家田 美智雄(いえだ みちお、1934年(昭和9年)1月7日… 家田 美智雄(いえだ みちお、1934年(昭和9年)1月7日 - 2017年(平成29年)8月9日)は、日本の実業家。 愛知県稲沢市出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業。上京し明治大学政治経済学部に入学。1956年(昭和31年)に卒業後、地元のスーパーに就職した。ユニーの初代ドライ食品部長。77年子会社「ユーストア」設立とともに初代社長に就任しスーパーマーケット業界有数の優良企業に育て上げた。
三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本… 三鷹 淳(みたか じゅん、1934年1月7日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家・ボイストレーナー。本名:持光 正輝(もちみつ・まさてる)。 山口県宇部市出身。国立音楽大学卒業。NHK総合テレビジョンの音楽番組『歌の広場』でデビューした後、日本コロムビア専て活動。その傍ら、ボイストレーナーとして活動するほか、社歌、自治体の県民歌・市町村民歌を数多く手掛ける。 演歌歌手のわかばちどりは妻に当たる。
石黒 昭博(いしぐろ てるひろ、1934年1月7日 - 20… 石黒 昭博(いしぐろ てるひろ、1934年1月7日 - 2013年6月12日)は、日本の英語学者。同志社大学名誉教授・徳島文理大学名誉教授。 生成文法の研究者であり、英語教育の教科書も多い。 1956年、同志社大学文学部英文学科卒業、大阪市立高校英語教師に就任。1961年、同志社大学大学院に入り、1964年に修士課程修了、文学部助手就任。 1966年、オハイオ州立大学で修士号取得。1992年、「近代英語における主語の概念」で同志社大学より英文学博士の学位を取得。その後、同大学助教授、教授を経て2003年に定年退職し名誉教授に就任。その後、徳島文理大学文学部長に就任し2008年に退職。
羽下 徳彦(はが のりひこ、1934年1月6日 - )は、日… 羽下 徳彦(はが のりひこ、1934年1月6日 - )は、日本史学者、東北大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部国史学科卒、1961年同大学院博士課程満期退学。 東洋大学文学部講師、助教授、東京女子大学助教授を経て、1976年東北大学文学部助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授となる。
鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 … 鬼頭 史郎(きとう しろう、1934年〈昭和9年〉1月6日 - )は、日本の元裁判官。「ニセ電話事件」を起こし、法曹資格を喪失した。 名古屋市南区(現在の港区)出身。愛知県立松蔭高等学校を経て法政大学法学部に進んだ。 大学在学中に厚生大臣草葉隆圓の私設秘書から厚生省職員を務めた。1958年(昭和33年)に卒業した後、1960年(昭和35年)に法政大学大学院修士課程を修了。一旦厚生省を退職し名古屋市役所に入庁するも、後に慶應義塾大学大学院博士課程に進学した。 1964年(昭和39年)に司法試験に合格。 1967年(昭和42年)に名古屋地方裁判所判事補に任官。名古屋地裁在任中に既婚にもかかわらず、離婚したと嘘をついて女性弁護士と3か月間同棲し、地裁が関係者に事情聴取した。
小林 喬(こばやし たかし、1934年1月6日 - )は、日… 小林 喬(こばやし たかし、1934年1月6日 - )は、日本の経営者。富国生命保険社長、会長を務めた。 東京都出身。父は日本航空会長や東急電鉄社長、富国生命保険社長などを歴任し、財界四天王の一人とされた小林中。母は子爵・大岡忠量の三女・慶子。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業。三菱銀行での勤務を経て、1968年に富国生命保険に転じ、同年に取締役に就任。1971年3月に常務、1974年5月に専務、1989年3月に副社長を経て、1991年9月に社長に就任した。1998年7月に会長を経て、2003年6月に相談役に退いた。 妻は学習院大学名誉教授の林友春(伯爵・林博太郎の長男)と松濤幼稚園創設者・林貞子の次女・絢子。
奈良 和(なら かず、1934年(昭和9年)1月6日 - 1… 奈良 和(なら かず、1934年(昭和9年)1月6日 - 1995年(平成7年)1月30日)は、日本教育テレビ・テレビ朝日アナウンサー。初代アナウンス部長を務めた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
磯野 恭子(いその やすこ、1934年(昭和9年)1月6日 … 磯野 恭子(いその やすこ、1934年(昭和9年)1月6日 - 2017年(平成29年)8月2日)は、山口放送に在籍していたテレビディレクター、実業家。ドキュメンタリーの制作を多く手がけ、同局の取締役や岩国市の教育長も歴任した。 広島県高田村(現・江田島市)出身。地元の高田小学校に登校する途中、原爆投下のキノコ雲を能美島で目撃した。 12歳で能美島を離れ、広島県立第一高等女学校に通う。第一高女はのちに男女共学の県立皆実高等学校となり、恭子もそのまま皆実高に進んだ。皆実高の同級生に亀井郁夫(政治家)がいて、晩年まで交流があった。東京大学を目指したが、受験に失敗し、単身上京。予備校に通い、アルバイトをしながら浪人生活を送ったものの、心身ともに疲れ果て、1年で広島に戻り、広島大学政経学部の夜間部に入学する。
伊藤 洋(いとう ひろし、1934年1月6日 - )は、日本… 伊藤 洋(いとう ひろし、1934年1月6日 - )は、日本のフランス演劇研究者、早稲田大学名誉教授。 東京府生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒、同大学院博士課程中退。早稲田大学教育学部助教授、教授、パリ大学文学博士。早稲田大学演劇博物館館長。2003年退任、名誉教授。 2013年 瑞宝中綬章受章。
ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年… ダニー飯田(ダニーいいだ、1934年1月6日 - 1999年7月5日)は、昭和時代中期から平成時代初期に活動したバンド・ダニー飯田とパラダイス・キングのリーダー。本名:飯田 紘久(いいだ ひろひさ)。埼玉県川口市出身。 芸名のダニーは尊敬するスティール・ギター奏者ダニー・クワナから取ったという。 元々ハワイアンバンド・『大橋節夫とハニー・アイランダース』の一員として活動していたが、1955年に独立し同年3月に『ダニー飯田とパラダイス・ハーモニー』を結成(翌年『ダニー飯田とパラダイス・キング』に改名。)。ジェリー藤尾、坂本九、石川進、九重佑三子らを育て上げた。 歌唱、スティール・ギター演奏の他、パラダイス・キングの殆どの楽曲の編曲を担い、坂本九のデビュー曲『題名のない歌だけど』では作詞・作曲・編曲を担当している。
玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 - 2010… 玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 - 2010年2月11日)は、日本のフリーアナウンサー、テレビ司会者である。 本名は玉置 宏行()。日本司会芸能協会名誉会長、横浜にぎわい座初代館長。 神奈川県川崎市川崎区南町の遊郭入口でタマオキ米屋を営んでいた玉置義作と、小学校教師の玉子の5人兄弟の長男として生まれる。神奈川県立川崎高等学校、明治大学商学部卒業。 大学卒業後、1956年文化放送にアナウンサーとして入社。1958年、三橋美智也の勧めで退社しフリーに転身。以後、司会を中心にテレビ・ラジオ・舞台などで活動。同年から1977年までTBS『ロッテ歌のアルバム』を務める。当時としては斬新な司会の手法は人気を呼び、19年・1,000回、1967年からNET『象印スターものまね大合戦』を10年務める。
山崎 善郎(やまざき よしお、1934年1月5日 - )は、… 山崎 善郎(やまざき よしお、1934年1月5日 - )は、日本の経営者。リンナイ社長を務めた。 愛知県出身。1952年に松蔭高等学校を卒業し、同年に林内製作所(のちのリンナイ)に入社。1967年5月に取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に専務を経て、1985年6月に副社長に就任し、2001年6月には社長に昇格。2005年11月に高齢で社長を退任。
深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は… 深澤 武久(ふかざわ たけひさ、1934年1月5日 - )は最高裁判所判事、弁護士。日本弁護士連合会副会長、最高裁判所判事、学校法人中央大学理事長、小田急電鉄監査役を歴任した。旭日大綬章を受章。学校法人中央大学元理事[要出典]。静岡県出身。 金のない依頼人の面倒を見ていた弁護士である父親を見て、自身も弁護士を目指す[要出典]。 1957年、中央大学法学部卒業。1961年、弁護士登録。 1993年、東京弁護士会会長、日本弁護士連合会副会長。2000年9月、最高裁判所判事に就任。2004年1月、定年退官、弁護士登録。同年6月小田急電鉄監査役。2005年11月、旭日大綬章を受章。 2014年5月、学校法人中央大学理事長に就任。
合田 一道(ごうだ いちどう / かずみち、1934年1月5… 合田 一道(ごうだ いちどう / かずみち、1934年1月5日 - )は、日本のノンフィクション作家。北海道上砂川町生まれ。佛教大学文学部卒業後、長く北海道新聞社に勤務、編集委員を務めた。退職後は札幌大学講師に着任。『定山坊行方不明の謎』で第1回北海道ノンフィクション賞(月刊クォリティ主催)大賞受賞。日本放送作家協会北海道支部長。北海道ノンフィクション集団代表。札幌市にてノンフィクション作家の養成講座「一道塾」を主宰。息子は歌手・音楽プロデューサー・ノンフィクション作家の合田道人。
近藤 和義(こんどう かずよし、1934年1月5日 - )は… 近藤 和義(こんどう かずよし、1934年1月5日 - )は、日本の政治家。大分県議会議員(4期)、おおいた森林組合組合長、社団法人大分県畜産協会会長、株式会社大分県畜産公社取締役、自由民主党大分県支部連合会党紀委員長。 大分県監査委員、大分県議会副議長(第88代)、大分県議会議会運営委員長などを歴任した。2019年、旭日小綬章受章。 1934年、大分県大分郡湯布院町(現由布市)にて生まれた。1952年に大分県立玖珠高等学校を卒業した。 湯布院町農業協同組合の理事を務めた。また、湯布院町農業委員会委員を2期にわたって務めるとともに、湯布院町青年団の団長や湯布院町消防団の副団長に就任するなど、地域社会にて活躍する。
川喜田 貞久(かわきた さだひさ、1934年1月4日 - 2… 川喜田 貞久(かわきた さだひさ、1934年1月4日 - 2007年6月6日)は、日本の銀行家。 三重県出身。1956年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1971年2月に百五銀行に転じ、1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1988年7月に専務を経て、1993年4月には頭取に就任。2001年8月に会長に就任。1997年6月から2007年6月までに近畿日本鉄道取締役を務めた。 2007年6月6日、肝細胞癌で死去。73歳没。
世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年… 世志 凡太(せし ぼんた、1934年1月4日 - 2025年11月18日)は、日本のソングライター(作詞家・作曲家)、俳優、コメディアン、演出家、音楽プロデューサー。本名は市橋健司(いちはし・けんじ)。東京都豊島区出身。芸名は、フランス語の「C'est si Bon.」(セシボン・「とってもいい」の意)から来ている。事実上の内縁関係にあった女優の浅香光代と35年間生活を共にしていた。浅草喜劇人協会会長。 18歳の時からアルバイトでバンドに加わって進駐軍のキャンプを回り、1957年に「原信夫とシャープス&フラッツ」にベーシストとして参加。渡邊プロに所属しバンドマンとしての活動他に同時期にコメディアンとして朝日放送の「てなもんや三度笠」などのテレビ番組、ハナ肇とクレージーキャッツ主演の映画、東宝・松竹の喜劇映画、NHKの音楽番組等に出演する。
赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年)1月… 赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう、1934年(昭和9年)1月3日 - 2021年(令和3年)2月15日)は、日本の洋画家。 岡山県岡山市に生まれる。第2次大戦後、家が戦災で焼け出されたため各地移転。 岡山大学理学部物理学科を卒業後フランスに渡り、長らくパリに在住していた。油彩、水彩、リトグラフによるパリ、フランスの風景を描き続ける。ル・サロン展油絵金賞を受賞し、終身無鑑査。その他フランス大統領賞、フランス学士院絵画賞受賞等。 また、岡山県の山陽放送に月に1回「パリ通信」、山陽新聞に「フランス日本・遠眼鏡」を寄稿している。 (以来フランスの各種具象美術団体展に出品)
西岡光秋(にしおか こうしゅう、1934年1月3日‐2016… 西岡光秋(にしおか こうしゅう、1934年1月3日‐2016年8月26日)は、日本の詩人。本名・光明。 1934年(昭和9年)大阪府生まれ。広島県に移り、1953年(昭和28年)に広島県立吉田高等学校を卒業。同年、國學院大学文学部に入学し、1957年(昭和32年)に卒業。1966年(昭和41年)詩集『鵜匠』で第四回日本詩人クラブ賞受賞。 國學院大学講師などを務めた。詩集のほか、短歌、俳句もやり、実用書を多く書いた。1993 - 95年日本詩人クラブ会長。
折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年… 折田 至(おりた いたる、1934年1月3日 - 2006年9月27日)は、映画監督、演出家、テレビプロデューサー、UFO研究家、発明家。アイデア開発研究所代表、発明協会会員。鹿児島県鹿児島市出身。千葉大学工学部工業化学科(写真映画専攻)卒業。 1958年に東映に入社し、助監督として配属された東映京都撮影所を経て、1965年より東映東京制作所に所属する。『丸出だめ夫』・『悪魔くん』・仮面ライダーシリーズなど、特撮テレビドラマの監督として活躍した後、1978年には東映テレビ事業部プロデューサーに昇進し、スーパー戦隊シリーズの『バトルフィーバーJ』からはプロデューサーとして東映キャラクター路線を支える。
内田 能嗣(うちだ よしつぐ、1934年1月3日 - 202… 内田 能嗣(うちだ よしつぐ、1934年1月3日 - 2024年11月7日)は、日本の英文学者。帝塚山学院大学名誉教授。医師内田千秋は息子。 1962年大阪大学文学部仏文科卒業。1971年大阪市立大学大学院文学研究科博士課程(英文学専攻)単位取得満期退学。 帝塚山学院大学助教授、教授、文学部長、副学長、2005年定年退任、名誉教授、関西外国語大学教授、2009年退職。日本ブロンテ協会顧問。 ジョージ・エリオット、ブロンテ姉妹など19世紀英国女性作家が専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022… 和田 明広(わだ あきひろ、1934年1月3日 - 2022年3月13日)は、日本の実業家。元トヨタ自動車副社長。元アイシン精機代表取締役会長。第76期日本機械学会会長。藍綬褒章受章。愛知県名古屋市出身。 1956年、名古屋大学工学部卒業。同年、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に入社。主にボディー設計のエンジニアとしてコロナ、セリカなどの車種開発に従事。1986年トヨタ自動車取締役、1994年同社副社長に就任。トヨタ自動車副社長の時には、プロジェクトの最高責任者として、プリウスの開発を指揮した。その後、1999年アイシン精機代表取締役会長に就任。2005年からは相談役に就任している。
紺野 仁(こんの ひとし、1934年(昭和9年)1月3日 -… 紺野 仁(こんの ひとし、1934年(昭和9年)1月3日 - )は、日本のバスケットボール選手。 立教大学出身。1956年メルボルンオリンピックに出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
木村 利人(きむら りひと、1934年1月3日 - )は、国… 木村 利人(きむら りひと、1934年1月3日 - )は、国際的なバイオエシックス(生命倫理学)研究者。早稲田大学名誉教授で、恵泉女学園大学元学長。博士(人間科学)。 バイオエシックス(生命倫理学者)のパイオニアとして、約40年以上にわたり、研究と教育に従事している。国際バイオエシックス学会(IAB)設立理事、日本生命倫理学会元代表理事・会長。現在、ジョージタウン大学ケネディ倫理研究所 Faculty Affiliate、早稲田大学ライフサポートイノベーション研究所招聘研究員。作詞・作曲者としても知られ、「幸せなら手をたたこう」の作詞者である。 東京・青山に生まれる。早稲田大学第一法学部を卒業後、同大学大学院法学研究科博士課程を経て、1965-69年:チュラーロンコーン大学 (タイ)、1970-72年:サイゴン大学 (ベトナム)、1972-75年:ジュネーブ大学大学院等教授 (スイス)、世界教会協議会 (WCC) エキュメニカル研究所副所長、1978年:ハーバード大学研究員等。
田坂 啓(たさか けい、1934年1月3日 - 2015年4… 田坂 啓(たさか けい、1934年1月3日 - 2015年4月10日)は、日本の脚本家。 広島県尾道市久保町出身。実家は『東京物語』の撮影が行われた浄土寺の近くで、石堂淑朗の家も近所だった。早稲田大学仏文科卒。大映株式会社脚本家養成所を1956年了。1960年『襲われた手術』の共同脚本でデビュー1963年、橋幸夫と吉永小百合主演で主題歌が大ヒットした『いつでも夢を』も共作した。東映と契約した1962年『恐喝』で一本立ち。『第三の忍者』『花と龍』、大川橋蔵の映画版『銭形平次』、『十一人の侍』など、時代劇の脚本を主に書いた。その後フリーの脚本家となり、1960年代後半から主に松竹の渡辺祐介監督とのコンビで「ザ・ドリフターズ全員集合!!シリーズ」など多数の喜劇脚本を手がけた。
和田 繁明(わだ しげあき、1934年1月3日 - 2022… 和田 繁明(わだ しげあき、1934年1月3日 - 2022年7月25日)は、日本の実業家。 強いリーダーシップと強固な決断力で改革を断行する荒療治的な経営再建を得意とし、西武グループ関連などの百貨店業態改革に一貫して取り組み、危機になると救世主として現れる事から「百貨店の再建請負人」と評された。 東京本郷の商家に生まれる。早稲田大学高等学院、早稲田大学政治経済学部を卒業。大学在学中は早大弁論部に所属した。 卒業後の就職先としてマスコミ業界入りを志向、在京放送局のアナウンサー試験を受験するも全敗となる。次に新聞社を狙うもこれまた不採用となる。そこで方針を変え学生時代のアルバイト経験を活かそうと百貨店入りを目指し松坂屋を受験。
黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )… 黄金井 光良(こがねい みつよし、1934年1月3日 - )は、埼玉県川口市出身の元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会埼玉支部に所属。 日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)創設以前に競輪選手登録された期前選手で、登録番号は2832。実子の黄金井憲は競輪学校第54期生の競輪選手。憲の実子で、当人の孫にあたる黄金井力良は競艇選手。 1950年4月8日、大宮競輪場でデビューし7着。初勝利は同年同月10日の同場。 デビュー当時から追い込みを主体とした競走スタイルを貫き、大阪中央競輪場で開催された1953年の第8回全国争覇競輪(現在の日本選手権競輪)では、優勝の中井光雄、2位の山崎勲に次いで3位。また、川崎競輪場で開催された1960年の全国オールスター争覇競輪(現在のオールスター競輪)でも決勝戦で3着(優勝は吉田実)に入った。
小野 旭(おの あきら、1934年 〈昭和9年〉 1月2日 … 小野 旭(おの あきら、1934年 〈昭和9年〉 1月2日 - 2010年〈平成22年〉 9月15日)は、日本の経済学者。専門は労働経済学。一橋大学名誉教授、労働政策研究・研修機構理事長。1981年から1984年まで、日本経済学会常任理事。2000年、紫綬褒章受章。1973年、日経・経済図書文化賞受賞。1982年、エコノミスト賞受賞。1989年、日経・経済図書文化賞受賞。1991年、東京海上各務記念財団賞受賞。2009年、瑞宝中綬章受章。位階は従四位。 1934年、東京都文京区生まれ。1946年、文京区立誠之小学校卒業。1949年、京華中学校卒業。1952年、東京都立九段高等学校卒業。1957年、一橋大学商学部卒業。
山口 定(やまぐち やすし、1934年1月2日 - 2013… 山口 定(やまぐち やすし、1934年1月2日 - 2013年11月17日)は、日本の政治学者。専門は、政治学、とくに戦間期ドイツを中心としたヨーロッパ政治史。大阪市立大学名誉教授、立命館大学名誉教授。
田村 すゞ子(たむら すずこ、1934年1月2日- 2015… 田村 すゞ子(たむら すずこ、1934年1月2日- 2015年8月3日)は、日本の言語学者。出生名は福田 すゞ子(ふくだ すずこ)。早稲田大学名誉教授。専門はアイヌ語およびバスク語。 アイヌ語研究の第一人者、アイヌ語教育の草分け的人物とされる。早稲田大学語学教育研究所で教育研究に携わった。北方言語文化研究会を主宰した。 1934年(昭和9年)1月2日に愛知県名古屋市に生まれた。生理学者の福田邦三の長女である。国文学者の福田秀一は兄。 日本語の文法に興味を持って東京大学で言語学を学び始めたが、服部四郎の授業で研究者の少ないアイヌ語に興味を持った。東京大学ではアイヌ語研究の創始者とされる金田一京助のもとで学んでいる。
児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年… 児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。本名は北川 清(きたがわ きよし)。出生名および旧芸名は小玉 清(こだま きよし)。 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 俳優業・司会業で人気を博した他、書評や政治評論でも存在感を示し、後者では保守の立場から日本の現状への憂いなどを綴った文章を度々寄稿していた。
関根 信昭(せきね のぶあき、1934年〈昭和9年〉1月1日… 関根 信昭(せきね のぶあき、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 2021年〈令和3年〉11月20日)は、日本の声優、俳優。東京府(現・東京都)出身。81プロデュース最終所属。 東京都立第四商業高等学校出身で高校の演劇部の後輩には富田耕生、古川登志夫がいる。 母校に通って来て、セット、小道具などの作り方を熱心に指導していた。 NHKの俳優養成所の研究生を経て、東京放送劇団5期生。 初仕事は刑事物のドラマの脱獄した犯人役の足だった。 1966年5月から日本点字図書館の朗読奉仕者をしていた。 同放送劇団解散後、関根が図書館の朗読奉仕者をしていたことを知っていた人物から「こういう仕事なんだが、やってくれないだろうか」と打診が来たのが副音声だった。
樋田 慶子(ひだ けいこ、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 樋田 慶子(ひだ けいこ、1934年〈昭和9年〉1月1日 - )は、日本の女優。本名は同じ。東京都出身。旧芸名は緋多景子。 主にテレビドラマや舞台などで脇役として活躍している。
田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 田中 浩(たなか ひろし、1934年〈昭和9年〉1月1日 - 1993年〈平成5年〉1月2日)は、日本の俳優。本名は同じ。 京都府出身。京都商業高等学校卒業。オフィス青柳、ファミリープロに所属していた。 父は昭和初期から中期にかけて活躍した俳優・寺島貢、母は昭和初期の女優・対馬ルイ子。 東宝を経て三船プロダクションに入社し、殺陣師・久世竜に師事。当時は同社製作の映画・テレビのほぼすべてに脇役で出演しており、斬られ役などとして重用されていた。退社後は各社のテレビドラマ・映画に出演したが、アクション作品でのやくざ役、時代劇での悪代官役など悪役が多く、1979年の『戦国自衛隊』では武田信玄を演じた。一方、「わんぱくでもいい、たくましく育ってほしい」のキャッチコピーで知られる丸大食品のCMに長らく出演していたことから、その知名度は高かった。
堀内 律子(ほりうち りつこ、1934年1月1日 - )は、… 堀内 律子(ほりうち りつこ、1934年1月1日 - )は、日本の俳人。俳誌 初花の4代目主宰者。夫は俳人の堀内雄之。 広島市で生まれる。1946年、愛媛県に転居。1952年、愛媛県立松山南高等学校を卒業した。 1953年、堀内雄之(俳人)と結婚する。 2002年、「俳誌 初花」の主宰に就任した。 俳人の大本あきらの娘は、律子の生家へ嫁いでいるため大本とは親族関係となる。また大本の曽孫は、手形コレクターの清古尊に当たる。 ・ 俳句の殿堂 ~全国の俳句結社 主宰の代表100句~ 初花|萬翠荘のイベント・展示のご案内|萬翠荘(ばんすいそう)公式ホームページ
井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2… 井家上 隆幸(いけがみ たかゆき、1934年1月1日 - 2018年1月15日)は、日本の文芸評論家、コラムニスト。日本推理作家協会会員。 岡山県津山市出身。岡山大学文学部卒。1958年に三一書房に入社し編集者となり、斎藤龍鳳『遊撃の思想』(1965年)、清水一行『小説 兜町』(1966年)、小沢昭一『私は河原乞食・考』(1969年)、竹中労『エライ人を斬る』(1971年)などを担当。 1972年に退社し、創樹社で『なにが粋かよ:斎藤龍鳳の世界』(1972年)を担当。その後、創刊準備中の日刊ゲンダイに編集局次長として入ったが創刊前に退社。再びフリーとなり、書評を中心に執筆活動を行う一方、白川書院に編集者として関わり、竹中労の「日本映画縦断」シリーズ(1974-1976年)、『聞書アラカン一代:鞍馬天狗のおじさんは』(1976年)、マキノ雅弘・稲垣浩編『山上伊太郎のシナリオ』(1976年)、高平哲郎『みんな不良少年だった』(1977年)、夏文彦『映画・挑発と遊撃』(1978年)などを担当。
加藤 昭夫(かとう あきお、1934年1月1日 - 2020… 加藤 昭夫(かとう あきお、1934年1月1日 - 2020年6月3日)は、日本の化学者。無機材料化学専攻。九州大学名誉教授。日本セラミックス協会会長や、人工結晶工学会会長を務めた。 山口県出身。1956年九州大学工学部応用化学科卒業。 1962年、工学博士(九州大学)の学位を取得。同年九州大学助教授。1972年九州大学教授。1979年窯業協会学術賞受賞。1980年名古屋大学教授併任。1984年粉体粉末冶金協会研究功績賞受賞。1987年電気化学協会九州支部長。1988年粉体粉末冶金協会理事。1994年人工結晶工学会会長。1995年日本セラミックス協会会長、日本化学会九州支部長。 1997年九州大学名誉教授、崇城大学工学部応用化学科教授、九州ファインセラミックス・テクノフォーラム会長。
梅原 郁(うめはら かおる、男性、1934年1月1日 - 2… 梅原 郁(うめはら かおる、男性、1934年1月1日 - 2020年5月3日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。専門は中国史、特に宋代史。 京都市生まれ。父は東洋考古学者の梅原末治。1957年京都大学文学部史学科東洋史学専修卒業。1962年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1966年神戸学院大学助教授、1969年京都大学人文科学研究所助教授、1981年同教授。1986年「宋代官僚制度研究」で文学博士の学位を取得。1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授。2005年退職。就実大学では西嶋定生文庫の整備に尽力した。 宋代史を主要な研究分野とするが、元・明・清朝の法制史・制度史研究でも大きな成果がある。
竹田 志郎(たけだ しろう、1934年1月1日 - )は、日… 竹田 志郎(たけだ しろう、1934年1月1日 - )は、日本の経営学者。横浜国立大学名誉教授。 東京市(現台東区)生まれ。1957年明治大学商学部卒業、1959年同大学院商学研究科修士課程修了。ニューヨーク日本軽機械センター勤務、貿易研修センター(IIST)助教授、大東文化大学経済学部助教授、教授、経済学部長、横浜国立大学経営学部教授、1999年定年退官、名誉教授、日本大学国際関係学部教授。
山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - … 山崎 充(やまざき みつる、1934年〈昭和9年〉1月 - 1993年〈平成5年〉9月)は、日本の経済学者(地域経済学)。 株式会社静岡銀行での勤務を経て、財団法人静岡経済研究所研究部部長、株式会社地域経済研究所代表、専修大学北海道短期大学経済科教授、東海大学沼津教養部教授、静岡県立大学経営情報学部教授などを歴任した。 静岡県出身の経済学者である。地場産業に関する研究で知られており、地場産業論の第一人者とされた。テレビやラジオなどマスメディアで広く活動したことでも知られている。静岡銀行に勤務し、静岡経済研究所で活動した。専修大学北海道短期大学、東海大学、静岡県立大学などで教鞭を執り、後進の育成に努めた。
橋本 仁(はしもと ひとし、1934年1月 - )は神奈川県… 橋本 仁(はしもと ひとし、1934年1月 - )は神奈川県鎌倉市出身の農学博士。 東北大学農学部卒。2015年現在は全国47都道府県を周り「健康と糖」をテーマに講演活動を続けている。2014年秋、「糖質の生命科学」を著作、丸善より刊行。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
高瀬 幸子(たかせ さちこ、1934年1月 - 2022年1… 高瀬 幸子(たかせ さちこ、1934年1月 - 2022年12月)は、日本の栄養学者(栄養生理学)。学位は医学博士(東京大学・1976年)。静岡県立大学名誉教授、県立長崎シーボルト大学名誉教授、日本レチノイド研究会名誉会員。 東京大学医学部助手、静岡女子大学家政学部講師、静岡県立大学食品栄養科学部助教授、静岡県立大学大学院生活健康科学研究科教授、静岡県立大学食品栄養科学部学部長(第3代)、県立長崎シーボルト大学看護栄養学部教授、浜松大学健康プロデュース学部教授、浜松大学大学院健康科学研究科研究科長などを歴任した。 栄養生理学を専攻する長崎県出身の家政学者である。脂溶性ビタミンの研究に取り組み、特にレチノイドの生理作用に関する研究などで知られている。
山中 央(やまなか おう、1934年1月 - 2003年1月… 山中 央(やまなか おう、1934年1月 - 2003年1月6日)は、日本のジャーナリスト。本名、江上茂。 東京生まれ。1956年、東京外国語大学英米語科卒業。ニッポン放送に入社し、報道部に勤務。1964年、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)に転じ、報道部やスポーツ局に勤務。差別用語に対する規制問題への関心から、テレビ東京報道部では自主的に「放送用語集」を作成。1966年から1970年まで所属労働組合の書記長を務め、1970年から1974年まで民放労連常任中央執行委員を務めた。1991年にテレビ東京を定年退職。 テレビ局在職中から差別用語の問題を研究。差別用語辞典の完成を目指していたが、1995年に虎ノ門病院で食道癌の手術を受ける。
佐藤 和生(さとう かずお、1934年 - )は、フランス文… 佐藤 和生(さとう かずお、1934年 - )は、フランス文学者、翻訳家、詩人。同志社大学名誉教授。 北海道出身。北海道札幌東高等学校、北海道大学文学部卒業。京都大学仏文科博士課程修了。フランス文学の研究、翻訳を手がける傍ら、詩作も行い、2001年より詩集も発表している。
古川 静二郎(ふるかわ せいじろう、1934年 - 1993… 古川 静二郎(ふるかわ せいじろう、1934年 - 1993年)は、日本の電子工学者。東京工業大学名誉教授。 北海道函館市生まれ。北海道函館中部高等学校を経て、1956年東京工業大学理工学部電気学科卒業。1961年東京工業大学理工学部博士課程修了、工学博士、東京工業大学精密工学研究所助手。1963年東京工業大学精密工学研究所助教授。1973年東京工業大学精密工学研究所教授。1975年東京工業大学大学院総合理工学研究科教授。1991年日本工学アカデミー会員。1993年急逝。1994年東京工業大学名誉教授。指導学生に石原宏東京工業大学名誉教授など。
泉谷 治(いずみや おさむ、1934年 - )は、17・18… 泉谷 治(いずみや おさむ、1934年 - )は、17・18世紀のイギリス文学研究者、法政大学名誉教授 青森県北津軽郡金木町川倉に生まれる。青森県立五所川原高等学校卒業後、東京大学文学部英文学科を経て、1962年、同大学院修士課程を修了。法政大学文学部英文学科助教授、教授、2005年定年退職、名誉教授。2013年11月、瑞宝中綬章を受章。
大友 篤(おおとも あつし、1934年 - )は、日本の社会… 大友 篤(おおとも あつし、1934年 - )は、日本の社会学者、統計学者、人口地理学。宇都宮大学教授、日本女子大学人間社会学部教授。 1934年(昭和9年)宮城県古川市に生まれる。1952年(昭和27年)に宮城県古川高等学校卒業、1956年東北大学理学部卒業、1976年理学博士。現在一般財団法人日本統計協会の研究員を務める。過去には総理府統計局、国際連合アジア経済研究所、総理府統計研究所や宇都宮大学、日本女子大学人間社会学部・人間社会工学部で教授を歴任。社会の変化をデータから読み解く研究に取り組んでいる。 21世紀に入り、少子高齢化や都市化、女性の社会進出など、日本社会は急速に変化している。こうした変化を正しく理解し、政策に生かすためには、統計データを活用した科学的な分析が不可欠となっている。
島津 四郎(しまづ しろう、1934年 - )は、群馬県出身… 島津 四郎(しまづ しろう、1934年 - )は、群馬県出身のアマチュア野球選手。ポジションは投手。 桐生工業高等学校では、エースとして1952年の春の選抜に出場。2回戦(初戦)で豊橋時習館高を完封するが、準々決勝では鳴尾高の中田昌宏と互いに無失点で投げ合い、延長12回の末に0-1でサヨナラ負けを喫する。同年夏の甲子園予選でも北関東大会準決勝に進出するが、豊田泰光、加倉井実のいた水戸商に惜敗。高校同期に高野价司がいた。 日本大学へ進学。東都大学野球リーグでは在学中に5回優勝。1955年春季リーグで優勝に貢献し、同季の最優秀投手賞を獲得。直後の大学野球選手権は決勝に進み、明大の秋山登とのアンダースロー対決が話題となるが、0-1で完封され準優勝に終わる。
藤井 康栄(ふじい やすえ、女性、1934年〈昭和9年〉 -… 藤井 康栄(ふじい やすえ、女性、1934年〈昭和9年〉 - )は、日本の編集者・昭和史研究家。北九州市立松本清張記念館名誉館長。旧姓大木。父は詩人の大木惇夫。編集者・文芸エッセイストの宮田毬栄は次妹、俳人の大木あまりは末妹。夫は歴史家の藤井忠俊。 小説家の松本清張の作家生活約40年の内の約30年間を担当編集者として務め、『昭和史発掘』『二・二六事件 = 研究資料』などの資料収集に奔走し、『松本清張全集』にも携わった。松本清張記念館設立後は館長および名誉館長として、清張に関する講演、企画展などでも大きな働きを見せている。 東京府出身。東京都立三田高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科で大正デモクラシーなどの近代史を専攻する。
土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家… 土肥 博至(どひ ひろし、1934年 - )は、日本の建築家、都市計画家、アーバンデザイナー、芸術工学者。工学博士。元神戸芸術工科大学学長。専門は環境デザイン、建築デザイン。筑波大学名誉教授。東京都出身。 1934年に東京都で生まれる。東京大学工学部建築学科を経て、同大学院数物系研究科へ進学する。その後、日本住宅公団に就職し、若林時郎,小林篤夫,東京大学高山研の土田旭,大村虔一らと高蔵寺ニュータウン計画、若林、南條道昌らと、筑波研究学園都市の計画、設計、建設を担当した。1971年に東京教育大学助教授となり、筑波大学のキャンパスデザインを行った。1976年に筑波大学芸術学部(後に芸術系)の教授となり都市計画・建築計画、園芸学・造園学、農業土木学・農村計画学などの研究を行う。