吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 202… 吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 2025年2月3日)は、京都府京都市中京区出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問であった。 現役時代は「今牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務めた。阪神を初めて日本一に導き、また阪神の監督を3度経験した唯一の人物である。 ニックネームは「よっさん」。1989年から1996年まで野球フランス代表監督を務め、「ムッシュ」とも呼ばれる。甥の谷真一も近鉄バファローズの元プロ野球選手。 1946年、旧制中等学校の京都市立第二商業学校に入学。
笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7… 笈田 ヨシ(おいだ ヨシ、Yoshi Oïda、1933年7月26日 - )は、日本の俳優・演出家。旧芸名は笈田 勝弘。兵庫県神戸市出身。パリ在住。内外の舞台で活躍。 甲南中学校・高等学校、慶應義塾大学文学部哲学科卒業。慶應義塾大学在学中、文学座に入団。劇団四季を経て、1968年にロンドンでピーター・ブルック演出の実験劇『テンペスト』に出演。 1970年にブルックが設立した国際演劇研究センター(CIRT)に参加。以後パリを拠点に、主に各国の劇場で活躍。著書に『俳優漂流』『見えない俳優』(五柳書院)がある。他に数カ国語の翻訳がある。 1990年代に笈田 ヨシ、あるいはヨシ 笈田に改名。 1992年にフランス芸術文化勲章シュバリエ受勲。
佐藤 彰夫(さとう あきお、1933年7月26日 - )は、… 佐藤 彰夫(さとう あきお、1933年7月26日 - )は、日本の経営者。三井化学社長を務めた。東京都出身。 1957年に東京大学を卒業し、同年に三井化学工業に入社。1968年に三井東圧化学に転じ、1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月に社長に就任。1997年10月には合併で発足した三井化学社長に就任し、1999年6月から相談役を務めた。 2020年4月に旭日重光章を受章。
武田 京子(たけだ きょうこ、旧姓:矢野、1933年7月25… 武田 京子(たけだ きょうこ、旧姓:矢野、1933年7月25日 - )は、日本の女性問題評論家。 山口県山口市に生まれ、宮崎県西都市で育つ。1957年、お茶の水女子大学文教育学部を卒業して、出版業界に入り、以降、小学館、主婦の友社、国土社で、編集などの経験を積む。 1970年代前半から、「主婦問題研究家」という肩書きを用いて講演や評論活動を行い、1975年の「国際婦人年」を契機とした女性の社会参加への関心の高まりの中で、市川房枝、樋口恵子、俵萌子、吉武輝子、田中寿美子、中島通子らが世話人となった「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」の事務局を担った。 1976年に独立し、以降、主婦業、親子関係、夫婦関係、女性の老後問題などをテーマとする女性問題評論家として活動し、講師として早稲田大学の教壇にも立った。
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2… 島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。愛知県立芸術大学元学長。兄は歌人の島田修二。 神奈川県横須賀市生まれ。父の英之は長野県の出身で、京都高等工芸学校図案科を卒業後、浦賀船渠の客船インテリアデザイナーを経て横須賀市議会議員、同市議会副議長を歴任、1970年には横須賀市の市政功労者に選ばれている。また、京都滞在中は黒田重太郎にデッサンを学んだという。母の敏子は斎藤茂吉に師事し、「上泉鶴」の名で『アララギ』に投稿していた。 ヨーロッパ留学中にピカソやブラックらキュビズム画家の作品に触れ、「キュビズムを日本人の言葉で翻訳」することを自らの課題として見出した。
白崎 泰夫(しらさき やすお、1933年7月24日 - 20… 白崎 泰夫(しらさき やすお、1933年7月24日 - 2019年7月1日)は、広島県竹原市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 少年時代は家族で広島から旧満州に渡り、敗戦に伴い日本に引き揚げた。その後、中学編入後に野球を始め、忠海高校二年生の秋から本格的に投手となる。当時、中国一と謳われた豪速球で、1952年に夏の甲子園県予選にて優勝したが、西中国大会1回戦で柳井商工のエース森永勝也に抑えられ敗退し、甲子園出場はならなかった。 しかし、広島商や広陵高など強豪を破り、当時全くの無名であった忠海高校が県大会で優勝したことから注目され、翌1953年に南海ホークスへ入団。なかなか一軍で活躍できなかったが、1958年には先発陣の一角として起用され7勝を挙げる。
平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日… 平尾 哲男(ひらお てつお、1933年(昭和8年)7月24日 - 2016年(平成28年)8月8日)は、日本の政治家。長野県上田市長。 上田市出身。信州大学工学部卒業。上田市役所に入庁し、助役を経て、平成10年(1998年)上田市長選挙で当選し、1期務めた。同18年(2006年)旭日双光章受章。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
菊地 定夫(きくち さだお、1933年7月24日 - 200… 菊地 定夫(きくち さだお、1933年7月24日 - 2001年12月10日)は、ノルディックスキージャンプの選手、指導者。 北海道小樽市出身。小樽緑陵高校(現在の小樽商業高校)から明治大学を卒業後クロバー乳業に入社、会社合併により雪印乳業に移った。 昭和30年代が全盛期でオリンピックには1960年スコーバレー大会、1964年インスブルック大会に二回連続で出場、インスブルック大会では日本選手団の旗手を務めた。 1961年-1962年のシーズンには出場13試合中12試合で優勝、2位1試合のシーズンセミパーフェクトを達成した(皮肉にも唯一勝利を逃したのは自社主催の雪印杯であった)。 1963年2月22日大倉山シャンツェで行われた第2回STVカップ国際スキージャンプ競技大会で1本目に102.0メートルを飛び、日本初の100mジャンパーとなった。
古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 -… 古川 太三郎(ふるかわ たさぶろう、1933年7月23日 - )は、日本の法律家、政治家、弁護士。元参議院議員(1期)。 京都市で出生し、1956年中央大学法学部法律学科卒業。1960年26歳で司法試験合格し、司法修習15期を経て、1963年弁護士開業。 福井弁護士会副会長など経て、1989年第15回参議院議員通常選挙で(民主改革連合の前身)連合の会新人として定数1の福井県選挙区で初出馬初当選。1994年羽田内閣国土政務次官。1995年第17回参議院議員通常選挙で落選。 1996年旧民主党公認で第41回衆議院議員総選挙の福井1区に出馬、比例復活もならず落選。
漆戸 靖治(うるしど せいじ、1933年7月23日 - 20… 漆戸 靖治(うるしど せいじ、1933年7月23日 - 2020年7月23日)は、BS日本代表取締役相談役、BSデジタル放送推進協会理事長。東京都出身。2008年6月27日より日本テレビ常勤監査役就任。
石原 まき子(いしはら まきこ、1933年7月23日 - )… 石原 まき子(いしはら まきこ、1933年7月23日 - )は、日本の芸能プロモーター、女優。石原裕次郎の未亡人で、石原プロモーションの代表取締役会長・石原裕次郎記念館元館長。 旧姓は荒井、愛称は「マコ」。結婚前は北原 三枝(きたはら みえ)の芸名で女優として活動したスターであった。 東京都目黒区出身。目黒区立第二中学校卒業後、NDT(日劇ダンシングチーム)に5期生として入団。1952年に退団後、松竹のニューフェイスに合格して入社。『カルメン純情す』で本格的なデビューを果たす。 1954年に、活動を再開した日活に引き抜かれる形で移籍。女優陣のエースとして活躍する。『狂った果実』(1956年)で後に結婚する一歳年下の石原裕次郎と初共演後、日活のドル箱コンビとして23作もの共演作が製作された。
山本 一元(やまもと かずもと、1933年7月22日 - 2… 山本 一元(やまもと かずもと、1933年7月22日 - 2025年4月25日)は、旭化成元社長、旭化成相談役、一般社団法人明専会会長。 山口県出身。1957年九州工業大学工学部工業化学科卒業。1957年旭化成工業(現・旭化成)入社、常務、専務、旭化成ホームズ代表取締役社長、旭化成工業代表取締役副社長を経て、社内で絶対的な権力を握っていた山口信夫会長の指名を受け1997年に社長に昇格。2003年から副会長、常任相談役、2009年から2014年まで相談役。シチズンホールディングス社外取締役。TOTO社外取締役。2006年から2013年まで一般社団法人明専会会長。2025年4月25日に死去。91歳没。
池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - … 池坊 専永(いけのぼう せんえい、1933年7月21日 - )は、京都府出身の華道家である。池坊の45代目家元。華道家元四十四世池坊専威の長男。妻は元公明党所属衆議院議員の池坊保子、長女は次期家元の四代目 池坊専好、次女は華道家の池坊美佳である。 現在は個展、国内・海外の普及活動だけでなく執筆、講演会を行っている。
桜井 滋人(さくらい しげと、1933年7月21日 - 20… 桜井 滋人(さくらい しげと、1933年7月21日 - 2008年9月21日)は、作家。埼玉県生まれ。本名・茂。 中央大学法学部卒。64年金子光晴が若い詩人たちを集めて創刊した詩誌「あいなめ」の同人となる。時代小説、金子を描いた小説などを書いた。 2008年9月、慢性呼吸不全で死去。
長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2… 長岡 洋介(ながおか ようすけ、1933年7月21日 - 2024年5月7日)は、日本の物理学者。専門は物性理論。京都大学名誉教授。名古屋大学名誉教授。理学博士。第57期日本物理学会会長。 1933年7月21日、岩手県盛岡市に生まれた。 岩手県立盛岡第一高等学校を経て、1956年に東京大学理学部を卒業し、1961年に同大学大学院数物系研究科の博士課程を修了した。指導教員は久保亮五であった。 京都大学基礎物理学研究所の助手、名古屋大学理学部の助教・教授、京都大学基礎物理学研究所の教授・所長を歴任した。1997年に定年退職後、同年に関西大学工学部教授に就任した。 2001年9月からの1年間、日本物理学会会長を務めた。
細野 邦彦(ほその くにひこ、1933年7月21日 - 20… 細野 邦彦(ほその くにひこ、1933年7月21日 - 2021年4月25日)は、日本の元テレビディレクター、プロデューサー。元東京MXテレビ顧問。 東京都出身。幼少期に石川県金沢市、京都府宇治市に住む。立教大学経済学部卒業後、1959年に日本テレビに入社し、バラエティ畑を歩く。1960年代半ば~1970年代に『踊って歌って大合戦』『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』『TVジョッキー』『テレビ3面記事 ウィークエンダー』など、高視聴率の低俗番組で一世を風靡する。 1993年に日本テレビを退社し、2000年に東京MXテレビに迎えられて同社のエクゼクティブプロデューサーや常務取締役に就任、その後は顧問を務めた。
森 芳泉(もり ほうせん、1933年7月19日 - 2008… 森 芳泉(もり ほうせん、1933年7月19日 - 2008年4月20日)は、神奈川県横浜市(北海道小樽市生まれ)の書家。 本名は 佐藤 令子。毎日書道展審査会員 創玄展一科審査会員。
山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、… 山口健治(やまぐち けんじ、1933年7月19日 - )は、日本の大蔵官僚。国際復興開発銀行や国際金融公社日本政府代表理事などを務めた。 山形県上山市出身。東京大学経済学部在学中に国家公務員上級試験を合格。東大経済学部を卒業し、1956年 大蔵省入省(主計局法規課)。予算法規から始まり、大臣官房調査企画課調査主任などを経て、1962年4月 主税局調査課。同年6月1日 同局同課の廃止に伴い、同局総務課総務係長となる。物価調整減税の企画立案に当たった。1963年7月1日 石狩税務署長。 1964年7月 国税庁直税部法人税課長補佐。その後は自治省行政課長補佐、総理府人事局参事官などに就く。 1979年7月10日 理財局国有財産総括課長。
沢田 秀男(澤田、さわだ ひでお、1933年(昭和8年)7月… 沢田 秀男(澤田、さわだ ひでお、1933年(昭和8年)7月18日 - )は、日本の政治家。神奈川県横須賀市の元市長(3期)。旭日中綬章。 神奈川県座間市生まれ。神奈川県立湘南高等学校を経て、東京大学法学部卒。1957年自治庁(のち自治省、現・総務省)に入る。広島市助役、自治省総務課長、国土庁審議官、同地方振興局長などを歴任し、1988年横須賀市助役となる。1993年横須賀市長に当選。3期務める。 市長在職中の1996年に「よこすか情報フロンティアプラン」を策定し、入札制度改革を断行。条件付き一般競争入札を導入した。さらに指名入札を全廃し、業者に指名条件として与えていた格付けを廃し、経営や技術力の客観的事項だけを見る経営審査事項総合評点を参加条件とし、過去の業績など行政側の主観的評価を一切含めない、「行政の恣意」を入札の場から排除した。
淡路 恵子(あわじ けいこ、本名:井田 綾子(いだ あやこ)… 淡路 恵子(あわじ けいこ、本名:井田 綾子(いだ あやこ)、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)1月11日)は、日本の女優。 1933年(昭和8年)、東京・品川に生まれる。家は二階建ての借家だった。父は大日本帝国海軍の軍人だったが、胸を患って海軍省を辞め自宅療養していた。母は助産婦。 集団疎開先の富山県から一時荏原に戻った時、激しい空襲に遭った。そのため茨城県の母の親戚の所へ疎開に行き、田舎暮らしを体験。 府立第八高等女学校(現・東京都立八潮高等学校)を受験、合格する。13歳の時、終戦の翌夏父親が他界。「女医にしたい」という母の願いをよそに、淡路はSKD(松竹歌劇団)に合格、卒業まであと数か月だったが第八高女を退学した。
山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )… 山本 和敏(やまもと かずとし、1933年7月17日 - )は、日本の裁判官、弁護士。元東京高等裁判所判事、東京地方裁判所部総括判事。日本で初めてプライバシー権を認めた「宴のあと」事件第一審判決などに関わった。また、司法研修所教官として司法修習生や裁判官の教育に取り組んだ。退官後、目黒公証役場公証人、第二東京弁護士会所属の弁護士となったほか、大東文化大学法科大学院教授を務めた。
松野 幸信(まつの ゆきのぶ、1933年〈昭和8年〉7月17… 松野 幸信(まつの ゆきのぶ、1933年〈昭和8年〉7月17日 - 2019年〈平成31年〉3月23日)は、日本の政治家。岐阜県穂積町長(3期)および瑞穂市長(1期)。 岐阜県本巣郡穂積村(後の穂積町、現在の瑞穂市)で、後に岐阜県知事や衆議院議員を務める松野幸泰と後に穂積町長を務める松野友の長男として生まれた。慶應義塾大学経済学部卒業。 旭化成工業、砂利採取などを行う穂積町の昭和工業の社長を経て、1994年(平成6年)7月の穂積町長選挙に立候補した。穂積町では、母の松野友が1990年まで合併前も含めた11期43年に亘って町長を務めており、再び親族による町政が行われるか注目された。 前町長の後継者として指名された候補を破って初当選し、穂積町長に就任した。
長野 羊奈子(ながの よなこ、本名:若杉 羊奈子、1933年… 長野 羊奈子(ながの よなこ、本名:若杉 羊奈子、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)10月20日)は、日本の声楽家(メゾソプラノ)、音楽教育者。夫は指揮者の若杉弘。夫の父は外交官の若杉要。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。1958年(昭和33年)西ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。 4年後、卒業と同時にベルリン・ドイツ・オペラ研究生。1963年(昭和38年)日本人として初めてベルリン・ドイツ・オペラの正団員となり、モーツァルト『フィガロの結婚』ケルビーノ、プッチーニ『蝶々夫人』スズキ、ビゼー『カルメン』、モーツァルト『魔笛』、リヒャルト・シュトラウス『サロメ』など多くのオペラに出演。
金内 吉男(かねうち よしお、1933年〈昭和8年〉7月17… 金内 吉男(かねうち よしお、1933年〈昭和8年〉7月17日 - 1992年〈平成4年〉8月7日)は、日本の男性俳優、声優、ナレーター。青二プロダクション所属。東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)巣鴨出身。 1956年、明治大学文学部卒業後、1957年5月、劇団ぶどうの会に入団し、1965年2月からフリーランスで活動。 土の会、赤坂プロを経て、青二プロダクションに所属していた。 大河ドラマに多数出演したほか、アニメ・洋画の吹替を行うなど、幅広く活動。 1992年8月7日、収縮性心膜炎のため、東京都新宿区の病院で死去。59歳没。 声種は「甘く説得力のあるバリトン」。 趣味・特技はヨット、スキー、ゴルフ。
朝岡 智幸(あさおか ともゆき、1933年7月16日 - )… 朝岡 智幸(あさおか ともゆき、1933年7月16日 - )は、日本の元裁判官。東京都港区出身。 港区立青山中学校、東京都立日比谷高等学校を経て中央大学法学部卒業。1958年、司法修習。 長野地方裁判所松本支部長・長野家庭裁判所同支部長などを経て、1986年に高等裁判所判事就任。1990年、東京家庭裁判所部総括判事。1992年、金沢地方裁判所所長、1994年から1996年まで、大阪高等裁判所総括判事。瑞宝重光章受章(2003年)。
植木 邦之(うえき くにゆき、1933年(昭和8年)7月16… 植木 邦之(うえき くにゆき、1933年(昭和8年)7月16日 - )は、日本の官僚。元公正取引委員会事務局長(現・事務総長)を務めた後、日本鉄道建設公団理事となった。その後、公正取引委員会の生え抜き出身として5人目の公正取引委員となった。岡山県出身。 岡山県生まれ。1949年(昭和24年)に岡山県立高梁高等学校へ入学する。同期には、後に大学教授となる安本美典、1個下には、同じく高梁高校から東大へ進学し、その後、富士銀行(現:みずほ銀行)の頭取となる橋本徹もいた。その後1952年(昭和27年)3月に高梁高校を卒業し、同年4月に東京大学文科一類へ入学。1956年(昭和31年)に東京大学法学部を卒業した。
坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 … 坂本 重太郎(さかもと じゅうたろう、1933年7月15日 - 2015年3月2日)は、日本の外交官。外務省中南米局長や、駐スペイン特命全権大使を務めた。 北海道余市町出身。父は余市町長の坂本角太郎。北海道余市高等学校を経て、1957年一橋大学法学部卒業、外務省入省。スペイン語研修としてコロンビアに2年間留学。 1972年外務省中南米局中南米第二課長、1973年外務大臣官房国際報道課長、在英国日本国大使館参事官、1979年外務省経済協力局政策課長、1981年外務大臣官房総務課長。総務課長時代に情報調査局(現国際情報統括官組織)新設に尽力。 経済協力開発機構政府代表部公使、駐パラグアイ特命全権大使を経て、1988年外務省中南米局長。
西川 正雄(にしかわ まさお、1933年7月15日 - 20… 西川 正雄(にしかわ まさお、1933年7月15日 - 2008年1月28日)は、西洋史学者、東京大学名誉教授。ヨーロッパ近現代史、とくに社会主義運動、そして世界史教育が専門。父は西川正身。 1933年、東京生まれ。東京都立西高等学校卒業。1956年、東京大学文学部西洋史学科を卒業して同大学院に進む。1962年、博士課程中退して、同大学助手となる。1966年、東京女子大学助教授となる。1968年には東京大学教養学部助教授となり、1982年より教授。1994年定年退官、名誉教授となる。その後は専修大学教授、文学部長を務めた。 1989年から1994年まで歴史学研究会委員長。三省堂の高校世界史教科書を編集、執筆。
吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 19… 吉沢 岳男(よしざわ たけお、1933年7月15日 - 1971年7月15日)は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(捕手)。
梅野 泰靖(うめの やすきよ、1933年〈昭和8年〉7月14… 梅野 泰靖(うめの やすきよ、1933年〈昭和8年〉7月14日 - 2020年〈令和2年〉8月25日)は、日本の俳優。本名同じ。 東京市(現東京都千代田区)神田出身。明治大学中退。劇団民藝に所属。 新児童劇団(現・劇団新児童)への在籍を経て、1951年、民藝少年劇の『山びこ学校』で主役デビュー。 大学中退後の1954年、劇団民藝へ入団。 第14回紀伊國屋演劇賞受賞。 たびたび三谷幸喜作品に起用されていた。 「世田谷・九条の会」呼びかけ人を務めていた。 2020年8月25日午前8時50分、老衰のため死去。87歳没。
河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月… 河西 昌枝(かさい まさえ、結婚後の姓は中村、1933年7月14日 - 2013年10月3日)は、日本の元女子バレーボール選手。東洋の魔女 (Oriental Witches) の主将。金メダリスト。 山梨県中巨摩郡(現在の南アルプス市)の出身。山梨県立巨摩高等学校卒業後、日紡に入社する。 河西は『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼主将として優勝に大いに貢献した。ポジションはセッターで、長身を生かして前衛ではセンタープレーヤーも務めた。 1965年1月に日紡を退社。同年5月30日に当時の総理大臣である佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。 選手のファンであった女優の淡島千景がオーナーとなって設立したバレーボールのクラブチーム「フジクラブ」にも参加、同クラブの中心選手として活躍した(フジクラブは国民体育大会バレーボール競技一般女子の部において、1965年、1966年と二連覇した。
星野 正宏(ほしの まさひろ、1933年 <昭和8年> 7月… 星野 正宏(ほしの まさひろ、1933年 <昭和8年> 7月14日 - 2020年 <令和2年> 10月10日)は、日本の経営者。相模鉄道社長、会長を務めた。位階は正四位。 神奈川県出身。1957年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、同年に相模鉄道に入社。1984年6月に取締役に就任し、1991年6月に常務を経て、1993年6月には専務に就任し、1995年1月に社長に昇格。2001年1月に会長に就任し、2007年6月から相談役を務めた。横浜銀行監査役も務めた。 2003年11月に旭日重光章を受章。。 2020年10月10日老衰のために死去。87歳没。死没日付をもって正四位に叙された。
藤井 賢三(ふじい けんぞう、1933年7月13日 - 20… 藤井 賢三(ふじい けんぞう、1933年7月13日 - 2006年10月13日)は、プロ野球球団近鉄バファローズ球団社長である。 滋賀県出身。1957年に京都大学法学部を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した。 企画部長、近鉄興業社長、専務を経て、1998年から球団社長に就任した。 2001年をもって、退任し、同年6月から2005年までに三重交通会長を務めた。 2006年10月13日、肺炎のために死去。73歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 -… 江戸 満(えど みつる、1933年〈昭和8年〉7月13日 - 2022年〈令和4年〉5月12日)は、日本の政治家、陸上自衛官。第9代扶桑町長(3期)。町長退任時の2016年当時、愛知県内の首長で最高齢(83歳)だった。愛知県町村会会長などを歴任。 1933年(昭和8年)7月13日、石川県能美郡川北町に生まれる。1957年(昭和32年)3月に防衛大学校を第一期で卒業して防衛庁に奉職。1977年(昭和52年)6月統合幕僚学校を卒業。1980年(昭和55年)8月より陸上幕僚監部施設課長、1982年(昭和57年)3月より陸上自衛隊施設学校副校長を務める。1985年(昭和60年)3月には第4施設団長兼大久保駐屯地司令となり、1987年(昭和62年)7月から施設補給処長兼古河駐屯地司令を務めたのち、1988年(昭和63年)7月に退官。
土肥 孝治(どひ たかはる、1933年〈昭和8年〉7月12日… 土肥 孝治(どひ たかはる、1933年〈昭和8年〉7月12日 - 2023年〈令和5年〉8月1日)は、日本の弁護士、元検事総長。位階は従三位、勲章は瑞宝大綬章。俗にいう「赤レンガ組」に対して、吉永祐介同様に「(捜査)現場派」であった。 7代続く船場の老舗漆器店に生まれる。大阪第一師範男子部附属国民学校(現・大阪教育大学附属天王寺小学校)に入学。5年生の1944年(昭和19年)7月に大阪府から学童縁故疎開要項が発表されたため、母と9月に石川県金沢市へ縁故疎開した。 太平洋戦争終戦後、石川県立金沢第一中学校(旧制)2年生の時に大阪へ戻り、府立天王寺中学校に転入。在学中に学制改革と男女共学化という転換期を経験し、新制の高等学校となった大阪府立天王寺高等学校を卒業。
寺田 博(てらだ ひろし、1933年7月11日 - 2010… 寺田 博(てらだ ひろし、1933年7月11日 - 2010年3月5日)は、日本の編集者、文芸評論家。 長崎県に生まれる。早稲田大学教育学部卒業。1961年、河出書房新社に入社。1962年に復刊された『文藝』の編集者として井伏鱒二や瀬戸内晴美などを担当。編集長に就いた。また容貌が丸谷才一に酷似していることを丸谷から随筆の材料にされた。 1979年、作品社設立に参加し、翌年文藝雑誌『作品』を創刊。編集長に就任したが、7号で休刊となる。 1981年、福武書店(現ベネッセコーポレーション)に入社し、『海燕』創刊編集長、取締役出版事業本部長を歴任。1994年退職。時代小説案内を刊行し、回想記を著述していた。
小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 20… 小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 2012年3月20日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。東京都出身。 神奈川県立湘南高等学校を経て、1956年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。 1970年に日本警備保障(のちのセコム)に転じ、1976年12月に取締役に就任し、1981年3月に常務、1986年2月に専務を経て、1990年2月に社長に就任。1995年6月に取締役相談役に就任。 2012年3月20日食道がんのために死去。78歳没。
山之内 秀一郎(やまのうち しゅういちろう、1933年 (昭… 山之内 秀一郎(やまのうち しゅういちろう、1933年 (昭和8年)7月10日 - 2008年(平成20年)8月8日)は、日本の鉄道実業家。東日本旅客鉄道株式会社(JR東日本)初代副社長、元会長、宇宙航空研究開発機構(JAXA)初代理事長。
杉町 壽孝(すぎまち としたか、1933年7月10日 - )… 杉町 壽孝(すぎまち としたか、1933年7月10日 - )は、日本の経営者。 セコム社長を務めた。佐賀県出身。 佐賀県杵島郡大町町で生まれ、高校2年生の時に東京に転校。1961年に慶應義塾大学経済学部を卒業。 コーンズアンドカンパニーでの勤務を経て、1976年に日本警備保障(のちのセコム)に転じ、1979年に取締役に就任し、1986年に常務、1994年6月に専務を経て、1995年6月に社長に就任。2002年4月に会長に就任。2005年4月に取締役相談役に就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
水谷 尚(みずたに しょう、1933年(昭和8年)7月10日… 水谷 尚(みずたに しょう、1933年(昭和8年)7月10日 - 2013年(平成25年)10月13日)は、日本の政治家、愛知県津島市長(1期)、愛知県議会議員(2期)、津島市議会議員(5期)。 愛知県海部郡八開村(現・愛西市)出身。横浜市立大学商学部卒業。 津島市議会議員を5期務め、1991年(平成3年)4月の愛知県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選した。1995年(平成7年)の県議選は自民党公認で立候補し再選。同年11月、藍綬褒章を受章。 1999年(平成11年)4月の県議選は、元津島市長の井桁克の息子の井桁亮に敗れ落選。同年11月末、津島市長の山田克己が翌年の市長選への不出馬を表明し、「後継指名はしない」と述べた。
増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 202… 増永 迪男(ますなが みちお、1933年7月9日 - 2025年12月25日)は、日本の登山家、実業家、作家、エッセイスト。 福井県生まれ。広島大学工学部卒。増永酒造合資会社社長を経て、福井山岳会会長。1985年福井県文化芸術賞、2000年福井文化賞受賞。最初の妻は歌人・登山家の佐伯道子。
小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は… 小野寺 克男(おのでら かつお、1933年7月8日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(捕手)。 宮城農学校から、社会人野球の電電東北を経て、1954年に東映フライヤーズに入団。しかし、前半は土井垣武・後半は山本八郎の陰に隠れ、控えでの出場が主だった。野村克也と同期であり、対戦したこともある。1958年に東映を退団した。 プロ退団後は社会人野球に復帰し、常磐炭礦(現・常磐興産。スパリゾートハワイアンズの経営会社として有名)、岩崎電気でプレーした。岩崎電気在籍中は、1963年に第13回日本産業対抗野球大会(通称:サンベツ)にも出場した。 現役引退後は、ヨークベニマル硬式野球部監督を務めた。 その後、2020年現在は福島県いわき市の中学硬式野球チーム「いわきリトルシニア」の会長を務めている。
奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日… 奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日 - 2004年(平成16年)2月11日)は、日本の評論家。学位は、農学博士。北里大学名誉教授。専門は、動物行動学・昆虫学・博物学。群馬県太田市出生、神奈川県鎌倉市出身。
中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1933年7月8日 - … 中村 賢二郎(なかむら けんじろう、1933年7月8日 - )は、日本の文部官僚、侍従。 新潟県佐渡島生まれ。1958年東京大学文学部哲学科卒業、文部省入省。1977年より同省内各課長、京都国立博物館次長、文化庁文化財保護部長。1986年宮内庁侍従。1989年皇太后宮職参事兼侍従。1991年国立茨城工業高等専門学校長。1997年別府大学学長・教授。2003年杉野服飾大学・同短期大学部学長・教授。2004年学校法人杉野学園理事長。 2004年4月瑞宝中綬章受章。
日比野 恵子(ひびの けいこ、1933年7月7日 - )は、… 日比野 恵子(ひびの けいこ、1933年7月7日 - )は、日本の女優。1952年度、第2回ミス日本優勝者。 1933年生まれ。神奈川県立横浜平沼高等学校では岸恵子、小園蓉子と同期。日本鋼管鶴見製鉄所庶務課に勤務していた1952年、初代の山本富士子に続く2代目のミス日本優勝者となる。新東宝専属女優として数々の名作映画に出演したが、1958年に退社。1959年に歌舞伎座プロと専属契約を結び松竹作品にいくつか出演するが、1961年の「女舞」を最後に映画界を去って引退する。
加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神… 加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。 日本大学高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。 1954年に東映フライヤーズへ移籍。1955年に引退。
五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2… 五味 龍太郎(ごみ りゅうたろう、1933年7月7日 - 2013年8月31日)は、日本の俳優。長野県諏訪市出身。愛称はゴミリュウ。別名義に五味 竜太郎(読みは同じ)。旧芸名に五味 勝雄(ごみ かつお)、五味 勝之介(ごみ かつのすけ)。本名は山本 勝雄(やまもと かつお)。旧姓は五味。 1952年(昭和27年)、長野県岡谷南高等学校を卒業して日本大学藝術学部映画学科に進学。1954年(昭和29年)に大学を中退し、松竹音楽学校付属研究所を経て1955年(昭和30年)に第2期東映ニューフェイスとして東映へ入社。同期には高倉健・丘さとみ・今井健二らがいる。入社して半年後、劇団俳優座養成所の委託生として更に半年を過ごし、翌1956年(昭和31年)に東映京都撮影所専属で片岡千恵蔵主演の『三つ首塔』でデビューを果たす。
相川 浩(あいかわ ひろし、1933年〈昭和8年〉7月6日 … 相川 浩(あいかわ ひろし、1933年〈昭和8年〉7月6日 - 2003年〈平成15年〉11月27日)は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。神奈川県横須賀市出身。 東京都立西高等学校、東京経済大学経済学部卒業後、1957年4月にNHK入局。帯広局→山口局→大阪局を配属後、1970年に東京アナウンス室に着任。『NHK紅白歌合戦』総合司会(1975年 - 1978年)、夏の紅白とも称される『思い出のメロディー』、『ゲーム ホントにホント?』(1975年 - 1976年)、『お国自慢にしひがし』(1976年 - 1978年)などの看板番組を担当した。『思い出のメロディー』では通算12回司会を担当、司会の最多記録となっている。
山本 迪夫(やまもと みちお、1933年7月6日 - 200… 山本 迪夫(やまもと みちお、1933年7月6日 - 2004年8月23日)は、日本の映画監督。 新潟県長岡市出身。新潟県立長岡高等学校を経て早稲田大学卒業後、1956年に東宝に入社。岡本喜八の助監督を多く務め、1966年に『遊撃戦』でテレビドラマ監督としてデビュー。1969年には三橋達也主演のアクション映画『野獣の復活』で劇場用映画を初監督する。女性スリラー映画を得意とした。 代表作は、『幽霊屋敷の恐怖 血を吸う人形』(1970年)、『呪いの館 血を吸う眼』(1971年)、『血を吸う薔薇』(1974年)の3本からなる血を吸うシリーズ。日本の風土に吸血鬼ならびにヨーロッパのゴシック的ムードを大胆に導入し、さらに演出もハマー・フィルムを思わせるショッカー演出で、日本のホラー映画史でもひときわ異彩を放つものになっている。
名畑 崇(なばた たかし、1933年(昭和8年)7月6日 -… 名畑 崇(なばた たかし、1933年(昭和8年)7月6日 - 2020年(令和2年)8月27日)は、日本の歴史学者、大谷大学名誉教授。真宗大谷派養泉寺前住職。真宗大谷派「講師」。専攻は日本仏教史。 岐阜県出身。1956年(昭和31年)大谷大学文学部史学科卒業。1958年(昭和33年)大谷大学大学院文学研究科修士課程仏教文化専攻修了。1961年(昭和36年)大谷大学大学院文学研究科博士課程仏教文化専攻満期退学。 大谷大学助手、専任講師、助教授を経て、1979年(昭和54年)より教授。1992年(平成4年)「『元亨釈書』の研究 」により文学博士取得。1999年(平成11年)定年退職、名誉教授。