鬼 俊英(おに としひで、1914年〈大正3年〉6月3日 -… 鬼 俊英(おに としひで、1914年〈大正3年〉6月3日 - 1946年〈昭和21年〉)は昭和期の歌手。 福岡県山門郡山川村立山(現在のみやま市山川町立山)出身。神奈川県立湘南中学校を経て立教大学経済学部卒業。在学中は水泳選手としても活躍した。1939年(昭和14年)10月1日にテイチクから歌手デビュー。テイチクレコード盤の「空の勇士」、興亜行進曲など戦時歌謡中心に吹き込む。1941年にはキングレコードへ移籍。終戦後の1946年(昭和21年)、闇市に出回っていた航空機用のメチルアルコールを飲用し急逝。 妻は同じく昭和期の歌手である生島清美。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)… 堂垣内 尚弘(どうがきない なおひろ、1914年(大正3年)6月2日 - 2004年(平成16年)2月2日)は、日本の技術官僚・政治家。東日本学園大学(後の北海道医療大学)の名付け親でもある。学校法人東日本学園名誉理事長。位階勲等は、従三位勲一等瑞宝章。学位は、工学士(北海道帝国大学)。称号は、剣道範士。 札幌市出身。札幌一中(現北海道札幌南高等学校)を経て、1938年(昭和13年)北海道帝国大学(後の北海道大学)工学部土木工学科卒業(工学士)。海軍省建設局に勤務。復員を経て、1946年(昭和21年)北海道庁に勤務。その後北海道開発庁へ出向し、1965年(昭和40年)同庁事務次官となる。1967年(昭和42年)北海道開発庁退官。
森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4… 森 赫子(もり かくこ、1914年6月2日 - 1986年4月14日)は、日本の女優、作家。 東京府渋谷町猿楽生まれ。岩谷松平の孫。旧姓は岩谷。跡見高等女学校卒。伯母森律子の養女となる。1932年松竹蒲田撮影所に入り、映画女優でデビュー。1934年新派に転向、花柳章太郎の相手役として活躍。1939年映画「残菊物語」で花柳の相手役を演じた。1956年失明して引退。同年、失明寸前に書き上げた自伝「女優」を出版。ベストセラーになり「書きますわよ」の流行語を生んだ。同作は映画化された(女優 (1956年の映画))。
徳永真一郎(とくなが しんいちろう、1914年6月1日 - … 徳永真一郎(とくなが しんいちろう、1914年6月1日 - 2001年12月5日)は、歴史小説家。元毎日新聞編集局参与。本名は德永眞一。地域的には主に近江を舞台に、時代的には戦国時代および幕末を舞台に、歴史上の人物を描写した作品を発表し続けた。 香川県綾歌郡飯山町(現在の丸亀市)に生まれる。旧制高松中学校(現、香川県立高松高等学校)を卒業。 1940年に毎日新聞社入社。毎日新聞社鳥取支局長、大津支局長、学生新聞編集部長などの職を歴任した。学生新聞編集部に在籍中に連載した「少年三国志」が東映から映画化された。 1964年(昭和39年)に吉川英治賞を受賞。1969年(昭和44年)に55歳で退職。1971年(昭和46年)から1975年(昭和50年)までの4年をびわ湖放送局で常務の職にあった。
角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 200… 角屋 正隆(すみや まさたか、1914年6月1日 - 2008年4月29日)は、日本の経営者。東京出版販売(現在のトーハン)社長を務めた。新潟県出身。 1932年に東京堂に入社し、1934年に中央大学経済学部経済学科を卒業。1946年に日本出版配給を経て、1949年に東京出版販売に転職。 1961年5月に取締役に就任し、1967年に常務、1975年に専務を経て、1979年6月に副社長に就任し、1984年6月には社長に昇格。1987年6月には会長に就任。 2008年4月29日老衰のために死去。93歳没。
相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は… 相馬 皓(そうま あきら、1914年6月 - 1984年)は、日本の歴史家、歌舞伎研究家。 詩人・相馬御風の三男として東京に生まれる。祖父は衆議院議員の藤田茂吉。妹は日本文学研究者の相馬文子。糸魚川中学校(現・新潟県立糸魚川高等学校)卒業後、安田靫彦に日本画を学ぶ。また河竹繁俊に師事して歌舞伎を学ぶ。 NHK大河ドラマ『新・平家物語』『国盗り物語』『元禄太平記』『花神』の時代考証を手掛けた。
伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006… 伊福部 昭(、1914年〈大正3年〉5月31日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の作曲家。位階は従四位。 ほぼ独学で作曲家となった。日本の民族性を追求した民族主義的な力強さが特徴の数多くの管弦楽作品や、『ゴジラ』を初めとする映画音楽のほか、音楽教育者としても知られる。北海道出身。 1914年(大正3年)、北海道釧路郡釧路町(現・釧路市)幣舞にて、警察官僚の伊福部利三、キワの三男として生まれる。小学生の時、父が音更村の村長となったため、音更村に移る。同地でアイヌと接し、彼らの生活・文化に大きな影響を受けた。代表作の一つ、『シンフォニア・タプカーラ』(1954年)は、アイヌの人々への共感と、ノスタルジアから書かれたという。
村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2… 村山 修一(むらやま しゅういち、1914年5月30日- 2010年4月16日)は、日本の歴史学者。文学博士(京都大学・1961年)(学位論文「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」)。大阪女子大学名誉教授。皇族が歴代門主を務めた妙法院に残る膨大な文献史料類の翻刻に尽力し、『妙法院日次記』として刊行された。方広寺(京の大仏)は、江戸時代に妙法院の管理下にあったことから、それについての研究も行った。1987年勲三等旭日中綬章受章。 大阪市生まれ。1937年、京都帝国大学文学部史学科卒業。1961年、「日本中世都市生活の研究:特に中世京都の都市生活における社会と宗教との関係を顧慮しての」で京都大学より文学博士の学位を取得。
安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 -… 安藝ノ海 節男(あきのうみ せつお、1914年5月30日 - 1979年3月25日)は、広島県広島市南区宇品海岸出身で出羽海部屋に所属した大相撲力士。第37代横綱。本名は永田 節男(ながた たかお)。 双葉山定次の70連勝を阻止した「世紀の一番」で知られる。四股名は「せつお」だが、本名は「たかお」と読む。 広島県広島市南区宇品海岸の食料品商の家に生まれ、宇品尋常高等小学校を卒業後は家業を手伝う。1931年に市内で開催された関西中学校相撲選手権を観戦したところ、藤嶌にスカウトされて角界入り。1932年2月場所に出羽海部屋から“永田”の四股名で初土俵を踏む。序二段で「安藝ノ海」と改名すると、順調に昇進して1936年1月場所に新十両、1938年1月場所では、23歳で新入幕を果たした。
五味 彰(ごみ あきら、1914年5月29日 - 1991年… 五味 彰(ごみ あきら、1914年5月29日 - 1991年11月6日)は、日本の実業家。北海道拓殖銀行頭取を務めた。 北海道出身。1935年に小樽高等商業学校を卒業し、同年に北海道拓殖銀行に入行。取締役、東京支店長、常務、副頭取を経て、1977年10月に東条猛猪の後任として頭取に就任した。拓銀にとって、永田昌綽以来30年ぶりの生え抜き出身の頭取であった。1983年から会長を務めた。 北海道経済連合会副会長や札幌エレクトロニクスセンター理事長を歴任した。 1991年11月6日、心不全のために死去。77歳没。
三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 -… 三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 - 1943年9月23日)は、昭和時代の大相撲力士。浅香山部屋→井筒部屋所属。本名は有川 盛吉。最高位は十両5枚目。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市)出身。同郷の横綱であった三代目西ノ海の浅香山部屋に入門。1933年1月初土俵を踏む。間もなく師匠が亡くなり、井筒部屋に移籍する。1940年1月十両昇進。連続5場所その地位にあったが、1942年5月に幕下に落ちてから休場続きで、三段目まで落ちた1943年9月23日、現役のまま死去した。 錦江洋→三船浪→三舩浪
田坂 勝彦(たさか かつひこ、1914年5月28日 - 19… 田坂 勝彦(たさか かつひこ、1914年5月28日 - 1979年9月20日)は、日本の映画監督。広島県豊田郡沼田東村(三原市沼田東町)出身。兄は映画監督の田坂具隆。 尾道中学校(現広島県立尾道北高等学校)卒業後、百貨店勤務を経て、1937年に『明治一代女』のヒットで日活多摩川撮影所へ復帰した兄・具隆を追うように、日活京都撮影所監督部に入る。1942年に大映に移籍し、1952年に長谷川一夫主演の「勘太郎月夜唄」で監督デビュー。文芸作品を得意としていた兄とは違い、娯楽時代劇を多く撮った。 1964年の「夕日と拳銃」からテレビドラマの演出を手がけ、1965年に大映を退社。中小企業の経営の傍ら、1976年まで「銭形平次」「大岡越前」「水戸黄門」「伝七捕物帖(中村梅之助版)」など、テレビ時代劇の監督ローテーションに入っていた。
河部 利夫(かわべ としお、1914年〈大正3年〉5月27日… 河部 利夫(かわべ としお、1914年〈大正3年〉5月27日 - 2011年〈平成23年〉3月9日)は、日本の歴史学者。専門は東南アジア史。東京外国語大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。文学博士。 群馬県高崎市に生まれる。旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、旧制第二高等学校を経て、1938年(昭和13年)に東北帝国大学法文学部西洋史学科を卒業。 1939年(昭和14年)に東北大助手となり、1942年(昭和17年)よりタイへ留学。帰国後の1944年(昭和19年)に文部省民族研究所員となり、1945年(昭和20年)東京外事専門学校(1949年より東京外国語大学)教授に就任。1964年(昭和39年)にはアジア・アフリカ言語文化研究所教授を兼任。
満田 久輝(みつだ ひさてる、1914年5月27日 - 20… 満田 久輝(みつだ ひさてる、1914年5月27日 - 2006年3月10日)は、日本の農芸化学者。京都大学名誉教授。農学博士。専門は栄養化学、食品工学。大阪市出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
伊藤 恭一(いとう きょういち、大正3年(1914年)5月2… 伊藤 恭一(いとう きょういち、大正3年(1914年)5月27日 - 平成6年(1994年)8月9日)は、日本の実業家。二代目伊藤忠兵衛の長男。エルサルバドル共和国の繊維事業発展に貢献した。 昭和22年(1947年)に旧制神戸商業大学(現・神戸大学)を卒業し、大建産業に入社する。昭和25年(1950年)に呉羽紡績へ転じる。財務・管理部門を担当し、取締役、常務取締役、専務取締役を経て、昭和38年(1963年)に社長に就任した。その後、昭和41年(1966年)に呉羽紡績が東洋紡績に吸収合併されると、同社副社長となった。後に同社会長・相談役を歴任した。昭和58年(1983年)から伊藤忠兵衛基金理事長。
杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月… 杉原 丈夫(すぎはら たけお、1914年 <大正3年> 5月25日 - 1999年 <平成11年> 11月6日)は、日本の哲学者、民話研究家。位階は正四位。 福井県福井市出身。1940年京都帝国大学文学部哲学科卒、同大学院修了、1965年「様相論理学研究」で京都大学文学博士。1949年福井大学助教授、1957年教授、1976年定年退官、名誉教授、岡山大学教授となり、1980年福井県立博物館長に就任。1970年福井県文化賞、1983年郷土史研究賞「忠直配流―その説話と史実」で受賞、1987年勲二等瑞宝章受勲。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - … 沼田 稲次郎(ぬまた いねじろう、1914年5月25日 - 1997年5月16日)は、日本の法学者。専門は労働法。学位は、法学博士(立命館大学・論文博士・1952年)(学位論文「労働法原理の論理的構造」)。東京都立大学名誉教授。同大学第5代総長。 1914年、富山県高岡市出身。1938年、京都帝国大学法学部法律学科卒業。 大学院生の際に徴兵を受け、復員後の1946年に夕刊京都新聞社へ入社。同社では論説委員や労組委員長を歴任したが、1950年のレッドパージで退社を余儀なくされた。 1951年、東京学芸大学教授に就任し、翌1952年には(旧)東京都立大学へ移る。1952年、「労働法原理の論理的構造」で立命館大学より法学博士の学位を取得。
竹村 猛(たけむら たけし、1914年5月22日- 1987… 竹村 猛(たけむら たけし、1914年5月22日- 1987年6月24日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 長野県長野市出身。1943年東京帝国大学文学部仏文科卒。東北大学助教授、中央大学教授、1985年定年退任、名誉教授。19世紀フランス文学を専攻、多くの作品を翻訳した。 妻は杉田久女の次女・光子で(1941年結婚)、石一郎は義兄に当たる。
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年… 大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 1914年5月20日、福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。1921年、石川郡澤田小学校に入学。1924年、父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。1927年、私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。1932年、石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学法文学部芸術学専攻で川端康成らから指導を受ける。1934年、日本大学法文学部芸術学専攻を卒業。1935年、郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。
前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20… 前畑 秀子(まえはた ひでこ、1914年〈大正3年〉5月20日 - 1995年〈平成7年〉2月24日)は、日本の水泳選手、日本初のオリンピック女子金メダリスト(1936年 ベルリンオリンピック)。位階は従四位勲三等、栄典は瑞宝章、紫綬褒章、文化功労者。和歌山県伊都郡橋本町(現・橋本市)出身、結婚後は兵藤 秀子(ひょうどう ひでこ)として活動。戸籍名は「兵藤 ヒデ子」。橋本市名誉市民。 1914年(大正3年)和歌山県伊都郡橋本町で豆腐屋を営む家に生まれ、紀ノ川で泳ぎを覚える。尋常小学校5年生のとき女子50メートル (m) 平泳ぎで学童新記録を出し、高等小学校2年生のとき汎太平洋女子オリンピックに出場し100m平泳ぎで優勝、200m平泳ぎで準優勝した。
具 興南(ク・フンナム、朝鮮語: 구흥남/具興南、1914年… 具 興南(ク・フンナム、朝鮮語: 구흥남/具興南、1914年5月20日 - 1966年12月27日発見)は、大韓民国の教員、公務員、実業家、政治家。第3・4代韓国国会議員。本貫は綾州具氏(綾城具氏)。 日本統治時代の全羅南道和順郡生まれ、現在のソウル特別市西大門区出身。平壌崇実中学校、早稲田大学英文科卒。 ソウル公立農業学校の教員、交通部総務課長、ソウル大学校予科講師を経て、釜山に移り韓国通運の社長を務めた。外資モータープール協会会長を経て、1954年の第3代総選挙では自由党の候補として和順郡選挙区から国会議員に当選し、1958年の第4代総選挙でも同様に当選した。任期中の1956年に国会復興委員長を務め、和順郡綾州面一帯の干ばつを解消するために同郡寒泉面に貯水池の建設を主導した。
松若 正次(まつわか まさじ、1914年5月15日 - 没年… 松若 正次(まつわか まさじ、1914年5月15日 - 没年不明)は、昭和時代の大相撲力士。大阪府中河内郡柏原町(現柏原市)出身。中村部屋所属。本名は門下 正次。最高位は十両7枚目。得意技は突っ張り。 中村部屋に入門し、1934年5月場所で初土俵を踏む。順調に番付を上げ、1939年5月場所に十両に昇進。この場所は3勝12敗と大きく負け越し、1場所でその座を明け渡した。その後は勝ち越すことなく1940年5月場所に26歳で廃業した。
渡邊 善次郎(わたなべ ぜんじろう、1914年5月11日 -… 渡邊 善次郎(わたなべ ぜんじろう、1914年5月11日 - 1998年6月22日)は、日本の男性フィギュアスケート選手。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピック男子シングル日本代表。慶應義塾大学経済学部卒業。 この項目は、フィギュアスケート選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:フィギュアスケート/プロジェクト:フィギュアスケート)。
河合 正治(かわい まさはる、1914年5月10日 - 19… 河合 正治(かわい まさはる、1914年5月10日 - 1990年3月7日)は、日本の日本史学者。学位は文学博士。広島大学の名誉教授。専門分野は日本の中世史。 三重県鳥羽町に生まれる。1939年に広島文理科大学の史学科を卒業し、佐賀県女子師範学校の教員となり、愛知第二高等師範学校助教授・教授を経て、1946年9月に広島高等師範学校に赴任。同校の教授、広島大学文学部の助教授、教授。その後、1979年4月から1988年3月まで福山大学一般教育部教授を務めた。 中世武家社会の研究が専門であり、1965年1月25日付けで、博士論文「中世武家社会とその精神構造」で広島大学から文学博士の学位を授与される。その一方、廣島高等師範学校に赴任したことで、1947年以来数年間、魚澄惣五郎の指導を受け、共に瀬戸内海各地の実地調査を行い、毛利氏をはじめとする地域史研究にも取り組んだ。
古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - … 古賀 守(こが まもる、1914年(大正3年)5月9日 - 2003年(平成15年)4月28日)は、日本のワイン研究家。日本におけるドイツワインの権威。 長崎県佐世保市出身。生家は醸造家。東京農業大学農芸化学科を卒業後、1936年から1945年にドイツ遊学。ハイデルベルク、ライプツィヒ、ベルリンの大学で学んだ。 メッセで日本代表としてゲッベルス宣伝相の隣に座った経験も持つ。ベルリンにてドイツの敗戦を体験、捕虜交換のシベリア鉄道で帰国後、故郷近郊から長崎の原爆雲を目撃、日本の終戦も経験する。一時高校教諭を務めた後、カメラのライカ、医薬のメルクの日本輸入総代理店であったシュミット商会に入社、井上鍾社長の下、薬品部長から、初代ワイン部長となった。
嶋津 千利世(しまづ ちとせ、1914年5月9日 - 200… 嶋津 千利世(しまづ ちとせ、1914年5月9日 - 2000年12月28日)は、日本の女性問題研究家。島津千利世とも。 茨城県生まれ。1949年日本大学法文学部卒。群馬大学教育学部助教授、教授。80年定年退官。
浅井 太郎(あさい たろう、1914年5月8日 - 没年不明… 浅井 太郎(あさい たろう、1914年5月8日 - 没年不明)は、広島県出身の元プロ野球選手(内野手)。
上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年… 上田 稔(うえだ みのる、1914年5月8日 - 2011年9月17日)は、日本の官僚、政治家及び技術士(建設部門)。京都府京都市出身。自由民主党参議院議員(4期)。京都帝国大学工学部卒業。1986年、勲一等瑞宝章受章。従三位。
桂 章太郎(かつら しょうたろう、1914年5月8日 - 1… 桂 章太郎(かつら しょうたろう、1914年5月8日 - 1935年5月13日)は、日本の俳優である。本名松田 秀雄(まつだ ひでお)。日本映画データベースにおける「柱章太郎」は、単純な誤記である。満18歳で映画主演して以降、サイレント末期の剣戟映画における青年スターであったが、満21歳で戦死した。 1914年(大正3年)5月8日、東京府東京市京橋区八丁堀(現在の東京都中央区八丁堀)に生まれる。 1926年(大正15年)3月、旧制小学校を卒業し、同年4月、旧制・日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)に進学したが、満15歳になる1929年(昭和4年)、同校を中途退学して京都に移り、等持院の東亜キネマ京都撮影所に入社する。
芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991… 芝木 好子(しばき よしこ、1914年5月7日 - 1991年8月25日)は、小説家。
豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は… 豊田 尭(豊田堯、とよだ たかし、1914年5月6日- )は、西洋史学者。 奈良県生まれ。1939年京都帝国大学文学部史学科卒。60年「バブーフとその時代 フランス革命の研究」で京都大学文学博士。戦前は同志社大学予科と第三高等学校で教授を、戦後は京都大学助教授、1959年大阪大学文学部助教授、64年教授。78年定年退官、名誉教授。87年勲三等旭日中綬章受章。
宮崎 梧一(みやざき ごいち、1914年5月5日 - 200… 宮崎 梧一(みやざき ごいち、1914年5月5日 - 2003年3月5日)は、日本の弁護士。最高裁判所判事。千葉県出身。 旧制富山高校から1940年(昭和15年)に東京帝国大学法科を卒業。司法官試補、裁判官になり、札幌地裁、大阪地裁などに勤務。1944年(昭和19年)に陸軍に召集され中国に出征し、トップで見習士官となり、敗戦の時に法務中尉。終戦後はソ連にシベリア抑留され、モスクワ郊外で労働をさせられた。 復員後、「裁判官ではとても食えない」として1948年(昭和23年)に弁護士登録。目立つような事件が手掛けなかったが、離婚、遺産、借金などの市民のゴタゴタや刑事事件の国選弁護人などをしてきた。 1980年(昭和55年)2月5日に最高裁判所判事となる。
井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 199… 井筒 俊彦(いづつ としひこ、1914年5月4日 - 1993年1月7日)は、文学博士、言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、欧米において高く評価されている。
桝井 迪夫(ますい みちお、1914年(大正3年)5月4日 … 桝井 迪夫(ますい みちお、1914年(大正3年)5月4日 - 1992年(平成4年)6月11日)は、日本の英語学者・英文学者。 1914年、鳥取県生まれ。広島文理科大学で学び、1938年に卒業。卒業後は、広島高等師範学校教授に就いた。1945年被爆。 学制改革に伴い広島高等師範学校が1947年より広島文理科大学となると同大学助教授。1949年に広島文理科大学が広島大学に包摂されて以降は、同大学文学部教授。文学部長も務めた。1961年、学位論文『チョーサーの脚韻語の構造研究』を東京大学に提出して文学博士を取得。1978年に広島大学を定年退官し、名誉教授となった。 学界では、日本英文学会の評議員、理事を務めた。
前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 … 前田山 英五郎(まえだやま えいごろう、1914年5月4日 - 1971年8月17日)は、愛媛県西宇和郡喜須来村(現:愛媛県八幡浜市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。第39代横綱。本名は萩森 金松(はぎもり かねまつ)。 1914年5月4日に愛媛県西宇和郡喜須来村で生まれる。喜須木尋常高等小学校を卒業後、1928年に高砂一行が高知市へ巡業に来た際、体格の良い金松少年がいるのを見つけた高砂が自ら勧誘した。当時の金松少年は相撲に対して興味を示さなかったが徐々に気持ちが傾き、大工だった兄を頼って上京してその日の夜に高砂部屋へ入門、1929年1月場所で初土俵を踏んだ。金松は入門に関して自惚れのようなものがあり、自分より体の小さい力士がおり、それには勝てるだろうなどと思っていた。
川口 弘(かわぐち ひろし、1914年5月3日 - 1998… 川口 弘(かわぐち ひろし、1914年5月3日 - 1998年7月11日)は、日本の経済学者。中央大学名誉教授。中央大学元学長。専門はケインズ経済学、金融論。 ケインズ経済学とりわけ「一般理論」の解釈において評価が高い。当時有力なコンメンタールだった伊東光晴、宮崎義一著「コンメンタール一般理論」にも一般理論解釈を巡って批判を行った。(中央大学経済学会 経済学論纂 川口弘教授古希記念論文集参照)また、日本経済評論社から刊行されているポストケインジアン叢書第1期にも深く関与しており、自身も訳出していると同時に所属していた中央大学経済学部、商学部の教員が中心となって作業がなされた。 学説的にみてイギリス・ケインジアンに近い。
宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005… 宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は、北海道小樽市出身のスキージャンプ選手。宮島の表記もある。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)4年時にジャンプを始めた。中学卒業後、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)に進む。 高等商業学校在学中の1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピックに出場、31位だった。本人は「恥ずかしいばかりの成績」と不本意な結果だった。 当時主流だった両腕を前に伸ばして前傾するフォームではなく、現在において主流になっている両腕を身体に添えるフォームを用いていたという。
金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 199… 金子 孫市(かねこ まごいち、1914年5月2日 - 1996年7月5日)は、日本の教育学者。東京教育大学名誉教授。 福島県生まれ。会津中学校(現福島県立会津高等学校)卒、1939年東京文理科大学卒、46年同大学助手、1951年東京教育大学助教授、教授、1978年定年退官、名誉教授、文教大学教授。85年退職、インターカルト日本語学校校長。
加藤 光(かとう ひかる、1914年〈大正3年〉5月2日 -… 加藤 光(かとう ひかる、1914年〈大正3年〉5月2日 - )は日本のスーパーセンテナリアン、長寿の男性。2026年2月8日以降、日本国内の男性最高齢者である。 1914年(大正3年)5月2日、今の熊本県山鹿市生まれ。農林省に入省し、24歳の時に応召、陸軍第48師団配属となり当初は台湾に派遣された。その後太平洋戦争開戦劈頭4日目のフィリピン上陸作戦に参加しアメリカ軍と交戦、右足を負傷した。負傷から復帰した後はインドネシアのティモール島に駐留し、そこで終戦を迎えた。終戦による武装解除後は捕虜として野菜やサツマイモを育てる自活生活を送り、1946年5月に復員した。 帰国後も農林省に勤め、59歳で退職した。
清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 … 清水 正男(しみず まさお、1914年(大正3年)5月1日 - 2014年(平成26年)8月29日)は、日本の教育学者、信州大学名誉教授、松商学園短期大学第6代学長。専門は、教育学、特に学校図書館の研究や、教育工学的な視聴覚教育の研究などであった。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪中学校、長野師範学校から、東京高等師範学校に進み、1944年に東京文理科大学教育学科を卒業した。同年、下諏訪小学校訓導、東京高等師範学校教諭、1946年に北海道第一師範学校助教授を務めた後、東京学芸大学講師を経て、1951年に信州大学教育学部助教授となり、1968年に教授に昇任した。1970年に文部省在外研究員としてコロンビア大学、オハイオ州立大学に留学。
岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5… 岸本 英太郎(きしもと えいたろう、1914年〈大正3年〉5月1日 - 1976年〈昭和51年〉3月11日)は、日本の経済学者。元京都大学教授。学位は、経済学博士(同志社大学)。 岡山県出身。第六高等学校を経て1937年京都帝国大学法学部卒業。出版社などの勤務を経て1946年専修大学講師、1948年京都大学経済学部助教授、1952年より広島大学、岡山大学の助教授を併任。同年学位論文「社会政策論の根本問題」により同志社大学より経済学博士の学位を取得。1957年京都大学経済学部教授、1965年同学部長。専門は労働問題・社会政策論。大河内一男らと社会政策本質論争を行う。教授在職中に逝去。享年61。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
山本 荘毅(やまもと そうき、1914年5月1日 - 199… 山本 荘毅(やまもと そうき、1914年5月1日 - 1999年2月14日)は、日本の地理学者・陸水学者。専門は、地下水水文学。筑波大学名誉教授、東京成徳短期大学名誉教授。 1914年、千葉県銚子市に生まれた。千葉県立匝瑳中学校(現在の千葉県立匝瑳高等学校)、千葉県師範学校本科第2部、東京高等師範学校文科第四部(地歴)を経て、東京文理科大学地学科に入学した。地理学専攻で学び、1940年に卒業。 卒業後は南満州鉄道に就職して、地下水資源の開発にあたった。 戦後は農林省に技官として勤務し、アメリカ地質調査所へ留学。その後は地盤沈下調査事務所長も務めた。1952年、学位論文『満洲の地下水の水理地質学的研究』を東京大学に提出して理学博士を取得した。
名取 芳夫(なとり よしお、1914年4月30日 - 197… 名取 芳夫(なとり よしお、1914年4月30日 - 1975年4月2日)は、日本の元プロボクサー。山梨県北巨摩郡保坂村出身。戦前における日本および東洋ウェルター級チャンピオン。東京拳闘協会所属。日本ボクシング草創期の強豪。 北巨摩郡保坂村に生まれる。上京して錦城中学から正則高校へ進学、東京拳闘協会に入門する。1932年1月11日、英国の強豪エス・ハリーを3回TKOに破ってデビュー。頭脳派のテクニシャンで、原靖、平川末男、熊谷二郎ら日本の強豪のほか、ジョー・サクラメント、ファイティング・アボルトら比国の名選手も破る。 1934年12月25日、日本拳闘連盟主催の選手権大会で強打者佐藤利一に7回反則勝ち、日本ウェルター級王者となる。
金子 みつ(かねこ みつ、1914年4月30日 - 2005… 金子 みつ(かねこ みつ、1914年4月30日 - 2005年8月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。本名は金子光。 東京府出身。女子学院、聖路加女子専門学校(現聖路加国際大学)卒業。厚生省看護課長、東京大学助教授などを歴任。 1972年の衆院選で旧東京4区から立候補し初当選。連続当選6回。1990年に引退するまで、社会党副委員長(1986-1990年)などを務めた。1996年、新社会党結成に参加した。 「九条科学者の会」呼びかけ人を務めていた。 1991年、秋の叙勲で勲二等宝冠章受章。 1998年、キリスト教界における長年の功績が認められ日本キリスト教文化協会よりキリスト教功労者の表彰を受けた。
砧 一郎(きぬた いちろう、1914年4月30日 - 没年不… 砧 一郎(きぬた いちろう、1914年4月30日 - 没年不明)は、日本の翻訳家。本名は、福本 剛一郎(ふくもと ごういちろう)。 満洲国大連税関長・福本順三郎(大山郁夫の弟)の長男として生まれる。1936年北海道帝国大学理学部卒業後、日本化成工業入社。三菱化成工業勤務の傍ら、推理小説やノンフィクションを数多く翻訳した。 1970年代以降翻訳作品は確認されておらず、すでに故人と推定されるが、没年・死因は明らかではない。
高橋 輝彦(たかはし てるひこ、1914年4月29日 - 没… 高橋 輝彦(たかはし てるひこ、1914年4月29日 - 没年不明(1993年4月1日 - 2003年3月1日の間))は、神奈川県出身のプロ野球選手。 神奈川県立商工実習学校(現:神奈川県立商工高等学校)時代には春1回(1931年)、夏2回(1928年、1931年)甲子園に出場した。 その後、専修大学に進学し、遊撃手として活躍。1935年秋季の東都大学リーグ戦では打率.346をマークしている。また身長五尺五寸三分、体重十六貫五百匁で趣味は映画鑑賞だったと伝わる。 1936年、東京セネタースの結成に参加(そのため、専大を中退)。苅田久徳・中村信一・綿貫惣司と共に「百万ドル内野陣」と呼ばれる鉄壁の守備を形成した。
寺田 弘(てらだ ひろし、1914年4月29日 - 2013… 寺田 弘(てらだ ひろし、1914年4月29日 - 2013年3月7日)は、日本の詩人。 福島県生まれ。明治大学専門部卒、愛知教育大学事務局長、都民劇場常任理事。1991年から1993年まで日本詩人クラブ会長。1996年現代詩人会から先達詩人顕彰を受ける。2013年3月7日、老衰のため98歳で死去。
藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28… 藤井 精一(ふじい せいいち、1914年〈大正3年〉4月28日 - 1988年〈昭和63年〉1月11日)は、日本の政治家。前橋市長を務めた。 1914年(大正3年)、群馬県前橋市神明町(現・千代田町)に生まれる。旧制前橋中学校から新潟県立小千谷中学校に転校し、1932年(昭和7年)同校を卒業。 その後は前橋市役所に勤務し、税務課長、庶務課長、商工部長、総務部長を歴任。石井繁丸市長のもとで1971年(昭和46年)より前橋市助役を務める。 1978年(昭和53年)前橋市長選挙に立候補し初当選。1982年(昭和57年)と1986年(昭和61年)にも当選を重ねる。 市長在職中には市民体育館、文化会館、総合運動場、市庁舎の建設を実現した。
高須 清(たかす きよし、1914年4月28日 - 没年不明… 高須 清(たかす きよし、1914年4月28日 - 没年不明)は、愛媛県出身のプロ野球選手(二塁手、三塁手、遊撃手、外野手)。
山崎 完(やまざき ひろし、1914年 <大正3年> 4月2… 山崎 完(やまざき ひろし、1914年 <大正3年> 4月28日 - 2003年 <平成15年> 3月2日)は、日本の経営者。住友林業社長を務めた。位階は従四位。 東京都出身。1939年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、同年に住友鉱業(のちの住友金属鉱山)に入社。1965年11月に取締役、1969年6月には常務を歴任。 1972年に住友林業に転じ、専務を経て、1974年11月に社長に就任し、1984年12月に会長、1993年6月に取締役相談役、1994年6月に取締役を歴任した。日本木造住宅産業協会会長も務めた。 1990年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2003年3月2日、がん性悪液質のために死去。