平田 光穂(ひらた みつほ、1922年9月26日 - 201… 平田 光穂(ひらた みつほ、1922年9月26日 - 2011年5月31日)は日本の数学者。 東京大学理学部数学科卒業。太平洋戦争時中、日本光学(現・ニコン)でレンズの計算に従事。戦後東京工業大学教授を務め、数学者の立場から化学工学分野の技術者育成にあたった。「多成分系の蒸留」他、著書多数。 1998年、勲三等旭日中綬章を受章。2011年5月31日、肺炎のため死去。
竹下 重人(たけした しげと、1922年(大正11年)9月2… 竹下 重人(たけした しげと、1922年(大正11年)9月26日 - 2005年(平成17年)2月6日)は、日本の弁護士。専門は税務訴訟。女優の竹下景子は娘。 長崎県佐世保市 針尾出身。ソ連によるシベリア抑留後、帰国。国税局勤務を経て、司法試験に合格。名古屋弁護士会副会長などを歴任。 長崎県針尾島に4人兄弟の次男として生まれた。家は貧しく父は国鉄の貨物列車の機関士だった。国のために役立つ人間になりたいと勉学に励んでいたため、小学校時代の成績は全て甲だった。「島の神童」だった。読書が好きで特に釘付けになっていたのは満州のことが書かれた『少年倶楽部』だった。旧制大村中学校(現:長崎県立大村高等学校)に入学した。
近藤 健男(こんどう たけお、1922年9月26日 - 19… 近藤 健男(こんどう たけお、1922年9月26日 - 1986年11月22日)は、日本の経営者。三菱商事社長を務めた。 愛知県出身。1944年に東京帝国大学工学部航空学科を卒業し、同年には川西航空機に入社し、戦時中には、海軍技術中尉を務めた。 終戦後には復社し、1949年に協和交易に入社し、1954年に合併により、三菱商事に転じ、1979年6月に取締役に就任し、1982年6月に常務を経て、1986年6月から社長を務めた 1986年11月22日、肝不全のためにで死去。64歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
鮫島 純子(さめじま すみこ、1922年〈大正11年〉9月2… 鮫島 純子(さめじま すみこ、1922年〈大正11年〉9月26日 - 2023年〈令和5年〉1月19日)は、日本の著述家、絵本作家。戦中戦後の体験、ポジティブな生き方などを綴った著作がある。 日本資本主義の父とされる実業家・渋沢栄一の孫にあたり、2024年(令和6年)発行の新一万円札に用いられた渋沢栄一の肖像画の確認を行った。 1922年(大正11年)、東京市滝野川町西ケ原(現・東京都北区西ケ原)に、渋沢栄一の三男で実業家の渋沢正雄と、備前岡山藩9代目藩主池田茂政の次女鄰子の間に生まれる。名前の「純子」は祖父・栄一による命名であり、本人は「この名前を書くたびに心の純度を保ちたいと思った」と語っている。
砂押 邦信(すなおし くにのぶ、1922年9月25日 - 2… 砂押 邦信(すなおし くにのぶ、1922年9月25日 - 2010年7月18日)は、茨城県出身の元野球選手(投手)、コーチ・プロ野球監督。 立教大学監督時代にMLB流の指導法で長嶋茂雄を育てた人物として知られている。 水戸商業高校卒業後、1942年に立教大学へ入学。水戸商業の後輩に早稲田大学で選手・監督として活躍した石井藤吉郎、立大の2年先輩には西本幸雄がいた。戦時中は学徒兵として兵役に就き、戦後の1947年に卒業。 小口工作所の選手兼任監督(1948年 - 1949年)を経て、1950年に母校・立大監督に就任。「鬼の砂押」と恐れられたほどのスパルタ式猛練習で、1953年春季には20年ぶりに東京六大学リーグ優勝を果たしたほか、第2回日本選手権にも優勝。
竹内 猛(たけうち たけし、1922年 <大正11年> 9月… 竹内 猛(たけうち たけし、1922年 <大正11年> 9月25日 - 2004年 <平成16年> 11月2日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(8期)。位階は正四位。 長野県諏訪郡湖東村(現・茅野市)出身。 1946年、日本大学法文学部卒業。日本農民組合中央本部書記となり、1949年に社会党に入党。書記局員、農民部長を経て、1966年から中央執行委員組織局長を3期務めた。 落合寛茂の後継として1969年の第32回衆議院議員総選挙で旧茨城3区に社会党公認で立候補するも次点で落選。1972年の第33回衆議院議員総選挙では3位で初当選し、以来衆議院議員を8期期務めた他、同年から社会党茨城県本部委員長も6期務めた。
猪井 善亮(いい ぜんすけ、1922年(大正11年)9月24… 猪井 善亮(いい ぜんすけ、1922年(大正11年)9月24日 - 1985年(昭和60年)3月9日)は、昭和時代の政治家。静岡県湖西市長。 静岡県出身。1938年(昭和13年)静岡県興誠商業学校卒業。同年3月、水野商店に勤め、その後、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)に転じた。 1959年(昭和34年)湖西町経済課長となり、市制施行後、湖西市助役、同市消防長を務めた。1975年(昭和50年)4月に湖西市長に当選する。1983年(昭和58年)4月、3期目の当選後、選挙違反が発覚し逮捕、起訴され同10月に辞任。1985年(昭和60年)1月、最高裁で懲役2年、執行猶予5年が確定した。 在任中は、湖西青年会議所の設立、静岡県立湖西高等学校の開校、第2次湖西市総合計画などに尽くした。
安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 … 安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 - 2017年12月9日)は、日本の文部官僚、歌人、教育学者。 石川県松任市(現・白山市)出身。1944年東京帝国大学法学部卒。1946年文部省入省(学校教育局)。1969年文部省大臣官房長、74年初等中等教育局長、1975年文化庁長官、1977年宮内庁東宮大夫、1980年浩宮徳仁親王の成年式を指揮。退任後は日本工芸会会長を務めた。佐藤佐太郎創刊の歌誌「歩道」同人で、アララギ派の歌人としても活動。 2017年12月9日午後5時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。95歳没。
井手 久美子(いで くみこ、1922年〈大正11年〉9月23… 井手 久美子(いで くみこ、1922年〈大正11年〉9月23日 - 2018年〈平成30年〉7月1日)は、江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の孫。作家。 東京府東京市小石川区小日向第六天町(現在の東京都文京区春日)出身。 徳川慶喜の七男・徳川慶久の四女として誕生した。慶喜の孫だが慶喜の死から9年後に誕生しているため、面識はない。 自宅の所在地から「第六天」と称され、慶喜が晩年も過ごした3400坪の広大な屋敷で幼少期を過ごす。屋敷には50人近くが住んだ。女子学習院には車ではなく、市電で通学。テニスや乗馬、木登りを楽しんだ。 1941年に19歳で徳川家と縁も深い、福井松平家(越前松平家)第19代当主の松平康昌侯爵の長男・松平康愛と結婚する。
榛葉 良之助(しんば りょうのすけ、1922年〈大正11年〉… 榛葉 良之助(しんば りょうのすけ、1922年〈大正11年〉9月22日 - 2023年〈令和5年〉8月7日)は、日本の教育者、農学者、家政学者(農芸化学)。勲等は勲三等。静岡女子大学名誉教授。 住友化学工業株式会社、海軍での勤務を経て、初倉村農業協同組合常務、静岡県立榛原高等学校教諭、静岡女子短期大学助教授、静岡女子大学家政学部教授、静岡女子大学学生部部長、静岡女子大学家政学部学部長、一般社団法人谷田川報徳社理事長などを歴任した。 静岡県出身の農芸化学を専攻する農学者である。住友化学工業に入社し、海軍に入営する。農業協同組合の役員や高等学校の教員などを経て、静岡女子短期大学や静岡女子大学で教鞭を執り、後進の育成に努めた。
早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 -… 早島 鏡正(はやしま きょうしょう、1922年9月21日 - 2000年4月28日)は、日本の仏教学者・僧侶。 1922年、北海道の浄土真宗本願寺派寺院にて出生。幼少時に横浜へ転居した。東京帝国大学文学部に入学し、印度哲梵文学科で仏教学を専攻し、中村元に師事した。 在学中に学徒出陣で兵役に就いた。戦後復学し東京大学文学部を卒業。 卒業後は東洋大学助教授に就いた。1962年、学位論文『パーリ仏教における実践の発展』を東京大学に提出して文学博士号を取得。その後東京大学に移り、助教授、後に教授として教鞭をとった。1983年に東京大学を退職し、名誉教授となった。その後は武蔵野女子大学(現:武蔵野大学)教授として教鞭をとった。
佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日… 佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日 - 平成30年(2018年)3月9日)は、日本の工学者、建築学者。東北大学名誉教授。 飯田須賀斯に師事する。専門は古建築学で、日本住宅および集落史、東北地方を中心とした中近世の古民家、社寺、城郭建築などの調査、保存研究で知られる。戦災で焼失した伊達政宗の霊廟瑞鳳殿の再建、仙台城復元計画なども業績の一部である。宮城県、山形県、岩手県、仙台市それぞれの文化財保護審議委員を長く務めた。
伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20… 伊佐 二久(いさ つぐひさ、1922年(大正11年)9月20日 - )は、日本の陸軍軍人、医師、医学者、著作家。太平洋戦争に従軍した後に医師となり、国際協力事業団にも参加するなどして各国の医療事情を調査した。筆名としては伊佐 三休(いさ さんきゅう)の名も用いている。 1922年、福岡県小倉市に生まれる。幼くして朝鮮の龍山に渡り、6歳まで同地で過ごした。福岡県甘木小学校、久留米市金丸小学校を経た後、中学明善校(福岡県立明善高等学校の前身の1つ)1年を修了する。1936年(昭和11年)に広島陸軍幼年学校へ入学(第40期)、1938年(昭和13年)には陸軍予科士官学校へと進み(第55期)、翌年には歩兵第26聯隊へ士官候補生隊付として配属され、満州国・チチハル駐屯並びにソ満国境のハンダガイの守備に従事した。
池田 廣司(池田広司、いけだ ひろし、1922年9月19日 … 池田 廣司(池田広司、いけだ ひろし、1922年9月19日 - 1994年8月19日)は、日本の国文学者。 大阪府出身。1948年東京文理科大学卒、和光大学人文学部助教授、教授、93年名誉教授。狂言など中世芸能が専門だった。
永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月1… 永田 亀昭(ながた かめあき、1922年〈大正11年〉9月17日 - 1998年〈平成10年〉12月29日)は、日本の政治家。元山形県上山市長(4期)、元自由民主党山形県議会議員(2期)。位階は従五位。 山形県南村山郡上山町(現上山市)出身。山形県立山形中学校(現山形東高校)卒、1944年に日本歯科医学専門学校(現日本歯科大学)卒業。なお、1944年に軍隊入隊、陸軍軍医学校に入学し、1945年修了。復員後、永田歯科医院で歯科医師に従事。1964年に上山市歯科医師会長に就任。1966年山形県歯科医師会理事。 1955年から1983年まで自由民主党に所属。上山支部長や山形県支部連合会の総務会や政務調査会の各副会長などを務めた。
中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年… 中井 英夫(なかい ひでお、本名同じ、1922年(大正11年)9月17日 - 1993年(平成5年)12月10日)は、日本の短歌編集者、小説家、詩人。三大奇書とされる代表作の『虚無への供物』の作者として著名であるが、ノヴェレット主体のマニエリスティクな推理小説・幻想文学において知られている。 別名に、塔晶夫、碧川潭、緑川弓雄、黒鳥館主人、流薔園園丁、月蝕領主、ハネギウス一世。 東京市滝野川区田端に生まれ育つ。父は植物学者で国立科学博物館館長、陸軍司政長官・ジャワ・ボゴール植物園園長、小石川植物園園長等を歴任した東京帝国大学名誉教授の中井猛之進。祖父堀誠太郎も札幌農学校教授、小石川植物園御用掛を歴任しており、二代続いた植物学者の家系であった。
中村 光至(なかむら こうじ、1922年〈大正11年〉9月1… 中村 光至(なかむら こうじ、1922年〈大正11年〉9月16日 - 1998年〈平成10年〉11月3日)は、日本の小説家。本名の読みは「みつし」。主に警察小説を手がけた。『南方文学』同人。 熊本県山鹿市生まれ。大東文化学院日本文学科卒業後、高校教師や大学事務職員などを経て、福岡県警教養課に勤務。『九州文学』などに小説を発表する一方で、『福岡県警察史』の刊行や県警職員雑誌『暁鐘』の編集を担当した。 1960年、「白い紐」でオール讀物新人賞受賞。1965年、『氷の庭』で直木賞候補。1993年、福岡市文化賞受賞。
山本 健一(やまもと けんいち、1922年9月16日 - 2… 山本 健一(やまもと けんいち、1922年9月16日 - 2017年12月20日)は、元旧海軍出身の技術者将校で、戦後東洋工業(現・マツダ)に入社し、開発リーダーとして世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した自動車技術者。のち同社代表取締役社長、最高顧問などを務めた。 広島県人の父親が日窒の熊本県の工場長時代に熊本で生まれる。日窒の東洋工業と資本提携で広島県に戻り、父の実家がある広島市白島(現在の広島市中区東白島町)に移り住む。原爆で妹を亡くしたが、父と母は生き残った。 1944年(昭和19年)9月に、東京帝国大学(現在の東京大学)第一工学部機械工学科を繰り上げ卒業。同時に川西航空機に入社する。
奥田 真丈(おくだ しんじょう、1922年(大正11年)9月… 奥田 真丈(おくだ しんじょう、1922年(大正11年)9月15日 - 2010年(平成22年)3月2日)は、日本の元文部官僚、教育行政学者。
粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 19… 粟屋 和彦(あわや かずひこ、1922年9月15日 - 1995年5月11日)は、日本の教育者、医学者。山口大学第7代目学長。医学博士(1956年、京都大学にて取得)。 山口県宇部市出身。1943年、九州帝国大学附属医学専門部卒業。1955年、山口県立医科大学(現:山口大学医学部)解剖学教室にて「核酸と形質細胞反應」(共著)を著す。1956年、京都大学にて「卵アルブミン刺戟に対するリンパ系の反応様式:特にリンパ球造血における二次小節の役割について」で医学博士となる。1965年より山口大学医学部教授、1977年から1981年まで医学部長。1984年同大学第7代目学長に就任(1990年まで)。1990年より宇部短期大学学長。
増澤 譲太郎(ますざわ じょうたろう、1922年9月15日 … 増澤 譲太郎(ますざわ じょうたろう、1922年9月15日 - 2000年8月29日)は、日本の気象学者。 長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)出身。長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)、第八高等学校を経て、1945年東京帝国大学理学部地理学科卒業。1957年論文「黒潮流域の海流と水塊」で理学博士。1946年中央気象台(現気象庁)入庁。同庁予報部長を経て、1980年気象庁長官。1983年東海大学海洋学部教授。1976年日本海洋学会賞受賞。1987年日本海洋学会会長( - 1988年)。1992年11月、勲二等瑞宝章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
斎藤 要(さいとう かなめ、1922年9月14日 - 200… 斎藤 要(さいとう かなめ、1922年9月14日 - 2004年9月23日)は、日本の農学者。農学博士(北海道大学)。小樽商科大学名誉教授。元小樽短期大学学長。専門は物理化学、商品科学。 北海道小樽市出身。1946年(昭和21年)北海道帝国大学農学部卒業。1951年(昭和26年)北海道大学大学院特別研究生課程修了。同年10月、北海道大学農学部非常勤講師、同年12月鹿児島大学助教授。1960年、北海道大学農学博士(「魚類血清蛋白質の組成に関する比較生化学的研究」) 。1962年(昭和37年)小樽商科大学商学部助教授。翌年、同教授。1986年(昭和61年)小樽商科大学停年退職、同大学名誉教授。同年10月、小樽女子短期大学教授。
小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ … 小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ じろう)、 1922年9月13日 - 2006年1月17日)は、俳人。 岐阜県出身。1941年に「馬酔木」に入門。加藤かけい、山口誓子などに師事し、1953年第4回「天狼」賞受賞、1955年「天狼」同人。1958年「河口」を発行、1963年「地表」を創刊、主宰になる。2005年に現代俳句協会の第5回「現代俳句大賞」を受賞する。 瀧実業学校(現滝高等学校)甲種商業科を卒業後、住友本社に入社。1953年より1959年まで胸部疾患により、病臥に臥す。1959年カトリックに受洗し、のち名古屋の出版社黎明書房に入り、定年まで勤める。一時期、広島平和祈念式典に参列した。
西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )… 西川 勢津子(にしかわ せつこ、1922年9月13日 - )は、日本の家事評論家。筆名に、山田のぶ、東山花子、桑井いねがある。 奈良県出身。日本女子大学校卒業。 掃除、洗濯、料理、家族関係まで多岐にわたる家事評論で活躍。1961年西武百貨店池袋店の家庭用品コンサルタントとなる。 桑井いねの筆名で書いた『おばあさんの知恵袋』(文化出版局)がロングセラーとなった。
郡 順史(こおり じゅんし、1922年9月13日 - 201… 郡 順史(こおり じゅんし、1922年9月13日 - 2015年2月22日)は日本の歴史小説作家、時代小説作家。最初の筆名は「郡 恂史」。東京新宿・角筈生まれ。明治大学卒業。日本文芸家協会会員。本名は高山恂史。別名義に高山 潤。 中学時代に友人と太宰治を訪ね、小説家を志す。雑誌編集者時代に山手樹一郎の知遇を得て、作家活動に入る。1958年、林崎甚助を主人公に据えた『抜刀流旅日記』が人気を博す。「士道小説」と呼ばれる「武士道」を題材とした小説を得意とする。『葉隠』の研究家としても知られており、『葉隠士魂』『葉隠物語』『武士道の証明』などの著書を出している。また『日本の誇るサムライ達』などの歴史ノンフィクションも手掛ける。
江夏 弘(えなつ ひろし、1922年(大正11年)9月12日… 江夏 弘(えなつ ひろし、1922年(大正11年)9月12日 - 2019年(令和元年)8月4日)は、日本の理論物理学者。立命館大学名誉教授。学位は理学博士。専門は素粒子論。 場の量子論において、相対論的ハミルトン形式に貢献した。 江夏は、場の量子論の相対論的なハミルトン形式における交換関係 の下で、場の量子論の従来の非相対論的なそれと等価であることを発見した。ここで、 である。ここで、ϵ(x){\displaystyle \epsilon (x)}は 0<x{\displaystyle 0<x} に対して ϵ(x)=1{\displaystyle \epsilon (x)=1} となり、x<0{\displaystyle x<0} に対して ϵ(x)=−1{\displaystyle \epsilon (x)=-1} となるような或る階段函数である。
松田 堯(まつだ たかし、1922年9月12日 - 2015… 松田 堯(まつだ たかし、1922年9月12日 - 2015年7月12日)は、岡山県出身の実業家(企業経営者)。元両備グループ代表(元代表取締役会長)。松田荘三郎西大寺鉄道元社長の息子で、松田基両備バス元会長の弟。 長年に渡って両備グループ代表を務め、小嶋光信とともに同グループの経営にあたってきたほか、自身の母校である慶應義塾大学が属する慶應義塾評議員や岡山県内の様々な公的団体・業界団体の長を務めるなど、公職も歴任している。 両備グループの経営に関しては、2011年5月に中核会社である両備ホールディングスの代表取締役会長職を社長である小嶋に譲り、自身は取締役名誉会長に就任するなど経営の第一線からは退きつつある。
鳩山 安子(はとやま やすこ、旧姓:石橋、1922年9月11… 鳩山 安子(はとやま やすこ、旧姓:石橋、1922年9月11日 - 2013年2月11日)は、財団法人日本友愛青年協会名誉会長。ブリヂストン創業者・石橋正二郎の長女、鳩山威一郎の妻、井上和子・鳩山由紀夫・邦夫の母、鳩山紀一郎・太郎・二郎の祖母である。東京府立第二高等女学校、女子学習院高等科卒業。 1922年、日本足袋(現ブリヂストン)の創業者・石橋正二郎の長女として、福岡県久留米市に生まれる。中学入学を期に上京し、東京府立第二高等女学校、女子学習院高等科に進学する。高等科在学時に父・正二郎が準備した縁談で、鳩山一郎の長男・威一郎と見合いをした。そのまま1942年に帝国ホテルで大々的に式を挙げ、結婚する。
一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 19… 一条 明(いちじょう あきら、1922年9月11日 - 1987年)は、日本の作家。新樹社同人。本名・高橋保。 東京生まれ。日本大学芸術学部演劇科卒。歴史・時代小説、麻雀小説などを書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
ジャック 滋野(ジャック しげの、Jacques Shige… ジャック 滋野(ジャック しげの、Jacques Shigeno、本名:滋野 清鴻(しげの きよとり)、1922年9月11日 - 1989年6月20日)は、日本のジャズピアニスト。「和製カーメン・キャバレロ」の異名で呼ばれた。 弟のロジェ滋野(本名・滋野清旭=きよひ)はドラム奏者で洋画家。 父滋野清武男爵は、音楽家ながらフランス外人部隊に所属し、第一次世界大戦に従軍して日本航空史上最初のエース・パイロットとなったことで知られる。母はフランス人のジャーヌ・エイマールとは再婚。その長男として兵庫県神戸市に生まれる。 清武は、第一次世界大戦でフランス外人部隊に所属していた際に戦争未亡人だったジャーヌと出会い、結婚。
野元菊雄(のもと きくお、1922年9月10日 - 2006… 野元菊雄(のもと きくお、1922年9月10日 - 2006年7月31日)は、日本の言語学者。
星島 一夫(ほしじま かずお、1922年9月10日 - 20… 星島 一夫(ほしじま かずお、1922年9月10日 - 2003年8月3日)は、日本の経済学者(社会政策論)。愛媛大学名誉教授。経済学博士。岡山県岡山市出身。 1922年(大正11年)岡山県岡山市生まれ。旧制釜山中学、旧制第六高等学校を経て、1948年(昭和23年)京都帝国大学法学部卒、昭和26年愛媛大学文理学部助手、昭和44年法文学部教授、附属図書館長、昭和60年法文学部長、愛媛大学退官後松山大学経済学部教授、平成5年今治明徳短期大学長。この間株式会社えひめ勤労者生活情報センター所長も務める。社会政策、労働問題を精力的に研究し、特に来島グループの坪内寿夫の経営姿勢や労務管理に批判的であった。後年には伊賀貞雪・愛媛県知事の推進した「生活文化」を賞賛した。
森 雅功(もり まさのり、1922年9月9日 - 没年不明)… 森 雅功(もり まさのり、1922年9月9日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手。
赤松 燎(あかまつ りょう、1922年9月9日 - 1996… 赤松 燎(あかまつ りょう、1922年9月9日 - 1996年5月31日)は、昭和・平成期の日本画家。 1922年9月9日、岡山県倉敷市に生まれる。 1947年に京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)に入学。卒業後、晨鳥社に入塾し山口華楊に師事する。その後、京都を拠点に作家活動に専念する。土地柄もあってか、舞妓を描いた作品や陶工を描いた作品を残す。 1956年に日本美術展覧会に初入選し以後、生涯で日本美術展覧会に25回の入選をしている。1978年4月に自身のもと京都の伝統産業に携わるものが中心となり燎友会を結成。赤松燎本人の死亡後も燎友会は存在している。 1996年5月、圓徳院の襖絵「白龍の図」を制作中に逝去。
森岡 敬一郎(もりおか けいいちろう、1922年9月9日 -… 森岡 敬一郎(もりおか けいいちろう、1922年9月9日 - 2020年7月29日)は、日本の西洋史学者。慶應義塾大学・創価大学名誉教授。イングランド中世制度史に関する論文・著作がある。 1947年慶應義塾大学文学部卒業。 1956年慶應義塾大学文学部 助教授、1959年ハーバード燕京研究所 Visiting Scholar、1965年から1988年慶應義塾大学文学部教授、1971年慶應義塾大学大学院研究科委員。 1985年から1987年にかけて三田史学会会長。1986年Royal Historical Society Fellow。 1988年慶應義塾大学名誉教授、創価大学文学部教授。1998年創価大学名誉教授など。
能坂 利雄(のうさか としお、1922年9月9日 - 199… 能坂 利雄(のうさか としお、1922年9月9日 - 1991年8月1日)は、富山県氷見郡氷見町(現氷見市)生まれの小説家・歴史研究家。書や日本画もよくし、李鷗と号して個展も開いた。日本ペンクラブ会員、日本文芸家協会会員、日本紋章学研究所長。王貞治ははとこに当る(王貞治の母・登美が能坂の祖母の姪という間柄)。 1922年9月9日、富山県氷見郡氷見町に生まれる。能坂が富山新聞に寄稿した自叙伝によれば、早熟な少年だったようで、15歳の時に早くも「吐血」と題する時代小説を「どこかの雑誌」に投稿。さらに富山新聞の前身に当たる越中新聞にも「旅笠街道」という股旅物を投稿。こちらは全5回の連載だったという。 1944年、富山青年師範学校(現富山大学)卒業。
三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005… 三谷晃一(みたに こういち、1922年9月7日 - 2005年2月23日)は、日本の詩人。福島民報社に勤務の傍ら、生涯詩人としての生き方を貫き通し、郷里福島の地から、第1詩集『蝶の記憶』から第9詩集『河口まで』を発表した。 地方と呼ばれる都会から離れた地域に生きる人々に限りなく温かい眼差しを注ぐ。アジアの中央から日本まで国境を越えて続くそば畑で、その生育とともに人生を紡ぐ人々、山深い田舎で便りを待ちわびる人々に郵便を配達する 郵便配達夫、 生涯をかけ樹齢千年の紅枝垂桜の子孫を訪ね歩いて、 420本の子孫桜を捜し出した農夫など、名もなく人知れず、日々の生活に命を賭ける無数の人々が支える日常生活に確かな世界を見出す。
景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は… 景山 正隆(かげやま まさたか、1922年9月6日 - )は、国文学者。専攻は歌舞伎音楽・義太夫節を中心とする歌舞伎・人形浄瑠璃・邦楽。博士(文学)。元東洋大学文学部教授、(社)義太夫協会名誉会長、(財)日本舞踊振興財団評議員、(社)全日本郷土芸能協会顧問、国立劇場養成課講師(歌舞伎・長唄・鳴物・竹本研修生)。平成5年(1993年)11月、勲四等旭日小綬章を受章した。
松前 健(まつまえ たけし、1922年(大正11年)9月5日… 松前 健(まつまえ たけし、1922年(大正11年)9月5日 - 2002年(平成14年)3月24日)は、日本の宗教学者、神話学者。天理大学教授、立命館大学教授、大阪成蹊女子短期大学教授、奈良大学教授。 都立高教諭・大学非常勤講師だった1960年に『日本神話の新研究』を刊行し、翌年日本宗教学会の姉崎正治記念賞を受賞。こうした初期の成果が三品彰英らに高く評価され、のち関西に拠点を移した。『日本神話の形成』(1970年)で文学博士号を取得して以降、天理大学をはじめ関西の各大学でそれぞれ教授をつとめた。 1922年、日本統治時代の朝鮮全羅南道木浦の栄町(日本人街)で貿易を営んでいた商家に生まれた。原籍は山口県熊毛郡室津村。
中原 功(なかはら いさお、1922年9月5日 - 1996… 中原 功(なかはら いさお、1922年9月5日 - 1996年1月18日)は、日本の経営者。東急ストア社長を務めた。福岡県出身。 1944年に東京帝国大学文学部を経て、1946年に東京帝国大学大学院を修了し、1947年1月に毎日新聞社に入社。1957年3月に東急電鉄を経て、1966年3月に東急ストアに転じ、常務に就任し、1970年4月に専務、1978年5月に副社長を経て、1981年5月に社長に就任。1993年5月には会長に就任。 1984年5月から1986年5月までに日本チェーンストア協会会長を務め、東急百貨店取締役も務めた。 1986年5月に藍綬褒章を受章。 1996年1月18日心不全のために死去。
門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日… 門別 薫(もんべつ かおる、1922年〈大正11年〉9月4日 - 2018年〈平成30年〉10月1日)は、昭和後期から平成時代にかけて活躍した日本の社会活動家。北海道出身、アイヌ民族。 小冊子『アイヌの叫び』の著者貝澤藤蔵と川村コヨの長男。日高管内の沙流郡平取町生まれ。北海道旭川東高等学校(旧制旭川中学)卒業。 1939年(昭和14年)から朝鮮の炭鉱会社で働いた。戦後は旭川営林局にはいり、測量審査などにあたる一方、人権擁護委員も務めた。1972年(昭和47年)10月、旭川市で起こった「風雪の群像・北方文化研究施設爆破事件」を機に旭川アイヌ協議会の創設に尽力し、その初代会長となった。1975年(昭和50年)、北海道アイヌ文化伝承保存会副会長となった。
亀山 健吉(かめやま けんきち、1922年9月3日 - )は… 亀山 健吉(かめやま けんきち、1922年9月3日 - )は、日本の言語哲学者。日本女子大学名誉教授。 岐阜県出身。1948年東京帝国大学文学部倫理学科卒業。1950-51年ガリオア留学生としてクレアモント大学院に留学。56-58年A.v.フンボルト財団留学生としてハイデルベルク大学、テュービンゲン大学に留学。日本女子大学教授、93年定年、名誉教授、城西国際大学教授。1984年のヴィルヘルム・フォン・フンボルト『言語と精神―カヴィ語研究序説』で日本翻訳出版文化賞受賞。99年勲三等瑞宝章受勲。
橋本 邦治(はしもと くにはる、1922年9月3日 - 20… 橋本 邦治(はしもと くにはる、1922年9月3日 - 2010年8月19日)は、東京府(現・東京都)府中市出身(東京市浅草区 (現・台東区浅草)生まれ)の競馬評論家。 父方の祖父は日本画家の橋本雅邦。 1923年9月1日に発生した関東大震災の影響で府中に移り、以後同所で育った。父が野戦重砲兵であったため、子供の頃から馬が好きであった。1933年に東京競馬倶楽部が従来使用していた目黒競馬場に代わる新競馬場を府中に新設したことが競馬との最初の出会いになり、1935年にはガヴアナーが東京優駿に勝利した後で急死して、墓地に運ばれる、悲運な姿を目撃している。 太平洋戦争真っ只中の1944年、東京高等農林学校を卒業。
清水 善夫(しみず よきお、1922年〈大正11年〉9月1日… 清水 善夫(しみず よきお、1922年〈大正11年〉9月1日 - 2013年〈平成25年〉9月19日)は、日本の内科医、小児科医。医学博士。新潟県西蒲原郡黒埼村第19代村長、黒埼町初代町長。原爆症患者第1号の担当医。 新潟県西蒲原郡黒埼村大字金巻(現 新潟市西区金巻)出身。1940年(昭和15年)3月に新潟中学校を卒業、1942年(昭和17年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 1947年(昭和22年)10月に東京大学医学部内科学教室内科学第二講座(担任:佐々貫之教授)副手に就任、1951年(昭和26年)4月から引き続き同講座(担任:美甘義夫教授)で研究。
山西 義政(やまにし よしまさ、1922年(大正11年)9月… 山西 義政(やまにし よしまさ、1922年(大正11年)9月1日 - 2020年(令和2年)4月1日)は、日本の実業家。イズミ創業者。 生まれは広島県佐伯郡玖波村(現大竹市玖波町)、のちに広島市宇品(現南区)へ移り住む。最終学歴は宇品尋常高等小学校(広島市立宇品小学校)卒業。 貧しい家庭に育ち、父親は呑んだくれで母親は病弱、それに妹と4人で暮らしていた。その他にも兄弟はいたが、養子や親戚に出されていた。尋常高等小時代の11歳か12歳ぐらいから働き始め、新聞配達とシジミやハマグリの行商で家計を支えた。自分が稼いだ金で二重焼き(今川焼きの広島での通名)を2つ買って食べることが最高の贅沢だった。 父親が亡くなったこともあり、尋常高等小卒業後は進学せず、昼は軍需工業、夜は荷物運びと働き続けた。
加藤 曻(加藤 昇、かとう のぼる、1922年(大正11年)… 加藤 曻(加藤 昇、かとう のぼる、1922年(大正11年)9月 - 2020年(令和2年)7月30日 )は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。 京都府京都市出身。父は、商船の船長をして不在がちであったため、専ら母の影響を受けて育つ。1934年(昭和9年)4月、京都市立第二商業学校に入学。同校卒業後、1939年(昭和14年)4月、立命館大学法学部に入学。1942年(昭和17年)徴兵検査甲種合格。大東亜戦争の戦況拡大に伴い、1943年(昭和18年)9月、同校を繰上げ卒業。 1943年(昭和18年)海軍航空隊へ志願し、10月1日、海軍飛行科予備学生(第13期)に合格。三重海軍航空隊で基礎教程を学ぶ。
江橋 節郎(えばし せつろう、1922年8月31日 - 20… 江橋 節郎(えばし せつろう、1922年8月31日 - 2006年7月17日)は、日本の薬理学、分子生物学者。東大名誉教授、元生理学研究所長、元日本生物物理学会長。従三位勲一等医学博士。 東京市麹町区(現東京都千代田区)九段生まれ。 筋肉の収縮機構の解明、特にカルシウムイオンが大きな役割を果たしていることの発見で知られる。トロポニンの命名者。 府立一中、一高を経て、1944年東京帝国大学医学部医学科卒業後、助手として東大に勤務。1959年にはロックフェラー研究所客員研究員となり、1959年から1983年まで東大医学部教授を勤め、その間、理学部物理学科教授、東大評議員、東大名誉教授、カリフォルニア・ハーバード両大学客員教授などを歴任した。
小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年… 小川 雄一郎(おがわ ゆういちろう、1922年 <大正11年> 8月30日 - 2009年 <平成21年> 4月8日)は、日本の経営者。長崎新聞社社長を務めた。位階は正五位。 長崎県出身。1945年に中央大学法学部を中退し、1947年に長崎新聞社に監査役として入社。1990年に取締役を経て、1991年12月から2000年12月までに社長を務めた。 2006年4月に旭日重光章を受章。 2009年4月8日心不全のために死去。86歳没。死没日付をもって従七位から正五位に進階した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
遊佐 孝五(ゆさ こうご、1922年8月30日 - 2004… 遊佐 孝五(ゆさ こうご、1922年8月30日 - 2004年7月9日)は、日本の酪農学者・農学者。専門は、農学・乳製品製造学。農学博士。元酪農学園大学学長。元学校法人酪農学園理事長。 北海道生まれ。1946年(昭和21年)北海道帝國大學農学部卒業し、同農学部助手を経て、1948年野幌機農高等学校教諭。1950年酪農学園短期大学講師。1960年酪農学園大学酪農学部助教授。1973年酪農学園大学5代学長に就任。1979年学校法人酪農学園初代副学園長に就任(~1985年)。1985年同学長退任。学校法人酪農学園3代学園長に就任。1991年酪農学園大学退職。同名誉教授。学校法人酪農学園6代理事長に就任。
井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈… 井原 弥一郎(井原 彌一郎、いはら やいちろう、1922年〈大正11年〉8月29日 - 1972年〈昭和47年〉10月13日)は、日本の政治家・実業家。埼玉県与野市議会議員・埼玉県議会議員・与野フードセンター初代社長を歴任した。元与野市長・さいたま市長職務執行者の井原勇は実弟、衆議院議員の井原隆は孫である。 埼玉県北足立郡与野町(現:さいたま市中央区)出身。貿易商に勤めていた井原和一(旧姓:網野)の長男として生まれる。井原家は与野でも有数の名家で、弥一郎の曾祖父である弥四郎・祖父である貞亮(ていすけ)はともに与野町長を務め、貞亮の娘婿となった和一ものちに与野町会議員・与野町長・埼玉県議会議員を務めることになる名望家であった。