長 幸男(ちょう ゆきお、1924年(大正13年)6月14日… 長 幸男(ちょう ゆきお、1924年(大正13年)6月14日 - 2007年(平成19年)1月30日)は、日本の経済学者。 東京出身。東京帝国大学経済学部卒。妻は武田清子。高崎市立短期大学助教授、専修大学助教授、教授、1970年東京外国語大学教授。1985-1989年学長。1993年多摩大学教授。1999年秋、勲二等瑞宝章受勲。 大塚久雄の影響を受け、近代日本の経済思想史、金融論を研究、東洋経済新報社刊の『石橋湛山全集』を編纂した。
久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - … 久徳 重盛(きゅうとく しげもり、1924年6月14日 - 2002年8月11日)は日本の小児科・精神科医師、医事評論家。 名古屋大学講師、愛知医科大学教授を経て久徳クリニック院長を勤め、人間形成医学研究所長も務めた。「母原病」という言葉を同名著書によって広めたとされる。 1924年6月14日、愛知県名古屋市に生まれる(出身地を大阪府高槻市とする文献もある)。 1949年、名古屋大学医学部卒業。 1950年、名古屋大学小児科学教室入局。 1951年、名古屋第一赤十字病院小児科勤務。 1955年、名古屋大学に復帰。 1959年、名古屋大学医学部附属病院分院小児科長。同年に名古屋大学の医学博士となった。
三田 隆(みた たかし、1924年6月13日 - 1961年… 三田 隆(みた たかし、1924年6月13日 - 1961年1月1日)は、日本の俳優である。本名は国木田 篤夫(くにきだ あつお)。旧芸名は木田 篤夫(きだ あつお)、重光 彰(しげみつ あきら)、重光 彬。 1924年6月13日、東京府東京市(現在の東京都)に小説家国木田独歩の長男であり、詩人・映画作家の国木田虎雄の子として生まれる。 小学生時代の1938年、木田篤夫という芸名で東京発声映画製作所が製作した阿部豊監督映画『太陽の子』に、不良少年を教化する農園に収容される少年役で映画デビュー。ただし日本映画データベースでは、本名で出演としている。その後、日本大学専門部芸術科美術課程で商業美術を専攻して卒業後、東和商事映画部に入社する。
上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 201… 上野 他一(うえの たいち、1924年6月10日 - 2015年5月4日)は、日本の経営者。クラレ社長を務めた。大分県大分市出身。 1958年に九州帝国大学法文学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。 1972年11月に取締役に就任し、1975年5月には専務に就任した。 1978年5月にクラレに転じ、同年6月に専務に就任し、1981年6月に副社長に就任し、1982年10月には社長に昇格した。1990年6月から相談役に就任した。 2015年5月4日前立腺がんのために死去。90歳没。
玉城 逸夫(たまき いつお、1924年6月10日 - 200… 玉城 逸夫(たまき いつお、1924年6月10日 - 2008年8月31日)は、京都府京都市出身の日本の土木・地球物理学者。大阪工業大学名誉教授。理学博士(京都大学)。物理探査学会元理事・名誉会員。勲三等瑞宝章受章。 専門は、地球物理学・地震工学、測量学、土木地質学・地学/地すべり学。 1950年京都大学理学部地球物理学科卒業。京都大学第1期特別研修生となり、修了後、1954年大阪工業大学に着任、工学部にて土木工学教育・研究を担当。1962年京都大学より論文「地震活動度と地殻構造の結びつき : 特に日本地域について」で理学博士の学位を取得。同年、大阪工業大学教授に就任。1965年同大学中央研究所所属となる。
川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2… 川端 要壽(かわばた ようじゅ、1924年6月10日 - 2013年3月14日)は、文芸・相撲評論家、小説家。 岐阜県出身。のち東京府南葛飾郡小岩町(現・東京都江戸川区)に移る。小岩町立下小岩尋常小学校(現・江戸川区立下小岩小学校)に入る。尋常小学校では後の横綱栃錦とは同級生だった。その後横浜高等工業学校(現・横浜国立大学)を卒業する。数々の職業遍歴を経て、1969年から東京都板橋区の三和化学に勤務した。競馬を好む。
岸中 士良(きしなか しろう、1924年(大正13年)6月9… 岸中 士良(きしなか しろう、1924年(大正13年)6月9日 - 1994年(平成6年)5月12日)は、立川市長(3期)。医学博士。 石川県出身。1949年(昭和24年)日本医科大学卒。1958年(昭和33年)に立川市で岸中外科医院を開業する。1975年(昭和50年)の立川市長選挙に立候補して当選し、3期務めた。1987年(昭和62年)に引退した。1994年死去。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
勝又 武一(かつまた ぶいち、1924年6月9日 - 201… 勝又 武一(かつまた ぶいち、1924年6月9日 - 2014年1月8日)は、日本の政治家。本名は、勝又 武一(かつまた たけいち)。参議院議員(1期、日本社会党)。 静岡県富士市出身。横浜市立経済専門学校(現横浜市立大学)卒業。民間会社勤務を経て、学校教諭となり、静岡県教組委員長などを歴任。1977年、参議院静岡選挙区から日本社会党公認で出馬し初当選。参議院逓信委員長などを務めたが、1983年に、体調不良のため1期で政界引退。 1994年秋の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。 2014年1月8日、肺炎のため富士市の病院で死去、89歳没。死没日をもって正五位に叙される。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不… 若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不明)は、長野県北佐久郡岩村田町(現・同県佐久市)大字長土呂出身で西岩部屋(入門時は若松部屋)に所属した大相撲力士。本名は東城 武(とうじょう たけし)。現役時代は、最高位は西前頭18枚目(1951年1月場所)。現役当時の体格は180cm、84kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。 16歳の時に上京し、若松部屋(後、西岩部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵(前相撲)翌5月場所で新序・翌1942年1月場所で序ノ口に昇進した。 生まれついての近視であり、それ故に相手から離れての取り口が困難であった。長身の割に細身で、右四つからの吊りや投げを得意とした。
渡辺 仁治(わたなべ としはる、1924年6月6日 - 20… 渡辺 仁治(わたなべ としはる、1924年6月6日 - 2009年4月7日)は、日本の陸水学者。元奈良女子大学教授。日本珪藻学会名誉会長。 旧制京都府立第三中学校(現・京都府立福知山高等学校)を経て、1948年3月に金沢高等師範学校生物科を卒業する。1949年3月からは奈良女子高等師範学校文部教官、1952年3月から奈良女子大学付属高校・中学校教諭となり、1965年3月まで務める。 一方、研究活動では1953年1月より京都大学理学部大津臨湖実験所の院外研究者となる(1963年3月まで)。この間、1961年7月に京都大学より理学博士号を取得した。 1965年4月より奈良女子大学理学部助手となる。その後、1972年2月に同大学助教授、同年3月に金沢大学教養部教授。
成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019… 成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019年8月3日)は、日本の臨床心理学者、臨床心理士。医学博士。九州大学名誉教授、元吉備国際大学教授。日本リハビリテイション心理学会名誉理事長、日本臨床動作学会名誉会長。正四位。 岐阜県生まれ。東京高等師範学校を経て、1950年に東京文理科大学心理学科を卒業後、1951年から1953年まで東京文理科大学助手、1953年から1962年まで東京教育大学助手・講師、1962年から1988年まで九州大学教育学部助教授、同教授。1988年、臨床心理士第1号(日本臨床心理士資格認定協会)。1989年から1993年まで九州女子大学・九州女子短期大学の学長を務める。
吉川 経夫(きっかわ つねお、1924年6月4日 - 200… 吉川 経夫(きっかわ つねお、1924年6月4日 - 2006年8月31日)は、日本の法学者。法政大学名誉教授(刑法)。京都府京都市出身。長男の純は弁護士。弟の進三は同志社大学教授。 刑法学説の位置づけとしては、自由主義的でありながら、法律の権威を守ることも重視する、大場茂馬以来の後期旧派(後期古典派)の系譜に属する。 2006年8月31日19時、膵臓がんのため東京都内の自宅で死去。82歳没。
堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5… 堀 敏一(ほり としかず、1924年6月3日- 2007年5月29日)は日本の東洋史学者。明治大学名誉教授、東洋文庫研究員。『世界史の基本法則』の唐代担当、『均田制の研究』など西嶋定生と共に東京学派を代表する研究者として活躍し、退任後は『漢の劉邦-ものがたり漢帝国成立史』など一般向けの著書を多く出した。
上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月… 上原 賢六(うえはら けんろく、1924年(大正13年)6月3日 - 1980年(昭和55年)9月14日)は昭和期の作曲家。兄は同じく作曲家の上原げんと。 青森県つがる市出身。東洋音楽学校卒業。1945年(昭和20年)、召集され満州へ出征。シベリア抑留を経験し、帰国後、兄上原げんとのもとで作曲を学ぶ。後に作曲家になる船村徹と知り合い、共にバンドの仕事をするなどして、1953年(昭和28年)テイチクレコードの専属作曲家になる。主に石原裕次郎とコンビを組み、「俺は待ってるぜ」、「錆びたナイフ」、「赤いハンカチ」などを作曲した。1980年(昭和55年)9月14日心臓疾患にて死去。56歳没。墓所は東京都の小平霊園。
小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 198… 小川 善治(おがわ よしはる、1924年6月2日 - 1987年7月29日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手)。 千葉商業から明治大学へ進学。1945年11月に新設球団セネタースから勧誘を受けるが、固辞して大学に残る。1946年には母校の千葉商業で監督を務めている。1948年の大学卒業に当たって、明治大学の同期で東急フライヤーズ(セネタースの後身)に所属していた清水喜一郎から東急入団の勧誘を受けるが、小川は再び固辞して小口工作所に入社した。 1949年に大映スターズのスカウト・小林次男の勧誘を受けて入団。カーブ、ドロップ、スライダー、シュートを武器に2年目に二桁となる12勝を挙げた。1954年と1955年にも2桁勝利を記録し、大映の先発陣の柱として活躍した。
飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月… 飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉3月2日)は、日本の作家。元読売新聞社会部記者。タレントの飯干恵子(現:飯星景子)は娘。映画『仁義なき戦い』シリーズの原作者として知られる。 大阪府出身。旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)卒業後、旧制第七高等学校(現在の鹿児島大学)卒業、1950年京都大学法学部(現在の京都大学大学院法学研究科・法学部)卒業。 読売新聞勤務時は社会部副編集長であったが、「現場に出られないとつまらん」と会社を辞め、『山口組三代目』を執筆し、それまでになかった切り口で広島ヤクザ抗争の内部を克明に描いた『仁義なき戦い』を週刊サンケイに連載し反響を得る。
鳥山 英雄(とりやま ひでお、1924年6月 - )は日本の… 鳥山 英雄(とりやま ひでお、1924年6月 - )は日本の物理学者、理学博士、植物生理学、生体電位と地震前兆学の国際権威学者。日本現役活動している最長老の生物生理学者の一人、生物理学評論家、東京女子大学名誉教授。 1949年3月北海道大学理学部植物学科卒業。1950年4月東京女子大学文理学部助手。その後専任講師、助教授を経て、1962年4月教授。1959年12月理学博士(旧制)。1969〜1970年米国オハイオ大学客員教授。1986〜1991年国際研究センター“BeforeDay”(防災科学研究所、在ナポリ)の客員研究員。
清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月3… 清滝 一也(きよたき かずや、1924年〈大正13年〉5月31日 - 2024年〈令和6年〉5月10日)は、日本の経営者。大阪府池田市名誉市民。池田銀行頭取を務めた。プリンストン大学教授の清滝信宏は次男。実父は内外除虫菊社長の上山薫、養父は池田銀行頭取の清滝幸次郎。 和歌山県有田市出身。旧制佐賀高等学校を経て、1950年に東京大学法学部を卒業し、同年に日本興業銀行に入行。1979年11月に池田銀行に転じ、専務に就任し、1980年6月には頭取に就任。 1998年、いけだ市民文化振興財団理事長。2001年1月に会長に就任。2004年、相談役に就任。2012年、池田泉州銀行名誉顧問。 2024年5月10日、死去。
山内 宏(やまうち ひろし、1924年5月31日 - )は日… 山内 宏(やまうち ひろし、1924年5月31日 - )は日本の大蔵官僚。 奈良県出身。東京大学法学部政治学科卒業。1948年9月 大蔵省に入省(主計局法規課)。1952年8月 出雲税務署長。1953年9月 甲府税務署長。1954年7月 三重県総務部庶務課長。1971年6月 主税局総務課長。1973年6月 大阪国税局長。1975年7月 大臣官房審議官(主税局担当)。1977年6月10日 証券局長。1978年5月10日 退官。同年5月 農林中央金庫専務理事 (〜1982年12月)。1982年12月24日 大阪証券取引所理事長(〜1994年6月21日)。1994年6月30日 大阪証券取引所相談役。1994年7月5日 コナミ常勤相談役。
前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - … 前田 信二郎(まえだ しんじろう、1924年5月30日 - 1974年3月3日)は、刑法学者、犯罪学者。 京都市生まれ。1948年京都帝国大学法学部卒。研究生をへて1953年近畿大学法学部助教授、教授、琉球大学教授。49歳で死去。売春、サド裁判などについても研究した。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
木村 保久(きむら やすひさ、1924年5月29日 - 20… 木村 保久(きむら やすひさ、1924年5月29日 - 2015年2月19日)は元プロ野球選手(内野手)。愛知県一宮市出身。
鬼頭 勝治(きとう かつじ、1924年5月28日 - )は、… 鬼頭 勝治(きとう かつじ、1924年5月28日 - )は、愛知県名古屋市南区野立町出身の元プロ野球選手(外野手)。
長谷川 純三(はせがわ じゅんぞう、1924年5月28日 -… 長谷川 純三(はせがわ じゅんぞう、1924年5月28日 - 2025年11月12日)は、日本の体育・道徳教育学者。筑波大学名誉教授、至学館大学名誉教授。専攻は野外教育・社会教育・社会体育。 愛知県春日井市生まれ。1944年愛知第一師範学校卒、陸軍特別操縦見習士官として中国・朝鮮に従軍、敗戦後、小学校教諭、県立工業高校教諭、1950年東京教育大学体育学部入学。卒業後、1961年同大学院修了。文部省体育局、東京教育大学助教授、筑波大学教授。1988年定年退官、名誉教授。日本ユースホステル協会会長。2002年、勲四等旭日小綬章受勲。
三浦 守(みうら まもる、1924年5月28日 - 2020… 三浦 守(みうら まもる、1924年5月28日 - 2020年7月22日)は、日本の経営者。東急百貨店社長、会長を務めた。山形県出身。 1948年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に東京急行電鉄を経て、東横百貨店(現在の東急百貨店)に入社。調査や渉外を担当し、長野県の百貨店との提携と北海道での百貨店設立に尽力した。1968年に取締役に就任し、1970年に常務、1973年9月に専務を経て、1978年7月には副社長に就任し、1981年4月には社長に昇格。社長在任時には、バブル経済と重なり、「闘う財務」と称して、財務テクノロジーによる業績の底上げを図ったが、あまりうまくいかなった。1992年4月に会長、1999年4月に相談役を経て、2005年4月から顧問を務めた。
伊藤 清司(いとう せいじ、1924年5月27日 - 200… 伊藤 清司(いとう せいじ、1924年5月27日 - 2007年6月16日)は、日本の中国文化学者。慶應義塾大学名誉教授。 1924年岩手県生まれ。1947年慶應義塾大学文学部史学科を卒業。同大学大学院に進学し、1959年に博士課程を満期退学した。 1962年、母校の慶應義塾大学文学部専任講師となり、後に助教授、1970年より教授。1984年からは同大学言語文化研究所所長も務めた。1991年、学位論文『東アジア民間説話の比較研究』を慶應義塾大学に提出し、文学博士号を取得。1988年に慶應義塾大学を定年退任し、名誉教授となった。その後は杏林大学外語学部教授として教鞭をとり、学部長もつとめた。また、中国雲南大学名誉教授。
玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010… 玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010年7月13日)は、昭和・平成期の歌人、文芸評論家。 宮城県仙台市米ヶ袋生まれ。1931年(昭和6年)東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺に転居。1939年(昭和14年)北原白秋主宰の『多磨』に入会。白秋没後は巽聖歌に師事した。青山学院中学部を経て、1944年(昭和19年)第二高等学校卒、東京帝国大学文学部美学美術史科卒。戦時中は学徒動員を経験した。 戦後は都立高校の教師を務めるかたわら短歌を続け、歌壇や戦後派短歌、前衛短歌から距離を置いた独自のスタンスを保ち続けた。1972年(昭和47年)『樛木』で第24回読売文学賞受賞。1978年(昭和53年)歌誌「うた」創刊、2002年(平成14年)まで続けた。
望月 幸明(もちづき こうめい、1924年5月25日 - 2… 望月 幸明(もちづき こうめい、1924年5月25日 - 2020年8月8日)は、日本の政治家。山梨県公選第4代知事。位階勲等は正四位旭日重光章。 山梨県南巨摩郡中富町(現在の身延町)出身。旧制身延中学(現在の山梨県立身延高等学校)卒業。松本高等学校文科乙類(現在の信州大学人文学部)を経て東京大学法学部卒業。日本発送電株式会社勤務を経て山梨県庁に入り、天野久知事時代に県人事委員会総務課長を務める。県教育長、県総務部長などを歴任し、天野知事が5期目で田邊圀男に敗退した後も県政への働きを評価され、1977年(昭和52年)3月に山梨県副知事となる。自民党所属の金丸信は天野前知事支持であったが、金丸が中央政界で地位を上げていくと県議会においても金丸派が最大与党となっており、1979年(昭和54年)の田邊知事4期目をかけた山梨県知事選挙において、野党社会党県本部は田邊知事の4選を阻止するために保革連合で社会党寄りとされていた望月を擁立する。
笠石 徳五郎(かさいし とくごろう、1924年5月25日 -… 笠石 徳五郎(かさいし とくごろう、1924年5月25日 - 没年不詳)は、福岡県出身のプロ野球選手。 豊国商業学校から1943年に阪急軍へ入団。 1946年に中部日本でプロ野球に復帰するが、1948年限りで退団し、八幡製鉄に入社。 1950年に西鉄クリッパースでプロ復帰。翌年に退団し、その後は東洋高圧でプレーした。 2010年に発行された『ライオンズ60年史』によると、既に故人とのこと。
芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年… 芥川(間所) 紗織(あくたがわ〈まどころ〉さおり、1924年〈大正13年〉5月24日 - 1966年〈昭和41年〉1月31日)は、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。 1950年代から急逝するまで、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家である。 「芥川」は芥川也寸志との最初の結婚時の、「間所」は間所幸雄との再婚後の姓で、旧姓は山田である。「芥川紗織」とも「間所紗織」とも呼ばれるが、2つの姓を併記して「芥川(間所)紗織」と書かれることも多い。 旧姓を山田といった。東京音楽学校(現・東京藝術大学)本科声楽部を卒業後、作曲家の芥川也寸志と結婚し、芥川麻実子ら2女をもうけた。
小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - … 小松原 博喜(こまつばら ひろき、1924年5月24日 - 1965年4月23日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手。ポジションは、主に内野手・外野手としてプレーし、1949年まで投手も兼任した。 横浜商業では第15回選抜中等学校野球大会に出場。 卒業後の1942年に大和軍へ入団する。同年4月22日の対東京巨人軍戦に初先発するが、この試合で14与四球を記録、これは野茂英雄に1992年に並ばれ、1994年に16個で抜かれるまで日本プロ野球記録であった。なお、この試合では押し出しは与えず完投し4失点(3自責点)で切り抜けている。この年の投手としての登板は5試合に留まるが、左翼手や一塁手を務めて82試合に出場。
高橋 豊(たかはし ゆたか、1924年5月24日 - 199… 高橋 豊(たかはし ゆたか、1924年5月24日 - 1995年11月27日)は、日本の翻訳家。本名:高橋 豊治(たかはし とよじ)。 岩手県胆沢郡金ヶ崎村(現・金ケ崎町)出身。東京大学教育学部卒、出版社勤務を転々とする。1949年に鱒書房に入社し、『夫婦生活』の編集に当たったが、セックス特集で無関係の人々の写真を掲載する問題を起こして解雇された。旧知の田村隆一の紹介で編集者の内田庶と知り合い、大久保康雄の下で修業しながら翻訳を始める(宮田『戦後翻訳風雲録』)。 1952年から翻訳を専業とする。アガサ・クリスティー、エドガー・ライス・バローズ、E・S・ガードナー、ウィリアム・アイリッシュなど、推理小説を中心に翻訳。
武山 斌郎(たけやま としろう、1924年5月23日 - 2… 武山 斌郎(たけやま としろう、1924年5月23日 - 2009年4月21日)は、日本の機械工学者。東北大学名誉教授。石巻専修大学名誉教授。元日本伝熱学会会長。 旧制石巻中学、旧制二高を経て、1946年に東北帝国大学工学部機械工学科を卒業し、東北帝国大学工学部助手。 1949年東北大学工学部講師。1951年東北大学工学部助教授。1959年東北大学工学博士。1964年東北大学工学部教授。1981年東北大学評議員。1983年東北大学工学部長。1984年日本伝熱学会会長。石巻専修大学理工学部教授を経て、石巻専修大学名誉教授。2001年勲二等瑞宝章受章。2009年4月21日、肺炎のため死去、正四位。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
林 直明(はやし なおあき、1924年5月22日 - )は、… 林 直明(はやし なおあき、1924年5月22日 - )は、元プロ野球選手(投手)。愛知県出身。兄は同じくプロ野球選手の林安夫。
荒田 吉明(あらた よしあき、1924年5月22日 - 20… 荒田 吉明(あらた よしあき、1924年5月22日 - 2018年6月5日)は、日本の金属工学者。工学博士。大阪大学名誉教授。日本学士院会員。高温学会会長。世界的に未解明だった熱加工特性を解明し、国際的に新しい「高温科学」の体系を確立した人物。2004年、瑞宝重光章受章。2006年、文化勲章受章。京都府生まれ。 荒田吉明は、世界的に未解明だった熱加工特性を解明し、「超高エネルギー密度熱源の開発」と「超高エネルギー密度熱源の高度加工への適用」という画期的な新分野を開拓した。さらに、これを基盤として、新しく「高温工学」、「プラズマ工学」、「新溶接工学」の分野を国際的に確立することにより「高温科学」の体系化を国際的に行った。
関山 耕司 (せきやま こうじ、1924年5月22日 - 2… 関山 耕司 (せきやま こうじ、1924年5月22日 - 2013年) は、日本の俳優。東京都文京区出身。 電機学校卒業後、東映へ入社。脇役として映画やテレビ映画に数多く出演しており、角刈りにした強面の外見から、悪役では武闘派ヤクザや暴力看守、善人役では警察関係者を多く演じた。若山富三郎がひきいた俳優集団「若山組」のメンバーだった。2013年、老衰の為死去 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
藤田 博保(ふじた ひろやす、1924年5月21日 - 20… 藤田 博保(ふじた ひろやす、1924年5月21日 - 2007年9月6日)は、日本の児童文学者。 青森県西津軽郡水元村妙堂崎(現北津軽郡鶴田町)出身。木造中学校卒。1948年から尾上町立尾上中学校(現平川市立尾上中学校)に数学教員として採用、その後弘前市立第一中学校、弘前市立新和中学校、弘前市立石川中学校、弘前市立第四中学校に赴任。小説「十六才」で1966年度家の光協会地上文学賞、「嫁の位置」で1973年度同文学賞を再度受賞。「甚平とシャモ」が1975年度講談社児童文学新人賞佳作となり、翌年『情っぱりとシャモ』と改題して刊行し児童文学作家としてデビューし、多くの著作をなした。
増田光吉(ますだ こうきち、1924年5月21日-1988年… 増田光吉(ますだ こうきち、1924年5月21日-1988年9月24日)は、日本の社会学者。家族社会学、住宅などについて研究した。 大阪府出身。京都帝国大学文学部社会学科卒。甲南大学助教授、教授。
中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1… 中島 千恵子(なかじま ちえこ、1924年5月21日 - 1999年11月16日)は、日本の児童文学作家・放送作家。 京都市出身。1949年同志社大学文学部卒。長浜市立図書館館長を経て、滋賀文教短期大学教授を務めた。1967年「まめだの三吉」で毎日児童小説入選、1968年『タブーの島』で毎日児童小説入選。ラジオ作品に「山にあるいのち」「日本海」などがある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1… 相田 みつを(あいだ みつを、雅号:貪不安(ドンフアン)、1924年〈大正13年〉5月20日 - 1991年〈平成3年〉12月17日)は、日本の詩人、書家。平易な詩を独特の書体で書いた作品で知られる。書の詩人、いのちの詩人とも称される。栃木県足利市出身。本名は相田 光男(あいだ みつお)。 1924年、栃木県足利市に6兄弟の三男として生まれた。生家は名刹、鑁阿寺(ばんなじ)の東に位置していた。旧制栃木県立足利中学校在学中に書や短歌、絵に親しんだが、喫煙の濡れ衣をきせられ軍事教練の教官に嫌われたために進学を断念。卒業後は歌人・山下陸奥に師事した。1942年、歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の武井哲応と出会い、在家しながら禅を学んだ。
坂本 秀夫(さかもと ひでお、1924年5月20日 - )は… 坂本 秀夫(さかもと ひでお、1924年5月20日 - )は、日本の教育評論家。 栃木県出身。中央大学法学部卒業。東京都立桜水商業高等学校教諭、全国高等学校教育法研究会長、日本教育法学会理事、のち名誉理事。東京都立大学 (1949-2011)・中央大学非常勤講師などを務める。管理教育批判で論陣を張る。
竹田 旦(たけだ あきら、1924年5月20日 - 2021… 竹田 旦(たけだ あきら、1924年5月20日 - 2021年10月4日)は、日本の比較民俗学者、茨城大学・創価大学名誉教授。日本と朝鮮の比較民俗学を専攻した。 愛知県知多郡に生まれる。東京文理科大学を卒業した。1962年「民俗慣行としての隠居の研究」で東京教育大学から文学博士の学位を取得した。 東京教育大教授、茨城大学教授を務め、1989年に定年退官して、茨城大学名誉教授となる。1990年からは創価大学教授を務め、2000年に特任教授、同名誉教授となる。1977年からは中央大学民俗研究会顧問も務めた。 1964年に「民俗慣行としての隠居の研究」で第3回柳田賞を受賞した。2001年、勲四等旭日小綬章を受章した。
一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日… 一錦 周之助(いちにしき しゅうのすけ、1924年5月20日 - 2012年7月20日)は、青森県東津軽郡横内村(現:青森市)出身で高嶋部屋所属の大相撲力士。本名は鳴海 周之助(なるみ しゅうのすけ)。現役時代の体格は身長177cm、体重79kg。最高位は西十両7枚目(1951年5月場所)。得意技は突っ張り・右四つ・上手投げ。2代安治川、9代友綱。魁将龍の祖父、巴潟の義弟、魁輝の義父。引退後は友綱部屋を継承し、停年まで後進の指導に当たった。 17歳の時に高嶋部屋に入門し、1942年1月場所に初土俵を踏んだ。1946年11月場所には初土俵から所要9場所(当時は年2場所制)で十両に昇進した。しかし同場所を全休し、1場所で幕下に陥落。
中尾 宏(なかお ひろし、1924年(大正13年)5月19日… 中尾 宏(なかお ひろし、1924年(大正13年)5月19日 - 1992年(平成4年)7月12日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員(1期)。 鹿児島県川内市(薩摩川内市)生まれ。旧制鹿児島中学校(現 鹿児島高等学校)を経て、旧制鹿児島高等商業学校(現 鹿児島国際大学)卒。満洲国に渡り、満州電業社に勤務する。後に帰国し改造社を創業した山本実彦の秘書になる。 1972年の第33回衆議院議員総選挙において鹿児島2区から無所属で立候補して当選、自民党に入る。衆議院議員は1期務めた。1976年の第34回衆議院議員総選挙で落選。以後、立候補しなかった。 1983年に世界出版を創設。雑誌『世界春秋』の主幹となる。
林 迶(はやし ゆう、1924年5月19日 - 1994年2… 林 迶(はやし ゆう、1924年5月19日 - 1994年2月11日)は、日本の政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。労働大臣(第48代)。 逓信相や農商務相を歴任した林有造の孫、副総理や衆議院議長などを歴任した林譲治の長男。弟・林遉(さすが)は宿毛市市長を務めた。 高知県出身。明治大学政経学部卒業後、東邦レーヨンに勤務。1974年参議院高知県選挙区補欠選挙で当選し、3期務める。 1979年6月6日、参議院本会議で元号法案に対し自由民主党・自由国民会議を代表し賛成討論を行った。 1985年、第2次中曽根第2次改造内閣の労働大臣に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選。翌1990年の第39回衆議院議員総選挙に無所属で出馬したが、再度落選し引退。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
吉原 薫(よしはら かおる、1924年 <大正13年> 5月… 吉原 薫(よしはら かおる、1924年 <大正13年> 5月18日 - 1990年 <平成2年> 7月24日)は、日本の政治家。元阿南市長。自治大学校卒業。徳島県阿南市福井町出身。位階は正六位。 阿南市福井町出身。大阪市立東第二商業高等学校、自治大学校卒業。 1951年、旧見能林村役場に入り、1953年に同村収入役に就任。1955年、旧富岡町秘書室長に就任。1961年、合併により阿南市財政課長・総務課長に就任。1970年、同市助役、1974年、同市第一助役に就任。 1975年、阿南市長に初当選し1987年まで3期に渡り務めた。1990年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
寺田 一壽男(てらだ いすお、1924年5月17日 - 20… 寺田 一壽男(てらだ いすお、1924年5月17日 - 2005年2月11日)は、北海道の元地方公務員・学校経営者。北海道生まれ。「寺田一寿男」とも表記される。 1947年北海道帝國大學農学部卒。同年、北海道庁入庁。その後、同庁企画部長、同庁生活環境部長、同庁総務部長を経て、1977年北海道副知事に就任(知事は堂垣内尚弘)。1983年北海道庁退官。同年、北海道信用保証協会会長(1995年(平成7年)まで)。1991年、東日本学園大学(現北海道医療大学)を運営する学校法人東日本学園大学の理事。1994年(平成6年)北海道拓殖銀行監査役(1997年(平成9年)まで)・北海道電力株式会社監査役(2003年(平成15年)まで)。
長岡 実(ながおか みのる、1924年5月16日 - )は、… 長岡 実(ながおか みのる、1924年5月16日 - )は、日本の官僚。大蔵事務次官。
小笠原 和男(おがさわら かずお、1924年5月16日 - … 小笠原 和男(おがさわら かずお、1924年5月16日 - 2016年12月17日)は、俳人。 愛知県碧南市出身。1939年岩田潔に俳句を学ぶ。石田波郷、石塚友二に師事。1969年『鶴』(星野立子)に参加、『飛鳥集』同人、1984年『初蝶』創刊に参加、主宰。『立羽集』同人。
高山 一彦(たかやま かずひこ、1924年5月14日- 20… 高山 一彦(たかやま かずひこ、1924年5月14日- 2016年9月29日)は、西洋史学者。専門は、フランス史、特にジャンヌ・ダルク研究。成蹊大学名誉教授。 仏領インドシナ(ベトナム)に生まれる。東京出身。1948年東京大学文学部西洋史学科卒業。成蹊大学助教授、教授。1984年フランス共和国教育功労章受勲。1995年定年退職、名誉教授。1974年よりオルレアン市立ジャンヌ・ダルク研究センター名誉委員。