中島 そのみ(なかじま そのみ、1936年1月2日 - 20… 中島 そのみ(なかじま そのみ、1936年1月2日 - 2023年2月26日[要出典])は、日本の歌手、女優。長野県小県郡丸子町(現・上田市)出身。本名:近藤宏子(旧姓:岩下)。夫はテレビプロデューサーの近藤洲弘。 1954年、長野県丸子実業高等学校(現在の長野県丸子修学館高等学校)を卒業。兄を頼って上京し、ドレスメーカー女学院に入学。ジャズ喫茶に出入りするうちに、ウエスタン歌手に転向し、チャック・ワゴン・ボーイズに加入。その個性的な声色と唱法により頭角を表す。 1956年1月、小坂一也の紹介で日本コロムビアから『テキサスの恋唄』でソロ・デビュー。小坂一也とワゴン・マスターズやスイング・ウエストと共演。
村上 和雄(むらかみ かずお、1936年1月2日 - 202… 村上 和雄(むらかみ かずお、1936年1月2日 - 2021年4月13日)は、日本の分子生物学者。筑波大学名誉教授。 現在の奈良県天理市生まれ。1983年に、高血圧を引き起こす原因となる酵素「ヒト・レニン」の遺伝子解読に成功。 1958年京都大学農学部農芸化学科卒業、1963年京都大学大学院農学研究科農芸化学専攻博士課程修了、1964年農学博士。オレゴン医科大学研究員(生化学教室)。1968年京都大学農学部助手。1969年ヴァンダービルト大学医学部研究員、1975年ヴァンダービルト大学医学部助教授。1976年筑波大学応用生物化学系助教授、1978年教授、1984年筑波大学遺伝子実験センター長、1994年筑波大学先端学際領域研究センター長、1999年筑波大学定年退官、名誉教授、財団法人国際科学振興財団専務理事、同バイオ研究所所長。
7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、19… 7代目(ただし自称5代目)立川 談志(たてかわ だんし、1936年〈昭和11年〉1月2日 - 2011年〈平成23年〉11月21日)は、東京府小石川区(現:東京都文京区)出身の落語家。落語立川流家元。本名、松岡 克由(まつおか かつよし)。血液型AB型[要出典]。
宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 -… 宮津 純一郎(みやづ じゅんいちろう、1936年1月2日 - )は、日本の実業家。第4代日本電信電話(NTT)代表取締役社長。
奥田 勲(おくだ いさお、1936年1月2日 - 2024年… 奥田 勲(おくだ いさお、1936年1月2日 - 2024年9月11日)は、日本の国文学者。聖心女子大学名誉教授。 東京生まれ。1958年東京大学文学部国文科卒、1962年同大学院博士課程中退。宇都宮大学教育学部講師、助教授、教授、聖心女子大学教授。2007年定年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
高橋 義行(たかはし よしゆき、1936年1月2日 - 20… 高橋 義行(たかはし よしゆき、1936年1月2日 - 2008年10月25日)は、日本の経営者。アシックス社長を務めた。大阪府出身。 1958年に同志社大学商学部を卒業し、同年にオニツカ(のちのアシックス)に入社した。1972年3月に取締役に就任し、1981年9月に常務、1986年4月に専務、1992年4月に副社長を経て、1996年4月に社長に就任。2001年4月に取締役相談役に就任し、同年6月には相談役に就任。 2008年10月25日肝不全のために死去。72歳没。
田畑 豊(たばた ゆたか、1936年1月2日 - )は、日本… 田畑 豊(たばた ゆたか、1936年1月2日 - )は、日本の裁判官。大阪高等裁判所部総括判事や、京都地方裁判所所長を務めた。 明治大学卒業後、1961年大阪地方裁判所判事補任官。神戸地方裁判所判事補、大阪地方裁判所判事、京都地方裁判所判事等を経て、1993年高知地方裁判所長。1996年大阪高等裁判所部総括判事。1997年京都地方裁判所長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
30代 式守 伊之助(さんじゅうだい しきもり いのすけ、1… 30代 式守 伊之助(さんじゅうだい しきもり いのすけ、1936年1月2日 - 2013年4月14日)は、大相撲の立行司の一人。式守伊之助としての在位期間は2000年9月 - 2000年11月。井筒部屋(1972年 - 1977年は君ヶ濱部屋)所属。鹿児島県川辺郡川辺町(現南九州市)出身。本名は竹田文雄(たけだ ふみお)(旧名・五反田文夫-ごたんだ ふみお)。 26代木村庄之助の弟子である。36代木村庄之助は弟弟子になる。 1953年9月に式守文夫の名で初土俵。1958年3月に師匠が名づけた式守正一郎に改名。1967年5月に7代式守與之吉襲名。1984年1月に後輩の3代木村林之助とともに幕内格に昇格。
福島 鑄郎(福島 鋳郎、ふくしま じゅうろう、1936年1月… 福島 鑄郎(福島 鋳郎、ふくしま じゅうろう、1936年1月1日- 2006年6月)は、日本の戦後雑誌・出版史の研究者、雑誌収集家。プランゲ文庫の存在を、いち早く日本に広く紹介したことでも知られる。日本出版学会会員、メディア史研究会会員、大衆文学研究会会員、占領史研究会会員。 本稿では可能な限り初出に従って、「鑄」「鋳」の別を個別の著作に付記した。 栃木県生まれ。本名・重信。1954年栃木県立馬頭高等学校卒業後、昼間に古書店巡りの時間を確保するため、日販や藤沢市民病院などで警備員を務めながら、雑誌の収集や研究に励んだ。1972年11月3日、竹前栄治・天川晃とともに日本占領史研究会(1992年解散)を設立。
中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1… 中村 桂子(なかむら けいこ、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、生命誌研究者、JT生命誌研究館名誉館長。理学博士(東京大学、1964年)。東京府出身。長女は、スウェーデン語講師、翻訳家の中村友子。 東大理学部卒。企業所属の生命科学研究所開設に際し研究員となる。人間社会との接点を測りながら遺伝子研究に携わる。生命体の本質を知るには生物の履歴が必要と考え、生命誌研究館を設立。著書に『生命科学から生命誌へ』(1991年)など。
冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は… 冨田 正一(とみた しょういち、1936年1月1日 - )は、日本の元アイスホッケー選手。ポジションはゴールキーパー。元日本アイスホッケー連盟会長、元国際アイスホッケー連盟副会長、初代アジアリーグアイスホッケーチェアマン、元日本オリンピック委員会国際委員会委員長。 東京都中央区京橋出身、ふすま紙や表具などの資材を扱う問屋の家に生まれた。明大明治中学・高校・明治大学卒業。 東京都で生まれ育ったが、小学校6年間は疎開で5つの学校に通った、少年時代は柔道やテニスに打ち込んでおり講道館に通っていたが、中学3年の時、スベン・ヨハンソン(英語版)(スウェーデン)との出会いをきっかけに明治高校のアイスホッケー部の練習に参加、高校進学後に正式に入部した。
岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月… 岡本 日出士(おかもと ひでし、1936年(昭和11年)1月1日 - )は、日本の政治家。元大阪府大東市長(3期)。旭日小綬章受章。 大阪府出身。1954年大阪市立都島工業高等学校(現・大阪府立都島工業高等学校)卒。同年盛工務店に勤務。のち岡本建設を設立、社長となる。ほか四条保育園理事長なども務める。 政治面では1976年に大東市議会議員に当選し、2期務め、市議会副議長を務めた。2000年大東市長選挙に立候補し、現職の近藤松次を破って初当選。2004年に再選。2008年に三選。2012年に退任した。
松尾 陽(まつお よう) 松尾 陽(まつお よう、1936年… 松尾 陽(まつお よう) 松尾 陽(まつお よう、1936年1月1日 - 2012年1月30日)は、日本の建築設備工学者。 専門は、建築環境工学・建築設備。東京大学名誉教授。元 明治大学教授。工学博士。 建築伝熱や建築の省エネルギーの分野において、多大な業績を残す。 熱負荷および空調負荷計算の分野では、標準気象データの整備や熱負荷・空調システム計算プログラムHASP/ACLDの開発に携わる。 1983年には「外界気象の影響下における建築物の熱的挙動並びに熱負荷に関する一連の研究」で日本建築学会賞(論文)を受賞。 空気調和・衛生工学会では会長(70・71期、1996・1997年度)を務めた。 日本建築学会では環境工学委員会の委員長などを務める。
小林 正彦 (こばやし まさひこ、1936年1月1日 - 2… 小林 正彦 (こばやし まさひこ、1936年1月1日 - 2016年10月30日)は日本の会社役員で、石原プロモーション元代表取締役専務。ウェブクウ取締役。愛称はコマサ・大番頭。
和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2… 和田 登(わだ のぼる、1936年1月1日 - 2025年2月4日)は、日本の作家・児童文学作家。信州児童文学会事務局長・編集委員。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部卒業。 1956年大学時代の仲間で親友はまみつを、高橋忠治らと児童文学同人誌「とうげの旗」を創刊。1959年より公立小学校の教師を31年間務めるかたわら、1966年「虫」で第1回日本児童文学者協会短編賞を受賞し児童文学作家となる。1977年、松代大本営設営に駆り出された朝鮮人を描いた『悲しみの砦』で第1回塚原健二郎文学賞。2005年「武器では地球を救えない」で産経児童出版文化賞受賞。 反戦・反差別の立場からする児童文学のほか、人物伝、怪奇もの、児童向けSFなどを多く執筆、中山晋平の伝記を何度か書いている。
井上 尭裕(いのうえ たかひろ、1936年1月1日 - 20… 井上 尭裕(いのうえ たかひろ、1936年1月1日 - 2002年)は、日本の西洋史学者。 愛知県生まれ。東京大学教養学部フランス科卒、1964年同大学院西洋史専攻博士課程満期退学。聖心女子大学助教授、教授を務めた。フランス思想・文化史が専門だった。
松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は… 松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は、日本の写真評論家、写真家。 九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務め、写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行うほか、写真弘社のカレンダーの制作にも協力しており(解説など)、写真家としても作品を残している。 広島県尾道市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 202… 小川 国治(おがわ くにはる、1936年1月1日 - 2025年6月15日)は、日本の歴史学者。山口大学名誉教授。専攻は日本史学。 1936年、広島県広島市生まれ。1966年広島大学大学院文学研究科修士課程修了。1968年広島大学大学院文学研究科博士課程(国史学専攻)退学。山口大学教育学部教授、広島大学総合科学部教授、東亜大学大学院教授を歴任。山口大学名誉教授。 2025年6月15日死去。89歳没。
喜多村和之(きたむら かずゆき、1936年1月1日 - 20… 喜多村和之(きたむら かずゆき、1936年1月1日 - 2013年12月25日)は、日本の教育学者。位階は従四位。
清水 雅人(しみず まさと、1936年1月1日 - 2018… 清水 雅人(しみず まさと、1936年1月1日 - 2018年5月19日)は、日本の詩人、宗教評論家。 満洲生まれ。本名・清水佶(ただし)。1958年早稲田大学文学部国文科卒。『新宗教新聞』編集長をへて、1960年フリー、清水雅人事務所を設立。「宗教問題を考えるジャーナリストの会」発起人、「韓国人被爆者を救援する会議連絡会」世話人。1976年「宗教を現代に問う」(毎日新聞)で菊池寛賞受賞。2018年5月19日、胸部大動脈解離のため死去、82歳。
山下富美代(やました ふみよ、1936年1月1日- 2025… 山下富美代(やました ふみよ、1936年1月1日- 2025年2月7日)は、日本の心理学者、立正大学名誉教授。 東京生まれ。1958年早稲田大学文学部心理学科卒、63年同大学院文学研究科心理学専攻博士課程中退。59-64年警視庁科学捜査研究所心理職技師、立正大学教養部教授、同大文学部教授、同大心理学部教授、2007年定年、名誉教授となる。専門分野は認知心理学。日常的認知研究への関心があり、幼児の認知機能・発達診断、および高齢者の認知機能の研究等に従事している。2025年2月7日死去。
櫻井 正一郎(さくらい しょういちろう、1936年1月 - … 櫻井 正一郎(さくらい しょういちろう、1936年1月 - 2025年6月24日以前)は、日本のイギリス文学者、イギリス史学者、京都大学名誉教授。 大阪府生まれ。京都大学文学部英文科卒、同大学院博士課程中退。大阪府立大学助手、大阪女子大学専任講師を経て、京大総合人間学部教授。99年停年退官、名誉教授。退官後甲子園大学教授、龍谷大学特任教授。 病気休学した高校時代から京都学派の先人たちの本を好んで読み続ける。京大英文学会の紀要に学派の学風についての論文2本を発表。『京都学派 酔故伝』で吉川幸次郎ら酒人12名の人物論を著しつつ、文学研究にも京都学派があったと提唱した。 英文学の研究者として3つの特徴を持つ。
中谷 和夫(なかたに かずお、1936年1月 - 2020年… 中谷 和夫(なかたに かずお、1936年1月 - 2020年5月24日)は、日本の心理学者、東京大学名誉教授。 1959年東大文学部心理学科卒、1966年同大学院博士課程中退、京都大学教養部助教授、東大文学部教授、1976年「心理学における数学的方法の基礎 パターン知覚過程の情報処理モデル・モーメントロンの提案」で文学博士、1996年定年退官、専修大学教授、2006年退職。数学的方法を用いた知覚心理学が専門。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
半澤 周三(はんざわ しゅうぞう、1936年〈昭和11年〉1… 半澤 周三(はんざわ しゅうぞう、1936年〈昭和11年〉1月 - 2016年〈平成28年〉7月7日)は岩手県出身のノンフィクション作家。 釜石市生まれ。1951年(昭和26年)釜石製鉄所教習所に入所。卒業して富士製鐵(後の新日本製鐵)に入社し、現場で働きながら夜は釜石南高校定時制に通った。1965年(昭和40年)から社内報「かまいし」の編集を担当。百年史「炎と共に」の編纂や総合史、同所の労働組合三〇年史の執筆も担当した。また毎年秋に開催される全日本吹奏楽コンクールにおいて、新日鐵釜石吹奏楽部(釜鉄吹奏楽団)のトランペット奏者兼指揮者を1970年代まで務めている。1981年に『海を翔ぶ惇』で第22回講談社児童文学新人賞を受賞。
藤村 和男(ふじむら かずお、1936年 - )は、日本の教… 藤村 和男(ふじむら かずお、1936年 - )は、日本の教育学者。財団法人 教科書研究センター研究部長。 宮城県気仙沼市上鹿折出身。小学4年生のときに茨城県日立市から疎開。宮城県気仙沼高等学校を経て、1960年東京大学教育学部教育学科(教育史・教育哲学専攻)、1961年東京大学教育学部教育行政学科(教育行政専攻)卒業。 1996年から2002年まで(財)教科書研究センター研究部長を務める。
加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心… 加藤 孝義(かとう たかよし、1936年 - )は、日本の心理学者、岩手大学・東北大学名誉教授。 宮城県大崎市に生まれる。大崎市立鳴子小学校、大崎市立鳴子中学校、宮城県古川高等学校卒業、1967年東北大学大学院文学研究科博士課程(心理学専攻)中退。東北大学文学部助手、宮城県技術吏員、岩手大学教養部・人文社会科学部教授、同名誉教授、東北大学情報科学研究科教授、2000年定年退官、名誉教授、宮城学院女子大学教授、尚絅学院大学教授を務めた。1992年「認知の体制化に関する研究」で東北大学博士(文学)。2015年11月瑞宝中綬章受章。
富張 広司(とみはり ひろし、1936年(昭和11年) - … 富張 広司(とみはり ひろし、1936年(昭和11年) - )は、日本の木版画家。 茨城県猿島郡境町に生まれる。茨城県立境高等学校を経て、1957年(昭和32年)に茨城大学教育学部美術科を修了し、茨城県の公立小学校の学校教員となる。その後、独学で木版画制作を始め、ノースウエスト国際版画展をはじめとした様々な作品を出展していった。 1978年(昭和53年)には文化庁芸術家海外研修員および日米友好基金の日米芸術家交換生としてニューヨークに一年間滞在した。 その後、1981年(昭和56年)に教員を退職して、画業に専念し始め、1983年(昭和58年)にホノルル美術館にて個展を開催した。 1992年(平成4年)に栃木県小山市に富張木版画美術館を開館し、栃木県小山市に移り住んだ。
杉尾邦江(すぎお くにえ、1936年-2023年)は、日本の… 杉尾邦江(すぎお くにえ、1936年-2023年)は、日本の女性ランドスケープアーキテクト。ランドスケープコンサルタント協会登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。技術士。都市計画コンサルタント協会マスター都市プランナー。ランドスケープコンサルタントのプレック研究所代表取締役会長。自然環境共生技術協会自然環境共生技術フォーラム理事。文化庁文化審議会専門委員、歴史的砂防施設の保存活用調査委員会委員。武蔵工業大学講師を歴任 東京都新宿区牛込出身。。 都市計画コンサルタント協会の紹介 参照。東京都立新宿高等学校を経て東京農業大学を1960年に卒業。 在学中の1959年 国家公務員上級職試験(造園職)に合格。
鎌田 豊成(かまだ とよしげ、1936年 - )は日本のアー… 鎌田 豊成(かまだ とよしげ、1936年 - )は日本のアートディレクター、クリエイティブディレクター、造形作家。元長岡造形大学学長。 東京で生まれる。東京芸術大学美術学部工芸科図案計画専攻を卒業後、株式会社大広のアートディレクターとなる。その後、株式会社グレイ大広でクリエイティブディレクターを経て、1991年に有限会社カマダデザイン事務所を設立する。1994年に長岡造形大学教授となり、2004年に同大学学長に就任。2008年に学長を退任し、現在は長岡造形大学名誉教授である。 2002年~2003年に韓国の東西大学客員教授を務める。また、社団法人中越防災安全推進機構理事、新潟総合テレビ番組審議会委員、長岡市復興委員会委員など新潟県の地域活動に参画した。
ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳… ナオユキ・トヨトシ(Naoyuki Toyotoshi、豊歳 直之、1936年‐)は、パラグアイ共和国の外交官、実業家。 2009年に駐日パラグアイ特命全権大使に就任した。東京に駐日パラグアイ大使館が開設されてから第9代特命全権大使となる。2017年離任。 日本生まれの日本育ちの日本人であり、アルゼンチンを経て、パラグアイ移住後も長く日本国籍者であった。しかし、パラグアイ共和国政府より2009年に駐日特命全権大使に就任を要請され、パラグアイ国籍を取得した。日本国の戸籍の漢字表記は「豊歳 直之」。 トヨトシは、パラグアイの日系社会出身者として、イサオ・タオカ(田岡功)駐日大使(第8代:在任2004年‐2009年)に次いで、2人目の駐日特命全権大使となった。
こやま 峰子(こやま みねこ、1936年 - )は、日本の詩… こやま 峰子(こやま みねこ、1936年 - )は、日本の詩人、児童文学作家。平和主義の立場からの著作が多い。 本名・小山つね子。東京出身。共立女子高等学校卒業。 翻訳絵本「だ・あ・れ!?」などで赤い靴児童文化賞受賞。1998年、日本童謡賞特別賞受賞。2003年に第26回巖谷小波文芸賞(日本青少年文化センター)を、2004年には児童文化功労者(日本児童文芸家協会)、日本児童文芸家協会賞を受賞。
功刀 義幸(くぬぎ よしゆき、1936年 - )は、山梨県出… 功刀 義幸(くぬぎ よしゆき、1936年 - )は、山梨県出身の元プロ野球選手。 巨摩高校から1956年に毎日オリオンズへ入団。同年退団。
尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、… 尾澤 正毅(おざわ まさき、1936年 - 2010年)は、日本の彫刻家、教育者、教育学者(美術教育)。福井大学名誉教授。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で尾沢 正毅(おざわ まさき)と表記されることもある。 東京都公立高等学校講師、福井大学教育学部教授、福井大学教育地域科学部教授などを歴任した。 長野県出身の彫刻家である。東京芸術大学美術学部を卒業後、彫刻家として活動した。また、並行して、東京都の公立高等学校にて非常勤で教鞭を執った。のちに福井大学に奉職し、教育学部にて助教授や教授を務め、さらに教育地域科学部の教授を務めるなど、後進の育成にも力を注いだ。2005年の国民文化祭では彫刻部門の審査員を務めており、福井県立美術館では実技講座専門彫刻の講師を務めるなど、地域社会の芸術の振興にも力を尽くした。
小平 克(こだいら まさる、1936年 - )は、日本の教育… 小平 克(こだいら まさる、1936年 - )は、日本の教育者。専門は、森鴎外研究。 茨城県出身。本籍は長野県であり、諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京教育大学文学部倫理学専攻(現・筑波大学人文・文化学群)卒業。香川県立高等学校教諭、 東京都立両国高等学校など東京都立高等学校教諭を務め、倫理・社会を担当。森鴎外を研究。
青木 範充(あおき のりみつ、1936年 - )は、日本の医… 青木 範充(あおき のりみつ、1936年 - )は、日本の医師。旧国立東信病院元院長。旧東長野病院名誉院長。長野県出身。 1936年(昭和11年)長野県生まれ。1954年(昭和29年)長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1961年(昭和36年)信州大学医学部卒業。同大学院修了。 信大大学院修了後は、国立病院機構信州上田医療センターの前身である旧国立東信病院に入り、整形外科医としてまた院長として30年余り勤務。その間、新病院建設にも関わり「増え続けるがん患者にしっかり対応し、救急医療など地域のニーズにこたえられる病院」を目指した。上田市の旧国立東信病院で5年間、長野市の東長野病院で4年間院長を務め、地域医療の発展に力を注いだことにより、2011年(平成23年)「瑞宝中綬章」(保健衛生功労)を受勲した。
飯高 京子(いいたか きょうこ、1936年 - )は、言語病… 飯高 京子(いいたか きょうこ、1936年 - )は、言語病理学博士、言語聴覚士、東京学芸大学名誉教授、上智大学教授。旧満州国 大連生まれ。1955年、私立近江兄弟社高等学校在学中に同学初の海外留学生として渡米後、米国ベリア大学教育学部を経て、ノースウェスタン大学言語障害学研究科博士課程修了。国際友和会理事、日本友和会書記長。 1997年には言語聴覚士法制定に関わった。
山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日… 山嵜 泰正(やまざき やすまさ、1936年(昭和11年)月日不明 - 2015年(平成27年)7月)は、京都市出身の郷土史研究家。説話・伝承学会、京都地名研究会、世界鬼学会などの学会に所属した。 京都市立堀川高等学校から立命館大学へ進学し、同大学院(法学修士)卒業後は、京都府立桃山高等学校、京都府立大江高等学校、京都府立洛北高等学校を経て、京都教育大学付属高等学校にて教鞭を取り、加えて、京都教育大学の非常勤講師を兼務した。定年退官後は京都文教大学の非常勤講師を経て、京都リビング新聞カルチャー講座、ラボール学園(京都勤労者学園)、生涯学習センター(京都市、宇治市)にて「歴史・説話」「歴史人物伝」の講師を勤めた。
倉戸 ヨシヤ(くらと ヨシヤ、1936年 - )は臨床心理学… 倉戸 ヨシヤ(くらと ヨシヤ、1936年 - )は臨床心理学者。クリスチャンの家系に生まれ、名前の「ヨシヤ」も聖書からとったものである。妻は倉戸由紀子であり、夫婦共に人間性心理学やゲシュタルト療法の研究に従事している。大阪市立大学名誉教授。 同志社高等学校を経て、1959年同志社大学文学部心理学専攻卒業、大阪社会事業短期大学助手。 "マサチューセッツ大学アマースト校"大学院教育学部カウンセリング専攻博士課程修了M.Ed.、Ed.D.サンフランシスコ州立大学専任講師・カウンセラー 日本心理臨床学会理事、同編集委員、同倫理委員、現在名誉会員、日本人間性心理学会理事長、大阪府臨床心理士会会長などを歴任した。
澤田 淳(さわだ ただし、1936年(昭和11年) - )は… 澤田 淳(さわだ ただし、1936年(昭和11年) - )は、日本の医師(小児科学)。京都府立医科大学名誉教授。世界で初めて神経芽腫(小児がん)マス・スクリーニングを開始。世界に類を見ない大規模2300万人超のコホート研究を生み出した。京都市子ども保健医療相談・事故防止センター(京あんしんこども館)センター長。 大阪府生まれ、大阪府立清水谷高等学校卒業。京都府立医科大学医学部医学科卒業、京都府立医科大学大学院医学研究科臨床医学専攻(博士課程)修了。1968年(昭和43年)京都府立医大の助手、1975年助教授、1986年教授に就任した。 1974年神経芽腫の子供を治したい思いから、世界で初めて乳児の神経芽腫マス・スクリーニングを開始した。
安斉 敦子(あんざい あつこ、1936年 - )は、日本のデ… 安斉 敦子(あんざい あつこ、1936年 - )は、日本のデザイナー。 大阪市立工芸高等学校(現:大阪府立工芸高等学校)の図案科で、グラフィックデザインを学ぶ。 1955年、上京して亀倉雄策に師事し、亀倉らが設立した日本デザインセンターにグラフィックデザイナーとして入社する。 1964年東京オリンピックでは、デザイン・ガイド・シート作成の一員となった。 この年の5月には渡仏し、パリでファッションデザイナーの高田賢三と友人になる。
久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外… 久山 純弘(くやま すみひろ、1936年 - )は、日本の外交官。岡山県出身。元国際連合事務次長補。元国際連合人間居住計画(UN-HABITAT)事務次長。元国際連合総会第5委員会議長(行財政問題担当)。元国連合同監査団(JIU)議長。日本国際連合協会理事。外務大臣表彰状受賞。瑞宝中綬章受賞。 岡山県出身。岡山県立朝日高等学校卒業。東京大学教養学部卒業。上智大学国際部(現・国際教養学部)大学院修了。経済企画庁(現在は内閣府)、ニューヨークの国連開発計画(UNDP)等を経て、1975-1984年、日本政府国連代表部にて外交官として従事。その間、1979-83年に国連総会の主要委員会の一つである国連行財政諮問委員会(ACABQ)のメンバー、1983年には国連総会第5委員会議長を兼任。
那野 比古(なの ひこ、1936年(昭和11年) - 201… 那野 比古(なの ひこ、1936年(昭和11年) - 2017年(平成29年))は、科学技術ジャーナリスト、多摩大学名誉教授。本名・井上一郎。 岡山県生まれ。岡山県立倉敷青陵高等学校、東京大学理学部卒業。サンケイ新聞、情報産業新聞記者を経て、1982年に科学技術ジャーナリスト・サンケイ新聞客員記者。郵政省などの各種委員も務める。1989年に多摩大学経営情報学部教授。日本ベンチャー学会副会長なども歴任。2007年に定年退任。
長町 三生(ながまち みつお、1936年 - )は、日本の工… 長町 三生(ながまち みつお、1936年 - )は、日本の工学者。専門は人間工学。学位は、文学博士(1963年)。「感性工学」の日本における創始者である。広島大学名誉教授。2012年瑞宝中綬章受章。 1936年、兵庫県神戸市生まれ。1958年に広島大学教育学部心理学科を卒業、1963年に文学博士の学位を取得し、翌年、広島大学工学部助手となる。1978年、同教授に就任。専門は、人間工学、認知科学。特に、感性工学については、日本におけるパイオニア的な存在である。感性工学の発想を初めて商品開発に導入した人物とされる。そのほか、労務管理、安全工学に関する著作も多い。 広島大学退官に際し名誉教授の称号を贈られ、退官後は、呉工業高等専門学校の第五代校長を経て、広島国際大学人間環境学部長を務める。
重松 惠三(しげまつ けいぞう、1936年 - )は、愛媛県… 重松 惠三(しげまつ けいぞう、1936年 - )は、愛媛県出身の陸上自衛官。第25代東部方面総監、第21代西部方面総監。 愛媛県立今治西高等学校卒。防衛大学校第3期卒。陸上自衛隊幹部候補生学校教官、第9師団長、西部方面総監を歴任。 1993年、東部方面総監で退官。 2008年11月、瑞宝中綬章を受章。 陸上自衛隊幹部候補生学校校歌の作詞者。青年時代は三島由紀夫と親交があった。定年退官後は日本会議愛媛県本部会長に就任(2013年6月退任。後任は愛媛銀行会長・中山紘治郎が務める)、尖閣諸島防衛や憲法改正による自衛隊の国軍化を訴える政治活動を行う。田母神俊雄を故郷の愛媛県に数回招待し、講演会等を開催したこともある。
川﨑 晃一(かわさき てるかず、1936年 - 2014年)… 川﨑 晃一(かわさき てるかず、1936年 - 2014年)は日本の医学者。九州大学名誉教授。 福岡県出身。1955年福岡県立修猷館高等学校卒業。1961年九州大学医学部卒業。九州大学医学部附属病院にて実地修練ののち、九州大学医学部第2内科(勝木司馬之助教授)に入局し、大学院に入学。1969年9月助手となる。 1973年1月から1975年1月にかけて米国に留学し、アメリカ国立衛生研究所(NIH)訪問研究員として研究。1977年6月九州大学医学部講師を経て、1981年12月九州大学健康科学センター教授に就任。1978年には、食塩感受性という遺伝的要因が高血圧を発症させる事実を発見し報告している。1997年4月から1998年3月にかけて留学生センター長、1998年11月から1999年3月にかけて健康科学センター長を務めた。
脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の… 脇山 順子(わきやま じゅんこ、1936年 - )は、日本の料理研究家。元長崎女子短期大学教授。長崎の味研究グループ代表を務め、長崎の食文化について研究している。 1936年、長崎県長崎市生まれ。長崎市立桜馬場中学校、長崎県立長崎東高等学校を経て、長崎大学学芸学部(現・教育学部)を卒業。 長崎女子商業高等学校の家庭科教員、長崎総合科学大学附属高等学校の非常勤講師を経て、1983年から2002年まで長崎女子短期大学で調理学・食育学を教えた。その後も県立長崎シーボルト大学やこころ医療福祉専門学校などで非常勤講師を務めた。 長崎の食文化についての研究に努め、ながさきの「食」推進委員会食育部会会長や長崎市地産地消アドバイザーを歴任。
内藤 喜之(ないとう よしゆき、1936年 - 2011年)… 内藤 喜之(ないとう よしゆき、1936年 - 2011年) は、日本の工学者。専門は電磁波工学。東京工業大学学長・大分大学学長・国立高等専門学校機構理事長:電子情報通信学会会長・文部科学省教科用図書検定調査審議会会長等を歴任。 大分県出身。1955年大分県立別府鶴見丘高等学校卒業。1959年東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。川上正光に師事し、1964年東京工業大学大学院修了、工学博士。1980年東京工業大学工学部教授。1993年東京工業大学工学部長。1997年東京工業高等専門学校校長。同年東京工業大学学長、東京工業大学名誉教授。1999年にはボンで行われた日独学長会議に中嶋嶺雄東京外国語大学学長、石弘光一橋大学学長と参加して知り合い、帰国後如水会館のレストランで話し合ったことがきっかけとなり、その後四大学連合が結成された。
山本 信良(やまもと のぶよし、1936年 - )は、教育学… 山本 信良(やまもと のぶよし、1936年 - )は、教育学者、立正大学名誉教授。 千葉県出身。東京学芸大学卒。1977年青山学院大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程満期退学。81年「小学校における学校行事の成立と展開に関する研究」で青学文学博士。小中高校教諭をへて、1983年立正大学短期大学部教授、1996年立正大学社会福祉学部教授、2006年退任、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
大巻 忠一(おおまき ちゅういち、1936年(昭和11年) … 大巻 忠一(おおまき ちゅういち、1936年(昭和11年) - )は、日本の弁護士。岩手大学出身の法曹の一人。函館弁護士会会長、北海道弁護士会連合会副会長、日本弁護士連合会理事を歴任。 岩手県出身。1962年(昭和37年)岩手大学農学部卒業。1966年(昭和41年)旧司法試験に合格。1969年(昭和44年)弁護士登録。大巻忠一法律事務所を開設。1972年(昭和47年)函館弁護士会副会長に就任。1980年(昭和55年)函館弁護士会会長に就任。北海道弁護士会連合会副理事長や、日本弁護士連合会理事にも就任。1985年(昭和60年)函館弁護士会会長、北海道弁護士連合会副会長、日本弁護士連合会理事に再任。
河崎 曽一郎(かわさき そういちろう、1936年 - )は、… 河崎 曽一郎(かわさき そういちろう、1936年 - )は、日本の政治評論家。NHK解説委員を務めた。 京都府京都市出身。愛媛大学卒業後、NHKに入局。松山支局、富山支局を経て1969年に報道局政治部に配属され、選挙を担当。政治部記者を長く務め、1993年に解説主幹を最後に退職。 その後は2001年までNHK部外解説委員。現在は評論家・ジャーナリストとして活躍している。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。