近藤 正雄(こんどう まさお、1922年10月25日 - 1… 近藤 正雄(こんどう まさお、1922年10月25日 - 1997年7月16日[1])は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
1922年(大正11年)生まれ:741人
近藤 正雄(こんどう まさお、1922年10月25日 - 1… 近藤 正雄(こんどう まさお、1922年10月25日 - 1997年7月16日[1])は、和歌山県[1]出身の元プロ野球選手(外野手)。
山本 俊一(やまもと しゅんいち、1922年10月24日 -… 山本 俊一(やまもと しゅんいち、1922年10月24日 - 2008年12月13日)は、日本の医師、衛生学者。 福井県敦賀市生まれ。1946年東京帝国大学医学部卒。47年医師国家試験合格、東大衛生学教室助手。60年医学博士、東京大学医学部助教授。1965年教授。83年定年退職、名誉教授、東京都老人総合研究所副所長。1987年聖路加看護大学教授、92年副学長。96年退職。1986年東京都文化賞受賞。公衆衛生の研究に尽力し、はじめてのハンセン病の歴史を執筆、ハンセン病訴訟では熊本地裁に原告側意見書を提出した。
小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23… 小川 清(おがわ きよし、1922年(大正11年)10月23日 - 1945年(昭和20年)5月11日)は、大日本帝国海軍軍人。 1922年に群馬県高崎市で生まれる。群馬県立高崎中学校(現・群馬県立高崎高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1942年秋に早稲田大学政治経済学部へ進学するが、大日本帝国海軍に憧れて1943年12月10日に横須賀第二海兵団に海軍二等水兵として入団する。1944年2月1日に海軍予備学生(14期飛行専修)となり、土浦海軍航空隊に入団すると、学問や飛行訓練などで頭角を現し、同年5月25日に基礎教程を修了、同日付で谷田部海軍航空隊に配属された。谷田部航空隊でも練習機を用いて飛行訓練を行い、同年9月28日に修了、同日付で神ノ池海軍航空隊に入隊した。
島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月… 島野 功緒(しまの いさお、本名:島野 功、1922年10月22日 - 2014年12月11日)は、日本の放送評論家。 北海道札幌市出身。札幌一中(現・北海道札幌南高等学校)卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。 慶應義塾大学在学中に学徒徴兵され、復員後に新聞界に入る。報知新聞の芸能記者を経て、報知新聞東京本社編集局次長、電通PRセンター企画局長、渡辺音楽出版制作部長などを歴任。その後は放送評論家として活躍。特に時代劇に造詣が深く、それに関する著書も多い。 2014年12月11日、急性心不全のため死去。92歳没。
清水 英夫(しみず ひでお、1922年10月21日 - 20… 清水 英夫(しみず ひでお、1922年10月21日 - 2013年6月19日)は、日本の法学者、ジャーナリスト、弁護士。青山学院大学名誉教授。 東京府東京市本郷区出身。1942年9月東京高等学校 (旧制)卒業。1943年12月大日本帝国陸軍に召集。1945年復員。1947年3月東京帝国大学法学部政治学科卒業。 1947年4月中央公論社に入社、1949年10月同社を退社し、日本評論社に入社、その後、同社法学セミナー編集長、同社『法律時報』編集長、同社出版部長を経て、1966年4月青山学院女子短期大学助教授に就任。 1968年4月青山学院女子短期大学教授。1972年4月青山学院大学法学部教授、1983年青山学院大学法学部長。
大野 英二(おおの えいじ、1922年10月20日 - 20… 大野 英二(おおの えいじ、1922年10月20日 - 2005年9月6日)は、日本の経済学者、京都大学名誉教授。
西田 秀穂(にしだ ひでほ、1922年(大正11年)10月1… 西田 秀穂(にしだ ひでほ、1922年(大正11年)10月19日 - 2019年2月16日)は、西洋美術史学者、東北大学名誉教授。 大阪市生まれ。学徒出陣をへて、1949年東北帝国大学法文学部文学科卒。ドイツ・ボン大学美術史研究所にて西洋近代美術(カンディンスキー、ドイツ表現主義)を研究。東北大学文学部助手、1950年(昭和25年)講師、1954年(昭和29年)助教授、1972年(昭和47年)教授、1981-1983年文学部長、1986年(昭和61年)定年退官、名誉教授、実践女子大学教授。1993年(平成5年)退職。 1990年(平成2年)「カンディンスキー研究 非対象絵画の成立 :その発展過程と作品の意味」で東北大学文学博士。
藤綱 亮三(ふじつな りょうぞう、1922年10月17日 -… 藤綱 亮三(ふじつな りょうぞう、1922年10月17日 - 1987年9月11日)は、日本の実業家である。神戸新聞社の元代表取締役社長。兵庫県出身。 1942年昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業、1952年神戸新聞社入社、経理局長、総務局長を経て、1969年取締役、1975年常務、1981年専務、1982年代表取締役社長就任。 1972年から社長に就任していた光田顕司が退任したことにともない社長に就任した。サンテレビ取締役、デイリースポーツ取締役なども歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮城海 清人(みやぎうみ きよと、1922年10月17日 -… 宮城海 清人(みやぎうみ きよと、1922年10月17日 - 没年不明 )は、宮城県本吉郡津谷町(現役当時、現・同県気仙沼市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 清人(たかはし きよと)。最高位は西前頭15枚目(1949年10月場所)。現役時代の体格は171cm、94kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げなど。 18歳の時に上京し、出羽海部屋へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の横綱・鏡里や大関・松登らがいる。 因みに、当初の四股名は、出身地の宮城県本吉郡に由来する「本吉」であった。 体格にはあまり恵まれていなかったものの順調に出世し、序ノ口に付いてから約4年後の1945年6月場所で新十両に昇進。
望月 力(もちづき つとむ、1922年(大正11年)10月1… 望月 力(もちづき つとむ、1922年(大正11年)10月17日 - 2007年(平成19年)3月29日)は、日本の登山家。新潟県出身。 戦後金物の町三条市で鍛冶屋が作って製品を各地に卸す集散地問屋にある家業を継いだ。また戦前始めた登山も再開した。戦前に比べると登山用具は少しずつ手に入りやすくなったが、やはりハーケンやカラビナはほとんど持つことができなかった。 1950年、鈴文という鍛冶屋に話を持ちかけ、二人で共同して自分で使うためのハーケン作りを始めた。望月がホームグランドにしていた谷川岳では岩が複雑でリスのすぐ奥でその間隙が狭かったりくねったりすることが多く、従前のハーケンでは曲がった先のリスには入りにくかったが、望月は鍛造した軟鉄でハーケンを作ることを考えつき、リスのカーブに沿って侵入しかつ曲がっても折れにくいハーケンができた。
森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 20… 森重 敏(もりしげ さとし、1922年10月15日 - 2007年5月28日)は、日本の国語学者、国文学者、奈良女子大学名誉教授。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1945年京都帝国大学国文科卒。京都女子大学助教授、奈良女子大学助教授、教授、1986年定年退官、名誉教授、天理大学教授、1996年退任。 1999年、勲三等旭日中綬章を受章。2007年5月28日、肺癌のため死去。没後正四位叙勲。
駒宮 安男(こまみや やすお、1922年10月14日 - 1… 駒宮 安男(こまみや やすお、1922年10月14日 - 1993年3月11日)は、日本の電気工学者。 1944年、東京帝国大学工学部電気工学科卒業。通産省電気試験所(現在の産業技術総合研究所)に入所。1952年、末包良太とともに日本初の自動計算機である、継電器式自動計算機のパイロットモデルETL Mark Iを完成。1955年、本格的な大型継電器式自動計算機ETL Mark IIを完成。リレー計算機として世界最大、最高速のものであった。1969年、電子情報通信学会コンピュータシステム研究専門委員会委員長。1980年、九州大学大学院教授。1986年、明治大学教授。
浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正1… 浜田 義文(濱田 義文、はまだ よしふみ、1922年(大正11年)10月14日 - 2004年(平成16年)9月10日)は、日本の哲学研究者。法政大学名誉教授。日本を代表するカント学者。 東京府豊多摩郡(現東京都杉並区)出身。第五高等学校卒業、1947年東京帝国大学法学部政治学科卒業、1950年東京大学文学部哲学科卒業。1968年熊本大学法文学部教授。1969年熊本大学法文学部学部長。1973年法政大学文学部教授となり、同大学で図書館長、大学院議長、評議員などを歴任し、1992年に名誉教授となる。1983年「カント倫理学の成立 イギリス道徳哲学及びルソー思想との関係」で同大学文学博士。 日本倫理学会常任評議員、日本カント協会会長、日本哲学会編集委員、法政哲学会会長などを歴任した。
山田 豊三郎(やまだ とよさぶろう、1922年(大正11年)… 山田 豊三郎(やまだ とよさぶろう、1922年(大正11年)10月13日 - 2009年(平成21年)7月18日)は、日本の政治家。第21代大津市長(1980年 - 2004年)。 市助役などを務めた後、6期にわたり大津市長を務め市の都市整備などを行った。「豊さん」、「山豊さん」のあだ名で親しまれた。元全国市長会相談役。大津市名誉市民。旭日中綬章。趣味は映画、歌謡、ダンス。 滋賀県野洲郡玉津村赤野井(現・守山市)の農家、堀出家に出生。のち、大津市出身の山田美惠子と結婚し、山田姓に改める。 1943年11月に満州国立新京法政大学特修科経済学部卒業。1944年、学徒出陣で遼陽の第33連隊に配属、第120師団輕重隊に配属される。
朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 -… 朴 東鎭(パク・トンジン、박동진、1922年10月11日 - 2013年11月11日)は、大韓民国の外交官、国会議員。民主正義党に所属した。本貫は密陽朴氏。 大邱府出身。大邱高等普通学校と日本の中央大学を卒業。 総理秘書、大統領秘書を経て、1951年に外務部に入省。儀典局長、駐イギリス参事官、外務部次官、駐ベトナム大使、駐ブラジル大使、駐ジュネーブ大使、国連大使、外務部長官(1975年-1980年)、国会議員(1981年-1985年)、国土統一院長官(1985年-1986年)、駐アメリカ大使(1988年-1991年)、韓国電力公社理事長、韓国外交協会会長を務めた。 2013年11月11日、京畿道龍仁市の病院にて老衰により死去。
安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2… 安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2002年8月22日)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。改姓前は、玉置 玉一(たまき-)。
馬場 和夫(ばば かずお、1922年10月10日 - 201… 馬場 和夫(ばば かずお、1922年10月10日 - 2014年10月1日)は日本の映画プロデューサー。 東京都出身。1944年に慶応義塾大学経済学部を卒業と同時に東宝撮影所製作部へ入社。1959年に製作部長に昇進。1965年に撮影所所長補佐。1969年に製作担当役員補佐などを歴任し1972年に東宝映画専務取締役に就任。 1980年に契約者となり1987年に東宝映画を退職、日本アカデミー賞協会事務局長となる。 2014年10月1日死去、91歳。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
川合 勇(かわい いさむ、1922年(大正11年)10月10… 川合 勇(かわい いさむ、1922年(大正11年)10月10日 - 没年不明)は日本の実業家。富士重工業代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長に就任したが在職中、贈賄容疑で逮捕、起訴され辞任した。 静岡県出身。1945年東京帝国大学工学部卒業。1946年日産自動車入社。日産自動車追浜工場工務部長を経て、1984年取締役に昇格。1985年日産ディーゼル工業代表取締役社長。1990年富士重工業(現SUBARU)代表取締役社長。1996年富士重工業代表取締役会長。 1998年に救難飛行艇開発汚職事件が発覚し、中島洋次郎防衛政務次官に対する贈賄容疑で逮捕、起訴され富士重工業代表取締役会長を辞職した。2006年最高裁判所で上告が棄却され、懲役1年6月、執行猶予3年とした東京高等裁判所の2審判決が確定した。
渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - … 渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - 1982年4月23日)は、日本の政治家、労働運動家。民社党の衆議院議員(5期)。 愛知県碧海郡依佐美村(現・刈谷市小垣江町)の三州瓦を扱う商家に生まれる。11歳のときに父親を亡くす。1937年、高等小学校を卒業。1938年、豊田自動車工業株式会社に就職。1943年、豊田工科青年学校(現・トヨタ工業学園)を卒業。 徴兵され、中国大陸各地を転戦した。1946年、復員。1948年3月に全日本自動車産業労働組合が結成されると、同組合東海文部の法規対策部長に就任。1955年から挙母市(現・豊田市)議会議員を1期務めた。 1966年9月から1969年8月までトヨタ自工労働組合委員長を務めた。
大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年… 大塚 実(大塚 實、おおつか みのる、1922年(大正11年)10月9日 - 2019年(令和元年)9月7日)は、日本の実業家。大塚商会創業者。後を継いだ大塚裕司は長男。 大塚裕司大塚商会代表取締役社長は長男。 母校である栃木県立真岡高等学校に対し、下記のような寄付を行ったほか、同窓会副会長を務める等、熱心な支援を行っていた。
竹林 省吾(たけばやし しょうご、1922年 <大正11年>… 竹林 省吾(たけばやし しょうご、1922年 <大正11年> 10月8日 - 2011年 <平成23年> 5月2日)は、日本の経営者。三井石油化学工業(現在の三井化学)社長を務めた。位階は正四位。 富山県出身。1943年に高岡高等商業学校を卒業し、同年に三井鉱山に入社。1956年に三井石油化学工業に転じ、1975年5月に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務、1984年6月に副社長を経て、1985年6月に社長に就任。1993年6月に会長に就任。 1987年4月に藍綬褒章を受章し、1995年5月に勲二等旭日重光章を受章。 2011年5月2日、肺炎のために死去。88歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 198… 河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 1989年8月9日)は、歌人。栃木県宇都宮市出身。 軍人の家系に生まれる。広島女学院高等女学校卒。1947年、「アララギ」に入会し、土屋文明に師事。1951年、『未来』創刊に参加。以後その中心女流歌人として、鋭いメタフィジカルな作風で活躍。門下に中川佐和子、干場しおりなど。1982年、『リリヤンの笠飾』で第18回短歌研究賞受賞。1983年、『黒羅』で第8回現代短歌女流賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山本 義正(やまもと よしまさ、1922年(大正11年)10… 山本 義正(やまもと よしまさ、1922年(大正11年)10月7日 - 2014年(平成26年)6月4日)は、日本の著述家。山本五十六記念館名誉館長。山本五十六(日本の海軍軍人)の長男。母は山本礼子。 1922年(大正11年)、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町で生まれた。父・山本五十六が結婚5年目の38歳の時の待望の嫡子であった。山本家は結婚当初は、青山高樹町、以後、千駄ヶ谷、霞ヶ浦、鎌倉、青山南町と移り住み、霞ヶ浦時代には妹・澄子も誕生した。義正は、ハリス記念鎌倉幼稚園から鎌倉第一小学校に通い、その後、父・五十六の切望であった東京府立一中(現・日比谷高)入学の為に、青山南町に一家で引越し、比較的合格率の高かった青南小学校に六年生の一年間通った。
旦弘昌(だん ひろすけ、1922年10月7日 - 2006年… 旦弘昌(だん ひろすけ、1922年10月7日 - 2006年1月1日)は、日本の大蔵官僚。関税局総務課長、大臣官房審議官(大臣官房担当)、国際金融局次長、関税局長、国際金融局長、日本銀行理事などを務めた。 満州営口市生まれ(父母は岡山県真庭郡勝山町出身)。第一高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学するも1943年12月 臨時招集となる。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校し、同年9月に卒業。1945年9月 海軍主計中尉。1946年3月 予備役。1947年12月 高等試験行政科。1948年9月 東京大学法学部政治学科を卒業し、大蔵省入省。
高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2… 高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2009年8月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1970年)(学位論文『近代的物権制度の展開と構成』)。早稲田大学名誉教授。東京都生まれ。 物権法・担保物権法を中心に研究し、同分野では確固たる学問的地位を確立した。また、方法論としての民法解釈学についても大きな足跡を残し、早稲田大学法学部の最終講義では「民法解釈学について」というテーマで記念講義をした。法学教育にも熱心で、早稲田大学法学会傘下の学生研究サークル「民法研究会」を30年余りにわたって顧問として指導し、同会の主催する模擬裁判は早稲田大学法学部の伝統を築いた。
石川 純(いしかわ じゅん、1922年10月6日 - 200… 石川 純(いしかわ じゅん、1922年10月6日 - 2005年2月21日)は、日本の医師・歯科医師・歯学者。北海道大学名誉教授、元北海道大学歯学部長、歯学研究科長、歯科保存学第二講座教授。元国際歯周病学会(International Academy of Periodontology)会長。歯周疾患に関する研究で知られる。 1945年に東京医学歯学専門学校歯学科(現・東京医科歯科大学)を、1949年に同医学科を卒業。以後東京医科歯科大学助手、講師、助教授、北海道大学助教授を務め、1970年より北海道大学予防歯科学教授、1971年より歯科保存学歯科保存学第二講座教授に就任、1978年からは歯学部長を務め、1986年より同大学名誉教授。
朝雲 照代(あさぐも てるよ、1922年〈大正11年〉10月… 朝雲 照代(あさぐも てるよ、1922年〈大正11年〉10月6日 - )は日本の女優。本名、玉木愛子。 1922年、神奈川県横浜市に生まれる。宝塚音楽歌劇学校を卒業後、1936年に宝塚少女歌劇団(25期生)の初舞台を踏む。1940年に退団。 杉狂児と共演した大映映画「青空交響楽」(1943年)や「赤胴鈴之助」シリーズなどに出演したことで知られる。 「青空交響楽」の主題歌「青い牧場」は当初、杉狂児とのデュエットでレコーディングしたが、杉狂児の歌い方が「ふざけている」と当局から指摘を受け、発売禁止処分となった。代理で歌ったのは藤山一郎と奈良光枝。 1949年に東横映画に移籍し、1951年の合併により東映に所属。
田中 美智子(たなか みちこ、1922年10月5日 - 20… 田中 美智子(たなか みちこ、1922年10月5日 - 2019年2月11日)は、日本の政治家、家政学研究者。元衆議院議員(5期)。夫は経済学者の田中礼蔵。 広島県出身。父親は師範学校の校長だった。日本女子大学家政学部社会福祉科卒業。27歳のとき結核で3年間療養、右肺を切除した。日本福祉大学助教授、名古屋家庭裁判所調停委員長などを歴任。 1972年12月の第33回衆議院議員総選挙に旧愛知1区から、日本共産党員ではあったものの、無所属(日本共産党・革新共同推薦)で立候補し初当選した。この年の総選挙で現職の丹羽久章(旧愛知1区)と辻寛一(旧愛知6区)は落選。自民党は名古屋市内の議席をすべて失った。 在職中、アスベスト問題や高額療養費制度の是正などに取り組んだ。
武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1… 武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1998年6月2日)は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 名前は、悉昌を音読みして「しっしょう」とも称した。 福岡県筑紫郡の農家の家系に生まれる。父が農業を継がせようとする両親(武末にとっては祖父母にあたる)に反発して家を出奔して銀行員となったため、1人残った武末は祖父母からの迫害を受けることになった。旧制筑紫中学(現:福岡県立筑紫丘高等学校)を卒業後、親類から逃れて野球を続けるために旧満州に渡り、大連高等商業学校を経て、満協中央銀行に入る。その後、1944年に召集令状を受け取り、関東軍に経理将校として召集される。
大島 渡(おおしま わたる、1922年10月3日 - )は、… 大島 渡(おおしま わたる、1922年10月3日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。
水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年… 水波 朗(みずなみ あきら、1922年10月3日(大正11年) - 2003年(平成15年)7月31日)は、日本の法学者。専門は法哲学。九州大学名誉教授、元久留米大学教授。 初めは河村又介(後の最高裁判事)の下で憲法学の研究を始めるが、やがて憲法学の根本学である公法学、後に法哲学に研究の重心を移す。思想的にはトマス主義に立脚するが、アルフ・ロス、ハンス・ケルゼン、カール・ポパー等、自らとは異なる立場の思想家をも取り上げ、批判的書評を公刊した。 1954年に、大澤章の導きでカトリックに入信。ネオ・トミズムの本場ベルギーに留学し、ジャン・ダバンに師事。トマス主義の哲学、法哲学の研究に取り組み、帰国後は20世紀の法哲学におけるトマス主義の位置づけと主張を明快に論じた大著『法の観念-ジャン・ダバンとその周辺-』を公刊した。
松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Mats… 松下 眞一(まつした しんいち、Shin-ichi Matsushita、1922年10月1日 - 1990年12月25日)は、日本の現代音楽の作曲家・数学者・物理学者・宗教学者・哲学者。 大阪府茨木市生まれ。大阪府立旧制茨木中学校を経て、旧制第三高等学校(現・京都大学)に入学する。この間に、父・松下久一より作曲を、中村良治にピアノと和声、永井巴に作曲と和声、朝比奈隆に指揮を師事した。 幼少の頃より、音楽、文学、科学や天文学に関心を抱く。中学時代より、ミヨー、ドビュッシー、オネゲル、ストラヴィンスキー、バッハ等の楽曲に親しむとともに、十二音技法の始祖ヨーゼフ・マティアス・ハウアーの思想に傾倒し、13歳で最初の交響曲を作曲していた。
末次 一郎(すえつぐ いちろう、1922年(大正11年)10… 末次 一郎(すえつぐ いちろう、1922年(大正11年)10月1日 - 2001年(平成13年)7月11日)は、日本の政治活動家。安全保障問題研究会代表。沖縄返還の功労者として知られ、晩年は日ソ専門家会議を主催して北方領土返還運動にも取り組み、「ミスター北方領土」の異名をとった。中曽根康弘首相ら歴代政府首相・首脳のアドバイザーとしても知られる。 佐賀県出身。佐賀商業学校・豊橋第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。 戦後は、国家的に重要な課題に取り組み、終生その活動を継続した。 1999年(平成11年)9月に肺癌の告知を受ける。2000年(平成12年)11月に胃癌を、2001年(平成13年)6月に肝臓転移を告知された。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
大前 朔郎(おおまえ さくろう 1922年10月1日 - 2… 大前 朔郎(おおまえ さくろう 1922年10月1日 - 2005年6月13日)は、日本の教育者、関西学院大学名誉教授、[経済学者] 京都府出身。1945年(昭和20年)関西学院大学経済学部卒業。後に関西学院大学経済学部教授となり、1952年(昭和27年)には撓競技同好会(翌年剣道部に改名)の部長も務めた。イギリスの社会政策学などに関連する翻訳、著作等を多数執筆した。 2005年(平成17年)6月13日、兵庫県西宮市の病院で死去。享年82歳。
山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10… 山西 由之(やまにし よしゆき、1922年(大正11年)10月1日 - 1986年(昭和61年)3月22日)は日本の実業家。TBS社長を歴任した。 長崎県平戸市出身。東亜同文書院在学中に兵役に就き、1947年(昭和22年)九州大学法文学部を卒業後、改造社に入社。雑誌「改造」の編集に携わるが、1955年(昭和30年)の廃刊とともにTBSの前身であるラジオ東京に転じ、テレビ編成局長、テレビ本部長、取締役、常務、1975年(昭和50年)5月専務を歴任。 1977年(昭和52年)6月29日、諏訪博の後任として社長に昇格し、東京データビジョン、テレビユー福島などの設立に尽くした。1982年(昭和57年)から1984年(昭和59年)まで日本民間放送連盟会長。
許 国雄(きょ こくゆう 中: 许国雄 Xu Guoxion… 許 国雄(きょ こくゆう 中: 许国雄 Xu Guoxiong 1922年10月1日–2002年5月20日)は台湾(中華民国)の政治家で教育家、医学博士、歯学博士。 元国民大会代表。東方工商専科学校の創設者・学長。元台湾省教育会理事長。中華民国全国教育会監事長。陳水扁政権では僑務委員会顧問を務めた。中国国民党評議委員。 許は、2.28事件で市参議員(市会議員)であった父親を国民党軍に殺されたが、その後、蔣経国(後の中華民国総統)と談判し、台湾の「政治改革」を訴えた。蔣から国民党への入党をすすめられ、入党している。 許は、国民党の中から台湾の政治改革を推進し、自称「李登輝派」として活動した。現在[いつ?]の日本では、国外に亡命して台湾の改革運動に取り組んだ台湾人にばかりスポットが当てられているが、実際は許のように国民党の中からこれを推進した人も数多く存在した[独自研究?]。
小林 信雄(こばやし のぶお、1922年(大正11年)10月… 小林 信雄(こばやし のぶお、1922年(大正11年)10月 - 2014年(平成26年)3月)は、日本の新約聖書学者。 牧師・竹林拙三の子に生まれる。 関西学院高等部卒、九州帝国大学卒、1947年関西学院文学専門部専任講師、1950年関西学院大学文学部専任講師、1952年神学部専任講師、トロント大学大学院神学修士課程修了、イマヌエル神学校卒。関西学院大学神学部助教授、教授。1991年定年退任、名誉教授。
大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 200… 大洲 秋登(おおす あきと、1922年9月30日 - 2008年6月17日)は、日本の詩人。「VOUクラブ」所属、「びわの実学校」同人。赤い鳥文学賞受賞。 1922年(大正11年)、広島県安芸津町(東広島市)に生まれる。広島県立忠海中学校を経て、早稲田大学文学部独文科卒業。大学の先輩で児童文学者の前川康男と親交があった。郷里の広島で、洋品店や教材販売業を営みながら、詩作をつづける。1949年から北園克衛主宰の「VOUクラブ」に所属し、雑誌『VOU』などに前衛的な詩を寄稿。1959年、詩集『密着した時間』を出版。その後、坪田譲治創刊の童話雑誌『びわの実学校』を中心に「少年詩」を寄稿し、それらを集めて詩集を出版。
伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 20… 伊東 政吉(いとう まさきち、1922年9月30日 - 2021年10月2日)は、日本の経済学者、一橋大学名誉教授。日経・経済図書文化賞受賞。 神奈川県出身。横浜市立横浜商業専門学校(現横浜市立大学)塩野谷九十九ゼミ出身。東京商科大学(現一橋大学)卒、1950年一橋大学経済研究所アメリカ経済研究部門で、都留重人教授や小原敬士教授の下で助手に就任。1966年「アメリカの金融政策 その論争点の分析」で経済学博士(一橋大学)。一橋大学経済研究所教授を経て、1974-1976年一橋大学経済研究所所長、1986年定年退官、名誉教授、東京国際大学教授、成城大学教授を務めた。 1998年勲三等旭日中綬章受章。
葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29… 葛西 森夫(かさい もりお、1922年〈大正11年〉9月29日 - 2008年12月8日)は、青森県市浦村(現・五所川原市)生まれの小児外科医。旧制第二高等学校・東北帝国大学(現・東北大学)出身。胆道閉鎖症に対する手術・肝門部腸吻合術(英語版)を開発したことで知られ、この術式は葛西の名前を取って葛西手術(英: Kasai's procedure)とも呼ばれる。 葛西は1922年に青森県市浦村(現・五所川原市)で生まれ、函館で育った。1935年に旧制函館中学校(現北海道函館中部高等学校)に進学し、1940年に卒業した。葛西の父は近代教養を重んじる敬虔なクリスチャンであり、この影響を受けた彼は、グリム童話やアンデルセンに親しんで育ったのだという。
勝見 嘉美(かつみ よしみ、1922年〈大正11年〉9月29… 勝見 嘉美(かつみ よしみ、1922年〈大正11年〉9月29日 - 2005年〈平成17年〉6月15日)は、日本の裁判官、法務官僚。主に民事裁判を担当した他、司法行政にも携わり、最高裁判所事務総長、名古屋高等裁判所長官を歴任した。位階は正三位。 山形県生まれ。東京帝国大学卒業。1949年(昭和24年)に司法修習生となる。1951年(昭和26年)に甲府地裁・家裁で裁判官実務を経験した後で、1955年(昭和30年)に最高裁行政局付。1960年(昭和35年)に福岡地裁・家裁へ転出を経て、1963年(昭和38年)に最高裁行政局課長となる。最高裁経理局総務課長などを経て、1971年(昭和46年)に法務省に出向し、法務省参事官や司法法制調査部長等を務める。
吉田 哲也(よしだ てつや、1922年9月29日 - 199… 吉田 哲也(よしだ てつや、1922年9月29日 - 1991年3月7日 )は、日本の経営者。筑邦銀行頭取を務めた。 佐賀県出身。1949年に東京大学法学部を卒業し、同年4月に日本勧業銀行に入行した。1972年11月に筑邦銀行常務を経て、1977年12月に副頭取に就任し、1981年6月には頭取に昇格した。1990年12月には会長に就任。 1991年3月7日、心不全のために死去。68歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年9月28日 - 2… 桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年9月28日 - 2004年1月9日)は、日本の政治家、官僚。福岡市長(第29-31代)、労働事務次官を務めた。
加藤 一郎(かとう いちろう、1922年9月28日 - 20… 加藤 一郎(かとう いちろう、1922年9月28日 - 2008年11月11日)は、日本の法学者。専門は民法・環境法・医事法。学位は法学博士(東京大学・1961年)。位階は従三位。勲等は勲一等。東京大学名誉教授、学校法人成城学園名誉学園長、日本学士院会員。弁護士。横浜経済専門学校講師、東京大学法学部教授、東京大学法学部学部長、東京大学総長、学校法人成城学園学園長などを歴任した。我妻栄門下。弟子に米倉明、加藤雅信、中山信弘、水野紀子など。 東京府出身の法学者であり、民法を専門とする。東大紛争時の東京大学総長代行としても知られる。厚生労働大臣などを歴任した小宮山洋子は実娘。参議院議員として自由民主党に所属した青木一男は岳父。
桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年(大正11年)9月… 桑原 敬一(くわはら けいいち、1922年(大正11年)9月28日 - 2004年(平成16年)1月9日)は、日本の政治家、官僚。福岡市長(第29-31代)、労働事務次官を務めた。 太宰府天満宮の神職(安秀院三綱)の家系であり、福岡市教育部長を務めた桑原恭助の長男として福岡県太宰府市に生まれる。1940年福岡県中学修猷館、1943年旧制福岡高等学校文科丙類を経て、東京帝国大学法学部に進学し、在学中に陸軍主計少尉として学徒出陣をしている。1947年、第1回労働基準監督官採用試験に合格。1948年、東京大学法学部を首席で卒業後、労働省に入省。 1973年、福岡県副知事に就任。労働省大臣官房長、労働基準局長、労政局長などを経て、1979年、労働事務次官に就任。
工藤 榮(くどう さかえ、1922年9月28日 - 1993… 工藤 榮(くどう さかえ、1922年9月28日 - 1993年6月16日)は、日本の経営者。東京証券社長、会長を務めた。東京都出身。 1944年に明治大学専門部政治経済学部を卒業し、1947年4月に日興証券に入社。 1972年11月に専務に就任し、1975年11月には遠山証券社長に就任。1981年10月には東京証券社長に就任。1985年12月に会長に就任。 1992年7月から1993年2月までに日本証券業協会会長を務めた。 1985年11月に藍綬褒章を受章。 1993年6月16日呼吸不全のために死去。70歳没。
上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1… 上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人。陸軍特別攻撃隊第56振武隊員。 「自由主義者」を標榜する遺書の内容で有名。上原が書き残した遺書や手記などは、近代日本史上の軍人が書き残した遺稿の中で、最もよく知られているものの一つであり、『きけ わだつみのこえ』などの多くの書籍に掲載され、映画やドキュメンタリー番組で度々取り上げられている。 長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)に医師の父・上原寅太郎、母・よ志江の三男として生まれ、旧穂高町(現・安曇野市)有明で育つ。 遠縁にあたる「有明医院」を継いだ上原家は裕福で子供らに文化的な生活を送らせており、近くの乳房川で家族みんなで写真の撮影会をしたり、家の離れに近所の子供たちを集めて肝試し大会を開催したり、広い裏庭ではテニスをやったり、またスキーや登山といった遠出も頻繁に行っていた。
安田 一郎(やすだ いちろう、1922年9月27日 - 19… 安田 一郎(やすだ いちろう、1922年9月27日 - 1992年)は、日本の英語学者、英文学者、成城大学名誉教授。NHKラジオ『続・基礎英語』の講師として知られる。 東京入谷生まれ。1944年9月東京外国語学校英語部卒。1947年埼玉県経済部倍賞課嘱託、1949年埼玉地方経済調査庁経済調査官、1952年埼玉県地方行政観察局総理府事務官、埼玉大学教育学部附属中学校教官、1962年東京教育大学指導主事課程修了、1963年から64年にかけてフルブライト留学生としてミシガン大学に学び研修修了、帰国後に成城大学短期大学部講師、1965年NHK英語講座『続・基礎英語』講師(-1980年)、1967年成城短大助教授、1976年教授、1977年成城大学法学部教授(英語)、1978年大学評議員、1983年から87年図書館長、1990年成城大学定年退職、名誉教授、調布学園女子短期大学教授。
藤林 伸治(ふじばやし しんじ、1922年9月26日 - 1… 藤林 伸治(ふじばやし しんじ、1922年9月26日 - 1994年5月2日)は、日本の映画監督・演出家・市民運動家。群馬県富岡市出身。