鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月2… 鍵和田 秞子(かぎわだ ゆうこ、1932年(昭和7年)2月21日 - 2020年(令和2年)6月11日)は、神奈川県出身の俳人。 秦野生まれ。神奈川県立平塚高等女学校(現・神奈川県立平塚江南高等学校)を経て、1954年にお茶の水女子大学国文学科を卒業。大学在学中、井本農一のもとで俳文学を学ぶとともに、村山古郷の「たちばな」に入会し句作を開始。大学卒業後は教師として勤める。また金尾梅の門の「季節」に入会。1963年、中村草田男主宰の「萬緑」に入会。のち萬緑新人賞、萬緑賞を受賞。1977年、第一句集『未来図』により第1回俳人協会新人賞を受賞。この年に教師を辞す。1984年、草田男の死を経て「未来図」を創刊・主宰。
森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 20… 森山 恒雄(もりやま つねお、1932年2月21日 - 2009年12月28日)は、日本の歴史学者。 専門は日本近世史で、主に豊臣秀吉の蔵入地や加藤清正の研究を手がけた。 熊本県玉名郡に生まれる。熊本県立玉名高等学校を経て、1949年熊本大学教育学部に入学、同校卒業後、1954年熊本県の私立鎮西高等学校に勤務。1956年同校を退職し、九州大学大学院文学研究科修士課程史学専攻に入学。修了後の1958年九州大学大学院文学研究科博士課程史学専攻に入学、1961年同課程を単位取得満期退学。 1963年九州大学文学部助手(国史学研究室)、1964年東海大学講師、1967年同校助教授となる。1971年母校の熊本大学に移り助教授、1977年教授に就任。
千種 秀夫(ちくさ ひでお、1932年2月21日 - 202… 千種 秀夫(ちくさ ひでお、1932年2月21日 - 2022年12月17日)は日本の裁判官。最高裁判所判事。日本法律家協会会長(第7代:2007年-2015年)。弁護士登録をしている。兵庫県出身。 横浜地裁が振り出しだが、判検交流で11年間は法務省に勤務する。法務省民事局長時代には妻の遺産相続を3分の1から2分の1にする法改正に関与した。裁判と行政の違いについて「裁判は目の前の紛争解決。立法はあらゆることを想定し、広く深く考える。この経験が勉強になった」という。 最高裁事務総長から最高裁判事に任命される。裁判官枠の最高裁裁判官は高裁長官を経て任命されるケースが多く、最高裁事務総長からのストレートの任命は異例である。
藤木 英雄(ふじき ひでお、1932年2月20日 - 197… 藤木 英雄(ふじき ひでお、1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本の刑事法学者。元東京大学法学部教授。法学博士。従四位勲四等旭日小綬章。長野県松本市出身。
鮫島 敬治(さめじま けいじ、1932年〈昭和7年〉2月20… 鮫島 敬治(さめじま けいじ、1932年〈昭和7年〉2月20日 - 2004年〈平成16年〉12月26日)は、日本の元ジャーナリスト。 1932年、中国の大連市で生まれる。 1956年に大阪外国語大学卒業後、日本経済新聞社に入社。 北京特派員時代に文化大革命の混乱で中国当局にスパイ容疑で拘束され、1968年6月から約1年半にわたって抑留生活を送った。 その後、編集委員兼論説委員や論説副主幹、大阪本社編集局長を経て、1985年に取締役、1989年に常務、1992年に専務に就任。 2004年12月26日午前9時20分、呼吸不全により静岡市の病院で死去。72歳没。葬儀・告別式は12月29日に営まれた。
吹野 安(ふきの やすし、1932年2月20日 - 2015… 吹野 安(ふきの やすし、1932年2月20日 - 2015年2月1日)は、日本の漢文学者。國學院大學名誉教授。中国古典学専攻。 茨城県西茨城郡大原村(現・笠間市)出身。1956年國學院大學文学部中国文学科卒、1957年大東文化大学文学部中国文学科専攻科修了。1958年錦城商業高等学校教諭、1966年錦城高等学校講師、1967年相模女子大学学芸学部専任講師、1969年助教授、1971年國學院大學文学部助教授、1978年教授、1985年「中国古代中世文学発想論」で國學院大學文学博士。1997年退職、名誉教授。 吹野安の中国学に関する学績を記念し、吹野の意志に基づき、学術奨励のために平成10(2008)年度から設置された。
霊山 勝海(よしやま しょうかい/かつみ、1932年2月20… 霊山 勝海(よしやま しょうかい/かつみ、1932年2月20日 - 2020年6月21日)は、浄土真宗の仏教学者・僧侶。 広島県生まれ。1954年龍谷大学文学部真宗学科卒業、56年同大学院修士課程修了。京都女子大学文学部助教授、教授、同宗教研究所長、本願寺派司教、勧学。広島県安芸高田市法圓寺元住職。
内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 20… 内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 2021年12月26日)は、日本の法学者(刑法)。法学博士(北海道大学、1963年)(学位論文「過失同時犯の正犯性」)。神奈川大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。ハンス・ヴェルツェルが提唱した目的的行為論をとるが、主観的違法要素を認めないので、結果無価値論に近い結論をとることがある。『過失と共犯』、『刑法における過失共働の理論』で、新過失論の立場に立ち、過失(過失犯)にも共犯がありうることを提唱した。 1966年(昭和41年)に日本刑法学会賞を受賞した。 公職として旧司法試験第二次試験考査委員(1979年1月~1981年12月)、学校法人神奈川大学常任監事(2005年~2008年)
久留間 健(くるま けん、1932年2月19日 - 2012… 久留間 健(くるま けん、1932年2月19日 - 2012年4月2日)は、日本の経済学者。立教大学名誉教授。マルクス経済学における金融論、貨幣論専攻。 1932年、兵庫県生まれ。父親は元法政大学教授でマルクス経済学者の久留間鮫造。1956年、横浜国立大学経済学部卒業。1959年、法政大学大学院社会科学研究科修士課程修了。1962年、立教大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。 立教大学経済学部助手(1962年4月-1964年3月)、専任講師(1964年4月-1968年3月)、助教授(1968年4月-1978年3月)を経て立教大学経済学部教授(1978年4月-1997年3月)。この間、1987年より2年間、経済学部長を務める。
菊池 久(きくち ひさし、1932年2月18日 - 2009… 菊池 久(きくち ひさし、1932年2月18日 - 2009年4月30日)は、日本の新聞記者、政治評論家。
中村 孝(なかむら たかし、1932年2月18日 - 201… 中村 孝(なかむら たかし、1932年2月18日 - 2013年9月16日)は日本の空手家。 日本空手道研修会会長、武蔵野市空手道連盟初代会長をつとめた。中学生のころから内弟子として金城裕に師事し、生涯を空手道一筋に過ごした。 大東文化大学卒。全空連二級資格審査員、全空連7段(後に研修会十段)。沖縄空手の研究に生涯を懸けて研鑽したとして文部大臣賞受賞[要出典]。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年… 渡辺信夫(わたなべ のぶお、1932年2月18日-2001年1月15日)は、日本の日本史学者。 山形県西村山郡河北町生まれ。1957年東北大学大学院国史学修士課程修了。福島工業高等専門学校助教授、1967年東北大学文学部助教授、教授、文学部長。 1995年、定年退官、名誉教授、放送大学教授。 交通・流通史研究を軸とした近世東北地域史研究を専攻とした。 1967年、東北大学より文学博士の学位を取得。
大林 喬任(おおばやし たかとう、1932年〈昭和7年〉2月… 大林 喬任(おおばやし たかとう、1932年〈昭和7年〉2月16日 - 2006年〈平成18年〉12月17日[要出典])は、日本の政治家。吉岡村長(3期)、第73代群馬県議会議長、群馬県議会議員(6期)、吉岡村議会議員(1期)、自民党群馬県連幹事長などを務めた。 1932年、群馬県群馬郡明治村(現・北群馬郡吉岡町)に生まれる。実家は養蚕農家。1950年に群馬県立渋川高等学校を卒業。家業の農業に従事し観光ぶどう園を経営し、吉岡村消防団長も務めた。 1971年、吉岡村議会議員選挙に出馬し、初当選。1973年、吉岡村長選挙に出馬し当選、以後連続3期務める。 1983年、群馬県議会議員選挙に出馬し当選、以後連続6期務める。
宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16… 宮内 國郎(みやうち くにお、1932年(昭和7年)2月16日 - 2006年(平成18年)11月27日)は、日本の作曲家。宮内 国郎と表記されることも多い。 東京府出身。実家は印刷業を営んでいた。 少年時代、音楽好きであった兄の影響でクラシック音楽に親しみ、16歳のときにジョージ・ガーシュウィンの伝記映画『アメリカ交響楽』を見てジャズに傾倒する。国立音楽大学附属高等学校に入学、松本文男に師事し、トランペット奏者を志したが、高校2年生の時、軽い肺結核を患い断念した。服部正、入野義朗、斎藤一郎などの指導を受けながら、作曲家としての修業を積む傍ら、フリーの立場でアレンジを中心に、民放ラジオ局ニッポン放送関係の仕事に従事する。
岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は… 岡部 政明(おかべ まさあき、1932年2月16日 - )は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。東京俳優生活協同組合所属。北海道深川市出身。リーディングドラマの会・伽羅主宰(をはり万造・森うたうと共同主宰)。
水上 靜哉(みずかみ しずや、1932年2月16日 - )は… 水上 靜哉(みずかみ しずや、1932年2月16日 - )は、福岡県福岡市出身の元プロ野球選手(内野手)。
大野 誠(おおの まこと、1932年2月16日 -2022年… 大野 誠(おおの まこと、1932年2月16日 -2022年7月6日 )は、日本の衛生学者。医学博士(日本大学)。専門は、食品衛生学・大衆衛生学。国際学院埼玉短期大学初代学長。 1956年日本大学農獣医学部獣医学科卒業。1956年埼玉県熊谷保健所に入所。1963年同保健所退職し、大宮国際料理学院を設立し同理事長。1968年淑徳学園短期大学家政科助教授(1972年まで)。1971年大宮保育学校校長。国際栄養士専門学校校長。学校法人国際学院理事長・同学院長。1983年日本大学より医学博士受く。国際学院埼玉短期大学を設立し同初代学長。1988年国際学院高等学校校長(1999年まで)。1999年山脇学園短期大学栄養科客員教授(2003年まで)。
藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )… 藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )は、日本の女優。東京府(現:東京都)南豊島郡南千住出身。本名は伊沢 つや子。 1947年、松竹歌劇団入団。男役として活躍し、1951年に幹部となる。1952年、東映に入社。 ※特記のないものは東映配給作品
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年… 三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年3月11日)は、日本の工学者。専門は、機械材料・材料力学。学位は、工学博士(京都大学・論文博士・1966年)(学位論文「Production of lattice defects by plastic deformation in FCC metals 」)。京都大学名誉教授。大阪府出身。
白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は… 白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。男性。本名は岡本 登(おかもと のぼる)。A型。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。
八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、… 八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、日本の新約聖書学者、神学者、宗教哲学者。東京工業大学名誉教授。 1932年、神奈川県横浜市生まれ。実家は無教会系のクリスチャンホームであった。1955年、東京大学教養学部ドイツ科を卒業し、1962年、同大学院西洋古典学専攻博士課程を単位取得満期退学。ゲッティンゲン大学で学んだ。 1960年に関東学院大学専任講師となり、1964年に助教授昇進。しかし、関東学院大学において新約聖書への批判的言辞は研究にとどめ、授業では教授しないことを求められて学問の自由の立場から同大を辞職。東京工業大学助教授となり、1975年に教授昇進。1967年に学位論文『新約思想の成立』を九州大学に提出して文学博士号を取得。
花輪 光(はなわ ひかる、1932年2月15日 - 1999… 花輪 光(はなわ ひかる、1932年2月15日 - 1999年)は、フランス文学者。 山梨県生まれ。1955年に東京教育大学文学部仏文科卒業、59年同大学院博士課程中退。筑波大学文芸・言語学系教授を務めた。ロラン・バルトを主として研究・翻訳した。
姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - … 姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - 2021年6月12日)は、日本統治時代の朝鮮出身の歴史学者。朝鮮近現代史の第一人者の一人として知られる。専門は朝鮮独立運動。関東大震災時の朝鮮人虐殺の研究では先駆的な役割を果たした。一橋大学教授、滋賀県立大学名誉教授。国籍は韓国。 日本統治下の慶尚南道咸陽郡に生まれる。1934年12月、2歳のときに母に連れられて父のいる日本に渡った。親は廃品回収業を営み、東京都渋谷区の広尾で育った。1950年3月、東京都立青山高等学校卒業。同年4月、早稲田大学第一文学部史学科に入学。大学では中国史を勉強するサークルに所属した。1955年3月、早稲田大学卒業。
武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭… 武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭和7年)2月15日 - 1995年(平成7年)9月7日)は、日本の歌手、タレント、ラジオパーソナリティ。元コロムビア専属歌手で、1970年代以降は宮崎放送(MRT)所属のタレントとしてMRT制作のラジオ・テレビ番組に数多く出演。宮崎県の企業CM出演や地元イベント参加など郷土に根ざした活躍で知られた。また歌謡学校などで歌手を指導・育成したり、障がい者支援の慈善活動を行うなど多岐にわたる活動を展開した。宮崎放送制作のテレビ番組「おくさま9:30」にてMRT正面玄関前レポーター担当などタレントとして活動していた武中吾子(たけなかあこ)は娘。 ※南国慕情(B面):作詞・赤城慧、作曲:山本丈晴 ※元気だしなよ(A面):作詞・山塚重人、作曲・堀川敏幸、編曲・甲斐靖文、歌・武中はじめ※四角い空(B面):作詞・はらちあき、作曲・武中アコ、編曲・甲斐靖文、歌・武中アコ この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月1… 吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、日本の検察官(第18代検事総長)。弁護士。岡山市生まれ。位階は正三位。 日通事件、ロッキード事件など数多くの事件を東京地検特捜部で手がけ、俗にいう“現場派”として検事総長を歴任。2004年(平成16年)4月29日、瑞宝大綬章受章。 ロッキード事件の際、吉永副部長は新聞記者に対して「黙れ」「とにかく今後P3Cと書くことはならん」と言い、違反したら地検の会見には出させないと脅した。翌日からP3Cが紙面からきれいさっぱり消えたという。また、実質的な司法取引による刑事免責を与えられたロッキード社幹部のアーチボルド・コーチャンの証言について、吉永副部長は「米国人は聖書に手を置いて証言するから嘘は言わない」と新聞記者に言ったという。
堂ノ脇 光朗(どうのわき みつろう、1932年2月14日 -… 堂ノ脇 光朗(どうのわき みつろう、1932年2月14日 - 2015年9月7日)は、特定非営利活動法人日本紛争予防センター会長。日本の元外交官。瑞宝重光章。 東京都に生まれ、東京都立青山高等学校、東京大学法学部を経て1954年に外務省に入省する。 駐ナイジェリア大使、軍縮会議日本政府代表部大使、駐メキシコ大使などを歴任し、1996年に外務省を辞職。その後、東海銀行(のち三菱東京UFJ銀行)顧問、国際連合事務総長軍事諮問委員会議長、日本予防外交センター副会長などを歴任し、2002年からは特定非営利活動法人日本予防外交センター副会長を務めている。公益財団法人日本国際フォーラム政策委員。
敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017… 敷田 稔(しきた みのる、1932年2月13日 - 2017年9月12日)は、日本の元検察官、弁護士。 1932年2月13日福岡県北九州市生まれ。福岡県立東筑高等学校、九州大学法学部法律学科卒業。1956年検事任官。1957年ハーバード大学ロースクール留学。
金田 浩一呂(かねだ こういちろ、1932年2月13日 - … 金田 浩一呂(かねだ こういちろ、1932年2月13日 - 2011年7月20日)は、日本のジャーナリスト。 宮崎県生まれ。貧しい母子家庭に育ち、中央大学法学部在学中、最初の3年間は刑務所の看守、あとは雑多なアルバイトで生計を立てる。卒業後、産業経済新聞社に入社し、夕刊フジの学芸部長・編集委員を歴任。文芸記者として、井伏鱒二、遠藤周作、城山三郎、阿川弘之らと交友。 2011年7月20日、腎臓癌のため死去。79歳没。 この項目は、報道に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:メディア)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - … 賀集 正三(かしゅう しょうぞう、1932年2月12日 - 2017年9月6日)は、将棋棋士。1970年、引退。角田三男八段門下。棋士番号は70。 兵庫県三原郡(現・南あわじ市)出身。 1956年、四段昇段(プロ入り)。 第9回(1965年)古豪新鋭戦で優勝。 1966年、東西対抗勝継戦で5人抜き(優勝)。 プロ入りから14年後の1970年に四段のまま引退する。 日本将棋連盟関西本部の普及部を長く担当。また、自宅教室、出張先のクラブ、団体等での指導、町の文化委員を務めるなど、将棋の普及活動に広く尽力。 2017年9月6日、85歳で死去。 居飛車、振り飛車ともに指すが、矢倉の将棋が多い。 中盤から終盤まで押しつ押されつの攻防が特徴的な棋風である。
安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 200… 安井 治雄(やすい はるお、1932年2月11日 - 2003年10月30日)は、日本の経営者。ユニー社長を務めた。 愛知県知多郡東浦町出身。1954年に岐阜薬科大学製造薬学科を卒業し、同年に中外貿易に入社。1957年にエーザイを経て、1960年に西川屋(のちのユニー)に転じ、1963年に取締役に就任し、1979年5月に専務、1984年1月に副社長を経て、1990年2月に社長に就任。1991年5月から1993年5月までにに会長を務めた。 2003年10月30日動脈瘤破裂のために死去。71歳没。
清水 建美(しみず たてみ、1932年2月11日 - 201… 清水 建美(しみず たてみ、1932年2月11日 - 2014年11月25日)は、植物学者。竹号は「鶯山」。 長野県松本市生まれ。福井県育ち。1954年福井大学学芸学部教育一部卒業。1960年京都大学大学院理学研究科植物学専攻博士課程満期退学、1963年理学博士。信州大学助手、教養部講師、助教授、1971年教授、1992年名誉教授、金沢大学理学部教授、名誉教授。外来種・帰化植物の研究が専門。 2011年11月瑞宝中綬章受章。 清水の著作の一部はデジタル化され、インターネット上の国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている。
海老澤 順三(えびさわ じゅんぞう、1932年〈昭和7年〉2… 海老澤 順三(えびさわ じゅんぞう、1932年〈昭和7年〉2月11日 - 2025年〈令和7年〉3月13日)は、日本の政治家。位階は従四位。元北海道北斗市長(1期)上磯町長(8期)。 北海道上磯郡上磯町(現北斗市)出身。明治大学農学部卒。上磯町役場に入り、町議会事務局長を経て、1975年(昭和50年)、上磯町長に当選する。以来上磯町が合併するまで連続8期務めた。この間、道町村会会長、道漁港協会副会長を務めた。 2005年(平成17年)12月、翌年2月の北斗市発足による市長選挙に立候補を表明、市長選挙には元大野町長や元上磯町議が立候補、3人の争いになった。選挙の結果、海老澤が当選した。 北斗市長を1期務め、2010年(平成22年)に退任。
長沢 延子(ながさわ のぶこ、1932年〈昭和7年〉2月11… 長沢 延子(ながさわ のぶこ、1932年〈昭和7年〉2月11日 - 1949年〈昭和24年〉6月1日)は、日本の詩人である。群馬県桐生市出身。群馬県立桐生高等女学校(現・群馬県立桐生女子高等学校)卒業。姓の長沢は長澤とも表記される。 1932年(昭和7年)、群馬県桐生市で生まれる。父親は織物会社を営んでいた。延子には姉と兄がおり、のちに弟が生まれる。1936年(昭和11年)、延子が4歳のときに母親が胃癌で亡くなる。延子によれば、自分の一番最初の記憶は棺の中の母親の死に顔であるという。1938年(昭和13年)、桐生市西尋常小学校(1941年に桐生市西国民学校と改称)に入学、クラスで一番成績が良く、ずっと級長を務めた。
広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭… 広岡 達朗(ひろおか たつろう、旧字体:廣岡、1932年〈昭和7年〉2月9日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)・元監督、野球解説者(評論家)。 現役時代は読売ジャイアンツで活躍、監督としてヤクルトスワローズ、西武ライオンズをそれぞれリーグ優勝・日本一に導いた。千葉ロッテマリーンズゼネラルマネージャーを経て現在は野球評論家。愛称は「ヒロ(さん)」。 実兄・広岡富夫は公務員(広島県庁)からプロ入りした異色の経歴を持ち、広島市民球場第1号本塁打を打った広島カープの元選手である。 辛辣で歯に衣をきせない一面があり、古巣である巨人に対しても批評を下すことがある。 1932年2月9日、広島県呉市にて6人兄弟(男5人、女1人)の末っ子として生まれる。
高橋 康也(たかはし やすなり、1932年2月9日 - 20… 高橋 康也(たかはし やすなり、1932年2月9日 - 2002年6月24日)は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学教養学部教授を経て名誉教授。 東京生まれ。1953年東京大学文学部英文科卒、1958年同大学院人文科学研究科博士課程満期退学。中央大学専任講師を経て1962年東京大学教養学部専任講師、助教授、1977年教授。英文科や比較文学の大学院でも教えた。定年後は昭和女子大学大学院教授を勤めた。 日本英文学会会長、日本シェイクスピア協会会長、国際シェイクスピア学会副会長を歴任し、1993年、大英帝国勲章CBEを受章した。 サミュエル・ベケット、シェイクスピアなど演劇や、ルイス・キャロル作品を研究対象とし、ノンセンスなどの、文学における言葉遊びに光を当てるとともに、キャロルの少女愛好についてもその全体像を紹介した。
岩本 弘司(、1932年〈昭和7年〉2月9日 - 没年不明)… 岩本 弘司(、1932年〈昭和7年〉2月9日 - 没年不明)は、日本の元俳優。本名:岩本 弘(いわもと ひろし)。京都府出身。明治大学卒業。 父が新東宝の殺陣師であった関係から、自らも東宝に脇役専門のBホーム枠で入社。俳優業とともに時代劇のほかアクション映画の殺陣師としても活躍、最終的には本数契約制のAホームに移る。 さっぱりした人柄で年齢を問わず多くの人から人気があり、「弘チン」の愛称で親しまれていた。東宝で助監督を務めた梶田興治によれば、岩本はバーの店員役が多かったことから「バーテンダー専門俳優」とあだ名されていたという。書籍『ゴジラ大百科 [メカゴジラ編]』では、「男性的で精悍な役柄に持ち味を発揮」と評している。
木島 長右ェ門(きじま ちょううえもん、1932年(昭和7年… 木島 長右ェ門(きじま ちょううえもん、1932年(昭和7年)2月9日 - 2017年(平成29年)12月12日)は、日本の政治家。新潟県糸魚川市長(3期)。 新潟県糸魚川市出身。早稲田大学政経学部卒。糸魚川市議会議員を4期、同議長を務め、1985年糸魚川市長選挙に立候補し、初当選する。1989年と1993年の市長選はともに無投票で当選。市長を3期務め、1997年に退任した。 在任中の実績として、『フォッサマグナと地域開発構想』が挙げられる。この構想は、フォッサマグナやヒスイなどを糸魚川市特有の地域資源として、地域振興はもとより教育に活用することを目指すものである。この構想によって、まず1990年にフォッサマグナパークが造られた。
佐藤 信二(さとう しんじ、1932年〈昭和7年〉2月8日 … 佐藤 信二(さとう しんじ、1932年〈昭和7年〉2月8日 - 2016年〈平成28年〉5月3日)は、日本の政治家。運輸大臣、通商産業大臣、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)などを歴任。位階勲等は正三位勲一等。衆議院議員永年在職表彰受彰。父は第61、62、63代内閣総理大臣の佐藤榮作。 山口県熊毛郡田布施町出身。東京都立大学附属高等学校を経て慶應義塾大学法学部卒業後、日本鋼管株式会社(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1972年、冷延鋼板課長として訪中。日中国交正常化直前のタイミングではあったが、広州に滞在して鋼材の売り込みを行った。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で全国区に出馬し初当選。
関 淳(せき きよし、1932年2月8日 - )は、日本の実… 関 淳(せき きよし、1932年2月8日 - )は、日本の実業家で松下政経塾長を務めた。新潟県魚沼市出身。
城 侑(じょう すすむ)、1932年2月8日 -2012年6… 城 侑(じょう すすむ)、1932年2月8日 -2012年6月29日 は、日本の詩人。 奈良県生まれ。早稲田大学文学部卒。NHK職員。「詩豹」「早稲田詩人」「羊歯族」を経て「赤と黒」(昭37・1創刊)主宰。 詩人会議「現代詩」に関係。『荒地詩集』(昭32、33年版)に参加。資本主義の社会病理を寓意と逆説で風刺する異色詩人。1975年に第三回詩人会議賞(後に壺井繁治賞と改名)、1995年に第27回多喜二・百合子賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002… 千野 栄一(ちの えいいち、1932年2月7日 - 2002年3月19日)は、日本の言語学者、翻訳家、東京外国語大学名誉教授、元和光大学学長。専門は言語学、およびチェコ語を中心としたスラブ語学。 晩年は旧字体の「千野 榮一」と表記した。 1932年、東京府豊多摩郡渋谷町(現:東京都渋谷区)栄通1丁目生まれ。1948年、東京都立高校(旧制)尋常科(現:東京都立桜修館中等教育学校)修了。当時からの友人に地理学者江波戸昭がいる。 1949年、東京都立高校高等科(現:東京都立大学)修了。1955年、東京外国語大学第四部(ロシア語)を卒業。1958年、東京大学文学部言語学専攻を卒業した。同年よりチェコスロヴァキア政府奨学生としてプラハのカレル大学に入学。
小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998… 小平 修(こだいら おさむ、1932年2月7日 - 1998年6月4日)は、日本の政治学者。京都産業大学教授。 長野県松本市出身。1952年(昭和27年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1956年早稲田大学政治経済学部卒業、1959年同大学院政治学研究科修了。1970年京都産業大学法学部助教授、1972年教授を務めた。専門は比較政治学。教授在職中の1998年(平成10年)逝去。日本選挙学会会員。政治の世界でいう「左派」「右派」などの定義を提唱し定着させた功績は彼によるところが大きい。
田中 日佐夫(たなか ひさお、1932年2月7日 - 200… 田中 日佐夫(たなか ひさお、1932年2月7日 - 2009年5月15日)は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。成城大学名誉教授。 岡山県岡山市生まれ。香里高等学校、同志社大学短期大学部英語科卒業後、立命館大学文学部史学科に編入した後、立命館大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了。龍村織物美術研究所、滋賀県教育委員会文化財保護課に勤務。その後、1972年に成城大学文芸学部助教授、1979年に教授となる。1984年『日本画 繚乱の季節』でサントリー学芸賞受賞。1988年『竹内栖鳳』で芸術選奨文部大臣賞受賞。1994年秋田県立近代美術館館長に就任。1999年紫綬褒章受章。2003年成城大を定年退任、名誉教授。
長山 泰久(ながやま やすひさ、1932年2月7日 - 20… 長山 泰久(ながやま やすひさ、1932年2月7日 - 2022年8月24日)は、日本の心理学者。専門は、交通心理学、交通教育学、産業心理学。大阪大学名誉教授。日本においてはじめて交通心理学を体系化し、心理学の中で独自の研究領域として確立する先導的役割を果たした。また、危険予測、防衛運転、暴走族研究、二輪車事故の研究等、さまざまな研究課題への取り組みを通じ、交通安全教育・交通安全対策の提言や実践を行ってきた。 大阪府枚方市生まれ。1955年大阪大学文学部卒業、1960年大阪大学大学院文学研究科博士課程を単位取得。 1960年大阪大学文学部助手、1967年追手門学院大学文学部講師、1968年同助教授を経て、1974年大阪大学人間科学部助教授、1984年同教授。
五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> … 五十嵐 日出夫(いがらし ひでお、1932年 <昭和7年> 2月7日 - 2006年 <平成18年> 10月20日)は、日本の工学者・官僚。北海道大学名誉教授・北海学園大学名誉教授。北海道における都市計画学の第一人者。札幌市出身。位階は正四位。 1954年(昭和29年)北海道大学工学部土木工学科卒業後、同年運輸省入省。間もなく北海道開発局へ出向。1956年(昭和31年)北海道大学工学部土木工学科専任講師(都市計画学担当)。1958年(昭和33年)同工学部土木工学科助教授(都市計画学担当)。1975年(昭和50年)同工学部土木工学科教授(交通計画学講座)。1995年(平成7年)北海道大学停年退官。
寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、日本… 寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、日本の女優、タレント。宝塚歌劇団の元星組男役トップスター。 血液型はAB型。東宝芸能所属。本名:高嶋 節子(たかしま せつこ、旧姓:松平)。宝塚歌劇団時代の愛称は旧姓からマッちゃん。兵庫県西宮市出身。
伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、… 伊藤 正博(いとう まさひろ、1932年2月6日 - )は、日本の俳優、声優。東京都出身。 日本大学芸術学部卒業。かつては、劇団宗芸、東京映画、タレントエージェント、劇団東芸、プロダクション・エムスリー、希楽星に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 20… 高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 2024年10月17日)は、日本の美術史学者・美術評論家。位階は従三位。 東京大学文学部名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院院長、公益財団法人西洋美術振興財団理事長、大原美術館館長などを務めた。秋田県立美術館顧問。 1932年、東京で生まれた。父は哲学者・高階順治で、母方の姓を継いで旧姓・佐々木を名乗った。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、のちに東大教授となる芳賀徹、平川祐弘、石井進、平田賢とは同じクラス(第1部)であり、波多野里望とはこの頃から仲良しであった。1944年に小学校を卒業し、東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。
田中 希代子(たなか きよこ、1932年2月5日 - 199… 田中 希代子(たなか きよこ、1932年2月5日 - 1996年2月26日)は、戦後昭和時代に活躍した日本のピアニスト、ピアノ教育者。 田中は、ジュネーヴ国際音楽コンクール(第14回1952年)、ロン=ティボー国際コンクール(第5回1953年)、ショパン国際ピアノコンクール(第5回1955年)の3つの国際コンクールの日本人初入賞者として知られる。 30歳代後半に難病により引退したが、その後は後進の育成に努めた。また、現役時代から当時の皇太子妃(現美智子上皇后)に慕われたピアニストとしても知られる。 東京府出身。父はヴァイオリニストの田中詠人、母は声楽家の田中伸枝。弟の田中千香士は、NHK交響楽団でコンサートマスターも務めたヴァイオリニスト。