松本 昌次(まつもと まさつぐ、1927年10月9日-201… 松本 昌次(まつもと まさつぐ、1927年10月9日-2019年1月15日)は、日本の編集者、出版者。 東京都生まれ。東北大学文学部英文科卒。高校教師等を経て1953年から83年まで未來社に勤務。83年、影書房を創業した。 2019年1月15日、腎臓がんのため、埼玉県狭山市の病院で死去。91歳没。 未來社で全7巻の『金日成著作集』(同刊行委員会編訳、1970〜1981)を刊行。日本語版の翻訳と編集は、朝鮮総連の刊行委員会によって行われ、未来社側は独自の編集権を放棄し、介入不可能だったという。当時、第1副議長だった金炳植が、日本の出版社から日本語版が出ることの意味を重んじて企画を持ち込んだ。この出版によって、経済的に苦しかった未來社は支えられたという。
若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927… 若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927年10月8日 - 1973年5月28日)は、日本の女優、コメディアン。東北弁(いわゆるズーズー弁)訛りを売り物にした女性コメディアンの第一人者である。「おヤエ」の愛称で知られ、天性とも言える抜群の歌唱力と演劇センスから「女エノケン」の異名も持っていた。 千葉県船橋市で生まれる。父親は国鉄の職員(両国駅の助役)であり、厳格な性格だった。そのため、若水は大変堅い家庭で育ったと言う。 1943年(昭和18年)、船橋市にある船橋高等女学校に入学するも、当時新劇や新派の大スターだった女優の水谷八重子に憧れて演劇への道を志すため、進学を希望していた両親の反対を押し切って中退した。
山本 正和(やまもと まさかず、1927年〈昭和2年〉10月… 山本 正和(やまもと まさかず、1927年〈昭和2年〉10月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(3期)を務めた。 1927年(昭和2年)生まれ。中国(当時は関東州)大連市出身。帰国後に旧制大阪薬学専門学校に入学。卒業後は三重県で教員として勤務。後に組合活動に参加し三重県教職員組合委員長などを歴任。 1986年(昭和61年)に行われた第14回参議院議員通常選挙に日本社会党から比例代表区から出馬して初当選。以後3期連続当選。1992年(平成4年)の第16回参議院議員通常選挙で再選。1998年(平成10年)の第18回参議院議員通常選挙で社会民主党選出で比例代表区の名簿4位で3選。 労組出身の実力者として知られ、地元である三重県では北川正恭を支援して当選させるなど三重県政、社会民主党の影の支配者とも呼ばれた。
田中 勝宣(たなか かつのぶ、1927年10月8日 - 20… 田中 勝宣(たなか かつのぶ、1927年10月8日 - 2004年10月21日)は、日本の農芸化学者、経営者。農学博士。島根県出身。 1951年に京都大学農学部農芸化学科を卒業し、同年に協和発酵(現在の協和キリン)に入社。1980年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務を経て、1992年3月に顧問に就任。1992年1月から1995年3月までにミヤコ化学社長を務めた。 2004年10月21日前立腺がんのために死去。77歳没。
5代 頴川 徳助(えがわ とくすけ、1927年10月8日 -… 5代 頴川 徳助(えがわ とくすけ、1927年10月8日 - 没年不明)は日本の実業家、銀行家。幸福銀行社長。 大阪府出身。4代頴川徳助の長男、頴川徳男として生まれる。1951年、東京大学農学部林学科卒業、熊本営林局に入局するも、1953年6月大一商社に入社、同年7月同取締役、1957年同社長となる。1958年6月御殿山土地取締役、1964年幸福銀行取締役。1968年5月大阪商工会議所議員、1970年園田学園理事、1973年4月大一商社社長を辞任して幸福銀行副社長、1975年4月同社長となる。1976年5月から1980年5月まで全国相互銀行協会理事を務めた。 1990年10月31日、紺綬褒章受章。
高森 隆勝(たかもり たかかつ、1927年10月7日 - 2… 高森 隆勝(たかもり たかかつ、1927年10月7日 - 2006年9月4日)は京都府出身の北海道大学名誉教授。工学博士(北海道大学)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 19… 藤島 桓夫(ふじしま たけお、1927年10月6日 - 1994年2月1日)は、日本の演歌歌手。本名:坂本 義明。愛称はオブさん。藤島恒夫と表記されることがあるが誤り。鼻から頭の先に抜けるような独特の高音と渋みのある低音を織り交ぜた歌唱、粋なマドロス姿や着流し姿で多くのファンに愛された。 大阪府大阪市西成区出身。大鉄高校卒業後、大阪府内の電話局勤務を経て、1950年に「あゝ東京へ汽車は行く」でタイヘイレコードからデビュー。1954年、「初めて来た港」がヒット。以後、「かえりの港」「さよなら港」などの港シリーズで一世を風靡。 1956年、「かえりの港」で『NHK紅白歌合戦』に初出場。『紅白歌合戦』には7回連続出場している(詳細は下記参照)。
江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 … 江島 淳(えじま あつし、1927年〈昭和2年〉10月5日 - 1987年〈昭和62年〉5月25日)は、日本の政治家。参議院議員(当選2回)。日本国有鉄道に入り、建設局計画課長、広島鉄道管理局長を経て、1980年以来参議院議員に2回当選する。 山口県下関市出身。江島鐡雄の長男。旧制山口県立豊浦中学校(同級生に林義郎)、海軍兵学校(76期)、山口高等学校を経て、1951年に東京大学第一工学部土木工学科を卒業した。 卒業後は日本国有鉄道に入り、東京鉄道管理局施設部工事第一課長、外務省サンフランシスコ総領事館領事、国鉄建設局計画課長、広島鉄道管理局長などを歴任。 1980年6月、第12回参議院議員通常選挙山口県選挙区に自由民主党公認で藤本万次郎を連合後援会会長に迎える万全の布陣で出馬、日本社会党新人浜西鉄雄、日本共産党新人伊藤潔を破って初当選。
舛田 利雄(ますだ としお、1927年〈昭和2年〉10月5日… 舛田 利雄(ますだ としお、1927年〈昭和2年〉10月5日 - )は、日本の映画監督、脚本家である。兵庫県神戸市出身。 1944年に兵庫県立第一神戸中学校(現:県立神戸高校)から、新居浜工業専門学校(現:愛媛大学工学部)に進学するも、1945年7月に同学校が行う軍事教練に反発し[要出典]退学処分になる。その1ヶ月後に終戦を終え、大阪外国語大学ロシア語学科(現:大阪大学外国語学部)。へ入り直す。当時の舛田は、大の軍人嫌いの少年だったという。 大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)ロシア語学科卒業。大学卒業後は教師になるつもりであったが、名作フランス映画の再上映を観て感動し映画に関心を持つ。映画監督を目指し、大学卒業後に上京。
風間 眞一(かざま しんいち、1927年(昭和2年)10月5… 風間 眞一(かざま しんいち、1927年(昭和2年)10月5日 - 2010年(平成22年)11月21日)は、日本の実業家、銀行家。金屋会長、克念社、鶴岡学園各理事長、荘内銀行相談役等を歴任した。 庄内地方においては本間家に次ぎ、鶴岡においては最大の地主であった風間家に生まれ、荘内銀行第三代頭取を務めた父である幸右衛門(嘉一郎)が急逝したことに伴い家督を継いだ。 東大法学部を卒業後荘銀に入行。以降、常務取締役総務部長等を歴任。1986年(昭和61年)には常勤役員を退任し、家業経営に専念した。 退任後には、風間グループ企業の経営指導に取り組んだほか、6年間にわたり鶴岡商工会議所会頭を務め鶴岡市や、庄内地方の振興と発展にも力を尽した。
大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - … 大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - 2016年2月18日)は、日本の政治家。沖縄返還前の琉球政府では立法院議員として活動し、復帰後には衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)を務めた。 1965年の琉球政府の第7回立法院議員総選挙で第26区より当選。 1968年の第8回立法院議員総選挙で再選。 1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙に沖縄県全県区に自由民主党から出馬し、初当選。四十日抗争では田中派として大平正芳に投票。 1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。 1980年の喜屋武眞榮の任期途中での沖縄県知事選出馬に伴う第12回参議院議員通常選挙の沖縄県選挙区補欠選挙で自由民主党から出馬し、初当選。
伊藤 晃(いとう あきら、1927年10月4日 - 2008… 伊藤 晃(いとう あきら、1927年10月4日 - 2008年3月8日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。國學院大學名誉教授。 愛知県生まれ。1956年東京大学文学部仏文科卒業。同大学院修士課程修了、國學院大學文学部助教授、教授。1998年定年退任、名誉教授。 言語学、歴史学などの翻訳多数。
中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 20… 中村 紀夫(なかむら のりお、1927年10月4日 - 2020年1月27日)は、日本の医学者(医学博士)。専門は脳神経外科学。東京慈恵会医科大学名誉教授。藍綬褒章受章者。東京都神田淡路町出身。 父親の中村康(やすし、1898-1956)は、日本の視力検査法、検眼表、色盲検査表の発案に関わった日本医科大学眼科教授である。日本初の角膜移植手術を行い、後にアイバンクの設立に寄与している。 1951年に東京大学医学部附属病院に脳神経外科の外来部門が設置された曙期から、興隆期を経て最盛期に至る真只中で活躍した。「流水不濁、忙人不老」と題した1993年の定年退任記念講演では、「社会のニーズに応え、診療研究に全精力を傾倒し、その学識を次世代に伝え、医者冥利に尽きる」と述べている。
貫洞 哲夫(かんどう てつお、1927年 <昭和2年> 10… 貫洞 哲夫(かんどう てつお、1927年 <昭和2年> 10月3日 - 2024年 <令和6年> 5月1日)は、日本の地方公務員。東京都人事委員会事務局長、同衛生局長、同生活文化局長、同副知事を歴任。勲三等瑞宝章受章。位階は正五位。 東京都出身。1940年 開成中学校入学、1941年中退、仙台陸軍幼年学校 (45期)、陸軍航空士官学校入校 (60期)後、終戦を迎えて復員。1949年 成蹊高等学校 (旧制)卒業、東京大学法学部政治学科卒業。 1953年 東京都庁に入都(衛生局勤務)。人事委員会事務局長、衛生局長、東京都生活文化局長を歴任し、1983年 鈴木俊一都政2期目の副知事(1期)に就任。 その後は、東京信用保証協会理事長、同相談役、全国信用保証協会連合会会長、東京都収用委員会会長、東京都国民年金基金理事長、東京都動物園協会会長、財団法人東京都慰霊協会会長、NPO法人東京都日本中国友好協会会長、社団法人東京都レクリエーション協会会長、東京都太極拳連盟会長、東京都医療審議会会長。
香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 20… 香取 健一(かとり けんいち、1927年10月3日 - 2011年8月25日)は、日本の経営者。東洋ゴム工業(現在のTOYO TIRE)社長・会長を務めた。 岡山県出身。1953年に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業し、同年に東洋ゴム工業に入社した。1981年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年3月に専務を経て、1988年6月に副社長に就任し、1989年6月には社長に昇格した。1993年6月に会長に就任し、1994年6月から相談役を務めた。 1992年11月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年8月25日、脳幹梗塞のために死去した。83歳没。
立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )… 立松 延廣(たてまつ のふひろ、1927年10月2日 - )は、日本の経営者。井村屋社長を務めた。 愛知県名古屋市出身。1952年に名古屋大学法学部政治学科を卒業し、同年に東海銀行に入行。1977年に井村屋取締役に就任し、1979年に常務、1983年に専務、1985年に社長に就任。1991年に会長を経て、1997年6月に取締役相談役に就任。
松田 修(まつだ おさむ、1927年10月1日 - 2004… 松田 修(まつだ おさむ、1927年10月1日 - 2004年2月6日)は、日本の国文学者、文芸評論家。国文学研究資料館名誉教授。近世文学専攻。 京都大学卒業、同大学院に学ぶ。福岡女子大学助教授を経て、国文学研究資料館教授、法政大学教授を務めた。井原西鶴の研究から始まり、芸能史、民俗学の知見を踏まえ、近世文化における闇の部分を評論家的な筆致で論じ、広末保とともに影響を与えた。映画論も書いた。著作集全8巻がある。 2004年2月6日、午後0時20分、死去。
北島 春信(きたじま はるのぶ、1927年10月1日 - )… 北島 春信(きたじま はるのぶ、1927年10月1日 - )は、日本の児童文学作家。熊本県生まれ。法政大学法学部法律学科卒。「草っぱらの子どもたち」で日本児童演劇協会賞受賞。成城学園初等学校教諭。児童読物、児童劇などを書いた。
原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 20… 原田 奈翁雄(はらだ なおお、1927年10月1日 - 2024年7月6日)は、日本の編集者、出版者。 東京府生まれ。皇国少年として戦時下を送る。1952年明治大学を卒業、筑摩書房入社。『展望』『人間として』『終末から』編集長などを務める。べ平連の活動にも積極的に参加する。1978年の同社倒産の責任をとって退社。当時の役職は取締役編集局次長。原田の薫陶を受けた編集者に柏原成光、松田哲夫がいる。 1980年に山代巴、林竹二、上野英信らの後押しを受けて径書房を創業。発刊1冊目は筑摩書房創業者・古田晃の回想文集『そのひと ある出版者の肖像』(臼井吉見編)。山代巴『囚われの女たち』(全10巻)『山代巴文庫』(全8巻)、上野英信『上野英信集』(全5巻)、林竹二『問いつづけて』『教育の根底にあるもの』、桑原史成『水俣 終わりなき30年 原点から転生へ』、『長崎市長への7300通の手紙』(径書房編集部編。
宮本 忠長(みやもと ただなが、1927年10月1日 - 2… 宮本 忠長(みやもと ただなが、1927年10月1日 - 2016年2月25日)は、日本の建築家。 長野県須坂市生まれ。1951年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、佐藤武夫建築事務所に勤務した。1964年に郷里に戻り、1966年に宮本忠長建築設計事務所を設立した。その後、長野県建築士会会長、日本建築士会連合会会長、国土交通省中央建築士審査会委員、長野市都市景観賞審査委員等を歴任した。2016年2月25日に胆管腫瘍のため死去。
伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本… 伊達 宗起(だて むねおき、1927年10月 - )は、日本の外交官。外務大臣官房長、外務省条約局長等を経て、欧州共同体日本政府代表部特命全権大使在任中譴責処分を受け解任された。 東京府出身。東京府立第六中学校(現東京都立新宿高等学校)、浦和高等学校、東京大学法学部を経て、1950年外務省入省。在ジュネーヴ国際機関日本政府代表部二等書記官、同一等書記官を経て、1965年内閣法制局参事官(第三部)。1968年外務省アジア局北東アジア課長。 1970年在ベルギー日本国大使館一等書記官。同参事官を経て、1973年外務省条約局外務参事官。1974年外務公務員採用上級試験委員。1976年外務省情報文化局外務参事官。
永井 啓夫(ながい ひろお、1927年10月 - 2006年… 永井 啓夫(ながい ひろお、1927年10月 - 2006年11月)は、日本の民俗芸能評論家・研究者。 東京生まれ。日本大学国文科卒業。1997年まで日本大学文理学部国文科教授を務める。舞踊の作詞家としても活躍、代表作に新内『広重八景』。 正岡容の門下。同門には小沢昭一、大西信行、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる。 小沢昭一、大西信行、3代目桂米朝、加藤武らとは、東京やなぎ句会を結成して俳人として活動した。 大学の教え子に、演芸作家の稲田和浩がいる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
八馬 理(はちうま ただす、1927年〈昭和2年〉10月 -… 八馬 理(はちうま ただす、1927年〈昭和2年〉10月 - )は、日本の実業家。西宮酒造(現日本盛)社長。 兵庫県西宮市久保町、八馬汽船相談役・三代八馬兼介の二男。八馬啓の弟。 旧制甲南高等学校を経て、早稲田大学商学部卒業。父兼介が1920 - 1930年代に収集した新羅金銅仏像と百済金製耳飾など383点を国立中央博物館寄贈館に寄贈した。住所は芦屋市平田町。
石橋 エータロー(いしばし エータロー、1927年〈昭和2年… 石橋 エータロー(いしばし エータロー、1927年〈昭和2年〉9月30日 - 1994年〈平成6年〉6月22日)は、元ハナ肇とクレージーキャッツメンバー(ピアニスト)で料理研究家。 本名は石橋 英市(通称・瑛市)。石橋 暎太郎と表記していた時期もある。愛称はエーちゃん。 画家青木繁の息子で音楽家の福田蘭童の息子として、東京新橋に生まれ、3歳まで大井町に育つ。母千代は日陰町(現・港区新橋二丁目)で土木建築・人夫請負業を営む資産家石橋伊勢松家の8人兄弟の5番目として生まれた。 エータローが3歳のときに、父の蘭童が映画撮影のために出かけたロケーション先で女優川崎弘子を強姦するという事件を起こした。蘭童は責任を取って、エータローの母と別れて川崎と再婚。
網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
加藤 幹夫(かとう みきお、1927年9月29日 - 199… 加藤 幹夫(かとう みきお、1927年9月29日 - 1991年8月2日)は、日本の経営者、農学博士。協和発酵工業社長、会長を務めた。島根県出身。社長を務めた加藤辨三郎は父。 1952年に九州大学農学部農業工学科を卒業し、1954年に協和発酵工業に入社。 1979年3月に取締役に就任し、1980年3月に常務、1981年3月に専務を経て、1982年5月に副社長に就任し、1984年3月には社長に昇格。 1991年8月2日急性肺炎のために死去。63歳没。
瀧見山 延雄(たきみやま のぶお、1927年9月29日 - … 瀧見山 延雄(たきみやま のぶお、1927年9月29日 - 2001年3月1日)は、現在の島根県出雲市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。元世話人。本名は藤江 延雄(ふじえ のぶお)。173cm、90kg。最高位は西十両4枚目。得意技は右四つ、寄り。 1949年5月場所に初土俵。1956年1月場所に十両昇進。何度も十両上位に顔を出し、時には勝ち越したこともあるので入幕を期待されたが、負傷などで実現しなかった。大鵬のコーチ役を務め、現役晩年は幕下で相撲を取り、1962年1月場所限りで力士を廃業し、世話人に転じた。1992年9月で定年退職。
大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25… 大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25日 - 2022年9月[要出典])は、日本のアナキズム研究家、文筆家、編集者。 名古屋市出身。別名・大原緑峯。1950年東京大学文学部哲学科卒。在学中、日本アナキスト連盟に参加、機関紙の編集に携わる。 卒業後平凡社に入り1966年雑誌『黒の手帖』を創刊。編集局長、出版局長、取締役を歴任し、1986年退社。
長 新太(ちょう しんた、本名: 鈴木 揫治、1927年9月… 長 新太(ちょう しんた、本名: 鈴木 揫治、1927年9月24日 - 2005年6月25日)は、日本の漫画家、絵本作家、エッセイスト。 漫画作品のほか、「ユーモラスな展開と不条理な筋立て」による「絵本」と称される数多くの絵本や児童文学の挿絵を描き、「ナンセンスの神様」の異名をとった。エッセイなどの分野でも活動した。 東京府荏原郡羽田町(のちの東京都大田区)に生まれる。蒲田育ち。戦時中は陸軍少年飛行兵学校を受験したが体重が足りなかったために不合格となる。東京市立蒲田工業学校(現在の東京都立一橋高等学校)卒。蒲田が空襲の被害を受けたため横浜市に移り、ここで敗戦を迎える。映画が好きだったため映画館の看板屋で3年ほど働いた。
白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025… 白井 昭(しらい あきら、1927年9月24日 - 2025年2月26日)は、日本の評論家。鉄道技術者。鉄道ファン。元名古屋鉄道社員。元大井川鐵道副社長・顧問。日本ナショナルトラスト会員。 名古屋鉄道在籍時に、鉄道技術者としてパノラマカー(7000系)、モノレール車両(東京モノレール100形、名鉄MRM100形)の企画・製作・設計に携わった。大井川鐵道在籍時に井川線のアプト式新線開業、蒸気機関車の動態保存を手がけている。 同じく鉄道ファンであり鉄道関連の著書を多く手がけている白井良和は実弟である。 愛知県岡崎市出身。旧制豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)、名古屋工業専門学校(現・名古屋工業大学)卒業。
加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 20… 加山 又造(かやま またぞう、1927年9月24日 - 2004年4月6日)は、日本画家、版画家である。京都府京都市上京区相国寺東門前町生まれ。 祖父・田辺玉田は北陸若狭の出身で、京都で活動の後、旅をしながら各地の風景を描いていく「旅の絵師」となり、旅先の一つ、広島県で結婚し、父・田辺勝也も広島で生まれた。祖父は広島を中心に中国地方で画家として活躍し、作品が二点広島県立美術館に収蔵されている。父は幼少期を広島で過ごした後に父(又造の祖父)と共に京都に移り住み加山勝也と改名。西陣織の図案家(デザイナー)となり、1927年、又造は京都で生まれた。 京都市立美術工芸学校(現 京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現 東京芸術大学)を卒業。
大晃 定行(おおひかり さだゆき、1927年9月24日 - … 大晃 定行(おおひかり さだゆき、1927年9月24日 - 1996年1月14日)は、北海道上磯郡上磯町(現役当時、現在の北斗市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。本名は柴田 定行(しばた さだゆき)。現役時代の体格は181cm、115kg。最高位は東小結(1958年7月場所)。得意手は突っ張り、叩き、左四つ、寄り、うっちゃり。大相撲屈指の黄金時代といわれる、栃・若時代の名力士として知られている。 引退後は、年寄・阿武松を襲名した。 地元の高等小学校卒業後自動車の運転手として働いていたが体格が大きくもともと力士志望だったため、同じ渡島支庁の福島町出身の千代ノ山を慕って出羽海部屋に入門し、1944年1月場所に於いて初土俵を踏んだ。
末尾 至行(すえお よしゆき、1927年9月23日 - 20… 末尾 至行(すえお よしゆき、1927年9月23日 - 2023年6月16日)は、日本の人文地理学者。関西大学名誉教授。 神戸市出身。1952年京都大学文学部史学科卒。1971年「水力開発=利用に関する歴史地理学的研究」で京大文学博士。奈良女子大学助教授、1967年関西大学文学部助教授、教授、1998年定年、名誉教授。東西学術研究所委嘱研究員。1986-88年、1992-94年人文地理学会会長。主として水車を研究した。 2009年4月瑞宝中綬章受章。
織田 昭(おだ あきら、1927年9月22日 - 2008年… 織田 昭(おだ あきら、1927年9月22日 - 2008年1月20日)は、日本の牧師、ギリシア語学者。
高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 20… 高橋 久子(たかはし ひさこ、1927年9月21日 - 2013年12月21日)は、福岡県北九州市出身の労働省官僚。最高裁判所判事。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章受章。 門司高等女学校卒業後に東京大学経済学部に進学。卒業後の1953年に労働省入省。内閣審議官、労働省婦人少年局長を歴任し、1982年に退官。 婦人少年協会会長、アジア女性交流・研究フォーラム理事長、21世紀職業財団会長を務めた後、1994年2月9日に女性としては初めて最高裁判所判事に任命される。当時の内閣は3人の女性閣僚がいた細川内閣であり、細川護煕は「大きなプレゼント」とコメントした。 2000年、勲一等瑞宝章受章。 1997年9月20日 最高裁判事を定年退官。
宮川透(みやかわ とおる、1927年 <昭和2年> 9月21… 宮川透(みやかわ とおる、1927年 <昭和2年> 9月21日 - 1999年 <平成11年> 4月6日)は、日本の哲学者、東京外国語大学名誉教授。比較文化論の観点から日本近代思想史を研究。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 京都府出身。東京大学卒。東大東洋文化研究所研究員、1968年東京外大教授。90年定年退官、富山国際大学教授。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。
高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21… 高橋 信次(たかはし しんじ、1927年〈昭和2年〉9月21日 - 1976年〈昭和51年〉6月25日)は、日本の経営者、宗教法人GLAの創設者。 1927年、長野県南佐久郡の農家に10人兄弟の次男として生まれる。 1938年、原因不明の病気にかかって幾度か死線を超え、「もう一人の私」となっている自分に気がついたという。 1944年、陸軍士官学校に進学し、終戦 。 1946年、復員。敗戦のショックの中、廃墟となった東京に上京する。勉学を志し、大学入学資格試験を通過、日本大学旧工学部(現 日本大学理工学部)で、自然科学や理科学を学ぶ。 1952年、自営で電気関係の仕事を始め、コンピューター端末機器製造会社の高電工業株式会社を設立し、社長となる。
福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 20… 福間 知之(ふくま ともゆき、1927年9月20日 - 2000年1月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期)。日本社会党に所属し、派閥は政構研であった。 大阪府大阪市出身。旧制大阪府立市岡中学校卒業。1946年松下電器入社。1953年同労組書記長、同委員長、1962年電機労連中央執行副委員長、1964年初代IMF-JC(全日本金属産業労働組合協議会)議長を経て、1974年の第10回参議院議員通常選挙全国区に無所属(電機労連の組織内候補)で立候補し、初当選。その後、日本社会党に入党。 1986年、日本社会党政策担当中執。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に立候補せず政界引退。 1997年、秋の叙勲で勲二等旭日重光章受章。
勝尾 金弥(かつお きんや、1927年9月20日 - 202… 勝尾 金弥(かつお きんや、1927年9月20日 - 2020年4月4日 )は、日本の児童文学者。愛知県立大学名誉教授。 1927年 警察官であった林弥三郎の四男、九番目の子として石川県金沢市に生まれる。父の仕事の関係で石川県七尾市、茨城県へと移り住む。1937年 当時旅順に住んでいた叔父夫婦の勝尾貞蔵・栄子の養子となり、勝尾姓となる。 1953年 金沢大学教育学部卒業。金沢市内の中学校教諭を経て、愛知県立大学教授(1991年定年退官、現在は名誉教授)、梅花女子大学教授(1999年退職)を勤める。この間、数々の児童文学を著す。後年は金沢市に在住。 (多くは「かつおきんや」名義、漢字表記は記す) この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
上田 賢治(うえだ けんじ、1927年9月20日 - 200… 上田 賢治(うえだ けんじ、1927年9月20日 - 2003年3月27日)は、日本の神道学者。國學院大學名誉教授。宗教心理学・神道神学専攻。 1927年、大分県で生まれた。國學院大學文学部で二木謙一らの下で学び、1952年に卒業。同大学大学院神道学専攻に進学し、1954年に修士課程を修了した。 1956年、川村短期大学助教授に就いた。1958年、ハーバード大学大学院に留学。1967年、國學院大學文学部助教授となり、1973年に教授昇格。ボン大学日本学講座客員講師も務めた。1982年、学位論文『國學の研究:草創期の人と業績』を國學院大學に提出して文学博士号を取得。1984年より國學院大學日本文化研究所所長。
長谷川 博隆(はせがわ ひろたか、1927年9月20日 - … 長谷川 博隆(はせがわ ひろたか、1927年9月20日 - 2017年5月31日)は、日本のローマ史研究者。名古屋大学名誉教授。 1927年、東京都で生まれた。東京大学文学部西洋史学科で学び、1953年に卒業。 関西学院大学助教授を経て、名古屋大学文学部教授。1991年に名古屋大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は中部大学教授として教鞭をとった。2017年に死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
寿岳 潤(じゅがく じゅん、1927年9月19日 - 201… 寿岳 潤(じゅがく じゅん、1927年9月19日 - 2011年9月14日)は、日本の天文学者。東京大学名誉教授。父は寿岳文章、母は寿岳しづ、姉は寿岳章子。 京都府出身。国際天文学連合第51分科会(生物天文学)の副委員長を務め、日本における地球外知的生命体探査の第一人者として知られる。 父は英文学者・書誌学者の寿岳文章、母は翻訳家・評論家・小説家の寿岳しづ、姉は国語学者・随筆家・社会運動家の寿岳章子。1933年、一家で京都府向日市に転居し少年期を過ごした。
田中 昭二(たなか しょうじ、1927年9月19日 - 20… 田中 昭二(たなか しょうじ、1927年9月19日 - 2011年11月11日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。国際超電導産業技術研究センター顧問。妻は「わいふ」編集長を務めた田中喜美子。 神奈川県小田原市出身。1950年、東京大学工学部応用数学科 卒業。 1968年5月、東京大学工学部教授に就任。 1986年12月、IBMチューリッヒ研究所のミュラーとベドノルツが発表していた酸化銅を含むセラミックが超伝導体であることを田中研究室が証明した。 1988年1月、財団法人国際超電導産業技術研究センター副理事長。同年3月に東京大学工学部を定年退官後は東海大学工学部教授、超電導工学研究所長を歴任した。
高梨 昌(たかなし あきら、1927年(昭和2年)9月18日… 高梨 昌(たかなし あきら、1927年(昭和2年)9月18日 - 2011年(平成23年)8月30日)は、日本の経済学者。信州大学名誉教授。労働経済学専攻。 東京の生まれ。東京大学卒業後、労働経済学を専門に研究を行った。1971年(昭和46年)からは信州大学の教授として活動し、第二次世界大戦後の日本の労働市場の研究や労働経済学の教鞭を執る。 その後は中央職業安定審議会の会長や厚生労働省内の中央労働委員会の委員、日本労働研究機構(現在の労働政策研究・研修機構)の会長等を歴任した。晩年は信州大学の名誉教授にも認定された。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2… 藤田 省三(ふじた しょうぞう、1927年9月17日 - 2003年5月28日)は、日本の政治学者(日本政治思想史)、法政大学名誉教授。戦後、丸山学派を代表する左派系の思想史家。 丸山眞男の弟子で、寡作ではあるが丸山学派を代表する。天皇制国家の構造分析は戦後思想史において画期的意味をもちつづける。鶴見俊輔らとともに行った『共同研究 転向』では中心的役割を果す。晩年に『藤田省三著作集』(みすず書房)が刊行されている。 愛媛県今治市出身。父藤作は大三島出身の小学校代用教員。兄2人姉2人の5人兄弟の末っ子だが、2人の兄はともに太平洋戦争で戦死した。今治中学校(現・愛媛県立今治西高等学校)を経て、陸軍予科士官学校に入学(当時の校長は牟田口廉也)。
大石 嘉一郎(おおいし かいちろう、1927年9月17日 -… 大石 嘉一郎(おおいし かいちろう、1927年9月17日 - 2006年11月21日)は、日本経済史家。東京大学名誉教授、明治学院大学名誉教授。 福島県伊達郡保原町(現・伊達市)生まれ。1950年東京大学経済学部経済学科卒。東大で大内力ゼミに所属。1950年福島大学経済学部助手、1953年講師、1955年助教授。1963年東京大学社会科学研究所助教授、1969年教授、1982年所長(1984年まで)。1988年定年退官、東京大学名誉教授、明治学院大学経済学部教授。2000年明治学院大学名誉教授。 日本資本主義史、自由民権運動、近代日本地方自治史・財政史・都市史などを研究。実家の味噌・醤油醸造業の経営に携わりながら、福島大学で自由民権期を研究。
坂本 義和 (さかもと よしかず、1927年9月16日 - … 坂本 義和 (さかもと よしかず、1927年9月16日 - 2014年10月2日)は、日本の政治学者。専門は、国際政治学・平和学。東京大学名誉教授。国際基督教大学平和研究所顧問。戦後の進歩的文化人を代表する人物の一人であり、学問的活動とともに、論壇で発言し続けた。父は東亜同文書院教授の坂本義孝。 米国ロサンゼルスで義孝・太代子の第二子として生まれた。生後間もなく上海に移り、小学3年まで同地ですごした後、日本(鎌倉・東京)に定住することになった。 1945年3月に東京高等師範学校附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を卒業。旧制第一高等学校を経て、1948年 東京大学に入学し、演習は丸山真男ゼミであった。
緒方 貞子(おがた さだこ、1927年〈昭和2年〉9月16日… 緒方 貞子(おがた さだこ、1927年〈昭和2年〉9月16日 - 2019年〈令和元年〉10月22日)は、日本の国際政治学者。位階は従三位。学位は、政治学博士(カリフォルニア大学バークレー校)。旧姓:中村(なかむら)。 上智大学名誉教授。独立行政法人国際協力機構理事長、国連人権委員会日本政府代表、日本人初の国連難民高等弁務官、アフガニスタン支援政府特別代表を歴任。また日本における模擬国連活動の創始者でもある。 1927年(昭和2年)9月16日、東京府東京市麻布区(現東京都港区)に外交官・元フィンランド特命全権公使の中村豊一・恒子夫妻の長女として生まれる。命名は曽祖父・犬養毅による。父の転勤で幼少期をアメリカ・サンフランシスコ(バークレー)、中国・広東省、香港などで過ごす。
山口 光秀(やまぐち みつひで 1927年9月16日 - 2… 山口 光秀(やまぐち みつひで 1927年9月16日 - 2004年7月26日)は、日本の官僚。元大蔵事務次官、元東京証券取引所理事長。従三位勲一等瑞宝章。
平野 謙二(ひらの けんじ、1927年9月16日 - )は、… 平野 謙二(ひらの けんじ、1927年9月16日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手、外野手。1946年から1949年までの登録名は平野徳松。