敷嶌 猪之助(しきしま いのすけ、1887年11月9日 - … 敷嶌 猪之助(しきしま いのすけ、1887年11月9日 - 1957年1月29日)は、現在の富山県富山市出身で友綱部屋に所属した力士。本名は持田 猪之助。9代熊ヶ谷を襲名し、熊ヶ谷部屋を経営した。身長170cm、体重96kg。最高位は東前頭4枚目。 1907年5月新序、1912年1月十両昇進。1916年5月入幕し7勝3敗の成績。右四つからの寄りや櫓投げを得意とし、1917年5月最高位の前頭4枚目、新大関栃木山戦で土俵際でうっちゃりを見せ、40分の協議ののち預かりとなる相撲を取り3勝6敗1預。その後は後援会の幹事の頼みで会員の寡婦と握手をさせられた事が刑事問題となり、不振となった。1921年1月幕下に陥落して引退し熊ヶ谷を襲名、長く理事、監事を歴任した。
三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月… 三辺 長治(みなべ ちょうじ、1886年(明治19年)12月23日 - 1958年(昭和33年)4月27日)は、日本の内務官僚。官選府県知事、東京市助役。 富山県上新川郡飯野村(のち広田村飯野、現在・富山市)出身。三辺長三郎の三男として生まれる。富山中学、第四高等学校を経て、1911年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業し、内務省に入り埼玉県属となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、内務属となり警保局に配属。その後、大正3年(1914年)に愛媛県視学官、大正5年(1916年)に大阪府視学官、大正8年(1919年)に内務省地方局事務官となり、地方局市町村課長・都市課長・行政課長などを歴任。
玉椿 憲太郎(たまつばき けんたろう、1883年(明治16年… 玉椿 憲太郎(たまつばき けんたろう、1883年(明治16年)11月10日 - 1928年(昭和3年)9月19日)は、富山県中新川郡下条郷上砂子坂村(現・富山市)出身で雷部屋に所属した大相撲力士。本名は森野 健次郎。小兵でありながら多彩な技としぶとい相撲で関脇まで上り詰め、「名人」「怪力士」などと呼ばれた。現役時代の体格は159cm、90kg。 父と兄が草相撲の強者だったことから、これに影響を受けて力士を志すようになる。1895年(明治28年)ごろ、知人を通して梅ノ谷に紹介してもらい、その師匠である雷部屋に入門。1897年(明治30年)1月場所初土俵。この時の四股名は湊山。1900年(明治33年)の一場所のみ玉ヶ関と改名するが、これは兄弟同様にしていた玉ヶ関という力士が死去したため、弔いの意味で付けたものであった。
恵比寿洋 直三郎(えびすなだ なおさぶろう、1883年 - … 恵比寿洋 直三郎(えびすなだ なおさぶろう、1883年 - 1915年8月10日)は、富山県旧婦負郡野積村(富山市八尾町)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は邑崎 直次郎(むらさき なおじろう)。 1883年に富山県旧婦負郡野積村(現富山市八尾町)に生まれ、その後地元の布谷小学校(現富山市立八尾小学校)を卒業した。上京後、25歳でヱビスビールに関係する会社に勤務。身長約185cmの大柄な体格から、同社の重役に角界入りを勧められた。初めは断ったものの、横綱常陸山ら大相撲関係者の熱心な誘いで、27歳だった1911年に出羽海部屋に入門。しこ名はヱビスビールにちなんだ。出羽海部屋へ入門後は自身の武器である怪力を活かして番付を上げ、1915年1月場所において、序ノ口から所要8場所で新十両へと昇進するというスピード出世を果たした。
高見 之通(たかみ ゆきみち、1880年〈明治13年〉3月2… 高見 之通(たかみ ゆきみち、1880年〈明治13年〉3月27日 - 1962年〈昭和37年〉10月30日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(当選7回)。族籍は富山県士族。 富山県富山市生まれ。富山県士族・高見之貫の長男。1908年、東京帝国大学法科大学英法科を卒業。弁護士の業務に従事する。 富山県東岩瀬町長(1926年1月15日から同年11月27日まで)、富山県売薬同業組合長を務め、1917年の第13回衆議院議員総選挙で初当選した。はじめ立憲政友会に所属し、1920年の第14回衆議院議員総選挙では政友会公認で立候補し当選している。その後政友会を離党して政友本党の結党に参加し、1924年の第15回衆議院議員総選挙では政友本党公認で立候補し当選している。
黒田 善太郎(くろだ ぜんたろう、1879年(明治12年)2… 黒田 善太郎(くろだ ぜんたろう、1879年(明治12年)2月7日 - 1966年(昭和41年)3月27日)は、日本の実業家。コクヨの創業者。 長男は黒田暲之助、三男は黒田靖之助。孫に黒田章裕、曽孫に黒田英邦、黒田卓也。義子に原信太郎。 20歳の時、故郷を離れて大阪市へ出て紙店につとめる。1905年、27歳で「黒田表紙店」を創業。表紙の質の良さなどで販売を伸ばし、基礎を築く。 1917年、「(越中)国の誉れとなるように」と「国誉(現在のコクヨ)」と商標を定める。1961年、社名を「コクヨ株式会社」に変更。和式帳簿を主体として出発したが、洋式帳簿を手始めに、現在オフィス全般の製品販売をこなしている。
梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日… 梅ヶ谷 藤太郎(うめがたに とうたろう、1878年3月11日 - 1927年9月2日)は、現在の富山県富山市水橋大町(出生時は石川県新川郡水橋西大町)出身で雷部屋に所属した大相撲力士。第20代横綱。本名は押田 音次郎(おしだ おとじろう)で、後に小江 音松(おえ おとまつ)となる。 1878年に、現在でいう「富山の薬売り」である売薬商の四男として生まれる(誕生日には異説もある)。1891年に初代西ノ海嘉治郎・劔山谷右エ門の一行が富山県へ巡業に来た際、恵まれた体格の少年を見つけた劔山から熱心な勧誘を受け、雷部屋へ入門、早くも同年1月に初土俵を踏んだ。師匠・雷(元横綱・初代梅ヶ谷)の「ワシ(梅ヶ谷)の弟子ということで四股名は“梅ノ谷”だ」という発言で四股名はあっさりと決定、番付には「梅ノ谷 音松」と書かれた。
太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日… 太刀山 峯右エ門(たちやま みねえもん、1877年8月15日 - 1941年4月3日)は、現在の富山県富山市吉作(出生時は石川県婦負郡吉作村)出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。第22代横綱。本名は老本 弥次郎(おいもと やじろう)。 1877年に呉羽丘陵の近くの、農業の傍ら製茶業、豆腐業を営む老本治助の次男として生まれた。秀業小学校(現・富山市立呉羽小学校)卒業とされている。老本家の茶は品評会で常に一等で、幼い頃から茶葉の手揉みを手伝っていたことから怪力が付き、これによって針のごとく鋭い優良品を生み出し、茶の品評会では必ず優勝したという。兵役検査での優秀な成績が評判になり、友綱が貴重な逸材として欲しがったが本人は相撲に興味が無く、実家も長男を早く失っているので猛反対された。
山田 孝雄(やまだ よしお、1875年〈明治8年〉8月20日… 山田 孝雄(やまだ よしお、1875年〈明治8年〉8月20日 - 1958年〈昭和33年〉11月20日)は、日本の国語学者、国文学者、歴史学者。東北帝国大学教授を歴任。文化勲章受章。 独学の人として知られる。「契沖、真淵、宣長以来の国学の伝統に連なる最後の国学者」とも評される。 1873年、富山県富山市総曲輪(そうがわ)に於保多神社宮司山田方雄の次男として生れる。父は前田利保に歌を学んだ連歌の宗匠でもあった。履新小学校卒業。富山県尋常中学校を中退後、独学で小、中学校教員検定試験(文検)に合格。富山県内の小学校や兵庫、奈良、高知などの中学校で教員を務める。 1907年(明治40年)文部省国語調査委員会補助委員、1920年(大正9年)日本大学講師、1921年(大正10年)日本大学文学部国語科主任、1925年(大正14年)東北帝国大学講師、1927年(昭和2年)同教授に昇格。
金山 米次郎(かなやま よねじろう、1872年6月29日(明… 金山 米次郎(かなやま よねじろう、1872年6月29日(明治5年5月24日)- 1941年(昭和16年)5月29日)は、富山市長。弟は安田銀行下谷支店長を務めた金山音治。 富山県富山市出身。青雲の志を抱き東京に出る。東京芝新銭座町4番地(現・東京都港区東新橋2丁目)にあった吏党系の壮士の集う「青年義勇団」に所属しようとしたが若すぎた為、年齢を2歳偽り所属した。実年齢20歳(公称22歳)の時、1891年(明治24年)5月29日、板垣退助を総理(総裁)に迎えた自由党は「国家主義(極右)と社会主義(極左)とはともに国を滅ぼす」とし、その中庸を目指す自由党の自由主義こそが国家を津々と発展させるものであるとして国家が歩むべき方向性を示す宣言を行い、10月15日に自由党は党大会を開いて党則を改正したが、国家主義を標榜し民党と対立する吏党に所属する米次郎は、自由党の方向性と板垣に対して憤りを覚えた。
牧野 平五郎(まきの へいごろう、1864年9月1日(元治元… 牧野 平五郎(まきの へいごろう、1864年9月1日(元治元年8月1日)- 1928年(昭和3年)5月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、富山市長。 越中国新川郡富山風呂屋町(現富山県富山市堤町通り)で、町年寄・牧野正貫(まさつら)の長男として生まれる。漢学、数学を修めた。家業の呉服業を営む。その他、十二銀行取締役、北陸商業銀行取締役、第四十七国立銀行取締役、富山電灯取締役、中越鉄道取締役、北陸生命保険取締役、富山鉄道取締役、富山米穀肥料取引所監査役、富山商業会議所副会頭などを務めた。また、富山実業新聞を創刊した。 政界では、1892年5月、富山市会議員に選出され、18年間在職し、同議長、富山県会議員、同議長も務めた。
内山 松世(うちやま まつよ、元治元年2月14日〈1864年… 内山 松世(うちやま まつよ、元治元年2月14日〈1864年3月21日〉 - 1945年〈昭和20年〉4月27日)は、日本の政治家、衆議院議員(2期)。旧姓・小池、号・外川(がいせん)。書家としても知られ岡崎藍田と富山県内の双璧とされる。 越中国婦負郡宮尾村(富山県婦負郡百塚村、八幡村、和合町を経て現富山市)出身。富山藩士・小池春香の長男として生まれ、豪農・内山年彦の養子となる。京都に遊学し草場船山に師事した。慶応義塾で学ぶ。農業を営み、婦負郡会議員、婦負郡農会副会頭、富山県農工銀行頭取、富山銀行取締役、日本勧業銀行地方顧問となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において富山1区から進歩党公認で立候補して初当選する。
初代 金岡 又左衛門(かなおか またざえもん、1864年2月… 初代 金岡 又左衛門(かなおか またざえもん、1864年2月29日(元治元年1月22日)- 1929年(昭和4年)6月10日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。幼名・米太郎。 越中国新川郡新庄新町村(富山県上新川郡新庄町を経て現富山市新庄町)で、薬種業・金剛寺屋又右衛門、たみ夫妻の長男として生まれる。1879年(明治12年)9月20日、16歳で父が死去して又左衛門に改名し家業を継いだ。1879年(明治12年)富山医学所に入学したが、1881年(明治14年)4月同校の廃校により退学を余儀なくされた。その後、林周平から3年ほど漢学を学んだ。 密田孝吉との出会いで電気事業に関心を持ち、1897年(明治30年)11月に富山電灯(のち日本海電気)を設立して社長に就任した。
浅野 長太郎(あさの ちょうたろう、1856年9月7日(安政… 浅野 長太郎(あさの ちょうたろう、1856年9月7日(安政3年8月9日) - 1932年(昭和7年)3月18日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。貴族院多額納税者議員。 越中富山藩領婦負郡笹倉村(富山県婦負郡速星村、婦中町を経て現富山市)で、大地主・浅野為都(ためと)の長男として生まれる。 1884年(明治17年)以降、笹倉村会議員、同議長、速星村会議員、同村長、富山県会議員(3期)、婦負郡会議員、同議長代理、速星村農会長、同学務委員などを歴任した。 1906年(明治39年)富山県多額納税者として補欠選挙で貴族院議員に互選され、同年12月13日から1911年(明治44年)9月28日まで在任した。
瀬木 博尚(せき ひろなお、嘉永5年10月6日〈1852年1… 瀬木 博尚(せき ひろなお、嘉永5年10月6日〈1852年11月17日〉 - 1939年〈昭和14年〉1月22日)は博報堂の創業者。富山県富山市桃井町出身。 富山藩士の瀬木博重の長男として生まれる。 富山の役人を経て、明治27年(1884年)に上京し、星亨の「めさまし新聞」に入社。 明治28年(1895年)10月に東京都日本橋本銀町に教育雑誌の広告取次店「博報堂」を開業。明治30年(1897年)、神田区末広町に移転。明治43年(1910年)、日刊『内外通信』を発刊、社名を「内外通信社」と改称する。なお、広告部門には「広告部博報堂」の名称を継続使用した。大正3年(1914年)、神田区錦町に移転。大正13年(1924年)、株式会社化し、初代取締役社長に就任。
内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4… 内山 正治(うちやま しょうじ、1851年6月30日(嘉永4年6月2日)- 1911年(明治44年)1月8日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越中国婦負郡石坂村(富山県婦負郡石坂村、桜谷村を経て現富山市)で、十村役を務めた内山吉治の息子として生まれた。1864年(元治元年)富山藩の高島流兵式練修を命じられ、さらに仏式兵法を修めた。農業を営む。 1876年(明治9年)石川県越中第11大区戸長に就任。石坂村外11カ村戸長、田刈屋外23カ村戸長を歴任。その他、学務委員、村会議員、町村組合会議員、所得税調査委員、用水組合会議員なども務めた。 1888年(明治21年)富山県会議員に選出され、1892年(明治25年)まで在任。
磯部 四郎(いそべ しろう、1851年6月25日(嘉永4年5… 磯部 四郎(いそべ しろう、1851年6月25日(嘉永4年5月26日) - 1923年(大正12年)9月1日)は、日本の法学者。大審院検事・判事。弁護士。法典調査会委員。衆議院議員。貴族院勅選議員。 娘婿は政治家の磯部尚、孫は歌舞伎役者の二代目坂東市太郎。 花札賭博が大好きで、大審院検事のとき、大審院長や同僚を誘い、柳橋で芸者をあげて遊興三昧のあげく、辞職に追い込まれた。それでも花札は終生止められず、明治天皇にまで教え、いたく興味をもたれたという。 1892年(明治25年)の弄花事件は、前年の大津事件の報復とも、大審院内部の判事対検事の抗争とも言われるが、磯部の免官は、この事件で訴追側の検察内部に疑惑の中心人物がいては不都合だったためとも考えられる。
2代 馬場 道久(ばば みちひさ/どうきゅう、1847年1月… 2代 馬場 道久(ばば みちひさ/どうきゅう、1847年1月8日(弘化3年11月22日) - 1916年(大正5年)5月20日)は、明治から大正時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。幼名は吉次郎。 北前船主馬場九兵衛の二男として越中国新川郡東岩瀬村(富山県上新川郡東岩瀬村、東岩瀬町を経て現富山市)に生まれる。長男大次郎の病死により7代九兵衛(初代道久)の跡を継いだ。1881年(明治14年)北陸通船会社創設に資金援助し、北陸における小蒸気船、貨物蒸気船の導入を進めた。1885年(明治18年)上野から直江津間の鉄道が開通すると翌年、伏木の二上兵吉とともに直江津までの小蒸気船業の経営に当たる。
井上 清治(いのうえ せいじ / きよはる[要出典]、184… 井上 清治(いのうえ せいじ / きよはる[要出典]、1844年11月5日〈弘化元年9月25日〉 - 1913年〈大正2年〉1月12日)は、明治から大正初期の大地主、政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。号・松龍、勲等は勲四等。 越中国婦負郡御門村(富山県婦負郡速星村、婦中町を経て現富山市婦中町速星)で、井上清六の二男として生まれ、豪農の井上家26代・井上清治の養子となり、家督を相続して清治を襲名し27代当主となる。 1884年(明治17年)婦負郡中名村ほか37ヵ村戸長に就任し、以後、同郡学務委員、速星村会議員、婦負郡会議員などを務めた。 1903年(明治36年)補欠選挙で貴族院多額納税者議員に選出され、同年5月5日から1904年(明治37年)9月28日まで在任した。
原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年1… 原 弘三(はら こうぞう、1841年1月21日(天保11年12月29日)- 1915年(大正4年)7月30日)は、幕末の僧、明治期の公吏・政治家・銀行家。衆議院議員。幼名・僧云(そううん)。 越中国新川郡塚原村(石川県上新川郡塚原村、富山県上新川郡新保村、富南村を経て現富山市塚原)で、浄土真宗本願寺派教順寺・9世玄正(げんしょう)の長男として生まれた。京都の真宗学林(現龍谷大学)、高岡の野上文山の待賢堂、豊後国日田の咸宜園で学んだ。1868年(明治元年)還俗して原弘三を名乗り、東京湯島の亀谷省軒塾に入る。富山藩改革派林太仲と知り合う。 1870年(明治3年9月)太仲が富山藩大参事に就任すると、原も権小属となり、同年12月19日(同3年閏10月27日)に発せられた「合寺令」に基づき藩内400余カ寺を一宗一寺に合併を強行した(富山藩合寺事件)。
岩城 隆常(いわき たかつね、1838年10月10日(天保9… 岩城 隆常(いわき たかつね、1838年10月10日(天保9年8月22日)- 1893年(明治26年)10月18日)は、明治期の農業経営者、政治家。衆議院議員。 越中国新川郡大村(石川県新川郡大村、富山県上新川郡大広田村を経て現富山市海岸通)で、加賀藩十村役・重右衛門の息子として生まれた。 1873年(明治6年)新川県第7大区長、1876年(明治9年)石川県第2大区副区長に就任。その後、上新川郡首席書記、大村外16カ村戸長、大村外7カ村戸長を務めた。1890年(明治23年)3月、富山県会議員に選出され、1892年(明治25年)2月まで在任した。 1892年2月、第2回衆議院議員総選挙(富山県第2区、独立倶楽部)で当選し、衆議院議員に1期在任した。
上田 麗奈 は、日本の女性声優、歌手。富山県富山市出身。81… 上田 麗奈 は、日本の女性声優、歌手。富山県富山市出身。81プロデュース所属。
吉野 美奈子(Minako Yoshino, よしの みなこ… 吉野 美奈子(Minako Yoshino, よしの みなこ、11月1日 - )は、日本の芸術家(公共芸術スペシャリスト・彫刻家・画家)。 富山県富山市出身。ニューヨークを拠点に公共芸術に携わり、国際的に活動している。全米彫刻協会会員。米国ホロコースト・メモリアル制作プロジェクト芸術監督。NYハーストタワー(21世紀初ニューヨーク市認定歴史的重要建築文化財)修復プロジェクト芸術監督。 大理石をはじめ石を素材としたモニュメントや彫刻と、石粉や砂を交えた独特のテクスチャーで描く油彩画が特徴である。2001年、渡米直後に体験した9.11アメリカ同時多発テロに大きく影響を受けており、「哀しみや憎しみを、慈悲や愛で包み込めるような作品を残したい」という想いが芸術活動の中核にある。
広野 あさみ(ひろの あさみ)は、日本のプロスノーボーダーで… 広野 あさみ(ひろの あさみ)は、日本のプロスノーボーダーである。種目はスロープスタイル、ビックエアー、スノーボードクロス。 富山県富山市出身。富山県立滑川高等学校卒業後、全日本ウィンタースポーツ専門学校に進学した後、本格的にスノーボードを始め、20歳でスノーボードクロスにてプロ資格を取得。 数々の世界レベルの大きなコンテストで多くの成績を残し、ビックエアー・スロープスタイル競技で平昌オリンピックに出場した。 ガールズスノーボーダーチーム“TOMBOY”に参加しているほか、現在は富山キングスにてレッスンを開催するなど幅広く活躍中。 2015年7月1日、日本オリンピック委員会オリンピック指定強化選手認定。
石本 沙織 は、日本のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウ… 石本 沙織 は、日本のフリーアナウンサー。元フジテレビアナウンサー。富山県出身。
木地 智美 は、日本のフリーアナウンサー。気象予報士、防災士… 木地 智美 は、日本のフリーアナウンサー。気象予報士、防災士である。
瀧川 修(たきかわ おさむ)は、日本の生物学者・生理学者(機… 瀧川 修(たきかわ おさむ)は、日本の生物学者・生理学者(機能生物化学・薬理学一般・病態医化学)。学位は医学博士(京都大学・1983年)。国立研究開発法人日本医療研究開発機構戦略推進部脳と心の研究課調査役。姓の「瀧」が常用漢字表に収録されていないため、滝川 修(たきかわ おさむ)と表記されることもある。 和歌山県立医科大学医学部助手、財団法人大阪バイオサイエンス研究所研究員、北海道大学医学部助教授、国立長寿医療センター研究所ラジオアイソトープ管理室室長、独立行政法人国立長寿医療研究センター研究所ラジオアイソトープ管理室室長などを歴任した。 富山県富山市出身。地元の富山県立富山高等学校を卒業した。
柳家 さん生(やなぎや さんしょう)は、落語家の名。過去に亭… 柳家 さん生(やなぎや さんしょう)は、落語家の名。過去に亭号が異なるが7人ほどが「さん生」を名乗っている。 柳家 さん生(やなぎや さんしょう、1957年3月7日 - )は、落語家。富山県富山市出身。本名∶杉江 正嗣。落語協会所属。出囃子は『多摩川「晒しの合方」』。紋は『剣片喰』。 1957年、富山県富山市西町の歯医者の家に生まれる。1975年、富山県立富山東高等学校を卒業する。 1977年、日本大学藝術学部を中退し、10月に5代目柳家小さん門下の3代目柳家小満んに入門する。前座名は小勇。 1982年に柳家はん治、川流亭かっぱとともに二ツ目に昇進。 1993年、真打に昇進し、さん生に改名する。
高崎勉(たかさき つとむ、1967~)は日本の写真家。富山県… 高崎勉(たかさき つとむ、1967~)は日本の写真家。富山県富山市生まれ。 静物(商品)撮影を中心に活動するフォトグラファー。表現のバリエーションが多彩で、重厚なメッセージ性の強いものから、透明感のあるライティングを生かしたものまで幅広く手掛ける。 東京工芸大学芸術学部写真学科 教授。 「日本の写真文化を海外へプロジェクト」デイレクター。 写真講座「Abox Photo Academy」主宰。 祖父は写真館経営、父はカメラマンという家系に生まれ、幼少時より写真に携わる。富山県立富山南高等学校卒業後、上京。東京工芸大学短期大学部を卒業し、(株)アマナに12年間勤務。1999年独立以降、広告撮影と並行し、意欲的に作品制作に取りかかる。
柴田 理恵 は、日本の女優、お笑いタレント。
高崎 紗緒梨 は、日本の元女子バレーボール選手。
高田 いちえ(たかだ いちえ)は、日本のピアニスト。富山県富… 高田 いちえ(たかだ いちえ)は、日本のピアニスト。富山県富山市生まれ。 富山県立呉羽高等学校普通科音楽コース、武蔵野音楽大学ピアノ専攻卒業、東京コンセルヴァトアール尚美ディプロマコースピアノ専攻終了。 1994年に国際ロータリー財団奨学生として、ドイツのフランツ・リスト・ヴァイマル音楽大学大学院課程ピアノ専攻に留学。 1992年にIMASフランス・パリ公演参加。第40回全日本演奏家協会によるオーディション合格。第11回ソリストコンテスト・ピアノデュオ部門にて奨励賞受賞。 2001年と2006年にピアノ・デュオリサイタルを開催する。「邦人作品演奏研究会」「洋楽寄席」他、アンサンブルやリサイタル伴奏者として多くの演奏会に出演。
山内 修一(やまうち しゅういち)は、日本の地方公務員。京都… 山内 修一(やまうち しゅういち)は、日本の地方公務員。京都府企画環境部長や、京都府府民労働部長、京都府文化環境部長等を経て、京都府副知事。 富山県富山市出身。立命館大学法学部卒業後、オイルショックによる就職難を受け、1978年京都府入庁。企画環境部長や、府民労働部長を経て、文化環境部長として京都府立総合資料館建て替えなど北山文化ゾーンの整備を進めた。2010年から副知事を務め、平成30年7月豪雨では対応にあたった。2020年 京都信用保証協会理事長。2022年、瑞宝中綬章受章。
黒田 正郡(くろだまさくに、天保12年(1841年) - 大… 黒田 正郡(くろだまさくに、天保12年(1841年) - 大正9年(1920年))は、武術家。通称寛。号は龍心斎。幼名は鉄之助。 越中国富山(現・富山県富山市)に生まれ、父、正好より民弥流居合術、駒川改心流剣術、四心多久間流柔術、椿木小天狗流棒術、誠玉小栗流殺活術を引き継いだ。息子の黒田正義、黒田泰治、曾孫の黒田鉄山も有名な武術家になっている。
千田 梅二(せんだ うめじ、1920年 - 1997年)は日… 千田 梅二(せんだ うめじ、1920年 - 1997年)は日本の版画家。 富山県富山市生まれ。1943年、中川一政に師事。 出征し中国・長沙付近で終戦を迎える。以後、東北各地を放浪したのち、筑豊・日炭高松一坑の採炭鉱員になる。 1947年に、再度絵をはじめ、1948年作家上野英信と出会ってからは版画を制作。炭坑仕事唄とあわせて彫り、「労働芸術」に発表。 1958年、健康を害し富山に帰郷。和紙すき職人の吉田桂介から型絵梁の手法を習い、カレンダーの制作などを始める。1980年筑豊に転居。 1991年、「炭坑仕事唄板画巻」で地方出版文化功労賞次席(第4回)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。