茂木 友三郎(もぎ ゆうざぶろう、1935年(昭和10年)2… 茂木 友三郎(もぎ ゆうざぶろう、1935年(昭和10年)2月13日 - )は、日本の経営者。キッコーマン株式会社取締役名誉会長・取締役会議長。父はキッコーマン中興の祖・茂木啓三郎元社長。茂木賢三郎独立行政法人日本芸術文化振興会理事長は弟。 コロンビア大学コロンビア・ビジネス・スクールで経営学修士の学位を修得し、コロンビア大学名誉理事も務めた。日本経済団体連合会常任理事、経済同友会終身幹事、文部科学省中央教育審議会副会長、産業教育振興中央会会長、慶應義塾評議員・理事、日本国際フォーラム顧問、日本経営協会会長等を歴任。 2014年6月に公益財団法人日本生産性本部会長に79歳という異例の老齢で就任した。
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 201… 後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章受章。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。 歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により死去。86歳没。
宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 19… 宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 1991年4月22日)は、日本の小説家、医師。 千葉県野田市生まれ。本名・真(しん)。慶應義塾大学医学部卒業。学生時代から『文芸首都』同人となり小説を書く。のち第三次『批評』に参加し、1963年「鼠浄土」で中央公論新人賞、「なっこぶし」で農民文学賞 を受賞し、郷里で小児科医として開業しながら作家活動をおこなう。リアリズムの系列と幻想文学の系列とがあり、関心はアンコール・ワットおよびアジアの多神教、浮世絵、民俗学など多方面にわたった。
七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921… 七代目 春風亭 小柳枝(しゅんぷうてい こりゅうし、1921年1月2日 - 1962年9月27日)は、落語家。本名∶染谷 晴三郎。出囃子は『喜撰』。生前は日本芸術協会(現:落語芸術協会)、一時TBSの専属だった時期もある。俗に『染谷の小柳枝』。 軽く飄々とした芸風で「甲府い」「野ざらし」などを得意とした。大食漢であったが、それがもとで晩年は糖尿病と結核に悩まされたため、若くして没した。「医者から結核なので栄養をつけなきゃいけないってんですがね。そしたら糖尿がひどくなっちまうンで、あたしゃどうしたらいいんだ。」とこぼしていた。 性格は大変粗忽で物忘れ勘違いが多かったという。 この項目は、落語家に関連した書きかけの項目です。
林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 19… 林 喜市郎(はやし きいちろう、1919年6月3日 - 1999年11月3日)は、日本の洋画家。千葉県野田市出身。 生まれ育った千葉の故郷等を主題に、様々な風景画、主に民家を描く事で知られる。 1919年、千葉県野田市に生まれる。 1946年にシベリア抑留を経験し、敗戦後、日本に戻り画家を志すようになる。 齢50を過ぎてから画家デビューするという異色の経歴を有しており、数多くの古民家を描き続けてきた事で知られる。 全国の民家を訪ね歩く事により、日本固有の藁葺文化を世界に伝え浸透させるために活動する。 数ある作品の中でも、山梨県忍野村風景が大多数を占めており、優美性と写実性に富んだ独特の技法が絶大な人気を呼び起こした。
北見 禮子(きたみ れいこ、1915年2月13日 - 200… 北見 禮子(きたみ れいこ、1915年2月13日 - 2007年)は、日本の女優である。新漢字表記北見 礼子、出生名・旧芸名稲村 美津子(いなむら みつこ)、結婚後本名林 美津(はやし みつ)。夫は林敏夫、長男は林与一である。 1915年(大正4年)2月13日、千葉県東葛飾郡野田町(現在の同県野田市)に生まれる。 1932年(昭和7年)3月、野田町立野田高等女学校(現在の千葉県立野田高等学校)を卒業し、同年4月、東京・巣鴨の河合映画製作社に入社、同年6月10日に公開された吉村操監督の『大磯心中 天国に結ぶ恋』に出演して、映画界にデビューした。同年10月20日に公開された根岸東一郎監督の『下宿屋の娘』で、初めて主役に抜擢される。
千葉昇 隆利(ちばのぼり たかとし、1915年1月2日 - … 千葉昇 隆利(ちばのぼり たかとし、1915年1月2日 - 没年不詳)は、千葉県野田市出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は長妻 高治。最高位は十両6枚目。 春日野部屋に入門し、1929年1月「野田ノ里」の四股名で初土俵を踏む。1936年5月十両昇進、この間四股名を「千葉昇」に改めた。十両は連続6場所務めた。幕下に落ちた1942年1月に廃業した。
横銭 重吉(よこぜに じゅうきち、1914年〈大正3年〉3月… 横銭 重吉(よこぜに じゅうきち、1914年〈大正3年〉3月4日 - 1978年〈昭和53年〉6月22日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)出身。福田高等小学校卒業後野田醤油に入り、その傍ら野田商業補習学校に通い、卒業した。戦後、野田醤油に労働組合が結成され、これに加入し、書記長、副委員長、執行委員長になる。千葉県議、千葉県労働金庫理事長も務めた。1955年の第27回衆議院議員総選挙において千葉1区から日本社会党左派公認で立候補して当選した。衆議院議員は1期務め、1958年の第28回衆議院議員総選挙で落選した。1978年死去。没後、従五位勲四等旭日小綬章が贈られた。
山中直治(やまなか なおじ、1906年1月27日 - 193… 山中直治(やまなか なおじ、1906年1月27日 - 1937年2月13日)は日本の作曲家。童謡「かごめかごめ」を採譜して全国に広めた人物である。31年という短い生涯の中で、200曲以上の曲を残した。 千葉県東葛飾郡梅郷村(現・野田市山崎)出身の作曲家。近隣で歌われていた「かごめかごめ」を採譜し、世に広めた人物。野口雨情、斎藤信夫らとも交流があった。 千葉県野田尋常高等小学校(現・野田市立中央小学校)の教員をしながら童謡の作曲を行った。昭和7年(1932)にコロムビア・レコードの作曲部の専属作家となってからは、『こんこん小山の白狐』(作詞は野口雨情)をはじめ多数の楽曲がレコード化された。昭和12年に31歳という若さでこの世を去ってしまったものの、実に200曲以上も超える作品を作った(未発表も含む)。
渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12… 渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12月25日 - 1985年(昭和60年)5月27日)は、将棋棋士。棋士番号4。名誉九段。日本将棋連盟会長。関根金次郎十三世名人門下。千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1918年、渡辺の親戚でもある関根金次郎に入門。1922年四段昇段。 1941年八段。順位戦に3期参加した後、1949年に引退。 1948年、日本将棋連盟会長に就任。在任中の1949年に名人戦の主催社が毎日新聞社から朝日新聞社に変更されるが、これは渡辺の北海道出張中に交渉を委任された加藤治郎副会長(後の名誉九段)がやったことで、渡辺の帰京後、委任の範囲を巡って渡辺と加藤の間で一悶着あったという。
茂木 順三郎(もぎ じゅんざぶろう、1884年〈明治17年〉… 茂木 順三郎(もぎ じゅんざぶろう、1884年〈明治17年〉4月3日 - 1954年〈昭和29年〉4月13日)は、日本の実業家。柏屋商事社長。小網商店出資社員、有限社員。千秋社理事。千葉県多額納税者。 千葉県東葛飾郡野田町(現・野田市)出身。茂木七郎右衛門の長男。1929年、家督を相続した。慶應義塾出身。銀行会社の重役であり、野田商誘銀行常務、野田醤油(現・キッコーマン)、銚子醤油(現・ヒゲタ醤油)、総武鉄道各取締役、日本坩堝、満州野田醤油各監査役等をつとめた。 趣味は打球、弓、ゴルフ。宗教は真言宗。住所は千葉県東葛飾郡野田町野田。1944年、紺綬褒章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
秋 乕太郎(あき とらたろう、1865年12月31日(慶応元… 秋 乕太郎(あき とらたろう、1865年12月31日(慶応元年11月14日) – 1922年(大正11年)12月15日)は、衆議院議員(憲政会)。秋虎太郎とも書く。 下総国葛飾郡関宿町(千葉県東葛飾郡関宿町を経て現野田市)で関宿藩士秋汲平の子として生まれる。明倫学舎と紫溟学舎で学んだ。小学校教員や新聞記者を経て、1890年(明治23年)、本郷区会議員に当選。以後、連続当選を重ね、議長にも就任した。1891年(明治24年)には東京府会議員に当選し、1896年(明治29年)には東京市会議員に、当選した。 1920年(大正9年)、第14回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。 その他、禅徒生命保険株式会社取締役、東京医学講習所(現在の東京医科大学)主幹などを務めた。
鈴木 由哲(すずき ゆうてつ、1833年 - 1917年6月… 鈴木 由哲(すずき ゆうてつ、1833年 - 1917年6月21日)は、幕末の久世家関宿藩の藩士、代官、関宿町町長。旧姓は倉持(くらもち)[要出典]。通称は為之助もしくは為輔(ためのすけ)。 海軍大将・枢密院議長・内閣総理大臣の鈴木貫太郎、陸軍大将の鈴木孝雄の父。 下総国久世家関宿藩4万8千石の藩士であった由哲は身分の高い武士では無かったが、体も大柄で剣の腕も立った為久世広周が亡くなる1862年(文久2年)まで籠の警備をしていた。また、関宿藩に招聘されていた田口俊平に師事し西洋砲術を学び大筒頭取となる。 1864年(元治元年)、久世家関宿藩の和泉国大鳥郡および和泉郡の飛地(1万石)の代官に抜擢され35俵2人扶持で赴任した。
荒尾 光政(あらお みつまさ、天保3年10月12日(1832… 荒尾 光政(あらお みつまさ、天保3年10月12日(1832年11月4日)-明治36年( 1903年)5月6日)は、幕末の剣豪。剣術の流派、鏡心流の創始者。 千葉の北辰一刀流、桃井春蔵の鏡心明智流、宝蔵院流高田派槍術等の諸武術流派をそれぞれ免許皆伝した上で鏡心流を創り出した。 鏡心流は幕末の混乱期を背景にあみだされた剣の奥義を極めた実戦本意の剣術。抜刀術等も含み、「心ヲ以テ鏡トナスベク 鏡ヲ以テ心トナスベシ」秘剣の術、と伝承されている。 関宿藩士(奥家老)大坪正邦と同藩大野か袮子の次男として天保3年10月12日(1832年11月4日)、関宿藩上屋敷の江戸箱崎邸で生まれる。幼名は次郎、のちに粛(すすむ)。
加藤 将之 は、日本の男性声優。東京都出身、千葉県野田市育ち… 加藤 将之 は、日本の男性声優。東京都出身、千葉県野田市育ち。賢プロダクション所属。
金野 潤 は、日本の男性声優。マウスプロモーション所属。千葉… 金野 潤 は、日本の男性声優。マウスプロモーション所属。千葉県野田市出身。
ラショウ(Rasho)は、現代美術家、ゲームクリエーター、仮… ラショウ(Rasho)は、現代美術家、ゲームクリエーター、仮面ダンサー、漫画家。千葉県野田市出身。かつて有限会社としてのイタチョコシステムの立ち上げに資金不足により失敗したことがある。そのためなのかイタチョコシステムの代表戸締り役を自称している。 1984年、X1用ソフト『ボコスカウォーズ』で第一回アスキーソフトウェアコンテストのグランプリを受賞。その後、仮面劇の役者や自作の人形店の経営などを経て、1994年にソフトハウス「イタチョコシステム」を設立する。「ヘナチョコゲームセレクション」なる一連のゲームをマッキントッシュ上で発表。更に手びねりの人面模様の「ラショウカップ」などの多数のゲーム関連商品及びアート作品を発表。