松平 恒和(まつだいら つねかず、1946年(昭和21年)1… 松平 恒和(まつだいら つねかず、1946年(昭和21年)12月15日 - )は、日本の実業家。会津松平家分家当主の松平一郎(松平恒雄長男)とその妻松平豊子(徳川家正長女)の三男。徳川宗家第18代当主徳川恒孝は実兄。 1969年(昭和44年)に学習院大学法学部政治学科を卒業。国際電信電話に入社し、KDDIジュネーブ事務所駐在、企画室長、取締役国際部長、KDD総研代表取締役社長、常務取締役国際本部長を務め退任。ITUにおいてITU-SG3の議長をつとめる等、国際電気通信の制度・料金分野に関する専門家である。早稲田大学客員教授、NPO法人国際人材創出支援センター理事長、一般社団法人日本英語交流連盟理事、学校法人上野学園理事、神田外語グループBritish Hills館長を務める。
渡辺 謙一(わたなべ けんいち、1946年12月15日- … 渡辺 謙一(わたなべ けんいち、1946年12月15日- )は、日本の経営者。藤田観光社長を務めた。秋田県出身。 1972年に早稲田大学教育学部教育学科を卒業し、同年に同和鉱業に入社した。1999年に取締役に就任し、2004年6月に代表取締役を経て、2006年3月に藤田観光副社長に就任し、2007年3月には社長に昇格した。しかし、同年4月には健康上の不安を理由に、僅か1か月間で社長を辞任し、取締役相談役に退き、2008年3月には相談役に就任。
多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本… 多賀 新(たが しん、1946年12月14日 - )は、日本の銅版画家。北海道本別町出身。北海道本別高等学校卒業。千葉県市川市在住。 代表作は、銅版画・江戸川乱歩の世界、新十二神将合体図など。近年は鉛筆画の作品にも力を入れている。銅版画「三極」は横綱日馬富士の化粧まわしの原画となった。
長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日 - )… 長久保 裕(ながくぼ ひろし、1946年12月14日 - )は、日本の元フィギュアスケート選手、フィギュアスケートコーチ。1972年札幌オリンピック代表。 山梨県出身。山梨大学附属中学校、山梨県立甲府第一高等学校、日本大学卒業。1966年、全日本フィギュアスケートジュニア選手権男子シングルで優勝。1967年から1971年まで、長沢琴枝とともに全日本フィギュアスケート選手権ペア5連覇。1972年札幌オリンピックでペア16位に入った。 競技を引退してからは千葉・新松戸で指導者となる。1988年から仙台市の「泉DLLアカデミー」のコーチとなる。この頃、仙台には及川史弘がいた。その後、長久保に師事すべく各地から有望選手が集まり、1998年長野オリンピックには本田武史、田村岳斗、荒川静香、荒井万里絵と4人の教え子が出場した。
森俊英(もり としひで、1946年(昭和21年)12月14日… 森俊英(もり としひで、1946年(昭和21年)12月14日 - )は、日本の銀行家。南日本銀行代表取締役会長。 福岡県出身。一橋大学経済学部卒業後、富士銀行入行。同期入行にはフィデアホールディングス代表執行役社長を務めた里村正治らがいた。 2000年、同じ一橋大出身で富士銀行支店業務第三部長を務めていた当時の頭取石井祥の後任含みとして南日本銀行に招聘され、2006年、頭取に昇格する。 頭取在任中、建基法不況やリーマンショックに直面し、2009年に金融機能強化法に基づき公的資金注入を申請し、受け入れた。 2019年6月、齋藤眞一に頭取を譲り、代表取締役会長に退く。 2020年に同行取締役会長を退任して相談役となる。
後藤 正治(ごとう まさはる、1946年(昭和21年)12月… 後藤 正治(ごとう まさはる、1946年(昭和21年)12月13日 - )は、日本のノンフィクション作家、神戸夙川学院大学元学長。大佛次郎賞、司馬遼太郎賞選考委員。 京都市出身。大阪府立四條畷高等学校を経て、1972年京都大学農学部卒業。会社勤めを経て『環境破壊』という雑誌を出す出版社に入る。 デビュー作は、1983年に発行した『はたらく若者たちの記録』(日本評論社)。スポーツや医療問題をテーマとした著作が多い。 2007年4月、神戸夙川学院大学観光文化学部教授に就き、副学長を経て2010年に学長。2012年3月末に学長を退職。
長沢 彰彦(ながさわ あきひこ、1946年12月13日 - … 長沢 彰彦(ながさわ あきひこ、1946年12月13日 - )は、元朝日放送(ABC)アナウンサー・大阪国際大学教授。 兵庫県出身。1969年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社。同期に安部憲幸と金木賢一がいる。 過去に「ABCヤングリクエスト」「空からこんにちわ」「ハロー!ヤング」等の番組に出演。1985年から4年間英国放送協会(BBC)の日本語放送番組プロデューサーとして出向。朝日放送がこの出向に際して、アナウンス部の欠員の補充を目的に新卒枠で急遽採用したアナウンサーが伊藤史隆で、長澤の出向期間中に「ABCヤングリクエスト」の最終パーソナリティを務めた。 BBCへの出向期間満了後の1990年に、朝日放送のアナウンス職に復帰。
城 景都(じょう けいと、1946年12月13日 - )は、… 城 景都(じょう けいと、1946年12月13日 - )は、愛知県刈谷市出身の画家。 1946年インド系朝鮮人の父の三男として生まれる。小学校時代より音楽と絵に興味を持ち、学生時代を経てロックバンドを結成しライブ活動を行いつつ、絵を書き始める。 傷害事件で少年院に入ったこともあるが、恩師であり画家である近藤正治と出会いその芸術論に感銘し、その後本格的に絵を描きはじめる。植物の葉脈から導き出した、貫乳風のひび割れを使った作風は独自のスタイルといえる。从会会員。 画集等で公表されている生年月日は1948年12月13日であるが、現在では1946年12月13日に訂正されている。 弟に画家で絵本作家の木村昭平がいる。
高山 鈴江(たかやま すずえ、現姓:福原、1946年12月1… 高山 鈴江(たかやま すずえ、現姓:福原、1946年12月12日 - )は、日本の元バレーボール選手。 東京都出身。日立武蔵に所属し、1968年にメキシコオリンピックバレーボール女子銀メダリスト、日本リーグでMVPに選ばれている。 現役引退後は指導者として、土浦日本大学高等学校女子バレーボール部の監督を務めた。教え子には都澤みどりがいる。
山野 常禎(やまの つねよし、1946年12月12日 - )… 山野 常禎(やまの つねよし、1946年12月12日 - )は、日本のアマチュア無線家。コールサインはJA5HTP。徳島県徳島市国府町東黒田出身。 甲南大学文学部卒業。アマチュア無線に興味を抱き、世界最長の無線交信に挑むべく南大東島に渡る。同島でブラジル・クラチバの PY5BABと交信 50MHzにおける世界遠距離交信記録1万9997.05kmを達成、アマチュア無線において世界最長交信記録保持者(50MHz)になった。この交信記録は1984年のギネスブックに掲載された。 後に、アマチュア無線の発展に力を注ぎ、日本アマチュア無線連盟徳島県評議員を6期務め、DCCS会長(剣山デジピータ及びリピータ)の役職を経てアマチュア無線のデジタル化技術に関する調査検討会委員になった。
須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )… 須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。神戸大学名誉教授。 1946年東京都生まれ。1965年、北海道大学医学部に入学したものの、自己の適性に合わなかったことから進学課程の2年間で中退した。 1969年、早稲田大学第一文学部に入学して、鹿野政直に学んだ。その後、早稲田大学文学研究科修士課程に進学して鹿野政直や由井正臣に学び、修士論文を作成する中で法政大学大原社会問題研究所所蔵の『信州郷軍』に出会い、信州郷軍同志会を通して軍部・ファッショ勢力の研究を行うこととなった。 1975年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程に進み、藤原彰に学んだ。
須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )… 須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史、神戸大学名誉教授。
小林 啓子(こばやし けいこ、1946年12月10日 - )… 小林 啓子(こばやし けいこ、1946年12月10日 - )は、日本のフォーク歌手、ラジオパーソナリティ。 東京都生まれ。作家の小林信彦は従兄弟。 聖心女子学院初等科・中等科・高等科を卒業後、聖心女子学院英語専攻科在学中からプロ活動を開始。1968年(昭和43年)、TBSラジオ・MBSラジオ『雪印 チーズパーティーNo.1』のテーマソング『ふとした時に』(作詞・井上頌一/作曲・吉村英世)を、石岡宏とデュエットで発表。 1969年、キングレコードより『こわれた愛のかけら』でデビュー。同年結成されたNHKのヤング101に第一期生として加入して、NHK総合テレビジョンの音楽番組『ステージ101』に1970年1月10日の第一回放送から出演した。
松田 昌(まつだ まさ、1946年12月10日 - )は、日… 松田 昌(まつだ まさ、1946年12月10日 - )は、日本・兵庫県生まれ、東京芸術大学作曲科出身の電子オルガン・鍵盤ハーモニカ奏者、作曲家、編曲家である。名古屋音楽大学客員教授、宇都宮短期大学特別講師。 1973年第10回ヤマハ・エレクトーン・インターナショナル大会でグランプリ受賞。その後キーボーディスト・作曲家として、日本全国各地海外での演奏活動を中心に、映画/ミュージカルの作曲、テレビの音楽制作/プロデュースイベント出演、後進の指導等、精力的に活動中。コンサートでは、尺八、バイオリン、二胡とのデュオ等で、アジアと日本の伝統的な音楽の融合を目指し、表情の豊かさとシャープな演奏で独自の世界を築き上げている。
飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 20… 飯田 明弘(いいだ あきひろ、1946年12月9日 - 2017年9月15日)は、愛知県出身の元騎手・元調教師。息子は元騎手・現調教師の飯田祐史、孫はタレントの足立梨花。東邦高等学校卒[要出典]。 1965年に中京・小林稔厩舎に騎手候補生として入門し、1969年に同厩舎からデビュー。 1年目の1969年には3月1日の中京第2競走4歳未勝利・タカレットで初騎乗を果たすも2着で初勝利はならず、同馬に騎乗した同16日の中京第1競走4歳未勝利で初勝利を挙げる。夏は北海道シリーズで4勝を挙げるなど、京阪杯ではシュンサクオーでミスマルミチ・フイニイに先着する3着に入り、1年目から2桁勝利の10勝をマーク。 2年目の1970年には5月2日の阪神で初の1日2勝、9月12日・13日の阪神では初の2日連続勝利、中京記念では10頭中10番人気のゼットアローでスピーデーワンダーに勝利して枠連2万馬券の波乱で重賞初勝利を記録。
服部健二(はっとり けんじ、1946年12月9日- )は、日… 服部健二(はっとり けんじ、1946年12月9日- )は、日本の哲学研究者、立命館大学名誉教授。 大阪府大阪市旭区生まれ。大阪府立北野高等学校卒、1971年四国学院大学人文学科卒業。1977年立命館大学大学院文学研究科西洋哲学専攻博士課程単位取得退学。1981年立命館大学文学部助教授、91年教授、97-99年文学部長、2012年名誉教授。
横田 修一郎(よこた しゅういちろう、1946年〈昭和21年… 横田 修一郎(よこた しゅういちろう、1946年〈昭和21年〉12月9日 - )は、日本の政治家。元長崎県島原市長(1期)。 長崎県島原市中安徳町に生まれる。島原市立第五小学校、島原市立第三中学校、長崎県立島原高等学校を経て、1969年中央大学法学部卒。同年、長崎県庁に入る。商工労働部長、地域振興部長、教育長などを歴任し、2008年に退職。同年の島原市長選挙に立候補し、元島原市議の古川隆三郎を破って当選。市長時代には職員・組織の役割や責任の明確化を図るため、部制・グループ制を導入したほか、管理職を対象に各自の職務目標を設定する新たな人事評価制度をスタートさせた。また、閉庁日である土・日曜日の午前中に市民向け窓口を開設した。
小櫃 眞佐己(おびつ まさみ、1946年(昭和21年)12月… 小櫃 眞佐己(おびつ まさみ、1946年(昭和21年)12月9日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。フジテレビ常務取締役、エフシージー総合研究所社長を務めた。 東京大学在学中にフジテレビでアルバイトを始め、卒業後、放送作家、プロダクション「フジポニー」社員などを経て、32歳のとき、フジに中途入社する。気象庁や科学技術庁詰め記者を経て、澤雄二と共に『FNNスーパータイム』の立ち上げに携わる。 報道局報道センター編集長、報道局報道センター長、報道局長、常務(報道担当)を歴任。報道局では日本新聞協会賞(2回)、民放連賞報道部門最優秀賞、米ピーボディー賞を受賞した。この間、民放連報道委員会委員、民放連報道小委員長、日本記者クラブ理事を務めた。
向 浩一(むかい こういち、1946年12月9日 - 202… 向 浩一(むかい こういち、1946年12月9日 - 2022年5月19日)は、日本の実業家。コムチュア株式会社創業者・代表取締役会長 CEO。藍綬褒章受章。 1970年、日本大学理工学部電気工学科卒業、データプロセスコンサルタント(現アイエックス・ナレッジ)入社。 1985年、日本コンピューターテクノロジー(現コムチュア)設立、同社代表取締役社長就任。 1998年、東京都小型コンピューターソフトウェア産業厚生年金基金理事。 2001年、ITコーディネータ協会理事。2007年情報サービス産業協会理事。 2009年、フルスピード取締役。2011年コムチュア代表取締役会長CEO。 2018年、春の褒章で新規産業功績により藍綬褒章受章。
聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 201… 聖 日出夫(ひじり ひでお、1946年12月8日 - 2016年3月10日)は、日本の漫画家。 北海道札幌市出身。本名:米浜裕暁(よねはま・ひろあき)。北海道札幌南高等学校卒業。 大学を受験するために上京するが、失敗。そのまま東京に居続け、1968年『一発野郎』で漫画家としてデビューした。 代表作に『なぜか笑介』『だから笑介』。両作品とも主人公の大原笑介の仕事ぶりを描いたサラリーマン漫画。連載のほぼ毎回、上司の高山課長が「あんたは…だからねーッ!」などと言うのに対して、「ズッ」と斜め後ろ45度の方向にコケて終わるのが特徴的で、当時は他の漫画にパロディとして使われたりした。 谷山浩子のバックバンドでギターを務めたミュージシャンの弟がいる。
丸山 劫外(まるやま こうがい、女性、1946年12月8日 … 丸山 劫外(まるやま こうがい、女性、1946年12月8日 - )は、群馬県出身の日本の曹洞宗の尼僧、埼玉県吉祥院住職。和歌の研究者。元脚本家(ペンネームは丸山文櫻)。詩人。 早稲田大学教育学部に入学。映画研究会に所属し、才賀明に師事。「仮面ライダー」の96話ほか、「ケンちゃんシリーズ」などの脚本を執筆。5年ほど脚本家として活動。 その後、デザイン会社経営の後、1982年に曹洞宗で出家。愛知専門尼僧堂で修行の後、最乗寺塔頭正寿庵住職となる。大雄山最乗寺第十八世余語翠巖老師に嗣法。師の遷化後駒澤大学大学院入学、博士後期課程を満期退学の後、曹洞宗総合研究センター宗学研究部門研究員となり、道元の和歌を研究する。
長澤 利夫(長沢、ながさわ としお、1946年〔昭和21年〕… 長澤 利夫(長沢、ながさわ としお、1946年〔昭和21年〕12月8日 - )は、日本の建設技官、地方公務員(技術公務員)。建築研究所部長、新潟県土木部長を歴任。瑞宝小綬章受章。 北海道出身。東京大学工学部卒。 1969年7月 建設省入省、1974年5月 同省都市局街路課係長、1980年2月 同省計画局計画官、1982年4月 同省都市局都市計画課長補佐、1988年11月 北陸地方建設局(現北陸地方整備局)金沢工事事務所長、1993年(平成5年)4月 建築研究所第六研究部都市施設研究室長、1995年4月 同第六研究部長、1997年4月 新潟県土木部長に就任。なお当時の同部砂防課長はやはり建設省出身の亀江幸二だった。
吉田 純子(よしだ じゅんこ、1946年(昭和21年)12月… 吉田 純子(よしだ じゅんこ、1946年(昭和21年)12月8日 - )は、日本のアメリカ文学者。専門はアメリカ思春期文学。 大阪府生まれ。立命館大学文学部英文科卒、1973年同大学院文学研究科修士課程修了。1992年広島大学総合科学部助教授、1999年教授、2002年神戸女学院大学文学部英文学科教授。2012年定年退職。立命館大学文学部国際コミュニケーション学科学部・大学院非常勤講師 (2013-2022年)。
西田 明夫(にしだ あきお、1946年12月7日 - 200… 西田 明夫(にしだ あきお、1946年12月7日 - 2009年2月6日)は兵庫県明石市出身のオートマタ作家。現代玩具博物館(美作市)・有馬玩具博物館(神戸市)初代館長。イラストレーターの西E田は息子。
服部 淳司(はっとり あつし、1946年(昭和21年)12月… 服部 淳司(はっとり あつし、1946年(昭和21年)12月7日 - )は、日本の経営者。名鉄急配元取締役社長。名鉄運輸元専務である。 山口大学経済学部を卒業。1981年(昭和56年)4月に名鉄に入社。2007年(平成19年)6月に同社取締役品質管理部長、2008年(平成20年)5月に名鉄急配取締役社長また、名鉄同役経営管理統括 兼 人事部長から同社同役同統括に就任。 同年6月に同社同役営業部長 兼 品質管理部。2009年(平成21年)6月に同社取締役から同社同役(非常勤)を歴任。2012年(平成24年)6月同社取締役を退任した。 東海名鉄運輸と名鉄急配を合併化した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年〈昭和2… 田中 英壽(田中 英寿、たなか ひでとし、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2024年〈令和6年〉1月13日)は、学校法人日本大学第12代理事長、日本オリンピック委員会(JOC)元副会長。 青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市金木町)で農家の三男として生まれた。青森県立木造高等学校を経て1965年、日本大学経済学部に入学。日大紛争では、体育会系学生として日大全学共闘会議議長・秋田明大と対峙している。1969年、日本大学経済学部経済学科を卒業し、日本大学農獣医学部体育助手兼相撲部コーチに就任。1999年学校法人日本大学理事、2000年日本大学保健体育事務局長、2001年日本大学校友会本部事務局長、2002年学校法人日本大学常務理事、2005年日本大学校友会会長、2008年から2021年まで学校法人日本大学理事長などを歴任した。
柏木 孝夫(かしわぎ たかお、1946年12月6日 - )は… 柏木 孝夫(かしわぎ たかお、1946年12月6日 - )は、日本の工学者。東京工業大学大学院教授、先進エネルギー国際研究センター長を歴任し、2012年に退職。その後特命教授・先進エネルギー国際研究センター長として奉職。2012年から東京工業大学・東京農工大学名誉教授。 エネルギー・環境システム解析を専門とし、わが国のスマートエネルギービジョンに対しベストミックスの重要性を論文や著書などにより逸早く提唱すると共に、エネルギー政策立案にも関与している。東京工業大学教授だけでなく、名古屋大学、九州大学の併任教授も歴任した。また2013年から2015月年まで東京都市大学教授、2023年から電気通信大学特任教授。
藤井 敏嗣(ふじい としつぐ、1946年12月6日 – )は… 藤井 敏嗣(ふじい としつぐ、1946年12月6日 – )は、日本の地球科学者。専門は、岩石学・マグマ学。学位は、理学博士(東京大学・1975年)。東京大学名誉教授。 この間、1976〜1977年に米国のカーネギー財団地球物理学研究所PD、1980〜1982年にカナダのアルバータ州立大学客員研究員を務めた。 2003年〜2017年に気象庁の火山噴火予知連絡会会長、2006年〜2008年に日本火山学会会長として活動した。その他に、文部科学省科学技術・学術審議会委員、国際火山学・地球内部化学協会(IAVCEI)副会長、日本地球惑星科学連合固体地球科学セクションプレジデント、中央防災会議「災害教訓の継承に関する専門調査会」委員、「火山情報等に対応した火山防災対策検討会」座長代理、「富士山ハザードマップ検討委員会」委員、「三宅島火山活動検討委員会」座長を歴任し、マグマ学や岩石学の第一人者として火山対策などの防災に貢献した。
碓井 敏正(うすい としまさ、1946年12月6日 -)は、… 碓井 敏正(うすい としまさ、1946年12月6日 -)は、日本の哲学者。京都橘大学名誉教授。福祉法人おひとりさま監事(前理事長)、大学評価学会顧問。 東京都出身。近代西洋哲学の研究から出発し、現在は規範哲学(正義論や人権論)を専門としている。貧困問題や格差問題に詳しい。左派系の知識人であるが、近年では社会主義的な立場から成熟社会論を展開し、市民運動や革新組織のあり方についても問題提起をしている。
中尾 幸男(なかお ゆきお、1946年12月6日 - 202… 中尾 幸男(なかお ゆきお、1946年12月6日 - 2021年12月6日)は、日本のテレビプロデューサー、実業家。テレパック所属、元C.A.L代表取締役社長、社団法人全日本テレビ番組製作社連盟理事長。
峯のぼる(みね のぼる、1946年12月6日 - )は、日本… 峯のぼる(みね のぼる、1946年12月6日 - )は、日本の俳優。長崎県出身。長崎県立長崎西高等学校卒業。身長:165cm、体重:55kg、血液型:O型。特技:料理・竹馬。過去に東京キッドブラザース、大沢事務所に所属していた。現在はヘリンボーン所属。 元ジャニーズ事務所所属の嶺のぼるは別人。 峰のぼる(東京キッドブラザース時代) → 峯のぼる(現在)
現王園 孝昭(げんのうぞの たかあき、1946年(昭和21年… 現王園 孝昭(げんのうぞの たかあき、1946年(昭和21年)12月6日 - )は、日本の政治家。前埼玉県北本市長(1期)、北本市議会議員(4期)。 鹿児島県出身。1965年(昭和40年)3月、鹿児島実業高等学校卒業。同年4月、東京都庁職員に採用される。1972年(昭和47年)、埼玉県北本市に転居。下水道局を経て財務局に長く勤めた。 2003年(平成15年)4月、北本市議会議員選挙に立候補し初当選した。計3回連続当選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた北本市長選挙に立候補。連合埼玉の推薦を受けた現職の石津賢治との一騎打ちを制し初当選した。5月1日、市長就任。※当日有権者数:56,320人 最終投票率:55.05%(前回比:+1.23pts) 2019年(平成31年)4月21日に行われた市長選で元市議の三宮幸雄に敗れ落選した。
清水 信一(しみず しんいち、1946年〈昭和21年〉12月… 清水 信一(しみず しんいち、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2024年10月6日)は、日本の経営者。サンテレビジョン社長を務めた。 兵庫県出身。1971年に上智大学文学部を卒業し、同年に神戸新聞社に入社した。2003年2月に取締役に就任し、同年6月にサンテレビジョン常務を経て、2004年6月に社長に就任。2008年6月に退任。 2024年10月6日、慢性好中球性白血病のため死去。77歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三島 紀元(みしま のりもと、1946年〈昭和21年〉12月… 三島 紀元(みしま のりもと、1946年〈昭和21年〉12月6日 - 2021年〈令和3年〉11月30日)は、日本の政治家。元岡山県笠岡市長(1期)。 岡山県笠岡市出身。武蔵工業大学卒業。 1970年(昭和45年)4月、笠岡市役所に入庁。2004年(平成16年)5月30日、笠岡市助役に就任。2007年(平成19年)4月1日、笠岡市副市長に就任。2012年(平成24年)1月31日、同副市長退任。 2012年(平成24年)4月15日に行われた笠岡市長選挙に無所属で立候補。元市職員の柚木義和を破り初当選(三島:15,674票、柚木:14,085票)。投票率は68.69%だった。4月24日、市長に就任した。
川村 栄二(かわむら えいじ、1946年12月6日 - 20… 川村 栄二(かわむら えいじ、1946年12月6日 - 2025年5月11日)は、日本の作曲家、編曲家、ギタリスト。北海道小樽市出身。 少年時代にギターにはまり、北海道大学の軽音楽クラブに入る。大学を中退し、キャバレーでバンドマンをしていた時に、大学の先輩の誘いでネム音楽院の講師になる。講師と並行して因幡晃や高木麻早などヤマハに所属するアーティストのバックバンドも務めるようになる。 しかし、自身のプレイヤーとしての技量に限界を感じ、32歳の時から本格的にアレンジャーとして活動。1981年にテレビドラマ『拳骨にくちづけ』から劇伴を担当する。1983年に『小説吉田学校』の映画版で本格的に劇伴を手掛けるようになる。
吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は… 吉田 光彦(よしだ みつひこ、1946年12月5日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。岩手県盛岡市出身。盛岡市立高等学校、多摩美術大学卒。 1972年に「黒の手帖」6月号にてイラストレーターとしてデビューし、1975年には「ガロ」8月号から『殴者(ボクサー)』で漫画家としてデビューする。 劇団夜行館、演劇舎蟷螂などのポスターを多数手掛け、演劇舎蟷螂の「銀幕迷宮」や高取英の「少年極光都市」では舞台美術も手掛けた。また、寺山修司に多大な影響を受けており、「週刊大衆」の寺山の連載「誰か夢なき」のイラストを手掛けたことを皮切りに、寺山の著作のイラストを多数手掛けた。 大学時代の同級生には、はるき悦巳がいた。
池田 輝彦(いけだ てるひこ、1946年(昭和21年)12月… 池田 輝彦(いけだ てるひこ、1946年(昭和21年)12月5日 - )は、日本の銀行家。元みずほ信託銀行代表取締役社長。現同行顧問。 栃木県出身。東北大法学部卒業後、富士銀行入行。同行時代は営業畑を主に歩み、銀行法大改正(1981年)や銀行の週休二日制導入にも携わった。みずほフィナンシャルグループ発足後はみずほコーポレート銀行の副頭取に就き1兆円増資を敢行。大企業取引でも業績を伸張させ、衛藤博啓の後任としてみずほ信託銀行社長に転じた。 2008年(平成20年)には、同じ富士銀出身で、みずほ銀行副頭取だった野中隆史に社長職を禅譲し、代表権のない会長に退いた。同行から起用することで、リテールを強化する方向を明確にした。
矢部 美智代(やべ みちよ、1946年12月5日 - 202… 矢部 美智代(やべ みちよ、1946年12月5日 - 2022年2月12日)は、日本の児童文学作家。 東京都生まれ。雙葉中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。2001年「なきむしはるのくん」でひろすけ童話賞受賞。2013-2019年日本児童文芸家協会理事長。2020年から日本児童文芸家協会顧問を務めたほか、ひろすけ童話賞選考委員も務めた。 ほか世界・日本の名作童話、ディズニーアニメの再話など多数
高橋 和夫(たかはし かずお、1946年12月5日 - 20… 高橋 和夫(たかはし かずお、1946年12月5日 - 2021年12月20日)は、日本の哲学者、スウェーデンボリ研究者、文化女子大学名誉教授。日本スウェーデンボルグ協会会員。 新潟県佐渡市生まれ。1973年学習院大学文学部哲学科卒、80年同大学院博士課程満期退学。文化女子大学文学部講師、助教授、現代文化学部教授、学部長。2012年名誉教授。
浅野 誠(あさの まこと、本名:遠山高史、1946年12月5… 浅野 誠(あさの まこと、本名:遠山高史、1946年12月5日 - )は、日本の精神科医。作家で画家。 出生後、間もなく東京・上野に移り住む。。千葉大学医学部卒。大学時代は文学部・演劇部・美術クラブに所属し、小説「講堂」で千葉文学賞受賞。演劇部でも脚本を担当。 千葉大研修医を経て、1977年、医療法人博道会館山病院精神科長、1984年茂原保健所長、1985年千葉県精神科医療センター診療部長、センター長となる。24時間対応の精神科救急の仕組みづくりに尽力してきたことが認められ「医療功労賞」を受賞。2014年、桜並木心療医院院長。
福島 祥郎(ふくしま よしろう、1946年(昭和21年)12… 福島 祥郎(ふくしま よしろう、1946年(昭和21年)12月5日 - )は、日本の実業家。元オリエンタルランド代表取締役社長。 千葉県出身市川市在住。1969年に中央大学経済学部を卒業後、オリエンタルランドに入社する。1991年にオリエンタルランド広報部長に就任、その後、同社取締役経営企画室長、常務取締役営業本部長・運営本部長、代表取締役専務・テーマパーク統括本部長を歴任した。2005年には、同社代表取締役社長(兼)COOに就任し、同社史上初の生え抜き社長として注目を集めた。しかし、入場者数過去最高を記録していた絶頂期に「既定路線。」と社長を退任した。 木版画と読書。特に木版画は、自己流で始めてから30年以上も続けており、毎年200枚から300枚の年賀状を版画で刷るほどである。
栁澤 重夫(やなぎさわ しげお、1946年〈昭和21年〉12… 栁澤 重夫(やなぎさわ しげお、1946年〈昭和21年〉12月5日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日小綬章。元静岡県御前崎市長(2期)。 静岡県御前崎市出身。浜岡町立浜岡中学校卒業。1999年(平成11年)浜岡町議会議員に初当選。2003年(平成15年)再選。2004年(平成16年)4月1日、浜岡町は御前崎町と合併し、御前崎市が市制施行する。同年4月18日に行われた御前崎市議会議員選挙に初当選。同年から2年間、初代議長を務めた。2008年(平成20年)4月、原子力対策特別委員長に就任。2012年(平成24年)3選。 2016年(平成28年)1月21日、記者会見を開き次期御前崎市長選挙に立候補する意向を表明した。
井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日… 井上 瑤(いのうえ よう、1946年〈昭和21年〉12月4日 - 2003年〈平成15年〉2月28日)は、日本の女性声優、放送作家、占い師、ダンサー。東京都品川区大崎出身。 1970年代から2003年初めまで活躍。品川区立荏原第一中学校、東京都立八潮高等学校、早稲田大学卒業。 フリー、新企画、同人舎プロダクション、ピラミッド、ドゥ・コーポレーション、オフィス央、ぷろだくしょんバオバブ、大沢事務所、東京俳優生活協同組合などに所属した。 幼女期は目黒川の川っぺりを、泥んこになりがら過ごしていた。 幼稚園の頃は学校の教師になることを夢を見ていたが、その頃に始めたモダンダンスに魅力に取りつかれて小学生になった頃にはステージダンサーになることを決める。
榎 敏明(えのき としあき、1946年12月4日 - )は、… 榎 敏明(えのき としあき、1946年12月4日 - )は、日本の化学者。東京工業大学(現東京科学大学)名誉教授。専門分野は物理化学、固体物性物理。 群馬県生まれ。京都大学博士課程を修了後、1977年、分子科学研究所助手に着任した。研究当初は有機伝導体、グラファイト層間化合物(英語版)等の研究を行い、1987年に東京工業大学理学部助教授に着任し、1991年に同理工学研究科教授に昇任した。のちに研究の中心をグラフェンにシフトし、特にナノグラフェンの幾何学構造に由来した特異的な電子・磁気物性の研究を展開した。グラフェンのフェルミ準位付近の電子構造は質量のないディラック型の線形構造(ディラックコーン)を持ち、グラフェンシートを切断すると、切断方向に依存して電子状態が変化する。
大沼 邦彦(おおぬま くにひこ、1946年12月4日- )は… 大沼 邦彦(おおぬま くにひこ、1946年12月4日- )は、日本の技術者、実業家。日立ビルシステム代表取締役社長、日立製作所代表執行役副社長、日立オートモティブシステムズ代表取締役社長、日本品質管理学会会長などを歴任した。デミング賞本賞受賞。 茨城県出身。1971年千葉大学工学部電気工学科卒業後大学院に進学し修士課程修了。日立製作所入社。1990年日立製作所大みか工場電子制御装置設計部長。1995年日立製作所水戸工場副工場長。1999年日立製作所昇降機グループ水戸昇降機本部長。2000年日立製作所ビルシステムグループ水戸ビルシステム本部長。2001年日立ビルシステム代表取締役取締役社長。2005年日立製作所執行役常務都市開発システムグループ長&CEO。
大崎茂芳(おおさき しげよし、1946年12月3日 - )は… 大崎茂芳(おおさき しげよし、1946年12月3日 - )は、日本の化学者、評論家、奈良県立医科大学名誉教授。 兵庫県神崎郡生まれ。兵庫県立福崎高等学校を卒業し、1969年に大阪大学理学部卒業、76年同大学院理学研究科博士課程修了、「ポリ弗化ビニリデンの高温誘電緩和」で理学博士、90年「マイクロ波領域における誘電的異方性によるシート状材料の繊維配向の評価」で京都大学農学博士。1975年神崎製紙研究所、1990年ニチイ経営企画室部長、1994年マイカル商品研究所所長、1995年島根大学教育学部教授に転じ、1999年奈良県立医科大学教授、2012年定年退官、特任教授を経て名誉教授。クモの糸に関する著作で知られる。
桑原 頼幸(くわはら よりゆき、1946年12月3日 - 2… 桑原 頼幸(くわはら よりゆき、1946年12月3日 - 2014年9月12日)は、日本の実業家。1972年関東学院大学工学部卒、1972年トピー工業に入社。2000年トピー工業の子会社である北越メタル執行役員就任。トピー工業豊橋製造所所長と兼任となる。2001年豊橋製造所のダイオキシン排出削減に成功。2003年北越メタル代表取締役社長就任。北越メタル本社工場のある長岡市は桑原頼幸社長就任時代、最大震度6の地震に二度も襲われたが見事に復旧を果たした。2011年3月7日取締相談役に就任し、社長を退任。2014年病気の為死去。満67歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
近田 義広(ちかだ よしひろ、1946年12月3日 - )は… 近田 義広(ちかだ よしひろ、1946年12月3日 - )は、日本の天文学者。多体問題計算処理の提唱者であり、その後のGRAPE等の専用計算機時代を開拓した人物である。 専門は、電波天文学。自称「機械屋」。 天文学観測データのコンピュータ解析に関する業績で知られる。関わったプロジェクトは国立天文台野辺山ミリ波干渉計向けに開発されたFX型デジタル分光相関器、VLBI、VSOP計画、Farm-Ship、重力多体問題専用計算機GRAPE、アタカマ大型ミリ波サブミリ波干渉計などである。このうちFX相関器やGRAPEは、コンピュータの汎用性をあきらめ、ある計算過程に特化したハードウェアを作ることで高速・低コストを実現したものである。
佐々木 新一(ささき しんいち、1946年12月3日 - 2… 佐々木 新一(ささき しんいち、1946年12月3日 - 2022年5月12日)は、日本の演歌歌手である。本名:佐々木 新市。既婚。 青森県南津軽郡藤崎町出身。 1946年(昭和21年)12月3日、母は津軽民謡の二代目・津軽家すわ子、父は津軽三味線演奏者の佐々木繁月という民謡一家に生まれる。 1963年(昭和38年)、青森市立第一高校2年生の時に上京、作曲家の桜田誠一の門下生となる。 1965年(昭和40年)5月、キングレコードより『若さの世界』でデビュー。当時のニックネームは“ニューワン”。 1966年(昭和41年)1月リリースの『あの娘たずねて』が大ヒット、ミリオンセラーとなる。 2012年、同じキングレコード所属歌手の鏡五郎、池田輝郎とともに、平均年齢64.7歳のユニット"佐田鏡五一郎"(さだかがみ ごいちろう)を結成。
佐橋 五十雄(さはし いそお、1946年12月2日 - )は… 佐橋 五十雄(さはし いそお、1946年12月2日 - )は、日本の実業家、馬主。ぬいぐるみの卸売などを手がける株式会社アバンティーなどの代表取締役社長を務めたほか、オグリキャップの2代目馬主として知られた。愛知県名古屋市出身。 1946年、愛知県出身。東邦高等学校卒業後、東京都で親族の営む装飾品店に勤め、航空会社に転職したのち1972年に名古屋市中川区にて事業を興す。1976年10月に株式会社武蔵野を設立し社長に就任、1979年11月には同社名を株式会社ジャルダン武蔵野に改める。その後一度社長を辞任するが1985年5月に同社を継承しミックスジャム株式会社を設立、10月には株式会社アバンティーファイブ(88年5月より株式会社アバンティー)を設立した。