大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。
関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1… 関田 英里(せきた ひでさと、1921年(大正10年)9月1日 - 2002年(平成14年)10月30日)は、日本の経済学者。元高知大学学長、同大学名誉教授。専門は経済史、農業経済学。高知県生まれ。 1921年9月1日、高知県長岡郡大篠村大埇(現南国市)において、海軍武官の父関田繁里と母豊榮の長男として生まれる。幼少期は郷里で祖父母のもとに過ごし、1927年に父母のもとへ上京。1934年3月、東京市世田谷区立八幡尋常小学校を卒業。同年4月、父の赴任先の長崎県立佐世保中学校を受験し入学。1935年秋頃、父の転勤に伴い麻布中学校に転入。1937年夏頃、父の死に伴い帰郷し高知県立高知城東中学校に転入。
嘉納 芳治(かのう よしじ、1921年〈大正10年〉9月1日… 嘉納 芳治(かのう よしじ、1921年〈大正10年〉9月1日 - 没年不明)は、日本の実業家。菊正宗酒造元取締役、元監査役。 妻は九代目嘉納治郎右衛門(本嘉納家9代目当主)の五女・周子。長男はフジ・メディア・ホールディングス代表取締役会長、関西テレビ放送代表取締役会長などを務めた嘉納修治。 兵庫県出身。神戸市東灘区在住。灘の酒造家である嘉納家の一門・乾嘉納家出身。本嘉納商店(現:菊正宗酒造)取締役を務めた嘉納治朗の長男として生まれる。父・治朗は本嘉納家の親戚にあたる嘉納治郎平の四男として生まれ、嘉納百蔵の養子となり本嘉納商店に入社後、嘉納治郎右衛門の片腕として活躍した。 1944年(昭和19年)大阪帝国大学工学部醗酵工学科を卒業後、菊正宗酒造に入社。
阪本 龍児(さかもと りゅうじ、1921年8月31日 - 2… 阪本 龍児(さかもと りゅうじ、1921年8月31日 - 2003年10月21日 )は、日本の経営者。南都銀行頭取を務めた。 奈良県出身。1949年に京都大学農学部を卒業し、1950年に南都銀行に入行。1968年に取締役に就任し、1972年11月に常務、1976年1月に専務を経て、1979年2月に頭取に就任。1990年6月に会長に就任し、1997年6月に取締役相談役を経て、1998年6月には相談役に就任。1985年6月から1997年6月までに近畿日本鉄道取締役も務めた 1981年2月に紺綬褒章を受章し、1984年11月に藍綬褒章を受章し、1991年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2003年10月21日心筋梗塞のために死去。
高橋 剛(たかはし ごう、本名の読み:たかはし たけし、19… 高橋 剛(たかはし ごう、本名の読み:たかはし たけし、1921年(大正10年)8月31日 - 1991年(平成3年)9月5日)は日本の彫刻家。山形県酒田市出身。 バレリーナをモチーフとした彫刻で知られ、昭和30年代(1955年 - 1964年)中頃まで木彫を中心に制作したが後に塑像へ転向した。 1921年(大正10年)8月31日、神社仏閣の木彫を生業とする生家に生まれる。祖父は宮彫師、父は日本美術院所属の仏教彫刻家。父に師事し木彫を始める。 1940年(昭和15年)上京、翌1941年(昭和16年)東京美術学校入学、関野聖雲に師事。1946年(昭和21年)東京美術学校(現東京芸術大学)卒業。 1947年(昭和22年)、第3回日展に初入選。
矢野 康(やの やすし、1921年〈大正10年〉8月31日 … 矢野 康(やの やすし、1921年〈大正10年〉8月31日 - 1994年〈平成6年〉9月23日)は日本の政治家。函館市長、函館空港ビルデング社長。 茨城県生まれ。1943年(昭和18年)法政大学経済学部を卒業。1945年(昭和20年)に北海道開拓部勤務となる。 北海道総務部次長、渡島支庁長、水産部長を務めた。1967年(昭和42年)3月に退職した。同年、函館市長に立候補し、吉谷一次や社会党の推す候補、共産党公認候補などを破って当選する。同年5月2日に就任した。 社会党、共産党推薦の無所属新人との争いになったが、自民党公認を得て再選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 革新系の新人との争いになったが、これを破って3選を果たした。
溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 20… 溜池 良夫(ためいけ よしお、1921年8月30日 - 2014年10月16日)は、日本の法学者。専門は国際私法。学位は、法学博士(京都大学・論文博士・1987年)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。京都大学名誉教授。 滋賀県大津市出身。1942年、第三高等学校 (旧制)卒業。1946年、京都帝国大学法学部卒業。1946年、京都帝国大学法学部助手(指導教授:齋藤武夫)。1952年、京都大学法学部助教授。1961年、京都大学法学部教授。1966年、京都大学評議員。1987年、法学博士(京都大学)(学位論文「国際婚姻法の基礎的研究」)。1985年、京都大学停年退官、同名誉教授。1985年龍谷大学法学部教授を歴任。
関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 … 関 行男(せき ゆきお、1921年(大正10年)8月29日 - 1944年(昭和19年)10月25日)は、日本の海軍軍人。海兵70期。最終階級は海軍中佐。 レイテ沖海戦において、初の神風特別攻撃隊の一隊である「敷島隊」(爆装零戦5機)を指揮して、アメリカ海軍の護衛空母「セント・ロー」を撃沈し、さらに護衛空母3隻を撃破した武功で知られる。 1921年8月29日に、愛媛県新居郡大町村(現:西条市)で、父・勝太郎(骨董商)と母・サカエの一人息子として生まれた。 大町尋常小学校(現:西条市立大町小学校)、愛媛県立西条中学校(現:愛媛県立西条高等学校)を経て、1938年12月に海軍兵学校(70期)へ入校。
矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 198… 矢口 陽子(やぐち ようこ、1921年8月27日 - 1985年2月1日)は、日本の女優。戸籍上の本名は黒澤喜代(旧姓:加藤)だが、実生活では「喜代子」と名乗っていた。夫は映画監督の黒澤明。 香港生まれ。昭和高等女学校(現・昭和女子大学附属昭和高等学校)中退。1937年に若園照美の芸名で松竹少女歌劇団入団。 1940年に東宝映画に移籍。島津保次郎監督の『嫁ぐ日まで』でデビュー。1944年に黒澤の2本目の監督作品『一番美しく』に主演する。1945年に黒澤と結婚(挙式は明治神宮、媒酌人は山本嘉次郎夫妻)して女優を引退した。 引退後は家庭に入り、黒澤が気持ちよく映画を撮れるように、内助の功を発揮した。
荒木 正(あらき ただし、1921年8月27日 -没年不明 … 荒木 正(あらき ただし、1921年8月27日 -没年不明 )は、佐賀県出身のプロ野球選手。 唐津商業学校から門司鉄道管理局を経て、1941年に南海軍へ入団。1944年に退団。
今野 耿介(こんの こうすけ、1921年8月27日 - 没年… 今野 耿介(こんの こうすけ、1921年8月27日 - 没年不詳)は日本の内務・警察官僚。和歌山県警察本部長、新潟県警察本部長、四国管区警察局長などを務めた。 旧制浪速高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1944年 内務省に入省。熊本県に配属され、内務部農務課、内務部地方課兼農務課、内務部庶務課で勤務。その後は宮城県、栃木県警察部、国家地方警察栃木県本部、札幌警察管区本部、保安庁保安局、防衛庁防衛局などで勤務。1954年6月からサザンメソジスト大学へ留学。青木正国家公安委員会委員長秘書官(事務担当)、警務局付兼内閣調査室内閣調査官、大平・黒金両内閣官房長官秘書官(事務担当)。 1964年7月 長官官房能率管理課長。
安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年〈大正10年〉8… 安谷屋 正義(あだにや まさよし、1921年〈大正10年〉8月26日 - 1967年〈昭和42年〉7月29日)は、昭和時代に沖縄県で活躍した洋画家。 東京府北豊島郡滝野川町田端(現・東京都北区田端)に生まれる。1929年(昭和4年)に沖縄県に転居し、沖縄県立第二中学校で比嘉景常の指導を受け、西洋画を志す。1940年(昭和15年)、東京美術学校図案科に入学し、在学時に出征するが、1945年(昭和20年)の敗戦で除隊する。その後、大分県日田市の日田漆器に入社するが、米軍占領下の沖縄に戻り、1948年、首里市儀保町(現・那覇市首里儀保町)のニシムイ美術村に住宅兼アトリエを建てて住む。 1949年、第1回沖縄美術展覧会(沖展)が開かれると、名渡山愛順・大嶺政寛ら戦後第一世代の審査内容に反発し、1950年に安次嶺金正・玉那覇正吉らと「五人会」(1954年に「グループとしての活動の意義が終わった」という理由で解散)を結成した。
香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 200… 香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 2002年4月28日)は日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 北海道小樽市出身。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業後、日本製粉入社。日本製粉専務取締役を経て、1985年から日本製粉代表取締役社長を務め、男女満60歳への定年延長や、国立市での食品部冷凍食品管埋センター開設などにあたった。1987年にはワタミフードサービス創業者渡邉美樹と面会するなどし、ワタミフードサービスへの出資を行った。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年4月28日、心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
中村 渓男(なかむら たにお、1921年8月26日 - 20… 中村 渓男(なかむら たにお、1921年8月26日 - 2001年5月19日)は、日本の美術評論家。日本画家・中村岳陵の長男。息子の中村宗弘も日本画家。 神奈川県生まれ。本名は秀男。慶應義塾大学文学部史学科卒。美術史学会・美術評論家連盟所属。宇都宮文星短期大学教授、成田山書道美術館副館長。 2001年5月19日、心不全のため死去。
中 義勝(なか よしかつ、1921年8月25日 - 1993… 中 義勝(なか よしかつ、1921年8月25日 - 1993年10月28日)は大阪府出身の法学者。専門は刑法。1946年(昭和21年)、関西大学法文学部卒業後、同大学法学部教授、学長。恩師は植田重正。 出世作は『輓近錯誤理論の問題点』。『間接正犯』では、安易に間接正犯を認める通説を厳しく批判した。『誤想防衛論』では、団藤説を厳しく批判した。 主観的違法要素と間接正犯を巡る中=中山論争は有名。『刑法上の諸問題』は重要な論文集。教科書として『講述犯罪総論』がある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山川 京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日 - 2… 山川 京子(やまかわ きょうこ、1921年8月25日 - 2014年3月20日)は、歌人。 東京府出身。旧姓:田中。松本清張の父・峯太郎の弟・田中嘉三郎の娘で、つまり清張の従妹にあたる。國學院大學文学部国文科卒。中河幹子、折口信夫に師事した。同じく折口門下の詩人・山川弘至と結婚するが、45年夫が戦死。「をだまき」をへて1954年「桃」を創刊。伝統性を尊重しロマン主義をめざす。 大本の信者で、教団の教育機関・梅松塾の第三代塾長を務めた。
伊地知 重威(いじち しげたけ、1921年8月24日 - 2… 伊地知 重威(いじち しげたけ、1921年8月24日 - 2007年3月16日)は、日本の銀行家。埼玉銀行頭取を務めた。 埼玉県出身。1944年に東北帝国大学法文学部経済学科を卒業し、1945年に埼玉銀行に入行。 1973年5月に取締役に就任し、1975年10月に常務、1978年6月に専務を経て、1981年6月に副頭取に就任し、1976年4月には頭取に昇格。1987年6月に会長に就任し、1989年3月から1990年6月まで社長も兼任した。1991年4月に取締役相談役、同年6月に相談役、1998年4月に特別顧問を経て、同年12月には名誉顧問に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章。 2007年3月16日肺炎のために死去。
佐藤吉男(さとう よしお、1921年8月24日 - 1972… 佐藤吉男(さとう よしお、1921年8月24日 - 1972年10月7日)は、日本の大蔵官僚。 大蔵省主税局総務課長、主計局総務課長、大阪国税局長、総理府人事局次長、主計局次長(末席)、主計局次長(次席)、大臣官房審議官(大臣官房担当)兼財務研修所長などを務めた。 広島県出身。東京商科大学(現在の一橋大学)商学部在学中の1943年7月に高等試験行政科を合格。1944年9月 東京商科大学商学部卒業。1945年8月 陸軍主計少尉となり、同年9月 召集解除。 同年10月 大蔵省入省。外資局属。1946年2月 理財局。1948年10月 倉敷税務署長。 1949年8月31日 主計局主計官補佐(大蔵係主査)。
土田 晃透(つちだ てるみち、1921年(大正10年)8月2… 土田 晃透(つちだ てるみち、1921年(大正10年)8月22日 - 2008年(平成20年)10月20日)は、日本の経営者。元明治生命保険社長・会長。元生命保険協会会長。大分県出身。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 20… 沼波 万里子(ぬなみ まりこ、1921年8月21日 - 2013年4月27日)は、日本の女性の歌人である。中国残留孤児帰国運動にも携わった。 父は国文学者の沼波瓊音(本名 : 沼波 武夫)。母は神戸女子薬学専門学校(現神戸薬科大学)元理事の沼波たき。妹は女優で声優でもあった沼波輝枝。また、名付け親は、安井てつ(元東京女子大学学長)。
市倉 宏祐(いちくら ひろすけ、1921年8月21日 - 2… 市倉 宏祐(いちくら ひろすけ、1921年8月21日 - 2012年7月19日)は、日本の哲学者。現代フランス哲学の研究者。専修大学名誉教授。
和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20… 和泉 照雄(いずみ てるお、1921年(大正10年)8月20日 - 1986年(昭和61年)4月28日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)、鹿児島県議会議員(3期)。公明党に所属した。位階は正五位。 鹿児島県垂水市出身。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現:鹿児島県立甲南高等学校)から1937年に士官学校へ進み、1940年に陸軍士官学校本科(54期)を卒業。陸軍大尉で復員。その後、公職追放となる。 1963年、鹿児島県議会議員に当選し、3期務める(鹿児島市区選出)。3期目の1972年11月に県議会議員を辞職し、第33回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)、第10回参議院議員通常選挙(鹿児島県選挙区)、第34回衆議院議員総選挙(旧鹿児島県第1区)に立候補するが落選。
上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1… 上原 淳道(うえはら ただみち、1921年8月20日 - 1999年11月27日)は、日本の中国史学者。中国古代史専攻。東京大学教授、関東学院大学教授などを歴任。 上原専禄の長男として東京府北豊島郡滝野川(現・北区滝野川)に生まれる。1942年第一高等学校卒業、東京帝国大学文学部東洋史学科入学。しかし、太平洋戦争の戦局悪化により、1943~1945年学徒兵として従軍。 戦後、1948年に東京大学卒業、同大学院に入学。1953年より母校の東京大学教養学部専任講師となり、1955年助教授、1967年教授。1982年に定年退官。名誉教授の称号を辞退し、その後は関東学院大学教授として教鞭をとった。1987年に関東学院大学も退職。
明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、… 明田 鉄男(あけた てつお、1921年8月18日 - )は、日本の歴史家、文筆家。 愛媛県出身。京都大学法学部卒。読売新聞大阪本社記者、論説委員。1964年小説「月明に飛ぶ」でオール読物新人賞受賞。のち、霊山歴史館主任研究員、滋賀女子短期大学教授。 1993年、著書『日本花街史』で、島原の揚屋として寛永以来使われ、国の重文にも指定されている「角屋(すみや)」の中川徳右衛門・十三代当主と、財団法人「角屋保存会」が、明田と雄山閣出版を相手に「内部の写真を無断で掲載、角屋が女性の自由を奪ったような表現で名誉を傷つけられた」などとして全国紙への謝罪広告と保存会、中川当主に各250万円の損害賠償を求める訴えを京都地裁に起こした。
佐藤 久子(さとう ひさこ、1921年8月17日 - 201… 佐藤 久子(さとう ひさこ、1921年8月17日 - 2014年2月27日)は、日本の教育学者。四国大学生活科学部教授。同大学などを運営する学校法人四国大学元理事長。徳島県女子師範学校本科第二部、文化服装学院裁断科及び高等裁断科卒業。 所属学会は日本生活文化史学会。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
増田 卓(ますだ たかし、1921年8月16日 - 1986… 増田 卓(ますだ たかし、1921年8月16日 - 1986年3月25日)は、徳島県出身のプロ野球選手。ポジションは外野手。 徳島中学校を卒業し、京都薬学専門学校や社会人野球でプレー後、1950年に大映スターズへ入団。1年目から外野のレギュラーを獲得し、下位打者として93試合に出場した。1952年は控えとして、代打や守備交代などでの途中出場が多かったが、翌年からはレギュラーに戻った。1956年は再び控えの外野手になり、この年限りで引退した。 1955年5月24日の毎日×大映戦(後楽園球場)、大映は毎日の荒巻淳投手にノーヒットノーランに押さえられるも、毎日も点が入らず0-0のまま延長戦、そして延長11回1死に増田がヒットを打ってノーヒットは途絶え、その後抑えられてた大映打線が息を吹き返して4-0で勝利した(「延長でノーヒットが途絶えた」で「最終的に4点差」は最多得点差)。
別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992… 別所直樹(べっしょ なおき、1921年8月16日 -1992年)は、詩人、評論家。シンガポールにて生まれる。原籍地は宮城県。 母の築地藤子は、アララギの歌人であり、斎藤茂吉、島木赤彦などと親交があり同時代に活動していた。 上智大学経済学科卒業後、新聞、雑誌記者を経て文筆生活に入る。1938年頃から「アララギ」に短歌を寄せ、土屋文明の門にあったが、同時に現代詩にも手を染め、次第に短歌から遠ざかる。「日本詩壇」「若草」に投稿。1943年太宰治の知遇を得、その死までの5年間を師事する。「鱒」「詩行動」「新日本詩人」「文学者」にも寄稿。「灰」主宰。 太宰治との親交にかかわる逸話として、戦時中の物資不足の折、酒が手に入ったとの報に仲間達と共に太宰のもとに集まりささやかな宴の最中、直樹は、誤って酒をこぼしてしまい、ひたすら恐縮する別所に対し太宰は次のように語ったという。
小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 20… 小野 協一(おの きょういち、1921年8月16日 - 2002年10月18日)は、日本の英文学者。 和歌山県新宮市出身。1944年東京帝国大学文学部英文科卒。1951年東京外国語大学講師、助教授、教授、1984年定年退官、名誉教授、和光大学教授、鶴見大学教授。1992年退職。ジョージ・オーウェルが専門。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 19… 幾瀬 勝彬(いくせ かつあき、1921年8月15日 - 1995年4月21日)は、日本の小説家、推理作家。旧姓は長島。 北海道出身。札幌第二中学(現北海道札幌西高等学校)を経て、早稲田大学文学部国文科に入学。大東亜戦争の戦況拡大により繰り上げ卒業して、海軍飛行科予備学生となる。ラバウルで終戦を迎えて1946年に復員後はNHK、ニッポン放送に勤務。 1970年、長編「ベネトナーシュの矢」が第16回江戸川乱歩賞の最終候補となる(受賞作は大谷羊太郎の『殺意の演奏』)。これを改題した『死を呼ぶクイズ』を翌1971年に刊行。以後も、A・E・W・メースン、エラリー・クイーンなどの影響を受けた本格志向の作品を発表。
野辺地 正之(野邊地正之、のべち まさゆき、1921年8月1… 野辺地 正之(野邊地正之、のべち まさゆき、1921年8月15日-2005年2月2日)は、日本の心理学者。東京府(現中野区)出身。同志社大学卒業。1966年「自我の変容に関する心理学的研究」で京都大学教育学博士。同志社大学文学部助教授、教授。1992年定年退任、名誉教授。1998年勲三等瑞宝章受勲。
増井 敬二(ますい けいじ、1921年8月14日 - 200… 増井 敬二(ますい けいじ、1921年8月14日 - 2007年9月21日)は、オペラ評論家、音楽ディレクター。 東京出身。慶應義塾大学経済学部卒。1946年、NHKに入社し音楽ディレクターを務める。またラジオのステレオ音楽番組を創始した。1958年、第10回イタリア賞を受賞。NHKを定年退職後は音楽評論の他、神奈川大、横浜国大、武蔵大、東京声專音楽学校で講師を務めた。
小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月… 小平 芳平(こだいら よしへい 1921年(大正10年)8月13日 - 2001年(平成13年)6月18日)は、日本の政治家、宗教家。参議院議員(4期)。 長野県生まれ。1936年、高等科2年を卒業、造り酒屋に奉公、1937年愛知県名古屋市で水道局に勤める傍ら、夜学に通い、中学卒業検定試験に合格。1941年(昭和16年)春、上京し、中央大学に通う。 同年秋、時習学館の新聞の講師求人広告に応募し、創価教育学会の牧口常三郎に出会い、入会する。その後、学徒出陣で、徴兵検査を受け、入隊、終戦を迎える。 戦後、復員すると、創価教育学会から名前を改めた創価学会で、教学部長、機関誌『大白蓮華』編集長などを歴任。
若林 實(わかばやし みのる、1921年8月13日 - 20… 若林 實(わかばやし みのる、1921年8月13日 - 2009年1月17日)は、日本の建築構造学者。京都大学名誉教授、専門は脆性構造耐震、鉄骨鉄筋コンクリート構造。 東京都出身。東京大学生産技術研究所本所第5部助手(1951年~1957年まで)京都大学防災研究所教授、財団法人日本建築総合試験所所長などを歴任した。 著書に、『鉄骨の設計』(大学講座建築学構造編)『新建築学大系 42 合成構造の設計』『耐震建築の設計』『鉄骨構造学詳論』など。 1992年、日本建築学会賞大賞受賞。1995年、勲二等瑞宝章を受章。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
松本 昇三(まつもと しょうぞう 1921年8月12日 - … 松本 昇三(まつもと しょうぞう 1921年8月12日 - 1996年9月4日)は朝日放送元プロデューサー。 「お笑いの昇ちゃん」と言われるほど演芸、お笑い番組を多数手がけた。 大阪松屋町筋の生まれ、子供のころ母に連れられ近所にあった松竹館という寄席に漫才や落語を見に行ったことで興味を持つようになる。 慶應義塾大学法学部に入学、学生時代も四谷の下宿先から大学に通わず近所にあった喜よしという寄席に足繁く通った。 1946年に大学卒業、卒業後も就職せずに大阪戎橋松竹の楽屋に出入りし芸人らと交友を持つようになる。 1951年、戎橋松竹をラジオ中継していた朝日放送に学芸部員として入社、寄席の中継番組などを携わる。
小川 岩雄(おがわ いわお、1921年8月12日 - 200… 小川 岩雄(おがわ いわお、1921年8月12日 - 2006年6月13日)は、日本の物理学者(核物理学)。理学博士(1962年)。立教大学名誉教授。電気工学者の小川一清は父。 東京都生まれ。1943年、東京帝国大学理学部物理学科卒業。1962年 理学博士。学位論文:「グリッド電離箱による核反応の角度分布の新しい測定法 」。 海軍兵学校教官、東京大学助教授、立教大学理学部物理学科教授を経て、立教大学名誉教授。 湯川秀樹の甥にあたる。 海軍兵学校教官時に江田島で広島への原爆投下を目撃、核物理学者の使命として反核兵器を貫く。 湯川秀樹、朝永振一郎とともに第1回パグウォッシュ会議に参加。それ以降十数度にわたり同会議へ参加。
永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 201… 永戸 多喜雄(えいと たきお、1921年8月11日- 2010年9月12日)は、フランス文学者。 フランス文学者永戸俊雄の子。東京出身。府立六中(現都立新宿高等学校)を経て慶應義塾大学文学部仏文科卒、同経済学部教授、経済学部長を務め、1987年定年退任、名誉教授。サルトルの翻訳をおこなった。 2010年9月12日、心不全のため89歳で死去した。
吉原 三郎(よしはら さぶろう、1921年 <大正10年> … 吉原 三郎(よしはら さぶろう、1921年 <大正10年> 8月10日 - 2008年 <平成20年> 2月3日)は、日本の経営者、銀行家。千葉興業銀行頭取を務めた。位階は従五位。 千葉県出身。1946年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、1948年5月に千葉銀行に入行。1952年1月に千葉興業銀行に転じ、1963年5月に取締役に就任し、1975年11月には頭取に昇格。1986年6月に会長、1996年6月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章。 2008年2月3日急性心筋梗塞のために死去。86歳没。死没日付をもって従五位に叙された。
韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年… 韓 建洙(ハン・ゴンス、朝鮮語: 한건수/韓建洙、1921年8月10日 - 1994年8月5日)は、大韓民国のジャーナリスト、政治家、実業家。 第6・8・9・10代韓国国会議員。本貫は清州韓氏、号は鳳巌(ボンアム、봉암/鳳巖)。 元の名前の漢字表記は韓 鍵洙(ハングル表記同じ)であったが、煩雑であったため第2代総選挙の後は金偏のない「韓 建洙」の名前を選挙区民宛のハガキと手紙に使用した。その後は裁判所により改名許可を受けた。 日本統治時代の忠清南道礼山郡に生まれた。礼山農業学校(現在は廃校)を卒業後に渡日し、早稲田大学法学科を卒業した。 世界日報社編集局次長、批判新聞の主筆などを務めた後、1948年より監察委員会(2022年現在は監査院)情報課長、調査課長、1951年より政界公論主筆、1952年より弘益大学校事務処長を務めた。
泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月1… 泊谷 裕夫(とまりや やすお、1921年(大正10年)8月10日 - 1991年(平成3年)10月5日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 北海道幌別郡、現在の登別市出身。1944年(昭和19年)日本国有鉄道札幌鉄道教習所運輸高等科を修了。 北海道大学医学部附属登別分院勤務、室蘭駅助役、副鉄道官補、運輸事務官、国鉄労働組合北海道地評議長、全北海道労働組合協議会議長、北海道交通運輸労働組合協議会議長、北海道産業教育審議会委員、北海道環境衛生適正化審議会委員、札幌陸運局自動車運送協議会委員、北海道開発審議会委員などを務めた。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙で北海道第1区から日本社会党公認で出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 194… 池田 久之(いけだ ひさゆき、1921年8月9日 - 1944年)は、長崎県出身のプロ野球選手(捕手)。
高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月… 高嶋 正彦(たかしま まさひこ、1921年〈大正10年〉8月9日 - 2004年〈平成16年〉7月8日)は、日本の農学者・経済学者。専門は農業経済学。農学博士(北海道大学)。北海道大学名誉教授、元釧路公立大学学長。位階は正四位。指導教授は松田武雄。門下生に出村克彦。 『北海道人物・人材リスト 2004 あ-そ』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
南 晋一(みなみ しんいち、1921年8月7日 - 1989… 南 晋一(みなみ しんいち、1921年8月7日 - 1989年9月29日)は、日本の化学者。大阪工業大学名誉教授。工学博士(大阪大学)。元応用化学教室担当。 専門は、工業化学・有機金属化学、電気化学。 1959年大阪大学大学院工学研究科応用化学専攻にて、工学博士(大阪大学)。松下電器産業(現:パナソニック)無線事業本部研究所などを経て、大阪工業大学工学部応用化学科教授として着任し、応用化学教室を担当。1989年大阪工業大学名誉教授。 大阪工業大学工学部応用化学科にて長きに渡り教鞭を執り、同学科開設後の初期の応用化学(特に、有機金属化学・電気化学)研究・育成に貢献した。 主な所属学会は、日本化学会、金属表面技術協会、電気化学協会、チタニウム懇話会。
朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 -… 朝倉 隆太郎(あさくら りゅうたろう、1921年8月7日 - 2002年10月21日)は、日本の地理学者・教育学者。 栃木県宇都宮市生まれ。1942年東京高等師範学校卒。1945年9月東京文理科大学地理学科卒、東京都立上野中学校(現東京都立上野高等学校)教諭。47年東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)教諭。51年東京教育大学助教授。56年文部省初等中等教育局長事務官、58年同教科調査官。1963年宇都宮大学学芸学部助教授、68年教養部助教授、70年教授、72年教育学部教授、74-78年宇都宮大学教育学部附属中学校校長、1979年筑波大学教授、85年定年退官、上越教育大学教授、87-89年上越教育大学附属中学校校長兼任、90年定年退官、名誉教授、豊田短期大学教授、94年学長。
遠藤 健一(えんどう けんいち、1921年8月7日 - 20… 遠藤 健一(えんどう けんいち、1921年8月7日 - 2008年9月8日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長を務めた。 東京都出身。1943年に法政大学を卒業し、1946年に東京出版販売に入社。1969年に取締役、1977年に常務、1979年に専務、1985年に副社長を経て、1987年6月に社長に就任。1991年6月に会長に就任し、1995年6月には顧問に就任。 2008年9月8日に急性心不全のために死去。87歳没。
若林 法雄(わかばやし のりお、1921年8月5日 - 20… 若林 法雄(わかばやし のりお、1921年8月5日 - 2006年4月14日)は、日本の経営者。野村不動産社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1944年に京都帝国大学経済学部を卒業。野村建設工業、安井建築設計事務所での勤務を経て、1961年1月に野村不動産に転じ、取締役に就任し、1963年1月に常務、1967年1月に専務を経て、1972年11月に副社長に就任し、1978年10月には社長に昇格。1981年12月に会長に就任し、1983年11月から1987年12月までに監査役を務めた。 2006年4月14日胆嚢癌のために死去。84歳没。
村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 201… 村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 2011年6月20日)は、日本の労働運動家。元全日本海員組合組合長。 大阪市生まれ。神戸高等商船学校(現神戸大学海洋政策科学部)航海科卒。新和海運出身、甲種船長。1956年全日本海員組合中央執行委員。1960年から1966年に教育部長を務め、機関誌『海員』の編集を担当。組合の先輩を紹介する物語を連載し、1966年に『海上労働運動夜話』(成山堂書店)として刊行した。1971年6月の海員組合第30回臨時大会で組合長に選出。1972年4月から7月の「賃上げ・人間性回復・合理化対策」のスローガンを掲げた92日間のストを指導。民社党員で同盟副会長(1972年1月~1981年1月)を務めたが、日本生産性本部との関係解消、政党支持自由化、全港湾など総評系組合との共闘、総選挙での共産党候補の推薦など海員組合の路線転換を推進した。
岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4… 岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長としてマダガスカル攻撃に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍大尉。 香川県綾歌郡山田村出身。税務署職員であった父が勤務していた愛媛県松山市に生まれる。四人兄弟妹の次男であった。岩瀬は父の転勤により、小中学校で三度の転校を経験した。入学した中学は滋賀県立膳所中学で、徳島県立池田中学に転入し、1938年(昭和13年)、中学4年で陸軍士官学校と海軍兵学校に合格した。海兵進学を選択し、1941年(昭和16年)3月に卒業した。岩瀬は海兵69期生で、このクラスは343名の同期生中223名が戦死している。
鎌田 英夫(かまた ひでお、1921年(大正10年)8月4日… 鎌田 英夫(かまた ひでお、1921年(大正10年)8月4日 - 2009年(平成21年)4月23日)は、日本の官僚。会計検査院事務総長や、会計検査院長を務めた。退官後、大成建設常任顧問。 愛媛県出身。海軍中将・鎌田道章の長男として生まれる。1947年(昭和22年)東京大学法学部政治学科卒業。同年10月会計検査院に入り、終戦処理検査第一課、法規改善課、管理課、出資検査第二課を各勤務。その後、第一局大蔵検査課調査官を経て、1962年(昭和37年)4月第五局上席調査官、1966年(昭和41年)1月官房会計課長、1967年(昭和42年)4月第二局参事官、同年7月第四局参事官、1969年(昭和44年)7月第五局参事官を歴任。
高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年… 高橋 国一郎(たかはし くにいちろう、1921年(大正10年)8月2日 - 2013年(平成25年)4月18日)は、昭和から平成時代の土木工学者。内務技師、建設技監。建設事務次官。日本道路公団総裁。 新潟県柏崎市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学工学部土木科を卒業後、内務省(土木局)に入る。 1945年(昭和20年)秋に復員し関東土木出張所に勤務。1950年(昭和25年)五十里ダム出張所長、1956年(昭和31年)関東地建4号国道、1958年(昭和33年)東京国道の両工事事務所長、1964年(昭和39年)高速道路課高速道路調査室長、1966年(昭和41年)地方道課長、国道第一課長、1970年(昭和45年)道路局長、1972年(昭和47年)建設技監、1974年(昭和49年)建設事務次官、1976年(昭和51年)日本道路公団副総裁、1978年(昭和53年)総裁を経て、1986年(昭和61年)辞任した。
山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日 - 2005… 山根 幸夫(やまね ゆきお、1921年8月2日 - 2005年6月24日)は、日本の東洋史学者。専門は明代史および中国近現代史。東京女子大学名誉教授。 兵庫県神崎郡越知谷村(現・神河町)に生まれる。1941年4月東京帝国大学文学部東洋史学科入学。同期の神田信夫(専門は清代史)とは後に共著を出版。1942年10月から1945年9月まで肺結核のため休学する。1947年9月に東京帝国大学卒業。同年10月、東京大学大学院特別研究生(文部省給費)に採用される。 1952年4月東洋大学文学部講師、1953年同助教授。1954年4月から4年間、公益財団法人 東洋文庫研究員をつとめ、1958年東京女子大学文学部助教授、東洋文庫兼任研究員となる。