坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 20… 坂本 重雄(さかもと しげお、1931年8月25日 - 2001年4月29日)は、日本の法学者。専門は、労働法・社会保障法。学位は、法学博士(旧東京都立大学)。静岡大学名誉教授。日本労働法学会代表理事、日本社会保障法学会代表理事等を歴任。大阪府大阪市出身。 1951年兵庫県立柏原高等学校卒業。1955年神戸大学法学部卒業。1958年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了。吾妻光俊ゼミ出身。 1958年一橋大学法学部助手。1959年東京都立大学法経学部助手。1964年静岡大学文理学部助教授。1965年同人文学部助教授。1973年同人文学部教授。1979年静岡大学評議員(~1983年)。1983年同人文学部長(~1985年)。
上島 重二(うえしま しげじ、1931年8月25日 - )は… 上島 重二(うえしま しげじ、1931年8月25日 - )は、日本の実業家。第8代目三井物産社長。大阪府生まれ。
田代 圓(たしろ まどか、1931年8月25日 - 2019… 田代 圓(たしろ まどか、1931年8月25日 - 2019年1月27日)は、日本の実業家。東ソー元取締役社長。熊本市出身。 1956年、東京大学教養学部卒業。同年、東洋曹達工業(現・東ソー)入社。1981年、同社経営企画本部企画部長、1985年、同社取締役、新規事業部長。1988年、同社常務取締役・経営管理本部長・経営企画部長。1990年同社専務取締役、1992年同社取締役社長。2001年同社取締役会長。2009年同社取締役相談役。 2019年1月27日午後5時9分、敗血症のため、東京都港区の病院で死去、87歳。 社外では、高分子学会代表幹事、石油化学工業協会副会長、日本ソーダ工業会会長、塩ビ工業・環境協会会長、相模中央化学研究所理事長などを歴任した。
向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日 - 200… 向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日 - 2005年2月5日)は、日本の演劇評論家、TBSディレクター。洋画家向井潤吉の長男。 1931年(昭和6年)、東京に生まれる。麻布高校、早稲田大学仏文科・政治科、早稲田大学大学院演劇科を卒業。TBSテレビで番組制作に携わりながら、演劇評論を執筆する。1963年(昭和38年)、浅草で劇団を立ち上げていた萩本欽一を誘い、初めてテレビに出演させた。 1973年(昭和48年)に創部された東京大学レスリング部の初代監督を務めた。1978年(昭和53年)時点では他に日本アマチュア・レスリング協会理事、同学連理事、同社会人連盟常務理事、国学院大学レスリング部コーチなどの経歴が記載されている。
中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2… 中原 佑介(なかはら ゆうすけ、1931年8月22日 - 2011年3月3日)は、日本の美術評論家。京都精華大学学長、同大学名誉教授。 兵庫県神戸市生まれ。本名は江戸頌昌(えどのぶよし)。神戸一中、旧制三高、京都大学理学部卒、京都大学大学院中退。湯川秀樹研究室で理論物理学を専攻していたが、在学中の1955年美術評論が雑誌に掲載されたのを機に、美術批評家となる。 1965年、赤瀬川原平の「千円札裁判」で特別弁護人となる。 1970年に第10回日本国際美術展「東京ビエンナーレ」(通称「人間と物質」展)のコミッショナー、1976年と1978年にベネチア・ビエンナーレのコミッショナーを務めた。1990年3月から9月まで水戸芸術館美術部門芸術総監督を務めた。
西田 直敏(にしだ なおとし、1931年8月22日 - )は… 西田 直敏(にしだ なおとし、1931年8月22日 - )は、日本の国語学者。学位は、博士(文学)(東京大学・論文博士・1995年)(学位論文「「自敬表現」の歴史的研究」)。甲南女子大学名誉教授。北海道大学教授・甲南女子大学教授を歴任。 1954年熊本大学法文学部国文科卒。1956年東京大学大学院国語学修士課程修了。1995年、「「自敬表現」の歴史的研究」で、東京大学より博士(文学)の学位を取得。1956年東京大学文学部助手、駒澤大学文学部助教授、1965年北海道大学文学部助教授、1979年教授、1985年甲南女子大学文学部教授。2002年定年退任、名誉教授。 妻は児童文学研究者の西田良子。
大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 … 大町 陽一郎(おおまち よういちろう、1931年8月22日 - 2022年2月18日)は、日本の指揮者。東京芸術大学名誉教授。 東京都生まれ。父は旭物産合資会社(後の旭光学工業)の社長を務めた大町弘蔵、祖父は陸軍主計少将 の大町豊五郎、曽祖父は医師の大町淳信で、典薬寮に仕えたこともある地下家の医師の家系であった。 少年時代、作曲家の呉泰次郎が開いていた音楽私塾で音楽理論、作曲法、指揮法の手ほどきを受ける。旧制成城高等学校を経て、東京芸術大学作曲科に入学するも、指揮への興味が募り、指揮法を渡邊暁雄、クルト・ヴェスに師事。その後、ウィーン国立音楽大学指揮科に入学し、指揮をハンス・スワロフスキー、フランコ・フェラーラに師事。
伊達 弘(だて ひろし、1931年8月22日 - 2021年… 伊達 弘(だて ひろし、1931年8月22日 - 2021年11月20日)は、日本の俳優、殺陣師。本名:和田 弘。 京都府出身。同志社大学中退。ダテ企画に所属していた。 1954年、東映ニューフェイス2期生としてデビュー。 俳優として活動以外にキャスティングマネージャーとしても活動している。 身長168cm。体重67kg。血液型AB型。 趣味はゴルフ、歌唱、博打。特技は日本舞踊、殺陣(指導)、カーアクション、乗馬、手本引、盃の指導。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
中村 平治(なかむら へいじ、1931年8月21日 - 20… 中村 平治(なかむら へいじ、1931年8月21日 - 2021年3月17日)は、日本のインド史学者、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所名誉教授。長野県諏訪郡ちの町(現茅野市)生まれ。本名・平次。 長野県諏訪清陵高等学校を経て、1951年、東京外国語大学東京外事専門学校英語科卒。1955年、東京外国語大学インド語科卒。1957年、東京大学社会科学研究科国際関係論修士課程修了、東京大学東洋文化研究所助手(1963年まで)。1958年から1960年にかけて、デリー大学に学ぶ。1965年、東京外国語大学専任講師。1967年に助教授、1973年に教授へ昇任。1994年、定年退官、名誉教授。専修大学文学部教授。
好村 冨士彦(こうむら ふじひこ、1931年8月21日 - … 好村 冨士彦(こうむら ふじひこ、1931年8月21日 - 2002年9月19日)は、日本のドイツ文学・哲学者。広島大学名誉教授。 1931年、東京都で生まれた。1938年、北支宣撫の父に従って北京に渡った。1943年に父が死去。そのまま大陸に滞在し、1946年に引き上げた。 帰国後広島高等学校に入学し、1949年に学制改革で広島大学理学部となった同校で学んだが、肺結核のため療養に入った。 1958年、早稲田大学第一文学部独文科に入り、60年安保で野口武彦らと知りあった。1962年に卒業し、同大学大学院に進んだ。清水多吉、池田浩士らとブロッホ研究会を作った。1967年、博士課程を単位取得後満期退学した。
山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20… 山口 昌男(やまぐち まさお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - 2013年〈平成25年〉3月10日)は、日本の教育者・文化人類学者。東京外国語大学名誉教授、文化功労者、瑞宝中綬章受勲。位階は正四位。 1931年、北海道美幌町で9人兄弟の次男として生まれた。美幌尋常小学校、旧制網走中学校を経て、新制網走高校(現・北海道網走南が丘高等学校)に進学。1950年3月に卒業し、同年4月に青山学院大学文学部第二部仏文科に進学。在学中には、展覧会と古書店に頻繁に巡った。青山学院大学には1学期のみ通い、1951年に東京大学教養学部文化二類に入学。同学年に作曲家となる三善晃、美学者となる宇波彰らがいた。また、東京大学駒場美術研究会では、磯崎新らと親交を結んだ。
浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は… 浦川 麗子(うらかわ れいこ、1931年8月20日 - )は、日本の女優、声優。岡山県井原市井原町出身。福島県立女子高等学校卒業。國學院大學文学部国文科中退。 高校在学中は演劇部で活動し、アマチュア劇団の福島演研にも所属していた。NHK福島放送劇団に入り、プロとしての活動を開始。高校卒業後は上京し、劇団廿世紀、劇団こまどりを経て、1952年、ラジオ東京放送劇団に2期生として入団。1959年に退団した後は東京俳優生活協同組合を経て、1969年4月に文学座に入団。 1955年から放送が開始されたラジオ番組『ポポン・ミュージック・レター』の司会を志摩夕起夫とともに担当。志摩がアナウンサ―では声が型にはまっていて面白くないので、家庭の奥様のような艶のある人の起用を要望したため、浦川が起用された。
伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日… 伊藤 滋(いとう しげる、1931年8月20日 - )は、日本の都市計画家。早稲田大学特命教授、慶應義塾大学大学院客員教授、東京大学名誉教授。学位は工学博士(東京大学)。専門は、都市防災論、国土及び都市計画。 伊藤滋都市計画事務所主宰。一般財団法人日本地域開発センター理事長、NPO法人日本都市計画家協会会長、アジア防災センター・センター長、内閣官房都市再生戦略チーム座長、国土審議会、都市計画中央審議会委員を歴任。2030年の東京都心市街地像研究会座長。さいたま新都心計画チーフプロデューサー。環長崎港地域アーバンデザイン専門家会議座長。 東京都杉並区生まれ。父は評論家・詩人・小説家の伊藤整。成蹊学園を経て、旧制成蹊高校(理科甲類)卒業。
新堂 幸司(しんどう こうじ、1931年8月20日 - )は… 新堂 幸司(しんどう こうじ、1931年8月20日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法。 東京大学名誉教授、愛知大学名誉教授。弁護士。兼子一門下。弟子に高橋宏志、高田裕成、山本和彦、太田勝造、長谷部由起子、佐藤鉄男、樫村志郎など。 東京大学を定年退官した1992年に第二東京弁護士会に弁護士登録し、森綜合法律事務所(現在の森・濱田松本法律事務所)に客員弁護士として迎えられて以降は、弁護士活動を主に行っている。現在は森・濱田松本法律事務所を離れ、2011年9月に松村国際法律事務所(現在は新堂の参画により新堂・松村法律事務所と改称)に参画した。 三ヶ月章が提唱した訴訟物における「新訴訟物理論」「訴訟法説」を承継した上で、訴訟法の独自性を重視した理論を徹底させ、既判力につき、その客観的範囲についての争点効理論や、主観的範囲についての反射効理論等の独自の概念や問題提起を次々と提唱して民事訴訟法学の発展に寄与した。
鹿野 政直(かの まさなお、1931年〈昭和6年〉8月20日… 鹿野 政直(かの まさなお、1931年〈昭和6年〉8月20日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近代史、思想史。早稲田大学名誉教授。 1931年、大阪府生まれ。大阪府立岸和田高等学校を経て1953年、早稲田大学文学部を卒業。同大学院を経て、1958年より同大学に勤務する。1970年、早稲田大学文学部教授に就任。1999年、早稲田大学を退職。
八尋 和美(やひろ かずみ、1931年8月20日 - )は、… 八尋 和美(やひろ かずみ、1931年8月20日 - )は、日本の指揮者。特にメンデルスゾーンの合唱曲の解釈と指揮で知られ、現代作曲家アルヴォ・ペルトの合唱曲の指揮にも近年は積極的に取り組んでいる。
吉田 民人(よしだ たみと、1931年8月20日 - 200… 吉田 民人(よしだ たみと、1931年8月20日 - 2009年10月27日)は、日本の社会学者。専門は理論社会学。日本学士院会員。第18期日本学術会議副会長。元日本社会学会会長。東京大学名誉教授。 愛知県出身。京都大学文学部社会学専攻卒業。同大学大学院博士課程中退。 機能主義社会学を理論的に追求した。「情報」を社会科学的な研究対象とした先駆者の一人としても知られる。 上野千鶴子や木村洋二、宮台真司などの恩師と仰がれている。
牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月… 牧口 準市(まきぐち じゅんいち、1931年(昭和6年)8月20日 - 2024年(令和6年)8月28日)は、日本の弁護士。北海学園大学出身の生え抜き法曹の一人。札幌弁護士会所属。専門は、商事全般(商法・倒産法・民事再生法)と日本法制史(明治期北海道の司法制度)。在野で北海道の法制史を研究。弁護士法人成蹊総合法律事務所の所長を務めた。 北海道古宇郡泊村出身。1949年(昭和24年)札幌地方裁判所岩内支部に事務官として入所。1960年(昭和35年)北海学園大学経済学部2部中退。札幌地方裁判所書記官などを経て、司法試験に合格。1969年(昭和44年)弁護士登録。 1979年(昭和54年)札幌弁護士会副会長。
野﨑 幸雄(のざき ゆきお、1931年(昭和6年)8月19日… 野﨑 幸雄(のざき ゆきお、1931年(昭和6年)8月19日 -2024年(令和6年)3月19日 )は、日本の裁判官。検察官。弁護士(尾崎法律事務所)。元名古屋高等裁判所長官。 1956年(昭和31年)判事補任官。法務省人権擁護局長、宇都宮地裁、横浜地裁各所長等を経て、1992年(平成4年)に仙台高裁長官。1993年(平成5年)に名古屋高裁長官に転じ、1996年(平成8年)定年退官。 退官後は弁護士登録し、各種企業役員、政府審議会委員等を務める。2001年(平成13年)の秋の叙勲で勲二等旭日重光章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大高 順雄(おおたか よりお、1931年8月19日 - 20… 大高 順雄(おおたか よりお、1931年8月19日 - 2019年7月26日)は、日本のフランス中世文学研究者、大阪大学名誉教授。 大阪府出身。1954年東京大学文学部仏文科卒。同大学院修士課程修了。岡山大学講師、助教授、フランス・パリ大学大学院で博士号取得。1969年「アントワヌ=ド・ラ・サルの研究」で名古屋大学文学博士。1971年大阪大学教養部助教授、言語文化部教授、1995年定年退官、名誉教授。大手前大学教授。1987年「Marie de France : Oeuvres complètes」で新村出賞受賞。2011年旭日中綬章受勲。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
行平 次雄(ゆきひら つぎお、1931年8月19日 - 20… 行平 次雄(ゆきひら つぎお、1931年8月19日 - 2010年4月1日)は、日本の実業家。山一證券の社長・会長、日本証券業協会会長等を歴任。「山一のドン」と評された。 旧関東州の旅順で生まれる。旧制奉天第一中学校在学中に終戦を迎え、両親と共に福岡県豊前市へ引き揚げる。 1955年に一橋大学法学部卒業、山一證券入社。入社後、投資信託本部に所属し、行平の前に社長を務めた植谷久三、横田良男の2人の下で働く。同じ本部には後に三木淳夫も配属された。一時、証券団体協議会専門調査員に出向、日興證券の岩崎琢弥など、後に四大証券の幹部となる人々と机を並べて仕事をした。 証券団体協議会から帰任する際、既に取締役金融法人部長となっていた横田良男の引きで金融法人部へ所属することとなった。
山下宏明(やました ひろあき、1931年8月18日- )は、… 山下宏明(やました ひろあき、1931年8月18日- )は、日本の国文学者。名古屋大学名誉教授。専門は『平家物語』などの軍記物語で、世界的に知られる研究者である。 神戸市生まれ。1958年神戸大学文学部国文科卒、1964年東京大学大学院国文学博士課程満期退学、1986年「平家物語の生成」で文学博士。金城学院大学助教授、名古屋大学教養部助教授から、文学部助教授に転じ、教授。1995年定年退官、名誉教授となり、愛知淑徳大学教授に着任。2007年、定年退職。
段木 一行(だんぎ かずゆき、1931年8月18日 - )は… 段木 一行(だんぎ かずゆき、1931年8月18日 - )は、日本史学・博物館学者。 千葉県出身。國學院大學文学部史学科卒業。卒業論文は、「荘園制の崩壊過程(序)」。1958年法政大学大学院修士課程修了。東京都教育庁学芸研究職、文化財調査担当課長補佐、1988年「中世村落構造の研究」で法政大学文学博士。法政大学文学部教授。2002年定年退任。秋山庄太郎写真芸術館館長。専門は博物館学・日本中世史研究。
服部 潔(はっとり きよし、1931年〈昭和6年〉8月18日… 服部 潔(はっとり きよし、1931年〈昭和6年〉8月18日 - 2017年〈平成29年〉8月25日)は、日本の教師、教育評論家。 群馬県伊勢崎市出身。1957年埼玉大学教育学部卒業。埼玉県川口市立飯塚小学校、同仲町小学校などで教員として勤務した。全国生活指導研究協議会中央常任委員、東京都立大学非常勤講師、日本生活指導研究所事務局長。 この項目は、教育者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育)。
土金 琢治(つちがね たくじ、1931年8月18日 - )… 土金 琢治(つちがね たくじ、1931年8月18日 - )は、日本の経営者、銀行家。群馬銀行頭取を務めた。 栃木県出身。1954年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1983年1月に国庫局長、同年7月に考査局長を経て、1985年6月に群馬銀行専務に就任し、1987年に副頭取を経て、1990年6月には頭取に就任。1997年6月に会長を経て、2001年6月には相談役に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋本 實(はしもと みのる、1931年(昭和6年)8月17日… 橋本 實(はしもと みのる、1931年(昭和6年)8月17日 - )は、日本の実業家。日本鋼管常務を務めた後、日本鋼管子会社の社長を務めた。日本鋼管が川崎製鉄と合併し、JFEスチールが誕生すると子会社のJFE物流特別顧問となる。東京都渋谷区出身。 大日本麦酒(現:サッポロビール)の常務を務めた橋本卯太郎の孫。ジャーナリストの橋本明、外交官の橋本宏は弟。首相を務めた橋本龍太郎、高知県知事を務めた橋本大二郎は従弟にあたる。 1931年(昭和6年)後に最高検察庁検事になる東京在住の父・橋本乾三と母・千代の長男として出生する。東京の学校に通うが、小学校在学中に日本の戦況が徐々に悪化するに伴い、学習院初等科の3年生以上が疎開を開始する。
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 -… 柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。東京都出身。神奈川県横浜市中区在住。「アンクルトリス」の産みの親として、また無類の船好きとしても知られる。過去には「帆船日本丸記念財団」の理事も務めていた。西村捨三のひ孫。
真鍋 圭作(まなべ けいさく、1931年8月17日 - 20… 真鍋 圭作(まなべ けいさく、1931年8月17日 - 2004年2月14日)は、日本の経営者。キリンビール社長、会長を務めた。香川県丸亀市出身。 1955年に東京大学法学部を卒業し、同年にキリンビールに入社した。1983年に神戸工場長に就任し、1987年4月に取締役、1988年9月に常務、1990年3月に専務を経て、1992年3月に社長に就任し、1996年3月から1999年3月までに会長を務めた。社長在任時には、アメリカのアンハイザー・ブッシュ社との包括提携を結ぶなど国際化を推進した。 2004年2月14日肺炎のために死去。72歳没。
三村 恪一(みむら かくいち、1931年8月16日 - 20… 三村 恪一(みむら かくいち、1931年8月16日 - 2022年2月19日)は、日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。 第二次世界大戦後に都立第八中学校(東京都立小山台高等学校の前身)に編入しサッカーを始める。卒業後は中央大学に進学し、1953年には長沼健と共に日本学生選抜に選出され、ドイツのドルトムントで開催された国際大学スポーツ週間(ユニバーシアードの前身)に出場した。 大学卒業後は東邦チタニウムに入社し、同社にサッカー部を設立。選手兼指導者として選手強化や環境作りに奔走した。 日本代表としては、1955年1月の東南アジア遠征で代表デビュー。同月11日のビルマ(体協選抜)戦で国際Aマッチ出場を果たし(後の日本代表データの見直しで2日のビルマ(保険大臣チーム)戦が国際Aマッチと認められたため、現在はこの試合が国際Aマッチデビュー戦)、同年11月のメルボルンオリンピック代表メンバーに選出された。
小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 202… 小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 2022年1月31日)は、日本の女優。本名は大久保禮子 (禮は示ではなくネ)。東京府(現東京都)出身。 元華族の大久保子爵家の次男である父・準と、母・秋子のもとに、四人姉妹の次女として東京市赤坂区青山南町に生まれる。本名は大久保禮子(おおくぼ のりこ)。母方の従兄に新劇運動を興した土方与志がいる。高井戸国民学校を卒業し、1949年に成安女子学院(現・京都産業大学附属中学校・高等学校)を卒業。親類が経営する鏑木汽船に入社。勤務中にスカウトされ、1957年に木崎伸子の芸名で中川順夫監督の教育映画、『えんぴつ泥棒』、『愛の星座』に教師役で出演。新東宝が『愛の星座』を配給したことが縁となり、同年9月に新東宝に入社。
山田 卓(やまだ たく、本名:山田卓〈やまだ たかし〉、19… 山田 卓(やまだ たく、本名:山田卓〈やまだ たかし〉、1931年8月16日 - 2007年11月2日)は、日本の振付家。その振付作品の多さは群を抜いている。日本振付家協会の創設者であり、会長を務めた。 1931年8月16日、大阪に生まれる。7人の子供の5番目。戦時中もあり、裕福ではない幼少時代を過ごす。1937年、吹田第一小学校に入学。茨木中学校へ進み、器械体操で国体2位を受賞した。3年で終了(この年新制に変わったため)し、鳥羽商船高等学校へ進むが1年半で辞める。理由は、自身の希望した航海科ではなく、さらには軍隊の名残があった校風が肌に合わなかったためと推測される。退学後、姉の勧めで江川バレエ団に入団する。
稲葉 宏雄(いなば ひろお、1931年8月16日 - )は、… 稲葉 宏雄(いなば ひろお、1931年8月16日 - )は、教育学者、京都大学名誉教授。 岐阜県大垣市生まれ。1954年京都大学教育学部卒業。59年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、京都女子大学文学部専任講師、65年助教授。1972年京都大学教育学部助教授、79年教授。88年教育学部長、95年定年退官、名誉教授、近畿大学生物理工学部教授。2000年龍谷大学文学部教授。2003年退職。
鍛冶 昇(かじ のぼる、1931年8月16日 - 2021年… 鍛冶 昇(かじ のぼる、1931年8月16日 - 2021年10月21日)は、日本のテレビ演出家、映画監督、プロデューサー。三重県桑名市生まれ。日本映画監督協会会員。日本映画テレビプロデューサー協会会員。 1945年、慶応義塾大学仏文科卒業。日活撮影所助監督部入社後、主に滝沢英輔、市川崑、斎藤武市の助監督をつとめる。1965年、テレビ映画「山のかなたに」で監督デビュー。1969年に日活を退社後フリーを経て国際放映のプロデューサーとして活動。 1988年〜1994年、日活芸術学院にて映像創作科の専任講師として、映画演出、映画企画製作などの科目を担当。 2021年10月21日死去、90歳。 (特記以外は製作日活)
石塚 英夫(いしづか ひでお、1931年〈昭和6年〉8月14… 石塚 英夫(いしづか ひでお、1931年〈昭和6年〉8月14日 - 2009年〈平成21年〉11月11日)は、新潟県佐渡郡赤泊村(現在の佐渡市)長。 新潟県出身。赤泊小学校、新潟県立加茂農林高等学校卒。地元の青年団で活動し、1963年赤泊村議会議員となり、のちに議長となる。 1972年9月25日から2004年2月29日(合併による佐渡市誕生)まで赤泊村長を8期務める。在任中は県治山林道協会評議員、同砂防協会理事、全国離島振興協議会理事、佐渡治山林道協会会長などを務める。 2009年11月11日午後5時15分頃、佐渡市徳和の県道を歩いていたところ、軽乗用車にはねられ、全身を強く打って間もなく死亡、78歳。
保坂 幸永(ほさか ゆきなが、1931年8月13日 - )は… 保坂 幸永(ほさか ゆきなが、1931年8月13日 - )は、山梨県塩山市赤尾出身の元プロ野球選手(捕手、投手)。 山梨県立日川高等学校では、捕手として1949年の春の選抜に出場。1回戦で北野高に敗退。同年夏の甲子園県予選を勝ち抜き山静大会決勝に進むが、静岡城内高に敗れ甲子園出場を逸する。 卒業後は立教大学へ進学。1年上に堀川瑛(東洋レーヨン)がおり、4年生から正捕手となる。東京六大学野球リーグでは、1953年春季リーグで優勝を経験するが、その後は明大、早大に圧倒され、優勝には届かなかった。大学同期に大沢昌芳、古田昌幸がいる。2年後輩の杉浦忠ともバッテリーを組んだことがあった。 1956年大映スターズに入団。
あまん きみこ(本名(旧姓):阿萬 紀美子(読み同じ)、19… あまん きみこ(本名(旧姓):阿萬 紀美子(読み同じ)、1931年〈昭和6年〉8月13日 - )は、日本の児童文学作家。 旧満洲撫順市に生まれる。父は宮崎県出身で南満洲鉄道(満鉄)系列会社の社員だった。あまんは一人娘で、祖父母や叔母も含めて満鉄の社宅で暮らした。小学校入学時は新京(現在の長春市)在住だったが、当時は病弱だったという。小学3年生の時に大連市に移り住み、(病弱だった新京時代に対し)「私の記憶には大連の日々しかありません」と述べている。その一方、病床で家族から民話・寓話の語りを聞いたり本を読んだことがきっかけで「窓から空を眺めながら、空想でお話を作ることが好きでした」とも述べている。2020年に刊行した絵本『あるひあるとき』は満州時代の体験がモチーフとなっている。
相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日… 相馬健一(そうま けんいち、1931年(昭和6年)8月13日 - )は、日本の実業家。元山形新聞社社長、会長。
平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 19… 平岡 精二(ひらおか せいじ、1931年8月13日 - 1990年3月22日)は、日本の演奏者、ソングライター、編曲家である。日本作曲家協会会員。 1931年(昭和6年)8月13日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。実業家であり三味線奏者で東明節(とうめいぶし)の創始者として知られる、平岡凞こと初代平岡吟舟(1856年 - 1934年)の孫であり、凞の次男、二代目平岡吟舟(本名・平岡次郎)の次男である。シロフォン奏者・平岡養一(1907年 - 1981年)、フィギュアスケーター・平岡露子(1913年 - 2012年)の兄妹は父のいとこであり、「養一の長男」とするのは誤り。初代東明柳舟(本名・高橋楊子、1882年 - 1949年)は、凞の次女であり、精二からは伯母に当たる。
藤井 保憲(ふじい やすのり、1931年8月13日 - 20… 藤井 保憲(ふじい やすのり、1931年8月13日 - 2019年7月20日)は、日本の物理学者。主な専門は、重力理論。理学博士(名古屋大学)。東京大学名誉教授。2019年、叙従四位、瑞宝小綬章追贈。兵庫県神戸市出身。神奈川県横浜市青葉区在住であった。 この当時、藤井保憲は中性ベクトル場を用い、場の理論の観点から基本粒子(坂田模型)間の強い相互作用を媒介する場を創っていた。さらに、この場をゲージ場と見なしていた。 しかし、力の有限到達距離をだすためには媒介粒子の固有質量に帰着させざるを得ず、対称性の自発的破れが知られていない当時は無理であった。そして、その頃の雰囲気もあって埋もれてしまったのであった。
松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2… 松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2006年10月11日)は、日本の映画監督、脚本家、著作家である。
岩崎 力(いわさき つとむ、1931年8月12日 - 201… 岩崎 力(いわさき つとむ、1931年8月12日 - 2015年4月10日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。東京外国語大学名誉教授。 1931年、山形県生まれ。1954年、東京大学教養学部フランス科を卒業し、同大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化修士課程に進んだ。1957年、同大学大学院を修了。 卒業後は、東京外国語大学助教授となり、後に教授昇格。1966年4月28日、映画監督のジャン=リュック・ゴダールが初来日し、日本フィルムライブラリー助成協議会は本国で公開されて間もないゴダールの新作の『男性・女性』の上映会を東京国立近代美術館で開いた。岩崎はその日に行われたインタビューや質疑応答の通訳を務めた。
松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2… 松川 八洲雄(まつかわ やすお、1931年8月12日 - 2006年10月11日)は、日本の映画監督、脚本家、著作家である。 東京都に生まれる。東京都立日比谷高等学校を経て、1956年に東京大学文学部美学美術史学科を卒業する。 新理研映画、日映科学映画製作所を経て、独立する。 1966年、『鳥獣戯画』がベルガモ映画祭芸術部門大賞を受賞する。1983年には、著書『ドキュメンタリーを創る』が刊行される。『出雲神楽』は2002年度キネマ旬報ベスト・テン「文化映画」部門で1位に選ばれた。 2006年10月11日、転移性肺・肝腫瘍のため死去。75歳没。
林 宏(はやし ひろし、1931年8月11日 - 2002年… 林 宏(はやし ひろし、1931年8月11日 - 2002年12月16日)は、日本の経営者。三菱信託銀行社長を務めた。東京都出身。 1957年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に三菱信託銀行に入行。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1988年6月に専務、1989年6月に副社長を経て、1990年3月には社長に就任。1995年6月に会長に就任。 2002年12月16日に肝不全のために死去。71歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
田中 和泉(たなか いずみ、男性、1931年〈昭和6年〉8月… 田中 和泉(たなか いずみ、男性、1931年〈昭和6年〉8月11日 - 2020年〈令和2年〉1月20日 )は、日本の実業家。TBS社長。東京都出身。 1954年(昭和29年)、早稲田大学第一商学部を卒業後、TBSの前身であるラジオ東京に入社。テレビ本部管理部長、企画部長、現業管理室長、経理局長を歴任する。 1983年(昭和58年)取締役に選任され、1987年(昭和62年)常務、1989年(平成元年)社長に就任し、秋山豊寛を日本人初の宇宙飛行士として宇宙空間に送り込んだほか、民放初の経済部を立ち上げた。しかし、損失補填問題の発覚を受け、1991年(平成3年)に社長を辞任した。 2020年(令和2年)1月20日、心不全のため東京都内の病院で死去。
佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 200… 佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 2005年3月21日)は、宮城県刈田郡白石町(現・白石市)出身(台湾台南市桶盤浅生まれ)のプロ野球選手(内野手, 外野手)・コーチ・監督・スカウト、解説者。 現役時は躍動感溢れるプレーで人気を集め、「バンビ」の愛称で知られた。 子息に元早稲田大学助監督、現城西国際大学監督の佐藤孝治がいる。 台湾で繊維業を営んでいた両親の末子として生まれる。 台南一中に進学するが、日本の敗戦により、両親の故郷である白石町に引き揚げ、白石高校に編入。入学後に創部されたばかりで部員を探していた野球部の勧誘を受け、引き揚げの際に野球部だった兄が病死していたため、兄の後を継ごうという思いから野球部に入部した。
小池 清(こいけ きよし、1931年8月10日 - 2012… 小池 清(こいけ きよし、1931年8月10日 - 2012年4月28日)は、元アナウンサー。毎日放送勤務後、フリーアナウンサーに転身した。 東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)田端出身。東京都立北園高等学校を経て、早稲田大学第一文学部英文科へ進学した。早大の同期には俳優の宇津井健(中退)や元読売ジャイアンツ選手の広岡達朗、元日本テレビアナウンサーの金原二郎らがいた。 大学卒業後の1954年4月に、新日本放送にアナウンサーとして入社した。当時の新日本放送はラジオ単営局で、同期のアナウンサーに藤本永治がいる。なお、新日本放送は1958年に「毎日放送」と改称し、1959年3月1日に、テレビ(以下「MBSテレビ」と略記)の本放送を開始した。
松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1… 松本 暢章(まつもと のぶあき、1931年8月10日 - 1998年3月14日)は、大阪府出身の元フリーアナウンサー。 登校拒否・不登校問題全国協議会の代表者・松本弘義は実兄。 旧制天王寺中学時代には野球部に所属。強打の左翼手として活躍し、1947年の春の選抜に出場。学制改革後は夕陽丘高校を卒業。 関西学院大学進学後は母校で野球部の監督を務める傍ら、創設間もない放送研究会に在籍。大学野球の実況や様々なナレーションをやっているところを開局準備中であった神戸放送(現・ラジオ関西)のスタッフにスカウトされ、在学中の1952年にパーソナリティとしてデビュー。卒業後の1958年に開局したばかりの関西テレビ(KTV)へ第1期アナウンサーとして入社し、主にプロ野球や競馬といったスポーツ中継を担当。
三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 202… 三好 重恭(みよし しげやす、1931年8月9日 - 2022年7月8日)は、日本の実業家、工業デザイナー。アルマン株式会社創業者。禁煙グッズ「禁煙パイポ」の開発者であり、1980年代半ばにユニークなテレビCM戦略で社会現象を巻き起こしたヒットメーカーとして知られる。 1984年の設立当初、社長以下わずか4名の体制で「禁煙パイポ」を発売。静岡県でのテスト販売を経て、首都圏、名古屋、大阪へと市場を拡大した。発売当初は月商580万円ほどであったが、テレビCMのヒットにより1年足らずで月商3億円(年商換算30億円規模)を超える爆発的な成長を記録した。 三好は禁煙パイポを単なる健康器具ではなく、口寂しさを紛らわせる「おしゃぶり」のような「心理的商品」と定義した。
宮智宗七(みやち そうしち、1931年8月9日 - 2015… 宮智宗七(みやち そうしち、1931年8月9日 - 2015年7月7日)は、日本のジャーナリスト、経済学者。 東京府にて宮智喜十郎の子として生まれる。祖父は彫金家の宮智一男。1955年早稲田大学政経学部経済学科卒、日本経済新聞社入社、ロンドン特派員、経済部次長、経済解説部長産業部長 北米総局長などを経て論説副主幹、89年テレビ東京取締役解説委員長、95年退任。産能大学経営学部教授を務めた。墓所は江東区清澄の本誓寺。
植松 治雄(うえまつ はるお、1931年8月8日 - 201… 植松 治雄(うえまつ はるお、1931年8月8日 - 2018年3月7日)は、日本の医師。第16代日本医師会会長、財団法人日本学校保健会会長。その他、厚生省医道審議会委員など歴任。医学博士(大阪大学、1960年)。香川県生まれ。 初代 北里柴三郎1916-1931 / 2代 北島多一1931-1943 / 3代 稲田龍吉1943-1946 / 4代 中山寿彦1946-1948 / 5代 高橋明1948-1950 / 6代 田宮猛雄1950 / 7代 谷口弥三郎1950-1952 / 8代 田宮猛雄1952-1954 / 9代 黒澤潤三1954-1955 / 10代 小畑惟清1955-1957 / 11代 武見太郎1957-1982 / 12代 花岡堅而1982-1984 / 13代 羽田春兔1984-1992 / 14代 村瀬敏郎1992-1996 / 15代 坪井栄孝1996-2004 / 16代 植松治雄2004-2006 / 17代 唐澤祥人2006-2010 / 18代 原中勝征2010-2012 / 19代 横倉義武2012-2020 / 20代 中川俊男2020-2022 / 21代 松本吉郎2022- この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。