瀧澤 三郎(たきざわ さぶろう、1923年8月4日 - 20… 瀧澤 三郎(たきざわ さぶろう、1923年8月4日 - 2004年6月9日)は、日本の経営者。東京都出身 1949年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋紡績に入社。1976年7月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1983年12月には副社長に就任した。1985年5月に社長に昇格した。病で倒れた茶谷周次郎の後任として就任し、繊維分野の高付加価値化を進め、フィルムやエンプラなどの非繊維分野の拡充にも力を入れた。1992年6月に会長に就任した。 日本繊維産業連盟会長、日本化学繊維協会会長、関西経済連合会副会長なども歴任した 1989年11月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲二等旭日重光章を受章した。
長澤 勝俊(ながさわ かつとし、1923年8月2日 - 20… 長澤 勝俊(ながさわ かつとし、1923年8月2日 - 2008年1月10日)は、日本の作曲家。 東京出身、日本大学芸術学部を卒業。作曲を清瀬保二に師事した。1964年、現代邦楽の演奏団体である日本音楽集団が設立された際、創設メンバーの一人となった。1990年、紫綬褒章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
中田 喜直(なかだ よしなお、1923年〈大正12年〉8月1… 中田 喜直(なかだ よしなお、1923年〈大正12年〉8月1日 - 2000年〈平成12年〉5月3日)は、日本の作曲家。本名は「喜直(よしただ)」。 『ちいさい秋みつけた』や『めだかの学校』、『夏の思い出』などを作曲した日本の職業作曲家の一人である。 父は『早春賦』で知られる作曲家の中田章。喜直は三男であり、兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次である。妻の中田幸子は、音楽出版ハピーエコーの代表であり、喜直の作品を多数出版している。甥は細野晴臣や大滝詠一と交流を持ち、大滝詠一のアルバム『大瀧詠一』の収録曲「おもい」のアレンジを手がけたことでも知られ、後にキングレコードのディレクターとなった中田佳彦 はいだしょうこは弟子で、中田の最後の愛弟子である。
菱山 泉(ひしやま いずみ、1923年8月1日 - 2007… 菱山 泉(ひしやま いずみ、1923年8月1日 - 2007年2月17日)は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は理論経済学。経済学博士(京都大学、1962年)。東京生まれ。 スラッファ経済学研究の大家として有名である。 1949年、京都大学経済学部卒業。1954年、京都大学経済学部講師、1957年11月、同助教授。1962年「重農学説と経済表の研究」により、経済学博士(京都大学)。1967年2月、同教授。1972年5月、京都大学経済学部長(1973年1月まで、1977年1月から1977年5月まで)。1987年、退官、京都大学名誉教授。同年、大阪産業大学経済学部教授。 1992年、福井県立大学経済学部教授。
柴田 光男(しばた みつお、1923年8月ー2006年1月2… 柴田 光男(しばた みつお、1923年8月ー2006年1月22日)は、日本の刀剣鑑定家。 栃木県鹿沼市生まれ。俳号・伯水。藤代義雄に刀剣鑑定を学ぶ。美術刀剣商、鑑定家。文化財保護委員会刀剣価格査定委員、東京国税局刀剣価格査定委員、日本美術刀剣保存協会評議員、全国刀剣商業協組前理事長、テレビ東京「開運!なんでも鑑定団」に鑑定士として出演。(株)刀剣柴田会長。
黒川 俊雄(くろかわ としお、1923年7月31日-2013… 黒川 俊雄(くろかわ としお、1923年7月31日-2013年3月19日)は、日本の経済学者。
鍛冶 千鶴子(かじ ちづこ、1923年7月31日 - 201… 鍛冶 千鶴子(かじ ちづこ、1923年7月31日 - 2018年4月8日)は、日本の弁護士、著作家。日本婦人法律家協会会長、国民生活センター会長、市川房枝記念会理事長などを務めた。 熊本県阿蘇古城村出身。両親は教師。1936年に熊本第二高等女学校入学、3年生のときに、日本初の女性弁護士が3人(中田正子、久米愛、三淵嘉子)誕生という新聞記事に接する。同年父親を亡くす。 1942年、当時としては女性に法律専門家としての教育を唯一行っていた明治大学専門部に入学。太平洋戦争の激化で一時帰郷した後、1947年に明治大法学部に入学。大学同級生だった鍛冶良堅(明治大教授)と1950年に結婚し、後に一児をもうけた。
沼田 鈴子(ぬまた すずこ、1923年7月30日 - 201… 沼田 鈴子(ぬまた すずこ、1923年7月30日 - 2011年7月12日)は、日本の平和運動家。広島市への原子爆弾投下での被爆者の1人。被爆により左脚を失い絶望に陥ったところを、被爆アオギリを見て生きる希望を取りもどし、切断障害を抱えた身でありながら被爆体験証言活動と平和運動に心血を注いだ。証言活動では被爆アオギリのことを多く語ったことから「アオギリの語り部」として知られる。広島市原爆被害者の会の元副会長、広島を語る会の元会員。大阪府出身。
渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月… 渡辺 美智雄(わたなべ みちお、1923年〈大正12年〉7月28日 - 1995年〈平成7年〉9月15日)は、日本の政治家。 千葉県習志野市生まれ、栃木県那須郡川西町(黒羽町を経て2005年以降大田原市)育ち。 自由民主党政務調査会長(第33代)。衆議院議員(11期)、厚生大臣(第54代)、農林水産大臣(第2代)、大蔵大臣(第81代)、通商産業大臣(第45代)、副総理兼外務大臣(第114代)を歴任。中曽根派を継承して渡辺派を率いた。従二位勲一等旭日桐花大綬章。「ミッチー」の愛称で親しまれた。 長男は、元参議院議員、元衆議院議員、第7・8代内閣府特命担当大臣(金融担当)、第7代内閣府特命担当大臣(規制改革担当)、初代みんなの党代表の渡辺喜美。
玉井 収介(たまい しゅうすけ、1923年7月28日 - 1… 玉井 収介(たまい しゅうすけ、1923年7月28日 - 1999年12月27日)は、日本の教育心理学者・特殊教育学者。 岐阜県出身。1948年東京帝国大学文学部心理学科卒。国立精神衛生研究所、国立特殊教育総合研究所、帝京大学文学部教授。国立特殊教育総合研究所名誉所員。1978年特殊教育功労者。没後従四位勲四等旭日小綬章受勲。
山本 弘文(やまもと ひろふみ、1923年(大正12年)7月… 山本 弘文(やまもと ひろふみ、1923年(大正12年)7月28日 - 2012年(平成24年)8月28日)は、日本の経済学者。法政大学名誉教授。 1923年(大正12)東京都生まれ。東京帝国大学経済学部在学中に学徒動員。敗戦で4年に渡りシベリア抑留された。ウィーン大学研究所、法政大学博士号(経済学博士)。法政大学学生部長、法政大学経済学部長、法政大学常務理事、法政大学名誉教授を歴任。 2012年(平成24)8月28日死去、89歳没。 近世交通史と比べるとやや遅れがちであった近代交通史の研究を牽引し、薩摩藩政改革史、とりわけ琉球沖縄の近世経済史に初めて科学的なメスを入れ、優れた先駆的な業績を数多く残した。
大辻 清司(おおつじ きよじ、1923年7月27日 - 20… 大辻 清司(おおつじ きよじ、1923年7月27日 - 2001年12月19日)は、日本の写真家、教育者。 東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区大島)の機械技師の家に生まれる。東京府立第七中学校(現・東京都立墨田川高等学校)を経て、1942年に東京写真専門学校(現・東京工芸大学)に入学。在学中の1943年に学徒出陣により陸軍に応召され、終戦を迎える。(終戦後、東京写真専門学校から1944年9月卒業の認定を受けた)復員後、写真スタジオでの仕事、雑誌(『家庭文化』など)のための写真など、主として商業写真の分野で活躍。 1949年以降、東京美術文化展に出品する(1952年まで)。その後、実験工房(1953年)やグラフィック集団(1953年)に参加。
宗森 信(むねもり まこと、1923年〈大正12年〉7月27… 宗森 信(むねもり まこと、1923年〈大正12年〉7月27日 - 1995年〈平成7年〉7月13日)は、アメリカ合衆国ネバダ州リノ市出身の環境学者。生後まもなくして、両親の地元である岡山県真庭市久世町へ移住。大阪府立大学(現:大阪公立大学)工学部名誉教授。日本初の『環境』を冠とした研究室を開設したことで知られている。 1923年(大正12年)、アメリカ合衆国ネバダ州リノ市で岡山県真庭郡久世町出身の両親の元に出生する。その後、1924年、宗森が小さいときに、アメリカではアジアからの移民を排除する法律(Johnson-Reed移民法、通称:排日移民法)が施行、黄色人種差別が起こり、多くの日系人が帰郷する。
内田 忠夫(うちだ ただお、1923年(大正12年)7月25… 内田 忠夫(うちだ ただお、1923年(大正12年)7月25日 - 1986年(昭和61年)10月15日)は、日本の経済学者。専門は計量経済学。学位は、経済学博士(東北大学、1962年)(学位論文「計量経済学の方法とその日本経済への適用」)。東京大学名誉教授。正四位勲三等旭日中綬章。三重県川越町生まれ。 日本初のマクロ計量モデルを開発(渡部経彦(元大阪大学教授)らとの共同開発) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
杉岡 碩夫(すぎおか せきお、1923年7月25日 - 20… 杉岡 碩夫(すぎおか せきお、1923年7月25日 - 2011年4月6日)は、日本の経済学者。専門は中小企業論。日本でいち早く地域主義を唱えた。 三重県生まれ。東京大学経済学部卒業。読売新聞社勤務、千葉大学法経学部教授、獨協大学経済学部教授、兵庫大学経済情報学部教授(1995年 - 1999年)などを経て、フリーの経済評論家。
斎藤 直輔(さいとう なおすけ、1923年〈大正12年〉7月… 斎藤 直輔(さいとう なおすけ、1923年〈大正12年〉7月24日 - 没年月日不詳)は、日本の運輸技官、気象学者。理学博士、技術士(応用理学部門)。元気象庁気象研究所予報研究部長、元上智大学理工学部教授。 新潟県新潟市南浜通1番町(現 新潟市中央区南浜通1番町)出身。1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1946年(昭和21年)9月に東北帝国大学理学部物理学科を卒業。 仙台管区気象台、新潟工業学校教官、新潟地方気象台、東京管区気象台、気象庁予報部電子計算室予報官、気象庁予報部予報課主任予報官を経て、1974年(昭和49年)4月に気象庁気象研究所予報研究部長に就任。
属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年… 属 正(さっか ただし、1923年7月24日 - 2022年9月6日)は、日本の経営者。山口県下関市出身。 1952年に九州大学理学部化学科を卒業し、同年に西部ガスに入社。1979年6月に理事に就任し、福岡支店長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1989年6月に社長に就任し、1993年6月には副会長に就任。1998年6月から相談役を務めた。 1993年から2004年までに九州生産性本部会長を務めた。 1990年11月に藍綬褒章を受章し、2001年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2022年9月6日、老衰のため死去。99歳没。
岡崎 敬(おかざき たかし、1923年7月22日 - 199… 岡崎 敬(おかざき たかし、1923年7月22日 - 1990年6月11日)は、日本のアジア考古学者。九州大学名誉教授。 奈良県出身。1944年京都帝国大学文学部東洋史学科卒。京都大学大学院(旧制)修了。1979年「東西交渉の考古学」で九州大学文学博士。1952年名古屋大学助教授、1960年九州大学文学部助教授、1972年教授。1987年定年退官、名誉教授。1986年紫綬褒章受勲。イラン、敦煌を調査。
茅野 弘(ちの ひろし、1923年7月22日 - 2002年… 茅野 弘(ちの ひろし、1923年7月22日 - 2002年3月28日)は、日本の実業家。カメラメーカーのチノン株式会社創業者。 長野県諏訪郡宮川村(現:茅野市宮川)出身。宮川尋常高等小学校を卒業後、上京し鉄工所で10年間働き、光学機器製作技術を習得して独立。 1948年に守屋精治、木村正浩とともにチノン株式会社の前身「三信製作所」を創業した。業績悪化で150人の希望退職を募った1993年、代表取締役から名誉相談役に退く。経営再建のため1997年のコダック傘下入り決定を伝えた石城祐吉社長(当時)に対し、「チノンという名前を残してくれたことは良かったと思っている」と語ったという。 チノン元常務で諏訪護国神社元宮司の茅野光英(ちの みつふさ、2006年4月9日没)は実兄。
大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21… 大塚 仁(おおつか ひとし、1923年〈大正12年〉7月21日 - 2020年〈令和2年〉12月23日)は、日本の法学者。専攻は刑法。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1962年)(学位論文「間接正犯の研究」)。名古屋大学名誉教授。 群馬県勢多郡桂萱村(現・前橋市)生まれ。 福田平と共に団藤重光の指導を受ける(指導教授であった小野清一郎が公職追放となったための措置であり、もとは団藤の弟子でなかった)。同い年の福田平とはその後も深い親交を保った。また、福田とともに長く司法試験委員を務め、その著書は司法試験の基本書とされた。妻は弁護士で朝日大名誉教授の大塚錥子で、民法・環境法学者の大塚直(早稲田大学教授)は息子。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
今田 智憲(いまだ ちあき、1923年7月20日 - 200… 今田 智憲(いまだ ちあき、1923年7月20日 - 2006年6月23日)は、日本の映画プロデューサー。東映アニメーションの社長と会長、東映ビデオの社長を務めた。広島県東広島市西条町出身。 東映社長だった岡田茂の盟友。自宅も近所の幼馴染で、今田の家も酒樽の製造元であった。岡田と小学校から進学・就職とともに歩み、旧制広島一中(現・広島国泰寺高校)、東京商科大学(現・一橋大学)予科を経て1946年東京産業大学(1944年に東京商科大学から改称、現一橋大学)卒業、1947年東京急行電鉄に入り同郷の先輩・黒川渉三が社長を務めていた東横映画(東映の前身の一つ)に誘われて移籍。東映では営業畑を歩き、東映動画(現・東映アニメーション)に移動すると、同社製作のテレビアニメや劇場アニメ作品(東映まんがまつり)の多くに製作・企画などで携わった。
村崎 憲雄(むらさき のりお、1923年(大正12年)7月2… 村崎 憲雄(むらさき のりお、1923年(大正12年)7月20日 - 2014年(平成26年)1月27日)は、日本の物理学者。警察庁科学警察研究所顧問も務めた。 電磁気学を専門とし、洋学書の邦訳を手掛けた。また、静電気に関する研究を多く行い、測定法や放電エネルギーの災害予測への利用を論じた。科学警察研究所としては道路上の事故の発生要因の研究、ドライブレコーダーの研究も行っている。
猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011… 猿谷 要(さるや かなめ、1923年7月19日 - 2011年1月3日)は、日本のアメリカ史研究者。東京女子大学名誉教授。
北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 200… 北村 甫(きたむら はじめ、1923年7月18日 - 2003年12月16日)は、日本のチベット学者。戦後のチベット学を牽引した。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所長。名誉教授。東洋文庫理事長。日本チベット学会会長。麗澤大学学長。 静岡県立静岡中学校を経て、1942年9月、静岡高等学校 (旧制)文科丙類卒業。同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に入学。しかし時局の悪化にともない1943年12月、学徒動員により名古屋・中部第13部隊に入営。1945年9月、復員。 同年10月、東京帝国大学文学部言語学科に復学。1948年3月、東京大学文学部言語学科卒業(卒業論文は「五體清文鑑における滿州字の表す西藏語の音韻について」)。
森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 20… 森嶋 通夫(もりしま みちお、1923年7月18日 - 2004年7月13日)は、日本の経済学者。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授、同校サー・ジョン・ヒックス教授、大阪大学名誉教授。イギリス学士院会員。大阪府出身。 1923年に大阪市に生まれるが幼少期は神戸に在住し、1936年に神戸市の本山第一小学校を卒業する。七年制の旧制浪速高等学校を卒業後、1942年10月に京都帝国大学経済学部に進学する。大学在学中の1943年、学徒出陣により、20歳で徴兵される。1943年12月大日本帝国海軍に入隊し、海軍通信学校を出た後、長崎の大村航空隊へ配属。暗号解読を担当する少尉として赴任した。大村航空隊では、通信将校として、数多くの特攻隊との通信、沖縄に向かった戦艦大和との通信、沖縄戦の通信などを担当した。
鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2… 鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2014年7月15日)は、日本の神道学者・歴史学者。宮内庁侍従職御用掛。皇學館大学名誉教授。 1923年、大阪府大阪市に生まれる。父春雄が神宮皇學館教授として赴任したため、伊勢で幼少期を過ごす。 宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)を経て、國學院大學予科、1946年同大学文学部史学科卒業。在学中に学徒出陣し、海軍中尉に至る。学部を卒業のあと、同大学院に進学、1955年より國學院大學日本文化研究所専任所員、また同大学講師として教壇に立つ。 1962年に再興された皇學館大學助教授として赴任、1965年には教授。1989年まで在職した(同名誉教授となる)。
菅野 弘夫(かんの ひろお、1923年7月16日 - 200… 菅野 弘夫(かんの ひろお、1923年7月16日 - 2009年11月23日)は、日本の元官僚。 1923年7月16日、福島県福島市出身。東京大学法学部政治学科卒業後に臨時人事委員会事務局(現在の人事院)に入職。総理府内閣総理大臣官房参事官、佐賀県厚生部長、環境庁長官官房秘書課長、総理府恩給局次長、恩給局長、人事局長などを務める。 1979年11月、第二次大平正芳内閣で総理府総務副長官(事務担当)に就き、鈴木善幸内閣に政権交代した後の1981年1月まで務めた。 総理府総務副長官退任後は国立公文書館館長を務め、1989年の平成改元に伴い、徳仁親王が皇太子となった時に宮内庁に入り、同年5月1日付で東宮大夫に就任。
登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日… 登坂 秀(とさか しげる、1923年〈大正12年〉7月15日 - )は、日本の政治家。渋川市長を務めた。 群馬県群馬郡豊秋村(現・渋川市)の農家に生まれる。旧制渋川中学校(現・群馬県立渋川高等学校)を経て1943年に東京高等農林学校(現・東京農工大学)農学科を卒業。同年農林省に入省。兵役を終えて復員後は一時群馬県農業会に勤務。農林省に復職し1971年には農林経済局課長補佐となる。統計情報部企画情報課在職中に渋川市長・石北正司の招きにより1973年に渋川市収入役に就任。 1981年、渋川市長選挙に立候補し初当選を果たす。1985年、渋川市長選挙に出馬し2回目の当選。1989年、渋川市長選挙に出馬し3回目の当選。
原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - … 原田 昇左右(はらだ しょうぞう、1923年7月15日 - 2006年7月2日)は、日本の政治家、元自由民主党衆議院議員。静岡県焼津市出身。愛称は「ハラショー」。元衆議院議員の原田令嗣は長男。正三位勲一等旭日大綬章。
福田 歓一(ふくだ かんいち、1923年7月14日 - 20… 福田 歓一(ふくだ かんいち、1923年7月14日 - 2007年1月7日)は、日本の政治学者。専門は、西欧政治思想史。東京大学名誉教授。
千住 鎮雄(せんじゅ しずお、1923年7月14日 - 20… 千住 鎮雄(せんじゅ しずお、1923年7月14日 - 2000年9月2日)は、日本の工学者。慶應義塾大学名誉教授、工学博士(慶應義塾大学、1960年)。
桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7… 桝田 三郎(ますだ さぶろう、1923年 <大正12年> 7月14日 - 2018年 <平成30年> 1月18日)は、日本の経営者、銀行家。伊予銀行頭取を務めた。位階は正五位。 愛媛県出身。1948年に京都大学経済学部を卒業し、同年4月に伊予銀行に入行。1971年10月に取締役に就任し、1978年2月に常務、1979年12月に専務を経て、1983年6月には頭取に就任。1991年6月に会長に就任し、1996年6月には相談役に就任。 1988年11月に藍綬褒章を受章し、1995年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2018年1月18日急性心臓死のために死去。94歳没。死没日付をもって正八位から正五位に進階した。
中島 章(なかじま あきら、1923年7月14日 - 201… 中島 章(なかじま あきら、1923年7月14日 - 2017年)は、日本の眼科学者。 熊本県出身。父は熊本県立医学専門学校教授および同校附属病院眼科部長を務めた中島實で、父が1928年から1930年まで欧米に留学(その直前は金沢医科大学教授)した時期には母とともに再び熊本に戻って暮らしたという。 東京帝国大学で1945年に薬学博士号を、1953年に医学博士号をそれぞれ取得した。1945年から1949年まで、東京大学医学部附属病院の眼科に勤務した。1949年から1954年まで、秋田県の花岡鉱山病院の眼科科長を務める。順天堂大学で1954年から1960年まで助教授、1960年から1989年まで教授に就任し、1989年に定年となり名誉教授となった。
平山 美智子(ひらやま みちこ、1923年7月14日 - 2… 平山 美智子(ひらやま みちこ、1923年7月14日 - 2018年4月1日)は、日本の声楽家(ソプラノ歌手)。 ブーレーズ、ケージ、クセナキスが彼女の為に作品を多く作っている。 1923年7月14日、 東京府東京市出身。1944年に東京音楽学校(現・東京芸術大学)を卒業。 1953年にイタリアへ渡り、サンタ・チェチーリア国立アカデミア(ローマ)及びキジアーナ音楽院(シエーナ)にて声楽を学ぶ。1957年にはオーストリアへ行き、モーツァルテウム音楽院(ザルツブルク)でヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作品の研究を始めたのを皮切りに、フーゴー・ヴォルフ以後の後期ロマン派音楽に探求の幅を広げるなど意欲的な音楽活動を展開する。
柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月1… 柴田 整一(しばた せいいち、1923年〈大正12年〉7月13日 - 1989年〈平成元年〉9月25日)は、日本の腎臓学者、内科医。医学博士。元国立病院医療センター臨床研究部長、帝京大学生物工学センター教授。 新潟県新潟市南大畑町(現 新潟市中央区南大畑町)の新潟医科大学内科学第二教室助教授・柴田経一郎の長男として出生。 1941年(昭和16年)3月に新潟中学校を卒業、1943年(昭和18年)9月に新潟高等学校を半年繰り上げ卒業、1947年(昭和22年)9月に東京帝国大学医学部医学科を卒業。 実地修練後、1948年(昭和23年)秋に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)に入局、1954年(昭和29年)6月に東京大学から医学博士の学位を取得、1956年(昭和31年)7月に東京大学医学部第三内科(教授:冲中重雄)助手に就任、1971年(昭和46年)2月に東京大学医学部第三内科(教授:中尾喜久)講師に就任、1977年(昭和52年)8月に東京大学医学部第三内科(教授:小坂樹徳)助教授に就任、1980年(昭和55年)1月に国立病院医療センター臨床研究部長に就任、1989年(平成元年)3月に定年退官、4月に帝京大学生物工学センター教授に就任。
高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月1… 高木 聖鶴(たかぎ せいかく、1923年(大正12年)7月12日 - 2017年(平成29年)2月24日)は、日本の書家。男性。位階は従三位。勲等は文化勲章。本名は高木 郁太(たかぎ いくた)。朝陽書道会会長、公益社団法人日本美術展覧会顧問、公益社団法人日本書芸院最高顧問、読売書法会最高顧問、文化功労者。 社団法人日本書芸院理事、読売書法会理事、読売書法会常任総務、社団法人日本美術展覧会常務理事、社団法人日本美術展覧会理事、社団法人日本美術展覧会参事などを歴任した。 1923年(大正12年)岡山県総社市出身にうまれる。その後、旧制岡山県立高梁中学(現:岡山県立高梁高等学校)へ進学し、同期には、環境化学の権威で大阪府立大学名誉教授となる宗森信がいた。
楠 兼敬(くすのき かねよし、1923年7月12日 - 20… 楠 兼敬(くすのき かねよし、1923年7月12日 - 2020年9月16日 )は、日本の自動車技術者。トヨタ自動車取締役副社長や、日野自動車工業取締役会長、中部インダストリアル・エンジニアリング協会会長等を歴任した。 福岡県福岡市生まれ。1946年東北帝国大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事し、1972年トヨタ自動車工業取締役特殊部品製造企画室長に昇格。1975年トヨタ自動車工業取締役生産管理部長。1978年トヨタ自動車工業常務取締役衣浦工場長、生産管理部、安全環境部担当。1982年トヨタ自動車工業専務取締役生産関係部門統括。 1984年からトヨタ自動車取締役副社長として、生技生産部門を統括し、好川純一を生産調査室トップに起用するなどし、工場でのトヨタ生産方式の徹底を推し進めた。
北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月1… 北条 浩(ほうじょう ひろし、1923年〈大正12年〉7月11日 - 1981年〈昭和56年〉7月18日)は、日本の海軍軍人、政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員(1期、1965年 - 1971年)、第4代創価学会会長。 前任会長の池田大作が執筆した小説『人間革命』の登場人物「十条潔」のモデルとなる。 神奈川県三浦郡葉山町生まれ。北条釐三郎の長男として生まれる。先祖は、後北条氏河内狭山藩初代藩主の北条氏盛(後北条氏第3代北条氏康の孫の一人)であり、その嫡流にあたる。ただし、祖父・北条氏恭が伊達政宗の子孫(伊達氏→堀田氏→狭山藩北条氏と養子入りした家系)であるため、男系の血筋上は伊達氏の末裔である。
木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2… 木村 久邇典(きむら くにのり、1923年7月11日 - 2000年4月12日)は、日本の新聞記者、作家、文芸評論家。 中央大学法学部卒業。朝日新聞社に入社後、山本周五郎の担当記者となり、のち山本の研究家として多くの著書を著した。 ほか軍人伝、小説などがある。
輪湖 公寛(わご きみひろ、1923年7月11日 - 200… 輪湖 公寛(わご きみひろ、1923年7月11日 - 2003年8月5日)は日本の裁判官。 長野県南安曇郡上野村(現松本市)生まれ。旧制松本中学(現長野県松本深志高等学校)、旧制松本高校文科を経て、東京帝国大学卒業。1948年司法修習生となり、1950年長野地方裁判所松本支部判事補等を経て、1971年最高裁判所調査官となる。1975年東京高等裁判所判事、1981年函館地方裁判所長、1983年仙台高等裁判所裁判長。1988年退官。1993年勲二等瑞宝章。 2003年(平成15年)9月19日付の官報号外(第219号)210頁の「弁護士名簿登録・登録換・登録取消 諸事項」において、同年8月5日付で死亡により弁護士名簿登録取消となっている。
飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。 栃木県足利市生まれ。旧制館林中学卒。慶應義塾大学在学中に徴兵され中国を転戦した。帰国後慶應に復学した後、かねてからの希望だった画家を志して東京藝術大学に入学、梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業した。その後は、池田龍雄らと制作者懇談会を結成し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画で彼なりのリアリズムを築き上げようとした。 1956年からのローマ留学の間、彫刻のコースで学び、さらにヴォルスの絵画やヘンリー・ムーアの抽象彫刻に衝撃を受けてそれまで描いてきた「リアル」に対する概念をゆすぶられた彼は、より外に開かれた、実感に近いものを求めて彫刻制作に転じ、ウィーンやベルリンなど主に欧州で活躍し、木や石を素材に各地の展覧会に出展した。
飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。
山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月… 山上 伊豆母(やまかみ いずも、1923年(大正12年)7月9日 - 2008年1月11日)は、日本の民俗学者。 京都府生まれ。父は神官、歌人の山上忠麿(1887年 - 1965年)。國學院大學卒、立命館大学卒、同志社大学大学院、帝塚山大学教養学部教授。1974年「古代祭祀伝承の研究」で國學院大學文学博士。1994年定年退任。
濱川 博(はまかわ ひろし、1923年7月8日 - )は、日… 濱川 博(はまかわ ひろし、1923年7月8日 - )は、日本の文芸評論家。長崎県生まれ。國學院大學卒。朝日新聞宮崎支部から鹿児島支局長。大妻女子大学教授を務めた。
庄司 永建(しょうじ えいけん、1923年(大正12年)7月… 庄司 永建(しょうじ えいけん、1923年(大正12年)7月6日 - 2015年〈平成27年〉9月15日)は、日本の俳優。本名:庄司 永建(しょうじ ながたけ)。娘はフリーアナウンサーの庄司麻由里。 山形県出身。上智大学卒業。 1948年(昭和23年)、民衆芸術劇場附属養成所を経て劇団民藝に入り、俳優デビュー。1970年(昭和45年)に民藝を退団してフリーとなる。プロダクションエムスリーを経て、希楽星に所属していた。 日活時代に3度共演した石原裕次郎の信任が厚く、『西部警察』での捜査係長・二宮武士警部補役が当たり役となる。 晩年は俳優業以外にも山形の民話の語り部として、故郷で毎年民話を伝承していた。
荒井 欣一(あらい きんいち、1923年7月6日 - 200… 荒井 欣一(あらい きんいち、1923年7月6日 - 2002年4月18日)は、日本のUFO研究者。 東京都生まれ。青山学院高等商学部卒業。 復員後、大蔵省勤務、書店経営を経て、不動産業の傍らUFOを研究していた。1955年に日本初の全国的UFO団体・日本空飛ぶ円盤研究会を結成する。2年後、各団体を結集して「日本空飛ぶ円盤研究連合」に発展させた。 ピー・プロダクションの庶務課長をつとめていたこともある。 1979年9月に日本のUFO研究活動の拠点として東京・品川にUFOライブラリーを開設した。 1995年4月に自宅兼貸ビルにUFO展示室をオープンした。著書に「UFO年鑑」「UFO遭遇事典」などがある。
柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 … 柏農山 勝栄(はくのうざん しょうえい、1923年7月6日 - 1958年5月16日)は、青森県南津軽郡大光寺町(現役当時、現・同県平川市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高木 勝栄(たかぎ しょうえい)。最高位は西前頭21枚目(1948年5月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は左四つ、寄り、吊り。 16歳の時上京し、元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1940年1月場所で初土俵を踏んだ。因みに、当初より四股名は、「柏農山」であった(以後は「國錦」を名乗った事もあったが、すぐに元の「柏農山」へ再改名している)。 体重90kgに満たない小兵で、身長もあまり高くなかったが、そうした身体上のハンディを克服して順調に出世。
鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5… 鈴木 敏通(すずき としみち、1923年〈大正12年〉7月5日 - 2008年〈平成20年〉3月15日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。陸士57期。第16代陸上幕僚長。 中学2年から仙台陸軍幼年学校に入校し陸軍士官学校へ進む。旧軍では歩兵。満州勤務の後、終戦直前は高知で陣地作りに従事した。復員し福井に帰郷後は旧制福井工専で電気を学び、エンジニアとして川崎の自動車会社に就職したが、1951年(昭和26年)12月に旧軍人組採用と同時に警察予備隊に1等警察士で入隊。以後、職種は通信科へ進むが、北部方面通信群長の他は、防衛や人事畑が主だった。 第13師団長、中部方面総監等を歴任し、第16代陸上幕僚長に就任。
石田 徳(いしだ いさお、1923年(大正12年)7月4日 … 石田 徳(いしだ いさお、1923年(大正12年)7月4日 - 2009年(平成21年)6月3日)は、昭和から平成時代の政治家。大分県杵築市長。杵築市名誉市民。 大分県出身。1952年(昭和27年)東京大学法学部卒業。農林省に入り、食糧庁総務課長、経済企画庁総合計画局審議官、1978年(昭和53年)農林水産省九州農政局長などを歴任。 1982年(昭和57年)から5期20年にわたり杵築市長を務めた。2004年(平成16年)11月、杵築市名誉市民に推挙された。2009年(平成21年)6月3日死去、85歳。死没日をもって正四位に叙される。