塩士 暖(しおじ だん、2006年5月18日 - )は、石川… 塩士 暖(しおじ だん、2006年5月18日 - )は、石川県輪島市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 輪島市立大屋小学校では陸上部に所属し、輪島市立輪島中学校で本格的に野球を始め、軟式野球部に所属して外野手であった。 門前高校へ入学すると、1年春からベンチ入り。1年夏の石川大会は中堅手として2試合に先発出場して2回戦敗退であった。1年秋は県大会初戦(小松大谷との2回戦)で敗退。2年春の県大会では初戦(金沢龍谷との2回戦)に2番手で登板したが、チームは敗退した。2年夏からエースナンバーを背負い、石川大会では初戦(石川高専との2回戦)に先発、2年秋の県大会は初戦(羽咋工業との1回戦)に3番手で登板したが、いずれも初戦敗退であった。
川﨑 俊哲(かわさき としあき、2001年5月2日 - )は… 川﨑 俊哲(かわさき としあき、2001年5月2日 - )は、石川県輪島市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投左打。阪神タイガース所属。 輪島市立大屋小学校1年から大屋クラブで野球を始め、輪島市立輪島中学校では軟式野球部に所属。 石川県立輪島高等学校では内野手と投手を兼任し、3年夏の県大会では主将としてチームのベスト8進出に貢献した。 高校卒業後はNPB入りを目指し、地元の石川ミリオンスターズ(当時はルートインBCリーグ、2022年は日本海オセアンリーグ、2023年から日本海リーグ所属)に入団。主に遊撃手としてプレーした。4年目までは調査書が届かない状況が続くも、5年目に阪神タイガースから派遣されてきた岡崎太一監督の指導を受け成績を向上させた。
庄田 祐生(しょうだ ゆうせい、1995年2月28日 - )… 庄田 祐生(しょうだ ゆうせい、1995年2月28日 - )は、日本のプロ雀士。 日本プロ麻雀連盟所属。団体内の段位は三段。石川県輪島市出身。 中学時代に見た日本プロ麻雀連盟(連盟)のYouTubeチャンネルを通じて麻雀の世界に触れ、連盟のオンライン麻雀『龍龍』を始める。 高校卒業後はプロ雀士の夢を抱きながらも鉄道会社に就職するために埼玉県内の寮に住む一方で、麻雀最強戦のイベントで日本プロ麻雀連盟会長の森山茂和とやりとりしたことが印象に残って連盟の試験を受けることを決意し、20歳で連盟の試験に合格、晴れてプロ雀士となる。2016年度前期にはJPML WRCリーグに移行する直前のチャンピオンズリーグを制するなど実績を残すが、持病に加えて規則で勤続10年までに会社の寮を退所しなければならなくなる一方で生活が苦しかったことから、2022年12月31日付けで鉄道会社を退職、連盟も休会扱いとして実家の輪島に戻る。
丸木 唯(まるき ゆい、1986年7月30日 - )は、石川… 丸木 唯(まるき ゆい、1986年7月30日 - )は、石川県輪島市出身の元プロ野球選手(投手)。 輪島実高では高校通算1勝と特筆すべき実績こそないものの、140キロを超える直球とフォークを投げるなど潜在能力の高さは早くから注目されていた。 2004年のドラフト4巡目で広島東洋カープに入団。ドラフトで指名されたことはパソコンの授業中にインターネットの速報を見て知ったという。 プロ入り後の4年間、実戦登板の機会すら得られず2008年10月10日に球団より戦力外通告を受け引退。 2009年から広島東洋カープの球団職員(経理)になる。バスの免許を取るために大型免許を取得。 2013年4月20日に吉田圭(カープOB)からの誘いで共に「鉄板焼 まるよし」を広島市にオープン。
小口 貴子(おぐち たかこ、1984年8月8日 - )は、石… 小口 貴子(おぐち たかこ、1984年8月8日 - )は、石川県輪島市出身のスケルトン選手。丸善食品工業所属。 旧姓、大向(おおむかい)。 輪島市立松陵中学校、石川県立輪島高等学校を卒業後、仙台大学に進学、大学2年生の時にスケルトンを始める。2005年にアメリカズカップに初参戦、2007年、父親の介護のため競技を離れるも、2008年に現役復帰。長野市のそり競技施設「長野市ボブスレー・リュージュパーク」で職員として働きながら競技を続ける。2010年に全日本スケルトン選手権大会で2位、2011年には全日本チャレンジカップ優勝。2012年に丸善食品工業に就職。2013年からワールドカップ参戦、2014年には全日本プッシュ選手権優勝、2015年に入籍。
上田 聡子(うえだ さとこ、1983年9月 - )は、日本の… 上田 聡子(うえだ さとこ、1983年9月 - )は、日本の著作家。 石川県輪島市出身。7歳の頃に将来は本を書くという夢を持ち、荻原規子や森絵都などの女性作家の作品を愛読した。上智大学では文芸サークルに在籍していたこともあり、卒業後には金沢市に転居した。 2014年(平成26年)からnoteに短編を投稿するようになり、ハンドルネームは「hoshichika」または「ほしちか」を用いていた。2017年(平成29年)には富山県富山市に転居した。2020年(令和2年)7月21日、「noteクリエイター支援プログラム」を通じて『金沢洋食屋ななかまど物語』をPHP研究所(PHP文芸文庫)から出版した。同年には出身地の輪島市役所に招待され、輪島市内の小中学校と高校に著書やサイン色紙を贈呈したほか、『金沢洋食屋ななかまど物語』が輪島市立図書館などで紹介された。
上田 拓郎(うえだ たくろう、1983年7月26日 - )は… 上田 拓郎(うえだ たくろう、1983年7月26日 - )は、石川県輪島市出身の農家。「上田農園」代表。 能登でトマトやイタリア野菜等約70種類の野菜を育てる、2024年の能登半島地震からの復活を目指し活動している。 石川県輪島市出身。地元の農業高校を卒業後、農業に従事。 2024年1月1日に発生した能登半島地震により、自身の農園や自宅が甚大な被害を受ける。震災後レストラン等の出荷を再開し、シェフ達と共に完全復活を目指す。 同年、優れた農業経営や地域貢献が評価され、第63回農林水産祭において「農林水産大臣賞」を受賞した。 2025年6月8日には、毎日放送制作・TBS系列のドキュメンタリー番組『情熱大陸』に取り上げられ、震災から立ち上がる若手農家としての活動が全国的に紹介された。
谷口 邦幸(たにぐち くにゆき、1979年6月29日 - )… 谷口 邦幸(たにぐち くにゆき、1979年6月29日 - )は、石川県輪島市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 輪島市立町野中学校では県大会3位となり、そのまま地元の石川県立町野高等学校(輪島市・現在は2度の統廃合により石川県立能登高等学校と名前を変えている。)へ進学する。2年秋の県大会ベスト8で金沢高校を相手に8回まで無安打に抑えるが、延長11回サヨナラで敗れた。無名校ながら石川県内では屈指の本格派の投手として有名であった。 1997年のドラフト会議でドラフト1位を受けて横浜ベイスターズに入団。 ややスリー・クォーター気味の投球フォームから繰り出す速球が武器で、将来の右の先発候補として期待された。
若島 孔文(わかしま こうぶん、1972年 - )。石川県輪… 若島 孔文(わかしま こうぶん、1972年 - )。石川県輪島市生まれ。1994年に立正大学文学部哲学科卒業。1996年に愛知学院大学大学院文学研究科心理学専攻修了。2000年に東北大学大学院教育学研究科博士課程修了 教育学博士。東北大学大学院教授。日本家族心理学会理事長。国際家族心理学会(International Academy of Family Psychology) 副学会長。 コミュニケーション理論(語用論)、システム理論(統合情報理論を含む)、社会的相互作用理論などに基づき、心理療法場面、家族関係(動物を含む)、カップル関係、産業・組織におけるストレス、惨事ストレス、いじめ・ハラスメント、心理士と弁護士の協働に関する研究を行う。
大倭 東洋(おおやまと とうよう、1971年1月21日 - … 大倭 東洋(おおやまと とうよう、1971年1月21日 - 2015年6月24日)は、石川県輪島市出身で入間川部屋に所属した元大相撲力士。本名は白崎 東洋(しろさき とうよう)。身長179cm、体重142kg。最高位は東十両12枚目(1994年1月場所)。得意技は突き、押し。 金沢高校から日本大学を経て元関脇栃司の入間川部屋に入門。1993年3月場所に同じ日大の大内とともに、幕下60枚目格付出で初土俵を踏んだ。幕下をわずか5場所で通過し1994年1月場所で新十両を果たす。師匠が部屋を興して最初の関取となった。しかし、5勝10敗と大きく負け越し1場所で幕下に陥落。更に、幕下落ちした場所の三番相撲(相手は琴龍)で腰を痛める。
岩城 徳栄(いわき とくえ、1961年3月3日 - )は、日… 岩城 徳栄(いわき とくえ、1961年3月3日 - )は、日本の元歌手、元タレントである。現在は既に芸能界を引退し結婚している。タレント時代も本名で活動した。158cm、46kg、石川県輪島市出身。青蘭学院高等学校(のちの青稜高等学校)卒業。タレント時代は新栄プロダクションに所属していた。 愛称はピー子。これは、赤ちゃんの頃「ピーピー」泣いてばかりいたので、近所の人からピー子と呼ばれていたことによる。小学生になると「きかん気のピー子」と言われるようになり、地元・輪島では少し有名な存在だったという。 実家は映画館を営む。 歌手としてシングルを5枚リリースしているが、その歌声は「ハスキーかつパンチの効いた」声と評されている。
浅井 純哉(あさい すみや、1957年7月13日 - )は、… 浅井 純哉(あさい すみや、1957年7月13日 - )は、日本の高校野球指導者。金沢龍谷高等学校の野球部監督を務める。かつては金沢高等学校や鵬学園高等学校の野球部監督を務めた。 石川県輪島市出身。金沢高等学校野球部OB内野手(甲子園出場経験はなし)。国士舘大学準硬式野球部では投手。 輪島市の高校で臨時職員として勤務した後、1981年(昭和56年)に母校・金沢高等学校へ戻り、野球部コーチ。責任教師を経て、1993年(平成5年)秋より野球部監督就任。2011年(平成23年)6月、育成功労賞を受賞。同年10月の山口国体を最後に勇退を発表した。後任は野球部長の岩井大。 金沢高校時代は白山市(旧:美川町)の自宅を下宿として、輪島市など県内の遠隔地および希望する野球部員の面倒をみていた。
坂口 茂(さかぐち しげる、1957年(昭和32年)2月25… 坂口 茂(さかぐち しげる、1957年(昭和32年)2月25日 - )は、日本の政治家。石川県輪島市長(2期)。 石川県輪島市出身。1980年徳島大学工学部建設工学科卒。建設会社勤務を経て、1982年旧輪島市役所に入庁。都市整備課長、企画課長、交流政策部長などを歴任した。2013年輪島市副市長に就任。2022年3月、輪島市長選挙に立候補し、元市職員を破って初当選した。2026年3月、輪島市長選挙に立候補し、無投票当選。
堂上 照(どのうえ てらし、1951年6月9日 - )は中日… 堂上 照(どのうえ てらし、1951年6月9日 - )は中日ドラゴンズに所属していた元プロ野球選手である。石川県輪島市出身。現役時代の愛称は「ジャンボ」。堂上剛裕(読売ジャイアンツ)、堂上直倫(中日ドラゴンズ)の実父。
梶 文秋(かじ ふみあき、1948年〈昭和23年〉11月4日… 梶 文秋(かじ ふみあき、1948年〈昭和23年〉11月4日 - )は、日本の政治家。石川県輪島市長(4期)、旧輪島市長(2期)、旧輪島市議会議員(2期)を歴任。 石川県鳳至郡輪島町鳳至町(現・輪島市鳳至町)生まれ。1967年3月、石川県立輪島高等学校卒業。民間会社を経て、1971年4月に輪島市役所に採用される。 1991年4月、輪島市議会議員に初当選。1995年、市議に再選。 1998年4月、旧輪島市長に初当選。2002年、再選。 2006年2月1日、旧輪島市と鳳珠郡門前町が合併し、新輪島市が誕生。これに伴って3月19日に行われた市長選に当選。2010年、再選。2014年、無投票により3選。 2018年3月、自民党・公明党の推薦を受けて立候補し、元市職員の林平成人を67票差で破り4選(梶:8,389票、林平:8,322票)。
北村 茂男(きたむら しげお、1945年(昭和20年)11月… 北村 茂男(きたむら しげお、1945年(昭和20年)11月8日 ‐ )は、日本の政治家。 環境副大臣(第2次安倍改造内閣・第3次安倍内閣)、総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院議員(4期)、衆議院農林水産委員長、第73代石川県議会議長、石川県議会議員(7期)を歴任した。藍綬褒章受章(地方自治功労)。 石川県輪島市出身。石川県立輪島高等学校を経て明治大学経営学部卒業[要出典]。 旧石川2区選出の衆議院議員稲村左近四郎の秘書を経て、29歳の時に石川県議会議員選挙に自由民主党から出馬し初当選。自民党石川県支部連合会会長や幹事長、政調会長、総務会長を歴任した。また県議会運営委員長、石川県議会最大会派「拓政会」の会長を務めた[要出典]。
永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔〈ながい きよし〉、1… 永井 豪(ながい ごう、本名:永井 潔〈ながい きよし〉、1945年〈昭和20年〉9月6日 - )は、日本の漫画家。勲等は旭日小綬章。石川県輪島市出身。血液型はO型。 石ノ森章太郎のアシスタントを経て、1967年『目明しポリ吉』でデビュー。代表作に『ハレンチ学園』『あばしり一家』『デビルマン』『マジンガーZ』『キューティーハニー』など。少年漫画の世界に性やバイオレンスの表現を大胆に取り入れ、後続の漫画家に大きな影響を与えた。ナンセンスなギャグマンガからシリアスな劇画までシームレスにこなすという点でも異色の存在である。また1972年の『デビルマン』以降、多数のテレビアニメ作品に共同企画者・原作者として関わっている。
小森 邦衞(こもり くにえ、1945年2月18日 - ) は… 小森 邦衞(こもり くにえ、1945年2月18日 - ) は、日本の漆芸家である。本名は邦博。髹漆(きゅうしつ)の重要無形文化財保持者(人間国宝)。石川県輪島市出身。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
永井 泰宇(ながい やすたか、1941年3月10日 - )は… 永井 泰宇(ながい やすたか、1941年3月10日 - )は、日本の小説家、漫画原作者、シナリオライター。 ダイナミック・プロ所属。漫画原作者としては高円寺 博(こうえんじ ひろし)のペンネームも用いた。 中華民国(当時)の上海生まれ。後に石川県輪島市に引き揚げた。本名は永井 博。漫画家・永井豪は実弟。東京都立文京高等学校卒業。 1969年、『鮮血のバプテスマ』(永井ばく名義)で江戸川乱歩賞候補となるが、ダイナミック・プロ設立のために作家活動を一時断念した(この年の乱歩賞は森村誠一の『高層の死角』が受賞した)。 作家としての再デビューは1981年の『真・デビルマン』である。
前 史雄(まえ ふみお、1940年(昭和15年)8月15日 … 前 史雄(まえ ふみお、1940年(昭和15年)8月15日 - )は、漆芸家。石川県輪島市出身。沈金の重要無形文化財保持者(人間国宝)。 独自に沈金刀を研究し、多様な彫刻技法で知られる。石川県立輪島漆芸技術研修所所長。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
大崎 剛彦(おおさき よしひこ、1939年2月27日 - 2… 大崎 剛彦(おおさき よしひこ、1939年2月27日 - 2015年4月28日)は、日本の競泳選手。1960年ローマオリンピック200m平泳ぎ銀メダリスト・400mメドレーリレー銅メダリスト。 石川県輪島市出身。石川県立金沢泉丘高等学校、早稲田大学第二商学部卒業。 同大在学時の1960年ローマオリンピック代表に選出され男子200m平泳ぎで銀メダル、男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。1959年と1960年に日本選手権水泳競技大会男子200m平泳ぎを連覇した。 同大卒業後は倉敷レイヨン(現・クラレ)で活躍。1973年に社会体育開発研究所を設立。 現役引退後もマスターズ水泳選手として泳ぎ続け、国際水泳殿堂(マスターズ部門)入りを果たしたほか、日本マスターズ水泳協会会長(1992年 - 2014年)や日本水泳連盟理事も務めた。
山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 201… 山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 2017年2月10日)は、石川県輪島市生まれの競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの400m自由形・1500m自由形、1960年ローマオリンピックの400m自由形・800mフリーリレーで4つの銀メダルを獲得した。 石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場。自由形400mと1500mの2種目では、オーストラリアのマレー・ローズに次ぐ2位で銀メダルを獲得した。 早稲田大学教育学部進学後の1959年、自由形200m、400mで世界新記録を作った。 1960年ローマオリンピックでも、自由形400mでローズに敗れ銀メダルを獲得した。
秀ノ花 宗市(ひでのはな そういち、1929年5月3日 - … 秀ノ花 宗市(ひでのはな そういち、1929年5月3日 - 没年不明)は、出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は小門 宗一(こかど そういち)。現在の石川県輪島市出身。175cm、90kg。最高位は東十両6枚目。得意技は左四つ、寄り。 1950年1月場所に初土俵、1953年5月場所に十両昇進。十両を12場所務め、好成績を挙げることもあったが、膝などの負傷が多く、1956年9月場所に27歳で廃業した。肩幅が広く首も太い堅固な体格をしており、左四つからの攻めは強かったが、押し相撲でも強かった。
三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 201… 三谷 吾一(みたに ごいち、1919年2月13日 - 2017年7月12日)は、日本の漆芸家。位階は正四位。勲等は勲四等。日本芸術院会員、文化功労者。本名は三谷 伍市(みたに ごいち)。 社団法人日展理事、社団法人現代工芸美術家協会常務理事、輪島塗技術保存会副会長などを歴任した。 石川県の現輪島市(当時の鳳至郡)出身。本名・伍市。 1933年、14歳で沈金師・蕨舞洲に師事、1938年前大峰に師事、1941年沈金職人として独立。 1942年新文展出品の「沈金漆筥」が初入選、1965年日本現代工芸美術展出品の「飛翔」が現代工芸大賞読売新聞社賞受賞、1966年日展出品の「集」が特選北斗賞受賞、1970年改組日展出品の「翼」が特選北斗賞受賞、1977年輪島塗技術保存会会員となる。
川崎 悦行(かわさき えつこう、かわさき えつぎょう、190… 川崎 悦行(かわさき えつこう、かわさき えつぎょう、1901年 - 1923年11月12日)は、戦前の日本の政治運動家、初期の共産主義運動家である。 石川県輪島市出身。本名川崎 憲次郎。輪島男児尋常高等小学校を経て、1915年石川県立金沢商業学校に入学。在学中弁論部員として活動するかたわら、社会運動に関心をもち中途退学した。帰郷して總持寺祖院に入り、禅僧となって「悦行」の僧名を受けた。 1921年、上京して暁民会に参加、のち日本社会主義同盟の機関紙編集にたずさわった。1922年7月15日の日本共産党の結成に参加した。 1923年2月4日の党第2回大会で、共産青年同盟の組織準備委員に任命され、4月5日創立された日本共産青年同盟の初代中央委員となった。
土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1… 土井 直作(どい なおさく、1900年(明治33年)11月1日 - 1967年(昭和42年)6月26日)は、大正・昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 石川県鳳至郡剱地村(門前町剱地を経て現輪島市門前町剱地)で、土井太郎、ユウ夫妻の三男として生まれる。1915年(大正4年)小学校を卒業し足尾銅山で働く。1919年(大正8年)に上京して芝浦製作所(現東芝)に入社し電気工として務め、友愛会芝浦支部に加わり、1920年の芝浦争議に参加して解雇された。1922年(大正11年)日本労働学校を卒業した。 1925年(大正14年)日本労働総同盟(総同盟)調査部員、1928年(昭和3年)から総同盟調査委員に就任し、1940年(昭和15年)の組織解散まで各地の労働争議を指導した。
大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10… 大島 新一(おおしま しんいち 1899年(明治32年)10月1日 - 1979年(昭和54年)9月25日)は日本の政治家。石川県会議員(3期) 1899年10月鳳至郡櫛比村に生まれた。1914年3月櫛比尋常高等小学校高等科を卒業後、1915年1月輪島区裁判所門前出張所所属になり、1919年1月金沢地方裁判所所属の司法書士となった。1925年5月櫛比村会議員選挙に当選。1931年9月立憲民政党に属して石川県会議員選挙に当選、1935年再選され参事会員に選任されていた。1941年11月には副議長となった。副議長には1946年までつとめ県会議員としては1947年までその任にあたった。この間、1941年6月より門前町長として町政をとり1942年10月からは門前花業会長でもあった。
板谷 勘右衛門(いたや かんえもん 1875年9月4日 - … 板谷 勘右衛門(いたや かんえもん 1875年9月4日 - 1941年5月1日)は日本の政治家。 1875年地元の地主である板谷助右衛門の長男として生まれる。新潟商業学校を卒業後農業に従事していたが、1913年剱地村会議員選挙に出馬し当選、さらに鳳至郡会議員、1919年には立憲政友会に属して石川県会議員に当選。その後長らく剱地村長をつとめたのち、長年地方自治に尽くした功績で1939年8月1日紺綬褒章を受章した。1941年5月1日に76歳で死去。きく夫人との間に3男2女がある。 『石川県議会史 第2巻』1968年
百萬 梅治(ひゃくまん うめじ、1858年(安政5年)2月 … 百萬 梅治(ひゃくまん うめじ、1858年(安政5年)2月 - 1896年(明治29年)3月9日)は日本の政治家。衆議院議員(2期) 1858年(安政5年)2月に百萬九右衛門の長男として生まれる。幼名は梅乃助と称し18歳のときに改名した。百萬家は地元の旧家で、梅治は22代目であった。時国小学校を卒業後、輪島師範学校に入り1878年に卒業し東小学校訓導に就任した。1880年(明治13年)4月に金沢へ出て河波有道に漢学を学び1882年に帰郷した。帰郷した後、数々の地元の公職に就き、1885年1月6日に県会議員補欠員に当選した。その後、1886年9月、1889年1月、1891年10月にそれぞれ再選された。
小間 粛(こま しく、1843年(天保14年8月) - 19… 小間 粛(こま しく、1843年(天保14年8月) - 1900年(明治33年)12月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 1843年(天保14年)8月 能登国鳳至郡清水村の藤九郎の次男に生まれる。父は加賀藩の寺社奉行であった。小間は藩校に学び漢学を修め、藩から山廻役を命ぜられていた。廃藩後は養蚕業を営み、製糸工場を経営した。その一方で戸長を務めのちに門前小学校で訓導や珠洲郡書記も務めた。1879年県会議員選挙に鳳至郡選挙区から出馬し当選、以後当選を重ねる。1883年2月には盈進社発起の北陸道有志大懇談会に参加し、1884年の県会では河瀬貫一郎に反対の立場をとったが同志少なく主導権を握ることはできなかった。
寺本 良之(てらもと よしゆき、3月14日 - )は、北陸放… 寺本 良之(てらもと よしゆき、3月14日 - )は、北陸放送の元アナウンサー。 石川県鳳珠郡門前町(後の輪島市)出身。1973年に北陸放送に入社し、同局のアナウンサーを務めた。 2021年4月からは、日本赤十字社石川県支部の活動に協力しているボランティア団体「赤十字奉仕団石川県支部委員会」の委員長を務めている。また2023年には、石川県の民放退職者たちによる団体「北陸民放クラブ・石川」の副理事長に就任している。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。