相沢 与一(あいざわ よいち、1933年1月26日 - )は… 相沢 与一(あいざわ よいち、1933年1月26日 - )は、日本の経済学者、福島大学名誉教授。専門は、労働経済学。旧字体で相澤 與一とも書かれる。 山形県生まれ。1956年東北大学文学部西洋史学科卒業。1963年同大学院経済学研究科博士課程修了、「英国炭鉱業における労働政策と労働組合」で経済学博士。国士舘大学講師、城西大学講師、佐賀大学講師、福島大学経済学部助教授、教授、1998年定年退官、名誉教授、長野大学産業社会学部教授、高崎健康福祉大学教授。2008年退職。
春山 希義(はるやま きよし、1933年1月26日 - 20… 春山 希義(はるやま きよし、1933年1月26日 - 2009年10月24日)は、日本の小説家。 東京府(現・東京都)出身。北海道教育大学旭川分校卒業後教員となり、十勝地方の小学校や中学校で教鞭を執りながら作家活動を行い、主に十勝・帯広を舞台とした小説を著した。帯広市図書館発行の文芸雑誌『市民文藝』に多くの作品を発表し、1971年に『赤い眼』で市民文藝賞を受賞した。市民文藝賞受賞後は文學界新人賞に応募するようになり、2度の2次予選通過を経て、1974年に『雪のない冬』で第39回文學界新人賞を受賞した。 その後は『市民文藝』編集委員長等を務めたが、急性心筋梗塞のために帯広市内の病院で76年の生涯を閉じた。
生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 20… 生島 治郎(いくしま じろう、1933年1月25日 - 2003年3月2日)は、日本の小説家。本名は小泉 太郎(こいずみ たろう)。早川書房の編集者から作家に転じ、『追いつめる』で直木賞を受賞した。日本に正統ハードボイルドを移植した功労者の一人。 上海生まれ。1945年2月に長崎に引き揚げ、6月に母の郷里・金沢に移る。そのため、被爆を免れた。その後、父が横浜で職を持ったため横浜に転居した。 転居に伴い神奈川県立横浜第二中学校3年に編入した。学制改革により翌年(1948年)には神奈川県立横浜第二高校(現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校)へと改組された同校で4年間学ぶ。同期に青木雨彦と宮原昭夫がいた。
末川 清(すえかわ きよし、1933年1月25日 - 201… 末川 清(すえかわ きよし、1933年1月25日 - 2011年11月1日)は、日本の歴史学者。立命館大学名誉教授。専門は西洋史(ドイツ近代史)。 1933年、京都府京都市で法学者・末川博の長男として生まれた。。 1951年に京都府立鴨沂高等学校を卒業し、京都大学文学部に進学。西洋史学科で学び、1955年に卒業。同大学院文学研究科西洋史学専攻に進み、1957年に修士課程を修了。1960年、博士後期課程を単位満期取得退学。 立命館大学に勤務。2011年に死去。
岩川 隆(いわかわ たかし、1933年(昭和8年)1月25日… 岩川 隆(いわかわ たかし、1933年(昭和8年)1月25日 - 2001年(平成13年)7月15日)は、日本のノンフィクション作家。 山口県岩国市生まれ。旧制山口県立防府中学校、山口県立防府高等学校を経て広島大学文学部独文科卒業。 梶山軍団の一員として、『週刊文春』『週刊女性』などに執筆の後、小説、ノンフィクションを上梓。 1976年、『神を信ぜず』、1979年、『多くを語らず』、1982年、『海峡』でそれぞれ直木賞候補。1994年、JRA賞馬事文化賞、1995年、『孤島の土となるとも』(BC級戦犯を扱った『神を信ぜず』の続篇)で講談社ノンフィクション賞受賞。 プロ野球、競馬関係に造詣が深く、それらを題材とした著作が多い。
吉井 澄雄(よしい すみお、1933年(昭和8年)1月24日… 吉井 澄雄(よしい すみお、1933年(昭和8年)1月24日 - 2025年7月2日)は、日本の舞台照明家。照明技術者。劇場コンサルタント。 東京府出身。東京都立石神井高等学校在学中から演劇部で活動していた。その後、劇団方舟に参加し、初めて仕事として照明を手がけた。 1950年(昭和25年)遠山照明研究所に入り、遠山静雄に師事する。 東京学芸大学在学中の1953年(昭和28年)慶應義塾高等学校演劇部の浅利慶太、日下武史ら[リンク切れ]と出会い、劇団四季を結成、照明を担当(大学は中退)。 1954年(昭和29年)東京芝・中労委会館での劇団四季旗揚げ公演、ジャン・アヌイ作『アルデール又はせむしの聖女』ではじめて照明を担当。
宇波 彰(うなみ あきら、1933年1月24日 - 2021… 宇波 彰(うなみ あきら、1933年1月24日 - 2021年1月6日)は、日本の哲学者、文芸・芸術評論家。明治学院大学名誉教授。 1933年、静岡県浜松市生まれ。静岡県立浜松北高等学校を卒業し、東京大学文学部仏文科を卒業した。同大学院哲学科修士課程修了。埼玉県立川越高校、同所沢高校などの教諭をしながら、雑誌などに評論を発表するほか、フランス現代思想の翻訳を数多く上梓した。1990年、明治学院大学文学部教授となる。2001年に定年退職した。その後は札幌大学教授として教鞭をとり、2005年に退職。
岸本 千明(きしもと ちあき、1933年1月24日 - )は… 岸本 千明(きしもと ちあき、1933年1月24日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手。 京阪商業から1952年に南海ホークスへ入団。1953年に退団。 孫はサンケイスポーツの社員として活動している。
原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2… 原 博(はら ひろし、1933年1月24日 - 2002年2月13日)は、日本の作曲家。 埼玉県熊谷市の材木商の家に生まれる。友人の伝手で池内友次郎に師事し、東京芸術大学に入学、1957年に同大を卒業。1958年、日本音楽コンクール室内楽部門第3位。1961年から渡仏し、パリ国立高等音楽院でシモーヌ・プレ=コサード、ジャン・リヴィエに師事、ニースでアレクサンドル・チェレプニン、アンリ・デュティユーにも師事した。1962年、クラリネット五重奏曲がニース国際作曲コンクール第1位。1963年の冬からヴェネツィアに移るも、1964年3月に帰国した。その後、作品発表会等をはじめとして活発な音楽活動をする。
山崎 至朗(やまざき しろう、1933年1月24日 - 20… 山崎 至朗(やまざき しろう、1933年1月24日 - 2006年4月4日)は、日本の経営者。エスビー食品社長を務めた。東京都出身。 1954年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年にエスビー食品工業に入社。1956年11月に取締役に就任し、1959年1月に副社長に就任し、1974年5月に社長に昇格。1983年6月に会長を経て、1989年6月には取締役に退いた。 2006年4月4日多臓器不全のために死去。73歳没。
恩地 日出夫(おんち ひでお、1933年1月23日 - 20… 恩地 日出夫(おんち ひでお、1933年1月23日 - 2022年1月20日)は、日本の映画監督である。2005年、旭日小綬章受章。 東京市(現世田谷区)に生まれる。長野県、山形県への学童疎開を経験した後、東京都立千歳高等学校(現・東京都立芦花高等学校)卒業。慶應義塾大学経済学部卒業後、東宝に入社。森谷司郎、木下亮が同期。 堀川弘通監督の助監督を経て、1960年、27歳で監督に昇進、東宝ヌーベルバーグとも呼ばれた『若い狼』で監督デビュー。続いて、団令子主演で作品を発表するが、「観念的」「難解」と評される。ブランクの後、内藤洋子売り出しのための『あこがれ』を制作。そのみずみずしい映像感覚は評判となる。
佐々木 侃司(ささき かんじ、1933年1月23日 - 20… 佐々木 侃司(ささき かんじ、1933年1月23日 - 2005年1月24日)は、日本のイラストレーター。 1957年、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)卒業。株式会社寿屋(現サントリー株式会社)宣伝部宣伝技術課からデザイン室に移り、PR雑誌『洋酒天国』や「トリスコンク」などパッケージデザインを手がけ、イラストレーターとしての頭角を現す。北杜夫「どくとるマンボウ」シリーズ、かんべむさしの著書などのイラストで知られる。 元大阪芸術大学映像学科教授(学科長)。2005年1月24日、間質性肺炎のため死去。
田口 義弘(たぐち よしひろ、1933年1月22日 - 20… 田口 義弘(たぐち よしひろ、1933年1月22日 - 2002年6月1日)は、日本のドイツ文学者、詩人、翻訳家。京都大学名誉教授。 リルケ、ブーバーなどを専門とした。 平壌に生まれる。1956年、京都大学文学部卒業。京都大学教養部助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授、近畿福祉大学教授。 2000年、詩集『遠日点』で日本詩人クラブ賞受賞。 2002年6月1日、心不全のため死去。
天野 武(あまの たけし、1933年1月21日 - 2022… 天野 武(あまの たけし、1933年1月21日 - 2022年5月23日)は、日本の民俗学者。 石川県羽咋郡志賀町出身。石川県立羽咋高等学校・金沢大学法文学部卒業。石川県立郷土資料館勤務後、1974年から文化庁に入り主任文化財調査官を務める。1991年から帝京大学教授。1978年『若者組の研究』で柳田賞受賞。
淺井 康宏(あさい やすひろ、1933年1月21日 - 20… 淺井 康宏(あさい やすひろ、1933年1月21日 - 2022年8月17日)は、日本の歯学者・植物学者。東京歯科大学名誉教授。日本植物友の会名誉会長。専門は歯科保存学・帰化植物。東京都出身。享年89歳。 1933年、東京の歯科医の家系に生まれる。中学生の時に植物、特に外来植物に興味を持ち久内清孝に師事するも、歯学の道に進む。1958年に東京歯科大学を卒業、同大附属病院歯科保存学講座入職。1971年に同大教授に昇任。保存治療科部長、同大歯科衛生士専門学校校長、同大副学長を歴任。 歯学者として治療・研究のかたわら、夢の島や多摩川河川敷等で帰化植物を調査・研究し、マメアサガオを始め100種以上の和名を名付けたほか、永年に亘り横浜国立大学で帰化植物の講義を行う。
吉㚖 信一(よしざわ のぶかず、1933年〈昭和8年〉1月2… 吉㚖 信一(よしざわ のぶかず、1933年〈昭和8年〉1月20日 - )は、日本の経営者。山梨中央銀行頭取を務めた。 山梨県出身。1955年に中央大学法学部を卒業し、同年に山梨中央銀行に入行した。1987年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に専務を経て、1995年6月には頭取に就任。2001年6月に会長に就任し、2007年6月には取締役相談役に就任。 2004年4月に旭日小綬章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2… 梓 林太郎(あずさ りんたろう、1933年1月20日 - 2024年1月27日)は、日本の小説家。本名は林 隆司。 長野県下伊那郡上郷村(現:飯田市)生まれ。 父の仕事の都合で静岡県清水市(現:静岡市清水区)に一家3人で転居。その後、父の出征のみならず、第二次世界大戦の戦況悪化もあって上郷村の母の実家に戻った。その翌年(1945年)、小学6年生の時に終戦を迎える。中央アルプスに連なる山村にあった母の実家では、家業の農家の手伝いなどで毎日のように山に入った。進学のため18歳で上郷を離れたが、本格的に山登りを始めたのは東京に出てからという。 貿易会社、調査会社、経営コンサルタント会社などを経て、1980年『九月の渓で』で小説宝石エンタテインメント小説大賞を受賞し、デビュー。
角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 20… 角田 啓輔(つのだ けいすけ、1933年1月19日 - 2024年9月1日)は、日本の卓球選手。荻村伊智朗、田中利明らと共に日本卓球界に黄金時代を築き、「史上最速の強打者」と言われた選手。 宮城県志田郡古川町(現在の大崎市古川)出身。旧制宮城県古川中学校時代に卓球を始め、宮城県古川高等学校卒業と同時に大学入学の費用を稼ぐため、東京・日暮里の卓球ラケットメーカー・アームストロング (卓球)に就職。3年間の社会人生活を送る。アームストロングが建設した東京卓球会館の2階の6畳一間に住み込みで働き、仕事終了後は東京卓球会館で腕を磨いた。当時、東京卓球会館には荻村伊知郎、富田芳雄、大川とみなど、錚々たる顔ぶれが練習にきており現在では「伝説の卓球場」と呼ばれている。
伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 20… 伊志嶺 亮(いしみね あきら、1933年1月19日 - 2024年5月7日)は、日本の政治家。元沖縄県平良市長(3期)、元宮古島市長(1期)。 1933年、当時、父が教員として赴任していた沖縄県宮古郡多良間村(多良間島)で生まれる。多良間島で4歳まで過ごした後、父の転勤により伊良部町字佐和田(現宮古島市伊良部佐和田)、次いで小学1年生時に平良町(現宮古島市平良)に移り、1941年には台湾に移り住んだ。 岡山大学医学部卒。琉球政府立宮古南静園園長、沖縄県宮古保健所所長、沖縄県立宮古病院院長などを経て、1964年に伊志嶺医院を開業。 1994年に平良市長に初当選。以後、3期にわたって平良市長を務める。
佐藤 孝尚(さとう たかなお、1933年1月19日 - )は… 佐藤 孝尚(さとう たかなお、1933年1月19日 - )は、水球選手。1956年に、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業した。1960年ローマオリンピック日本代表にも選ばれたが、予選敗退となった。1964年の東京オリンピックのときは、強化コーチを務め、民放テレビの解説者もした。 ほかに、全日本高校選手権、全日本選手権、アジア大会、ユニバーシアードにも出場し、数々の大会でチーム主将を務めた。1986年からは、トライアスロン競技にも参加し、63歳になるまで大会参加を続けた。 アイスホッケー優勝 『ジェットシューターズ』 世界新記録に1秒及ばず (南伊豆・熱海・三保の松原・伊東の4大会) 70歳以上部門 MVP受賞 会長就任(http://n-ows.jp/)
笹本 孝(ささもと たかし、1933年1月19日 - )は、… 笹本 孝(ささもと たかし、1933年1月19日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家。 東京生まれ。1963年、早稲田大学仏文科卒。1967年、同大大学院博士課程単位取得満期。パリ第3大学へ留学。跡見学園女子大学講師、助教授、教授、2002年定年退任。フランス現代詩が専門。
尾上 悦三(おのえ えつぞう、1933年1月18日 - 19… 尾上 悦三(おのえ えつぞう、1933年1月18日 - 1989年5月21日)は、日本の中国経済研究者。奈良県高市郡高取町出身。 大阪外国語大学中国語科卒、神戸大学大学院経済学研究科博士課程満期退学。1975年『中国の経済配置の研究』で神戸大学経済学博士。アジア経済研究所香港派遣員、セントルイス・ワシントン大学客員助教授、アジア経済研究所主任調査研究員、東京国際大学商学部教授。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山田 順彦(やまだ よりひこ、1933年1月18日 - 19… 山田 順彦(やまだ よりひこ、1933年1月18日 - 1997年1月24日)は日本映画のプロデューサー。 1955年に慶應義塾大学文学部を卒業と同時に東宝に入社、文芸部配属。1965年より製作担当者。1967年にプロデューサーに昇格。1969年に契約者となる。1981年に契約が切れフリープロデューサーとなる。小寺朝名義で脚本や原作を手がけることもある。(共同脚本=『育ちざかり』『死ぬにはまだ早い』『娘ざかり』、原作=『年ごろ』『縄と乳房』) この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2… 北村 恭二(きたむら きょうじ、1933年1月18日 - 2023年5月15日)は日本の大蔵官僚。大臣官房総務審議官、証券局長、大阪証券取引所理事長などを歴任。 長野県長野市出身。東京大学法学部卒業。1956年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1956年入省同期に小粥正巳(日本経済研究所会長、初代日本政投銀総裁、日本開銀総裁、公正取引委員会委員長、大蔵事務次官、主計局長、大臣官房長)、秦郁彦(歴史研究者)らがいた。 1963年7月 館林税務署長。1980年6月 銀行局総務課長。1981年6月 東海財務局長。1982年6月 大臣官房審議官(理財局担当)。1983年6月 銀行局検査部長。1984年6月27日 大臣官房総務審議官。
児島 章郎(こじま あきろう、1933年1月18日 - 20… 児島 章郎(こじま あきろう、1933年1月18日 - 2015年3月17日)は、日本の経営者。ダイセル化学工業(現在のダイセル)社長、会長を務めた。東京都出身。 1956年に一橋大学経済学部を卒業し、同年に大日本セルロイドに入社。1983年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年6月に副社長に就任し、1988年6月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任。 2015年3月17日腸閉塞のために死去。82歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
棚橋泰(たなはし やすし、1933年1月17日 - )は、日… 棚橋泰(たなはし やすし、1933年1月17日 - )は、日本の官僚。
香山健一(こうやま けんいち、1933年1月17日 - 19… 香山健一(こうやま けんいち、1933年1月17日 - 1997年3月21日)は、日本の政治学者。元学習院大学法学部教授。全日本学生自治会総連合(全学連)の元委員長(1956年 - 1958年)。 1933年に東京で生まれる。1941年(昭和16年)、父の転勤のため満州国新京特別市(現・長春市)に転居した。1946年(昭和21年) 母、弟4人妹1人とともに引き揚げ。父はその後6年間の抑留生活を送ったため、帰国後母の実家に身を寄せる。 1953年(昭和28年)、東京大学文科I類入学。東大駒場寮に入寮、社会科学研究会に入る。学生運動に参加し、1956年(昭和31年) 全日本学生自治会総連合(全学連)の委員長に就任、1958年12月に退任した。
川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月1… 川井 貞一 (かわい ていいち、1933年(昭和8年)1月16日 - )は、日本の政治家。元・宮城県白石市長(5期)。 白石市の食品卸問屋を営む家庭に生まれる。東北大学経済学部で安井琢磨から教えを受ける。安井からは研究生として学窓に残る勧誘を受けたが、親の意向により中退後は家業を継いだ。 自由民主党宮城県連で青年部長などを務め、本人の回想では1974年の第10回参議院議員通常選挙に立候補した遠藤要の演説原稿の執筆もおこなっていた。宮城県知事の山本壮一郎に師事する。 1984年11月に白石市長に当選し、以後2004年まで5期務めた。この間、全国市長会副会長も務めた。 市長在任中は産業廃棄物最終処分場の建設を阻止するため、1998年に住民投票を実施し、最終的に建設中止に持ち込んだ。
近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )… 近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )は、日本の英文学者、写真評論家、明治大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。1962年戯曲「風」で文芸賞佳作入選。明治大学教授を経て名誉教授。多摩芸術学園、多摩美術大学などで英語、文学、映像論等を教える。 甥はクリエイティブプロデューサーの近藤ヒデノリ(1971 - )。
紀藤 広光(きとう ひろみつ、1933年1月16日 - )は… 紀藤 広光(きとう ひろみつ、1933年1月16日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。 犬山高校から立命館大学を経て1954年に中日ドラゴンズへ入団。1956年に引退。
中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )… 中村 喜和(なかむら よしかず、1933年1月16日 - )は、日本の文学研究者。専門はロシア中世文学、ロシア文化史、日ロ文化交流史。一橋大学名誉教授。金子幸彦門下。
中嶋 暉躬(なかじま てるみ、1933年1月16日 - 20… 中嶋 暉躬(なかじま てるみ、1933年1月16日 - 2025年1月4日)は、日本の薬学者。東京大学名誉教授、サントリー生命科学財団サントリー生物有機科学研究所元所長、星薬科大学元学長。 政治家の橘慶一郎の義父である。 東京大学薬学部で学び、1955年に卒業。同大学大学院薬学系研究科に進学し、1960年に博士課程修了、学位論文『肝潅流法によるアニリンの代謝』を提出して薬学博士号を取得。 卒業後は、東京大学薬学部助手に採用された。1965年から1967年まで、米国アメリカ国立衛生研究所にて研究に従事。1967年、東京大学薬学部助教授に就いた。1971年、広島大学医学部総合薬学科教授となった。 1980年より東京医科歯科大学医用機材研究所教授。
柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 … 柳瀬 璋(やなせ あきら 1933年(昭和8年)1月16日 - 2025年5月21日)は、日本のテレビディレクター、毎日放送元社長。 兵庫県芦屋市出身。1956年に早稲田大学法学部卒業。1957年(昭和32年)に大阪テレビ放送へ入社し、翌1958年(昭和33年)、朝日放送との合併に先立ち、1959年(昭和34年)3月1日にテレビ放送を開始する毎日放送へ転籍。 皇太子御成婚パレード、1964年東京オリンピック、日本万国博覧会などの報道ディレクターとして活躍、1980年(昭和55年)には現在も続く自社制作ドキュメンタリー枠『映像』の立ち上げにも参加した。 1985年(昭和60年)にテレビ編成局長、1989年(平成元年)取締役選任。
瀬名波 孝子(せなは たかこ、1933年〈昭和8年〉1月16… 瀬名波 孝子(せなは たかこ、1933年〈昭和8年〉1月16日 - )は、日本の女優。沖縄県那覇市出身。 1933年、沖縄県那覇市久茂地に父・瀬名波起順、母・オトの長女として生まれる。 3~4歳の頃から叔父・神里カミーより筝と舞踊の手ほどきを受け、小学3年生だった1942年、長兄の同級生で当時軍事物の舞台に出る子役を探していた親泊元清に大正劇場へ連れて行かれる。大正劇場では劇団・真楽座の面々が稽古に励んでおり、同劇団旗揚げ人の一人・玉城盛義や先輩役者・糸村ツル子の勧めで初舞台を踏んだ。 やがて沖縄戦下に入り、沖縄芝居も軍慰問公演へと形を変えた。十・十空襲などの戦火をくぐり抜けながら終戦を迎え、瀬名波は1947年に松劇団の一員として舞台復帰。
山田 利昭(やまだ としあき、1933年1月15日 - 20… 山田 利昭(やまだ としあき、1933年1月15日 - 2001年3月6日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)。 市川工業高校を卒業後、立教大学に進むも3年で中退し、1953年に毎日オリオンズへ入団。1年目は6試合しか試合に出場できず、1954年に高橋ユニオンズへ1年で移籍となった。 移籍したユニオンズでは131試合に出場し打率は.251と振るわなかったが主力として活躍した。翌年も136試合に出場し打率も.296と翌年よりも成績は上昇した。この年はオールスターゲームにも初選出された。1957年に東映フライヤーズに移籍し、1958年に現役引退した。 2001年3月6日68歳にて白血病により病没。
青山 俊董(あおやま しゅんどう、1933年〈昭和8年〉1月… 青山 俊董(あおやま しゅんどう、1933年〈昭和8年〉1月15日 - )は、曹洞宗の尼僧。澤木興道、内山興正、余語翠巖らに師事した。 大本山總持寺西堂(2022年〜)。愛知専門尼僧堂堂長(1976年〜)。塩尻市の曹洞宗無量寺住職(1975年〜2006年)、以降東堂。 昭和8年(1933年)、愛知県一宮市の在家(農家)の生まれ。母が妊娠・出産した際、御講の場において、御嶽教の先達であった祖父から、生まれてくる子は将来出家するであろうとの予言(神託)があったとされる。 昭和12年(1937年)4月8日、数え年5歳(満4歳)の時、実家・両親から離れ、長野県塩尻市の無量庵(昭和17年に「無量寺」となる)に入門する。
澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 20… 澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 2022年9月21日)は、日本の映画監督。 神奈川県横浜市出身。1956年、中央大学経済学部卒業。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後、1年間の銀行勤務を経て中央大学経済学部に入学。在学中の三年時には東京児童劇団に裏方として参加。卒業後の1956年、日活に入社。鈴木清順、斎藤武市らに師事し、長い間の助監督を経て、1970年、渡哲也主演映画『斬り込み』で監督デビューした。 長谷部安春、小澤啓一、藤田敏八らとともに日活ニューアクション路線を大きく支えた。日活がロマンポルノ製作をメインにしてからも、松田優作主演『あばよダチ公』、『高校大パニック』などの一般向け映画から、福祉・家族向け映画も手掛け、1974年の『ともだち』は翌年のベオグラード国際児童映画祭にてグランプリ(ユニセフ大賞)を受賞した。
小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、… 小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、日本の男性声優、俳優。奈良県出身。『W3』のノッコ役で知られる。 日本大学卒業後、東宝芸能学校演技科を経て、東宝劇団に所属。『恋すれど恋すれど物語』が初舞台。その後、シバプロ、鷹の会を経て、1969年4月、六芸社に所属。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
松田 政男(まつだ まさお、1933年1月14日 - 202… 松田 政男(まつだ まさお、1933年1月14日 - 2020年3月17日)は、日本の政治運動家、映画評論家。 台北生まれ。東京都立北園高等学校在学中の1950年に日本共産党に入党し、軍事方針をとる所感派に属しながら、武装組織である山村工作隊等で活動し、同校卒業後、職業革命家となるも、1954年の第二次総点検運動により党活動停止処分を受ける。 その後、共産党神山派で活動するが、ハンガリー動乱を巡る神山派分裂後は、トロツキズムからアナキズムに接近。60年安保の後は未來社で編集者として勤めつつ、チェ・ゲバラやフランツ・ファノンの第三世界革命論を導入しながら、直接行動の原理を模索した。 1962年に、山口健二、川仁宏らと自立学校を企画し、谷川雁、吉本隆明、埴谷雄高、黒田寛一、栗田勇、森秀人らを講師とした。
斎藤 栄(さいとう さかえ、1933年1月14日 - 202… 斎藤 栄(さいとう さかえ、1933年1月14日 - 2024年6月15日)は、日本の推理小説家。本名は斉藤栄。 東京都大田区出身。神奈川県立湘南高等学校在学時に、石原慎太郎らと共に同人誌『湘南文芸』を発行。東京大学法学部卒業後、横浜市役所に勤務。業務の傍ら執筆を続け、『星の上の殺人』が「宝石」に掲載。『愛と血の復活』が江戸川乱歩賞候補となり、また日本推理作家協会賞の候補にもなる。『殺人の棋譜』で江戸川乱歩賞受賞(1966年)。1972年から作家活動に専念。 占術ミステリーの『タロット日美子』シリーズ、トラベルミステリーの『江戸川警部』シリーズ、社会派ミステリーの『魔法陣シリーズ』、警察庁特捜班の『小早川警視正』シリーズなど多数。
山田 晴河(やまだ はるか、1933年1月13日 - 198… 山田 晴河(やまだ はるか、1933年1月13日 - 1988年5月7日)は、日本の化学者。元関西学院大学教授。専門は物理化学、特に赤外ラマン分光学、界面化学。 現在の東京都文京区出身。1955年にお茶の水女子大学化学科を卒業。1960年に東京工業大学で博士号を取得し、同大学助手。1961年から1963年まで、米国アイオワ大学化学科で研究を行う。1964年に関西学院大学理学部に着任。1972年に同大学教授。 「赤外ラマン分光法による固体表面の吸着種の構造」が主たる研究業績。 固体表面の吸着現象に関して、レーザーラマン分光法による研究を行い、世界で初めて微量吸着種の共鳴ラマンスペクトルの測定に成功した。
片山 松造(かたやま しょうぞう、1933年1月13日 - … 片山 松造(かたやま しょうぞう、1933年1月13日 - 2015年3月26日)は、日本の実業家。東洋ゴム工業(現在のTOYO TIRE)代表取締役社長・会長、日本自動車タイヤ協会会長、タイヤ公正取引協議会会長などを歴任した。 京都府出身。1955年、神戸大学経営学部を卒業後、東洋ゴム工業に入社した。1993年から代表取締役社長を務め、菱東タイヤの吸収合併や、鬼怒川ゴム工業との業務提携、人員削減などのリストラ策等を行い、業績回復を果たした。2002年、代表取締役会長に就任した。日本自動車タイヤ協会会長、タイヤ公正取引協議会会長等も歴任した。2004年度旭日中綬章を受章した。2015年に肝臓がんのため死去した。
田頭 博昭(たがしら ひろあき、1933年(昭和8年)1月1… 田頭 博昭(たがしら ひろあき、1933年(昭和8年)1月13日 - 2023年(令和5年)2月20日)は、日本の工学者。工学博士。元室蘭工業大学学長、北海道大学名誉教授。北海道島牧村出身。 1958年(昭和33年)北海道大学工学部卒業。リバプール大学大学院工学研究科博士課程修了。1962年(昭和37年)北海道大学工学部助教授。1973年(昭和48年)同工学部教授。1996年(平成8年)北海道大学退官。同名誉教授。北海道工業大学工学部教授。1997年(平成9年)室蘭工業大学理事・室蘭工業大学11代学長に就任。2006年室蘭工業大学退官。 電気工学を専門とし、プラズマプロセス用プラズマやペーパーミスト誘電体による高電圧絶縁、極低温液体による電気絶縁を研究。
大槻 修(大槻 脩、おおつき おさむ、1933年1月12日 … 大槻 修(大槻 脩、おおつき おさむ、1933年1月12日 -2025年8月6日 )は、日本の国文学者、甲南女子大学名誉教授。 京都府生まれ。1955年大阪大学文学部国文科卒、1970年同大学院博士課程満期退学、甲南女子大学助教授、教授。2003年定年となり、名誉教授。中古・中世の物語文学が専門。国文学者・大槻節子は最初の妻、田淵福子(1960-)が現在の妻・大槻福子。
出村 彰(でむら あきら、1933年1月12日 - )は、日… 出村 彰(でむら あきら、1933年1月12日 - )は、日本の神学者、東北学院大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。1955年、東北学院大学文経学部英文学科卒。1957年、東京神学大学卒。1959年、同大学院修士課程(組織神学)修了、東北学院大学助手。1964年、プリンストン神学校神学博士。バーゼル大学神学博士。 その後、東北学院大学助教授、同教授。同副学長を歴任。定年退職後には、2007年より学校法人宮城学院理事長も務めた。 1972年、日本宗教学会賞受賞。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
高久 進(たかく すすむ、1933年1月11日 - 2009… 高久 進(たかく すすむ、1933年1月11日 - 2009年7月22日)は、日本の脚本家。福島県河沼郡会津坂下町出身。福島県立会津高等学校卒業、早稲田大学教育学部卒業。池田和雄や井口真吾などの別名義を用いていた場合もあった。 大映東京撮影所にシナリオ研究生として入るが、デビュー作は、新東宝の『九十九本目の生娘』(監督・曲谷守平 主演・菅原文太、1959年)である。高岩肇に師事した。 1960年代後半からメインの執筆活動を劇映画からテレビ作品に移し、アクションドラマ・時代劇・特撮・アニメと幅広いジャンルの作品にシナリオを数多く残した。『Gメン'75』のメインライターでもある。また、刑事ドラマや特撮では「戦争の傷痕」をテーマにしたエピソードを多く執筆している。
岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は… 岡田 茉莉子(おかだ まりこ、1933年1月11日 - )は、日本の女優・映画プロデューサー。本名:吉田 鞠子(旧姓・田中)。父は戦前の無声映画で活躍した二枚目俳優・岡田時彦。母は宝塚歌劇団卒業生で男役を務めた田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重。 1933年、東京市渋谷区代々木に生まれたが、生後間もなく京都に移住。翌1934年、父が結核で死去し、以後母は女手一つで茉莉子を育てることとなる。東京市大森区北千束に住む母の妹で、宝塚スターだった御幸市子のもとで暮らし、青葉幼稚園・赤松小学校に通う。少女時代は病弱なこともあって内向的な性格であった。 1938年、母の田鶴はダンス教師の資格をとり、上海で教えることになった。
小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は… 小林 清志(こばやし きよし、1933年1月11日 - )は、日本の声優、俳優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属。創立メンバーの一人でもある。主な出演作は『妖怪人間ベム』(1968年)のベム、『ルパン三世』シリーズの次元大介など。また、『SASUKE』、『中居正広の金曜日のスマたちへ』、『太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。』等のナレーションも多く担当。洋画ではジェームズ・コバーン、リー・マーヴィンの専属吹き替えをしている。
逸見 武志(へんみ たけし、1933年1月11日 - )は、… 逸見 武志(へんみ たけし、1933年1月11日 - )は、日本の経営者。昭和シェル石油社長を務めた。東京都出身。 1955年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1964年にシェル石油(のちの昭和シェル石油)に転じ、1976年に取締役に就任し、1983年に常務、1984年に副社長を経て、1989年3月には社長に就任。1993年9月から1995年3月までに取締役相談役を務めた。
加藤 民男(かとう たみお、1933年1月11日 - 201… 加藤 民男(かとう たみお、1933年1月11日 - 2012年4月4日)は、日本のフランス文学者。 神奈川県出身。1957年早稲田大学第一文学部フランス文学専修卒業、1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学後、早稲田大学文学部専任講師、助教授、1972年教授。1986年から1988年まで早稲田大学第二文学部長を務め、2003年定年退任、名誉教授の称号を得る。 専門は、スタンダール研究。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。