養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )… 養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医師、医学者、解剖学者。東京大学名誉教授。医学博士。ニュース時事能力検定協会名誉会長。神奈川県鎌倉市出身。 2003年に出版された『バカの壁』は450万部を記録し、第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー5位となった。 1937年(昭和12年)、小児科医の養老静江(1899〜1995年)と養老文雄(三菱商事勤務)の次男として神奈川県鎌倉市で生まれる。4歳の時に父親を結核で亡くし、その後は鎌倉で小児科「大塚医院」を営む母・静江の腕一つで育てられる。 私立ハリス幼稚園(鎌倉市)を卒園し、鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校、東京大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院での1年間のインターン(研修医)を務める。
八木田 宜子(やぎた よしこ、1937年11月11日 - 2… 八木田 宜子(やぎた よしこ、1937年11月11日 - 2022年12月12日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。 東京生まれ。東京大学教育学部卒業。駒場時代は樺美智子の同級生で、安保反対運動に参加していた。卒業後は編集者。乙骨淑子、奥田継夫、山下明生、掛川恭子らの同人誌「こだま」の参加を機に創作活動の傍ら、英米文学の翻訳を手掛ける。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月1… 甲斐 道清(かい みちきよ、1937年(昭和12年)11月11日 - 2025年(令和7年)10月24日)は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県守山市出身。実家は守山市にある臨済宗大徳寺派少林寺。6歳で得度する。同志社大学文学部を卒業。卒業後はマツダオート京都に就職し、課長となる。その後、守山市役所に入り、守山市土地開発公社に勤務し、同事務局長になる。1989年少林寺の住職に就く。 1995年守山市長選挙に立候補し初当選。1999年は無投票で再選。2003年に三選を目指したが、元守山市議の山田亘宏に敗れた。 2008年春の叙勲で旭日双光章を受章する。 2025年10月24日、病気療養中に守山市内の病院で死去した。
森永 純(もりなが じゅん、1937年11月11日 - 20… 森永 純(もりなが じゅん、1937年11月11日 - 2018年4月5日)は、日本の写真家。 1937年、長崎県長崎市にて誕生。日本大学芸術学部写真学科を卒業し、1962年にアメリカ合衆国の写真家であるユージン・スミスの助手を勤めていた。日本写真批評家協会新人賞、日本写真協会年度賞を受賞。 2018年4月5日、心不全のため死去。80歳没。
村重 寧(むらしげ やすし、1937年11月10日 - )は… 村重 寧(むらしげ やすし、1937年11月10日 - )は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。早稲田大学名誉教授。 1956年東京都立武蔵丘高等学校卒業。1962年早稲田大学第一文学部美術史専修卒業、1964年同大学大学院文学研究科美術史学専攻修士課程修了、1967年同博士課程単位取得満期退学。1964年早稲田大学文学部助手。1967年東京国立博物館学芸部資料課研究員(文部技官)、1968年同法隆寺宝物館研究員、1979年同学芸部美術課主任研究官、1985年同絵画室長、1989年同美術課長、1992年同企画課長。その間、女子美術大学、東京大学、筑波大学など非常勤講師。1994年早稲田大学文学部美術史専修教授、2008年早稲田大学文学学術院定年退職。
永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2… 永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2008年7月15日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元宮崎県議会議員(4期)。 宮崎県児湯郡川南町出身。宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。農業を経て1991年4月に宮崎県議会議員に初当選し、以後4期連続当選を果たす。2003年4月には県議会副議長に就任。 2006年4月には宮崎県議会自由民主党会長に就任。2007年1月に東国原英夫宮崎県知事に就任して以降は、「改革派知事」と「保守王国のドン」との対決として注目された。2月の県議会では知事に最初に代表質問をした政治家となった。知事からは「いちみ(一味)という名前だけあってスパイスの聞いた質問」と挑発された。
林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は… 林 貞行(はやし さだゆき、1937年11月10日 - )は、日本の外交官。
牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994… 牧野 宏(まきの ひろし、1937年11月9日 - 1994年1月20日)は、千葉県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 成田高等学校では投手、五番打者として活躍。1955年夏の県予選、南関東大会で3完封、5本塁打を記録。南関東大会決勝で鴻巣高を延長10回の末に破り、夏の甲子園に出場。甲子園では2回戦(初戦)で津久見高の田中喜八郎と投げ合うが、大差で完封負けを喫する。高校同期に左翼手、四番打者の平山正行(南海)がいた。 法政大学へ進学。エース、中心打者として活躍するが、東京六大学野球リーグは当時、長嶋茂雄、杉浦忠らの立大全盛期であり、法大は優勝に届かなかった。しかし1957年秋季リーグで、シーズン最優秀防御率0.19のリーグ記録を達成。
水田 寛和(みずた ひろかず、1937年11月9日 - )は… 水田 寛和(みずた ひろかず、1937年11月9日 - )は、日本の経営者。東急百貨店社長、会長を務めた。大分県出身。 1962年に慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同年4月に東京急行電鉄に入社。1995年4月に東急百貨店取締役に就任し、1996年6月に常務、1998年4月に専務を経て、2000年4月には社長に就任。2008年4月から2010年1月までに会長を務めた。
樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8… 樺 美智子(かんば みちこ、1937年〈昭和12年〉11月8日 - 1960年〈昭和35年〉6月15日)は、日本の学生運動家。安保闘争で死亡した東京大学の女子学生である。 曽祖父は鳥取県出身の数学者樺正董、父は社会学者の樺俊雄。 1937年(昭和12年)に東京都北多摩郡武蔵野町(現:武蔵野市)の学者の家系に生まれた。2人の兄がいる。中学から父の神戸大学赴任に伴い兵庫県芦屋市に移る。 芦屋市立山手中学校、兵庫県立神戸高等学校を卒業後、一浪して東京の研数学館(お茶の水校)へ通ったが、授業に満足できず、6月に紅露外語予備校に移ったが、午前中だけの授業に飽き足らず、2学期から駿台予備学校に移る。1957年(昭和32年)に東京大学文科二類(現在の文科三類)に入学。
角永 武夫(かくなが たけお、1937年11月8日 - 19… 角永 武夫(かくなが たけお、1937年11月8日 - 1988年9月21日)は、日本の分子生物学者。薬学博士。朝鮮・京城(現・ソウル特別市)生まれ。 金沢大学薬学部卒、大阪大学大学院薬学研究科博士課程修了。1970年高松宮妃癌研究基金学術賞受賞。1987年「癌細胞の表現形質発現の分子機構に関する研究」の業績により大阪科学賞受賞。1988年4月第13代大阪大学微生物病研究所所長に就任。この頃、自身が癌に冒されていることがわかり「あと数カ月の命」と診断される。癌細胞の研究が専門であった。亡くなる3日前まで発癌遺伝子の研究論文を書き続けた。1988年9月、死去。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 201… 林 謙作(はやし けんさく、1937年11月8日 - 2010年3月15日)は日本の考古学者。元北海道大学教授。
大串 章(おおぐし あきら、1937年(昭和12年)11月6… 大串 章(おおぐし あきら、1937年(昭和12年)11月6日 - )は、日本の俳人。佐賀県出身。 嬉野町(現:嬉野市)生まれ。若い頃より文学に関心を持ち、1950年、「毎日中学生新聞」にて俳句等を投稿していた。1958年に京都大学経済学部に入学、俳句同人誌「青炎」や「京大俳句会」に参加。1962年に大学卒業後は日本鋼管(現:JFEスチール)に就職。1959年、大野林火主宰の「濱」に参加。1994年、「百鳥」を創刊し、主宰。 1978年、句集『朝の風』で第2回俳人協会新人賞、1994年、『現代俳句の山河』で第9回俳人協会評論賞、2005年、句集『大地』で第45回俳人協会賞を受賞。2002年より俳人協会理事、2017年より会長。
吉村 元男(よしむら もとお、1937年11月6日 - )は… 吉村 元男(よしむら もとお、1937年11月6日 - )は、日本の造園家。環境デザイナー。元鳥取環境大学環境情報学部環境デザイン学科教授、環境学者。地域ネットワーク会議代表。NPO鳥取エコタウン2020理事長。京都市出身。同じく鳥取環境大学の教授で、京大農学部出身者は、三野徹、福島義宏がいる。 京都市出身。1960年京都大学農学部林学科(造園学講座)卒業後、京都の造園家・井上卓之の元で修行する。1967年からAIN造園事務所で大阪万国博覧会会場計画に参加。1968年環境事業計画研究所を設立、所長となる。2000年鳥取環境大学教授。1984年、鎮守の森保存修景研究で、第11回環境賞優良賞。2000年日本公園緑地協会北村徳太郎賞受賞。
川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 202… 川口 真(かわぐち まこと、1937年11月5日 - 2021年10月20日)は、日本の作曲家、編曲家。兵庫県神戸市出身。本名:川口 眞弘(かわぐち まさひろ)。 幼少期は岡山県倉敷市、岡山市育ち。岡山県立岡山操山高等学校を卒業後、東京芸術大学に進学した。 東京芸術大学音楽学部楽理科に2年在籍したのち、作曲科へ転科。在学中から越路吹雪のバックバンド「クレール・ド・シャルム」のピアニストとして活動。その傍らでいずみたくの事務所で編曲のアルバイトも行っており、ミュージカル『見上げてごらん夜の星を』で編曲家としてデビュー。そのまま本業となったため、大学は4年で中退。 1966年、ザ・ベンチャーズが作曲した「二人の銀座」(歌:和泉雅子・山内賢)の編曲を担当。
松下正明(まつした まさあき、1937年11月5日 - )は… 松下正明(まつした まさあき、1937年11月5日 - )は、日本の医学者。東京大学名誉教授。専攻は老年精神医学。 佐賀県生まれ。1962年東京大学医学部卒、1963年東京大学医学部講師、1966年東京都立松沢病院勤務、1973年東京都精神医学総合研究所研究員、1982年横浜市立大学教授、東京大学医学部精神医学講座教授、1998年定年退官、名誉教授、東京都精神医学総合研究所所長、東京都立松沢病院院長・同所長兼任。東京都健康長寿医療センター理事長。
青空 はるお(あおぞら はるお、本名:坂上 洋祐〈さかうえ … 青空 はるお(あおぞら はるお、本名:坂上 洋祐〈さかうえ ようすけ〉、1937年11月5日 - 2010年代初頭)は、日本の漫才師、俳優、レポーター、司会者。 新潟県三条市出身。地元の中学校を卒業後、集団就職で上京。しばらくは会社員として勤務していたが、漫才師を目指して1959年にコロムビア・トップ・ライトに師事。同門の青空あきおと2人で「青空はるお・あきお」コンビを結成し、人気を博す。 1972年、12年に渡って組んで来たコンビを解散する。その後は単独でタレントとしてNTV系列の『テレビ三面記事 ウィークエンダー』や『ルックルックこんにちは』などに事件レポーターとして出演し、主に「男女関係のもつれによる事件」を担当する。
井上 幸彦(いのうえ ゆきひこ、1937年(昭和12年)11… 井上 幸彦(いのうえ ゆきひこ、1937年(昭和12年)11月4日 - )は、日本の警察官僚。第80代警視総監。オウム真理教事件の捜査で名を馳せる。日韓合同開催ワールドカップなど国内の重要イベントでは警備を通して危機管理強化に貢献した。退官後、政治家への転身を目指し、2003年(平成15年)2月2日に行われた山梨県知事選挙に立候補したが、山本栄彦甲府市長に敗れて約46,000票差で落選した。栄典は瑞宝重光章。 1995年、突如発生した地下鉄サリン事件に見舞われ、警視庁は日本犯罪史上最悪のテロ事件に対応する使命を急遽担うこととなる。一般市民を狙った無差別化学テロという未曾有の凶悪犯罪に対し、井上自身も時の警視総監として警視庁の陣頭指揮を執る立場となった。
宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は… 宮坂 静生(みやさか しずお、1937年11月4日 - )は、日本の俳人、国文学者。信州大学名誉教授。本名、敏夫。 長野県千曲市生まれ、松本市育ち。信州大学で近世文学を専攻。卒業後、1961年から長野県の公立高校教諭となり、1974年信州大学医学部保健学科助教授、教授を経て2001年定年退官、名誉教授。大学では近世および近現代国文学、日本人の死生観等を専門とした。 俳句は14歳から始め、18歳から「若葉」に投句、富安風生、加倉井秋をに師事。1962年、「龍膽」編集長となり同誌を小諸から発行。1968年、藤田湘子に会い「鷹」に入会、翌年に無鑑査同人となる(1995年に退会)。1978年俳誌「岳」(たけ)を創刊、主宰。
古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )… 古屋 明信(ふるや あきのぶ 、1937年11月3日 - )は、元NHKのエグゼクティブアナウンサー。現在はNHK放送研修センター・日本語センター所属。 出生地は中国・上海。東京都立千歳高等学校、早稲田大学卒業。1962年にアナウンサーとしてNHKに入局。宮崎→金沢→福岡→名古屋の各局を歴任し、1982年から東京放送センター勤務。現役時代は主にスポーツ中継を担当、落ち着いたトーンで今の絶叫型アナウンサーの対極にある名アナウンサーだった。また、NHKテレビ最初のスポーツニュース番組を担当したアナウンサーのひとりである。 定年後はBS・ラジオのニュース番組(ラジオ放送の場合、深夜帯ではラジオ深夜便内の定時ニュース。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
是金 俊治(これかね としはる、1937年11月3日 - 2… 是金 俊治(これかね としはる、1937年11月3日 - 2013年3月18日)は、日本の実業家。小野薬品工業代表取締役社長を務めた。 滋賀県出身。大阪市立大学経済学部卒業。1965年小野薬品工業入社。1986年取締役営業本部長に昇格。1990年常務取締役。1993年専務取締役。1995年代表取締役専務取締役。2001年代表取締役副社長。2005年取締役。取締役を退任予定だったが、2006年に岩井孝司の突然の辞職に伴い、急遽後任の代表取締役社長に就任した。2008年に健康上の理由で退任し、2013年に膵臓がんのため死去した。
小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 20… 小林 達雄(こばやし たつお、1937年11月2日 - 2025年8月22日)は、日本の考古学者。國學院大學文学部名誉教授。新潟県立歴史博物館名誉館長。 1937年、新潟県長岡市生まれ。新潟県立長岡高等学校を卒業。その後、國學院大學文学部で学び、國學院大學大学院博士課程満期退学。 東京都教育庁文化課に入り、文化庁文化財調査官に転任。1978年に調査官を退任し、國學院大學文学部助教授に就いた。1985年に教授昇格。1994年、学位論文『縄文土器の研究』を國學院大學に提出して博士号を取得。2008年に國學院大學を定年退任し、名誉教授となった。2023年、アメリカ芸術科学アカデミーの会員に選出された。
笠木 透(かさぎ とおる、1937年11月2日 - 2014… 笠木 透(かさぎ とおる、1937年11月2日 - 2014年12月22日)は、岐阜県恵那市生まれの日本のフォークシンガー。 1937年11月2日、岐阜県恵那郡岩村町(現・恵那市)に生まれる。岐阜大学卒業後、教員、出版社勤務を経てフリーのフォークシンガーに。1969年から1971年の3回にわたり中津川労音の事務局長として中津川フォークジャンボリーの企画・運営に携わる。 その後、フィールド・フォークを提唱し、テレビ出演などのマスメディアにほとんど頼らない活動を続けて、小さな町や村など全国津々浦々でコンサートを行っていた。1971年、「我夢土下座」(カムトゲザ、COME TOGETHER)を結成。1985年、坂庭省悟、安達元彦、進藤了彦、赤木一孝らと「フォークス」を結成(後に松崎博彦が参加)し、リーダーをつとめる。
花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉… 花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉11月2日 - )は、日本の歴史学者、郷土史学者、宮司。元高等学校教諭。 新潟県直江津市(現:上越市)出身。 新潟県立直江津高等学校を経て國學院大學文学部卒業。國學院大學大学院修士課程(日本史学専攻)修了。 越後一の宮居多神社宮司(第44代)。 元新潟県立安塚高等学校、新潟県立柿崎高等学校教諭、新潟県立直江津高等学校教諭。 新潟県文化財保護指導委員、上越市文化財調査審議会委員、上越郷土研究会会長、新潟出版文化賞選考委員などを務める。 大谷吉継や上杉氏に関する著書がある。 2010年(平成22年)、地域文化功労者文部科学大臣賞受賞。
渡邉 守邦(わたなべ もりくに、1937年11月2日 - 2… 渡邉 守邦(わたなべ もりくに、1937年11月2日 - 2022年11月24日)は、日本の国文学者。専門は日本近世文学。実践女子大学名誉教授。 1961年、東京教育大学文学部国語国文学専攻卒業。1967年、同大学大学院博士課程日本文学専攻単位取得退学。1967年、大妻女子大学専任講師、1970年、同助教授。1977年、国文学研究資料館助教授、1984年、同教授。1989年、国文学資料館を退職、同名誉教授、実践女子大学教授。2007年、実践女子大学を定年退職、名誉教授。
牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 20… 牧野 圭一(まきの けいいち、1937年11月1日 - 2022年8月14日)は、日本の漫画家、漫画文化の研究者。京都精華大学名誉教授。 愛知県豊橋市出身。4人きょうだいの長男。漫画家の牧野和子は実妹である。 愛知県立時習館高等学校卒業。上京して2度美術大学受験に失敗し、1958年に日本テレビジョン(TCJ)へ入社。アニメーターとして働く。27歳で博報堂へ転職し、テレビCMの絵コンテを手がける。1964年には独立して、島充とともにマキノプロダクションを設立。 1966年より近藤日出造に師事し、近藤没後の1976年3月から約15年間、近藤の後を継いで読売新聞に政治漫画を連載した。1976年11月に読売新聞社の嘱託に。
土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山… 土井 豊(どい ゆたか、1937年11月1日 - )は和歌山県那賀郡池田村(現:紀の川市)出身の元プロ野球選手。 1956年に那賀高校から大阪タイガースに入団。当時は貴重な左腕で1958年に20試合に登板し2勝を挙げた。しかし、その後は精彩を欠き1962年高井良一男と共に、飯尾為男・福塚勝哉との2対2の交換トレードで毎日大映オリオンズに移籍。移籍後の登板はほとんどなく、1963年に退団した。
赤井 勝利(あかい かつとし、1937年11月1日 - )は… 赤井 勝利(あかい かつとし、1937年11月1日 - )は、鳥取県出身の元プロ野球選手(外野手)。 米子南高校から1957年に広島カープへ入団。 1軍出場は2年目の1試合だけに留まり、1959年に引退した。
村上 幹次(むらかみ かんじ、1937年11月1日 - )は… 村上 幹次(むらかみ かんじ、1937年11月1日 - )は、日本の社会福祉実践家、実業家、映像作家。3D立体映像に関する先駆的開発者である。現在、株式会社ジー・アイ・ティー(GIT Co. Ltd.)代表取締役。
横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、… 横川 竟(よこかわ きわむ、1937年11月1日 - )は、日本の実業家。きわむ元気塾会長。高倉町珈琲会長。 すかいらーく創業者の一人であり、同社の元代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者や、日本フードサービス協会会長を務めた。 横川家の三男として長野県諏訪市に生まれた。3歳の頃、中国・満州に渡る。6歳の時、父が病死し、帰郷した。学制改革による新制諏訪市立四賀中学校を卒業し、後に兄弟で1962年(昭和37年)に当時の東京都北多摩郡保谷町(現西東京市)のひばりが丘団地内にことぶき食品有限会社を設立し、取締役となる。子会社の株式会社ジョナス(後にジョナサン)の代表取締役社長、会長、すかいらーくの取締役を経て、2003年(平成15年)には兄弟と共にすかいらーくの取締役から退いたが、2006年(平成18年)3月31日にすかいらーく代表取締役会長兼最高経営責任者に就任、しかし業績不振から退任を求められ、2008年8月12日に臨時株主総会と取締役会で退任が決定された。
上岡 国夫(かみおか くにお、1937年11月 - )は、日… 上岡 国夫(かみおか くにお、1937年11月 - )は、日本の教育心理学者。元高崎経済大学教授、高崎経済大学附属高等学校初代校長。群馬県渋川市出身。 1956年群馬県立渋川高等学校卒業、1964年京都大学教育学部卒業、1967年群馬大学教育学部専攻科修了、1970年東京教育大学大学院教育学研究科修士課程修了、1973年東京教育大学大学院教育学研究科博士課程中退。 群馬県渋川市立渋川工業高等学校(現:群馬県立渋川工業高等学校)教諭、足利工業大学(現:足利大学)講師、高崎経済大学講師・助教授・教授、群馬女子短期大学(その後高崎健康福祉大学短期大学部に改称、現在は廃止)講師、高崎経済大学附属高等学校(現:高崎市立高崎経済大学附属高等学校)校長、高崎芸術短期大学講師などを歴任。
福迫 尚一郎(ふくさこ しょういちろう、1937年(昭和12… 福迫 尚一郎(ふくさこ しょういちろう、1937年(昭和12年)11月 - )は、日本の工学者。工学博士(北海道大学)。専門は熱工学。北海道大学名誉教授・札幌市元助役・学校法人北海道尚志学園専務理事。鹿児島県出身。 同じ北大卒の桂信雄市長に請われ助役に就任。桂市長勇退とともに助役を退任 凍結・融解に伴う熱伝導問題を研究 『北海道人物・人材リスト 2004 か-と』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10… 清原 武彦(きよはら たけひこ、1937年(昭和12年)10月31日 - 2024年(令和6年)12月27日)は、日本のジャーナリスト、実業家。産経新聞社特別顧問、日本美術協会副会長。 父は検事総長を務めた清原邦一。甥はフジテレビプロデューサーの清原邦夫。 清原邦一の次男として東京で生まれる。第二次世界大戦中、疎開した和歌山県・粉河の長田町小学校に入学、戦後は成蹊中学校・高等学校を経て1962年(昭和37年)慶應義塾大学法学部法律学科を卒業。同年、産経新聞社に入社した。 2024年12月27日午前7時4分、肺炎のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去した。87歳没。 東京本社社会部、横浜総局記者を短期間務めた後、1964年(昭和39年)から社内留学生として2年間、アメリカに留学、聴講生としてミシガン大学で学んだ。
西園寺 昭夫(さいおんじ あきお、1937年10月31日 -… 西園寺 昭夫(さいおんじ あきお、1937年10月31日 - 2011年10月3日 )は、熊本県出身で、1950年代から1960年代にかけて活躍したプロ野球選手。現役時代のポジションは三塁手、遊撃手など。
東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30… 東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30日 - 2026年4月5日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名は庄司 禎雄(読み同じ)。1974年6月16日から2014年12月31日にかけて毎日新聞朝刊に13,749回連載した4コマ漫画の『アサッテ君』で、一般全国紙の連載漫画の最多掲載記録を作った。他の漫画・エッセイの連載においても、ほとんどが40年超のロングランとなっている。 東海林は1937年10月30日、東京府東京市杉並区高円寺南で生まれた。父は小西六(現在のコニカミノルタ)の社員だった。小学生時代に戦火を避け、父以外の家族で山梨県大月市に疎開。終戦後も東京には戻らず、母方の実家のある栃木県那須郡武茂村(のちの馬頭町)に移り、中学2年時まで過ごす。
水木 楊(みずき よう、1937年10月30日 - 2021… 水木 楊(みずき よう、1937年10月30日 - 2021年8月29日)は、日本の作家。本名は市岡 揚一郎(いちおか よういちろう)。 中華人民共和国上海生まれ。終戦後兵庫県に在住、自由学園最高学部を卒業した。日本経済新聞社に入社、記者として活動し、ワシントン支局長、総編集次長、取締役等を歴任し、退社。作家として独立した。 2009年4月から2017年4月まで第8代学校法人自由学園理事長を務めた。 2021年8月29日、死去。83歳没。 戦後史、政治家・軍人、企業経営者などがテーマ。「田中角栄-その巨善と巨悪」は、発行部数10万部のベストセラーとなった。短編小説「青いあひる」は、自叙伝的な色彩が強い叙情的な作品である。
熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10… 熊本 典道(くまもと のりみち、1937年〈昭和12年〉10月30日 - 2020年〈令和2年〉11月11日)は、日本の裁判官、弁護士。袴田事件第1審の担当判事(左陪席)として無罪の心証を形成しつつも裁判長・右陪席の説得に失敗し死刑判決を下したが、後年良心の呵責から合議の秘密を破って被告人(袴田巌)の無実を訴えた人物として知られる。 1937年(昭和12年)佐賀県東松浦郡打上村(後の鎮西町、現:唐津市)に生まれる。父母ともに小学校教員をつとめる家庭の長男として厳格な教育を受ける。 1953年(昭和28年)に鎮西町立打上中学校(現:唐津市立海青中学校)卒業、佐賀県立唐津高等学校(在学中に分離により佐賀県立唐津東高等学校となる)入学。
石井 忠(いしい ただし、1937年10月28日 - 201… 石井 忠(いしい ただし、1937年10月28日 - 2016年5月30日)は、漂着物研究者。 福岡県福岡市に生まれる。1960年國學院大学文学部史学科卒業。中学、高等学校教諭、九州産業大学非常勤講師を経て、古賀市立歴史資料館館長。2013年退任。福岡県文化財保護指導員、福岡市文化財保護審議会委員。漂着物学会を設立、会長を勤める。1980年『漂着物の博物誌』で樋口清之賞、1983年日本デザイン会議地域文化デザイン賞、1998年福岡県文化賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
手島 忠(てしま ただし、1937年10月28日 - )は日… 手島 忠(てしま ただし、1937年10月28日 - )は日本の実業家。ニチレイ代表取締役社長や、日本冷蔵倉庫協会会長を務めた。 1960年東北大学農学部水産学科卒業、日本冷蔵(現ニチレイ)入社。1985年取締役。1993年から代表取締役社長を務め、創業以来初となった赤字への対応などを行った。1997年には浦野光人を経営企画部長に登用。不採算事業の整理を進め、1999年度及び2000年度にそれぞれ200億円を超える特別損失を計上し、2001年に相談役に退いた。2007年顧問。日本冷蔵倉庫協会会長も務めた。
堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - … 堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年東京外国語大学英米科卒業、NHK入局。ニューヨーク特派員、ジュネーヴ支局長、ウイークエンド中部初代キャスター、外信部長、解説主幹を歴任。1994年退職後は小平市教育委員長を務めた。2014年から諏訪郷友会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
塚田 紀美子(つかだ きみこ、1937年(昭和12年)10月… 塚田 紀美子(つかだ きみこ、1937年(昭和12年)10月26日 - )は、日本の体操選手。現姓は望月。 愛知県名古屋市出身。東京教育大学卒。大学卒業後、東芝レコード(現・EMIミュージック・ジャパン)に入社。 1960年ローマオリンピックに出場し、女子団体総合4位、個人総合21位だった。 その後大妻女子大学、淑徳保育生活文化専門学校で講師を務める。1986年、NHKの番組『さわやかシェイプアップ』に講師で出演していた小野清子が同年7月6日に行われた第14回参議院議員通常選挙に立候補したことにより同番組を降板したため、その後任で講師・体操振付・インストラクターとして出演していた。 娘は同じ体操選手の望月のり子。
立木 義浩(たつき よしひろ、1937年10月25日 - )… 立木 義浩(たつき よしひろ、1937年10月25日 - )は日本の写真家。徳島県徳島市出身。東京写真短期大学卒業。女優写真の第一人者。
杉山 達夫(すぎやま たつお、1937年10月25日 - )… 杉山 達夫(すぎやま たつお、1937年10月25日 - )は、日本の植物生理学者。名古屋大学名誉教授。農学博士(名古屋大学、1968年)。愛知県出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
小澤 幹雄(おざわ みきお、1937年10月24日 - )は… 小澤 幹雄(おざわ みきお、1937年10月24日 - )は、日本の俳優、エッセイスト。小澤征爾の実弟であり、兄・征爾に関する仕事が多い。
小林 カツ代(こばやし カツよ、1937年(昭和12年)10… 小林 カツ代(こばやし カツよ、1937年(昭和12年)10月24日 - 2014年(平成26年)1月23日)は、日本の料理研究家・エッセイストである。神楽坂女声合唱団創設者、団長。血液型O型。 料理研究家として、簡単ではあるが手抜きではない料理を研究、紹介しており、生涯で出版した著書は200冊を超える。また、台所用雑貨や食器のプロデュース、講演活動も行っていた。 長男のケンタロウも料理研究家。選択的夫婦別姓制度実現をめざす民法改正運動を行っているmネット(民法改正情報ネットワーク)の呼びかけ人でもあった。 1937年(昭和12年)、大阪市で製菓材料の卸問屋を経営する一家に生まれた。幼少のころ父や母に大衆食堂、フランス料理店、高級中華料理店、日本料理店に連れていかれたため舌は肥えていたという。
大原誠(おおはら まこと、1937年10月24日 - 201… 大原誠(おおはら まこと、1937年10月24日 - 2018年10月6日)は、元NHKのディレクター。京都府出身。 1960年京都大学文学部イタリア文学科卒業後、NHKに入局。テレビ文芸部に所属し、大河ドラマなど数々のドラマ作品を演出。 1990年、NHKドラマスペシャル『不熟につき…』の演出で芸術選奨文部大臣賞を受賞。その他数々の賞を受賞している。 ディレクターを務めた大河ドラマ『草燃える』の家庭用VTRを16回分寄贈した。本業だけでなく、東京芸能学園高等部アクターズコース顧問も務めた。 NHK退職後は民放のドラマ演出を手掛けている。 2018年10月6日、肺癌のため死去。80歳没。 次男の大原拓もNHKに入局し、演出家となっている。
千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2… 千藤 幸蔵(ちふじ こうぞう、1937年10月24日 - 2012年1月4日)は、日本の民謡三味線演奏者である。岡山県英田郡作東町(現・美作市)に生まれる。本名は神田勀人(かつと)。宮本武蔵の友人として有名な本位田又八の末裔でもある。 幼少期より宮田東峰一門でハーモニカを習得するなどし、地元の岡山県立津山工業高等学校を卒業後、大阪にて会社勤めの傍ら趣味でギターを弾き音楽活動を続ける。 大ファンであった三橋美智也の大劇公演で演奏された三味線豊吉の三味線に魅せられて自らも手掛けるようになり、ラジオの民謡番組を録音し、それを五線譜に書き起こすなど独学で民謡の勉強を続けていた。後に知人であった藤本直之 (藤本琇丈の実弟、藤本直久の総領弟子) により、折から来阪中であった民謡三味線の名人藤本琇丈に引き合わされ、1963年(昭和38年)7月、藤本の勧めにより上京、内弟子となる。
西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2… 西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。アフリカ諸語・文化研究が専門。 東京都出身。桑沢デザイン研究所ゼミマスター、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任。アフリカ諸語やピジン・クレオール語の研究の先駆者。23歳のとき日本で初めてスワヒリ語文法を発表した。東アフリカ、インド洋諸島、カリブ海領域の現地調査・研究に勤しんだ。著書に『ことばを追って』(1989年)、『異郷日記』(2008年)、『食べる』(2010年)など。 西江定(のち早稲田大学英語英文学科教授となる)の三男として東京市本郷区駒込林町(現:東京都文京区千駄木)に生まれる。
相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2… 相星 雅子(あいほし まさこ、1937年10月23日 - 2019年3月12日)は、日本の小説家、エッセイスト、コラムニスト。日本ペンクラブ会員、『九州文学』同人。鹿児島県を中心に活動し、地方文芸誌『小説春秋』や鹿児島ペンシルクラブを主宰した。 関東州(満洲国の日本租借地)大連市生まれ。父は南満洲鉄道勤務だった。奉天市で終戦をむかえ、1946年に父母の故郷鹿児島市に引き揚げ。1956年に鹿児島県甲南高等学校を卒業。家庭の事情で大学進学を断念し、九州電力に勤務した後、結婚して退職し3人の子を育てる。1973年に鹿児島の文芸同人誌『原色派』で小説を書き始める。1989年、短編小説集『みなみのポプラ』を出版。