板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は… 板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は、日本のイスラム学者。東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授。文化功労者。
1931年(昭和6年)生まれ:1,309人
板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は… 板垣 雄三(いたがき ゆうぞう、1931年2月5日 - )は、日本のイスラム学者。東京大学名誉教授、東京経済大学名誉教授。文化功労者。
熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年… 熱田 公(あつた いさお、1931年2月5日 - 2002年9月3日)は、日本の歴史学者。神戸大学名誉教授。 和歌山県那賀郡上岩出村(現:岩出市)に上野家の次男として生まれる。1943年和歌山県立粉河中学校に入学。翌1944年中退し、大坂陸軍幼年学校に入学するが、敗戦により復員し、和歌山県立粉河中学校に復学し、1948年卒業。1953年、卒業論文「中世末期における国人層の動向」をまとめ、京都大学文学部史学科国史学専攻卒業。1960年、京都大学大学院文学研究科博士課程単位修得退学、京都大学文学部助手となる。 1970年に神戸大学教育学部助教授に転任、1979年同教授、1992年神戸大学文学部教授。
猪俣 浩(いのまた ひろし、1931年2月5日 - 2002… 猪俣 浩(いのまた ひろし、1931年2月5日 - 2002年6月7日)は英文学者。学習院大学名誉教授。東京都出身。 1956年に東京大学大学院人文科学研究科英語英文学専門課程修士課程を修了。その後、東京水産大学助教授、千葉大学助教授を経て学習院大学英米文学科教授に就任した。主にイギリスルネサンス文芸とシェイクスピアを研究。 2002年6月7日午後8時15分、心不全の為、静岡県東伊豆町の病院で死去、71歳。墓所は川崎市春秋苑。
住谷 春也(すみや はるや、1931年〈昭和6年〉2月5日 … 住谷 春也(すみや はるや、1931年〈昭和6年〉2月5日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本のルーマニア文学者。 ミルチャ・エリアーデやミルチャ・カルタレスクの翻訳を手掛けた。 旧制松本高校文科乙類(ドイツ語選択)在学中に 原口統三『二十歳のエチュード』に感銘を受けフランス語を学ぶ。1953年東京大学文学部フランス文学科卒。 出版社(学研など)勤務のかたわら、直野敦東京大学名誉教授に師事しルーマニア文学研究を志し、1978年にSFファンジン「イスカーチェリ」にトゥードル・ネゴイチァ「最適解」を翻訳掲載。1986年から1990年までルーマニア在住、ブカレスト大学文学部博士課程修了。1989年、反チャウシェスク民衆蜂起をバリケードの内側から見て手記を<Romania literara>1989最終第52号に発表。
望月 重(もちづき しげる、1931年2月5日 - 2015… 望月 重(もちづき しげる、1931年2月5日 - 2015年4月22日)は、建築工学者。 静岡県三島市出身。1954年早稲田大学理工学部建築学科卒。1964年同大学院博士課程中退、67年「鉄筋コンクリート壁体の耐震設計に関する研究」で工学博士。一級建築士。1962年武蔵工業大学助教授、71年教授、2001年定年退任、名誉教授。2007年日本建築学会教育賞(教育業績)受賞。専門は建築構造学。
井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 … 井村 裕夫(いむら ひろお、1931年(昭和6年)2月4日 - )は、日本の医学者、医学博士。京都大学名誉教授・元総長。第27代日本学士院院長。専門は内分泌代謝病学、糖尿病学。 1931年、滋賀県神崎郡八日市町(現:東近江市)生まれ。滋賀県立八日市高等学校卒業。1954年京都大学医学部医学科卒業、医学博士。米国カリフォルニア大学内科研究員、京都大学講師、神戸大学医学部教授、京都大学医学部教授、同大学医学部長を経て、1991年~1997年京都大学総長。同時に国立大学協会会長。京大総長選挙は当時、立候補も他者推薦も無しで各教官が適任と思う人物を紙に書く制度であったため予期せず突如選ばれ、研究を一時中断するほど多忙であったという。
田口 時夫(たぐち ときお、1931年2月4日 - 2000… 田口 時夫(たぐち ときお、1931年2月4日 - 2000年12月29日)は日本の数学者、数理統計学者。統計的集中の解析で知られる。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、数学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:数学/Portal:数学)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005… 漣 健児(さざなみ けんじ、1931年2月4日 - 2005年6月6日)は、日本の作詞家、訳詞家。本名:草野 昌一(くさの しょういち)。本名名義で編集者、実業家として活動し『ミュージック・ライフ』編集長、シンコーミュージック・エンタテイメント会長を務めた。 東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。早稲田大学第一商学部在学中の1951年9月、父・草野貞二が経営する新興音楽出版社(現:シンコーミュージック・エンタテイメント)から雑誌『ミュージック・ライフ』を復刊し(貞二が1938年に創刊した『歌の花籠』をベースとし、1946年に創刊された『ミュージック・ライフ』の復活)初代編集長を務めた。 1958年4月、新興楽譜出版社専務取締役に就任。
末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015… 末木 達男(すえき たつお、1931年2月4日 - 2015年8月17日)は、日本の政治家、東京都田無市長(4期)、田無市議会議員(5期)。 山梨県北巨摩郡須玉町(現在の北杜市)出身。山梨県立峡北高等学校(現・山梨県立北杜高等学校)卒業。卒業後は日本国有鉄道に入り、八王子機関区に勤務する。のちに田無町に移り、1963年に田無町議会議員に初当選。以後、市制施行(1967年)を挟んで連続5期務め、議長を務めた。その後、田無市助役を経て、1985年、田無市長に当選した。 1993年4月25日に行われた市長選挙に立候補して、新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:34.34%(前回比:-pts) 1997年4月20日に行われた市長選挙に立候補して、新人2人を破って4選を果たした。
真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年2月3日 - )は実… 真銅孝三(しんどう こうぞう、1931年2月3日 - )は実業家である。倉敷紡績相談役、大阪経済大学理事長。
久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日… 久保木 修己(くぼき おさみ、1931年〈昭和6年〉2月3日 - 1998年〈平成10年〉12月13日)は、日本の宗教家。世界基督教統一神霊協会(統一教会)の日本の初代会長、国際勝共連合の日本の初代会長。そのほか、世界日報社会長、世界平和連合会長、リトルエンジェルス芸術団理事長、国際文化財団理事長、アジアサファリクラブ会長、国際友好釣連盟会長、北米極真空手会長などを歴任。中華民国中華学術院名誉哲学博士。「久保木亮光(りょうこう)」と名乗っていたこともある。本名は久保木脩夫。 1931年に中華民国安東県(現:中華人民共和国遼寧省丹東市)で父・仙蔵と母・よしの長男として誕生。仙蔵(1902年7月 - 没年不明)は千葉県香取郡津宮村出身で、京城商業善隣学校(現:善隣インターネット高等学校)を卒業後、朝鮮銀行を経て、西安商工公会参事・満州興業銀行西安支店支配人代理を歴任。
岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年… 岩井 寛(いわい ひろし、1931年2月3日 - 1986年5月22日)は、日本の医学者、精神科医。 東京生まれ。上智大学卒業後、早稲田大学文学部大学院で美学を専攻、さらに東京慈恵会医科大学を卒業。聖マリアンナ医科大学助教授、教授。 森田療法の継承者の一人だが、臨床を行いつつ、芸術家的感性を生かした著作を数多く執筆した。1986年5月、全身をガンに侵され、55歳で死去。その最期のさまは松岡正剛によって記録された。また病苦を押して執筆した『森田療法』で、森田療法を、精神の自由を護るための技法として記述し、理不尽と闘うことをしなければ森田療法を適用してもムダだと説いている。 小心で様々なことに気を遣う性質で、“石橋を叩いても渡らない”傾向にあったが、石橋を叩きその道が確かであることを確かめたなら、不安があっても「あるがまま」にその橋を渡り、目的を果たすことを実践してきた。
澤木 敬郎(沢木 敬郎、さわき たかお、1931年2月3日 … 澤木 敬郎(沢木 敬郎、さわき たかお、1931年2月3日 - 1993年9月20日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(東京大学・1959年)(学位論文「比較法学における法系の役割」)。元立教大学法学部教授。 東京市(現新宿区)生まれ。1954年東京大学法学部卒、1959年同大学院基礎法学博士課程修了、「比較法学における法系の役割」で法学博士の学位を取得。立教大学法学部助教授、教授、法学部長。在任中に61歳で逝去。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 20… 雨宮 敬子(あめのみや けいこ、1931年2月3日 - 2019年7月31日)は、日本の彫刻家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。日本芸術院会員、文化功労者。 彫刻家雨宮治郎の娘として東京に生まれる。弟は雨宮淳。日本大学芸術学部卒業。1956年日展初入選、1982年長野市野外彫刻賞、1983年中原悌二郎賞優秀賞、1985年日展内閣総理大臣賞受賞、1994年日本芸術院会員。2017年4月、旭日中綬章受章。2017年11月、文化功労者。 主に女性のヌード座像を制作している。『雨宮敬子作品集』(講談社 2005)がある。 2019年7月31日、心不全のため、東京都世田谷区内の病院にて88歳で死去。死没日をもって従四位に叙される この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年… 清水 仁(しみず しのぶ、1931年2月3日 - 2021年6月16日)は、日本の実業家。位階は従三位。元東京急行電鉄(現:東急)社長。 1995年、東京急行電鉄(現:東急)社長に就任。東急グループ代表として、五島昇亡き後のグループを率い、バブル崩壊の影響で業績不振に陥っていたグループを再興した。日本民営鉄道協会会長等の公職も務めた。 東京府出身。1953年に一橋大学経済学部を卒業し、東京急行電鉄に入社。同社では長く財務部門、経営管理部門を歩み、入社後に公認会計士試験に合格し会計士補の資格も取得した。 専務等を経て、1週間前に横田二郎社長から後任社長の内示を受け、いったん固辞したのち、横田が取締役相談役として引き続き取締役に留任するなどとの説得を受け、1995年東京急行電鉄代表取締役社長就任。
埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年… 埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年2月23日)は、日本の植物生態写真家。40年以上植物の生態を撮り続けた。特に人生の後半は、植物が芽を出す瞬間を取り続けた。持論は足元に小宇宙がある。 1949年に「シャボテン研究家」(原文のママ)の龍膽寺雄に師事。1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。 また、1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園の企画設計を担当し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。 なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。
舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年… 舟橋 元(ふなばし げん、1931年2月3日 - 1974年9月17日)は、日本の俳優。本名:舟橋 澄。新東宝映画での活躍をはじめ、テレビ時代劇『新選組血風録』『燃えよ剣』の近藤勇役としても知られる。 北海道帯広市生まれ。1948年、法政大学予科在学中に、東横映画(東映の前身)の第1回ニューフェイスに合格、大学を中退して入社し、『月光城の盗賊』でデビューした。退社後は文化放送のラジオドラマなどでキャリアを積む。 劇団ひばり座を経て1950年に、東映東京撮影所の大泉演劇協団に入り、『日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声』に出演する。1952年、佐分利信に見出され、佐分利監督による『人生劇場』において青成瓢吉役を演じて注目された。
伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年… 伴 昭彦(ばん あきひこ、1931年2月2日 - 2023年12月4日)とは、日本の弁護士。新潟県弁護士会会長、日本弁護士連合会常務理事、新潟明訓高等学校理事長を務めた。新潟県新潟市出身。
水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日… 水野潤一(みずの じゅんいち、1931年2月2日- )は、日本の海外旅行コンダクター。文筆家。 神戸市生まれ。姫路高等学校 (旧制)で、浦山桐郎の一年後輩だった。法政大学文学部史学科卒業。 日本航空に勤務、ジャルパック主任教官、ニュージーランド大使館観光広報部長、日本国際観光学会理事などを務めた。1974年トラベルマン・オブ・ザ・イヤー表彰。
齋藤 雅子(さいとう まさこ、1931年〈昭和6年〉2月 -… 齋藤 雅子(さいとう まさこ、1931年〈昭和6年〉2月 - 2004年〈平成16年〉)は、日本の小説家、文筆家。東京都生まれ。東京都立大学仏文学科卒業。1955年から1965年まで共同通信社記者。1968年4月『早稲田文学』に「悲しみの人魚の歌」を発表、川端康成が、芥川賞候補になぜなっていないのかと称賛した。共同通信社を退社後は、リーダーズダイジェスト、FMfan、婦人画報等、雑誌のための取材やインタヴュー、英文和訳を数多く手がけ、1970年代末からは、古典文学の解説や平安京に取材した小説などを執筆した。没時まで、日本ペンクラブ会員。本名とは別に藤岡 雪子の筆名がある。 イタリア語作品の翻訳家で、第5回須賀敦子翻訳賞受賞者の齋藤ゆかりは、その子にあたる。
中野 好之(なかの よしゆき、1931年2月 - )は、日本… 中野 好之(なかの よしゆき、1931年2月 - )は、日本の西洋思想史学者、翻訳家。元國學院大學、富山国際大学教授。英国の社会思想・保守思想研究を専門とし、皇室崇拝家である。 東京に生まれる。1955年東京大学経済学部卒業。名古屋大学大学院修士課程修了。編集者などを経て、國學院大學文学部教授、富山国際大学教授を歴任。晩年の父中野好夫が訳していたエドワード・ギボン『ローマ帝国衰亡史』の翻訳を、朱牟田夏雄から引き継ぎ完成させた。その功績により1994年、日本翻訳出版文化賞(第30回)を受賞。 父の中野好夫は、著名な英文学者で進歩的文化人。好之はその長男だが思想信条は異なる。 母・信子は土井晩翠の次女(1940年に没)、兄に土井英一。
稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31… 稲森 照男(いなもり てるお、1931年(昭和6年)1月31日 - 2020年(令和2年)7月12日)は、日本の実業家。稲森パーキング創業者。元静岡県ハンドボール協会会長。元日本体育協会理事。旭日小綬章受章。 1943年(昭和18年)、静岡県立静岡中学校入学、1948年(昭和23年)、静岡県立静岡第一高等学校卒業。同年、慶應義塾大学経済学部入学、ハンドボール部に所属。3,4年生時、関東学生選抜、4年生時、主将。この間、地元静岡県立静岡城北高等学校の技術指導を行い、同校が数年に亘り全日本高校選手権、国民体育大会で優勝する黄金時代の基礎づくりに貢献した。 大学卒業後は食品原料卸商、富士農商事に入社、1959年(昭和34年)、総理府より皇太子御成婚記念行事として実施された、日本青年海外派遣団員として米国に3ヶ月滞在。
中村 昌義(なかむら まさよし、1931年1月31日 - 1… 中村 昌義(なかむら まさよし、1931年1月31日 - 1985年1月13日)は、日本の小説家。 樺太・真岡町出身。本名・重敬。父中村鷹祐は福岡県太宰府市太宰府町出身、旧帝国大学(東京大学)法学部卒業後、官僚となり当時樺太庁真岡支庁長。1940年父がパラオ島へ単身赴任し、東京で育つ。1944年太宰府へ疎開。1945年父はB級戦犯となる。1949年筑紫丘高等学校卒、福岡県庁に勤務。1953年早稲田大学二部政治経済学部に入学、国会図書館に勤務。1954年父が巣鴨拘置所から仮出所。1955年東京藝術大学に勤務。間宮茂輔に師事。1956年早大中退。 1962年同人「碑の会」発足、同人となる。ほかに高木卓、永松定、橋爪健、藤井重夫、間宮ら。
田島 義博(たじま よしひろ、1931年1月31日 - 20… 田島 義博(たじま よしひろ、1931年1月31日 - 2006年3月28日 )は、日本の経済学者、経営学者。第24代学校法人学習院院長。中内㓛らスーパーマーケット創業者らの理論的支柱とされる。 日本商業学会会長、日本ダイレクトマーケティング学会会長、社団法人消費者関連専門家会議会長、通商産業省大規模小売店舗審議会会長、国税庁中央酒類審議会会長、国税庁国税審議会会長代理、農林水産省食品流通審議会会長を務めた。経済産業省産業構造審議会、国税庁国税審議会、農林水産省食料・農業・農村政策審議会等多くの政府委員も歴任した。 熊本県生まれ。幼少時に両親を失い、兄とともに祖父母に育てられるも、高校時代に祖父が死亡したため高校卒業後は三池炭鉱で働いた。
新飯田 宏(にいだ ひろし、1931年1月31日 - )は、… 新飯田 宏(にいだ ひろし、1931年1月31日 - )は、日本の経済学者。横浜国立大学名誉教授。 東京府生まれ。1955年横浜国立大学経済学部卒。1960年東京大学大学院経済学研究科社会科学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得満期退学。1962年博士論文「市場の連関性と価格変動の研究 レオンティエフ型モデルの適用について」を東京大学に提出し経済学博士の学位を取得。 1960年埼玉大学文理学部専任講師、1962年埼玉大学助教授に昇格。1964年学習院大学経済学部助教授。同年、フルブライト奨学生としてハーバード大学へ留学。1969年横浜国大経済学部助教授、1973年横浜国立大学教授に昇格。1986年横浜国立大学経済学部長、1995年放送大学客員教授、1996年横浜国立大学定年退官し名誉教授の称号を得る。
高橋 繁男(たかはし しげお、1931年〈昭和6年〉1月30… 高橋 繁男(たかはし しげお、1931年〈昭和6年〉1月30日 - 1995年〈平成7年〉5月10日)は、日本のテレビドラマ監督・舞台演出家。「渥美清の泣いてたまるか」「遠山の金さん」などでお茶の間に親しまれた。群馬県沼田市出身。
山住 正己(やまずみ まさみ、1931年1月30日 - 20… 山住 正己(やまずみ まさみ、1931年1月30日 - 2003年2月1日)は、日本の教育学者、東京都立大学名誉教授。父は戦前期の大蔵官僚である山住克己。この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。ほとんどまたは完全に一つの出典に頼っています。(2014年1月)ウィキペディアの品質基準を満たしていないおそれがあります。(2014年1月)山住 正己(やまずみ まさみ、1931年1月30日 - 2003年2月1日)は、日本の教育学者、東京都立大学名誉教授。父は戦前期の大蔵官僚である山住克己。
横田敏勝(よこた としかつ、1931年1月30日-2005年… 横田敏勝(よこた としかつ、1931年1月30日-2005年2月14日)は、日本の医学者、医師。 北海道生まれ。1954年北海道大学医学部卒業。1955年同第二生理学教室助手。1960年医学博士。1962年ロックフェラー財団フェローシップを得てオーストラリア国立大学留学。1965年米国NIH研究員。1967年アムステルダム大学助教授。1969年北大助教授(歯学部口腔生理学講座)。1975年滋賀医科大学教授(生理学第一講座)に転じ、1996年定年退任、名誉教授、聖徳栄養短期大学教授。日本生理学会評議員、日本疼痛学会名誉会員。歴史上の芸術家などの痛みに関する著作もある。
遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 200… 遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 2003年6月18日)は、昭和から平成時代の行政学者。立命館大学名誉教授。専門は地方行政学。 京都市生まれ。1948年京都府立第三中学校(現京都府立福知山高等学校)卒業。1948~1970年京都市役所に勤務。この間、1949年京都府立山城高等学校定時制卒業。1953年立命館大学二部経済学部卒業。1954~1967年京都市職員労働組合専従。1970年立命館大学産業社会学部助教授。1976年同産業社会学部教授。1996年退職、名誉教授。2003年6月18日、肺炎のため京都市東山区の病院で死去。72歳。 自治体問題の研究者。1963年の設立以来、自治体問題研究所の研究活動に参加。
大村 高史(おおむら たかし、1931年1月29日 - )は… 大村 高史(おおむら たかし、1931年1月29日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手。
定金恒次(さだかね つねじ、1931年1月29日- 2018… 定金恒次(さだかね つねじ、1931年1月29日- 2018年11月19日)は、国語教育者・日本近代文学研究者。 岡山県浅口郡鴨方町(現・浅口市)生まれ。1953年岡山大学教育学部卒業。小・中・高校教諭、中国・黒竜江省ハルビン市の黒龍江大学講師などをへて、倉敷市立短期大学教授。96年退職。その後岡山大学教育学部、くらしき作陽大学、倉敷看護専門学校等を兼務したのち、就実大学、倉敷芸術科学大学、福島リハビリテーション学院、岡山県立鴨方高等学校非常勤講師を務めた。 1967年実践国語賞、1968年山陽放送教育文化賞、1970年学校図書館功労賞、72年学校図書館賞、77年日本職業指導協会会長賞、2001年聖良寛文学賞受賞。
市原 文雄(いちはら ふみお、1931年〈昭和6年〉1月29… 市原 文雄(いちはら ふみお、1931年〈昭和6年〉1月29日 - 生没不明)は、日本の政治家。奈良県天理市長。 千葉県出身。関西学院大学卒業、1963年(昭和38年)同大学院修了。 奈良県高等学校教職員組合を経て、1987年(昭和62年)から奈良県議会議員を2期務める。1992年(平成4年)天理市長に当選。1996年(平成8年)に無投票で再選した。 自民党、民主党の推薦を受け、新人を破って3選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:48.87%(前回比:-pts) 2001年(平成13年)9月、受託収賄容疑で逮捕され辞職した。その後、同年12月に執行猶予付きの有罪判決を受けた。
薩摩 忠(さつま ただし、1931年1月29日 - 2000… 薩摩 忠(さつま ただし、1931年1月29日 - 2000年3月24日)は、日本の詩人、翻訳家、作詞家、放送作家。 童謡『まっかな秋』の作詞で知られる。 東京出身。慶応幼稚舎(小学校)で菊池知勇に学ぶ。慶應義塾大学仏文科卒。堀口大學、藤浦洸に師事。『風』『新詩潮』『詩帖』同人。1962年昆虫詩集『蝶の道』を刊行。1964年『海の誘惑』で室生犀星詩人賞受賞。昆虫など小動物を題材とした詩が多く、海外児童文学の翻訳・再話などもある。放送作家としてラジオの音楽番組の構成を担当したほか、シャンソンの訳詞も多く手がけた。 その他アンデルセン、グリムなどの再話 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
石井 政雄(いしい まさお、1931年〈昭和6年〉1月29日… 石井 政雄(いしい まさお、1931年〈昭和6年〉1月29日 - 2007年〈平成19年〉5月9日)は、日本の陸上自衛官。第20代陸上幕僚長、第17代統合幕僚会議議長。勲二等正四位。 千葉県出身。松戸の旧家の生まれ。中学3年で終戦を迎えたため、目指す陸士に進めず、地元の高校から立教大学へ進学。大学を卒業後は計算機の会社に就職した。1年間の研修が終わるころ、たまたま訪れた都庁で保安隊の幹部候補生募集のポスターを見て入隊を決意した。 幹部候補生学校を卒業後、普通科教導連隊に配属。普通科を選んだ理由は「普通科(歩兵)こそ軍の主兵だと思い、自衛隊に入ると決めた以上、普通科になると決めていた」と語っている。
北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28… 北野 弘久(きたの ひろひさ、1931年(昭和6年)1月28日 - 2010年(平成22年)6月17日)は、日本の法学者(租税法)。法学博士(立命館大学・論文博士・1974年)。日本大学法学部教授を経て、日本大学名誉教授。 富山県富山市大広田生まれ。学位は法学博士(1974年)、税理士・弁護士資格保有。租税法を専攻し、納税を国民の権利としての側面から再評価した「納税者基本権論」を展開する。 国税不服審判所による審判や裁判所での判決に対して、憲法を基礎に国民を主体にした批判・研究を展開、多くの論文を発表した。 憲法を軸に置いた視点からの判例研究では嚆矢となる。裁判での証人も引き受け、納税者に有利な判決を勝ち取った点も高く評価される。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - 2024年12月13日)は、日本の実業家。東海旅客鉄道株式会社(JR東海)参与。同社初代代表取締役社長。第7代鉄道友の会会長。名は寛と表記されることが多いが、正表記は寬(儿部の右側に点が入る)。 職責以上に鉄道営業制度に精通し、フルムーン夫婦グリーンパス、自由席、青春18きっぷ、ホームライナーの生みの親と言われる。エル特急の誕生にも関与した。 京都市中京区で洋画家の須田国太郎の長男として生まれる。国太郎は写生旅行のため時刻表を毎月のように購入しており、読み方を教えられて幼稚園の頃から読み出した。少年時代は体が弱く、時刻表を見ながら病床で遠方への旅行を想像していたという。
小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28… 小松 左京(こまつ さきょう、1931年〈昭和6年〉1月28日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の小説家。本名:小松 実(こまつ みのる)。 『易仙逃里記』(1962年)でデビューして以降、人類と文明の可能性を模索し続けた、SF小説の大家。作品に『日本アパッチ族』(1964年)、『果しなき流れの果に』(1966年)、『日本沈没』(1975年)など。 星新一・筒井康隆と共に「SF御三家」と呼ばれ、日本SF界を代表するSF作家であり、戦後の日本を代表する小説家でもあった。 1970年の日本万国博覧会でテーマ館サブ・プロデューサー、1990年の国際花と緑の博覧会の総合プロデューサーとしても知られる。
須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海… 須田 寬(すだ ひろし、1931年1月28日 - )は、東海旅客鉄道(JR東海)の初代代表取締役社長である。名は寛と表記されることが多いが、正式な名前の表記は寬(儿部の右側に点が入る)である。
飯田雄二(いいだ ゆうぞう、1931年1月28日 -)。 1… 飯田雄二(いいだ ゆうぞう、1931年1月28日 -)。 1955年日本大学通教文学部史学科卒業。 1974年愛知県教員組合委員長。 1975年愛知県議会議員。 桜門紳士録刊行会編『桜門紳士録』桜門紳士録刊行会 昭和57年6月10日 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田辺 忠幸(たなべ ただゆき、1931年1月28日 - 20… 田辺 忠幸(たなべ ただゆき、1931年1月28日 - 2008年1月6日)は、日本の将棋観戦記者、将棋ライター。 東京都生まれ。早稲田大学在学中は将棋部正選手として活躍。1956年共同通信社に入社、1959年より運動部で将棋、囲碁、相撲、柔道などを担当。1974年棋王戦創設に参画し、その運営に当たった。 大阪支社運動部長などを歴任し、1991年定年退職。以後はフリーの観戦記者として活動した。 1997年、将棋ペンクラブ大賞。2000年から2007年まで、将棋ペンクラブ大賞の選考委員をつとめた。2002年、大山康晴賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 20… 野崎 眞一(のざき しんいち、1931年1月28日 - 2014年1月27日)は、日本の作曲家である。永年の作家名は野崎 真一であった。 1931年(昭和6年)1月28日、現在の愛知県半田市に生まれる。 1957年(昭和32年)、26歳のときに、日本マーキュリーレコードより発売された藤島桓夫歌唱の「俺らは東京へ来たけれど」で作曲家デビュー。この時の名前の表記は「野崎眞一」だった。 1958年にテイチクレコードの専属作曲家となる。 「星屑のブルース」(1965年)をはじめ数多くの石原裕次郎、八代亜紀の楽曲を作曲した。とくに野崎が40代半ばのころに八代に提供した「もう一度逢いたい」 (1976年)、「愛の終着駅」 (1977年)では、当時20代半ばの八代を日本レコード大賞最優秀歌唱賞受賞に2年連続で導いた。
中村 晃(なかむら あきら、1931年1月27日 - 200… 中村 晃(なかむら あきら、1931年1月27日 - 2005年7月14日)は、日本の実業家。北海道国際航空(AIRDO)社長。東京都出身。 1931年1月27日東京都で生まれる。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部入学。1952年、慶應義塾大学経済学部を卒業後、日本航空株式会社に第一期の大学卒社員として入社。1957年、ロサンゼルス支店に栄転。1973年、日本航空株式会社を退社。翌年の1974年に、渡辺音楽出版に入社。1985年から西武セゾングループ・ヴィーヴルに入社。1988年に、ヴァージン・アトランティック航空日本支社長に就任。1994年に、ヴァージン・アトランティック航空を退社。1997年には、北海道国際航空(AIRDO)社長に就任。
大林 勝臣(おおばやし かつおみ、1931年1月27日 - … 大林 勝臣(おおばやし かつおみ、1931年1月27日 - )は自治官僚。 東京大学法学部法律学科卒業後の1954年に自治庁に入る。地方出向は愛媛県総務部地方課長、香川県経済労働部長を歴任。本庁では選挙部管理課長、大臣官房総務課長、選挙部長を経て、1982年7月から行政局長に就任。自治省では選挙制度のエキスパートであり、選挙課長時代には1975年の公職選挙法改正案に関与し、選挙部長時代には議員立法ながら参議院比例区の導入に活躍した。 1987年9月に自治事務次官に就任。1989年6月に退官。その後は自治総合センター理事長に就任。
後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 20… 後藤 英一(ごとう えいいち、1931年1月26日 - 2005年6月12日)は、日本の物理学者・計算機科学者。東京大学名誉教授。 磁気による論理演算回路素子のパラメトロンを発明。数式処理の分野でも業績を上げる。紫綬褒章受章。 理化学研究所では特許を100近く出願したという。理研の物理学部門では特許収入が首位との事である。さまざまな原理は勉強したが、その原理がコンピュータにどう使われているかは勉強しなかったと語る。 これらの研究業績により1989年4月に紫綬褒章を受章した他、多数の受賞歴がある。ただし後藤自身は「半導体製造のための貢献で紫綬褒章をもらったが、半導体のために仕事をした事なんてない(笑)」と語る。
綿貫 譲治(わたぬき じょうじ、1931年1月26日 - 2… 綿貫 譲治(わたぬき じょうじ、1931年1月26日 - 2015年7月3日)は、日本の政治学者・社会学者、上智大学名誉教授。専門は、政治社会学、比較社会学、国際関係論。
名和 小太郎(なわ こたろう、1931年(昭和6年)1月26… 名和 小太郎(なわ こたろう、1931年(昭和6年)1月26日 - )は、日本の情報工学者。 東京府東京市(現東京都台東区)生まれ。1956年東京大学理学部物理学科卒業。 1964年「爆発震動、爆発音の制御」で、東京大学より工学博士の学位を取得。石油資源開発で地震探査法を開発、1960年旭化成工業に入り、ロケット燃料の生産管理および情報システムの開発、1977年旭リサーチセンター参事、主任研究員、取締役(技術政策の調査)、1991年新潟大学法学部教授、1996年関西大学総合情報学部教授、2001年定年退任。 1998-1999年京都大学大学院文学研究科非常勤講師。2002-2007年国際大学グローバル・コミュニケーション・センター客員教授。
増田 祐孝(ますだ ゆうこう、1931年1月26日 - 20… 増田 祐孝(ますだ ゆうこう、1931年1月26日 - 2020年12月19日)は、日本の経営者。日本軽金属社長、会長を務めた。 広島県出身。1954年に東京工業大学工学部化学工業科を卒業し、同年に日本軽金属に入社。1984年6月に取締役に就任し、1987年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1993年12月に社長に昇格。1999年6月に会長に就任し、2003年6月から相談役を務めた。 2003年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2020年12月19日胆管がんのために死去。89歳没。
小林 幸雄(こばやし ゆきお、1931年1月26日 - 20… 小林 幸雄(こばやし ゆきお、1931年1月26日 - 2025年8月31日)は、日本の実業家。初代大鵬薬品工業代表取締役社長や、同社代表取締役会長、ニチバン代表取締役会長、大塚製薬代表取締役社長などを歴任した。第3代大鵬薬品工業代表取締役社長の小林将之は息子。 明治薬科大学薬学部卒業後、1954年大塚製薬工場入社。1963年から39年間にわたり初代大鵬薬品工業代表取締役社長を務め、1969年にモスクワの研究所で5-フルオロウラシルを知り、抗がん剤開発を開始するなどした。1989年からニチバン代表取締役会長を兼務。1992年アルバータ州立大学名誉博士。1994年黄綬褒章受章。1995年ラトビア共和国グリンデックス賞受賞。
清瀬 義三郎則府(きよせ ぎさぶろう のりくら、1931年1… 清瀬 義三郎則府(きよせ ぎさぶろう のりくら、1931年1月25日 - 2017年7月30日)は、日本の言語学者。ハワイ大学名誉教授。英語筆名はGisaburo N. Kiyose。 アルタイ言語学・古代朝鮮語・女真語女真文字・満洲語の研究に従事。日本語に関する著作も多く、日本語とアルタイ諸語とで共通する膠着語的性格などを説く。また「日本語の動詞は活用しない」とする派生文法を提唱。音韻史の分野にも一家言があり、ハ行子音は平安朝までP-音であったとする。原日本語の8母音説を採り、各母音の音価を推定した。 1954年京都大学文学部言語学科卒業。大東文化大学・兼国士舘大学講師を務め、1964年より米国インディアナ大学で助手・講師・助教授を歴任。
銀座 亜紀枝(ぎんざ あきえ、1931年1月25日 - )は… 銀座 亜紀枝(ぎんざ あきえ、1931年1月25日 - )は、日本の刺し子作家。銀座亜紀枝刺子館館長。(株)自然堂代表取締役。本名は坂本 亜紀枝(さかもと あきえ)。愛媛県西宇和郡双岩村出身。 古典刺し子の柄を現代風にアレンジし、本藍染・草木染の布と糸によって、直線裁かつ手縫い仕立ての縫製により作品を制作する。東京都西多摩郡檜原村にある銀座亜紀枝刺子館において作品を展示するかたわら、各地で刺し子教室を開く。また、自然堂では刺し子材料・刺し子作品の販売も行う。