松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日… 松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校-早稲田大学-羽幌炭鉱。 1960年のスコーバレーオリンピックに出場し30位。1962年のノルディックスキー世界選手権ザコパネ大会では65m級21位、90m級25位。同年のユニバーシアード冬季大会では5位入賞を果たした。
北海道 小樽市:285人
松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日… 松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校-早稲田大学-羽幌炭鉱。 1960年のスコーバレーオリンピックに出場し30位。1962年のノルディックスキー世界選手権ザコパネ大会では65m級21位、90m級25位。同年のユニバーシアード冬季大会では5位入賞を果たした。
西 安信(にし やすのぶ、1940年1月 - )は、日本の工… 西 安信(にし やすのぶ、1940年1月 - )は、日本の工学者。学校法人北海道尚志学園理事長、北海道工業大学名誉教授。元北海道工業大学学長。北海道小樽市出身。
菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2… 菅野 誠一(すがの せいいち、1939年12月17日 - 2010年8月29日)は、日本の合気道家。北海道小樽市出身。 1957年に合気会に入会し、その翌年より植芝盛平の内弟子となった。1965年、植芝の命によりオーストラリアへと渡り、合気道の指導を始めた。15年ほどオーストラリアを中心に指導を行い、その後ベルギー、ルクセンブルク、フランスなどのヨーロッパ国内での指導に当たった。 1988年よりはニューヨークへと移住し、ニューヨーク合気会で山田嘉光とともに師範として普及に努めた。2003年に左足を切断する手術を受けたが、その後も義足を使用して合気道を続けた。 2010年8月29日、70歳で亡くなっている。
高橋 伸夫(たかはし のぶお、1939年(昭和14年)9月2… 高橋 伸夫(たかはし のぶお、1939年(昭和14年)9月29日 - 2013年(平成25年)7月14日)は、日本の地理学者、筑波大学名誉教授。東京都台東区出身。人文地理学、とくに都市地理学に関する研究を行うとともに、学習参考者や一般向けの書籍も執筆、編集した。また、オリヴィエ・ドルフュス『地理空間』(山本正三との共訳)など、フランス地理学の日本への紹介も行った。
井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は… 井上 和雄(いのうえ かずお、1939年4月28日 - )は、日本の経済学者、音楽評論家,神戸商船大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。神戸大学大学院経済研究科博士課程中退。大阪府立大学教養部助手、同経済学部講師、神戸商船大学(現・神戸大学海事科学部)教授。1962年、中央公論社『モーツァルト大全』の懸賞論文に「読者のモーツァルト論」が入選。1987年『モーツァルト心の軌跡』でサントリー学芸賞受賞。2003年定年退官、名誉教授。自身で弦楽四重奏団を結成し、画も描く。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は… 山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は、日本の政治家。元北海道小樽市長(3期)。 小樽市出身。後に砂川市に移る。砂川南高等学校を卒業後、1960年に小樽市役所に入る。1962年に小樽商科大学短期大学部を、1966年に日本大学経済学部(通信教育部)を卒業。教育委員会社会教育部長、学校教育部長、小樽市役所経済部長、総務部長、収入役を歴任する。 1999年の小樽市長選挙に、新谷昌明の後継として立候補して当選。2003年の選挙で再選。2007年の選挙でも三選した。北海道市長会副会長などを務めた。2011年に市長を退任した。
木村 勇市(きむら ゆういち、1939年 - )は、日本の実… 木村 勇市(きむら ゆういち、1939年 - )は、日本の実業家。元キムラ社長、元ジョイフルエーケー社長。北海道小樽市生まれ。 北海道札幌東高等学校卒業後、関西大学商学部卒業。大学卒業後、黒田商店に入った後の1963年、家業の木村金物店(現キムラ)に入社。1974年、父・正二を継ぎキムラ社長に就任。社長就任後、ホームセンター事業に進出し、2001年には、大手ホームセンターであるジョイフル本田やアークランドサカモトと共にジョイフルエーケーを立ち上げた。2002年、キムラ会長に就任。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺… 渡部 一二(わたべ かずじ、1938年 - )は、日本の水辺研究家、建築家。多摩美術大学名誉教授。農学博士。全国各地の水辺、運河、用水路の研究と水空間の計画・デザインに多く携わる。世田谷区在住。 1938年、北海道小樽市生まれ。その後愛媛県で育つ。 1965年に前橋工業短期大学(現前橋工科大学)を卒業後、日本大学理工学部に進学。1967年に同校建築学科を卒業し、内井昭蔵建築設計事務所に入所。 その後東京藝術大学大学院に進学し、1972年同大学院修士課程修了後、都市計画コンサルタント創造社に勤務及多摩美術大学専任講師。1992年、同大学教授。東京農工大学より農学博士授与。論文の題は「農業用水路の再生に関する多面利用形態と空間構造の研究」。
豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年1… 豊島 輝彦(とよしま てるひこ、1938年 - 2014年12月14日)は、日本の洋画家。北海道小樽市出身。北海道学芸大学(現北海道教育大学)特設美術課程卒業。元札幌大谷大学短期大学部教授。元北海道美術協会事務局長。日本美術家連盟会員。風景画を中心とした写実絵画で知られる。 1959年、学生時代に北海道美術協会展協会賞を受賞。大学卒業後、1962年から1969年まで母校の北海道札幌東高等学校に赴任し美術教師をつとめた。この時代、阿部典英、米谷雄平らとともに美術グループに参加し創作活動を行った。1967年には、一水会賞を受賞。その後、一水会会員として一水会会員賞を多数受賞した。1972年からヨーロッパに滞在し作品を制作、画集も出版している。
小沼 勝(こぬま まさる、1937年12月30日 - 202… 小沼 勝(こぬま まさる、1937年12月30日 - 2023年1月22日)は、日本の映画監督。 1937年12月30日、北海道小樽市に生まれる。都立新宿高等学校を経て1961年、日本大学芸術学部映画学科を卒業し、日活に助監督として入社する。 1971年、『花芯の誘い』で映画監督デビューを果たす。以後、40本以上の日活ロマンポルノの作品を手がけた。耽美的な作風でSM物を得意とする。 1974年『花と蛇』での原作改変が原作者の団鬼六を激怒させ、その後は団原作ではないSM映画を数多く撮った。数年後には団とも和解して団原作映画も撮るようになっている。 ロマンポルノ以外では日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』など、サスペンスドラマ作品の演出を手掛けたこともあった。
室田 日出男(むろた ひでお、1937年〈昭和12年〉10月… 室田 日出男(むろた ひでお、1937年〈昭和12年〉10月7日 - 2002年〈平成14年〉6月15日) は、日本の俳優。北海道小樽市奥沢町出身。小樽市立潮見台中学校~北海道札幌東高等学校卒業。息子は俳優の室田晃。代表作は映画『男はつらいよ 噂の寅次郎』やテレビドラマ『ふぞろいの林檎たちII』 など。身長180cm。 父親は石川県能登の庄屋の息子で、日露戦争をきっかけに、小樽に移住。母親は小樽生まれ。父親は「馬追」「馬力屋」と言われる、馬車や馬そりを使った今で言う運送業をしていた。子供の頃の室田は、近くの川(勝納川)や山、そして朝里などの海岸に、仲間とよく出かけるなど、自然に親しむ毎日を送り、三日でも四日でも海のそばにいて帰宅しなかったこともあったという。
野坂幸弘(のさか ゆきひろ、1937年 - )は、日本の文学… 野坂幸弘(のさか ゆきひろ、1937年 - )は、日本の文学者。岩手大学名誉教授。北海道小樽市生まれ。 日本の近代・現代文学で、特に伊藤整の文学論についてを研究 『北海学園大学人文論集第38巻』(北海学園大学人文学会、2008年)
こたき こなみ(1936年12月6日 - )は、日本の詩人。… こたき こなみ(1936年12月6日 - )は、日本の詩人。北海道小樽市生まれ。本名・武藤小浪。 北海道小樽潮陵高等学校卒。「詩世紀」「にゅくす」「地球」「舟」等を経て、現在「火牛」同人。日本現代詩人会理事。1994年度、2001年度H氏賞の選考委員を務める。2001年『星の灰』で第34回小熊秀雄賞受賞。現代詩人賞選考委員。
沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月… 沢田 哲郎(さわだ てつろう、1935年(昭和10年)11月5日 - 1998年(平成10年)1月16日)は、日本の昭和・平成期の絵師、版画家。澤田哲郎 (画家)とは別人。
上参郷 祐康(かみさんごう ゆうこう、1935年4月1日 -… 上参郷 祐康(かみさんごう ゆうこう、1935年4月1日 - )は、日本の音楽学者。東京芸術大学名誉教授。
上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、… 上野 晃(うえの あきら、1934年12月20日 - )は、日本の政治家。元北海道登別市長(5期)。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校を経て、1957年北海道大学農学部卒業。1957年北海道庁に入庁。根室支庁産業課に勤務。1980年同庁後志支庁経済部長。1983年同庁農務部農政課長。その後、同庁胆振支庁長。 1988年7月21日、登別市長の中浜元三郎が、市役所で発生した汚職事件の責任をとるとして辞職。これに伴って8月28日に行われた登別市長選挙に選に立候補し初当選した。以後連続5期。 北海道市長会副会長や北海道市長会会長を歴任。2008年市の医療費助成事業で、市が委任払いした高額療養費約4500万円が回収困難となっている問題について、責任を取ること等を理由に引退した。
北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉… 北川 陽一郎(きたがわ よういちろう、1934年〈昭和9年〉3月20日 - )は、日本の俳優。本名・旧芸名は細川 隆一(ほそかわ りゅういち)。北海道小樽市出身。 日本大学芸術学部中退。 1950年代後半ごろに東宝の専属俳優となって、本名の細川隆一名義で数多くの作品に出演した。専属制度が崩壊した1971年以降は北川陽一郎と芸名を付け、エヌ・エー・シーの専属として主にテレビで活動する。 その後、活動の拠点を北海道に移し札幌市に「NACタレントセンター札幌」を開設、1980年には劇団「劇団道」を創設する。 2005年にNACタレントセンター札幌を「北海道俳優養成所」と独立改称し、現在代表、主宰を務めている。
井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2… 井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2026年3月8日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。光合金製作所代表取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菊地 定夫(きくち さだお、1933年7月24日 - 200… 菊地 定夫(きくち さだお、1933年7月24日 - 2001年12月10日)は、ノルディックスキージャンプの選手、指導者。 北海道小樽市出身。小樽緑陵高校(現在の小樽商業高校)から明治大学を卒業後クロバー乳業に入社、会社合併により雪印乳業に移った。 昭和30年代が全盛期でオリンピックには1960年スコーバレー大会、1964年インスブルック大会に二回連続で出場、インスブルック大会では日本選手団の旗手を務めた。 1961年-1962年のシーズンには出場13試合中12試合で優勝、2位1試合のシーズンセミパーフェクトを達成した(皮肉にも唯一勝利を逃したのは自社主催の雪印杯であった)。 1963年2月22日大倉山シャンツェで行われた第2回STVカップ国際スキージャンプ競技大会で1本目に102.0メートルを飛び、日本初の100mジャンパーとなった。
荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、… 荒巻 義雄(あらまき よしお、1933年4月12日 -)は、日本の小説家、SF作家、推理作家、評論家、詩人。本名、荒巻邦夫、後に荒巻義雅と改名。『紺碧の艦隊』の大ヒットで、いわゆる架空戦記小説の世界を代表する小説家として広く知られている。静修女子大学(現・札幌国際大学)教授も務めた。 日本文芸家協会会員。日本SF作家クラブ会員。現代俳句協会会員(旭太郎名義)。 北海道小樽市で、荒巻山の名前の元になった、採石業を営む荒巻家に生まれる。荒巻によると荒巻家は平将門一門の末裔であり、両親は母方の祖父が小樽市色内町(現在の稲穂)で開いていた一万坪の採石場を継ぐため水戸市から移住してきたという。幼少期にはロース幼稚園というミッション系の幼稚園に通っており、その時に触れた聖書の世界観に影響を受ける。
梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月3… 梅沢 健三(うめさわ けんぞう、1933年(昭和8年)3月31日 - 2025年(令和7年)1月6日)は、日本の政治家。元北海道千歳市長(1期)、元日本会議千歳支部長。 北海道小樽市出身。札幌商業高等学校卒、自治大学校卒。1949年、千歳町役場に入る。同町商工係長を経て、監査事務局長、千歳市総務課長、市民部長、環境部長、1983年に総務部長。 1987年無所属で千歳市長選挙に立候補、当選したが、1991年に落選。 2013年(平成25年)4月29日付(春の叙勲)で旭日双光章を受章。 2025年1月6日、肺炎のため死去。91歳没。死没日付をもって正六位に叙された。
加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経… 加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経済学者。元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表、博士(経済学)(中央大学・論文博士・2009年)。 北海道小樽市出身。1957年一橋大学経済学部卒業。大学では都留重人ゼミナールに参加。1962年イェール大学大学院修士課程修了。一橋都留ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官)などがいる。 大学卒業後東京銀行に入行し証券部長等を経て、1985年退社。セキュリティ・パシフィックに移り、円スワップ取引部門の立ち上げを行う。その後ソロモン・ブラザーズで銀行子会社の設立を行う。
内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 20… 内田 文昭(うちだ ふみあき、1932年2月19日 - 2021年12月26日)は、日本の法学者(刑法)。法学博士(北海道大学、1963年)(学位論文「過失同時犯の正犯性」)。神奈川大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。ハンス・ヴェルツェルが提唱した目的的行為論をとるが、主観的違法要素を認めないので、結果無価値論に近い結論をとることがある。『過失と共犯』、『刑法における過失共働の理論』で、新過失論の立場に立ち、過失(過失犯)にも共犯がありうることを提唱した。 1966年(昭和41年)に日本刑法学会賞を受賞した。 公職として旧司法試験第二次試験考査委員(1979年1月~1981年12月)、学校法人神奈川大学常任監事(2005年~2008年)
笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 20… 笠原 伸夫(かさはら のぶお、1932年1月13日 - 2017年11月8日)は、日本近代文学研究者・文芸評論家。日本大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1950年、日本大学第一高等学校卒業。1954年、日本大学文学部国文学科卒業。1979年、日本大学文理学部教授。2002年、同名誉教授。 はじめ歌作を行う。評論は中世文学から出発し、1967年、『中世の発見』『中世の美学』を刊行。その後、近代文学における情念に関心を寄せながら、『虚構と情念』『泉鏡花 美とエロスの構造』『谷崎潤一郎 宿命のエロス』などを刊行。現代短歌や現代俳句も論じている。
佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 201… 佐々木 宏(ささき ひろし、1931年12月7日 - 2019年9月1日)は、日本の建築家、建築評論家、近代建築研究者。 アカデミズムに属さず、自ら設計事務所を経営する傍ら、在野の研究者というスタンスを貫いた。唯一在職した法政大学では、非常勤講師の立場を通した。しかし、在野であるために何者にも遠慮することなく辛辣な批判を加える立場を崩さなかった。 1931年北海道小樽市に生まれる。北海道大学に入り、当初数学を目指したが、教師のアドバイスにより断念して建築へ転向。立原道造に傾倒して学内誌に立原論を投稿。在学中からアメリカの建築雑誌『アーキテクチュラル・レヴュー』を購読し、以来海外の建築動向には一貫して注目。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 19… 小笠原 克(おがさわら まさる、1931年9月3日 - 1999年12月9日)は、日本近代文学研究者、文芸評論家。 北海道小樽市生まれ。北海道大学文学部卒。同大学院を経て、1961年藤女子大学助教授、のち教授。1962年、大炊絶の筆名で「私小説論の成立をめぐって」で第5回群像新人文学賞評論部門受賞。同年より『位置』を主宰、1968年、沢田誠一らとともに『北方文芸』を創刊、長く編集長の座にあった。伊藤整、小林多喜二など北海道出身の文学者のほか、野間宏など戦後文学を研究。1974年、北海道文化賞奨励賞受賞。藤女子大学教授在任中に、小樽文学館長を兼務(『小林多喜二とその周圏』著者紹介)。両職共に在任中に逝去。
山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 202… 山中 恒(やまなか ひさし、1931年7月20日 - 2026年3月13日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家。 『間違いだらけの少年H』などの共著者である山中典子は二番目の妻である。 北海道小樽市で8歳まで育った。父親の仕事の関係で神奈川県平塚市に転居するが、戦争中縁故疎開で再び小樽に戻った。1944年に旧制小樽中学校(現、北海道小樽潮陵高等学校)の面接試験を受けたとき、戦争の現状を問われて「負け戦です」と答え、付き添いの教師をうろたえさせる。彼としては苦戦しているという率直な気持ちを述べたつもりだった。付き添った教師は不合格をおそれたが、結局は合格した。 日本の敗戦が決まった際、当時まだ14歳ながら敗戦を天皇に詫びるため、真剣に自決しようと考え辞世の句まで練っていたが、友人から「連合艦隊司令長官や軍司令官でもないお前が、どうして自決など考えるのか」と呆れられ「それもそうだ」と我に返ったという。
吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 201… 吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 2013年4月7日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 ジャンプの名門北海道小樽潮陵高等学校で本格的にジャンプを始め、早稲田大学教育学部卒業後、同和鉱業で競技を続ける。冬季オリンピックに2回連続で出場した。 初出場の1952年オスロオリンピックでは36位タイ。旗手を務めた1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは1本目9位に付けたものの2本目18位で結局13位に終わった。 全日本スキー選手権を1953年第31回、1955年第33回、1958年第36回、1960年第38回と合計4回制している。
宮下 健三(みやした けんぞう、1930年12月10日 - … 宮下 健三(みやした けんぞう、1930年12月10日 - )は、ドイツ文学者、宇都宮大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1953年北海道大学独文科卒。北大講師、1965年金沢大学助教授、1970年宇都宮大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。
上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 … 上野 修(うえの おさむ、1930年〈昭和5年〉8月19日 - 2002年〈平成14年〉6月30日)は、日本のラジオ番組のプロデューサー。 「ドン上野」の愛称で知られていた。 北海道小樽市出身。北海道小樽潮陵高等学校、日本大学法学部卒業。 1952年、NHK札幌放送局入局。NHKを退局した後、1954年に当時開局して間もなかったニッポン放送へ入社、編成局庶務部(効果班)に配属され、1963年まで効果音製作を主に務める。 1963年に効果部から制作部へ異動、番組制作を手がけるようになり、ニッポン放送で『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』『夜のドラマハウス』『オールナイトニッポン』の4時間スペシャル生ラジオドラマなどを手がけ話題になる。
檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本… 檜田信男(ひだ のぶお、1930年3月31日- ) は、日本の会計学者、中央大学名誉教授。 北海道小樽市出身。早稲田大学商学部卒、1960年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、77年「近代監査機能の特性とその方法の研究」で商学博士。大東文化大学講師、専修大学助教授、教授、中央大学商学部教授。2000年定年となり、名誉教授。
藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日… 藤原 房雄(ふじわら ふさお、1929年(昭和4年)9月6日 - 2015年(平成27年)12月28日)は、日本の政治家。北海道小樽市出身。室蘭工業大学電気工学科卒業。参議院議員(3期)、衆議院議員(2期)。 小樽市に生まれる。室蘭工業大学電気工学科を卒業する。通商産業省に勤める。その後、同札幌通産局(現北海道経済産業局)勤務を経て、聖教新聞社北海道支局長を務める。この頃、創価学会北海道事務局長も兼任していた。 1968年(昭和43年)7月7日、第8回参議院議員通常選挙に公明党公認候補として全国区から立候補し、初当選する(以降3期)。参議院科学技術振興対策特別委員長などを務める。 3期目の任期満了目前となった1986年(昭和61年)、同年7月6日執行第38回衆議院議員総選挙に公明党公認で北海道1区から立候補(公示日となる同年6月21日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))、衆議院議員に鞍替え当選する。
菊池 幸雄(きくち ゆきお、1929年8月10日 - 201… 菊池 幸雄(きくち ゆきお、1929年8月10日 - 2017年4月29日)は、日本の国土交通技官、理学博士。気象庁長官を務めた。 北海道小樽市出身。1957年に北海道大学理学部を卒業し、同年に気象庁に入庁。1983年に名古屋気象台長、1984年7月に観測部長、1985年4月に予報部長を経て、1987年4月から1990年4月までに長官を務めた。 1999年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2017年4月29日に多臓器不全のために死去。87歳没。
石上 善應(いしがみ ぜんのう、1929年8月8日 - 20… 石上 善應(いしがみ ぜんのう、1929年8月8日 - 2020年11月29日)は、日本の仏教学者。専門は印度哲学、仏教文化史。大正大学名誉教授、前淑徳短期大学学長、浄土宗僧侶。北海道小樽市生まれ。 1929年、北海道小樽市生まれ。1953年、大正大学仏教学部仏教学科卒業。1956年、同大学大学院文学研究科仏教学修士課程修了。芝中学校・高等学校講師を経て、1963年大正大学仏教学部助教授。1971年同教授。1993年同大学人間学部教授。2000年、大正大学名誉教授、浄土宗総合研究所所長、韓国東国大学校碩座教授。2002年淑徳短期大学学長(- 2014年)。2014年、淑徳大学教授、瑞宝中綬章受章。
菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 200… 菱川 善夫(ひしかわ よしお、1929年6月3日 - 2007年12月15日)は、日本の歌人・文芸評論家・国文学者。北海学園大学名誉教授。戦後の前衛短歌運動を批評の立場から推し進めた。 北海道小樽市出身。旧制小樽中学(現北海道小樽潮陵高等学校)、1953年北海道大学文学部国文学科卒業、1958年同大学院文学研究科博士課程満期退学。1957年北海道苫小牧西高等学校教諭。1959年北海道札幌西高等学校教諭、1962年旭川工業高等専門学校助教授、1969年北海道工業大学助教授。1972年同教授、1977年北海学園大学教養部教授。1993年同人文学部教授。北海学園大学教養部長や、同学生部長、同附属図書館長、同人文学部長・大学院文学研究科長を歴任。
柴田 拓二(しばた たくじ、1929年5月3日 - 2010… 柴田 拓二(しばた たくじ、1929年5月3日 - 2010年5月2日)は、日本の工学者。北海道大学名誉教授。元北海道工業大学学長。北海道小樽市出身。 この項目は、工学・技術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:技術と産業)。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日… 新谷 昌明(あらや まさあき、1929年(昭和4年)2月3日 - 2017年(平成29年)7月17日)は、昭和から平成時代の政治家。北海道副知事、小樽市長。 北海道小樽市に生まれる。小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)、小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)を経て、1950年(昭和25年)慶應義塾大学経済学部を卒業。国家公務員試験に通ったものの結核を患い、5年間の浪人の末、1955年(昭和30年)北海道庁に奉職する。上川支庁税務課から出納局を経て、1962年(昭和37年)より商工観光部勤務となる。鉱政課長時代にオイルショックを経験したのを機にエネルギー問題を学び、道庁きってのエキスパートとなる。
岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )… 岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。 北海道小樽市出身。松本高等学校文科を経て、1954年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日興証券に入社。1979年12月に取締役に就任し、1981年9月に常務、1984年11月に専務、1985年11月に副社長を経て、1986年12月に社長に就任。大口投資家への損失補てんによる責任を取る形で社長を辞任し、1991年6月に副会長に退き、1996年6月に会長を経て、1997年10月から顧問を務めた。 2000年6月からコナミ取締役も務めた。 旧制松本高等学校時代にサッカー部であったことから、社長時代の1990年に同社の女子サッカーチーム「日興證券女子サッカー部ドリームレディース」の結成に関わった。
渡部 龍雄(わたなべ たつお、1928年4月4日 - 200… 渡部 龍雄(わたなべ たつお、1928年4月4日 - 2001年12月11日)は、1950年代前半に活躍した元スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-小樽経済専門学校-早稲田大学-三井鉱山芦別 小樽中学時代はテニスで鳴らした。1952年のオスロオリンピックスペシャルジャンプで27位だった。
正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 202… 正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 2024年12月2日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道小樽市出身。 1949年に北海道大学農学部を卒業し、同年に北海道酪農協同(のちの雪印乳業)に入社。1981年に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年1月に社長に就任。1993年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に就任。社長在任時には、自社グループの結束と強化、海外進出による国際化の進展、チーズの日の創設による普及活動への貢献などを行った。1997年6月には農林中央金庫監事にも就任。 1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2024年12月2日に死去。
石郷岡 敬佳(Noryyoshi Ishigooka, いし… 石郷岡 敬佳(Noryyoshi Ishigooka, いしごうおか のりよし、1928年 - 2009年11月2日)。アンフォルメル的な画風の抽象画家。 1928年に北海道小樽市に生まれ、1941年から独学で絵画を描き始める。1953年に北海道から東京に移住。 1954年に東京、銀座一番館にて初の個展を開催した。1960年代にはフランス文学者で芸術評論家、作家としても著名な栗田勇と親交を深めるようになった。1984年に、東京、銀座アートセンターにて3度目の個展を開催した。1985年には、アメリカ合衆国の抽象表現主義のポール・ジェンキンス(英語版)と親交を結び、作品の交換も行った。 1980年に、東京、銀座のロイヤルサロン・ザ・ギンザにて2度目の個展を行った。
藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )… 藤沢良一(ふじさわ りょういち、1927年5月25日 - )は、北海道小樽市出身で1950年代に活躍した日本の元クロスカントリースキー、ノルディック複合、スキージャンプ選手。小樽水産高校から明治大学を経て松尾鉱山。1998年の長野オリンピックでは、聖火リレーの走者を務めた。
狩野 陽(かのう みなみ、1927年5月19日 - 2013… 狩野 陽(かのう みなみ、1927年5月19日 - 2013年11月8日)は日本の心理学者。北海道大学名誉教授、札幌学院大学名誉教授。専門分野は、社会心理学、精神神経科学。北海道小樽市出身。 1984年北海道心理学会会長(1985年まで)などを歴任 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
石山 透(いしやま とおる、1927年〈昭和2年〉5月15日… 石山 透(いしやま とおる、1927年〈昭和2年〉5月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月3日)は、日本の脚本家。主に1960年代、70年代にNHKテレビの少年少女ドラマで人気を博した。北海道小樽市出身。本名は笹岡幸司。 9歳で神奈川県に移住。科学を志し、東京高等学校理科に学ぶが断念、卒業後は学友の熊倉一雄らとともに劇団「感覚座」を主宰。このころから脚本・演出も手がける。1950年頃から、ラジオ・テレビを中心に脚本家としての活動を開始。 1952年にNHK札幌放送劇団に入団。同局の専属作家となり、1956年にラジオドラマ『パイロット・ファーム』で文部省芸術祭奨励賞受賞。1959年にNHK東京の専属作家となり、同年の『ピエロが泣いた』でテレビのシナリオ作家としてデビュー。
佐藤 教男(さとう のりお、1927年 - 2025年7月1… 佐藤 教男(さとう のりお、1927年 - 2025年7月10日)は、日本の化学工学者、電気化学者。北海道大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1948年山形大学工学部機械科卒業。1961年北海道大学工学博士。1986年北海道大学工学部長。 2001年オーリン・パラジウム賞、2005年電気化学会功績賞を受賞。同年瑞宝中綬章受章。 2025年7月10日、老衰のため北海道石狩市の病院で死去した。98歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )… 川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 スキーの名門旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)入学時は野球の選手で1年からセカンドのレギュラーとなったが、3年の冬にスキー部へ移り本格的にジャンプを始める。戦後明治大学に進学し、1948年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)で優勝、1952年のオスロオリンピック代表(42位)。
百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年(大正1… 百目鬼 恭三郎(どうめき きょうざぶろう、1926年(大正15年)2月8日 - 1991年(平成3年)3月31日)は日本の新聞記者、文芸評論家。匿名で発表した原稿も多い。 北海道小樽市に生まれ、群馬県前橋市に育ち、旧制群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に学ぶ。旧制新潟高等学校で丸谷才一と知り合う。東京大学文学部英文学科を卒業後、母校群馬県立前橋高等学校勤務を経て、補欠社員募集に応じて朝日新聞社に入る。入社当初は宇都宮支局にて刑事事件の記事を書いていた。 入社4年後に東京本社学芸部に転属。まもなく安西均の後任として詩壇を担当したが、現代詩に疎いため、大学時代の友人である篠田一士にたびたび意見を訊いていた。