桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月… 桂本 和夫(かつらもと かずお、 1934年(昭和9年)9月5日 - 没年不明)は、北海道増毛町出身のアマチュアレスリング選手およびプロ野球選手。メルボルンオリンピック5位入賞。 北海道留萌支庁増毛郡増毛町に生まれる。 北海道増毛高等学校ではレスリングで活躍しながら、野球部でもエースを務める二足の草鞋を履いた。中央大学へ進学するとレスリング専念し、選手として力を付けた。増毛高-中央大のラインは松江喜久弥の時代から始まり、中大レスリング部黄金時代の屋台骨となり、メルボルンオリンピック金メダリストの池田三男やメルボルン・ローマ両オリンピック4位入賞の浅井正、そして佐藤義らとともに高校時代に全国優勝を経験した。
宇田 誠(うだ まこと、1934年9月5日 - 2013年1… 宇田 誠(うだ まこと、1934年9月5日 - 2013年12月5日)は、広島県福山市出身の実業家。元広島銀行頭取、広島商工会議所会頭。 1934年、福山市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。 1957年、広島銀行に入行。以降広銀岡山支店長や取締役総合企画部長、専務営業総本部長など歴任する。 1994年、広銀頭取に就任すると、バブル崩壊以降の不良債権処理に尽力し経営安定に務め、海外路線に向かっていた銀行を地域重視路線へと舵取りし、広銀の再建に尽力した。1997年全国地方銀行協会副会長に就任。2000年頭取を退き広銀会長に、2006年広銀特別顧問に就任する。 また広銀会長時代の2004年、広島商工会議所会頭に就任した。
三輪晴啓(みわ はるひろ、1934年9月4日- )は、日本の… 三輪晴啓(みわ はるひろ、1934年9月4日- )は、日本のジャーナリスト、国際政治学者。 愛知県出身。1959年東京外国語大学ドイツ語科卒、NHK勤務、報道局・国際局プロデューサー、報道ネットワーク専門委員をへて、駒沢女子大学教授となり、2004年退職。東西ドイツ統一を報道、研究した。
林田 遼右(はやしだ りょうすけ、1934年9月4日 - )… 林田 遼右(はやしだ りょうすけ、1934年9月4日 - )は、日本のフランス文学者、千葉大学名誉教授。 満洲生まれ。東京教育大学卒業、同大学院修士課程修了。愛知教育大学助教授、千葉大学文学部教授。2001年定年退官。NHKテレビ・ラジオのフランス語講師、パリ大学等の日本語科講師などを務める。
太田 隆信(おおた たかのぶ、1934年9月4日 - )は、… 太田 隆信(おおた たかのぶ、1934年9月4日 - )は、日本の建築家である。元坂倉建築研究所代表取締役および元大阪芸術大学教授。台湾台北州基隆市生まれ。 1958年、早稲田大学理工学部卒業。同年、坂倉準三建築研究所に入所。1969年、坂倉準三建築研究所の発展に伴い坂倉建築研究所に改称。1994年、同研究所代表取締役大阪事務所長。1999年から2005年まで同研究所代表取締役。 1962年、大阪府青少年センターで、AIJ作品賞受賞、日本建築学会賞・作品賞(西澤文隆,山西嘉雄,吉田好伸らと)。国立オリンピック記念青少年センターで、1996年にBCS賞。2003年に営繕技術コンクール優秀賞。芦屋市民センタールナホールで、1998年JIA25周年記念賞、大阪市中央公会堂で2004年BCS特別賞、日本建築学会賞・業績賞。
長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日… 長部 日出雄(おさべ ひでお、1934年〈昭和9年〉9月3日 - 2018年〈平成30年〉10月18日)は、日本の小説家、評論家。ミュージシャンの大友康平は甥。 青森県弘前市出身。弘前市第一大成国民学校、弘前市立第三中学校、青森県立弘前高等学校卒業。早稲田大学第二文学部哲学科を中退し、読売新聞社に入社。1957年『週刊読売』記者となる。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らをいち早く評価し、彼らと交友する[要出典]。その後退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て、作家となる。 1973年『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』により、第69回直木賞を受賞。1979年『鬼が来た-棟方志功伝』により、第30回芸術選奨文部大臣賞を受賞。
米田 佐代子(よねだ さよこ、1934年9月3日 - )は、… 米田 佐代子(よねだ さよこ、1934年9月3日 - )は、日本の、女性史研究者、ノンフィクション作家。NPO平塚らいてうの会会長。らいてうの家館長。 1934年9月3日、6人兄弟姉妹の4番目、次女として東京で生まれる。父親は旧逓信省に勤めていた。1950年、それまで男子校だった長野北高校に入学。クラスでただ1人の女子だったという。高校2年で父の転勤で都立戸山高校に転入。しかし、1952年に父が亡くなる。1958年東京都立大学人文学部(史学専攻)卒業後、同大学助手を経て1990年より山梨県立女子短期大学教授、2000年3月定年退職。専攻は日本近現代女性史。平塚らいてうを中心に近代日本の女性運動と女性思想を研究した他、女性史を中心にノンフィクション著書多数。
宮本 まさみ(みやもと まさみ、1934年(昭和9年)9月2… 宮本 まさみ(みやもと まさみ、1934年(昭和9年)9月2日 - )とは、日本の飛込競技選手。1952年ヘルシンキオリンピックに出場した。 1934年9月2日、石川県金沢市に生まれる。石川県立金沢桜丘高等学校に入学後、1950年の第5回国民体育大会、1951年の全国高校選手権に出場した。1952年6月19日から行われた日本選手権では飛板飛込で104.98点を獲得し優勝、ヘルシンキオリンピックへの出場権を手にした。当時は大沢姉妹に次ぐ飛込界の新星と目された。高校3年生で迎えたヘルシンキオリンピックでは飛込競技の日本代表として参加し、飛板飛込では15位(46.88点)で予選敗退、高飛込では11位(36.24点)で予選敗退となった。
友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 20… 友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 2022年8月19日)は、兵庫県出身の俳人。本名は清。 神戸市灘区生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、甲南大学文学部卒業。大学在学中、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句。1957年「椰子会」を結成。1958年より「青」編集。1968年、「青」を辞し「雲母」入会、飯田龍太に師事。同誌同人。同人誌「椰子」創刊。1991年、椰子会代表。1992年、「柚」創刊に参加。1993年、廣瀬直人の「白露」創刊に参加。1998年「椰子」終刊。2012年「椰子会」解散。 1977年、第1回雲母選賞、1978年、第25回現代俳句協会賞、2006年、『雲の賦』で第6回俳句四季大賞、2009年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、2013年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞受賞、2018年、『海の音』で第52回蛇笏賞受賞。
川北 良造(かわぎた りょうぞう、1934年9月1日 - )… 川北 良造(かわぎた りょうぞう、1934年9月1日 - )は、日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては5番目の認定者(1994年認定)。 石川県出身。木の挽物の産地である山中町(現加賀市)に生まれ、木工芸家である父・川北浩一に師事。のちに氷見晃堂に師事。挽物の技術に秀で、伝統的で高度な技術を持つ。川北作品は挽物が中心なので作品は一枚の板からロクロで削りだした皿や椀など丸い形のもの、あるいは丸く作って辺を切るものなどシンプルなものが多く、回転ではできない指物によるような四角い箱型の物は少ない。材は欅を中心に桑・楓・黒柿・栃なども使う。近年では象嵌の技法も取り入れる。
牧野 哲大(まきの てつひろ、1934年9月- )は、日本の… 牧野 哲大(まきの てつひろ、1934年9月- )は、日本の料理研究家。人形作家。 愛知県一宮市生まれ。東京栄養食糧学校卒。同愛記念病院に栄養士として勤務。1960年に中原淳一主宰の雑誌『ジュニアそれいゆ』に料理記事を連載。女性週刊誌ではじめて料理をカラーグラビアで発表し、その後テレビ、ラジオ、新聞等でも活躍。ヨーロッパの事情に詳しく、料理と文学を結びつけるなど、ユニークな発想も得意。1962年からNHK「きょうの料理」に出演、日本初の男性料理評論家とも。人形作家としては銀座和光ギャラリーで、80年以降、仏蘭西人形の個展を8回行う。
戸田 禎佑(とだ ていすけ、1934年9月 - 2024年5… 戸田 禎佑(とだ ていすけ、1934年9月 - 2024年5月19日)は、日本の東洋美術史家、東京大学名誉教授。 千葉県出身。1953年東京都立両国高等学校卒、1957年東京大学文学部美術史卒、日本テレビ入社、同年退社。1959年大学院入学、1962年修士課程修了、博士課程中退、東京国立文化財研究所所員。 1971年東京大学東洋文化研究所専任講師、1972年助教授、1980-82年文献センター助教授併任、京都大学人文科学研究所助教授併任、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、明治大学、名古屋大学、東北大学、神戸大学、岡山大学、九州大学、東京芸術大学、お茶の水女子大学、千葉大学非常勤講師併任。1982年東京国立文化財研究所教授、1988年文献センター教授併任、1992年文学部美術史学科教授、1995年定年退官。
藤善 眞澄(ふじよし ますみ、1934年(昭和9年)9月-2… 藤善 眞澄(ふじよし ますみ、1934年(昭和9年)9月-2012年(平成24年)2月8日)は、日本の東洋史・仏教史学者。関西大学名誉教授。 1934年、鹿児島県鹿児島郡東桜島村大字湯之(現在の鹿児島市東桜島町)で生まれた。生家は浄土真宗本願寺派の光善寺であった。1953年、鹿児島県立鶴丸高等学校を卒業し、鹿児島大学東洋史学科に入学。同大学を卒業後、京都大学大学院に進学した。研究テーマは隋唐時代の末法思想であった。また、京都大学では森鹿三の指導により、中国歴史地理学についても研究することになった。1964年、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得後退学。 卒業後は、関西大学教授に就いた。1993年、学位論文『南山大師道宣傳の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。
川崎 紫明(かわさき しめい、1934年8月31日 - )は… 川崎 紫明(かわさき しめい、1934年8月31日 - )は、日本のピアノ指導者。能力開発実践研究家。旧姓は土井。ベルリンに留学後スズキ・メソードの開発者である鈴木鎮一や右脳開発第一人者であるグレン・ドーマン博士に傾倒し、長年にわたる脳科学の研究と実践により楽しく学びながら能力を最大限に引き出すためのメソッド「視覚と聴覚の統合学習法 川崎紫明音符ビッツ」を開発する。 1934年、父・土井俊一郎と母・ひで の6人兄弟の長女(兄3人に次いで長女)として大阪府高石市で生まれる。祖父母、父母、他大家族の中で寵愛の許に育てられた。特に祖父の土井宙からの愛情が厚く、「紫明」は祖父が命名した(山紫水明【山は紫に映え、水は明らかに澄む】の意)。
金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 20… 金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 2023年8月20日)は、日本のスポーツアナウンサー・コメンテーター。元毎日放送(MBS)・テレビ東京(TX)アナウンサー。神奈川県横浜市生まれ。愛称「ネコさん」。 横浜中学校・高等学校→中央大学法学部卒業後、1957年、毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社。1958年アジア大会サッカー日本代表の加茂豊(京都パープルサンガ元監督・加茂周の実兄)は毎日放送の同期であり、金子が日本サッカー界の要人との人脈を作るきっかけを与えた人物である。この経緯で、サッカーとの接点はMBS時代からあったが、MBS時代にサッカー中継を担当する事は一度も無かった。
久保田 政子(くぼた まさこ、1934年(昭和9年)8月30… 久保田 政子(くぼた まさこ、1934年(昭和9年)8月30日 - )は、青森県八戸市鮫町出身の画家。主に馬を題材にした油絵を描いている。女子美術大学卒業。 馬を描く画家として知られており、日本中央競馬会・競馬博物館メモリアルホールに、顕彰馬のトウショウボーイ、メジロマックイーン、タイキシャトルなどを描く。軍馬として徴用された馬への鎮魂の思いも込め、これまでに8,000頭以上の馬の絵を描いている。1990年以降は、青森県南の各神社に大絵馬を奉納。2005年以降は、等身大の馬の絵を描くため、廃校となった小学校での制作も行っており、銀座フォルム画廊、銀座松屋、八戸市のさくら野百貨店、青森県立美術館、八戸市美術館、東京芸術劇場(2015年4月)など各地で個展を開催した。
安宅 夏夫(あたか なつお、1934年8月29日 - 202… 安宅 夏夫(あたか なつお、1934年8月29日 - 2020年3月23日)は、日本の文筆家。本名、安宅敏雄。 石川県金沢市出身、慶應義塾大学文学部卒業。金沢市で18年間、高校の国語教員として勤務の傍ら短歌や詩の創作を行う。その後上京して文筆家となる。日本現代詩人会、大衆文学研究会会員。 2003年、『「日本百名山」の背景 深田久弥・二つの愛』で尾崎秀樹記念・大衆文学研究賞評論・伝記部門を受賞、2012年、第一回群系賞を野口存彌とともに受賞。 2020年3月23日、肺炎のため死去。85歳没。
竹内 敬人(たけうち よしと、1934年〈昭和9年〉8月28… 竹内 敬人(たけうち よしと、1934年〈昭和9年〉8月28日 -2024年〈令和6年〉3月31日 )は、日本の化学者。東京大学名誉教授、神奈川大学名誉教授。 東京生まれ。東京都立小山台高等学校卒、1960年東京大学教養学部教養学科卒業。1962年東京大学大学院理学系研究科修士課程修了。1967年理学博士。1962年東大教養学部助教授、1984年教授、1995年定年退官、名誉教授、神奈川大学教授、2005年退任、名誉教授。
田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静… 田村 満(たむら みつる、1934年8月28日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。 静岡県立富士高等学校から明治大学に進学するが、人間関係が原因で大学を中退。1954年に先輩の勧めで、新球団・高橋ユニオンズの春季キャンプにテスト生として参加し、実力を認められて高橋に入団した。 プロ2試合目の登板となった6月12日の対西鉄ライオンズ戦で8回表にプロ野球記録のイニング7与四球を記録した。この試合を最後に登板機会がないままシーズンを終了。シーズンオフに、球団から来期の契約を結ばない旨の通告を受けるが、投手コーチ・若林忠志の配慮により、2月にテストをするので、春季キャンプには参加するようにとの連絡を受ける。
藤井 秀樹(ふじい ひでき、1934年8月28日 - 201… 藤井 秀樹(ふじい ひでき、1934年8月28日 - 2010年5月3日)は、日本の写真家である。本名は秀喜(ひでき)。
加藤 隆久(かとう たかひさ、1934年〈昭和9年〉8月28… 加藤 隆久(かとう たかひさ、1934年〈昭和9年〉8月28日 - )は、神職、神道学者、神戸女子大学名誉教授。 岡山県生まれ。号・白鳳。父錂次郎が生田神社の宮司になり神戸に移住。甲南大学文学部国文科卒、國學院大學大学院神道学科博士課程満期退学。1986年「神道津和野教学の研究」で國學院大學文学博士。1961年生田神社神職。神社本庁常務理事を経て86年生田神社宮司。神社本庁長老。神戸女子大学文学部教授、家政学部教授、名誉教授。1997年神戸市文化賞受賞。2000年兵庫県文化賞受賞。2013年兵庫県県勢高揚功労賞受賞。神戸史談会会長、神戸芸術文化会議議長、神戸ビエンナーレ組織委員会会長、日本会議兵庫会長。
金田 昌司(かねだ まさし、1934年8月28日 - 201… 金田 昌司(かねだ まさし、1934年8月28日 - 2016年12月19日)は、日本の経済地理学者、中央大学名誉教授。専門は産業立地論を中心とした経済地理学であるが、第三セクター研究や、大学教育へのインターンシップの導入に関わる活動でも知られている。 中央大学に学び、村田喜代治ゼミの第1期生として、1958年に卒業した。 1960年、中央大学大学院経済学研究科博士課程在学中に経済学部助手に採用され、1963年に博士課程単位取得満期退学した後、1964年に専任講師、1966年に助教授、1972年に教授へと昇任した。1971年には、「経済立地と土地利用」により、中央大学から経済学博士を取得した。 中央大学では、大学院経済学研究科委員長(1989年 - 1991年)、図書館長(1996年 - 2000年)、評議員(1996年 - 2003年)などを歴任し、中央大学生活協同組合の理事長も務めた(1992年 - 1995年)。
細谷 昂(ほそや たかし、1934年8月28日 - )は、日… 細谷 昂(ほそや たかし、1934年8月28日 - )は、日本の社会学者。東北大学名誉教授。農村社会学など。 東京市生まれ。1957年東北大学文学部哲学科卒業。62年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北福祉大学講師。1963年東北大学教養部川内分校講師。66年助教授。77年教授。93年同情報科学研究科教授。98年定年退官、名誉教授、岩手県立大学総合政策学部教授。2005年退職。
興地 斐男(おきじ あやお、1934年〈昭和9年〉8月28日… 興地 斐男(おきじ あやお、1934年〈昭和9年〉8月28日 - 2022年〈令和4年〉7月14日)は、日本の物理学者。専門は理論物理学(磁性、界面)。大阪大学名誉教授。第54期日本物理学会会長。 1934年8月28日、兵庫県西宮市にて生まれた。1958年に大阪大学理学部数学科を卒業後、同物理学科に学士入学し、1960年に卒業した。同大学院理学研究科在学中に、東京大学物性研究所の助手に異動し、博士課程を中途退学した。博士課程取得後、1968年に大阪大学工学部の助教授に着任し、1984年に教授に昇任した。1997年に大阪大学の名誉教授になった。1997年から6年間、和歌山工業高等専門学校の校長を務めた。
大月 ウルフ(おおつき ウルフ、1934年8月27日 - )… 大月 ウルフ(おおつき ウルフ、1934年8月27日 - )、本名:ウルフ・ゲオルギー=ヘミング(Ulf Georgii-Hemming)は、日本の俳優。日本名は大月良雄(おおつき よしお)。青山学院大学卒業。
下垣内 洋一(しもがいち よういち、1934年8月26日 -… 下垣内 洋一(しもがいち よういち、1934年8月26日 - 2017年10月25日)は、日本の実業家。JFEグループの前身・日本鋼管 (NKK) の元社長。JFEホールディングス相談役で、初代社長だった。 NKKの営業のエースとして早くから社長候補と目されていたが、年次の都合で就任は三好俊吉社長の後を受け1997年に。しかし折りしもアジア通貨危機で鉄鋼需要は激減し業績が急速に悪化する。金融危機下でメーンバンクの富士銀行に余力はなく、巨額の有利子負債を抱えるNKKの信用不安が広がって株価も低迷。経営危機を迎えたNKKの立て直しに尽力する。 結果、川崎製鉄と製鉄所間協力を開始し、後に川鉄の江本寛治社長と両社の経営統合を決断。
武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月2… 武村 正義(たけむら まさよし、1934年〈昭和9年〉8月26日 - 2022年〈令和4年〉9月28日)は、日本の政治家、自治官僚、政治評論家。位階は従三位。 八日市市長、滋賀県知事(3期)、衆議院議員(4期)、新党さきがけ代表、内閣官房長官、大蔵大臣を歴任。政界引退後は龍谷大学客員教授、徳島文理大学大学院教授を務めた。 滋賀県蒲生郡玉緒村(現・東近江市柴原南町)の農家に生まれた。母を小学2年、祖父を中学3年、父を高校2年のときに亡くす。兄勘一。滋賀県立八日市高等学校では日本民主青年同盟に入って活動を行った。新聞部の部長だった2年生のとき、友人の書いた文章の内容が偏っているとして、担任が不掲載を求めた。
14代目 酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん、1934年… 14代目 酒井田 柿右衛門(さかいだ かきえもん、1934年8月26日 - 2013年6月15日)は、有田焼を代表する陶芸家で、“酒井田柿右衛門”の14代襲名者。本名:酒井田 柿右衛門、改名前-正(まさし)。 佐賀県西松浦郡有田町で、13代目の息子として生まれる。 佐賀県立伊万里高等学校では祖父・12代柿右衛門の勧めで美術部に所属。絵付けの基礎となる部分を会得するため多摩美術大学日本画科で日本画を学び、卒業後帰郷して父親に弟子入りする。下積みを重ね父と祖父(先々代)が蘇らせた“濁手”()の技法なども学んでいく。1971年、改名前の本名の酒井田 正()名義で日本工芸会会員となり、この後のほぼ10年は本名で公募展や個展に出品した。
三谷 浩(みたに ひろし、1934年(昭和9年)8月26日 … 三谷 浩(みたに ひろし、1934年(昭和9年)8月26日 - 2020年9月27日)は、日本の建設官僚。元建設事務次官。工学博士。
春風亭 扇枝(しゅんぷうてい せんし、1934年〈昭和9年〉… 春風亭 扇枝(しゅんぷうてい せんし、1934年〈昭和9年〉8月26日 - 2002年〈平成14年〉7月13日)は、群馬県吾妻郡中之条町出身の落語家。生前は落語芸術協会所属。本名∶本多 五夫、出囃子∶『三下がり鞨鼓』。 1934年、群馬県吾妻郡中之条町五反田に生まれる。伊参中学校を卒業後、生家の農業を手伝う。 1952年6月 - 二十四代目昔々亭桃太郎に入門、「昔々亭桃吾」を名乗る。 1957年 - 二ツ目昇進、「笑亭桃朗」と改名。 1964年9月 - 六代目春風亭柳橋門下に移籍、「春風亭扇枝」に改名。 1972年4月 - 真打昇進。 2002年7月 - 死去。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3… 森 稔(もり みのる、1934年8月24日 - 2012年3月8日)は、日本の実業家。森ビル株式会社代表取締役社長、同会長などを歴任。森ビル初代社長である森泰吉郎の二男であり、森ビルの実質的創業者とされる。 1934年(昭和9年)、京都高等蚕業学校教授・森泰吉郎の次男として京都府に生まれる。実家は東京・田村町(現在の港区西新橋の一部)で米穀店を営んでおり、副業として貸家経営も行っていた。 湘南学園中学校、神奈川県立湘南高等学校を経て、1959年(昭和34年)に東京大学教育学部社会教育学科を卒業。ジャーナリスト・アメリカ学者の鈴木健次は中学・高校・大学の同級生。 大学卒業後、取締役として森ビルに入社する。
北村 親夫(きたむら ちかお、1934年8月24日 - )は… 北村 親夫(きたむら ちかお、1934年8月24日 - )は、香川県出身の元プロ野球選手。 丸亀第一高校から1953年に阪急ブレーブスへ入団。1955年に引退。
香月 隆(かつき たかし、1934年8月24日 - )は、日… 香月 隆(かつき たかし、1934年8月24日 - )は、日本の脚本家。日本脚本家連盟員。
天田 俊明(あまだ としあき、1934年〈昭和9年〉8月22… 天田 俊明(あまだ としあき、1934年〈昭和9年〉8月22日 - )は、日本の俳優、声優。 群馬県伊勢崎市出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。高校時代は野球部に所属し、中利夫は2年後輩だった。 1954年、ドラマグループ21世紀所属。1958年、TBS放送劇団6期生。 1960年にフリーランスとなり、富士放送プロに所属。 代表作である『七人の刑事』初代メンバーの最後の存命者である。 長男は天田暦。お笑いコンビ「(株)あまつか笑事」(2013年解散)の天田太郎は甥にあたる。叔父は図案家の小和田倉司。 声優としてはジョン・ヴォイトが持ち役である。 『七人の刑事』で共演した堀雄二のことを実の父のように慕っていたという。
池田 勇諦(いけだ ゆうたい、1934年8月22日- 202… 池田 勇諦(いけだ ゆうたい、1934年8月22日- 2025年6月29日)は、三重県桑名市出身の真宗大谷派の僧侶(西恩寺前住職)。元同朋大学学長、同朋大学名誉教授。真宗大谷派「講師」。真宗大谷派董理院長。法名 一道院釋勇諦。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
佐野 力三(さの りきぞう、1934年8月21日 - 202… 佐野 力三(さの りきぞう、1934年8月21日 - 2023年10月18日)は、日本の政治家。元北海道別海町長、別海町名誉町民。 国後島の泊村東沸出身。1950年に別海村役場に入り、公務員の傍ら北海道西別高等学校を卒業。その後農林課長、経済部長、議会事務局長を歴任。 1987年に当時の町長の推薦を受けて別海町長に当選し2007年まで連続5期20年務め、酪農・漁業など産業基盤の強化や矢臼別演習場へのアメリカ海兵隊実弾演習移転の受け入れなどといった施策を行った。2005年から2年間根室管内町村会長を担当。 町長退任後は2008年に旭日小綬章受章、2023年10月18日、老衰のため、別海町内の病院で死去した。
成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 … 成田 守(なりた まもる、1934年(昭和9年)8月21日 - 2013年(平成25年)1月3日)は、平成時代の政治家。青森県五所川原市長。位階は従四位。 青森県北津軽郡松島村(現五所川原市)出身。1953年(昭和28年)青森県立五所川原農林高等学校を卒業。 1975年(昭和50年)五所川原市議会議員に当選し、1981年(昭和56年)同副議長に就任。五所川原市議会議員は3期務めた。1983年(昭和58年)より青森県議会議員を4期務め、1997年(平成9年)6月、五所川原市長に就任した。五所川原市長2期目途中の2005年(平成17年)3月28日に旧・五所川原市、金木町、市浦村が新設合併し、職務執行者を経て、新・五所川原市の初代市長に就任。
鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、… 鎌田迪貞(かまた みちさだ、1934年8月21日 - )は、日本の実業家であり、九州電力第6代会長である。九州・山口経済連合会会長など様々な役職を務める九州経済界の大物の一人である。趣味は読書とゴルフ、座右の銘は弱者にも配慮した「暖かい志」。2018年春の叙勲で旭日大綬章を受章。 鎌田迪貞と松尾新吾の間には、眞部利應社長の就任ややらせメール事件後の対応で、確執があったと言われる(下記参照)。 福岡県北九州市出身。1941年(昭和16年)に国民学校に入学。5年生の時に終戦を迎える。志望校であった福岡県立小倉高等学校は学区外であったが、学区内の禅宗の寺の小僧になり進学した。国語と数学が得意であった。
田中 夏木(たなか なつき、1934年(昭和9年)8月21日… 田中 夏木(たなか なつき、1934年(昭和9年)8月21日 - 2013年(平成25年)6月4日)は、日本の政治家、実業家。第3代大阪府四條畷市長(3期、2002年 - 2012年)。位階は従五位。旭日小綬章受章。 大阪府出身。1959年、大阪経済大学経済学部卒業。1960年、北田鉄工所に入社。翌1961年に田中製作所を設立し、経営にあたった。 2000年、四條畷市長選挙に一旦出馬表明するが、健康問題から出馬を断念。 2002年7月23日、四條畷市が発注した市の給食センターの新築工事入札をめぐる汚職事件により、当時の市長森本稔が逮捕される。同年7月31日、森本は辞職。これに伴って実施された市長選挙で初当選を果たす。
丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - … 丹羽 又三郎(にわ またさぶろう、1934年8月20日 - )は、日本の俳優。2014年よりOKエンターテイメント所属。本名は中村 進()。昭和30年代後半の大映時代劇映画の主演級スター。また昭和40年代テレビ特撮番組の悪の幹部役の怪優としても知られている[要出典]。 東京市芝区芝浦町(現、東京都港区芝浦)出身。明治学院高等学校、明治学院大学文学部卒業。過去には太平洋テレビジョン、さむらいプロに所属していた。 冷蔵船用冷蔵庫を製作していた父の一人息子として生まれる。大学在学中の1954年、俳優を志し、松竹音楽学校附属研究所に入り、同年7月、新東宝に入社。中村 又三郎の芸名で、『地獄屋敷』でデビューしたのち、数本の映画に出演したが、社内事情のため、1956年に新東宝を退社する。
司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 … 司 葉子(つかさ ようこ、1934年〈昭和9年〉8月20日 - )は、日本の女優。日本大正村第2代村長。東京福祉大学特任教授。本名は相澤 葉子()。旧姓は庄司。東宝芸能所属。 夫は、弁護士で元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男・相澤宏光の妻は歌手・タレントの相田翔子。実業家・政治家の庄司廉は伯父にあたる。 鳥取県西伯郡渡村に庄司繁二郎の三女として生まれたが、6歳の頃に父を亡くした。鳥取県立境高等学校を経て共立女子短大卒業。 1954年4月、大阪の新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)に入社し、社長秘書を務める。共立女子短大に在学中、ハリウッドビューティサロンを利用。ちょうど美容家のメイ牛山が雑誌モデルを探しており、同年『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。
降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は… 降旗 康男(ふるはた やすお、1934年8月19日 - )は、日本の映画監督である。長野県松本市出身。
桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934… 桑原 研郎(くわばら よしろう、くわばら けんろう、1934年8月19日 - 2007年6月1日)は日本の作曲家。東京都出身。武蔵野音楽大学卒業。 下総皖一、クラウス・プリングスハイムに師事。宝塚歌劇団出身の俳優・華村りこ(RICO)は実子。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] … 武田 幸男(たけだ ゆきお、1934年8月18日[要出典] - 2021年8月4日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。文学博士。東方学会評議員・東洋文庫研究員・朝鮮学会幹事・史学会会員。専門は朝鮮史、東アジア交渉史。山形県上山市出身。 専攻は朝鮮史(おもに朝鮮古代、高句麗史、古代日朝関係史)。末松保和の研究を継承。広開土王碑の研究で知られ、数多くの拓本を収集。その分析から1970年代に李進熙らの提唱した広開土王碑についての仮説(好太王碑改竄説)や解釈がすべて成り立たないことを論証した学者である。また中国正史に見られる「倭の五王」遣使記事を検討し、当時の倭国の大王が中国王朝に対して「倭」という姓を名乗っていたことを指摘し、古田武彦らの九州王朝説を批判した。
平川 公義(ひらかわ きみよし、1934年8月18日 - 2… 平川 公義(ひらかわ きみよし、1934年8月18日 - 2012年12月23日)は、日本の医学者である。東京医科歯科大学名誉教授。 広島県福山市で誕生。父が医師として開業していたことから、子供のころから将来は医者を目指していた。1953年(昭和28年)4月に東京大学へ入学。1969年(昭和34年)3月に医学部卒業後、東京大学医学部第一外科学教室(主任は清水健太郎)へ入局した。 日本脳神経外傷学会の平川賞は、遺族の寄付によって設立された 。
佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 20… 佐伯 尚孝(さえき なおたか、1934年8月18日 - 2023年5月10日)は日本の実業家。第9代三和銀行頭取。 鹿児島県出身。1955年福岡県立福岡高等学校卒業、1959年東京大学経済学部卒業、三和銀行入行。1994年から第9代三和銀行頭取を務めたが、渡辺滉会長と派閥抗争を繰り広げ、1999年に渡辺会長と「相打ち」のかたちで頭取を辞任し、相談役に退いた。後任の代表権のない会長には内藤碩昭が、頭取には室町鐘緒が就いた。のち三菱UFJ銀行名誉顧問、三菱UFJ信託地域文化財団評議員、岩谷直治記念財団理事長、HOYA社外取締役。 2023年5月10日、横浜市の自宅で死去。88歳没。
石井 一(いしい はじめ、1934年〈昭和9年〉8月17日 … 石井 一(いしい はじめ、1934年〈昭和9年〉8月17日 - 2022年〈令和4年〉6月4日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、参議院議員(1期)、国土庁長官(第19代)、自治大臣(第45代)、国家公安委員会委員長(第55代)、衆議院内閣委員長・公職選挙法改正に関する調査特別委員会委員長・政治改革特別委員長・決算委員長・決算行政監視委員長、参議院予算委員長、民主党国会対策委員長、同選挙対策委員長などを歴任。 元参議院議員・日本国特命大使の石井一二は弟。甥に兵庫県議会議員の石井健一郎、西宮市長の石井登志郎がいる。2人とも石井一の元政策秘書であり、登志郎とは養子縁組をした。兵庫県議会議員の石井秀武は親類にあたる。
内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー20… 内藤 恒方(ないとう つねかた、1934年 8月17日ー2020年6月7日 )は、日本の建築家。ランドスケープアーキテクト。建築設計と造園設計をおこなう建築士事務所およびランドスケープコンサルタントのALP(アルプ)設計室を主宰。京都市生まれ。
岡部 陽二(おかべ ようじ、1934年8月16日 - )は、… 岡部 陽二(おかべ ようじ、1934年8月16日 - )は、日本の国際金融マン、医療経済研究者。 住友銀行(現:三井住友銀行)入行。取締役国際投融資部長、常務取締役ロンドン支店長、専務取締役を歴任。同行退職後、明光証券(現:SMBC日興証券)代表取締役会長、広島国際大学医療福祉学部医療経営学科および同大学院教授を経て、医療経済研究・社会保険福祉協会 医療経済研究機構副所長を歴任。
安曽田 豊(あそだ ゆたか、1934年(昭和9年)8月16日… 安曽田 豊(あそだ ゆたか、1934年(昭和9年)8月16日 - 2017年(平成29年)1月1日)は、昭和から平成時代の政治家。奈良県橿原市長。 奈良市出身。1954年(昭和29年)奈良県立奈良高等学校卒業。 橿原市助役を経て、1995年(平成7年)市長に当選した。3期務めた。引退後は日本会議奈良会長を務めた。