三原 葉子(みはら ようこ、1933年1月10日 - 201… 三原 葉子(みはら ようこ、1933年1月10日 - 2013年7月1日)は、日本の女優である。現役当時の公称サイズは身長162 cm, 体重52 kgであった。本名は藤原 正子(ふじわら まさこ)。 1933年(昭和8年)1月10日、岩手県盛岡市鉈屋町に生まれる。生家は毛皮商で、盛岡市立盛岡第一高等女学校(現在の盛岡市立高等学校)を卒業する。 1951年(昭和26年)10月、新東宝に「第一期スターレット」として入社する。翌1952年(昭和27年)、『風雲七化け峠』(並木鏡太郎監督)で銀幕デビュー。1957年(昭和32年)、石井輝男監督『肉体女優殺し 五人の犯罪者』でストリッパー役に起用され、その肉体美と演技で人気を博す。
三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013… 三善 晃(みよし あきら、1933年1月10日 - 2013年10月4日)は、日本の作曲家。位階は従四位。三善清達の弟。 東京府東京市杉並区阿佐谷(現:東京都杉並区)に生まれる。幼少期より自由学園でピアノ演奏法、音楽基礎を学ぶ。小学校入学の頃から高校まで、ヴァイオリン演奏法と作曲を平井康三郎、のち池内友次郎に師事する。都立高等学校尋常科から同高等科を経て、東京大学に入学。文学部仏文科在学中の1955年から1958年にかけて、フランス政府給費学生としてパリ国立高等音楽院に留学、のち中退。在学中はアンリ・シャラン、レイモン・ガロワ=モンブランに師事した。 1960年、東大文学部仏文科卒業。1963年東京芸術大学講師、1966年桐朋学園大学教授、1970年芸術祭優秀賞受賞。
栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月… 栗林 貞一(くりばやし ていいち、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 2016年〈平成28年〉3月2日)は、日本の運輸官僚。第26代海上保安庁長官。 新潟県新潟市出身。1951年(昭和26年)3月に新潟高等学校を卒業、1955年(昭和30年)3月に東京大学法学部を卒業、4月に運輸省に入省、鉄道監督局総務課に勤務。 1981年(昭和56年)に運輸省航空局飛行場部長に就任、航空局次長、貨物流通局長を歴任、1985年(昭和60年)に運輸政策局長に就任、1986年(昭和61年)に第26代海上保安庁長官に就任。 1989年(平成元年)に日本航空に入社、常務取締役、専務取締役を歴任、1993年(平成5年)に副社長に就任、1997年(平成9年)に日本アジア航空代表取締役会長に就任、2001年(平成13年)に特別顧問に就任。
田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本… 田口 計(たぐち けい、1933年1月10日 - )は、日本の俳優、声優。 次男は俳優の岩田和樹、甥は作家の吉岡忍。 長野県南佐久郡臼田町(現・佐久市)出身。高校生時に替え玉試験で停学となった際、ラジオで田村秋子が出演した文学座公演「姫岩」の舞台中継を聞いたことで、役者の仕事に興味を持つ。 長野県野沢北高等学校を卒業後、東京大学文学部英文学科を卒業。 大学在学中の1955年、山本薩夫の監督映画『愛すればこそ』で銀幕デビューし、以後も多数の映画に出演。 1958年頃からはテレビ関係の仕事も増え、多くのドラマに出演。その一方、TBSの須子というプロデューサーに「口説かれた」ことを機に、吹き替えで声優としても活動するようになる。
由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 200… 由井 正臣(ゆい まさおみ、1933年1月10日 - 2008年4月4日)は、日本の歴史学者、早稲田大学名誉教授。専攻は日本近代史。近代日本における軍部の成立や田中正造についての研究で知られる。 長野県南佐久郡出身。長野県野沢北高等学校を経て、1956年早稲田大学第一文学部史学科卒業。1957年国立国会図書館職員、1963年国立国会図書館憲政資料室勤務、1968年国立国会図書館を退職し、駒澤大学文学部講師に着任。1971年同助教授。1973年早稲田大学文学部助教授。1978年同教授。2003年早稲田大学を定年退職、名誉教授。墓所は多磨霊園(10-2-10)。
岩山 太次郎(いわやま たじろう、1933年(昭和8年)1月… 岩山 太次郎(いわやま たじろう、1933年(昭和8年)1月10日 - )は、日本のアメリカ文学者、同志社大学名誉教授。元学長。 京都府出身。同志社中学校、高校卒、1955年同志社大学文学部英文科卒、58年同大学院修士課程修了、助手。 1960年代初頭にケニオン大学とアイオワ州立大学に留学。 1962年アイオワ大学英文科Master of Fine Arts(修士)修了、63年同志社大学文学部専任講師、65年助教授、71年文学部教授、86年文学部長、92年学長。2003年退任、名誉教授。 専門は19世紀アメリカ・リアリズム文学論、モダニズム以降のアメリカ詩、ユダヤ系作家の小説群。 修士論文の対象としてヘンリー・ジェイムズを選択。
森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月1… 森西 栄一(もりにし えいいち、1933年(昭和8年)1月10日 - 1970年(昭和45年)2月13日)は、1964年東京オリンピック開催時の「東京オリンピック組織委員会」の職員。 そして1964年東京オリンピック開催準備の一貫として企画組織された「聖火リレーコース踏査隊」の一員であった。 1933年(昭和8年)1月10日、徳島県木屋平林(現:美馬市)に生まれた。 木屋平村立三ツ木小学校、三ツ木中学校、徳島県立城東高等学校と在学進学し卒業後上京し、タクシー会社「帝産オート」永田町営業所でタクシー運転手として働きながら、法政大学二部(夜間学部)法学部に通っていた。 ある日、森西が運転するタクシーに、1964年東京オリンピック開催準備に関わっていた亀倉雄策と丹下健三が乗り合わせた。
舩井幸雄(ふない ゆきお、1933年1月10日 - 2014… 舩井幸雄(ふない ゆきお、1933年1月10日 - 2014年1月19日)は、大阪府出身の経営コンサルタント。
大崎 仁(おおさき ひとし、1933年〈昭和8年〉1月10日… 大崎 仁(おおさき ひとし、1933年〈昭和8年〉1月10日 - )は、日本の文部官僚。 東京都出身(新潟県出身とする資料あり)。1955年京都大学法学部卒業後、文部省入省。文部省の中枢を歩み、筑波大学を作った学術行政の官僚。国が大学へ研究委託する道(通称未来開拓事業)を制度化し、科学立国への基礎を築いた。 教職員養成課長、大学課長、高等教育計画課長、官房総務課長、学術国際局の審議官、学術国際局長、高等教育局長、1988年まで文化庁長官、日本学術振興会理事長等を歴任。1988-90年東京国立近代美術館館長。2001年「戦後大学改革の研究」により京都大学博士(教育学)。現在、人間文化研究機構機構長特別顧問、IDE大学協会副会長(2011年当時)。
塩出 啓典(しおで けいすけ、1933年(昭和8年)1月10… 塩出 啓典(しおで けいすけ、1933年(昭和8年)1月10日 - 2009年(平成21年)2月9日)は、日本の政治家。公明党参議院議員(4期)。 愛媛県周桑郡小松町(現西条市)出身。1955年、京都大学工学部冶金学科卒業。同年、八幡製鉄所に勤務。1967年の第31回衆議院議員総選挙で広島3区から公明党公認で立候補したが落選。翌1968年の第8回参議院議員通常選挙で初当選。4期務めた。 この間、参議院科学技術振興対策特別委員長、同法務委員長、公明党副書記長などを歴任した。4期目途中の1990年の第39回総選挙で広島1区から立候補したが、落選した。2009年2月9日、間質性肺炎のため松江市の病院で死去。
阿南 惟正(あなみ これまさ、1933年1月10日 - 20… 阿南 惟正(あなみ これまさ、1933年1月10日 - 2019年3月3日)は、日本の実業家。新日本製鐵副社長、太平工業社長を歴任し、実業界を退いてから公立大学法人北九州市立大学理事長を務めた。 父は鈴木貫太郎内閣の陸軍大臣を務めていた阿南惟幾大将で、惟正は6人兄弟の四男である。 兄弟のうち、長男は早逝した。兄に次男の惟敬(防衛大学校教授)、三男の惟晟(陸軍少尉、1943年戦死)、弟に五男の惟道(講談社のオーナー家である野間家に婿入りして野間惟道。講談社第5代社長)、六男の惟茂(外交官、中華人民共和国駐箚特命全権大使)がいる。 叔父に宮城事件の関係者である竹下正彦(陸軍中佐・陸将・参謀本部編制班長兼動員班長・陸軍省軍務局軍務課内政班長・第4師団長(陸自)・陸上自衛隊幹部学校長)、義妹に野間佐和子(講談社第6代社長)、甥に野間省伸(講談社第7代社長)がいる。
田宮 裕(たみや ひろし、1933年〈昭和8年〉1月10日 … 田宮 裕(たみや ひろし、1933年〈昭和8年〉1月10日 - 1999年〈平成11年〉1月12日)は、日本の法学者。専門は刑事法。刑事訴訟法の第一人者として知られる。田宮の学説体系は「田宮刑訴」と言われ、刑事手続きの実務全般に大きな影響を与えた。1960年(昭和35年)日本刑法学会賞受賞。立教大学名誉教授。法学博士(東京大学・論文博士・1989年)。1998年(平成10年)紫綬褒章受章。 1955年、東京大学法学部卒業、東京大学法学部助手(指導教官は団藤重光、平野龍一)。1958年、北海道大学助教授、1962年から1964年までミシガン大学留学。1968年、立教大学法学部法学科教授。1998年、亜細亜大学教授。
藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9… 藤島 泰輔(ふじしま たいすけ、1933年(昭和8年)1月9日 - 1997年(平成9年)6月28日)は、日本の小説家、評論家、新聞記者。ポール・ボネ名義の著作も多数刊行。ジャニーズ事務所元名誉会長のメリー喜多川は内縁の妻で、のちに先妻・高浜朋子と離婚が成立し再婚。同事務所元社長の藤島ジュリー景子は娘。 日本銀行監事の藤島敏男・孝子夫妻の長男として東京府東京市に生まれる。生母・孝子の死後、継母・紀子(父・敏男の後妻)に育てられる。 初等科から大学まで学習院に学ぶ。皇太子明仁親王の学友の一人で、共にエリザベス・ヴァイニング(ヴァイニング夫人)の教育を受けている。ただ大学卒業後は疎遠であったという。
伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国… 伊藤 竹男(いとう たけお、1933年1月9日 - )は、国営競馬、日本中央競馬会の騎手ならびに調教師であった人物。 1951年に国営競馬(後の日本中央競馬会)でデビュー。キタノオー、ダイゴホマレ、ガーネット、ニットエイトなどに騎乗して八大競走8勝、通算では471勝を挙げた。特に追い込みを身上とした勝負強い騎手として知られた。1972年より調教師として厩舎開業し、1998年8月に引退。日本中央競馬会調教師の伊藤伸一は長男。1958年初頭までは「勝尾(かつお)」姓であった。 1933年、北海道札幌市に生まれる。両親は市内で「入枡」という天ぷら店を経営しており、常連であった騎手兼調教師の上村大治郎に数頭の競走馬を預けてもいた。
小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日… 小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日 - 2017年(平成29年)5月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。成田市長(第12・13代)。 千葉県成田市上町に生まれる。父は成田バス(現千葉交通)に勤めており、市内にある同社社宅で暮らす。 3歳のときに母が死去し、祖父母の手で育てられる。なお、祖父は多古線の駅長をしており、父も成田バスで務める前は曽祖父とともに千代田駅前から宮内庁下総御料牧場へ肥料・飼料・資材等を運搬する運送業を営んでいた。 1936年に父が召集され、1946年の復員までの間、一家は困窮する。戦後の物資不足の中、食料品などを隠匿しヤミに流して儲ける者を目の当たりにし、世の中の矛盾した姿を心に焼き付ける。
米谷 美久(まいたに よしひさ、1933年1月8日 - 20… 米谷 美久(まいたに よしひさ、1933年1月8日 - 2009年7月30日)は、日本の光学技術者。元オリンパス光学工業常務。 香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、早稲田大学第一理工学部機械工学科卒業。 醤油醸造業を営む家庭に生まれる。高校生の頃から父親の持っていたライカのカメラで撮影を行い、早稲田大学に進むと在学中にカメラの内部構造に関する特許など4件を取得している。1956年(昭和31年)に同大学を卒業してオリンパス光学工業に入社。 入社3年目の1959年(昭和34年)に、当時の標準的なカメラの3分の1程度の価格となる6,000円で質の高いカメラを作るように命ぜられた。
倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日… 倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日本のジャーナリスト。冒険家。社会活動家。 父は長野市長を務めた倉島至。叔父は気象学者の倉嶋厚。 中国・北京生まれ。朝鮮総督府に勤務する父の転勤に伴い、現在の北朝鮮と韓国を転住。終戦後、長野市に引き揚げ。長野県長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学第一政治経済学部政治学科を卒業後、1955年に毎日新聞社入社。 毎日新聞社入社後は福島支局に配属される。福島在勤2年目の1957年、松川事件で死刑判決を受けて上告中の被告人のアリバイを立証する証拠である『諏訪メモ』を福島地方検察庁郡山支部の支部長が保管していることを掴んだ。検事への聞き取り調査を進めて諏訪メモの存在を確認し、1957年6月29日付毎日新聞福島版記事でこれをスクープ報道。
伊理 正夫(いり まさお、1933年(昭和8年)1月7日 -… 伊理 正夫(いり まさお、1933年(昭和8年)1月7日 - 2018年(平成30年)8月13日)は、日本の数学者・工学者。東京大学名誉教授、元同大学工学部学部長・中央大学理工学研究所所長。学位は、工学博士(東京大学)。専門は、数理工学・応用数学(例えば数値解析、線形計画法、マトロイド理論、計算幾何学など)。 1951年、麻布高等学校卒業、東京大学理科一類入学。1955年3月、東京大学工学部応用物理学科(数理工学専修コース)を卒業。1960年3月、東京大学大学院数物系研究科応用物理学専門課程博士課程を修了し、同年工学博士の学位を取得。 1960年4月より九州大学工学部通信工学科助手に就任し、同年12月、助教授となる。
木澤 博司(きざわ ひろし、1933年1月7日 - 2007… 木澤 博司(きざわ ひろし、1933年1月7日 - 2007年9月14日)は東京都中野区生まれ、岡山県出身の自動車エンジニア。 本田技研工業の開発部門である本田技術研究所の元専務。日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)卒。 ホンダ四輪の草創期からのメンバーで、シビックの開発責任者としても知られる。その後もアコードなどの基幹車種に携わり、今日のホンダの経営に貢献した。 大学卒業後、日野自動車系列でオリエントブランドでオート3輪の製造・販売を行っていた三井精機工業に入社。埼玉県の桶川工場にあった実験課に5年間勤務した。この頃に所属していた小型自動車協会で海外の小型車に触れる機会を得るとともに、後のホンダF1の監督である中村良夫と出会い、中村の誘いで1963年に四輪に進出して間もない本田技研工業に中途入社。
長澤 雅男(ながさわ まさお、1933年1月6日 - 201… 長澤 雅男(ながさわ まさお、1933年1月6日 - 2018年3月11日)は、日本の図書館情報学者、東京大学名誉教授。 島根県松江市生まれ。1958年、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。1961年、ジョージ・ピーボデー大学大学院修士課程修了。1958年、国際基督教大学図書館勤務、1960年、慶應義塾大学文学部講師、助教授、1973年、東京大学教育学部助教授、教授、1993年、定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学教授。2003年、退職。日本図書館情報学会会長を務めた。 日本図書館協会発行の『日本の参考図書 補遺版』『日本の参考図書 解説総覧』の編集委員長を務めた。
辻 成史(つじ しげぶみ、1933年1月6日- )は、日本の… 辻 成史(つじ しげぶみ、1933年1月6日- )は、日本の美術史家。大阪大学名誉教授。専門は古代末期、ビザンティン・中世美術、図像学。 1933年、東京で生まれた。東京芸術大学美術学部芸術学科で学び、1958年に卒業。立教大学大学院文学研究科組織神学専攻に進学し、修士課程を修了。プリンストン大学に留学して1966年に博士号を取得。 清泉女子大学教授を経て、1977年大阪大学文学部助教授に就任。1989年、同文学部教授に昇格。1996年に大阪大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は金沢美術工芸大学教授として教鞭を執り、2000年からは大手前大学人文科学部教授をつとめた。また、西宮市大谷記念美術館館長を務める。
亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004… 亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004年5月20日)は、日本の技術者、実業家。川崎重工業代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本造船工業会会長等を歴任した。 茨城県水戸市出身。1955年横浜国立大学工学部卒業、川崎重工業神戸造船所造船工作部技師。野田工場長、取締役産機・鉄構事業本部副事業本部長兼FA・ロボット事業部長、専務取締役資材本部長・営業総括本部副本部長などを経て、1997年代表取締役社長。1998年弘陵造船航空会会長。1999年から日本造船工業会会長や日本産業機械工業会副会長、次世代金属・複合材料研究開発協会理事長、関西経済連合会科学技術委員会委員長、通商産業省航空機工業審議会委員、運輸省海運造船合理化審議会委員を務め、韓国企業に対する批判などを展開した。
田村 孟(たむら つとむ、1933年〈昭和8年〉1月5日 -… 田村 孟(たむら つとむ、1933年〈昭和8年〉1月5日 - 1997年〈平成9年〉3月28日)は日本の脚本家。青木 八束(あおき やつか)名義で小説家としても活動した。 群馬県甘楽郡妙義町(現・富岡市)出身。群馬県立富岡高等学校を経て、1955年東京大学文学部国文学科卒(卒業論文は「内村鑑三研究序説」)。高校生時代、大学生時代とも演劇をやっていたが、日本映画を一本も見たことが無く、映画監督などにもなる気は無かったという。 元々新聞記者志望で、産経新聞に入社が内定していたが、「胸に影あり」と診断されたことで採用が先延ばしになり、改めて松竹の試験を受け、1955年、松竹大船撮影所に入社。大島渚、石堂淑朗らと松竹ヌーヴェルバーグに関わる。
堀尾 輝久(ほりお てるひさ、1933年〈昭和8年〉1月5日… 堀尾 輝久(ほりお てるひさ、1933年〈昭和8年〉1月5日 - )は、日本の教育学者。東京大学名誉教授。専攻は教育学、教育思想史。元NHKアナウンサーの杉山邦博は実兄。美術史家で文化学園大学名誉教授の堀尾真紀子は妻。 勝田守一の「国民の教育権」論、宗像誠也の内外事項区分論を継承し、それらを発展させつつ、コンドルセ Condrcet1743-94ら、近代初期の教育思想に、幸徳秋水やホブソンなどの先駆的な「帝国主義」に関する論など国家論・社会論を接続して、その現代的再構成を試みた。現代公教育を、支配者階級による被支配者階級の「教化 indoctorination」システムと定位し、近代における教育拡大(教育の機会均等・義務教育の普及など)を批判的に把捉した。
小澤 啓一(おざわ けいいち、1933年1月5日 - )は日… 小澤 啓一(おざわ けいいち、1933年1月5日 - )は日本の映画監督。鹿児島県川辺郡川辺町平山(現・南九州市)出身。本籍は山口県萩市であった。 三歳で父の転任により台湾へ移住、大戦後に日本へ引き上げた。鹿児島県立川辺高等学校を経て早稲田大学第一文学部在学中、遠縁の田中龍夫の伝手で小國英雄のシナリオ工房に通う。卒業後の1956年に日活に入社、川島雄三、井上梅次らの助監督を務めた後は、主に舛田利雄に師事、舛田の映画製作に大きく影響されたという。 1968年、『大幹部 無頼』で監督デビュー。以降「無頼」シリーズとしてヒットさせ、渡哲也主演作品を最も多く(計10作品)メガホンを取り、長谷部安春・澤田幸弘らとともに「日活ニュー・アクション路線」の旗手として活躍。
米山 光男(よねやま みつお、1933年1月5日 - )は、… 米山 光男(よねやま みつお、1933年1月5日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(遊撃手)・コーチ・監督。1955年から1956年の登録名は米山 祐昭。
川端 善明(かわばた よしあき、1933年〈昭和8年〉1月5… 川端 善明(かわばた よしあき、1933年〈昭和8年〉1月5日 - )は、日本の国語学者・国文学者。学位は、文学博士(九州大学・論文博士・1989年)。京都大学名誉教授。 京都府生まれ。1955年(昭和30年)京都大学文学部国語国文学科卒業、1961年(昭和36年)同大学院博士課程単位取得満期退学。 同退学後、大阪女子大学助手、講師、助教授、1974年(昭和49年)京都大学教養部助教授、教授、1996年(平成8年)定年退官、名誉教授、大谷女子大学教授、2001年(平成13年)京都女子大学教授。2005年(平成17年)退職。1989年(平成元年)「活用の研究」で九州大学より文学博士の学位を取得。 妻は佐野えんねの長女の川端春枝、長女は児童文学研究者の川端有子、長男は日本史学者の川端新。
小佐井 伸二(こさい しんじ、1933年1月5日 - 200… 小佐井 伸二(こさい しんじ、1933年1月5日 - 2009年2月23日)は、日本の作家、フランス文学者、翻訳家。 東京出身。京都大学文学部仏文科卒、同大学院博士課程中退。 1961年「沈める寺」を『新潮』に発表して作家デビュー。その翌年の1962年「雪の上の足跡」で芥川賞候補。京都大学文学部助手、青山学院大学文学部助教授、教授。フランス文学のほか美術研究を翻訳、また『文藝』などに小説を書いた。2000年に青山学院大を定年退職し、名誉教授となる。大学の教え子だった声優の鈴木弘子と結婚していたことがある。 2009年食道癌の為、神奈川県川崎市の私邸にて逝去。76歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
米内 義人(よない よしと、1933年1月5日 - 2017… 米内 義人(よない よしと、1933年1月5日 - 2017年6月13日)は日本の教育・文化映画の脚本・演出家、シナリオライター、監督。代表作に「振動の世界」、「日本住血吸虫」や「水車から電気へ」などがある。父は日本画家の米内穂豊。兄は米内貞弘。 米内義人は、1933年(昭和8年)1月5日、東京市本郷区に生まれる。東京学芸大学学芸部史学科中退。日本大学芸術学部映画学科卒業。1958年(昭和33年)に監督として第一作の「美和ダム建設記録」を発表、同年から東映株式会社専属契約監督。1963年(昭和38年)から株式会社桜映画社で脚本・演出家として活躍。1967年(昭和42年)、東京文映株式会社に入社、取締役に就任、1979年(昭和54年)同社退社。
岩下 豊彦(いわした とよひこ、1933年1月5日 - 20… 岩下 豊彦(いわした とよひこ、1933年1月5日 - 2018年5月27日)は、日本の心理学者。早稲田大学名誉教授。 岩手県盛岡市出身。早稲田大学文学部心理学科卒、同大学院博士課程中退、1969年「対人好悪感情の生起およびその認知の機制に関する基礎的研究」で文学博士。日本放送協会総合放送文化研究所勤務ののち、早大文学部助教授、教授、2004年定年、名誉教授。
大平 和登(おおひら かずと、1933年(昭和8年)1月5日… 大平 和登(おおひら かずと、1933年(昭和8年)1月5日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、元東宝インターナショナル代表取締役・エッセイスト・演劇評論家・プロデューサー。 広島市生まれ、山口県出身。1956年(昭和31年) 早稲田大学文学部仏文科卒業後、東宝株式会社入社。 1961年(昭和36年) 米国ロスアンジェルス東宝ラブレア劇場支配人。1963年(昭和38年) ニューヨーク東宝シネマ支配人。 1965年(昭和40年) 帰国。東宝東和宣伝企画課長(出向)。 1969年(昭和44年) ニューヨーク再赴任。東宝ニューヨーク駐在代表(以後2004年まで在住)。 1985年(昭和60年) 第2回山路ふみ子文化賞受賞。
市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月… 市川 昭介(いちかわ しょうすけ、1933年(昭和8年)1月4日 - 2006年(平成18年)9月26日)は、日本の作曲家。 福島県郡山市出身。福島県立郡山工業高等学校(現・福島県立郡山北工業高等学校)を卒業した18歳の頃、ハワイアンバンドでの歌手デビューを目指し上京。歌手の高倉敏、鶴田六郎らの付き人(かばん持ち)をする傍ら、作曲とピアノを独学で学ぶ。 1961年(昭和36年)、島倉千代子が歌い第3回日本レコード大賞作曲奨励賞を受賞した『恋しているんだもん』でデビュー。 1962年(昭和37年)、畠山みどりの『恋は神代の昔から』がミリオンセラーとなり、翌年の『出世街道』も連続のミリオンセラーを記録。
石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日… 石橋 雅史(いしばし まさし、1933年〈昭和8年〉1月4日 - 2018年〈平成30年〉12月19日)は、日本の俳優、空手家。段位は剛柔流九段・極真カラテ七段。本名:石橋 雅美()。 台湾花蓮港庁花蓮港街で生まれ、福岡県柳川市へ転居。福岡県立伝習館高等学校、日本大学藝術学部演劇学科卒業。竹内事務所に所属していた。 父は職業軍人で、弟が二人いる。終戦で福岡県柳川市へ引き揚げ、高校卒業まで過ごす。 1956年、大学卒業と同時に文化座演劇研究所、文学座付属演劇研究所に入り俳優の道を進む。やがて文化座の劇団員となるが、八百屋の小僧、パチンコ屋の店員、荷かつぎ人夫、学生時代から修行をしている空手では大山道場と草創期の極真会館で師範代をして生活費を稼ぎ、演劇『その人を知らず』(1957年)、『炎の人』(1958年)などの舞台に立つ。
今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 201… 今井 重幸(いまい しげゆき、1933年1月4日 - 2014年1月4日 )は、日本の現代音楽作曲家、舞台演出家、構成作家。別名にまんじ 敏幸(まんじ としゆき)、島 敏幸(しま としゆき)。 純音楽や歌曲の作曲活動だけでなく、映像音楽、劇音楽、舞踊音楽などにも多くの作品を残す一方、まんじ敏幸の別名で舞台・演劇の構成作家や演出を手がけ、劇団を創設した。さらに島敏幸のペンネームで歌曲の作詞をするなど、ジャンルを超えた幅広い芸術活動を精力的に展開してきた。その間、ヨネヤマ・ママコ、三条万里子、土方巽、小松原庸子らを指導し、世に送り出した。また、土方巽や“舞踏(BUTOH)”の命名者としても知られる。
半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日… 半田 正夫(はんだ まさお、1933年1月3日 - )は、日本の法学者(知的財産法・民法)。元学校法人青山学院理事長、元青山学院大学学長。法学博士(北海道大学、1967年)(学位論文「著作権の一元的構成について」)。弁護士(第二東京弁護士会)。北海道札幌市出身。
加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年… 加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年3月20日)は、日本のバレーボール選手、バレーボール全日本選手、バレーボールペルー女子代表監督。 無名であったペルーのバレーボールチームを世界のトップレベルまで引き上げて、わずか3年で1968年のメキシコ五輪ではチームを4位入賞へと導いた。 神奈川県小田原市出身。慶應義塾大学法学部在学時からバレーボールの選手として活躍する。1955年に八幡製鉄に入社し、1960年に主将を務めた。1960年世界選手権に出場した後、現役を引退した。 1961年、加藤の大学の先輩で母校の監督をしていた松平康隆から加藤に「後任として監督をしないか」という誘いがあり、加藤はこれを引き受けた。
村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年… 村上 敦(むらかみ あつし、1933年1月3日 -2018年1月16日 )は、日本の経済学者。神戸大学名誉教授。関西国際大学初代学長・名誉教授。瑞宝中綬章受章。 神戸市出身。兵庫県立神戸高等学校を経て神戸大学経済学部を1955年に卒業。1957年、同大学院経済学研究科修士課程を修了し、神戸大学経済学部助手となる。1960年に講師、1963年助教授を経て、1971年に教授に就任した。 1972年、論文「低開発国の経済発展と貿易政策」で経済学博士号を取得。1996年、神戸大学を定年退官し、名誉教授となる。同年より、関西女学院短期大学教授。関西国際大学の初代学長及び同大学の名誉教授を歴任した。
西村 肇(にしむら はじめ、1933年1月3日 - 2024… 西村 肇(にしむら はじめ、1933年1月3日 - 2024年11月17日)は、日本の化学者、東京大学名誉教授。研究工房シンセシス主宰。 東京生まれ、満洲育ち。1946年引き揚げ。1957年東京大学工学部機械工学科卒業。1959年同大学院化学工学科修士課程修了。航空宇宙技術研究所勤務。1965年工学博士。1966年東大工学部化学工学科助教授、1980年教授。1993年定年退官、名誉教授。 2001年『水俣病の科学』で毎日出版文化賞受賞。業界の圧力で公害研究をやめさせられ、遺伝子工学を研究していた時期があると言っている。
磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3… 磯崎 洋三(いそざき ひろぞう、1933年〈昭和8年〉1月3日 - 2004年〈平成16年〉8月25日)は、日本の実業家。東京放送社長。茨城県那珂湊市(現・ひたちなか市)出身。愛称は「イソさん」。 早稲田大学第一商学部卒業後、1956年(昭和31年)TBSの前身であるラジオ東京に入社。プロデューサー・制作局長を務めた居作昌果は入社同期。 『ザ・ガードマン』や山口百恵の『赤いシリーズ』を手掛け、テレビ本部編成局編成部長、第二制作局次長、スポーツ部長、第二制作局長、社会情報局長、テレビ本部編成局長、常務を歴任する。 1991年(平成3年)7月、TBSが野村證券と日興証券から6億5千万円の損失補填を受けていた問題では、筑紫哲也 NEWS23キャスターの筑紫哲也が田中和泉社長と面談して意見を言う際、重役としてただ一人、その場に立ち会い、田中の辞任表明を受け、10月9日、第8代社長に就任した。
森村 誠一(もりむら せいいち、1933年〈昭和8年〉1月2… 森村 誠一(もりむら せいいち、1933年〈昭和8年〉1月2日 - 2023年〈令和5年〉7月24日)は、日本の小説家・作家。元ホテルマンであり、ホテルを舞台にしたミステリー作品を多く発表している。江戸川乱歩賞や日本推理作家協会賞など数々の推理小説の賞を受賞した。 埼玉県熊谷市出身。12歳にして、日本で最後の空襲となった熊谷空襲を体験。のちの「反戦平和」の原体験となる。また、この空爆の情景を書かねばならない、記録したいというのが作家を目指した動機にもなっている。。 埼玉県立熊谷商業高等学校卒業後、伯父の紹介で都内の自動車部品会社に勤めるが、商品を輸送中に神田駿河台の坂を車が登れず困っていたところを明治大学生に助けられ、大学生になるのもよいと考え、青山学院大学文学部英米文学科に進学。
石井 英夫(いしい ひでお、1933年(昭和8年)1月2日 … 石井 英夫(いしい ひでお、1933年(昭和8年)1月2日 - 2024年(令和6年)12月18日)は、日本のコラムニスト・新聞記者。産経新聞論説委員。同紙朝刊一面のコラム「サンケイ抄(現・産経抄)」を35年にわたり担当した。 神奈川県横須賀市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校(高3期)、早稲田大学第一政治経済学部を卒業。 1955年、産経新聞社に入社。札幌支局の警察担当を皮切りに社会部畑を歩んだのち、産経新聞朝刊一面のコラム「サンケイ抄(現・産経抄)」を1969年から2004年12月まで35年間執筆。同社論説委員、フジテレビ番組審議会委員も務めた。2008年12月末に産経新聞社を退職した。 山本夏彦に私淑。
小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2… 小林 俊一(こばやし しゅんいち、1933年1月2日 - 2012年11月15日)は、日本のテレビプロデューサー、演出家。フジテレビジョンなどで活躍した。 山梨県出身。山梨県立甲府第一高等学校を経て日本大学芸術学部卒業。フジテレビジョンに1期生として入社。 1967年に渥美清とともに、コメディドラマ『おもろい夫婦』を成功させた。 渥美清を山田洋次に紹介し、連続ドラマの脚本執筆を依頼した、いわばドラマ・映画『男はつらいよ』の「生みの親」である。 1968年のテレビドラマ『男はつらいよ』で演出を手掛けた。同年8月27日、作詞家の星野哲郎に、渥美清が歌う主題歌『男はつらいよ』の作詞を依頼した。1969年公開の映画『続・男はつらいよ』では、山田洋次、宮崎晃と共同で脚本を書いた。
宇佐美 滋(うさみ しげる、1933年1月2日 - 2013… 宇佐美 滋(うさみ しげる、1933年1月2日 - 2013年4月24日)は、日本の国際関係論研究者。
広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年1月2日 - )は、日… 広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年1月2日 - )は、日本の実業家。富士紡績元代表取締役社長。日田広瀬家第11代当主。廣瀬資料館理事長。
広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年(昭和8年)1月2日 … 広瀬 貞雄(ひろせ さだお、1933年(昭和8年)1月2日 - 2020年 (令和2年) 2月7日)は、日本の実業家。富士紡績元代表取締役社長。廣瀬資料館理事長日田広瀬家第11代当主。江戸時代の儒学者広瀬淡窓の弟・広瀬久兵衛の子孫である。 父は日田市長、佐藤内閣で郵政大臣などを歴任した日田広瀬家第10代当主広瀬正雄。実弟にテレビ朝日会長、日本民間放送連盟会長を務めた広瀬道貞、通商産業事務次官の後、大分県知事を5期務めた広瀬勝貞、興銀証券常務を務めた広瀬興貞がいる。
横山 健一(よこやま けんいち、1933年1月2日 - 20… 横山 健一(よこやま けんいち、1933年1月2日 - 2006年1月29日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。福岡県出身。 1956年に慶應義塾大学文学部国文科を卒業し、1959年に中部日本放送に入社した。 東京支社長、取締役、常務、副社長を経て、1997年6月から2003年6月までに社長を務めた。 2003年6月から会長に就任したが、2006年1月29日在職中に呼吸不全のために死去。73歳没。
久保田 恭子 (くぼた きょうこ、1933年(昭和8年)1月… 久保田 恭子 (くぼた きょうこ、1933年(昭和8年)1月2日 - )は、日本の体操選手である。 東京女子体育大学在学中に、1956年メルボルンオリンピックの体操競技に出場し、女子団体総合で6位に入賞した。 この項目は、体操に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年… 鈴木 勲(すずき いさお、1933年1月2日 - 2022年3月8日)は、日本のジャズベース、コントラバス奏者及び作曲家。ニックネームはオマスズ、オマさん。東京都出身。 立教大学在学中、来日したルイ・アームストロング・オールスターズの公演を聴き特にベース奏者のミルト・ヒントンに衝撃を受ける。1956年には米軍ベースキャンプで演奏を始める。その後松本英彦カルテット、渡辺貞夫グループに入り活動。また自己のグループ結成後ファイブスポット等でライブ活動を行う。1963年の「幻の銀巴里セッション」でも菊地雅章、富樫雅彦、金井英人とのセッションを残している。1970年、来日したアート・ブレイキーにスカウトされ渡米、ジャズ・メッセンジャーズ(英語版)の一員となり全米、欧州をツアー。
松崎 昭雄(まつざき あきお、1933年(昭和8年)1月2日… 松崎 昭雄(まつざき あきお、1933年(昭和8年)1月2日 - 2025年(令和7年)6月25日)は、日本の実業家。森永製菓社長を務めた。長女は、内閣総理大臣や衆議院議員を務めた安倍晋三の妻である安倍昭恵。 東京生まれ。祖父は森永製菓二代目・松崎半三郎、父はのちに森永製菓相談役となる松崎一雄。 1955年、立教大学経済学部卒業、森永製菓に入社。1974年、森永ゼネラルミルズ社長。1977年、森永製菓取締役。1980年、常務。1983年、社長。1988年、レストラン森永社長を兼ねる。社長在任中にグリコ・森永事件が起こり、対応にあたる。1997年に創業家の森永剛太に社長を譲り会長、のち取締役。この間、1995年に立教大学校友会会長に就任。
土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は… 土橋 光廣(つちはし みつひろ、1933年1月2日 - )は、日本の実業家。セイコーエプソン専務取締役、エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長、ベーステクノロジー取締役会長、イーフォーシーリンク代表取締役社長・取締役会長を務めた。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1957年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)入社。「EPSON」の名称発案者であり、プリンター事業を手掛けた。1986年セイコーエプソン専務取締役。エプソンヨーロッパ代表取締役社長、エプソン販売代表取締役社長を歴任。1994年セイコーエプソン退社、ベーステクノロジー設立、取締役会長・取締役最高顧問。