津田 ゆかり(つだ ゆかり、1965年5月12日 - )は、… 津田 ゆかり(つだ ゆかり、1965年5月12日 - )は、日本の元女優。神奈川県小田原市出身。本名は津田 由香里(読み同じ)。 1982年に行われた「角川映画大型新人女優募集」で準グランプリを受賞し芸能界入りする(グランプリは渡辺典子、特別賞に原田知世)。角川製作の映画やテレビドラマに多数出演するも、1986年頃に引退。 映画『時をかける少女』で共演した高柳良一と結婚したという噂がネット上で広まっているが誤りである。
村上 和彦(むらかみ かずひこ、1965年(昭和40年)3月… 村上 和彦(むらかみ かずひこ、1965年(昭和40年)3月10日- )は、日本のテレビプロデューサー・テレビディレクター。 日本テレビ放送網制作局専門部長として同局のバラエティ番組の演出・プロデュースを手掛け、2014年からフリーディレクターとして活動している。 神奈川県小田原市出身。2008年から2020年および、2024年から小田原市長を務めている加藤憲一とは神奈川県立小田原高等学校の山岳部時代に一緒にインターハイに出た間柄。 筑波大学第2学群比較文化学類卒業後、1988年に日本テレビに入社。編成本部・スポーツ局→同・制作局→編成局(2006年からはスポーツ・情報局)情報センター→情報エンタティンメント局所属を経て、2011年1月より現職。
能一 実(のういち みのる、1964年8月31日 - )は、… 能一 実(のういち みのる、1964年8月31日 - )は、神奈川県小田原市出身の元競輪選手。現役時は日本競輪選手会神奈川支部所属。 神奈川県立足柄高等学校を経て日本競輪学校に第53期生として入学。同期には後にプロ世界選手権スプリント金メダルの俵信之や、現在タレントとして活動中のスザンヌの継父である藤本博之などがおり、史上最強軍団と称された。 プロデビューは1984年5月13日の武雄競輪場で初勝利も同日。また同開催では完全優勝で飾っている。7ヶ月後の11月には小田原競輪場にてS級特進を決め、昇級直後にはS級シリーズを三場所連続で優勝する。そして1983年から行われた競輪プログラム改革構想(通称KPK)では、最短期間及び最年少20歳でトップクラスのS級1班へ昇格を果たし、前途は有望視されていた。
加藤 憲一(かとう けんいち、1964年〈昭和39年〉5月1… 加藤 憲一(かとう けんいち、1964年〈昭和39年〉5月11日 - )は、日本の政治家。神奈川県小田原市長(4期)。 神奈川県小田原市出身。 0才で父親を、中学二年で母親を、共に病気で亡くしている。 私立小田原愛児園卒園。小田原市立芦子小学校、小田原市立城山中学校、神奈川県立小田原高等学校卒業。 1988年(昭和63年)3月、京都大学法学部卒業(ゼミは比較政治学)。同年、経営戦略コンサルティング会社に就職。1996年(平成8年)、自給自足を目指して独立。小田原市内にて林業、漁業、農業などを手がける。 2004年(平成16年)5月16日執行の小田原市長選挙に無所属で立候補するも、現職の小澤良明に敗れ、落選。
高橋 慎一朗(たかはし しんいちろう、1964年 - )は、… 高橋 慎一朗(たかはし しんいちろう、1964年 - )は、日本の歴史学者、東京大学史料編纂所教授。専門は日本中世史・都市史・鎌倉時代政治史。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立湘南高等学校卒業。1988年東京大学文学部国史学科卒業。1990年同大学院人文科学研究科博士課程中退。1997年「中世の都市と武士」で、東京大学より文学博士の学位を取得。1992年、東京大学史料編纂所助手、助教授、2007年准教授(古文書古記録部 古文書室)、2016年教授。
柳沢 慎吾(やなぎさわ しんご、1962年〈昭和37年〉3月… 柳沢 慎吾(やなぎさわ しんご、1962年〈昭和37年〉3月6日 - )は、日本の俳優、タレント、コメディアン。愛称は慎吾ちゃん。ハート・レイ所属。 神奈川県小田原市出身。地元の小田原市立・白鴎中学校、私立・立花学園松田高等学校卒業。中学時代、バレーボール部に所属していた。 幼少時からテレビ好きで、テレビで見たものを真似ては友達を喜ばせていた。家族構成は両親と姉1人。実家は自営業で、青果業の柳澤商店を経営していた。 ある日、姉が友人から「駅に面白い男の子がいる」との評判を聞きつけ駅の人だかりを覗いてみたら弟の慎吾が一人芝居をやっていたというエピソードもある。 素人時代からお笑いコンビ「てっちゃんしんちゃん」を結成し、『TVジョッキー』などに出演。
川口 勝(かわぐち まさる、1960年11月2日 - )は、… 川口 勝(かわぐち まさる、1960年11月2日 - )は、日本の実業家。株式会社バンダイナムコホールディングス取締役会長。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立西湘高等学校を経て、1983年3月、駒澤大学経済学部経済学科卒業。同年4月、バンダイに入社。福岡営業所所長、バンダイ・デジタル・エンタテインメントへの出向、ベンダー事業部ゼネラルマネージャー、 トイ事業統括部ゼネラルマネージャー等を経て、2006年に取締役。2015年に代表取締役社長に就任。2018年にBANDAI SPIRITSを設立、代表取締役社長。 2020年、バンダイナムコホールディングス取締役副社長。2021年、同代表取締役社長、バンダイ取締役会長に就任。
日下部 正樹(くさかべ まさき、1959年11月18日 - … 日下部 正樹(くさかべ まさき、1959年11月18日 - )は、TBSテレビに所属する日本のジャーナリスト、ニュースキャスター、報道局記者。元アナウンサー。 神奈川県小田原市出身。早稲田大学法学部卒業。 1983年、大学時代に映画『戦場のメリークリスマス』に出演。1985年4月、TBSに入社。一般職で採用されアナウンサーに配属(同期は下村健一)、ニュース・報道系アナウンサーとして活動。アナウンサー時代にはクイズ番組の司会、『ザ・ベストテン』も希望していた。1989年より、報道局に異動。報道局政治部記者を経て海外特派員としてJNN香港支局およびJNN北京支局の支局長を歴任し、帰国後は報道局外信部デスクなどを担当したのち、JNNソウル支局長に就任した。
粋成 浩児(いきなり こうじ、1959年3月19日 - )は… 粋成 浩児(いきなり こうじ、1959年3月19日 - )は、日本の音楽家、ラジオパーソナリティ。本名は松本 浩児(まつもと こうじ)神奈川県小田原市出身。福島県在住。血液型O型。 7才でピアノをはじめ、11才でビートルズを聴いて衝撃を受け、その後ギター、ベース、ドラム、シンセサイザー、ウクレレなどをマスターし、高校では軽音楽同好会の会長として文化祭やアメリカ陸軍キャンプ座間などで演奏。 1980年、兄で俳優の松本きょうじが主宰する劇団ランプティ・パンプティで音楽を担当。 1981年、東海大学文学部卒業。 1982年、アマチュアバンド時代のストリート・ダンサーにキーボード、ボーカルで加入。 福島中央テレビで放送された若者向け情報番組「いきなりBAN・BANのっTV」(1988年4月16日 - 1991年3月30日)のMCを務める。
古谷 修一(ふるや しゅういち、1958年 - )は、日本の… 古谷 修一(ふるや しゅういち、1958年 - )は、日本の法学者。専門は国際法・国際組織法・国際刑事法。早稲田大学大学院法務研究科長、早稲田大学法学学術院教授。元国際連合自由権規約人権委員会副委員長。 神奈川県小田原市出身。1981年中央大学法学部法律学科卒業。1987年早稲田大学大学院法学研究科国際法専攻博士後期課程単位取得退学。専門は国際法で、国際刑事裁判などを研究。 香川大学法学部助教授、同教授、早稲田大学法学部教授、早稲田大学法学学術院大学院法務研究科教授、早稲田大学教務部長、ユトレヒト大学オランダ人権研究所客員教授などを経て、2022年から早稲田大学法学学術院大学院法務研究科長。 また、2012年から国際人道事実調査委員会(IHFFC)委員、2015年から16年まで同副委員長、2019年から国際連合自由権規約人権委員会委員、2021年から22年まで同副委員長。
土手本 勝次(どてもと かつじ、1957年6月25日-)は、… 土手本 勝次(どてもと かつじ、1957年6月25日-)は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手。
吉目木 晴彦(よしめき はるひこ、1957年2月25日- )… 吉目木 晴彦(よしめき はるひこ、1957年2月25日- )は、日本の小説家、日本近代文学研究者、安田女子大学栄誉教授。「吉」の正確な表記は「」(「土」の下に「口」、つちよし)である。 神奈川県小田原市生まれ。武田家に生まれたが二歳で父が死んだため吉目木家へ養子にいく。養父は農学者の吉目木三男(1966年東北大学理学博士)。父がルイジアナ州立大学の研究員となったため、、子供時代をアメリカやタイなどで過ごす。アメリカでは、作品の舞台になったルイジアナ州のバトンルージュにも住んでいたことがある。江馬修『山の民』に感動し、影響を受ける。武蔵工業大学付属高等学校(現東京都市大学付属高等学校)、成蹊大学法学部法律学科卒業。
山本光洋(やまもと こうよう、1957年2月7日 - )は、… 山本光洋(やまもと こうよう、1957年2月7日 - )は、日本の男性パントマイマー、大道芸人である。 自身をチャーリー・山本という操り人形に見立てたパントマイム芸で知られる。 ソロ芸人であるが、小島屋万助・本多愛也とともにパントマイマーユニット「トリオ」でも活動している。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立小田原高等学校時代は落語研究会に所属し、立教大学在学中には演劇の世界に入る。卒業後にニューヨークのモニ=ヤキムパントマイムシアター、ポリッシュマイムスクールで3年間に渡りパントマイムを学ぶ。その後、帰国して田中泯主宰の「舞塾」で舞踏を学ぶ。 1989年よりパントマイマーとして本格的に活動を開始、「KOYO MIME LIVE」を主宰する。
萩原 光(はぎわら あきら、1956年7月21日 - 198… 萩原 光(はぎわら あきら、1956年7月21日 - 1986年4月7日)は、レーシングドライバー。神奈川県小田原市出身。星野一義の弟子。 14歳の時、まだ無免許であったがトヨタ・クラウンをこっそり運転し、レーサーにあこがれを抱く。当時、免許取得前に車を運転したいと考え、最も早い手段が暴走族に入る事だったため、暴走族グループに所属していたこともあった。しかし萩原は暴走行為に全く興味はなく、車に乗ることと速く走る技術を磨くことだけに関心があった。自著でも「族に入ってたというだけで白い目で見る人もいるけど、目指したのは走りそのものだけだ。」と記している。18歳で自動車運転免許取得。以後マツダ・サバンナ、日産・フェアレディZと乗り継ぎ、「小田原一速い男」として峠道など街道レーサーとして現状で出来得るテクニックを追求した。
小宮 孝泰(こみや たかやす、1956年〈昭和31年〉3月1… 小宮 孝泰(こみや たかやす、1956年〈昭和31年〉3月11日 - )は、日本の俳優、お笑いタレントである。所属事務所はオフィスPSC。以前は石井光三オフィスに所属。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立小田原高等学校を卒業後、1979年に明治大学を卒業する。 高校では三田超人(ヒカシュー)らとともに落語研究会を創部した。明治大学でも落語研究会に所属し、三宅裕司、立川志の輔、立川談之助らの先輩や、渡辺正行や立川談幸などの同期らと落語を研鑽した。この経験は2002年にゲスト出演したテレビドラマ『相棒』(Season 1 第3話)での落語家役に活かされ、劇中では『手紙無筆』を披露した。 大学在学中の1976年、落語研究会と並行して劇団テアトル・エコー養成所に入所する。
加藤 久智(かとう ひさとし、1956年2月23日 - )は… 加藤 久智(かとう ひさとし、1956年2月23日 - )は、フリーアナウンサー、元IBC岩手放送のアナウンサー。 神奈川県小田原市出身。中央大学卒業後、1978年4月にIBC入社。入社試験で競馬実況をした程の競馬好きであり、1年目から一貫して競馬中継を担当。豊富な知識を生かした実況で知られ、競走馬の血統にも詳しい。異動や退社で競馬中継を離れるアナウンサーが多い中、40年以上途切れることなく実況を続けてきた唯一のアナウンサーであり、長年岩手競馬に携わってきた経験から年度代表馬選考委員の委員長も務める。1999年にはメイセイオペラが勝ったみちのく大賞典の実況が評価され、アノンシスト賞スポーツ実況・テレビ部門で優秀賞受賞。
田代 富雄(たしろ とみお、1954年7月9日 - )は、神… 田代 富雄(たしろ とみお、1954年7月9日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手(内野手)、監督、コーチ、解説者。
磯崎 功典(いそざき よしのり、1953年8月9日 - )は… 磯崎 功典(いそざき よしのり、1953年8月9日 - )は日本の実業家。キリンホールディングス会長CEO。神奈川県小田原市出身。
神保 なおみ(じんぼ なおみ、1953年2月11日 - )は… 神保 なおみ(じんぼ なおみ、1953年2月11日 - )は、日本の元女優・元声優。神奈川県小田原市出身。 桜美林高等学校卒業後、国語の教師になるつもりで桜美林大学文学部中国文学科に進学。 大学1年生の時に劇団ノルテの会(現:劇団ノルテ)に入団し、朗読の勉強を始める。 大学2年生の時に高垣葵にプロダクションエム・スリーを紹介されてタレントとしてデビュー。 マスコミの仕事は当初はテレビの顔出し出演が中心だったが、その後、声優に転身。 特技は中国語。趣味はスキューバダイビング、茶道。 好きな作家は高校時代からのファンである平井和正。好きな女優は浜木綿子。好きな男優は西田敏行。 ※太字はメインキャラクター この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。
正木 晃(まさき あきら、1953年 - )は、日本の宗教学… 正木 晃(まさき あきら、1953年 - )は、日本の宗教学者。 神奈川県小田原市生まれ。筑波大学大学院博士課程単位取得満期退学。国際日本文化研究センター客員助教授、中京女子大学助教授、純真短期大学教授をへて、慶應義塾大学文学部・立正大学仏教学部非常勤講師。 日本密教・チベット密教を研究し、宗教図像学(マンダラ研究)を主な研究課題とする。また、日本に於ける原始神道を宗像大社・沖ノ島や大神神社・三輪山からひも解く研究など。宮崎駿のアニメの密教的読解の本も多い。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
瓜生 秀文(うりゅう ひでふみ、1952年2月28日 - )… 瓜生 秀文(うりゅう ひでふみ、1952年2月28日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 向上高校では、エースとして1968年秋季関東大会神奈川県予選決勝に進むが、鎌倉学園に大敗。翌1969年夏の甲子園県予選も、準々決勝で桜丘高に惜敗し甲子園には出場できなかった。 1969年ドラフト会議で東映フライヤーズから7位指名を受け入団。1970年には12試合に登板、4月には初先発を果たすが結果を残せず、1971年限りで引退。
田代 冬彦(たしろ ふゆひこ、1952年 - )は、東京放送… 田代 冬彦(たしろ ふゆひこ、1952年 - )は、東京放送ホールディングス(TBSHD)執行役員(グループ経営企画局付)、東通代表取締役社長[3]。元テレビプロデューサー。神奈川県小田原市生まれ。東京大学文学部フランス文学科卒業。元妻は女優の秋野暢子。
鈴木 孝義(すずき たかよし、1951年9月11日 - )は… 鈴木 孝義(すずき たかよし、1951年9月11日 - )は日本のアニメ監督、演出家である。神奈川県小田原市出身。 武蔵野美術大学卒業後、日本アニメーションに入社。世界名作劇場作品などを始め数々の日アニ作品でキャリアを積んだ。「大草原の小さな天使 ブッシュベイビー」で監督デビューし、90年代は多くの作品で監督を務めた。2005年には長い間関わり続けていた日本アニメーションを退社し、フリーとなり活動している。 妻は子供服専門店「こねこねこ」の経営者である鈴木子猫。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
夢枕 獏(ゆめまくら ばく、本名:米山 峰夫、1951年1月… 夢枕 獏(ゆめまくら ばく、本名:米山 峰夫、1951年1月1日 - )は、日本の小説家、エッセイスト、写真家。男性。
宮島 和美(みやじま かずよし、1950年1月28日 - )… 宮島 和美(みやじま かずよし、1950年1月28日 - )は日本の実業家。ファンケル創業者池森賢二の義弟で、ファンケル代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本通信販売協会会長等を経て、成城学園理事長。 神奈川県小田原市生まれ。1973年成城大学文芸学部マスコミュニケーション学科卒業。社会心理学石川弘義ゼミ出身。大学卒業後、ダイエー入社。ダイエー創業者中内㓛の側近として仕え、1995年ダイエー取締役秘書室長。1999年ダイエー常務執行役員秘書室長。 2001年ファンケル取締役社長室長。2003年ファンケル常務取締役社長室担当兼社長室長。2004年ファンケル取締役常務執行役員社長室担当兼社長室長。
今宮 純(いまみや じゅん、1949年3月18日 - 202… 今宮 純(いまみや じゅん、1949年3月18日 - 2020年1月4日)は、日本のモータースポーツ・ジャーナリスト。日本モータースポーツ記者会(JMS)会員。 妻は翻訳家・ジャーナリストの今宮雅子。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立平塚江南高等学校、慶應義塾大学文学部図書館学科卒業。 大学時代から自動車研究会に所属するかたわら、アルバイトを兼ねて「カーグラフィック」などの自動車専門誌にレース関連の記事を寄稿していた。1973年にはヨーロッパへ取材を兼ねたレース観戦旅行に出かけ、F1オランダGPを観戦した。大学卒業後もフリーのジャーナリストとしてレース雑誌を中心に執筆活動を続けたが、当時は第一次オイルショック直後で日本の自動車メーカーが一斉にワークス活動から手を引いた時期であり、フリーの今宮もジャーナリストとしての仕事がほとんどもらえない状態だったため、一時パチプロとして生計を立てていた時期もあったという。
大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )… 大高 博幸(おおたか ひろゆき、1948年6月22日 - )は、神奈川県小田原市出身のビューティーエキスパート。苗字の表記は正しくは「大髙」。 1973年、外資系化粧品会社のトレーナーとして勤務。1997年、フリーランスになり、女性誌や美容関連イベント、化粧品会社のアドバイザーやマーケティングに携わった。ラジオ番組J-WAVEの「VIVA! ACCESS」で、月1回「欅坂 BEAUTY CLINIC」コーナーを担当し、視聴者の美容に関する質問に答えた。
和田 重良(わだ しげよし、1948年1月- )は、日本の民… 和田 重良(わだ しげよし、1948年1月- )は、日本の民間教育者、NPO法人くだかけ会代表。祖父は和田八重造、父は和田重正。 神奈川県小田原市生まれ。神奈川県立小田原高等学校、東京教育大学農学部卒業。父の一心寮の運営にたずさわり、1978年からくだかけ会の活動を始め、『月刊くだかけ』を刊行、1984年からくだかけ生活舎を運営し不登校などの青年たちと生活をともにする。1998年正力松太郎賞受賞。
太田 治子(おおた はるこ、1947年〈昭和22年〉11月1… 太田 治子(おおた はるこ、1947年〈昭和22年〉11月12日 - )は、日本の作家。神奈川県小田原市生まれ。日本ペンクラブ会員。 父は太宰治、母は太宰の代表作「斜陽」の主人公「かず子」のモデルとなった太田静子。当時妻子のいた太宰は文学を志す静子との関係が生じ、生まれてきた娘に、「治」の一字を与えて認知した。翌年、太宰は玉川上水で自殺し、以後は炊事婦や寮母など働きづめで生計を立ててくれた静子や静子の兄弟らの愛情・支援のもと育つ。私立青葉女子学園高等学校(東京都世田谷区世田谷。1988年頃に廃校)を経て明治学院大学文学部(英米文学)卒業。 1967年、紀行文『津軽』で婦人公論読者賞を受賞。その後刊行した『手記』は、吉永小百合主演でラジオ化、映画化された(『斜陽のおもかげ』)。
岸 勝之(きし かつゆき、1947年5月2日 - )は、神奈… 岸 勝之(きし かつゆき、1947年5月2日 - )は、神奈川県小田原市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 横浜高校でエースとして活躍。1964年秋季関東大会県予選決勝に進むが、日大藤沢高に惜敗。翌1965年夏の甲子園県予選でも準々決勝に進出するが、鶴見工に敗れ甲子園には出場できなかった。高校同期に遊撃手の飯田幸夫がいる。 1965年ドラフト会議で大洋ホエールズから4位指名を受け入団。入団当初は右上手投げで、カーブやスライダーが武器の本格派だったが、投手コーチの鈴木隆の指導により横手投げに変更。1969年に一軍初登板を果たすが、あまり活躍の場はなく1970年限りで引退した。
瀬戸 薫(せと かおる、1947年 - )は日本の実業家。ヤ… 瀬戸 薫(せと かおる、1947年 - )は日本の実業家。ヤマトホールディングス元会長。神奈川県小田原市出身。神奈川県立小田原高等学校、中央大学法学部卒業。
阿藤 快(あとう かい、、1946年〈昭和21年〉11月14… 阿藤 快(あとう かい、、1946年〈昭和21年〉11月14日 - 2015年〈平成27年〉11月14日)は、日本の俳優・タレントである。神奈川県小田原市出身。東京都立大学法学部法律学科(二部)卒業。劇団俳優座、舞プロモーションを経て、 ボニート合同会社(Bonito LLC)に所属していた。血液型A型。本名は阿藤 公一(あとう こういち)。旧芸名は阿藤 海(読み同じ)。 中学時代は野球に熱中していた。神奈川県立西湘高等学校に入学するが、高校に野球部がなかったため2年時に退学。その後、野球部名門校の編入試験を受験するも不合格になり、西湘高校へ復学。卒業後は、東京都立大学法学部法律学科の第二部に合格し、入学。
瀧本 泰行(たきもと やすゆき、1946年3月21日 - 2… 瀧本 泰行(たきもと やすゆき、1946年3月21日 - 2019年6月)は日本の実業家。株式会社エアーリンク(現・エアトリインターナショナル)創業者・名誉会長。同社代表取締役会長を務めた。サイバー大学客員教授、可処分時間研究所代表。長男は実業家で株式会社maneoマーケット元代表取締役の瀧本憲治である。 神奈川県小田原市生まれ。神奈川県立小田原高等学校を経て、1970年一橋大学経済学部卒業。大学在学中は一橋大学消費生活協同組合専務理事を務め、大学卒業後全国大学生活協同組合連合会に入社。 1979年EEC(エンジョイ・エコノミークラブ)を設立。旅行会社の株式会社エアーリンクトラベルを設立。1994年には国際航空運送協会公認旅行代理店となり、1995年に株式会社エアーリンクに商号変更。
平岡 一郎(ひらおか いちろう、1945年8月14日 - 1… 平岡 一郎(ひらおか いちろう、1945年8月14日 - 1995年11月17日)は、日本の元プロ野球選手(投手)。左投げ左打ち。 神奈川県小田原市出身。横浜高校では2年生時の1963年、1年上のエース井上健仁(東映)の控え投手として夏の甲子園に初出場。準決勝に進出するが、この大会に優勝した明星高に敗退する。平岡は3回戦、準決勝でリリーフに立った。この時のチームメートに二塁手の佐野勝稔がいる。 1964年はエースとして春季関東大会に進むが準々決勝で大宮高に敗退。夏の甲子園県予選も準々決勝で武相高に敗れた。高校同期に外野手の灰山公章(芝工大-三菱重工川崎-日本楽器)がいた。 1965年に大洋ホエールズに入団。
山口 昇士(やまぐち のぶお、1944年10月14日 - 2… 山口 昇士(やまぐち のぶお、1944年10月14日 - 2024年9月3日)は、日本の政治家。元神奈川県箱根町長(5期)。 神奈川県小田原市出身。1967年(昭和42年)3月、明治大学商学部商学科卒業。同年9月1日、箱根町役場の事務員となる。 1993年(平成5年)3月31日、箱根町役場を依願退職。同年4月1日、箱根町助役に就任。2000年(平成12年)7月31日、助役を退任。 2000年(平成12年)11月15日、箱根町長に就任。2016年(平成28年)10月30日の選挙で5選。投票率は35.82%だった。 2021年、旭日小綬章受章。 2024年9月3日、死去。79歳没。
舟崎 靖子(ふなざき やすこ、1944年5月17日 -202… 舟崎 靖子(ふなざき やすこ、1944年5月17日 -2020年2月7日[要出典])は、日本の詩人、児童文学作家。旧姓、熊倉。 別筆名として童謡・詩で近江 靖子(おうみ やすこ)、小説・随筆で村上 靖子(むらかみ やすこ)。長女の舟崎真理との共著もある。 神奈川県小田原市生まれ。祖父は東京帝国大学卒の弁護士だった。 マラソン選手志望だったが、川村短期大学英文学科在学中に落馬事故で自宅療養生活を余儀なくされ、病床で読書に耽る。1964年、療養中に書いた童謡「うたう足の歌」で第9回日本レコード大賞童謡賞を史上最年少受賞する。同年、当時学習院大学1年生だった舟崎克彦の第1詩集『いもむしの詩』(栄光社、自費出版)を買ったことがきっかけで、克彦と知り合う。
小澤 良明(おざわ よしあき、1943年〈昭和18年〉8月2… 小澤 良明(おざわ よしあき、1943年〈昭和18年〉8月2日 - )は、日本の政治家。元神奈川県小田原市長。旭日中綬章。 神奈川県小田原市生まれ。 1965年、芝浦工業大学工学部建築学科卒業。その後建設大臣登録一級建築士免許取得。 1971年4月小田原市議会議員に27歳で初当選。以後4期連続当選。1983年5月第34代小田原市議会議長就任。1987年4月神奈川県議会議員初当選。1991年に再選。1992年5月第16代小田原市長初当選。以後4期連続当選。この間、全国史跡整備市町村協議会会長、全国特例市連絡協議会会長などを歴任。2008年5月小田原市長を引退。2013年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。
島田 祐子(しまだ ゆうこ、1942年10月12日 - )は… 島田 祐子(しまだ ゆうこ、1942年10月12日 - )は、日本のソプラノ歌手。旧姓は遠藤祐子(えんどう ゆうこ)。 満洲国出身。戦後新潟県に引き揚げ、小学1年生から神奈川県小田原市に転居、高校まで住んでいた。東京芸術大学大学院修了。東京藝術大学大学院修了までの間は、ウィーンのウィーン音楽大学に留学そしてアントン・デルモーターに師事する。 二期会オペラ「こうもり」アデレード役でデビューする。クラシックだけでなくポップスに新境地を開いた。2008年にテレビ朝日「徹子の部屋」に出演した際に2007年に行われた「徹子の部屋コンサート」をもって現役歌手生活から引退したことを告白した。 現在は児童合唱団『東京ネバーランド』を設立。
富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11… 富野 由悠季(とみの よしゆき、1941年〈昭和16年〉11月5日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、脚本家、漫画原作者、作詞家、小説家。日本芸術院会員。本人は演出家・原案提供者としている。日本初の30分テレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』の制作に携わるなど、日本のテレビアニメに草創期から携わる。祖父は東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区の一部)町長を務めた富野喜平次。 代表作は『機動戦士ガンダム』などのガンダムシリーズ、『伝説巨神イデオン』、または『聖戦士ダンバイン』他のバイストン・ウェル関連作品など。 キャリアを通じて複数のペンネームを用いている。 本名は富野 喜幸()で両親の喜平と幸子の一文字ずつをとって付けられた。
新井 皓士(あらい ひろし、1941年5月 - )は、日本の… 新井 皓士(あらい ひろし、1941年5月 - )は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、統計言語学者。一橋大学名誉教授、放送大学特任教授。 神奈川県小田原市出身。1964年東京大学独文科卒、1966年同大学院修士課程修了、静岡大学専任講師、1971年一橋大学専任講師、1973年助教授、1984年教授、1996年創設された同大言語社会研究科長、2006年定年となる。『ほらふき男爵の冒険』の超絶翻訳で知られ、統計言語学では日本文学、英文学などに対象を広げる異能の学者である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年… 加藤 明(かとう あきら、1933年1月3日 - 1982年3月20日)は、日本のバレーボール選手、バレーボール全日本選手、バレーボールペルー女子代表監督。 無名であったペルーのバレーボールチームを世界のトップレベルまで引き上げて、わずか3年で1968年のメキシコ五輪ではチームを4位入賞へと導いた。 神奈川県小田原市出身。慶應義塾大学法学部在学時からバレーボールの選手として活躍する。1955年に八幡製鉄に入社し、1960年に主将を務めた。1960年世界選手権に出場した後、現役を引退した。 1961年、加藤の大学の先輩で母校の監督をしていた松平康隆から加藤に「後任として監督をしないか」という誘いがあり、加藤はこれを引き受けた。
坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 20… 坂本 鉄男(さかもと てつお、1930年3月31日 - 2022年4月28日)は、日本のイタリア文学者、コラムニスト。元ナポリ東洋大学教授。 神奈川県小田原市生まれ。東京外国語大学イタリア語科卒。東京音楽大学講師、東京外国語大学助教授。 1971年、ナポリ東洋大学の教授に就任。 1970年代半ばからサンケイ新聞の嘱託でイタリアとバチカン市国に関するコラムを2020年12月の引退まで執筆を続けた。 1979年、産経新聞連載の『イタリア通信』でイタリア文化会館のマルコ・ポーロ賞を受賞。 1983年、イタリア共和国功労勲章コンメンダトーレ章授与。 2000年、勲三等瑞宝章を受章。 2002年、ナポリ東洋大学教授を退官。
宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2… 宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2024年2月28日)は、日本のスポーツジャーナリスト。 神奈川県小田原市出身。日本大学を経て拓殖大学卒業。 1953年に大学卒業と同時に東京新聞社に入社し、校閲部にて勤務した後の翌年に日刊スポーツ新聞社へ転職して運動部記者を務めた。 日刊スポーツ時代はアマチュアスポーツ担当記者としてレスリング、柔道、相撲のほかに体操競技の取材・報道を行い、第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)では柔道競技の取材を担当した。 また1972年ミュンヘンオリンピック体操競技で日本の塚原光男が鉄棒で初めて披露した大技を「月面宙返り」と命名したのも宮澤であったという。
北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2… 北條 美智留(ほうじょう みちる、1930年2月9日 - 2018年9月6日)は、日本の元女優、元声優。新字体で北条 美智留と表記されることもある。六芸社に所属していた。父は劇作家、著述家の北條秀司。 神奈川県足柄下郡小田原町(現:小田原市)出身。1939年4月、父秀司が劇作家の専業になるために箱根登山鉄道を退社し東京市麻布笄町(現:港区西麻布4丁目)に転居した後、戦火が激しくなってきた1945年4月に足柄下郡箱根町強羅に疎開して3年間を過ごす。終戦後の1948年4月に鎌倉郡大船町山崎(現:鎌倉市)に転居した後、1952年3月に同じ鎌倉市内の現自宅に転居し、2018年に亡くなるまでの66年間をこの家で過ごした。
宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史… 宇佐美 ミサ子(うさみ みさこ、1930年 - )は、日本史学者。宿場女郎について研究してきた。 神奈川県小田原市生まれ。1953年法政大学法学部通信教育部卒、小学校、中学校、高校教師をへて退職。1983年、法政大学文学部史学科卒、1989年、法政大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学、1993年、「近世助郷制の研究」で文学博士。大学非常勤講師、町史・市史編纂委員、法政大学史学会評議員などを務めた。
田中 昭二(たなか しょうじ、1927年9月19日 - 20… 田中 昭二(たなか しょうじ、1927年9月19日 - 2011年11月11日)は、日本の応用物理学者。東京大学名誉教授。国際超電導産業技術研究センター顧問。妻は「わいふ」編集長を務めた田中喜美子。 神奈川県小田原市出身。1950年、東京大学工学部応用数学科 卒業。 1968年5月、東京大学工学部教授に就任。 1986年12月、IBMチューリッヒ研究所のミュラーとベドノルツが発表していた酸化銅を含むセラミックが超伝導体であることを田中研究室が証明した。 1988年1月、財団法人国際超電導産業技術研究センター副理事長。同年3月に東京大学工学部を定年退官後は東海大学工学部教授、超電導工学研究所長を歴任した。
藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 20… 藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人。水原秋桜子に師事。俳誌「鷹」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。 父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事。石田波郷に兄事。1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。
山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年… 山橋 敬一郎(やまはし けいいちろう、1925年〈大正14年〉2月4日 - 1992年〈平成4年〉4月1日)は、昭和から平成初期の国税官僚、政治家。小田原市長(2期)。 神奈川県小田原市出身。旧制小田原中学、旧制第一高校を経て、1949年(昭和24年)東京大学法学部卒業。国税庁に入り、1953年倉吉税務署長、1955年金沢国税局総務部総務課長。1965年札幌国税局総務部長、1967年国税庁長官官房審議官、1968年国税庁長官官房参事官、1969年東京国税局調査第1部長、1970年東京国税局調査第1部長兼調査第2部長兼兼調査第3部長。同年東京国税局調査第1部長。1971年東京国税局総務部長、1973年広島国税局長、1975年大蔵省銀行局保険部長、1976年国税庁次長、1977年東京国税局長。
井上 和男(いのうえ かずお、1924年12月27日 - 2… 井上 和男(いのうえ かずお、1924年12月27日 - 2011年6月26日)は、神奈川県小田原市出身の日本の映画監督。 神奈川県小田原市出身。神奈川県立小田原中学校(現・神奈川県立小田原高等学校)をへて早稲田第一高等学院に入る、1944年3月学徒応召し海軍飛行少尉に任官。1945年8月復員、早稲田大学商学部に入る。在学中に小田原で劇団こゆるぎ座を創立し劇作家を目ざす。 1948年に大学を卒業し、松竹大船撮影所脚本部に入る。新藤兼人に師事し、その勧めで助監督試験を受け、12月に助監督となる(松山善三と同期)。渋谷実、川島雄三、小津安二郎『東京物語』で助監督を務める。 1955年、京都映画『父と子と母と』で監督を務め、1958年松竹大船の監督に昇進する。
福の守 尚(ふくのもり ひさし、1922年12月6日 -19… 福の守 尚(ふくのもり ひさし、1922年12月6日 -1997年 )は、荒汐部屋、時津風部屋(当初は双葉山相撲道場)に所属した元力士。本名は福守 尚(ふくもり ひさし)。現在の神奈川県小田原市出身。179cm、98kg。最高位は東十両15枚目。得意技は右四つ、押し。 1940年5月場所に初土俵。1952年1月場所に十両昇進。連続4場所務めたのち、1954年5月場所に廃業した。