川和 孝(かわわ たかし、1932年2月5日 - 2021年… 川和 孝(かわわ たかし、1932年2月5日 - 2021年1月14日)は、日本の演劇演出家。 東京生まれ。旧制東京都立八王子工業学校(現:東京都立八王子工業高等学校)から東京学芸大学を経て、フルブライト留学生試験に合格し、イェール大学大学院演劇学修士課程修了。劇団俳優座、青年座に在籍したのち、フリーで新劇、オペラなど各種イベントの企画・構成・演出を手掛ける。筒井康隆戯曲の演出などで知られる。作劇舎を主宰した。晩年は日本の近・現代の一幕芝居を100本上演する企画、シアターX名作劇場をライフワークとしていた。 2021年1月14日 、新型コロナウィルス感染のため死去。88歳没。
大山 勝美(おおやま かつみ、1932年2月5日 - 201… 大山 勝美(おおやま かつみ、1932年2月5日 - 2014年10月5日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。TBS制作局理事、カズモ代表取締役。本名︰大山 勝美(おおやま かつよし)。 1957年、TBSに入社。演出家・プロデューサーとしてテレビドラマ畑一筋に歩み『知らない同志』『熱い秋』『想い出づくり。』『くれない族の反乱』を手がけ“ドラマのTBS”の全盛期を支えた。1992年、TBSを定年退職後はテレビ制作会社カズモを設立し、代表取締役も務める一方で、『蔵』『天国までの百マイル』『長崎ぶらぶら節』等多くのドラマを送り出した。妻は女優の渡辺美佐子。 鹿児島県姶良郡福山町(霧島市)出身。
佐藤 弘明(さとう ひろあき、1932年2月5日 - 198… 佐藤 弘明(さとう ひろあき、1932年2月5日 - 1988年1月1日)は、兵庫県尼崎市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。長女は元OSK日本歌劇団の緒花朋(オバナトモ)。
鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1932年2月5日 - 202… 鈴木 邦彦(すずき くにひこ、1932年2月5日 - 2025年2月12日)は、日本の神経化学者、神経内科医。東京府出身。日本学士院会員。 先天性代謝異常のスフィンゴリピドーシスに関する研究で世界をリードした。クラベ病の病因酵素の異常を発見、疾患モデルマウスを作出した。東京大学医学部卒業。アルバート・アインシュタイン医科大学などを経て、ノースカロライナ大学チャペルヒル校神経科学センター名誉センター長・名誉教授。1990年フンボルト賞受賞。2002年日本学士院賞受賞。2008年日本学士院会員。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009… 福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009年1月11日)は、日本のグラフィックデザイナー。 日本グラフィックデザイナー協会三代目会長。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」とも称される。 画家の福田美蘭は娘。童画家の林義雄は義父(妻・靖子の父)。 東京都台東区浅草出身。母の郷里二戸市に疎開し、岩手県立福岡高等学校を経て東京芸術大学図案科卒業(1956年)。大学在学中に日本童画会展アンデルセン生誕150年記念賞などを受賞。 卒業後、味の素デザイン室を経て、1958年フリーとなる。1966年、日本宣伝美術会会員。1967年、日本万国博覧会の公式ポスターに入選して脚光を浴びる。
安藤 実親(あんどう さねちか、(本名:安藤 實親)1932… 安藤 実親(あんどう さねちか、(本名:安藤 實親)1932年(昭和7年)2月4日 - 2022年(令和4年)5月6日)は、日本の作曲家。別名:富侑栄(ふゆう さかえ)。 鹿児島県・鹿児島市武町に生まれ、1946年(昭和21年)、国鉄西鹿児島工場(現・JR九州鹿児島車両センター)に就職。1952年(昭和27年)に鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業すると、卒業と同時に国鉄を退職し、上京した。 上京後、1954年(昭和29年)にコロムビアレコード専属作曲家であった松尾健司に師事。そして1961年(昭和36年)にコロムビアレコード専属作曲家となり、主に編曲を担当した。1964年(昭和39年)には村田英雄の「姿三四郎」で作曲家としてデビューし、コロムビアレコードからゴールデンヒット賞・新人作曲賞を受け、以後、こまどり姉妹・舟木一夫・村田英雄・美空ひばり等の作曲を手掛けた。
柳瀬 観(やなせ のぞむ、1932年2月4日 - 2009年… 柳瀬 観(やなせ のぞむ、1932年2月4日 - 2009年2月21日)は日本の映画監督である。協同組合日本映画監督協会物故会員。 1932年4月4日、東京都大田区大井町に生まれる。中央大学杉並高等学校を経て、1954年、早稲田大学第一文学部演劇専修を卒業。日活撮影所に入社し、契約助監督となる。同時に、早稲田大学大学院文学研究科で映画を専攻(1956年中退)。日活では野口博志、佐伯清、阿部豊、井上梅次、堀池清、鈴木清順、に助監督としてつく。1963年、『探偵事務所23 銭と女に弱い男』で監督昇進。『北国の街』舟木一夫の主演映画を多く手掛ける。1965年、フリーとなる。『ハレンチ学園』『プレイガール』『プロフェッショナル』などテレビドラマの演出も多数。
桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3… 桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3日 - 2025年(令和7年)3月27日)は、日本の文芸評論家。東洋大学名誉教授。 紫綬褒章受章。芸術選奨文部大臣賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、他受賞。 1950年に一橋大学商学部に入学するも、在学時に一橋大学社会学部に転部。同・社会学部を卒業後は、研究社(出版社)に勤務する一方、村上一郎(文芸評論家)とともに同人誌「典型」「無名鬼」を編集し評論活動を開始。 後に東洋大学文学部教授を務めた。東洋大学退職後は名誉教授の称号を受け、東洋大学兼任研究員を務めた。他に多摩美術大学、大妻女子大学講師、日本近代文学館理事等も務めた。 1990年に毎日出版文化賞を受賞。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年(昭和7年)2月3日 - )は、日本の元警察官僚。第12代警察庁長官(在任1985年8月25日-1988年1月)。チームおてんとうさま特別顧問。
稲垣 瑞雄(いながき みずお、1932年2月3日 - 201… 稲垣 瑞雄(いながき みずお、1932年2月3日 - 2013年2月23日)は、日本の作家・詩人。 愛知県豊橋出身。東京大学文学部仏文科卒。高校教師となり、東京都立立川高等学校で英語とフランス語を担当。楢信子と職場結婚。1962年創刊の同人誌『ドン』に参加、73年に短編集『残り鮎』を自費出版。74年からは楢信子と二人雑誌『双鷲』を年二回刊行。1984年「曇る時」で作家賞受賞。
山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 … 山田 英雄(やまだ ひでお、1932年〈昭和7年〉2月3日 - )は、日本の警察官僚。第12代警察庁長官。チームおてんとうさま特別顧問。 東京大学法学部卒業後、国家地方警察本部に入庁。同期に、杉原正(交通局長)、池田速雄(交通局長)、金原忍(公安調査庁第一部長)、山崎隆司(近畿管区警察局長)など 警視庁警備課長時代には、ザ・ビートルズ日本公演が熱狂的なファンに埋め尽くされることを知り、日本武道館を下見したときたまたまいた女子中学生に話を聞いたら、「足の1本ぐらい折れてもかまわないから、ステージに飛び乗ってビートルズにキスしたい!」という発言があった。これは本気で警備しないとまずい、と思って、鉄壁の警備につながったと証言している。
長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2… 長沢 二郎(ながさわ じろう, 1932年(昭和7年)2月2日 - 2010年(平成22年)3月23日)は、日本の競泳選手。 静岡県沼津市出身。静岡県立沼津東高等学校から早稲田大学高等学院に編入し、早稲田大学政治経済学部卒業。早大では水泳部に所属した。 早大在学中の1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、200メートル平泳ぎで6位。1954年5月にバタフライが平泳ぎから分離する形で考案され、同年6月に長沢が「ドルフィンキック」を発明、当時の200メートルバタフライの世界新記録を更新した。同年には第4回日本スポーツ賞を受賞。引退後の1964年には、第18回夏季オリンピック東京大会において競泳日本代表のコーチを務めた。
渡辺 高光(わたなべ たかみつ、1932年2月2日 - )は… 渡辺 高光(わたなべ たかみつ、1932年2月2日 - )は、日本の元俳優・殺陣師。本名、渡部 高璋。 東京府出身。学習院大学卒業。 日活出身。新東宝などで脇役として活動したのち、1964年にテレビドラマ『戦国群盗伝』で知り合った日本大学の「殺陣同志会」メンバー・きくち英一らと「ジャパン・ファイティング・アクターズ(JFA)」を創設し、俳優・殺陣師として活動する。やがてメンバー間での意見の相違からJFAは解散し、その後は中村プロダクションに所属。芸名を「大沢 萬之价」(おおさわ まんのすけ)に改め、1980年代前半まで多くの映画・テレビドラマに出演していた。 特技は空手(初段)・乗馬。 『宇宙猿人ゴリ』(のちに『スペクトルマン』に改題)で共演した成川哲夫は、渡辺は九州地方の出身であるが、『スペクトルマン』の劇中のような九州訛りはなかったと記している。
金原 二郎(きんばら じろう、1932年2月2日 - 199… 金原 二郎(きんばら じろう、1932年2月2日 - 1997年4月26日)は、日本の司会者、アナウンサー。東京府(のちの東京都)出身。 早稲田大学教育学部卒業後、1954年(昭和29年)に日本テレビへアナウンサーとして入社。ワイドショー『金原二郎ショー』のほか、『底ぬけ脱線ゲーム』などのバラエティ番組の司会を務めた。この他に皇太子明仁親王(第125代天皇)の成婚パレードの実況、東京オリンピックの開会式実況、吉田茂の国葬中継実況、静岡第一テレビ開局[要説明]、アナウンス部長を務めた。 早稲田大学の同期には元毎日放送アナウンサーの小池清や元読売ジャイアンツ選手の広岡達朗、俳優の宇津井健(中退)などがいる。
影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 200… 影山 裕子(かげやま ひろこ、1932年2月1日 - 2005年9月13日)は、日本の社会評論家、和光大学名誉教授。 長く日本電信電話公社に勤務し、調査役、国立電報電話局長などを歴任して女性管理職の先駆的存在として知られ、評論家としても活動し、女性の社会進出を訴え、後には和光大学教授となった。 影山は、女性の社会進出の妨げになるとして、労働時間に関する女子の保護規定撤廃を唱えるなど、男女雇用機会均等法(1986年)を先取りする主張を早くから展開していた。 長野県小諸市出身(出生地は北海道)。長野県松本深志高等学校を経て、1954年に東京大学経済学部を卒業し、成績トップで日本電信電話公社に入り、経営調査室に配属された。
箱田 淳(はこだ じゅん、本名:箱田 弘志(はこだ ひろし)… 箱田 淳(はこだ じゅん、本名:箱田 弘志(はこだ ひろし)、1932年2月1日 - )は、広島県福山市出身の元プロ野球選手(内野手、投手)・野球解説者。
広田 良吾(ひろた りょうご、1932年2月1日 - 201… 広田 良吾(ひろた りょうご、1932年2月1日 - 2015年1月17日)は、日本の数学者、物理学者、工学者。専門は非線形波動、差分学、離散可積分系。非線形偏微分方程式を双線形化し直接的に解く独自の手法は非常に有名であり、その名を冠して広田の方法と呼ばれる。 広田良吾 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース この項目は、数学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
金子敬生(かねこ ゆきお、1932年2月1日 - 1991年… 金子敬生(かねこ ゆきお、1932年2月1日 - 1991年7月21日)は、日本の経済学者。 広島県三原市出身。1961年神戸大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、68年「経済変動過程の産業連関分析」で経済学博士。1961年愛知大学講師、1963年名古屋市立大学助教授、1968年中央大学教授、1979年早稲田大学教授、1983年広島経済大学教授を務めた。
三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 … 三和 一博(みわ かずひろ、1932年〈昭和7年〉2月1日 - 2003年〈平成15年〉)は、日本の法学者・弁護士だった人物。専門は民法。兵庫県姫路市出身。指導教授は中島弘道。弟子に遠藤研一郎がいる。 1954年中央大学法学部卒業。1956年同大学院法学研究科修士課程修了後、東洋大学法学部助手に就く。1957年同法学部専任講師。1964年同法学部助教授。1973年同法学部教授となる。1982年同大学院法学研究科教授。1989年中央大学法学部教授。1990年同大学院法学研究科教授。1994年中央大学法職講座運営委員会委員長(~2002年)。2002年中央大学定年退職。同名誉教授。2003年弁護士登録。
楠井 敏朗(くすい としろう、1932年2月1日 - )は、… 楠井 敏朗(くすい としろう、1932年2月1日 - )は、日本の経済学者、横浜国立大学名誉教授。 長崎県長崎市生まれ。1961年和歌山大学卒、1965年東京大学大学院経済学研究科博士課程中退。1970年「イギリス農業革命史論 近代的農業成立過程の研究」で経済学博士。1965年東京大学経済学部助手。1968年横浜国立大学経営学部助教授、1979年教授、1997年定年退官、名誉教授、横浜商科大学教授。
川口 喬一(かわぐち きょういち、1932年2月1日 - )… 川口 喬一(かわぐち きょういち、1932年2月1日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。 北海道空知郡上砂川町生まれ。北海道砂川北高等学校卒業。東京教育大学大学院博士課程満期退学(英文学)。1995年「「ユリシーズ」演義」で筑波大文学博士。成城大学講師、助教授、教授を経て、1974年筑波大学教授、1995年定年退官、名誉教授、目白大学教授、大学院教授、大学図書館長、大学院客員教授を経て2005年退職。
中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 … 中村 健(なかむら たけし、1932年(昭和7年)2月1日 - )は、日本の声楽家(テノール・カウンターテノール)、オペラ歌手、音楽教育者、合唱指揮者。本名:中村 雄。 東京都出身。1958年(昭和33年)東京藝術大学音楽学部声楽科卒業。畑中良輔に師事。 オペラデビューは1959年(昭和34年)ロッシーニ『セビリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵。オペラでの出演歴はきわめて多数にのぼり、二期会、東京室内歌劇場を主に、昭和音楽大学オペラ情報センターに記録されているだけでも127回を数える。主演したオペラは70曲を超えているという。「オペラ界での長年の活躍と日本初演作上演への貢献も著しい往年の名テナー」である。
町田 三郎(まちだ さぶろう、1932年〈昭和7年〉1月31… 町田 三郎(まちだ さぶろう、1932年〈昭和7年〉1月31日 - 2018年〈平成30年〉3月18日)は、日本の中国哲学研究者。九州大学名誉教授。 1932年、群馬県前橋市若宮町に生まれる。1950年に群馬県立前橋高等学校を卒業。東北大学文学部に入学して中国哲学を専攻した。1954年に卒業し、同大学大学院に進んだ。1960年、博士課程を単位取得退学。 卒業後は、同1960年4月より東北大学川内分校助手に採用された。1962年に講師昇格。1963年より文学部助手、1964年より教養部講師、1966年に同助教授に昇格。1974年に九州大学文学部助教授となり、中国哲学講座を担当した。1981年に教授昇格。
大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31… 大谷 泰司(おおたに たいじ、1932年(昭和7年)1月31日 - 2012年(平成24年)2月1日)は、日本のプロ野球セントラル・リーグ審判。神奈川県横浜市出身。プロ野球で没収試合(後述)を宣言した数少ない審判員でもある。 横浜市立横浜商業高等学校に進んだが、春の選抜・夏の選手権の全国大会へは進出できなかった(当時は浅野高等学校、湘南高等学校が夏の甲子園に出場していた時期である)。卒業後1961年にセントラル・リーグの審判部に入局。関東出身でありながら関西審判部所属を希望。受理され1984年1月の退局まで同部の所属となる。 若い頃から視力が落ちており、一時期は眼鏡をかけて審判していたが、1969年のとあるゲームで判定に激昂した当時の中日監督水原茂に眼鏡をむしり取られるという出来事に見舞われてからはコンタクトレンズをつけて審判するようになる。
鈴木 正裕(すずき まさひろ、1932年1月31日 - 20… 鈴木 正裕(すずき まさひろ、1932年1月31日 - 2019年3月6日)は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、博士(法学)(京都大学・論文博士・2017年)(学位論文『近代民事訴訟法史・オーストリア』)。神戸大学名誉教授。第10代神戸大学学長。神戸大学退官後は弁護士登録(大阪弁護士会所属)。位階は従三位。2008年瑞宝重光章受章。 現在の大阪府東大阪市に生まれる。 大阪府立住吉高等学校から京都大学法学部に進学し、在学中の1954年に司法試験に合格した。1955年に卒業、同大学院法学研究科に進み、1957年修士課程を修了した。 1960年、京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、神戸大学法学部講師、同助教授(1962年)を経て 1970年に神戸大学法学部教授、1986年同法学部学部長、1991年第10代神戸大学学長に就任。
立平 良三(たてひら りょうぞう、1932年1月31日- )… 立平 良三(たてひら りょうぞう、1932年1月31日- )は、日本の気象学者。理学博士(京都大学・論文博士・1967年)(学位論文「レーダーによる降雨帯の研究」)。気象庁長官。 福井県勝山市出身。1953年京都大学理学部地球物理学科卒業、気象庁に入る。富士山測候所レーダー係長、予報部予報官、主任予報官、1978年予報課長、1983年福岡管区気象台長、85年海洋気象部長、予報部長、1990年気象庁長官、1992年電気通信大学教授、(財)気象業務支援センター顧問。1967年「レーダーによる降雨帯の研究」で理学博士(京都大学)の学位を取得。専門はレーダー気象学、天気予報技術。
佐渡谷 重信(さどや しげのぶ、1932年1月31日 - 2… 佐渡谷 重信(さどや しげのぶ、1932年1月31日 - 2019年8月14日)は、日本のアメリカ文学者、比較文学者、翻訳家。西南学院大学名誉教授。 東京生まれ。1955年早稲田大学教育学部卒。1959年西ミシガン大学大学院留学。1969年イェール大学研究員。西南学院大学教授。2003年定年退職、名誉教授。2019年8月14日、心不全のため死去、87歳。 比較文学では明治期日本文学へのアメリカ文学の影響研究や美術研究、米国作家研究で著書を多数刊行した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる… 田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる)、1932年1月31日 - 2019年11月13日)は、大阪府大阪市出身の日本の脚本家、構成作家。 早稲田大学卒業後大学院に進み、飯島正に師事。日本のテレビ放送黎明期に、外国テレビ映画の翻訳のアルバイトなどを務めたのち、脚本家デビュー。 1960年代半ばから特撮・テレビアニメ・テレビドラマ・時代劇など多くの作品を執筆し活躍する。またそれと共に戯曲も多く手掛けた。 脚本家の弟子に富田祐弘がいる。 2019年11月13日、肺がんにより東京都内の自邸にて死去。87歳没。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 … 岡田 寛(おかだ ひろし、1932年〈昭和7年〉1月30日 - 2025年〈令和7年〉11月)は、香川県高松市出身・在住の音楽評論家・ディスクジョッキー。愛称「カンさん」。 早稲田大学政治経済学部卒業。1954年に高島屋飯田に入社するが、家業の旅館業を継ぐために1年で帰郷する。 クラシック音楽・タンゴに特に造詣が深く、地元のラジオ香川→RNCラジオ(西日本放送)が開局した当初(1953年11月)から2017年10月29日まで日曜に放送されていたタンゴ音楽の専門番組「タンゴアルバム」は番組開始当初に構成作家として参加したのち、1955年よりパーソナリティーとなる。番組はじめの「タンゴファンの皆様こんにちは(後に「こんばんは」)。
三木 俊治(みき としじ、1932年(昭和7年)1月29日 … 三木 俊治(みき としじ、1932年(昭和7年)1月29日 - 2009年(平成21年)11月24日)は、日本の政治家、実業家。徳島市長、阿波製紙会長。慶應義塾大学経済学部卒業。孫(次男の娘)は女優の三木理紗子。徳島県板野郡松茂町出身。 三木産業社長・13代三木與吉郎の二男として生まれる。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28… 岩澤 信夫(いわさわ のぶお、1932年(昭和7年)1月28日 - 2012年(平成24年)5月4日)は、境循環型の稲作農法である冬期湛水不耕起栽培を提唱し、普及活動を展開した農業技術者。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校を卒業後、農業に従事。 第1回 日本の農業はコメだ(2008年9月3日放送) 第2回 耕さない田んぼが農家を変える(2008年9月17日放送) 第3回 生きものが集まり人が集まる(2008年9月24日放送) 第4回 田んぼを守るために(2008年10月1日放送)
井上 光央(いのうえ てるひさ、1932年1月28日 - )… 井上 光央(いのうえ てるひさ、1932年1月28日 - )は、毎日放送出身のフリーアナウンサー。 東京都出身で巣鴨育ち。東京都立小石川高等学校を経て、早稲田大学第一政経学部卒業後、1955年に新日本放送(現在の毎日放送)にアナウンサーとして入社。大学時代は放送研究会に所属していた。 スポーツ実況を主とし、プロ野球・南海ホークス戦をはじめ、「選抜高等学校野球大会」では開会式17回、決勝戦22回を担当し、『センバツの生き字引』と呼ばれた。また、日本シリーズでは1985年の阪神対西武戦(甲子園球場の第4戦)、大阪スタヂアム最後のオールスターとなった1986年の第2戦(清原和博(当時・西武)のオールスター初ホームランでMVPを獲得)、1988年10月15日の大阪球場での南海最後の公式戦の実況を担当した。
本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は… 本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は、日本の新聞記者・ジャーナリスト・作家。元朝日新聞編集委員。 長野県下伊那郡大島村(現在の松川町)に生まれる。 長野県飯田高松高校卒。高校3年次の担任はのちに日本古生物学会の会長を務めた鹿間時夫であった。同級に富永明夫がおり、後に本多の義兄となった。 本多には脳性小児麻痺の妹がいた。父は雑貨商を営んでおり、本多には薬科大学に進むことで薬局を加えた店の跡を継いでほしいと願っていた。本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。結局、薬剤師の資格を取得すれば好きなことをやってもよいとの妥協案を受け入れ、千葉大学薬学部に進学。
市田 儀一郎(いちだ ぎいちろう、1932年1月28日 - … 市田 儀一郎(いちだ ぎいちろう、1932年1月28日 - 2014年11月28日)は日本のピアニスト、音楽教育者、音楽学者。日本ピアノ教育連盟副会長。平成音楽大学名誉教授。 大阪府出身。武蔵野音楽大学卒業。同専攻科修了後、ミュンヘン音楽・演劇大学に留学。F.ヴューラー教授に師事。帰国後母校の教授、信州大学教授などを歴任。 2011年瑞宝中綬章受章。 J.S.バッハの平均律、シューベルトのピアノソナタ全集など古典的作品の校訂で知られる。特にハワード・ファーガソンの日本への紹介に力を入れている。 演奏技法に関しては、『バッハ平均律クラヴィーア : 解釈と演奏法. 1・2』(音楽之友社、1968年、1983年)、『バッハ・インヴェンションとシンフォニーア : 解釈と演奏法』(音楽之友社、1971年)、『ピアノ伴奏の基本と奏法』(明治図書出版、1976年)の著書がある。
田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 199… 田所 稔(たどころ みのる、1932年1月28日 - 1991年5月27日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した騎手、調教師。騎手時代の1966年にニホンピローエースで皐月賞に優勝した。 いずれも騎手・調教師の田所秀雄は実兄、田所秀孝は甥、師匠でもある小川佐助は叔父、田所清広(旧姓・佐野)は娘婿である。 1932年、北海道浦河町の農家に生まれる。実家は兄弟が多く貧しかったことから、幼少の頃に伯母の家に身を寄せた。1950年、すでに騎手となっていた兄・秀雄を頼り、その師匠で叔父の小川佐助厩舎(京都競馬場)に入門した。1953年に騎手免許を取得。初騎乗は4月26日の第1回阪神競馬8日目第2競走で、マサミドリに騎乗したが最下位に敗れた。
後藤 順治郎(ごとう じゅんじろう、1932年1月27日 -… 後藤 順治郎(ごとう じゅんじろう、1932年1月27日 - )は、群馬県出身の元プロ野球選手。 桐生高校から1950年に東急フライヤーズへ入団。1951年に退団し、翌年から地元の大生相互銀行野球部に所属した。 1955年に西鉄ライオンズでプロ復帰。1957年に引退した。
福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022… 福田 晃(ふくだ あきら、1932年1月26日 - 2022年1月9日)は、日本の国文学者・民俗学者。専門は説話文学。学位は、文学博士(國學院大學・論文博士・1985年)(学位論文「神道集説話の成立」)。立命館大学名誉教授。 福島県会津若松市出身。1950年3月に福島県立会津工業高等学校を卒業後、5年間の社会人生活を経て、1955年4月に國學院大學文学部に入学する。入学当初は、国語の教員をしながら小説を書く生活を送りたい、と考えていたため近現代文学を志し、当時同大学英文科で教鞭を採っていた丸谷才一と親交を深める。ただし、丸谷は近現代文学を専攻することをよしとせず、同大学の中でも教学条件が整っている古典文学を専攻するように勧めたことで、その後の進路を決めた。
中村 武春(なかむら たけはる、1932年1月26日 - )… 中村 武春(なかむら たけはる、1932年1月26日 - )は、日本の経営者。中山製鋼所社長、会長を務めた。 東京都出身。1955年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に八幡製鉄に入社。1981年6月に中山製鋼所取締役に就任し、1985年11月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月には社長に就任。1997年6月には取締役相談役に就任。
吉岡 桂六(よしおか けいろく、1932年1月26日- )は… 吉岡 桂六(よしおか けいろく、1932年1月26日- )は、俳人、マレーシア文学者。 本名・一彦。東京生まれ。1954年東京大学工学部卒業。1982年原子燃料開発の職を辞し、日本語教師となり、マレーシア科学大学に赴任。1986年帰国後、アメリカ・カナダ大学連合日本研究センター講師。1990年「林」入会、92年「林」同人、2月小林康治主宰死去により廃刊、「たかんな」創刊同人。1993年「古志」創刊に参加、同人。2006年「たかんな」「古志」退会。2007年「かつしか」創刊・主宰。俳人協会会員。1989『パントン―マレー民衆の唄』(一彦名義)で日本翻訳文化賞 (平松)受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
國保 徳丸(くにやす とくまる、1932年1月26日 - 2… 國保 徳丸(くにやす とくまる、1932年1月26日 - 2021年11月22日)は、日本の経営者。テレビ愛知社長を務めた。 東京都出身。1954年に早稲田大学法学部を卒業し、同年に日本経済新聞社に入社。1971年5月にテレビ東京に転じ、1978年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1985年6月に専務、1990年6月に副社長を経て、1991年6月にはテレビ愛知社長に就任。1997年6月には会長を経て、1999年6月には相談役に退いた。 2021年11月22日に死去。89歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
伊藤 公象(いとう こうしょう、英語: Kosho Ito、… 伊藤 公象(いとう こうしょう、英語: Kosho Ito、本名: 伊藤 一成、1932年1月26日 - 2024年7月6日)は、土を素材とした陶造形で知られる日本の美術家。金沢美術工芸大学名誉客員教授。 1932年石川県金沢市生まれ。1972年より茨城県笠間市を制作の拠点としている。1970年代より国内外の美術館や国際展において作品を発表している。息子はアーティストの伊藤遠平。 1932年に象嵌の名手として知られた彫金家だった伊藤勝典の長男として石川県金沢市に生まれる。戦時中に若くして父を亡くし、14歳から加賀九谷焼の名工である中村翠恒の門下に入る。弟子の少ない少数精鋭の工房だったこともあり、粘土作りから、窯場の仕事、釉薬の調合などの技術をわずか数年で学ぶことになる。
柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 20… 柴田 侑宏(しばた ゆきひろ、1932年1月25日 - 2019年7月19日)は、日本の劇作家・舞台演出家。宝塚歌劇団専属として活躍した。兄は映画監督の松尾昭典。 大阪府大阪市出身。芝居好きの母に連れられて幼い頃から舞台に親しむ。11歳のときに父が病死、13歳のとき、父の墓参りに訪れた豊橋市で終戦を迎える。戦時中は手に職をつけるために、大阪府立今宮工業学校(現・大阪府立今宮工科高等学校)へ進学。 1950年、大阪府立高津高等学校を卒業後、関西学院大学文学部美学科に入学。大学卒業後に兄の松尾を頼り上京、劇作を志して東京で脚本を書き溜めていたが、26歳のときに宝塚のテレビドラマの脚本募集を知って応募したところ入選、1958年4月、演出助手として阪急電鉄(宝塚歌劇団)に就職する。
下村 幸男(しもむら さちお、1932年1月25日 - )は… 下村 幸男(しもむら さちお、1932年1月25日 - )は、広島県広島市中区十日市町(旧・鷹匠町)出身 の元サッカー日本代表選手(GK)・指導者。
齊藤 誠二(さいとう せいじ、1932年1月25日 - 20… 齊藤 誠二(さいとう せいじ、1932年1月25日 - 2010年10月19日)は、日本の法学者。刑法学者。刑事訴訟法学者。弁護士。東京出身。法学博士(一橋大学、1966年)。博士(医学)(筑波大学、1990年)。「斉藤 誠二」とも表記される。筑波大学教授、中央大学教授、ミュンヘン大学客員教授、マンハイム大学客員教授等を歴任した。 学外として、ミュンヘン大学刑法研究所客員教授、マンハイム大学法学部客員教授、文部省学術審議会専門委員(1988年-1990年)、日本刑法学会理事(1988年-1994年)、宇宙開発事業団有人研究倫理委員会委員(1996年-1999年)、日本臓器移植ネットワーク常任理事(1997年-2010年) 専門は刑法学全般。
古川 研二(ふるかわ けんじ、1932年(昭和7年)1月25… 古川 研二(ふるかわ けんじ、1932年(昭和7年)1月25日 - 2016年(平成18年)4月28日)は、日本の政治家。滋賀県草津市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 滋賀県出身。1954年三重大学農学部農学科卒。卒業後は滋賀県庁に入り、農政課長、彦根事務所長、生活環境部長などを歴任し、草津市役所に転じ、市助役、市コミュニティ事業団理事長、湖南衛生プラント組合副管理者、市土地開発公社副理事長、湖南消防組合副管理者などを務める。1995年の草津市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年の市長選挙で三選を目指したが、元滋賀県議会議員の芥川正次に敗れた。同年秋の叙勲で旭日小綬章を受章。
増山 美知子(ますやま みちこ、1932年1月24日 - 2… 増山 美知子(ますやま みちこ、1932年1月24日 - 2023年4月18日)は、日本のソプラノ声楽家。大阪府出身。 東京女子大学短期大学部卒業。同年、東京藝術大学音楽部声楽科入学。オペラ科を経て同大学卒業。在学中、矢田部勁吉に師事。ミラノではカンポ・ガリアーニ、ジュリー・テッス、ロゼッタ・エリーに師事。ドイツ系の曲は、中山悌一、ゲルハルト・ヒュッシュ、ヴァイセンボルンに師事。 安宅賞受賞2回。国際芸術文化賞受賞。アメリカよりフェローの称号を受ける。文化庁長官表彰受賞。2006年11月9日、園遊会に招待され、当時の天皇・皇后より「お言葉」を賜る。二期会会員、日本演奏連盟会員、日伊音楽協会会員、日独協会会員。
高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本… 高見圭司(たかみけいし、1932年1月23日 - )は、日本の新左翼活動家。元日本社会党青年対策部長、日本社会主義青年同盟解放派幹部である。革労協が分裂した際には解放派全協(労対派)へ参加した。スペース21の中心的存在である。 現在はスペース21を主宰し、連帯社(解放派全協)に関わっている。新運転に所属する「現役」の労働者(実際に仕事をしているわけではない)である。新運転では反主流派としてグループを形成し活動しており、執行部と組合運営を巡り対立、排斥され訴訟を行ったりした。 三里塚闘争(成田空港問題)の活動にも参加している。2017年現在も三里塚芝山連合空港反対同盟(旧熱田派)の活動に「スペース21」所属として参加している。
依田 明(よだ あきら、1932年1月23日 - 2015年… 依田 明(よだ あきら、1932年1月23日 - 2015年11月)は、日本の心理学者。横浜国立大学名誉教授。2011年瑞宝中綬章受章。 東京生まれ。父は依田新。1954年東京大学文学部心理学科卒、1959年同大学院博士課程満期退学、東京大学助手、1962年横浜国立大学講師、1964年助教授、1975年教授。1997年定年退官、名誉教授、昭和女子大学文学部心理学科教授、2002年退職。2011年瑞宝中綬章受章。 「ひとりっ子」の日中比較研究を行い、「きょうだい順心理学」を提唱した。
大隅 俊平(おおすみ としひら、1932年〈昭和7年〉1月2… 大隅 俊平(おおすみ としひら、1932年〈昭和7年〉1月23日 - 2009年〈平成21年〉10月4日)は、群馬県太田市出身の刀匠。本名は貞男(ただお)。重要無形文化財保持者(人間国宝)、太田市名誉市民。 群馬県新田郡沢野村富沢(現・太田市富沢町)に生まれる。沢野小学校卒。 1952年(昭和27年)に長野県坂城町の宮入行平(後人間国宝)のもとに入門。1958年(昭和33年)日本美術刀剣保存協会の作刀技術発表会で優秀賞を受賞する。 1960年(昭和35年)独立。1967年(昭和42年)に新作名刀展特賞受賞(以降6年連続受賞)、1974年(昭和49年)・1976年(昭和51年)・1978年(昭和53年)の3度「正宗賞」を受賞。
田中 昌人(たなか まさと、1932年1月22日 - 200… 田中 昌人(たなか まさと、1932年1月22日 - 2005年11月18日)は、日本の障害児教育学者・発達心理学者・教育者。 東京生まれ。京都大学教育学部卒。精神薄弱児施設滋賀県立近江学園に勤務、精神遅滞児について研究。1958年大津市の集団検診に参加、1963年創設された重症心身障害児施設びわこ学園で療育記録映画「夜明け前の子どもたち」を製作。1967年に結成された全国障害者問題研究会の初代全国委員長。1970年京都大学教育学部助教授、1979年教授。1996年定年退官、名誉教授、龍谷大学教授。2002年退職。2010年大学評価学会田中昌人記念学会賞が設定された。1985年人間発達研究所設立,初代所長。