阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 … 阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2023年または2024年)は、日本の女優・声優。東京府豊多摩郡代々幡町(現:東京都渋谷区)出身。夫は映画評論家の深沢哲也。 俳優座養成所の第1期生。 1952年俳優座準劇団員となり、同年映画「慟哭」でデビューする。1954年青年座に参加するがすぐに脱退、同年新東宝と専属契約。1957年劇団現代座に入るがまもなく脱退。同年、深沢哲也と結婚。 以前はプロダクションMAY・25に所属していた。 声優としては、NHKの人形劇『新八犬伝』の玉梓役が有名。登場時の「我こそは玉梓が怨霊」という決まり文句は、辻村ジュサブローによる迫力ある造形の人形と相まって、当時の視聴者の子どもに強い印象を与えた。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日… 成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2008年〈平成20年〉4月4日)は、日本の俳人。国宝・犬山城の元城主であり、旧所有者。称号としては愛知県犬山市初の名誉市民を贈られている。角川書店やテレビ朝日にも勤務していた。 父は尾張藩付家老・犬山藩主成瀬正成の末裔で、成瀬家11代当主の成瀬正勝。母は旧松尾藩主太田資美の長男で子爵である資業の娘、文子。東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。学位は文学士。1972年(昭和47年)に父の正勝の死去に伴い第12代城主をつとめる。犬山城は2004年(平成16年)4月に成瀬家が設立した財団法人の犬山城白帝文庫に移管された。 長女は財団法人犬山城白帝文庫理事長の成瀬淳子、長男は成瀬正浩。
大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 20… 大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 2015年4月27日)は、国文学者。 東京生まれ。明治大学文学部国文科卒、同大学院修士課程中退。明治大学文学部助教授、同教授、2001年定年退任。筆名・大野純。日本文芸思想史専攻。中世文学が専門だが、日本近代文学も論じた。
佐橋 慶女(さはし けいじょ、1930年9月2日 -2020… 佐橋 慶女(さはし けいじょ、1930年9月2日 -2020年12月27日)は、日本のエッセイスト。 愛知県出身。本名・恆苑(浄土宗僧侶)。愛知県立女子専門学校(現・愛知県立大学)英文科卒。中日新聞記者となり、1963年3月に日本で初めての女だけの会社「アイディア・バンク」を設立。 1969年より佐橋慶の名で著書を刊行、のち慶女と名乗る。 1971年に日本の生活文化を伝承するための「傳承塾」を始める。1976年出家、1984年『おじいさんの台所』で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、3回にわたってテレビドラマ化された。 後年は高齢問題に取り組み、「オパール・ネットワーク」を主宰した。
今井 宏(いまい ひろし、昭和5年(1930年)9月2日 -… 今井 宏(いまい ひろし、昭和5年(1930年)9月2日 - 平成14年(2002年)10月16日)は、日本の歴史学者。専門はイギリス近代史。東京女子大学名誉教授。 1930年、大阪府で生まれた。。東京大学大学院文学研究科西洋史学専攻に進み、1958年に博士課程を満期退学。 1958年より41年間、東京女子大学で教鞭をとった。1999年に東京女子大学を定年退職し、名誉教授となった。2002年10月16日、リンパ腫のため死去 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、… 吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。
藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、… 藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名・黒羽房子。夫は教育学者・社会学者の黒羽亮一。 福井県福井市生まれ。1948年福井県立福井高等女学校卒業。1953年東京女子大学文学部社会科学科卒業。日本経済新聞社に入社し、社会部、出版局、婦人部を経て退職後、東京都監査委員、財団法人日本女子社会教育会理事長を務める。『手の知恵――秘められた可能性』(山手書房) にて1979年度サントリー学芸賞受賞。日本エッセイスト・クラブ理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 200… 大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 2001年10月7日)は、日本のジャーナリスト。元広島平和文化センター理事長。 宮崎県出身。広島高等師範学校、広島大学文学部仏文科卒業。1950年から梶山季之とともに雑誌『天邪鬼』を創刊。 1953年、中国新聞社に入社。記者となる。 1964年に当時アメリカ軍の支配下におかれた沖縄を訪れ、同地の被爆者を日本のジャーナリストとして初めて取材した。 ある時、中国新聞の記者として広島に投下された原爆の悲惨さを告発し続けた金井利博に影響を受け、広島に興味を持つようになった。市長の平岡敬に勧められ、1992年に広島平和文化センターの理事長となる。同年中国新聞の編集者を引退した。
野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、… 野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、日本の経済地理学者、中京大学名誉教授。生活協同組合運動に従事したことでも知られる。 愛知県名古屋市に生まれ、育つが、旧制中学1年を終えて、岐阜県に疎開する。旧制中学5年を終えたところで家庭の事情により学業を断念し、しばらく家業の手伝いなどをするが、やがて愛知県教育委員会事務局にあった教育文化研究所に事務員として勤めるようになり、逆コースの時期の教育現場の雰囲気に触れる。新制高校卒業の認定試験を受け、岐阜県立大垣北高等学校卒業の資格を認定され、名古屋大学文学部に学んだ。在学中には自主的に歴史研究会を組織するが、現代農村への関心から、3年次には地理学科へ進学した。
井上 二葉(いのうえ ふたば、1930年8月30日 - )は… 井上 二葉(いのうえ ふたば、1930年8月30日 - )は、シドニー生まれの日本のピアニスト。 外交官井上庚二郎を父としてシドニーに生まれる。兄は生物学者の井上信也。4歳のときベルリンにて遠山つやのもとでピアノを始め、その後ブダペストにて音楽教育を受けるなど、幼少期の大半をヨーロッパで過ごす。帰国後は黒澤愛子、豊増昇に指導を受ける。東京音楽学校入学後は安川加壽子に師事し、本科ピアノ科卒業、同研究科修了。 1953年デビューリサイタル開催。1957年渡仏。パリにてラザール・レヴィに約1年間師事。1967年フランス青少年音楽協会と民音との交換芸術家第1号としてフランスに派遣され、地方都市23ヶ所でリサイタルを開催。
松田 利治(まつだ としはる、1930年〈昭和5年〉8月30… 松田 利治(まつだ としはる、1930年〈昭和5年〉8月30日 - 2015年 <平成27年> 5月18日)は、日本の政治家。元奈良県大和高田市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 奈良県出身。奈良県立御所工業高等学校卒。卒業後は近畿電気工事に入社。その後松田電気工業を興し、社長となり、奈良電業協会会長なども務める。1995年〈平成7年〉大和高田市長選挙に立候補して初当選する。1999年〈平成11年〉に再選。市長は2期務め、2003年〈平成15年〉に退任した。2006年秋の叙勲で旭日小綬章受章。2015年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日… 吉田 鎮雄(よしだ しずお、1930年(昭和5年)8月30日 - 1996年(平成8年)3月16日)は、愛知県出身の日本の彫刻家。 1930年(昭和5年)8月30日、愛知県名古屋市中区に生まれる。名古屋市昭和区の南山中学校・高等学校を経て武蔵野美術学校(現武蔵野美術大学)を卒業した。 大学在学中に日展初入選しており、この時より20年以上も女性像を造り続けた。以後、1965年(昭和40年)に「懐」が日展特選受賞、続く1968年(昭和43年)にも「稔」が特選を受賞している。また、この年には名古屋女子大学の教授となった。 1979年(昭和54年)、第11回日展にて日展会員賞受賞。 1981年(昭和56年)には愛知県芸術文化選奨文化賞を受賞している。
前川 恭一(まえかわ きょういち、1930年8月29日 - … 前川 恭一(まえかわ きょういち、1930年8月29日 - 1998年5月11日)は、日本の経営学者。 三重県生まれ。京都大学経済学部卒。1979年「ドイツ独占企業の発展過程」で大阪市立大学・経営学博士。同志社大学商学部講師、助教授、教授を務め、在職中に67歳で死去。専門はドイツの経営。
甘粕健(あまかす けん、1930年8月29日 - 2012年… 甘粕健(あまかす けん、1930年8月29日 - 2012年8月4日)は、日本の考古学者。静岡県出身。 上杉謙信の四天王である甘粕長重(景持)の末裔。甘粕事件の満洲映画協会理事長の甘粕正彦は縁戚に当たる。 東京大学を卒業後、東京大学東洋文化研究所助手を経て、1977年(昭和52年)新潟大学教授に就任。 1978年(昭和53年)文化財保存全国協議会代表委員となる。 2000年(平成12年)日本考古学協会会長に就任(~2004年まで務める)。 2000年(平成12年)宮城県、北海道の遺跡での旧石器発掘捏造問題では特別委員を設立し、対応に当たった。 2012年8月4日肝不全で死去。81歳。
中原 恒雄(なかはら つねお、1930年8月29日 - 20… 中原 恒雄(なかはら つねお、1930年8月29日 - 2016年1月8日)は、日本の電気工学者。元住友電気工業副会長。元日本工学アカデミー会長。 1953年、東京大学工学部電気工学科卒業後、住友電気工業に入社し、通信ケーブル、マイクロ波、光、超電導、システム等の研究に従事した。 1961年、東京大学より工学博士号を取得。 1975年、住友電気工業取締役研究開発本部長。以後、常務取締役(1981年)、専務取締役(1982年)、副社長(1985年)を経て、1991年に副会長に就任した。1996年に取締役を退き、特別技術顧問、2002年には顧問となり、2005年8月に退任した。 住友電気工業退任後の2005年9月、有限会社中原総合研究所代表取締役。
稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 - … 稲森 俊介(いなもり しゅんすけ、1930年8月29日 - 2011年3月18日)は、日本の実業家。カルピス社長、味の素社長などを歴任、日本食品添加物協会会長を務めた。1998年食品産業功労賞。 神奈川県出身。1955年に一橋大学社会学部を卒業し、味の素に入社。27歳で、初めての見合い相手と結婚。 味の素で海外事業部長、名古屋支店長等を務めた。和風調味料「ほんだし」の生みの親とされる。1981年にアメリカ味の素社長に就任し、ノースカロライナ州に建設された初の医薬用アミノ酸工場の立ち上げの指揮にあたった。 1984年に味の素取締役に就任。ところが、その後過労のため意識を失い、三度の入院生活を送る。
奥野 中彦(おくの なかひこ、1930年8月29日 - 20… 奥野 中彦(おくの なかひこ、1930年8月29日 - 2010年11月18日)は、日本の歴史学者、国士舘大学教授。 東京市赤坂に弁護士の奥野彦六の二男として生まれる。二本松藩士の家だという。1951年に日本史を学ぶため大学に進学し、学生団体の早稲田大学歴史学研究会で日本中世史を学び、網野善彦、松本新八郎らの指導も受けていた。1955年に早稲田大学第一文学部を卒業し、同大学大学院に進学。大学院では前年に東京大学史料編纂所から転任していた西岡虎之助に学び、日本中世史を専攻する。東京都立上野高等学校教諭を勤めたのち、1981年鹿児島県立短期大学教授、1984年に山形県立米沢女子短期大学教授、1991年に国士館大学文学部教授となる。
村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は… 村井 康彦(むらい やすひこ、1930年8月28日 - )は、日本の歴史学者。専攻は日本文化史。国際日本文化研究センター・滋賀県立大学名誉教授、財団法人京都市芸術文化協会顧問、元京都市美術館館長。 1930年、山口県生まれ。1953年に京都大学文学部史学科を卒業。同大学院に学び、1958年博士課程を中退。 1958年に京都女子大学助教授となり、1966年に教授昇格。1964年、学位論文『律令国家解体過程の研究』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。1987年に設立された国際日本文化研究センター教授となり、1995年には定年退官し、名誉教授となった。その後も滋賀県立大学教授、京都市歴史資料館館長を兼ねた。
林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 201… 林 京子(はやし きょうこ、1930年8月28日 - 2017年2月19日)は、日本の小説家、随筆家。長崎県生まれ。本姓宮崎。高女3年の時に爆心地近くの三菱兵器大橋工場で学徒動員中に被爆するも奇跡的に生還。結婚・出産を経て「文藝首都」の同人となり小説を書き始め、1975年「祭りの場」で群像新人文学賞・芥川賞受賞。以後、原爆症の不安を抱えながら死を意識し、生を見つめた作品を発表した。 1930年8月28日、長崎県長崎市出身。誕生の翌年、父(三井物産社員)の勤務地・上海に移住。1945年に帰国し、長崎県立長崎高等女学校(現長崎県立長崎東中学校・高等学校、長崎県立長崎西高等学校)3年に編入学。同年8月9日、市内大橋にある三菱兵器工場に学徒動員中、被爆した。
笹山 隆(ささやま たかし、1930年8月28日 - 201… 笹山 隆(ささやま たかし、1930年8月28日 - 2018年11月4日)は、英文学者、関西学院大学名誉教授。大阪大学文学部卒業。ハーヴァード大学大学院留学。関西学院大学教授を経て名誉教授。1983年『ドラマと観客』で河竹賞受賞。エリザベス朝、ジャコビアン朝のイギリス・ルネサンス演劇が専門。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 … 松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 - 2014年5月11日)は東京府出身のインド学者、幻想文学研究家。英語やサンスクリット語の他、フランス語やアラビア語などにも堪能。女子美術大学教授、國學院大學講師、多摩美術大学講師、美学校講師などを歴任。
斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年>… 斎藤 育夫(齋藤、さいとう いくお、1930年 <昭和5年> 8月27日 - 2011年 <平成23年> 5月14日)は、日本の銀行家。岩手銀行頭取を務めた。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県釜石市出身。1954年に東北大学法学部を卒業し、同年に岩手殖産銀行(のちの岩手銀行)に入行。人事部長を経て1979年4月1日に仙台支店長に就任。1981年4月1日に本店営業部長となり、同年6月26日には取締役に就任。1985年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1996年6月には頭取に上り詰める。2001年には佐藤光の後任として、2月に盛岡商工会議所の会頭、6月には岩手銀行の会長に就いた。 2004年5月には、岩手の経済発展・産業振興に貢献したとして、岩手県より平成16年度県勢功労者に選ばれた。
芳野 昌之(よしの まさゆき、1930年8月26日 - 20… 芳野 昌之(よしの まさゆき、1930年8月26日 - 2014年12月3日)は、日本の作家・評論家。読売新聞東京本社編集局長。本名は藤村健次郎。 兵庫県生まれ。同志社大学文学部卒。1961年に垂水 堅二郎の筆名で執筆した「紙の墓碑」が江戸川乱歩賞の最終候補となる。
鈴木 一郎(すずき いちろう、1930年(昭和5年)8月26… 鈴木 一郎(すずき いちろう、1930年(昭和5年)8月26日 - )は、日本の比較宗教学者。東京生まれ。 文化人類学を研究。マッケンジー大学客員教授。黒人密教を研究。 1953年早稲田大学法学部卒。民族宗教学研究のためタイに渡り一年間北方山岳民族の宗教を調査。 その後南米に渡りブラジルのマッケンジー大学大学院文学研究科博士課程修了、文学博士。
湯沢 雍彦(ゆざわ やすひこ、1930年8月25日 - )は… 湯沢 雍彦(ゆざわ やすひこ、1930年8月25日 - )は、日本の社会学者、お茶の水女子大学名誉教授。専門は家族社会学。
森岡 恭彦(もりおか やすひこ、1930年8月25日 - )… 森岡 恭彦(もりおか やすひこ、1930年8月25日 - )は日本の医学者、医学博士。専門は外科学。
土井 共成(どい ともなり、1930年8月25日 - 202… 土井 共成(どい ともなり、1930年8月25日 - 2022年10月26日)は、讀賣テレビ放送(読売テレビ)顧問。静岡県出身。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
村瀬 孝雄(むらせ たかお、1930年8月25日 - 199… 村瀬 孝雄(むらせ たかお、1930年8月25日 - 1998年4月15日)は、日本の臨床心理学者。オーストラリア・メルボルン生まれ。フォーカシングを日本に導入したほか、内観療法・森田療法など、日本の心理療法に関心を持った。妻は北翔大学教授の村瀬嘉代子。
大友 信一(おおとも しんいち、1930年8月25日 - )… 大友 信一(おおとも しんいち、1930年8月25日 - )は、日本の言語学者、国語学者。岡山大学名誉教授。 宮城県生まれ。1953年東北大学文学部国文科卒、1958年同大学院博士課程満期退学、1961年「中国資料による室町時代国語音声の研究」で東北大学文学博士。1958年聖和学園短期大学講師、1959年助教授、1964年東北工業大学助教授、1966年岡山大学教育学部助教授、1976年文学部教授、1992年名誉教授、千葉大学教授。2010年春、瑞宝中綬章受勲。
近藤 信好(こんどう のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 近藤 信好(こんどう のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月25日 - 2005年〈平成17年〉5月29日)は日本の政治家。足立区議(2期)、第30代足立区議会副議長、東京都議(6期)、第31代都議会議長を歴任した。長女は足立区長の近藤弥生。 1930年8月25日、群馬県多野郡万場町(現:神流町)に生まれる。1955年に日本大学歯学部を卒業。1958年に近藤歯科医院を開業。1967年から足立区議会議員を2期6年務める。この間、第30代足立区議会副議長(1971年5月25日から1972年7月6日)を務める。1973年、東京都議会議員選挙に足立区選挙区から立候補して、初当選する。都議会では、警務消防委員会委員長(1979年から1980年)、都議会自民党政調会長(1981年から1982年)、都議会自民党幹事長(1983年から1984年)、議会運営委員会委員長(1983年から1984年)を歴任した。
藤井 黎(ふじい はじむ、1930年〈昭和5年〉8月24日 … 藤井 黎(ふじい はじむ、1930年〈昭和5年〉8月24日 - 2010年〈平成22年〉4月4日)は、日本の政治家。第29代 - 31代仙台市長(在任期間:1993年8月22日 - 2005年8月21日)。 岩手県釜石市出身。東北大学大学院修士課程修了後、仙台市役所に奉職。 1993年(平成5年)、ゼネコン汚職事件に絡んで石井亨が辞職した後の出直し市長選挙に立候補して初当選し、仙台市長に就任。3期(第29期 - 31期)を務めた後、引退した。 2008年(平成20年)春の叙勲で旭日中綬章受章。2009年(平成21年)春に肺癌の手術を受ける。2010年(平成22年)3月上旬に再入院、同年4月4日午後1時30分、仙台市青葉区の仙台厚生病院で肺炎のため死去、79歳。
川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月2… 川嶋 康生(かわしま やすなる、1930年〈昭和5年〉8月23日 - )は、日本の医学者、医師。国立循環器病センター名誉総長。大阪大学名誉教授。医学博士(大阪大学、1961年)。 大阪府出身。1943年(昭和18年)大阪府池田師範学校附属国民学校(現:大阪教育大学附属池田小学校)卒業。大阪府立豊中中学校(旧制)、旧制大阪府立浪速高等学校を経て京都大学工学部に入学するも中退。その後、大阪大学医学部に入学し、卒業。 体外循環の安全性の向上の研究を行い、先天性心臓奇形に対する川島手術など多くの新しい手術を世界に先駆けて発表するなど、日本の心臓外科医の第一人者として活躍。学校法人大阪薬科大学の理事長なども務めた。
岩代 浩一(いわしろ こういち、1930年8月23日- 20… 岩代 浩一(いわしろ こういち、1930年8月23日- 2012年4月22日)は、熊本県出身の作曲家。父は教育者:岩代吉親、長男は作曲家、音楽プロデューサーの岩代太郎。 蘇陽高校、千原台高校、熊本北高校、苓明高校、翔陽高校、南稜高校、阿蘇清峰高校、国府高校(旧熊本女子商業高校)、慶誠高校(旧熊本女子高校)、文徳高校、熊本西高校応援歌、熊本女子商業創立記念歌 蘇陽中学校、菊池北中学校、出水南中学校、清水中学校、長嶺中学校、大津北中学校、新和中学校、楠中学校、東町中学校、井芹中学校、桜木中学校、文徳中学校、三角中学校 産山北部小学校、久木野小学校、長嶺小学校、青海小学校、東小天小学校、南ヶ丘小学校、三角小学校、境南小学校(東京都)、中松小学校百周年祝歌 県立職能短期大学校歌、東海大学学園歌 『かもめの季節』、東海大学学園歌『阿蘇に生きる』、熊本リハビリテーション学園歌 『明日への歓喜』、菊池少年自然の家の歌 『友情のうた』、熊本市保育園連盟の歌『光を浴びて』、RKK学苑歌、ライオンズクラブ記念歌 『清正公賛歌』、南阿蘇鉄道の歌、日本赤十字健康センターの歌、熊本日産モーター社歌、富田薬品社歌 『明日の花』『九州の大地に』、桜の丘特別養護老人ホームの歌 『桜の丘』、本渡市看護専門学校校歌、崇城大学・逍遥歌『鐘は鳴る』、身障者福祉連合会企画曲 『君は笑顔がよく似合う』、東京都市大学グループ学園歌『夢に翼を』 熊本県民歌『火の国旅情』、熊本県姉妹都市・桂林市歌『さよならは言わずにいこう』『不要説再見』、氷川町村連合歌『氷川のながれ』、宇土市民歌、蘇陽町の歌、三角町の歌、山江村の歌、玉名市民歌、植木農協の歌、合志町の歌、一の宮文化協会の歌、管弦楽組曲『火の国の物語』、弦楽四重奏曲『五木のファンタジー』『火の国旅情によるプレリュード アンドディベルトメント』 合唱曲『正月どんのこらした』『よへほ』『マウント・アソ』「山江村讃歌」その他
安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日… 安部 光恭(あべ みつやす、1930年(昭和5年)8月23日 - 2000年(平成12年)12月13日)は日本のジャーナリスト、僧侶。仏光寺住職、元静岡第一テレビ常務。第3回菊池寛賞受賞。 1930年(昭和5年)8月23日、静岡県伊東市に生まれる。立正大学文学部を卒業後、松田竹千代の秘書を経て、昭和27年に読売新聞に嘱託記者として入社する。1954年(昭和29年)3月、第五福竜丸ビキニ被爆事件をスクープし、読売新聞の正社員となる。そのスクープにより、1955年(昭和30年)に第3回菊池寛賞を受賞する。1969年(昭和44年)に退社し、木部佳昭の秘書、仏光寺副住職などを経て、1979年(昭和54年)に静岡第一テレビに入社する。
石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月… 石田 幸四郎(いしだ こうしろう、1930年〈昭和5年〉8月22日 - 2006年〈平成18年〉9月18日)は、日本の政治家。 衆議院議員(10期)、公明党委員長(第5代)、総務庁長官(第13・14代)、公明新党代表(初代)、新進党副党首、公明党最高顧問を歴任した。実兄は参議院議員を務めた石田次男。 北海道札幌市生まれ。旧制明治中学、明治大学商学部を卒業後、聖教新聞広告部に務める。 1967年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧愛知6区から立候補し、初当選(通算10期)。公明党臨時党大会で公明党副書記長に就任し、19年に渡り務める。 1986年12月、衆参同日選挙後に行われた公明党大会で公明党筆頭副委員長に就任する。
河野 昭修(こうの あきのぶ、1930年8月22日 - 20… 河野 昭修(こうの あきのぶ、1930年8月22日 - 2011年8月8日)は、福岡県出身のプロ野球選手(内野手)。
芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018… 芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - 2018年10月20日)は、日本のファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ創業者。 上皇后美智子の皇太子妃時代における専任デザイナーを務めたことで知られている。アトランタオリンピック日本選手団の公式ユニフォームや、全日空など有名企業の制服も多数手かげた。師匠はイラストレーターの中原淳一。 1930年、日本統治時代の朝鮮全羅北道全州において、京都府出身の両親のもとに生まれる。本名は淳(あつし)。8人兄弟の末っ子で、当時、父親は京都府丹後地方の実家から日本統治下の朝鮮に渡り病院を開業していた。1941年、父親の急逝を受け家族で日本に引き揚げる。
小菅 亘恭(こすが のぶやす、1930年8月21日 - )は… 小菅 亘恭(こすが のぶやす、1930年8月21日 - )は、日本の地方公務員。元愛媛県副知事。 東京都出身。旧制香川県立三豊中学校、中央大学法学部卒業。 1954年(昭和29年)愛媛県入庁。1980年(昭和55年)総務部財政課長、1982年(昭和57年)総務部次長、1983年(昭和58年)商工労働部長を歴任。出納長を経て愛媛県副知事に就任。
芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - )は、日… 芦田 淳(あしだ じゅん、1930年8月21日 - )は、日本のファッションデザイナー。株式会社ジュンアシダ代表取締役会長。
住友 俊一(すみとも としかず、1930年 <昭和5年> 8… 住友 俊一(すみとも としかず、1930年 <昭和5年> 8月21日 - 2017年 <平成29年> 5月16日)は、日本の経営者。阿波銀行頭取を務めた。 徳島県出身。1953年に香川大学経済学部を卒業し、同年に阿波銀行に入行した。1974年5月に取締役に就任し、1977年12月に常務、1981年6月に専務を経て、1986年6月には頭取に就任。1996年6月に会長を経て、2002年6月には相談役に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章し、2001年11月に勲四等旭日小綬章を受章。 2017年5月16日、肺炎のために死去。86歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
上田 徹一郎(うえだ てついちろう、1930年8月21日 -… 上田 徹一郎(うえだ てついちろう、1930年8月21日 - 2013年4月17日 )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。学位は、法学博士(関西学院大学・論文博士・1986年)(学位論文「判決効の範囲 -範囲決定の構造と構成-」)。関西学院大学名誉教授。 受験新報の連載をベースとして作成された後掲『民事訴訟法』は、判例と同じ旧訴訟物理論をとる数少ない体系的教科書であるだけでなく、判例・通説を中心に学説が分かり易く整理されていることから、司法試験受験生や法律実務家に幅広く支持され版を重ねている。 民法学者である同志社大学法学部教授上田誠一郎は実子。 柚木馨が法律学全集19巻『担保物権法』を執筆した際には文献収集を担当した。
星川 保松(ほしかわ やすまつ、1930年(昭和5年)8月2… 星川 保松(ほしかわ やすまつ、1930年(昭和5年)8月20日 - )は、日本の政治家。尾花沢市議会議員、山形県議会議員、尾花沢市長を歴任。その後参議院議員を1期務め、民主改革連合常任幹事(代表)として細川内閣の連立に参加し、日本社会党に移籍。落選後は、民主党山形県連代表代行、同顧問などを歴任。勲三等旭日中綬章。
石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月2… 石川 信義(いしかわ のぶよし、1930年〈昭和5年〉8月20日 - 2020年〈令和2年〉7月2日 )は、日本の精神科医。三枚橋病院創設者。 群馬県桐生市生まれ。旧制・群馬県立桐生中学校、海軍兵学校(78期)、旧制・第二高等学校を経て、1952年(昭和27年)に東京大学経済学部を卒業後、安田生命保険(現・明治安田生命保険)に入社。しかし、医者になるため数年で退社し東京大学医学部に入学。スキー山岳部に所属していた1961年(昭和36年)には、第5次南極地域観測隊に参加した。 1962年(昭和37年)に東京大学を卒業後、精神科医となり、東京大学医学部附属病院神経科、東京都立松沢病院に勤務。同病院には4年ほど勤務するが、このうち、1年間はライシャワー事件を起こした青年の主治医を務めた。
能村 堆子(のむら たいこ、旧姓:三木、1930年8月20日… 能村 堆子(のむら たいこ、旧姓:三木、1930年8月20日 - 2021年11月15日)は日本の生物物理学者。お茶の水女子大学名誉教授。團勝磨、大沢文夫の門下生。小説家川上弘美の卒業論文の指導者。理学博士。 ウニの卵や精子を用いて、細胞分裂の分裂装置や繊毛・鞭毛運動に関与する微小管の生物物理学を研究した。1969年、ウニ卵にアクチンの存在を世界で最初に確認し、細胞質分裂にアクチンが関与することを提唱する。1975年以降は、その頃、宝谷紘一が開発した高輝度照明下での暗視野顕微鏡を用い、世界で初めて、顕微鏡下で微小管の溶液中での動きを観察し、基本データを記載していった。テトラヒメナやクラミドモナスの繊毛も実験材料とした。
下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 200… 下村 健(しもむら たけし、1930年8月20日 - 2006年4月29日)は、日本の厚生官僚。元社会保険庁長官。広島県広島市中区吉島出身。愛称は「シモケン」。
黒野 清宇(くろの せいう、1930年8月20日 - 201… 黒野 清宇(くろの せいう、1930年8月20日 - 2017年7月5日)は、日本の書家。かな書を中心に活動し、日展で特選、日展会員賞、文部科学大臣賞を受賞したほか、日本藝術院賞を受賞した。愛知教育大学名誉教授。 愛知県生まれ。本名は黒野貞夫。愛知学芸大学(のちの愛知教育大学)を卒業し、宮本竹逕に師事した。1955年、日展出品作「後撰和歌集抄」で初入選した。 1976年に日展特選、1989年に日展会員賞、2002年に日展文部科学大臣賞を受賞した。また、第36回日展出品作「梅の花」により、2004年度の第61回日本藝術院賞を受賞した。 愛知教育大学では教授を務め、のちに名誉教授となった。2008年に中日文化賞、2010年に東海テレビ文化賞を受賞した。
鈴村 進(すずむら すすむ、1930年8月20日 - 202… 鈴村 進(すずむら すすむ、1930年8月20日 - 2021年12月19日)は、日本の著作家、評論家。 愛知県出身。名古屋大学法学部卒業。会社役員を経て、文筆家となる。歴史ビジネス書、のちには大河ドラマ関連本を書く。
上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 … 上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 - 2002年〈平成14年〉6月30日)は、日本のラジオ番組のプロデューサー。 「ドン上野」の愛称で知られていた。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校、日本大学法学部卒業。 1952年、NHK札幌放送局入局。NHKを退局した後、1954年に当時開局して間もなかったニッポン放送へ入社、編成局庶務部(効果班)に配属され、1963年まで効果音製作を主に務める。 1963年に効果部から制作部へ異動、番組制作を手がけるようになり、ニッポン放送で『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』『夜のドラマハウス』『オールナイトニッポン』の4時間スペシャル生ラジオドラマなどを手がけ話題になる。
椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 200… 椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - 2007年3月16日)は、日本の政治家、実業家、物理学者。衆議院議員(4期)、参議院議員(2期)、自由の会代表、無所属の会代表などを務めた。 自由民主党副総裁、外務大臣、通商産業大臣を歴任した椎名悦三郎の次男。 東京府東京市(現・東京都文京区)出身。旧制府立高等学校を経て1953年名古屋大学理学部物理学科を卒業。電源開発に入った後、アメリカアルゴンヌ国立研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカーサムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父・椎名悦三郎の引退に伴い、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選する。