学』に依り、広津和郎などを研究、評論。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
稲村 徹元(いなむら てつげん(てつもと)、1928年 - … 稲村 徹元(いなむら てつげん(てつもと)、1928年 - )は、日本の書誌学者。 宮城県仙台市で石川安吉の三男として生まれる。初名は清。1929年、叔父の稲村坦元の養子となり、埼玉県浦和市で育つ。駒澤大学高等師範史学科卒業。大学在学中の1946年から書物展望社に通い、斎藤昌三や「火金会」の人々と交流をもった。 1948年に国立国会図書館の司書となり、1990年まで勤務。国会図書館の最初の館員で、戦後の書誌学を推進した。その後、埼玉純真短期大学教授に就任。
太田 久紀(おおた きゅうき、1928年 - 2007年)は… 太田 久紀(おおた きゅうき、1928年 - 2007年)は、日本の仏教学者。駒澤短期大学および駒沢女子短期大学教授。専門は唯識。 駒澤大学文学部仏教学科卒業。駒沢女子短期大学教授を経て、駒澤短期大学教授を務めた。 著書に「唯識の読み方」「成唯識論要講」「佛典講座 観心覚夢鈔」など。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松田 文雄(まつだ ぶんゆう、1928年 - 2015年11… 松田 文雄(まつだ ぶんゆう、1928年 - 2015年11月)は、日本の仏教史学者、第26代駒澤大学総長。曹洞宗僧侶、大本山總持寺西堂・顧問。専門は中国禅宗史、曹洞宗学(瑩山禅師)。 旧制山形高校、東北大学文学部印度学科卒業。同大学院印度学専攻、駒澤大学大学院仏教学専攻修士課程修了。東北大学で山田龍城、金倉円照の薫陶を受ける。同窓には山折哲雄。駒澤大学大学院では増永霊鳳のもと中国禅宗史を修めた。 駒澤大学非常勤講師、宗学研究所所員となる。1971年に駒澤大学文学部の専任教員、のち教授に就任。文学部文化学教室主任、1986年に文学部長を歴任。1997年から2005年まで駒澤大学総長。1999年、文学部教授を定年退職。
佐野 一男(さの かずお、1928年 - 1993年)は、日… 佐野 一男(さの かずお、1928年 - 1993年)は、日本の実業家。 1928年埼玉県粕壁町(現春日部市)に生まれる。大学卒業後、株式会社伊勢屋に勤務。 1973年株式会社伊勢屋の代表取締役社長就任。佐野一男は各種団体の長として春日部市の発展に貢献し、後継者に強い影響を与えた。1993年永眠。 粕壁とは東武春日部東口の中心部、旧国道沿いにあった江戸時代の・武蔵国粕壁宿(現・埼玉県春日部市)で、荒物商、穀物商、桐箪笥の家具店など並ぶ商業町として栄えた。伊勢屋とは、慶長年間に、栄えつつあった武蔵国日光道中粕壁宿にて、佐野伊兵衛が荒物商・伊勢屋伊兵衛家を創業し、後に街道を挟んで向かい側に、弟惣兵衛が米穀商・伊勢屋惣兵衛家(伊勢惣)を分家した。
武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 200… 武田 龍夫(たけだ たつお、1928年(昭和3年)- 2007年(平成19年))は、日本の随筆家、外交官で、北欧文化協会理事長などを務めた。 武田竜夫とも表記する。夫人の武田和子(1938年生)は絵本画家。 北海道室蘭市出身。1954年に中央大学法学部卒。1954年(昭和29年)から外務省よりストックホルム大学にスウェーデン語留学生として派遣された。日本帰国後は在スウェーデン、デンマークの各・大使館の一等書記官、外務省北欧担当官などを経て、宮内庁式部官、イスタンブール総領事、東海大学教授、大阪外国語大学、立教大学非常勤講師などを歴任し、北欧関係の執筆著述を多く行った。 「世界日報」紙の常連寄稿者の1人で、同紙を賛美するメッセージを寄せている。
浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、… 浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、H・G・ウェルズの研究家。 東京生まれ。1952年中央大学経済学部卒業。ウェルズを翻訳研究し『解放された世界(英語版)』の思想が、世界人権宣言と日本国憲法の成立に影響したと唱える。
石崎 昭彦(いしざき てるひこ、1928年 - )は、日本の… 石崎 昭彦(いしざき てるひこ、1928年 - )は、日本の経済学者。神奈川大学名誉教授。専攻はアメリカ経済論、世界経済論、経済政策論。宇野学派。 東京生まれ。1953年横浜国立大学経済学部卒業。1958年東京大学大学院社会科学研究科応用経済学博士課程修了。楊井克巳、遠藤湘吉から指導を受けた。1958年東京大学社会科学研究所助手。1961年神奈川大学経済学部助教授。1963年「アメリカ金融資本の成立」で経済学博士(東京大学)。1968年神奈川大学経済学部教授。1998年退職。1998-2000年産業学会会長。 著書に宇野理論の段階論をアメリカに適用した『アメリカ金融資本の成立』(東京大学出版会、1962年)がある。
岩原 明子(いわはら あきこ、1928年 - )は、日本の翻… 岩原 明子(いわはら あきこ、1928年 - )は、日本の翻訳家。 東京都生まれ。東京大学文学部英文科卒業。
上田 和夫(うえだ かずお、1928年 - )は、日本の英文… 上田 和夫(うえだ かずお、1928年 - )は、日本の英文学者、翻訳家。 石川県金沢市生まれ。東京大学文学部卒。出版社勤務ののち、明星大学教授。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
植田 兼義(うえだ かねよし、1928年 - )は、日本のド… 植田 兼義(うえだ かねよし、1928年 - )は、日本のドイツ文学者。 東京生まれ。1957年東京大学文学部独文科卒。熊本大学助教授、中央大学法学部助教授、教授。99年定年。1978年『ニャールのサガ』で日本翻訳出版文化賞受賞。
大江 一道(おおえ かずみち、1928年 - )は、日本の歴… 大江 一道(おおえ かずみち、1928年 - )は、日本の歴史家。東京大学文学部西洋史学科卒業。跡見学園女子大学教授。1999年定年退職。