久保 良彦(くぼ よしひこ、1931年(昭和6年) - )は… 久保 良彦(くぼ よしひこ、1931年(昭和6年) - )は、日本の医師、医学者。旭川医科大学名誉教授、元学長。医学博士。専門は、外科学。特に、心臓血管外科及び胸部外科。 北海道勇払郡早来町(現安平町)生まれ。苫小牧高等学校(現北海道苫小牧東高等学校)卒業後、1956年(昭和31年)北海道大学医学部卒業。同大学院医学研究科博士課程修了。同医学部第2外科助手を経て、1976年旭川医科大学医学部講師。その後、同医学部助教授。1988年(昭和63年)旭川医科大学医学部教授。1995年(平成7年)同副学長。1997年(平成9年)旭川医科大学学長に就任。2003年(平成15年)旭川医科大学退官、名誉教授。
石井 博(いしい ひろし、1931年 - )は、日本の言語学… 石井 博(いしい ひろし、1931年 - )は、日本の言語学者、英文学者、詩人。早稲田大学名誉教授。
保刈 恒雄(ほかり つねお、1931年 - )は、日本の医学… 保刈 恒雄(ほかり つねお、1931年 - )は、日本の医学者。千葉大学名誉教授。
竹本 成徳(たけもと しげのり、1931年(昭和6年) - … 竹本 成徳(たけもと しげのり、1931年(昭和6年) - )は、広島県出身の実業家。日本生活協同組合連合会会長などを務めた。
坂上 孝幸(さかうえ たかゆき、1931年 - )は、日本の… 坂上 孝幸(さかうえ たかゆき、1931年 - )は、日本の工学者。北海学園大学名誉教授。専門は土木工学、土質工学(地盤工学)。北海道滝川市出身。
新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は… 新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は日本の実業家。鹿島建設株式会社代表取締役元副社長、鹿島出版会元社長。 昭和6年茨城県生まれ。昭和21年旧制水戸中学校(現水戸第一高等学校)入学。疎開先の旧制新庄中学(現新庄北高等学校)に在籍した後、昭和25年水戸中学校卒業。昭和28年法政大学経済学部卒業、鹿島建設株式会社入社。建築本部経理部長、東京支店次長兼支店長室長等を経て平成2年より取締役、常務、専務を歴任。平成9年代表取締役副社長に就任。さらに鹿島出版会社長。
井上 重治(いのうえ しげはる、1931年 - 2012年5… 井上 重治(いのうえ しげはる、1931年 - 2012年5月19日)は、日本の研究者。抗菌アロマテラピーの第一人者。 1931年、埼玉県長瀞町(旧白鳥村)に生まれる。1950年、埼玉県立熊谷高等学校を卒業。1954年、東京大学医学部薬学科卒業。1965年米国オハイオ州立大学化学科に留学する。明治製菓に入社し、その後40年間抗生物質の研究に従事する。その間『メイセリン』を発明する。1989年明治製菓・薬品総合研究所副所長兼探索研究所長。1996年千葉大学真菌医学研究センター客員教授、以後抗菌アロマテラピーの研究に従事する。1997年帝京大学医真菌研究センター非常勤講師。2000年井上ハーブ園開設。
中出 那智子(なかで なちこ 1931年 - 2017年12… 中出 那智子(なかで なちこ 1931年 - 2017年12月8日)は、日本の画家。主に油絵。東京都伊豆七島最北の島、大島村本村(現・東京都大島町元町)の出身。 中出那智子は、師事した宮本三郎との出会いについて、以下のように語っている。 「私が23歳になった時、再び宮本三郎先生は奥様とご来島され、『あれ、貴女があのときの赤ちゃん?』と思わぬ再会に家中喜びに湧きたちました。その時は、牛のスケッチが目的だったので、私が牛のたむろする砂浜にご案内いたしました。大島旅行が終わっていよいよお帰りになる日の乗船前のひととき、私は思い切って少女時代に描いた例の赤い表紙の絵日記と画帖を先生に見ていただくことにしました。
石黒 ひで(いしぐろ ひで、Hidé Ishiguro、19… 石黒 ひで(いしぐろ ひで、Hidé Ishiguro、1931年 - 2026年2月18日)は、日本出身の女性哲学者。ロンドン大学Ph.D.。ロンドン大学名誉教授、慶應義塾大学名誉教授、上野学園大学名誉教授。夫は哲学者のデイヴィッド・ウィギンズ。 本名の石黒英子(Hideko Ishiguro)名義も使用することがある。 東京大学教養学部の卒業論文テーマはシャルル・ルヌーヴィエの認識論。同大学を卒業後、フランスとイギリスに留学。オックスフォード大学では、ギルバート・ライルが指導教官(スーパーヴァイザー)となり、ピーター・ストローソンに論文指導を受ける。併せて、毎週マイケル・ダメットの研究室で開かれていた数理哲学の少人数ゼミに参加し、エリザベス・アンスコムから個人教授(チューター)として指導を受けた。
宮澤 正順(みやざわ まさより/せいじゅん、1931年 - … 宮澤 正順(みやざわ まさより/せいじゅん、1931年 - )は、浄土宗の僧、中国思想学者。 1948年 旧制鎌倉中学校(現鎌倉学園)卒業。大正大学大学院文学研究科博士課程満期退学、横浜市立戸塚高等学校国語科教諭(村上春樹は当時の同僚)、大正大学教授、1998年「曾慥の研究」で文学博士。2002年定年退任、埼玉工業大学客員教授。日本道教学会・全国漢文教育学会・日韓及び日中韓仏教交流協議会等理事、静寛院和宮奉讃会評議員。総本山知恩院、大本山増上寺、大本山光明寺布教師、西福寺住職。
山田 喜紹(やまだ よしつぐ、1931年 - 2025年9月… 山田 喜紹(やまだ よしつぐ、1931年 - 2025年9月27日)は、日本の細菌学者、ウイルス学者、エイズ研究者。信州大学医療技術短期大学部名誉教授。医学博士。 1931年(昭和6年)、長野県松本市生まれ。1950年(昭和25年)、長野県松本県ヶ丘高等学校卒業。1953年(昭和28年)、信州大学文理学部自然科学学科卒。信州大学医学部大学院細菌学教室を経て、信州大学医療技術短期大学部教授。医学博士。信州大学医療技術短期大学部名誉教授。 エイズ研究の傍ら、地域のエイズ感染予防を訴え、講演活動を行っていた。 2025年9月27日、肺炎のため松本市里山辺で死去。死没日付をもって従四位に叙され、瑞宝小綬章を追贈された。
北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年1… 北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年12月1日)は、日本の地球物理学者。九州大学名誉教授。理学博士。京都市出身。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部地球物理学科に入学。京都大学山岳部に在籍。1954年(昭和29年)卒業、同大学院修士課程に進学し、長谷川万吉研究室で広野求和から地磁気の指導を受ける。なお、のちに第4次南極越冬隊に参加し、ブリザードのため遭難死した福島紳とは、小学校から大学院まで一貫して同級生同士だった。 修士課程在籍中、長谷川万吉から第1次南極地域観測隊への参加を打診される。その後、長谷川が、隊長に選ばれた永田武との確執から、南極関係の人事から事実上手をひくことになっため、山岳部の先輩である今西錦司に直訴して西堀栄三郎副隊長への紹介状を書いてもらい、西堀に直訴して観測隊に加えられる。
河合 貞雄(かわい さだお、1931年 - 2022年7月2… 河合 貞雄(かわい さだお、1931年 - 2022年7月24日)は、京都府出身の元アマチュア野球選手(投手)。 西京高等学校では、1949年夏の甲子園府予選準々決勝で桃山高からノーヒットノーラン(7回コールド参考記録)を達成。決勝に進むが、杉山真治郎のいた平安高に2-3で惜敗、京津大会には出場できなかった。1年上には甲子園で活躍した北本重二がいる。 1950年、慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグ戦では1951年、主将平古場昭二投手を中心に春は早稲田に次ぐ2位と留まるも、秋に優勝し早稲田の4連覇を止め、翌1952年春までリーグ戦2連覇(2季連続優勝)を達成した。同年秋は早稲田に次ぐ2位に留まる。
尾崎 正敏(おざき まさとし、1931年 - 2025年3月… 尾崎 正敏(おざき まさとし、1931年 - 2025年3月5日)は、日本のバスケットボール指導者。元全日本女子バスケットボールチーム監督。元日本バスケットボール協会会長。岡山県出身。 岡山県立岡山操山高等学校卒業後、早稲田大学に進学。大学ではバスケットボール部で選手として活躍。卒業後は大日本紡績(現・ユニチカ)に入社。平野工場女子バスケットボール部で指導者となる。 身長の高い相手でも対応できる「忍者ディフェンス」「マッハ攻撃」を編み出し、オールジャパン8連覇や日本リーグ初代女王など多くのタイトルを総なめにしユニチカ黄金時代を築き上げた。 全日本チームの監督も務め、1965年には第1回アジア選手権準優勝、一時退いた後、コーチとして1970年アジア選手権初優勝、翌年の世界選手権で監督に復帰。
植木 雄輔(うえき ゆうすけ、1931年(昭和6年) - 2… 植木 雄輔(うえき ゆうすけ、1931年(昭和6年) - 2021年(令和3年)5月12日 )は、日本のジャーナリストである。日本記者クラブ会員、産経新聞政治部記者、フジテレビ報道センター室長を務めた。その後、フジサンケイ静止画情報制作の代表取締役社長となる。岡山県新見市出身。 1931年(昭和6年)岡山県阿哲郡美穀村正田(現・新見市正田)にて出生する。1944年(昭和19年)、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学した。 第二次世界大戦を経て、植木が旧制中学5年制の時に、1948年(昭和23年)学制改革により、これまでの旧制小中高帝国大学(6・5・3・3)から新制(6・3・3・4)へ変更となり、新制岡山県立高梁第一高等学校が旧制高梁中学の後を継ぎ誕生する。
藤井 哲(ふじい てつ、1931年 - 2011年3月21日… 藤井 哲(ふじい てつ、1931年 - 2011年3月21日) は、日本の機械工学者。九州大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。元日本熱物性学会会長。 1931年、福岡県生まれ。1947年に福岡県立朝倉中学校(現福岡県立朝倉高等学校)を卒業。1950年、山口高等学校卒業。九州大学工学部機械工学科に進み、大学では山縣清に師事した。1953年に卒業。卒業後は九州大学大学院に進み、1956年に研究奨学生前期修了すると、電力中央研究所技術研究所研究員となった。 1960年、九州大学に『自由対流熱伝達に関する研究』を提出して工学博士の学位を取得。1961年、九州大学生産科学研究所助教授。1967年、九州大学生産科学研究所教授に昇進。
渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - … 渡辺 綱纜(渡邊 綱纜、わたなべ つなとも、1931年 - 2024年10月14日)は、日本の実業家。元宮交シティ社長。元宮崎産業経営大学教授。 朝鮮半島に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、中央大学法学部卒業。1953年、宮崎交通に入社。企画宣伝課長・観光副部長・総合センター部長・常務取締役などを歴任。1987年、株式会社宮交シティ社長に就任。 2024年10月14日、老衰のため宮崎市内の病院で死去。93歳没。
斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は… 斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は、秋田県出身で産総研東北センター顧問・元東北大学工学部教授。
堀 孝彦(ほり たかひこ、1931年 - )は、倫理学者、英… 堀 孝彦(ほり たかひこ、1931年 - )は、倫理学者、英学者、名古屋学院大学名誉教授。
堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学… 堀江 湛(ほりえ ふかし、1931年 - )は、日本の政治学者。慶應義塾大学法学部名誉教授。尚美学園大学元学長。政策研究フォーラム名誉顧問。専門は政治学。
宇都宮 芳明(うつのみや よしあき、1931年 - 2007… 宇都宮 芳明(うつのみや よしあき、1931年 - 2007年)は、日本の哲学者・倫理学者。北海道大学名誉教授。実存主義研究、カント研究を専門とし、多数の業績を残した。岩波書店から上梓した『カントと神 理性信仰・道徳・宗教』で第12回(1999年度)和辻哲郎文化賞を受賞する。
海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者… 海野福寿(うんの ふくじゅ、1931年 - )は、日本史学者、明治大学名誉教授。専門は日本近代史。
大場 牧夫(おおば まきお、1931年 - 1994年11月… 大場 牧夫(おおば まきお、1931年 - 1994年11月1日)は、日本の幼稚園教諭。 茨城県生まれ。父は文化人類学者の大場千秋(のち茨城大学教授)。弟に保育学者の大場幸夫(大妻女子大学学長)がいる。茨城大学文理学部心理学科卒。1955年から桐朋幼稚園教諭を務める。1992年定年退職。
藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年1… 藤原 哲郎(ふじわら てつろう、1931年 - 2024年11月19日)は、日本の医師。岩手医科大学名誉教授。岩手県盛岡市出身。 1996年キング・ファイサル国際賞、2008年武田医学賞を受賞した。 この項目は、医学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:医学/Portal:医学と医療)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 200… 木辺 弘児(きべ こうじ、1931年(昭和6年) - 2008年(平成20年)2月2日)は、日本の作家、小説家。本名は住田 晴幹(すみた はるき)。 1931年(昭和6年)に兵庫県神戸市に生まれる。大阪大学理学部を卒業後、カメラメーカーであるミノルタに入社するも1958年(昭和33年)、肺結核のために休職する。 ストレプトマイシンによる軽快後、1960年代、コンピューターが取り入れられたばかりのレンズ設計に従事し、ミノルタSRシリーズ用の交換レンズを送り出す。コンピューターを用い、OTFを評価関数としたレンズの自動設計を研究し、1970年(昭和45年)、応用物理学会分科会日本光学会光学論文賞を受賞。
福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 20… 福井 俊郎(ふくい としお、1931年〈昭和6年〉 - 2026年〈令和8年〉3月18日)は、日本の生化学者。学位は理学博士。大阪大学名誉教授。専門は生化学、酵素科学。正四位、瑞宝中綬章受章。 1931年(昭和6年)、兵庫県で生まれる。 川西小学校から県立伊丹中学に進むはずだったが、6年生の担任から勧められたこともあり、1944年(昭和19年)、旧制甲南高等学校尋常科入学(尋常科4年、高等科3年)。終戦後の学制改革により高等科を1年で修了。大阪大学へ進学。 1958年、「Enzymatic studies on the phosphorus in potato starch.」で理学博士。 2026年3月18日、腎不全のため死去。
溝口睦子(みぞぐち むつこ、1931年 - 2021年2月9… 溝口睦子(みぞぐち むつこ、1931年 - 2021年2月9日)は、日本史学者、十文字学園女子大学名誉教授。 長崎県生まれ。1958年東京大学文学部国文学科卒業。1976年学習院大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学。84年「日本古代氏族系譜の成立」で文学博士。十文字学園女子大学教授を務め、2000年退職、名誉教授となる。専攻は日本古代史、古代文学。
新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年1… 新原 昭治(にいはら しょうじ、1931年 - 2024年11月21日)は、国際問題研究者、ジャーナリスト、政治活動家。 福岡市生まれ。九州大学に進み、1952年日本共産党に入党、1954年3月文学部(心理学)卒業。 同年長崎放送に記者として入社、ビキニ事件や1956年の第2回原水爆禁止世界大会の取材や番組制作もおこなった。 1961年赤旗編集局に入局。党中央機関紙編集委員、1973年准中央委員、1977年中央委員、1981年幹部会委員等を経て、1994年-2000年、常任幹部会員を務めた。この間、平和問題対策委員会責任者、国際委員会責任者、書記局員などを併任した。 非核の政府を求める会世話人、日本平和委員会理事。
比留木 忠治(ひるき ちゅうじ、1931年 - 2021年1… 比留木 忠治(ひるき ちゅうじ、1931年 - 2021年11月15日)は、日本・カナダの生物学者(植物病理学)。学位は、農学博士(九州大学・1963年)。特定非営利活動法人五島の椿と自然を守る会理事長、International Camellia Society副会長、アルバータ大学名誉教授、カナダ王立協会会員。長崎県出身。長年カナダに在住。 日本専売公社秦野たばこ試験場での勤務を経て、アルバータ大学農生命環境学部教授、アルバータ大学マッカラ研究教授、アルバータ大学特別全学教授、International Society for Plant Pathology会計役などを歴任した。 長崎県出身の生物学者である。
宇野 昌人(うの まさと、1931年 - 2014年7月10… 宇野 昌人(うの まさと、1931年 - 2014年7月10日)は、日本の精神科医。愛媛県生まれ。1956年京都大学医学部卒業。60年東京大学文学部哲学科卒業。
岡村 圭真(おかむら けいしん、1931年(昭和6年) - … 岡村 圭真(おかむら けいしん、1931年(昭和6年) - 2019年(平成31年)2月15日)は、日本の仏教学者。源久寺名誉住職。元高知大学教授。元高野山大学教授。 徳島県出身。1953年、京都大学文学部哲学科を卒業。1959年、同大学大学院博士課程(宗教学)を修了。1959年に高野山大学文学部講師、1969年に同助教授、1971年に同教授に就任。1973年、高野山大学を依願退職し高知大学文理学部(後に人文学部)の教授に就任。1995年に同大学を退任した。 また1979年から2017年までは真言宗大覚寺派の源久寺の住職を務めた。1999年に密教学芸賞を受賞。2005年から2009年まではかつて所属した高野山大学の客員教授も務めた。
古寺 雅男(こでら まさお、1931年 - 2014年1月2… 古寺 雅男(こでら まさお、1931年 - 2014年1月26日)は、日本の教育哲学者、立命館大学名誉教授。 東京都出身[要出典]。1954年、京都大学教育学部卒業[要出典]。60年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、大谷中学校教諭、成安女子短期大学講師[要出典]。ボン大学を経て[要出典]、1970年、立命館大学文学部に着任。同大学助教授、教授。1997年、定年退職。1980年度に京都大学教養学部において「教育学」の授業の中で天才論を講じたが、その授業を受けた後の映画監督さかはらあつしに大きな影響を与えた。 天才を「すべての仕事で創造的で、品質が安定して高く、量がある」と定義した。
徳江元正(とくえ げんせい、1931年 - 2016年11月… 徳江元正(とくえ げんせい、1931年 - 2016年11月30日)は、日本の国文学者。中世芸能が専門。学位は、文学博士(國學院大学・論文博士・1985年)(学位論文「室町藝能史論攷」)。國學院大學名誉教授。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部国文科卒、1963年同文学部専任講師、1967年助教授、1977年教授。1985年「室町藝能史論攷」で國學院大学より文学博士の学位を取得。2002年定年退職、名誉教授。
寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985… 寺田 健一郎(てらだ けんいちろう、1931年 - 1985年10月23日)は、洋画家。福岡県福岡市出身。西南学院大学卒業。明るい原色がうねる生命力あふれる抽象画を描いた。 1951年(昭和26年)二科展初入選。1959年(昭和34年)二科特選。その後会友となるが、1977年(昭和52年)退会。 一時期、西南学院中学校の美術担当講師をつとめ、1950年代谷川雁らの文学運動“サークル村”に参加。「午前」同人。食通で、西日本新聞に「昭和一ケタのくいしんぼ日記」「エカキの小休止」を連載するなど、随筆やテレビで幅広く活動。またがん手術の体験記「直腸切断」を出版。 長男は造形作家の寺田太郎、次男はTHE GOGGLESのギタリストでアトリエてらたの店主である瀬下黄太。
萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - … 萩原 金美(はぎわら かねよし、1931年〈昭和6年〉 - 2017年〈平成29年〉11月9日)は、日本の法学者、裁判官のち弁護士。神奈川大学教授、法学部長を歴任し、同名誉教授。スウェーデン司法研究、民事訴訟法研究、調停を含むいわゆるADR研究など研究対象は多岐にわたる。 1931年、群馬県群馬郡滝川村八幡原(現・高崎市)の農家に生まれる。旧制佐波農業学校(現・群馬県立伊勢崎興陽高等学校)を経て、旧制中央大学法学部専門部卒業後(最後の卒業生)、新制中央大学3年に編入、在学中の1951年に司法試験合格。1953年中央大学卒業、1954年裁判官任官。同年、判事補として赴任した仙台地裁家裁の古川支部においていわゆる松山事件に左陪席として関与し、死刑判決を下した。
山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年… 山北 由希夫(やまきた ゆきお、1931年? - 2024年2月6日)は、日本の作詞家。東京都新宿区出身。 中央大学経済学部卒業。1958年に雑誌『平凡』の懸賞募集作詞へ入選し、コロムビアより『乙女の十字架』(唄:青山和子)が発売になる。作詞家の松井由利夫に師事し、1961年に『上野発故郷行』(唄:高城丈二、ポリドール)及び『すてきなワルツ』(唄:松山恵子、マーキュリー)でデビューを果たす。その後は松井の紹介で同人誌『新歌謡界』に入門し、ローカル作品コンクールで発表した『夕焼け水車』が入選。そこで曲を付けた川上英一の師匠・吉田矢健治に出会い、1965年1月にはキングレコード専属作詞家となる。後にフリー。
野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年… 野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年2月10日)は、日本の建築家・都市計画家で日本住宅公団の職員として公団団地設計に長く携わった人物。 1931年、千葉県船橋市生まれ。戦時中宮城県に疎開。1948年から1949年まで旧制山形高等学校在籍。その後新制の東京大学に進学。1954年、東京大学工学部建築学科卒業。同級に磯崎新、川上秀光、奥平耕造ら、同期に富安秀雄らがいる。卒業後、建設省入省。関東地方建設局営繕部配属。 1955年8月、建設省から日本住宅公団の本所建築部に移籍。1956年、産業計画会議東京湾部会で「ネオ東京プラン」作成に参加。1957年、東京支所建築部設計課団地係へ異動。
宮坂 義彦(みやさか よしひこ、1931年 - 2020年8… 宮坂 義彦(みやさか よしひこ、1931年 - 2020年8月30日)は、日本の教育学者。専門は、教育方法学(授業研究)。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、東京大学教育学部学校教育学科卒業。春日部市立春日部中学校、埼玉県立大宮商業高等学校、東京大学勤務を経て、岡山大学教育学部助教授。三重大学教育学部教授。定年退官後、聖路加看護大学(現・聖路加国際大学)教授。2000年ノートルダム清心女子大学教授。この間、日本教育心理学会、全国大学国語教育学会、日本教育学会、日本教育方法学会所属。1973年斎藤喜博と共に教授学研究の会設立、世話人。1990年授業研究の会を設立、1997年より公開研究集会を開催。
安田富士郎(やすだ ふじお、1931年-1982年3月14日… 安田富士郎(やすだ ふじお、1931年-1982年3月14日)は、日本の水産学者。 東京生まれ。安田善三郎の孫、父は安田周三郎。東京大学農学部水産学科卒、同大学院博士課程修了、1959年「プランクトン食魚の攝餌と肉食魚との関係について」で東京大学農学博士。1975年東京水産大学教授となる。
劉 進慶(りゅう しんけい、1931年 - 2005年10月… 劉 進慶(りゅう しんけい、1931年 - 2005年10月23日)は、台湾経済の研究者。日本名、中山 進慶(なかやま しんけい)。 1931年日本統治下の台湾台南州斗六郡斗六街(現・雲林県)生まれ。1956年台湾大学経済学系卒業、1972年東京大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。1975年より東京経済大学助教授、1978年同教授、同経済学部長、図書館長、学校法人東京経済大学理事を歴任。1985年対外経済貿易大学(北京)、1996年北京大学客員教授。1991年スタンフォード大学、1992年ハーバード大学客員研究員。2002年東京経済大学名誉教授。 マルクス経済学者であり、社会主義者として台湾問題で両岸統一を主張していた。
桑原 未代子(くわはら みよこ、1931年 - 2015年1… 桑原 未代子(くわはら みよこ、1931年 - 2015年1月8日)は、日本の歯科医師、歯学者。元大垣女子短期大学教授、元藤田学園保健衛生大学助教授。 1957年日本歯科大学卒業、1961年東京医科歯科大学大学院修了。以後、愛知学院大学歯学部講師、財団法人ライオン歯科衛生研究所付属ライオンファミリー歯科診療所小児歯科主任を経て1974年大垣女子短期大学教授に就任、1986年藤田学園保健衛生大学助教授。 井上直彦、伊藤学而らとともに、宮古・石垣地域の無歯科医地区の乳幼児歯科保健活動などに従事した。
金子 一芳(かねこ かずよし、1931年 - 2024年5月… 金子 一芳(かねこ かずよし、1931年 - 2024年5月21日)は、日本の歯科医師。 東京都生まれ。1955年東京歯科大学卒業。同年東京都中央区に開業。歯科スタディグループの草分け的存在である「火曜会」を創設。以降全国にスタディーグループの設立を促し、歯科臨床家の育成に尽力。全国の歯科スタディグループの集まりである「臨床歯科を語る会」を1981年に設立。 金子は欠損歯列の分類として、歯数分類を提唱した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
杉村 行勇(すぎむら ゆきお、1931年 - 1991年11… 杉村 行勇(すぎむら ゆきお、1931年 - 1991年11月9日)は、日本の地球化学者。海洋化学者。気象庁気象研究所地球化学部長。理学博士(東京都立大学)。 1950年(昭和25年)、静岡県立静岡城内高等学校卒業。1954年(昭和29年)、東京都立大学理学部化学科卒業。同年4月、神奈川県川崎市立塚越中学校教諭。1年で退職。1955年(昭和30年)、東京都立大学大学院入学、1960年(昭和35年)9月、博士課程満了。「現世堆積物の地球化学的研究」により理学博士。これに先立つ同年5月、気象庁気象研究所地球化学研究部に技術補佐員として採用、三宅泰雄に師事。1961年(昭和36年)、地球化学研究部第二研究室に配属。
高木 茂男(たかぎ しげお、1931年(昭和6年) - 20… 高木 茂男(たかぎ しげお、1931年(昭和6年) - 2001年(平成13年)4月9日)は、日本のパズル研究家である。 『Play puzzle』『パズル遊びへの招待』など、多くのパズル研究の著書がある。芦ヶ原伸之とはパズル懇話会設立のメンバーとしても一緒で交友があった。虫食い算の作者としても知られており、何冊かの本を自家出版している。 東京都立大学 (1949-2011)出身。
國岡 昭夫(くにおか あきお、1931年 - 2023年9月… 國岡 昭夫(くにおか あきお、1931年 - 2023年9月3日)は、日本の電気工学者。第13代青山学院大学学長、第2代日本私立学校振興・共済事業団理事長、第4代学校法人横須賀学院理事長、第15代学校法人大東文化学園理事長などを歴任した。 1954年東京理科大学理学部物理学科卒業。その後物理学から半導体研究に転じて、酒井善雄東京工業大学教授に師事し、1968年には東京工業大学で工学博士の学位を取得した。 サザン・メソジスト大学特別研究員、ロンドン大学客員研究員、青山学院大学理工学部電気電子工学科教授を経て、1995年から99年まで第13代青山学院大学学長。 また、光起電力素子の研究を行い、電気学会調査専門委員会委員長、電気学会技術委員会委員長、電気学会E部門副部門長を歴任。
長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年… 長谷川 武彦(はせがわ たけひこ、1931年 - 2024年5月7日)は、日本の技術者、実業家。愛知県名古屋市出身。 1958年、ヤマハ技術研究所を経てヤマハ発動機株式会社に入社。同社では、オートバイのエンジン開発を担当するとともに、世界グランプリレース監督を務めた。また、名車と謳われた「トヨタ2000GT」の共同開発、ソフトバイク「パッソル」の開発などに関わり、同社社長(1994年~2001年)、会長(2001年~2003年)等を歴任した。 2004年4月旭日中綬章受章。 2024年5月7日、老衰のため死去。92歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 一枝(なかむら かずえ、1931年〈昭和6年〉 - 2… 中村 一枝(なかむら かずえ、1931年〈昭和6年〉 - 2019年〈令和元年〉12月7日)は、日本の郷土史研究家。北海道釧路市の釧路アイヌ文化懇話会や札幌女性史研究会に所属し、札幌市を拠点に歴史を掘り起こす地道な活動を続ける一方、現代に警鐘を鳴らすべく、戦争体験の積極的な発信を続けた。日本大学文学部卒業。釧路でアイヌ教育に取り組んだ永久保秀二郎の日記『永久保日誌』の研究でも知られる。 北海道釧路市で誕生した。女学生だった1945年(昭和20年)、戦中当時に学校では防空壕を掘らされ、駆り出された援農先では作業の合間に歌を歌った者が目の前で体罰を受けるといった戦時体験が、その後の生涯に影響を及ぼした。
橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12… 橋本 暢夫(はしもと のぶお、1931年 - 2024年12月17日)は、日本の国語教育学者。 大阪市生まれ。1954年広島大学教育学部卒業。和歌山県立桐蔭高等学校、広島県下の高等学校に勤務。1969年広島県教育委員会指導課指導主事、高等学校教育係係長・指導課課長補佐。広島県立高等学校教頭、1980年大分大学助教授、教授。1989年鳴門教育大学教授、評議員、付属図書館長となり「大村はま文庫」を創設、1990年大村はま賞受賞。1997 - 2003年徳島文理大学教授。2002年「中等学校国語科教材史研究 現代文教材化の状況とその史的役割を中心に」で広島大学博士(教育学)。専攻は国語教育学、国語教育史研究。
川澄 祐勝(かわすみ ゆうしょう、1931年(昭和6年) -… 川澄 祐勝(かわすみ ゆうしょう、1931年(昭和6年) - 2017年(平成29年)10月10日)は、日本の真言宗の僧侶。高幡山明王院金剛寺第三十三世貫主。 埼玉県秩父郡皆野町に生まれる。法政大学経済学部を卒業後、1956年(昭和31年)に高幡山明王院金剛寺に入山する。総務部長・執事長を経て、1989年(平成元年)に貫主に就任する。日本一と伝えられる丈六不動三尊(重文)の修復、身代わり丈六不動三尊の造立、宝輪閣・奥殿の建立等、一貫して一山の興隆、文化財の保護に尽力する。また、東日本大震災で被災した宮城県名取市の観音寺の再建を全面支援する。 2005年(平成17年)に密教教化賞を受賞する。 2017年(平成29年)10月10日に死去、享年86。
高木 仁(たかぎ ひとし、1931年 - 2014年1月24… 高木 仁(たかぎ ひとし、1931年 - 2014年1月24日)は、日本の経済学者。明治大学名誉教授。専門は金融論、アメリカ金融制度論。 長野県出身。1961年明治大学第二部商学部卒業。1970年同大学大学院商学研究科博士課程修了。テンプル大学研究員などを経て、1982年に明治大学商学部教授就任。1994年に博士(商学)(明治大学)となり、2002年に退職、名誉教授。