奥山 直司(おくやま なおじ、1956年6月19日- )は、… 奥山 直司(おくやま なおじ、1956年6月19日- )は、日本の仏教学者。高野山大学教授。専攻は、インド・チベット仏教文化、密教図像学、日本近代仏教史。 山形市生まれ。1979年東北大学文学部印度学仏教史専攻卒業、85年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、東北大学文学部助手ののち、1989年一関工業高等専門学校専任講師、91年助教授、1994年高野山大学文学部助教授、2003年教授となる。
室井 尚(むろい ひさし、1955年3月24日 - 2023… 室井 尚(むろい ひさし、1955年3月24日 - 2023年3月21日)は、日本の美学者、記号学者。横浜国立大学名誉教授。唐十郎を横浜国立大学の教授として招いた。
信夫 隆司(しのぶ たかし、1953年 - )は、日本の政治… 信夫 隆司(しのぶ たかし、1953年 - )は、日本の政治学者。日本大学法学部教授。専門は、国際政治学、地球環境問題。 山形県山形市出身。1975年日本大学法学部法律学科卒業、1977年同法学研究科修士課程修了、1981年ポートランド州立大学大学院修士課程修了。2010年「若泉敬と日米繊維交渉」で東海大学博士(政治学)。 日本大学法学部助手、武蔵野短期大学国際教養学科助教授、岩手県立大学総合政策学部教授を経て、2005年から現職。 2020年、日本政治法律学会より現代政治学会賞を受賞。
花輪 公雄(はなわ きみお、1952年 - ) は、日本の海… 花輪 公雄(はなわ きみお、1952年 - ) は、日本の海洋科学者。東北大学名誉教授。国立大学法人東北大学理事を経て、国立大学法人山形大学理事・副学長。元日本海洋学会会長。 山形市生まれ。1976年東北大学理学部卒業。1981年東北大学大学院理学研究科博士課程後期単位取得退学、東北大学理学部助手。1985年東北大学理学部講師。1987年理学博士、東北大学理学部助教授。1989年日本気象学会堀内賞受賞。 1994年東北大学理学部教授。1995年東北大学大学院理学研究科教授。2000年度日本海洋学会学会賞受賞。2006年気象庁気候問題懇談会座長、日本学術会議連携会員。2007年日本海洋学会副会長。
青木 辰司(あおき しんじ、1952年 - )は、現在東洋大… 青木 辰司(あおき しんじ、1952年 - )は、現在東洋大学社会学部教授。山形県山形市出身。専門は、環境社会学、農村社会学。
大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、… 大宮 登(おおみや のぼる、1951年6月12日 - )は、日本の社会学者。高崎経済大学地域政策学部名誉教授、同大学の元副学長。群馬県選挙管理委員会委員長職務代理。山形県山形市出身。 なお、2013年には高崎経済大の学長選に立候補するも、現職の石川弘道に敗れた。 ◆平成23年度 各種委員会、学会、社会活動
飯野 正光(いいの まさみつ、1950年 - )は、日本の医… 飯野 正光(いいの まさみつ、1950年 - )は、日本の医学者、医師。専門は、生理学、薬理学。学位は、医学博士。 東京大学名誉教授・ニューロインテリジェンス国際研究機構特任教授、日本大学生体機能医学系生理学分野上席研究員。元日本大学特任教授、元東京大学教授。 東京大学大学院医学系研究科副研究科長、ニューロインテリジェンス国際研究機構機構長特別補佐、日本薬理学会理事長、日本医学会副会長などを歴任した。紫綬褒章受章。山形市出身。
伊藤 哲雄(いとう てつお、1949年〈昭和24年〉2月4日… 伊藤 哲雄(いとう てつお、1949年〈昭和24年〉2月4日 - )は、日本の元外交官、神戸大学特命教授(経済学研究科)。カザフスタン駐箚特命全権大使、ハンガリー駐箚特命全権大使などを歴任した。 山形県山形市出身。1965年(昭和40年)山形大学教育学部附属中学校(現山形大学附属中学校)を卒業。1968年(昭和43年)AFS留学でアメリカに渡り、ミネソタ州エヴェレス高等学校を卒業した。翌1969年(昭和44年)慶應義塾高等学校を経て、1973年(昭和48年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、外務省に入省する。
加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1… 加藤 典洋(かとう のりひろ、1948年(昭和23年)4月1日 - 2019年(令和元年)5月16日)は、日本の文芸評論家、早稲田大学名誉教授。講談社ノンフィクション賞、小林秀雄賞選考委員。 『「アメリカ」の影』(1985年)で注目される。文学、政治、歴史認識と広く戦後日本の社会を独自の視点で考察。著書に『敗戦後論』(1997年)、『日本の無思想』(1999年)、『言葉の降る日』(2016年)、『敗者の想像力』(2017年)などがある。 山形県山形市出身。山形県立山形東高等学校を経て、1972年東京大学文学部仏文学科を卒業。1985年に『アメリカの影』でデビューする。 雑誌『思想の科学』に1980年代からかかわり、第八次『思想の科学』(1993-1996)の編集委員をつとめた。
齋藤 文良(さいとう ふみお、1947年11月26日 - )… 齋藤 文良(さいとう ふみお、1947年11月26日 - ) は、日本の化学工学者。工学博士(東北大学・論文博士・1982年)。東北大学名誉教授。東北大学多元物質科学研究所所長、粉体工学会副会長、化学工学会粒子・流体プロセス部会長などを歴任。 山形市出身。1970年山形大学工学部化学工学科卒業。1972年山形大学大学院工学研究科修士課程化学工学専攻修了、山形大学工学部助手。 1974年東北大学選鉱製錬研究所助手。1982年東北大学より工学博士の学位を取得、横浜国立大学工学部講師。1987年横浜国立大学助教授、バーミンガム大学化学工学科客員研究員。1989年東北大学選鉱製錬研究所助教授。 1991年東北大学選鉱製錬研究所教授。
佐藤 司郎(さとう しろう、1946年11月17日 - )は… 佐藤 司郎(さとう しろう、1946年11月17日 - )は、山形県山形市出身の神学者、東北学院大学名誉教授、日本基督教団の牧師。博士(文学)(東北大学)。現在、学校法人尚絅学院理事長・学院長。 主に組織神学の専門家で、カール・バルトなどのドイツ語の神学書を多数翻訳。 1964年、保守バプテスト同盟山形第一聖書バプテスト教会でバプテスマ(洗礼)を受ける。その後、東北大学文学部哲学科に入学して、哲学を学ぶ。そのころからカール・バルトに影響を受けるようになる。東北大学大学院文学研究科修士課程を修了(実践哲学専攻)。 その後、献身して、東京神学大学大学院に学び、1975年に修士課程を修了し、日本基督教団の教師になる。
大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月… 大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭和21年〉3月8日 - 2018年〈平成30年〉10月16日)は、日本の法学者。専門は国際法学。学位は、博士(法学)(東京大学・論文博士・1999年)(学位論文「人権、国家、文明:普遍主義的人権観から文際的人権観へ」)。東京大学名誉教授。元明治大学法学部特任教授。 山形県山形市出身。寿虎屋酒造9代目社長大沼勘四郎の次男として生まれる。 東京大学法学部在学中の1968年、国家公務員採用上級甲種試験(法律)合格、司法試験第二次試験合格。1969年6月、東京大学法学部公法コース卒業。1970年3月、東京大学法学部政治コース卒業。 1970年4月 - 1973年10月、東京大学法学部助手、1973年11月 - 1984年6月、同大学法学部助教授、1984年7月 - 1991年3月、同大学法学部教授、1991年4月 - 2009年3月、同大学大学院法学政治学研究科教授。
舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は… 舩山 龍二(ふなやま りゅうじ、1940年2月6日 - )は、日本の実業家、JTB元代表取締役会長、元社長、立教大学観光学部元教授、日本ワーキング・ホリデー協会元会長、公益財団法人日本交通公社評議員。 1940年2月6日、山形県山形市生まれ。山形東高卒業。1962年3月、東京教育大学(現・筑波大学)理学部卒業。同年4月、日本交通公社(現JTB)入社。 国際旅行事業からその経歴をスタートさせ、海外旅行のルック販売部販売課長、国内旅行のエース課長などを歴任。経営企画室長、取締役九州営業本部長、常務人事部長などを経て1996年に代表取締役社長就任。2002年から代表取締役会長を務めた。 JTB会長と兼任して立教大学観光学部教授を務め、ツーリズム産業の発展のために後進の育成を行うとともに、日本旅行業協会(JATA)では副会長、海外旅行委員長などの要職を務め、初の大使が誕生したスロバキアには旅行会社5社とJALの協力を得て初のチャーター便を飛ばすなどの活動を行った。
五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2… 五百澤 智也(いおざわ ともや、1933年5月30日 - 2013年12月14日)は、日本の地理学者。山岳・氷河地形研究者であり、山岳鳥瞰図作家として知られる。 山形県山形市出身。東京教育大学理学部地学科地理学専攻卒業。大学時代には、九州南端の開聞岳から北海道の利尻山まで日本各地の山々に登り、日本アルプスにおける氷河地形の発達について強い関心を抱く。大学卒業後には魚沼水無川シン沢単独遡行。建設省地理調査所(のちの国土地理院)を37歳で退職するまで、空中写真撮影、写真判読、基本図測量、修正測量、地形図製作などに従事し、積雪調査の開発研究にあたる。1962年には、それまで知られていなかった槍・穂高山域で最低位の堆石堤群を発見し、その後、日本の氷河地形の再検討を続ける。
早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 199… 早坂 忠(はやさか ただし、1931年9月25日 - 1995年7月10日)は、日本の経済学史・経済思想史学者。 山形県山形市生まれ。東京大学教養学科卒業、大学院社会科学研究科理論経済学専攻博士課程単位取得退学(木村健康に師事)。1958年、東京大学教養学部助手。外国語部会英語科の講師、助教授を経て、1983年8月、教授。1990年3月、定年を待たずに退職し、4月より学習院大学経済学部教授、1992年5月、退職。1995年、叙正四位、叙勲三等授瑞宝章。 ケインズを中心に研究を行っていたが、東大では教養学部の英語科に所属しており、経済学ではなく英語の教授だった。
小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教… 小林政吉(こばやし まさきち、1923年-?)は、日本の宗教学者、東北大学名誉教授。 山形市生まれ。1945年東北帝国大学法文学部文科(教育学専攻)卒業。1962年「教養と実存」で、文学博士の学位を取得。東北大学教育学部助教授、教授、1987年定年退官、名誉教授、東洋英和女学院大学教授。
伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012… 伊藤 勲(いとう いさお、1917年1月20日 - 2012年11月15日)は、日本の政治学者、上智大学名誉教授。 山形県山形市生まれ。1938年中央大学専門部法律科卒、1939年内閣情報局勤務、1941年中央大学法学部卒、中央気象台勤務、1949年運輸省へ出向。1957年上智大学法学部助教授、1963年教授、1966年「明治政党史の研究」で中大法学博士。1983年上智大学を定年、名誉教授、松阪大学教授。
阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日… 阿部 吉雄(あべ よしお、1905年〈明治38年〉5月12日 - 1978年〈昭和53年〉5月30日)は、日本の中国哲学者。 1905年、山形県山形市で生まれた。山形中学校を経て、東京帝国大学文学部支那哲学科に入学。1928年、卒業論文『荀子の研究』を提出して同大学を卒業。同大学大学院に進学した。 1930年、東方文化学院東京研究所の助手となり、服部宇之吉の「儀礼鄭注補正」の助手を務めた。1935年に同研究所研究員となり、「朱子経説の淵源」の題目で研究を進めた。 1941年、京城帝国大学法文学部助教授として赴任。当地で朝鮮儒学に関心を抱いた。李退渓と闇書の思想的血縁関係について著した専門書をまとめたものの、公刊直前に敗戦となり、原稿ともども失う。
後藤 嘉一(ごとう かいち、1905年(明治38年)4月29… 後藤 嘉一(ごとう かいち、1905年(明治38年)4月29日 - 1990年(平成2年)7月3日)は、昭和時代から平成時代初期に活躍した新聞記者、郷土史家。山形県の郷土史研究の先駆者として知られ、特に山形市史の編纂事業における中心的役割で評価されている。 小説家の後藤紀一は弟であり、孫は劇作家の後藤ひろひとである。 1905年(明治38年)4月29日、嘉一は山形県東村山郡山辺町の農家に、父嘉兵衛、母とみの間に生まれた。1920年(大正9年)3月、15歳で山辺小学校を卒業し、当初は自作農を志していた。しかし家業の農業が大正期の農業不況により困窮し、19歳で転身を余儀なくされた。 嘉一の初期の文学活動はこの時期からはじまっており、1919年(大正8年)9月には14歳で、同級生の高内寿郎、斎院喜一、峯田覚治らと文芸回覧月刊雑誌『楓』を第7号まで発行した。
高山 岩男(こうやま いわお、1905年(明治38年)4月1… 高山 岩男(こうやま いわお、1905年(明治38年)4月18日 - 1993年(平成5年)7月7日)は、日本の哲学者。京都帝国大学教授・神奈川大学教授・日本大学教授・東海大学教授、秋田経済法科大学学長を歴任。 1905年、山形県山形市で生まれた。1918年、山形県立山形中学校(現・山形県立山形東高等学校)に入学。1925年、山形高等学校を卒業。西田幾多郎、田辺元の著書に触発され、京都帝国大学文学部哲学科に入学。当時の文学部には西田幾多郎、波多野精一、田辺元、和辻哲郎らが教員として在籍しており、京都学派の全盛期であり、特に田辺から多大な影響を受けた。西田幾多郎からは俊秀と評され、京都帝国大学を首席卒業した。
羽太 鋭治(はぶと えいじ、1878年11月1日 - 192… 羽太 鋭治(はぶと えいじ、1878年11月1日 - 1929年8月31日)は、日本の性科学者。 山形県山形市出身。文学に憧れながら医師を志し、済生学舎卒業、1900年(明治33年)医術開業試験に合格、故郷で開業するがのち上京し文筆活動をしながら医学研究を行い、1912年(明治45年)から一年半ドイツに留学して医学博士の学位を得、生理学を学び、1914年(大正3年)、神田小川町に泌尿生殖器科医院を開業。1920年(大正9年)に『性慾と人生』を創刊(-1921年)、多くの通俗性科学書を著した。その後本郷にいづま医院内で活動。文芸、芸術にも造詣が深く、当時の西欧における性科学の発達に応じて、性欲を中心とし、恋愛、売春、避妊、自慰など、当時変態性欲とされていたものなどを啓蒙的に縦横に論じた。
日下部 四郎太(くさかべ しろうた、1875年5月5日 - … 日下部 四郎太(くさかべ しろうた、1875年5月5日 - 1924年7月3日)は、日本の地球物理学者。理学博士(1906年)。東北帝国大学教授。岩石や地震波の研究者。『物理学汎論』などを表し、岩石の弾性の研究により第2回帝国学士院賞を受賞し、近代地震学の基礎を開いた。アインシュタインとも親交を持ち、彼を長岡半太郎らと共に東北帝国大学に招いた。 日下部定治の3男として山形県東村山郡金井村(現・山形市)に生まれる。幼い頃は社交性がない神経質な子供であり、村の寺に小僧として3年間預けられたこともあった。小学生の頃から数学などが非常に得意であった。旧制山形尋常中学、旧制二高へ進み、1900年、東京帝国大学物理学科を卒業。
大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年… 大場 茂馬(おおば しげま、1869年12月19日(明治2年11月17日) - 1920年(大正9年)12月30日)は、日本の刑法学者、弁護士、政治家。元公安審査委員会委員長の大場茂行は息子。 明治から大正の日本の刑法学は、富井政章、穂積陳重らがよってたつ主観主義を前提とする新派・近代学派と、客観主義を前提とする旧派・古典学派が対立しており、当時、旧派を代表する学者であり、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードの弟子でもある宮城浩蔵は、犯罪を社会的害悪であると同時に道徳的悪であるとしてフランス新古典派がよってたつ折衷主義の立場をとっていた。 1871年のドイツ刑法典を参考にし、ドイツの近代学派が主張した新しい刑事政策的思想を取り入れた現行刑法が1907年に成立すると、新派の牧野英一は、独自の法律進化論の立場から、刑法は旧派刑法理論から新派刑法理論に進化していくものであると主張し、現行刑法の成立こそ新派の勝利の証であるとして凱歌をあげた。
田中 真美(たなか まみ)は、日本の医療福祉工学者。東北大学… 田中 真美(たなか まみ)は、日本の医療福祉工学者。東北大学大学院医工学研究科教授、日本学術会議会員。日本学術振興会賞受賞。 山形県山形市出身。山形市立第十中学校、山形県立山形東高等学校を経て、1993年東北大学工学部機械工学科卒業。1995年東北大学大学院工学研究科博士課程前期課程修了。1999年博士(工学)。 2001年東北大学大学院工学研究科助教授。2002年東京工業大学精密工学研究所助教授併任。2003年文部科学省在外研究員(フランス国立工芸院)。2008年東北大学大学院医工学研究科教授。2014年東北大学男女共同参画推進センター副センター長。 2018年東北大学総長特別補佐(共同参画担当)、日本機械学会理事。
善野 秀(ぜんの しゅう)は、幕末から明治時代にかけての武士… 善野 秀(ぜんの しゅう)は、幕末から明治時代にかけての武士、儒学者、政治家。本姓は高山、旧名は司(つかさ)、通称は勝右衛門、号は霞城。足利藩士、足利藩権大参事。 文政5年(1825年)、出羽国山形藩士・高山新兵衛の次男として山形で生まれる。秋元氏が館林藩に転封となったため館林に移り住んだ。 天保14年(1843年)に江戸に遊学し、長戸得斎や林大学頭に師事。安政2年(1855年)31歳のとき足利藩士・善野勝右衛門家の養子に迎えられ、勝右衛門を襲名。文久元年(1861年)、37歳で栃木町の栃木陣屋奉行となった。 元治元年(1864年)、栃木町は天狗党の乱において田中愿蔵の放火に遭い、大部分を焼失。