井本 雅之(いもと まさゆき、1956年1月6日 - )は、… 井本 雅之(いもと まさゆき、1956年1月6日 - )は、日本の実業家。ありがとうサービス代表取締役社長、今治デパート取締役。 愛媛県今治市出身。早稲田大学教育学部卒業。 1980年に日本マーケティングセンター(現:船井総合研究所)の勤務を経て、1985年に祖父が立ち上げたブラザーミシン代理店である井本ブラザー商会の代表取締役に就任。1989年には父親が病に倒れ、父親が経営していた今治デパートに入社。今治デパートはダイエーのフランチャイジーとしてスーパーを展開していたが1990年代に入りバブル崩壊や規制緩和による郊外への大型ショッピングセンター開業などで経営が悪化。一時期は借入が145億円(当時の年商170億円 経常利益マイナス1億円)あり、銀行からの融資が止まるなど厳しい状況に追い込まれた。
たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は… たなか 亜希夫(たなか あきお、1956年1月6日 - )は、日本の漫画家。 宮城県石巻市出身。小池一夫の主宰した漫画・劇画製作者を養成する私塾「劇画村塾」出身。代表作は『軍鶏』など。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
鬼嶋 一司(きじま かずし、1956年1月5日 - )は、元… 鬼嶋 一司(きじま かずし、1956年1月5日 - )は、元アマチュア野球選手・指導者・実業家である。扶桑電機株式会社代表取締役社長、元慶應義塾大学野球部監督。 慶應義塾普通部を卒業後、慶應義塾高等学校では捕手として活躍、2年秋は県大会準決勝まで進むが横浜高の永川英植に完投されて敗退。卒業後は慶應義塾大学に入学。1学年後輩に堀場秀孝がいたためレギュラーには定着できなかった。 大学卒業後は社会人野球の川崎製鉄千葉に入社。1980年の都市対抗野球に正捕手として出場し、ベスト8。1984年の都市対抗野球へ出場を果たして引退し、その年から監督に就任。自身が選手時代に控え捕手であった大野雄次を4番として抜擢し、1986年の都市対抗野球へ出場。
榎木 孝明(えのき たかあき、1956年1月5日 - )は、… 榎木 孝明(えのき たかあき、1956年1月5日 - )は、日本の俳優、水彩画家。鹿児島県伊佐郡菱刈町(現:伊佐市)出身。
市川 泰(いちかわ やすし、1956年1月5日 - )は、N… 市川 泰(いちかわ やすし、1956年1月5日 - )は、NHKの元シニアアナウンサー。 都立九段高校、小樽商科大学卒業後、1978年入局。初任地の北見から北海道での勤務は通算で30年近い。2022年7月頃をもって引退。 特技はおいしく緑茶を入れること。 ※このほか厳密には番組ではないものとしては、室蘭局の総合テレビ・ラジオ第1・FMのコールサインアナウンスも担当。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
吉原 直樹(よしはら なおき、1956年1月5日 - )は、… 吉原 直樹(よしはら なおき、1956年1月5日 - )は、神奈川県横浜市出身の実業家。美容室チェーンのアッシュの創業者で、株式会社アルテジェネシス 代表取締役会長。 1978年に埼玉大学 教育学部を卒業後、理美容機器、化粧品等の製造・販売を行うタカラベルモントに入社後、1981年に美容室チェーンへ転職。美容師という職に興味を持ち、美容学校に入学して31歳で美容師免許を取得した。 1986年、横浜市神奈川区の大口通商店街の駄菓子屋の2階で10坪の美容室ヴィクトリアを開業し、翌年には学芸大学に12坪の新規店舗を開業した。1988年に有限会社アルテ(現:株式会社アルテジェネシス)を設立。以降、関東を中心に「Ash」ブランドの独立支援システム「のれん分けフランチャイズ方式」でサロン展開し、2004年にJASDAQ市場に上場を果たす。
陳 建一(ちん けんいち、1956年〈昭和31年〉1月5日 … 陳 建一(ちん けんいち、1956年〈昭和31年〉1月5日 - 2023年〈令和5年〉3月11日)は、中華料理(四川料理)の料理人、調理師、料理研究家。勲等は旭日小綬章。本名は東 建一(あずま けんいち)。 四川飯店店主、民権企業株式会社社長、社団法人日本中国料理協会会長などを歴任した。 中華料理店「四川飯店」のオーナーであり、同店の運営会社である民権企業の社長を務めていた。テレビ番組『料理の鉄人』への出演でも知られる。日本中国料理協会の会長に推され、2011年5月に就任しており、全日本・食学会においても理事を務めるなど、要職を歴任した。 東京都生まれ。四川料理の第一人者である父の陳建民と日本人の母の間に生まれた。
牟田 弘文 (むた ひろふみ、1956年〈昭和31年〉1月5… 牟田 弘文 (むた ひろふみ、1956年〈昭和31年〉1月5日 - )は、日本の実業家。トヨタ自動車専務役員を経て、2017年6月から日野自動車取締役副社長。
福島 孝二(ふくしま こうじ、1956年1月4日 - )は、… 福島 孝二(ふくしま こうじ、1956年1月4日 - )は、埼玉県秩父市出身の元プロ野球選手(投手)。 秩父第二中学校卒業後、日大三高から社会人野球・チャイルド休部後は調理師見習いとして働き、1978年オフにドラフト外で近鉄バファローズに入団。 一軍公式戦に出場のないまま、1983年限りで現役を引退。1984年は、近鉄で打撃投手を務める。 1985年からは西武ライオンズでに在籍し、1992年まで打撃投手、その後スコアラーを務める。 2000年から、ヤクルトスワローズにスコアラーとして在籍。 2006年から、東北楽天ゴールデンイーグルスのスコアラー。 2008年から、埼玉西武ライオンズの二軍ディレクターに就任。
大野 道夫(おおの みちお、1956年1月4日 - )は、日… 大野 道夫(おおの みちお、1956年1月4日 - )は、日本の歌人・社会学者。竹柏会「心の花」編集委員。大正大学心理社会学部人間科学科教授。曾祖父は佐佐木信綱。佐佐木幸綱は母の従兄弟にあたる。 神奈川県立湘南高等学校、東京大学文学部国史学科卒業。同大学院教育学研究科教育社会学専攻博士課程満期退学。 東大俳句会OBで、俳誌「天為」に所属して俳人としても活動する。1989年、「思想兵・岡井隆の軌跡―短歌と時代・社会との接点の問題」で第7回現代短歌評論賞受賞。1990年、谷岡亜紀、加藤孝男、大辻隆弘らと同人誌『ノベンタ』を創刊。2006年、東京大学本郷短歌会を創立。 歌人としての活動のほか、歌壇を社会学の見地から分析した本も上梓している。
浜口 秀樹(はまぐち ひでき、1956年1月4日 - )は、… 浜口 秀樹(はまぐち ひでき、1956年1月4日 - )は、長崎県出身の元バスケットボール選手である。195cm。 長崎南高校から拓殖大学に進み、在学中に最年少となる20歳でモントリオール五輪に出場。2021年の東京オリンピックに開催国として出場するまでオリンピック男子バスケットボールに選手としての出場歴を持つ最も若い日本人であった。 卒業後は新日鐵に入社。
初音家 左橋(はつねや さきょう、1956年1月4日 - )… 初音家 左橋(はつねや さきょう、1956年1月4日 - )は、神奈川県川崎市出身の落語家。本名∶鈴木 宏和。落語協会所属。出囃子は『春はうれしや』。紋は『梅』。 法政大学経済学部卒業後1979年6月、十代目金原亭馬生に入門。翌年3月、前座となる。前座名は金原亭小駒。 1982年9月に師匠馬生が死去したため、兄弟子金原亭伯楽門下へ移籍する。 1983年3月 二ツ目昇進。 1987年にっかん飛切落語会努力賞 1993年にっかん飛切落語会奨励賞 1994年にっかん飛切落語会奨励賞 1995年3月「初音家左橋」で真打に昇進。(亭号の初音家は、三代目春風亭柳朝〈江戸嘉永5年1月25日生〉別名、初音屋柳朝に由来、名前の左橋は、音に響くのきょうの意味合い) 1995年国立演芸場花形演芸会金賞 2002年平成14年度文化庁芸術祭優秀賞 2006年法政大学で講師を務める。
有村雅弘(ありむら まさひろ、1956年1月4日 - )は、… 有村雅弘(ありむら まさひろ、1956年1月4日 - )は、鹿児島県出身の美容師。美容室imaii勤務。血液型O型。
羽原 順司(はばら じゅんじ、1956年1月3日 - )は、… 羽原 順司(はばら じゅんじ、1956年1月3日 - )は、NHKの元アナウンサー。 広島県出身。広島大学附属福山高等学校、慶應義塾大学卒業後、1978年入局。 新潟放送局放送部長、鳥取放送局局長、広島放送局アナウンス専任部長などを経て、株式会社NHK文化センターへ転籍。京都支社長、東京総支社長を務めた。
桂 三象(かつら さんぞう、1956年1月3日 - )は高知… 桂 三象(かつら さんぞう、1956年1月3日 - )は高知県高知市出身の落語家。本名および旧芸名は梶原 一弘(かじわら かずひろ)。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。上方落語協会会員。
山本 昌平(やまもと まさひら、1956年1月3日 - )は… 山本 昌平(やまもと まさひら、1956年1月3日 - )は、日本の実業家。元ハイマックス社長、会長。東京都出身。 1956年(昭和31年)1月3日、東京都生まれ。1978年(昭和53年)3月上智大学理工学部卒業。同年4月株式会社ハイマックス入社。1991年(平成3年)3月同社取締役。2000年(平成12年)同社代表取締役社長。2006年(平成18年)1月関連会社である株式会社エスビーエス代表取締役。同年4月ハイマックス取締役。2009年(平成21年)4月同社取締役会長、エスビーエス取締役。同年6月ハイマックス代表取締役会長。2011年(平成23年)5月エスビーエス取締役退任。同年6月ハイマックス代表取締役社長。
小倉 孝誠(おぐら こうせい、1956年1月2日 - )は、… 小倉 孝誠(おぐら こうせい、1956年1月2日 - )は、日本のフランス文学者、翻訳家。慶應義塾大学文学部教授。日本学術会議会員。 青森県生まれ。1974年青森県立弘前高等学校卒業。1978年京都大学文学部(仏文学科)卒業。1983年東京大学大学院人文科学研究科修士課程(仏語仏文学)修了、ソルボンヌ大学で文学博士の学位を取得、1988年東大博士課程中退、同文学部助手、1989年旧:東京都立大学助教授、1997年渋沢・クローデル賞受賞、2003年慶應義塾大学文学部教授。2011年『身体の歴史』の監訳で日本翻訳出版文化賞受賞。 エミール・ゾラを専門とし、第二帝政期フランスを中心とした風俗・犯罪、また歴史小説、推理小説などについて広く執筆・翻訳を行う。
吉田 瑞彦(よしだ みずひこ、1956年〈昭和31年〉1月2… 吉田 瑞彦(よしだ みずひこ、1956年〈昭和31年〉1月2日 - )は、日本の弁護士。日本弁護士連合会理事、岩手弁護士会会長、東北弁護士会連合会副会長、日本弁護士連合会副会長などを歴任。 趣味はジャズ鑑賞・ジャズライブ鑑賞、ジャズピアノ演奏、ゴルフ
齊藤 治和(さいとう はるかず、1956年(昭和31年)1月… 齊藤 治和(さいとう はるかず、1956年(昭和31年)1月2日- )は、日本の航空自衛官。第33代航空幕僚長。 福井県丹生郡清水町出身。福井県立羽水高等学校を経て、1978年(昭和53年)3月に防衛大学校(第22期)卒業し、航空自衛隊に入隊。職種は飛行(戦闘機操縦士)、TACネームは「GOA」。総飛行時間は約3,300時間であり、その約半分はF-15戦闘機によるもの。第6航空団司令兼小松基地司令、航空救難団司令、航空幕僚監部運用支援・情報部長、航空総隊司令部幕僚長を経て、2009年(平成21年)3月、空将に昇任、統合幕僚監部運用部長、北部航空方面隊司令官を歴任。航空総隊司令部の組織改編及び移転に際しては初代副司令官から第41代航空総隊司令官を務める等、一貫して関わってきた。
蔵前 仁一(くらまえ じんいち、1956年1月2日 - )は… 蔵前 仁一(くらまえ じんいち、1956年1月2日 - )は日本のイラストレーター、旅行作家、編集者、装幀家。 鹿児島県生まれ。実家は鹿児島・霧島温泉にある1917年(大正6年)創業の老舗旅館。現在は旅行人山荘として営業している。鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 インド旅行の体験を楽しいイラスト入りでまとめた『ゴーゴー・インド』(凱風社)でデビュー。1990年代にヒット作を連発。若い旅行者から支持を得た。 バックパッカーを対象とした月刊誌『旅行人』(のちに季刊、さらに年2回刊に)を主宰したが、同誌は2011年12月発売号をもって休刊。編集長を務めた『旅行人』からは、岡崎大五、グレゴリ青山、宮田珠己、田中真知、大倉直らの若手作家が登場した。
菅原 昭子(すがわら しょうこ、1956年1月2日 - )は… 菅原 昭子(すがわら しょうこ、1956年1月2日 - )は、秋田県潟上市生まれの歌手。
加来 正年(かく まさとし、1956年(昭和31年)1月2日… 加来 正年(かく まさとし、1956年(昭和31年)1月2日 - )は、日本の実業家。王子ホールディングス(旧・王子製紙)代表取締役会長。 福岡県出身。1978年九州大学工学部卒業、日本パルプ工業入社。2011年王子製紙執行役員。2012年王子ホールディングス常務グループ経営委員兼王子エフテックス代表取締役社長。2013年王子ホールディングス取締役常務グループ経営委員に昇格。2017年から王子ホールディングス取締役常務グループ経営委員コーポレートガバナンス本部副本部長と、王子エンジニアリング代表取締役社長を兼務し、子会社の事業再編にあたった。2019年から王子ホールディングス代表取締役社長を務め、紙需要の減少が進む国内事業などの選択と集中を進めた。
稲垣 恭子(いながき きょうこ、1956年1月2日 - )は… 稲垣 恭子(いながき きょうこ、1956年1月2日 - )は、日本の教育社会学者。京都大学副学長・理事。京都大学名誉教授。京都大学大学院教育学研究科元教授で元科長・教育学部長。放送大学客員教授。 広島県出身。1978年京都大学教育学部教育社会学科を卒業。その後、同大学大学院教育学研究科に進学し、博士課程を退学。滋賀大学助教授、京都大学助教授、放送大学客員教授を歴任し、京都大学大学院教育学研究科教授。2009年に『「女学生」という表象 : 歴史社会学的考察』によって、博士(教育学)(京都大学)を取得。2017年教育学研究科長(-2020年3月)。2020年10月京都大学理事。2021年10月、京都大学副学長・理事(現職)。
首藤 正治(すどう まさはる、1956年(昭和31年)1月2… 首藤 正治(すどう まさはる、1956年(昭和31年)1月2日 - )は、日本の政治家。元宮崎県延岡市長(3期)。 宮崎県延岡市野地町出身。駐エクアドル大使の首藤祐司は弟。延岡市立南方小学校、延岡市立西階中学校、宮崎県立延岡西高等学校卒業。1979年3月、京都大学工学部物理工学科卒業。同年4月、小西六写真工業(現・コニカミノルタ)に就職。1983年、株式会社スドーに転職。1993年より同社代表取締役を務める。 2006年2月の延岡市長選で現職の櫻井哲雄を破り、初当選。同年2月6日、市長就任。3選後の2017年、次期市長選には出馬せず引退することを表明。 2018年、大正大学客員教授に就任。2019年より教授、同年11月より副学長。
菅野 覚明(かんの かくみょう、1956年1月2日 - )は… 菅野 覚明(かんの かくみょう、1956年1月2日 - )は、日本の倫理学者、曹洞宗の僧侶。皇學館大学文学部神道学科教授、東京大学名誉教授。専攻は日本倫理思想史。 1979年に東京大学文学部倫理学科を卒業。1981年に同大学大学院人文科学研究科倫理学専攻修士課程を修了。 1985年に同大学院博士課程退学、文学部助手、1991年に助教授。2005年に東京大学大学院人文社会系研究科教授。2013年に皇學館大学文学部神道学科教授。 2016年に東京大学名誉教授。 他に神道史学会・鈴屋学会・日本武道館評議委員会役員。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
末松 正博(すえまつ まさひろ、1956年1月2日 - )は… 末松 正博(すえまつ まさひろ、1956年1月2日 - )は、日本の漫画家。血液型A型。 日本大学法学部卒業後いったん就職して、1984年にデビューした。1985年より連載を開始した『右曲がりのダンディー』は、大手広告代理店勤務のエリートサラリーマンを主人公に、バブル期の流行や世相を積極的に取り入れ、時代を象徴する作品として好評を博し、1989年には映画化された。 スタイリッシュな絵柄とテンポのよいギャグが特徴のコメディ作品を得意とする。また芸能プロダクションを舞台にした『1973 KHIMAIRA』のように全編シリアスなハードボイルド調の作品や、硬軟を巧みに織り交ぜた探偵もの『勝手にしやがれ』のような作品も手がけている。
大前 千代子(おおまえ ちよこ、1956年1月2日 - )は… 大前 千代子(おおまえ ちよこ、1956年1月2日 - )は、広島県出身の障害者スポーツ選手で、アーネムパラリンピック金メダリスト(アーチェリー)および同大会銅メダリスト(陸上競技)。このほか、パラリンピックには車いすテニスでアトランタ、シドニー、アテネ、北京の4大会に連続出場、うちアテネ大会で日本女子では最高となる女子ダブルス4位の成績をおさめた。 呉市に生まれる。1歳半でポリオを発症、下半身麻痺となった。幼少期に両親とともに大阪へ転居、養護学校から佛教大学へ進学、社会福祉を学びながら肢体不自由児のボランティアにいそしんだ。 大学卒業後に大阪市長居障害者スポーツセンターでアーチェリーに出会う。
木村 敏文(きむら としぶみ、1956年(昭和31年)1月1… 木村 敏文(きむら としぶみ、1956年(昭和31年)1月1日 - )は、日本の政治家。茨城県坂東市長(3期)。坂東市議会議員(3期)、猿島町議会議員(1期)。 茨城県猿島郡猿島町(現・坂東市沓掛)生まれ。明治学院大学法学部卒業後、猿島町役場の職員となり、その後、友人と建築会社を設立。 2001年(平成13年)4月、猿島町議会議員に初当選。2005年(平成17年)3月22日、猿島町は岩井市と新設合併し坂東市が誕生する。 坂東市議会議員3期目の2017年(平成29年)1月14日に次期坂東市長選挙への出馬を表明。同年3月、市議を辞職。4月2日に行われた市長選挙で現職の吉原英一との一騎打ちを制し初当選した。
大友 康平(おおとも こうへい、1956年〈昭和31年〉1月… 大友 康平(おおとも こうへい、1956年〈昭和31年〉1月1日 - )は、日本のミュージシャン、俳優、タレント。ロックバンドHOUND DOGのボーカル。宮城県塩竈市出身。イエホック所属。母方の叔父は直木賞作家の長部日出雄、妻は元ファッションモデルの木下桂子。 康平の「康」は徳川家康から、「平」は在原業平からとられている。 宮城県塩竈市生まれ。実家の「大友材木所」は、宮城県でも三本の指に入るほどの大きさであったが、康平が一歳の時に倒産。両親は乳飲み子の康平を連れて母方の実家・青森県弘前市に移る。そこでは長居することができず、後に千葉県松戸市へと移る。父はそこで一旦サラリーマンになるが、祖父の知り合いが埼玉県入間郡越生町に材木工場を開いてくれて、父はサラリーマンを辞め再び材木商となり、康平が4歳の時、越生町に一家で引越し、19歳で東北学院大学に入学するまで同地で過ごした。
神野 正博(かんの まさひろ、1956年〈昭和31年〉1月1… 神野 正博(かんの まさひろ、1956年〈昭和31年〉1月1日 - )は、日本の医師。専門は消化器外科。 石川県金沢市出身。父は医師の神野正一、祖父は医師の神野正隣。 1974年(昭和49年)金沢大学附属高等学校卒業。1980年(昭和55年)日本医科大学医学部卒業。 金沢大学第二外科入局、富山県立中央病院を経て、珠洲市総合病院に勤務。 1986年(昭和61年)、金沢大学大学院修了(医学博士)。浅ノ川総合病院を経て、金沢大学第二外科助手。 1992年(平成4年)、恵寿総合病院外科部長。翌1993年(平成5年)に院長、1995年(平成7年)に医療法人菫仙会理事長に就任。 【厚生労働省】社会保障審議会医療部会委員、医道審議会医師分科会医師臨床研修部会委員、医道審議会保健師助産師看護師分科会看護師特定行為研修部会委員、医療従事者の需給に関する検討会委員、同医師分科会委員を務める
鵜飼 哲也(うかい てつや、1956年1月1日 - )は、日… 鵜飼 哲也(うかい てつや、1956年1月1日 - )は、日本の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(ストッパー、サイドバック)。息子の鵜飼宏長(JFL)、鵜飼建吾(J2)も元サッカー選手。 滋賀県立甲賀高等学校(現・水口高等学校)を卒業し、1974年に日本サッカーリーグ1部の古河電気工業サッカー部に入る。 大型フルバックとしてプレーするが、怪我に泣かされるシーズンも目立った。1982年8月に行われたJSLカップは、5試合すべてにフル出場し優勝。また、同年11月の日ソ親善サッカーでは、JSL選抜チームとして古河から、宮内聡、早稲田一男、佐藤長栄とともに出場している。その後29歳で引退。 JSL選抜チーム(1982年)1試合0得点
高畑 俊一(たかはた しゅんいち、1956年1月1日 - )… 高畑 俊一(たかはた しゅんいち、1956年1月1日 - )は、兵庫県の実業家及び兵庫県電機商業組元元理事長。大阪府出身。びーんず株式会社・高畑電機産業株式会社社長。 豊中第二中学、追手門学院高校、甲南大学経営学部卒。松下電器産業株式会社ステレオ事業部営業部を経て、高畑電機産業株式会社専務。その後びーんず株式会社を興し代表取締役社長、2011年より高畑電機産業株式会社社長を兼務する。 追手門学院高校時代は吹奏楽部部長、甲南大学時代は交響楽団部長を各々トランペット奏者として務めた。大学卒業後は2度に渡り甲響会(同交響楽団OB会)会長を務ている。 社業の傍ら、西宮北六甲台自治会長・西宮市立北六甲台小学校PTA・西宮市立山口中学校PTA・兵庫県立西宮高等学校PTAの会長を歴任した。
住友 雄治(すみとも ゆうじ、1956年(昭和31年)1月1… 住友 雄治(すみとも ゆうじ、1956年(昭和31年)1月1日 - )は、日本の建築家。インテリアデザイナー。徳島県徳島市出身。 徳島県立徳島東工業高等学校インテリア科(現徳島県立徳島科学技術高等学校)卒業。1985年に有限会社「マス・アソシエイティ」設立。1996年に「B社」本社・工場徳島県建築デザイン賞、ナショップライティングコンテスト奨励賞、1998年に「IDE LIGHT HOUSE」INAXデザインコンテスト銅賞などを受賞。
役所 広司(やくしょ こうじ、Koji Yakusho、19… 役所 広司(やくしょ こうじ、Koji Yakusho、1956年〈昭和31年〉1月1日 - )は、日本の俳優・ナレーター・声優。 ワイ・ケイ事務所所属。本名:橋本 広司(はしもと こうじ)。 長崎県諫早市で誕生。男5人兄弟の末っ子。長崎県立大村工業高等学校卒業後、上京して千代田区役所土木工事課に勤務。 友人に連れられて観劇した仲代達矢主演の舞台公演『どん底』に感銘を受け俳優への道を志す。200倍もの難関である仲代が主宰する俳優養成所無名塾の試験に合格。芸名は前職が役所勤めだったことに加え、役どころが広くなることを祈念して仲代が命名。演技経験がなかった為、挨拶から指導を受ける。無名塾は2期生。当初は所属する無名塾の舞台公演に出演。
越沼 洋之(こしぬま ひろゆき、1956年1月1日 - )は… 越沼 洋之(こしぬま ひろゆき、1956年1月1日 - )は、日本のロックバンド「PIG ROCK O'clock」(ピッグロックオクロック)のボーカル、俳優、タレント。直木賞作家の長部日出雄は母方の叔父にあたる。身長170cm、体重127kg。血液型A型。妻は元ファッションモデルの木下桂子。
荒木 秀夫(あらき ひでお、1956年1月1日 - )は、日… 荒木 秀夫(あらき ひでお、1956年1月1日 - )は、日本の実業家。佐川急便代表取締役社長を経て、SGホールディングス代表取締役社長。 神奈川県出身。1980年3月、明治学院大学経済学部卒業。 1982年10月、東京佐川急便株式会社入社。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
齊藤 昇(さいとう のぼる、1956年1月1日 - )は、日… 齊藤 昇(さいとう のぼる、1956年1月1日 - )は、日本のアメリカ文学者。専門は、ワシントン・アーヴィング、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、ナサニエル・ホーソーン、O・ヘンリーなどのアメリカ文学。学位は、文学博士(立正大学・論文博士・2005年)(学位論文「ワシントン・アーヴィングとその時代」)。立正大学教授。立正大学学長も務めた。
大森 不二香(おおもり ふじか、1956年1月1日 - )は… 大森 不二香(おおもり ふじか、1956年1月1日 - )は、東京都江戸川区出身の元女優、元子役。 兄がいる。8歳でCMに初出演後、100本近くのCMに出演。この子役時代より、東映の特撮テレビドラマ、時代劇に多数出演。文化学院大学部卒業。 1978年、石原プロモーション制作の刑事ドラマ『大都会 PARTIII』(日本テレビ)に城西署捜査課事務員・清水英子役でレギュラー出演。 ※『青春狂詩曲』以外、東映配給作品
山下 勝弘(やました まさひろ、1956年1月 - )は、日… 山下 勝弘(やました まさひろ、1956年1月 - )は、日本の公認会計士・税理士。2代続く山下会計事務所所長を務めるかたわら、経済評論家としても活躍。日本の景気を70年周期とする景気循環論を主張、山田方谷を高く評価する。独自の視点から経済、国家財政、税務などを論じた著作が多数あるほか、セミナー・講演などを各地で開催している。 1956年(昭和31年)1月に大阪府にて山下勤の子として生まれる。1978年(昭和53年)3月、関西学院大学経済学部卒業後は会計事務所・監査法人に勤務。大阪市天王寺区の山下会計事務所は、1961年(昭和36年)10月に父勤が開業し、現在は勝弘が2代目所長を務める。山下は税理士としては企業のリスクの中でも特に税務リスクを中心として対処法を追求しているが、同時に国家破綻というリスクを正面から捉え、リスクマネジメントに取組むとともに、明治以降の日本の景気は70年周期とする理論(山下流経済論)を展開し、著書などに著している。
菅野 了次(かんの りょうじ、1956年1月 - ) は、日… 菅野 了次(かんの りょうじ、1956年1月 - ) は、日本の無機化学者。東京工業大学科学技術創成研究院全固体電池研究センター長・特命教授、東京工業大学名誉教授。元固体イオニクス学会会長。 兵庫県生まれ。1978年大阪大学理学部化学科卒業。1980年大阪大学大学院理学研究科無機及び物理化学専攻博士前期課程修了、三重大学工学部資源化学科助手。1985年大阪大学理学博士。1989年神戸大学理学部化学科助教授。1991年文部省在外研究員(オレゴン州立大学)。1995年東京工業大学工業材料研究所助教授併任。1999年高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所助教授併任、パリ第11大学招聘教授併任。2001年東京工業大学大学院総合理工学研究科教授。
柴田 勝二(しばた しょうじ、1956年1月 - )は、日本… 柴田 勝二(しばた しょうじ、1956年1月 - )は、日本の日本近代文学研究者。梅光学院大学文学部教授、東京外国語大学名誉教授。博士(文学)(大阪大学・2002年)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
伊藤 勝久(いとう かつひさ、1956年1月 - )は、日本… 伊藤 勝久(いとう かつひさ、1956年1月 - )は、日本の農学者。島根大学生物資源科学部教授。 1980年京都大学農学部卒業。1982年京都大学大学院農学研究科修士課程修了。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
早川 由紀夫(はやかわ ゆきお、1956年1月 - )は、日… 早川 由紀夫(はやかわ ゆきお、1956年1月 - )は、日本の地質学者(対象は火山)。2018年現在は群馬大学教育学部教科教育講座理科専攻教授。学位は、理学博士(東京大学)。 東京大学教養学部理科Ⅱ類を経て、東京大学理学部地学科地質学鉱物学コース卒業。 1985年3月、学位論文 "Pyroclastic Geology of Towada Volcano"(十和田火山の火砕地質)にて東京大学大学院理学系研究科地質学専攻博士課程を修了。以降、東京都立大学 (1949-2011)助手、群馬大学教育学部助教授を経て、2002年群馬大学教育学部(理科教員養成課程)教授。 所属学会は日本理科教育学会、日本教育工学会、東京地学協会、日本火山学会、日本地震学会、日本地質学会、日本第四紀学会、砂防学会、日本リスク研究学会など。
岡久 宏史 (おかひさ ひろふみ、1956年<昭和31年>1… 岡久 宏史 (おかひさ ひろふみ、1956年<昭和31年>1月 - ) は、日本の建設・国土交通技官。北陸地方整備局道路部長、下水道部長、日本下水道協会理事長を歴任。瑞宝中綬章受章。 徳島県出身。1980年3月 東京大学大学院工学系研究科修了、同年4月建設省入省。建設省土木研究所下水道部汚泥研究室研究員、環境庁水質保全局水質管理課課長補佐、宮崎市都市整備部長、京都府土木建築部下水道課長、日本下水道事業団大阪支社技術次長、国土交通省北陸地方整備局道路部長、国交省都市・地域整備局下水道部下水道事業課長。 2011年 (平成23年) 8月 同省水管理・国土保全局下水道部長。直前に河川局、土地・水資源局水資源部、都市・地域整備局下水道部を統合し同局が発足したばかりだった。
島 治伸(しま はるのぶ、1956年(昭和31年)1月 - … 島 治伸(しま はるのぶ、1956年(昭和31年)1月 - )は、日本の教育学者・心理学者。松山東雲女子大学人文科学部 教授。日本育療学会副理事長。マジカルトイボックスアドバイザー。NPOこどもの発達研究室きりん理事。徳島県出身。 東洋大学文学部教育学科卒業。鳴門教育大学大学院学校教育研究科修士課程修了。香川大学大学院医学系研究科博士課程社会環境病態医学専攻退学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小山内 康人(おさない やすひと、1956年 - )は、日本… 小山内 康人(おさない やすひと、1956年 - )は、日本の地質学者、岩石学者。九州大学名誉教授。元日本鉱物科学会会長。元南極地域観測隊隊長。 北海道札幌市生まれ。北海道札幌南高等学校を経て、1981年新潟大学理学部地質鉱物学科卒業。1986年北海道大学大学院理学研究科地質学鉱物学専攻博士後期課程修了。福岡教育大学助教授、ニューサウスウェールズ大学客員研究員、岡山大学教育学部助教授を経て、1997年国立極地研究所客員助教授。2004年九州大学比較社会文化研究院教授。2007年第49次南極地域観測隊副隊長(セールロンダーネ山地調査担当)。2010年日本地質学会理事。2012年日本鉱物科学会副会長。
新保 幸一(しんぽ こういち、1956年 - ) は、日本の… 新保 幸一(しんぽ こういち、1956年 - ) は、日本の文部科学技官。国立教育政策研究所文教施設研究センター長、文部科学省大臣官房技術参事官を経て、東京工業高等専門学校校長を務めた。 北海道札幌南高等学校を経て、1979年北海道大学工学部卒業。1995年徳島大学建築課長。1997年東京大学整備計画課長。1999年文部省大臣官房文教施設部技術課補佐。同年文部省助成局施設助成課補佐。2002年文部科学省大臣官房文教施設部技術課監理官。2003年東北大学施設部長。 国立教育政策研究所文教施設研究センター長を経て、2012年文部科学省大臣官房文教施設企画部施設企画課長。2014年文部科学省大臣官房文教施設企画部技術参事官。
平野克己(ひらの かつみ、1956年 - )は、日本のアフリ… 平野克己(ひらの かつみ、1956年 - )は、日本のアフリカ研究者。 北海道小樽市生まれ。北海道小樽潮陵高等学校、早稲田大学政治経済学部経済学科卒、同大学院経済学研究科博士課程前期修了(経済学修士)。故堀江忠男に師事した。2011年に同志社大学から博士号(グローバル社会研究)。1984年から1987年まで在ジンバブエ日本大使館にて専門調査員、1988年から1991年まで笹川平和財団プログラムオフィサー、その後1991年にアジア経済研究所に入所。1993年から1995年まで南アフリカのウィットウォータースランド大学客員研究員。2004年から2007年まで日本貿易振興機構(ジェトロ)・ヨハネスブルクセンター所長、2008年から2012年まで地域研究センター長、2015年10月から2019年9月まで理事を務めた。
ヤリタミサコ(やりた みさこ、1956年 - )は、日本の詩… ヤリタミサコ(やりた みさこ、1956年 - )は、日本の詩人。 北海道岩見沢市朝日炭鉱生まれ。北海道岩見沢東高等学校では氷室冴子と同級生で、本を貸し借りする間柄だった。明治学院大学文学部英文学科および社会学部社会学科を卒業。大学在学中に炭鉱勤務の父が失業したためアルバイト漬けの生活の中で詩と出会い、アメリカ現代詩にふれるようになる。大学の事務職員として働きながら、東洋英和女学院大学大学院人間科学研究科人間科学専攻修士課程修了(女性学を専攻)。 ビートニクスやフルクサス、詩の評論とアートの評論、E・E・カミングスの訳詩、アレン・ギンズバーグの訳詩、 ヴィジュアル詩などを発表し、パリや全国で朗読会を行う。
吉岡 均(よしおか ひとし、1956年 - )は、北海道芦別… 吉岡 均(よしおか ひとし、1956年 - )は、北海道芦別市出身の広告写真家・写真作家。 1956年に北海道芦別市に生まれる。北海道芦別高等学校を卒業後、写真家を目指して上京し、写真を学習。卒業後、写真家・山田久米夫に師事。 広告代理店dentsuにてアシスタントフォトグラファーを経て、1991年に東京都で吉岡写真事務所を設立、広告写真撮影を主に活動。2007年9月、札幌市に事務所を移転。 広告写真撮影を軸に写真作家としての活動にも力を注ぎ、ライフワークの1つに、「ばんえい馬」を選んだ。2008年に撮影した、ばんえい写真を帯広競馬場にて2009年1月、札幌にて同年3月31日から4月5日まで、東京で同年7月に、同年9月には東川町に、11月には芦別市にて写真展を開催。