平木 大作(ひらき だいさく、1974年10月16日 - )… 平木 大作(ひらき だいさく、1974年10月16日 - )は、日本の政治家。公明党所属の参議院議員(3期)、参議院災害対策特別委員長、公明党国会対策委員長。 経済産業大臣政務官兼内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官、公明党青年委員長、復興副大臣などを歴任した。 長野県長野市出身。1993年に創価高等学校を卒業後、東京大学に進学。1998年に東京大学法学部を卒業。大学卒業後の1998年にシティバンクに入社する。 2008年にスペインのイエセビジネススクールで経営学修士課程を修了後、同年、ブーズ・アンド・カンパニーに入社する。2010年にシグマクシスに転職。 2013年7月、第23回参議院議員通常選挙に全国比例区で公明党から立候補する。
義家 弘介(よしいえ ひろゆき、1971年3月31日 - )… 義家 弘介(よしいえ ひろゆき、1971年3月31日 - )は、日本の政治家、教育者。「ヤンキー先生」のニックネームで知られる。 衆議院議員(4期)、参議院議員(1期)、文部科学大臣政務官(第2次安倍内閣)、文部科学副大臣(第3次安倍第1次改造内閣・第3次安倍第2次改造内閣)、自由民主党財務金融部会長、法務副大臣(第4次安倍第2次改造内閣)、衆議院法務委員長、衆議院文部科学委員長を歴任した。東北福祉大学特任准教授を経て、松蔭大学コミュニケーション文化学部特任教授。北海道芸術高等学校チーフアカデミックディレクター。NPO法人あきらめない特別顧問。過去に横浜市教育委員、警察庁バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会、第1次安倍内閣で教育再生会議委員を務めた(内閣官房教育再生会議担当室室長、参議院議員転出で退任)。
内堀 雅雄(うちぼり まさお、1964年〈昭和39年〉3月2… 内堀 雅雄(うちぼり まさお、1964年〈昭和39年〉3月26日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。福島県知事(公選第20代・21代・22代)、復興庁復興推進委員会委員、会津鉄道取締役会長。元福島県副知事。無所属。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校卒業後、上京し東京大学に入学。1986年(昭和61年)、東京大学経済学部を卒業し、自治省に入省した。本省勤務の他、大蔵省(現:財務省)や福井県、佐賀県への出向も経験する。2001年(平成13年)、中央省庁再編により総務省が新設され、自治財政局地方債課理事官。同年より福島県へ出向し、生活環境部長や企画調整部長を経て、2006年(平成18年)12月より福島県副知事。
風間 辰一(かざま たつふみ、1962年4月5日 - )は、… 風間 辰一(かざま たつふみ、1962年4月5日 - )は、日本の政治家。長野県議会議員(6期)。第88代長野県議会議長。 長野県長野市出身。長野県長野吉田高等学校、早稲田大学卒業。衆議院議員秘書を経て、1995年(平成7年)4月、長野県議会議員選挙に出馬し初当選。2003年(平成15年)の選挙で落選するも、2007年(平成19年)4月の県議会議員選挙で返り咲き、2011年(平成23年)4月、4期目の当選を果たす。その間、自民党県議団幹事長、農政林務委員長、土木住宅委員長、総務警察委員長、議会運営委員会副委員長、社会衛生委員会副委員長、文教企業委員会副委員長を歴任。 2014年(平成26年)3月、長野県議会議長選に立候補。
太田 昌孝(おおた まさたか、1961年8月28日 - )は… 太田 昌孝(おおた まさたか、1961年8月28日 - )は、日本の政治家。公明党所属の前衆議院議員(1期)。 長野県長野市出身。長野市立芹田小学校、長野市立櫻ヶ岡中学校を経て長野県長野東高校を卒業後、創価大学法学部に進学。 大学卒業後に地方公務員として長野市役所に入庁する。市役所を退庁後に長野市議会議員から長野県議会議員を経て、2017年10月に第48回衆議院議員総選挙に比例北陸信越ブロックから立候補し初当選を果たす。 2006年4月に防災士の資格を取得。妻、母と2人の息子がいる。 後述の不祥事により、2021年10月の第49回衆議院議員総選挙には立候補せず1期限りで退任した。 東京地検特捜部は2021年8月4日、公明党の吉田宣弘と太田の議員会館事務所に家宅捜索に入った。
小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12… 小坂 憲次(こさか けんじ、1946年〈昭和21年〉3月12日 - 2016年〈平成28年〉10月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。 衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)、文部科学大臣(第7代)、参議院憲法審査会会長(初代)、自由民主党参議院幹事長などを歴任した。 1990年代前半は、一貫して羽田孜の側近であった[要出典]。1993年に自民党を離党し、羽田が率いる新生党に入党する[要出典]。その後も羽田に従って新進党、太陽党、民政党と渡り歩いたが、羽田が菅直人元厚生大臣率いる旧民主党への合流を進めたことに反発[要出典]。民主党には合流せず、無所属の期間を経て、自民党に復党した。 2008年自由民主党総裁選挙では石破茂の選挙責任者を務めた。
加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8… 加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県長野市長(2期)。現在は日本会議NAGANO会長を務める。 長野県長野市出身。1961年、長野県長野高等学校卒業。1965年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。内田産業株式会社を経て、1967年に株式会社本久入社。1985年に同社社長、2009年に本久ホールディングス社長に就任。インフラ整備、外食事業、ホテル国際21等のレジャー事業を手掛ける。 2007年から長野商工会議所会頭・長野県商工会議所連合会会長を務め、2009年には、しなの鉄道取締役会長にも就任した。 2013年10月27日に行われた長野市長選挙に立候補。
鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)1… 鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)11月8日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。元長野県長野市長(3期)。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。
石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - … 石田 治一郎(いしだ じいちろう、1937年5月21日 - 2014年10月12日)は日本の政治家。藍綬褒章、正五位、旭日中綬章。長野県長野市出身。早大教育卒。長野県議会議員(連続9期)。長野県議会議長、自由民主党県連幹事長、全国幹事長連絡協議会会長、政権構想会議メンバー。 長野県政に強い影響力をもち、“県政の重鎮、県政のドン”とよばれた。 1937年、長野市若穂綿内(当時は上高井郡綿内村)生まれ。 早稲田大学教育学部卒業。信濃毎日新聞社勤務を経て起業する。長野青年会議所理事長を経て、1979年の長野県議会議員選挙へ出馬(無所属、当選後は自民党)しトップで初当選した。 1985年、長野市長選挙へ出馬し、塚田佐と保守を二分する激戦の末敗れたが、1987年の長野県議会議員選挙ではトップ当選で返り咲いた。
清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 201… 清水 勇(しみず いさむ、1925年10月16日 - 2010年1月14日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(6期)。 長野県長野市出身。1944年早稲田高等工学校機械工学科卒。1944年大日本機械に入社し、応召・復員後、印刷工となる。1949年印刷出版労組長野県支部書記長から、1957年長野県労評事務局長、1966年同議長。1976年の総選挙で旧長野1区から社会党公認で立候補し、初当選し以後6期務めた。1979年社会党政策審議会副会長、1982年衆議院予算委員、1984年社会党国会対策副委員長、同産業貿易政策委員長を務める。1993年の総選挙で落選し、政界を引退。1995年、勲二等旭日重光章受章。
今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998… 今井 勇(いまい いさむ、1919年7月21日 - 1998年11月6日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。厚生大臣(第66代)、衆議院議員(7期、自由民主党)。 長野県長野市出身。第一高等学校を経て、1944年東京帝国大学第一工学部土木工学科を卒業。戦後の1949年建設省に入省。秋田工事事務所長、東北地方建設局道路部長、計画局地域計画課長、計画局技術調査官などを経て、1970年四国地方建設局長。退官後に1972年の第33回衆議院議員総選挙で旧愛媛3区から無所属で立候補し初当選。その後、自由民主党に入党、宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)所属。農水・厚生政務次官、党社会部会長、衆院農水委員長などを歴任した後、1985年第2次中曽根内閣の厚生大臣として初入閣した。
小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 -… 小坂 徳三郎(こさか とくさぶろう、1916年1月20日 - 1996年2月23日)は、日本の実業家・政治家。信越化学工業社長・会長、信濃毎日新聞社長、衆議院議員、運輸大臣(53代)などを歴任した。 東京帝国大学卒業後、朝日新聞記者から、小坂財閥に戻り、信越化学工業社長に。財界活動も始め、財界の支援で1969年に政界入りした。将来の首相候補といわれ、一年生議員ながら、政策集団「新風政治研究会」を設立、当選2回で総理府総務長官で初入閣した。以降も経済企画庁長官や運輸大臣を歴任し、大平、中曽根康弘とともに「大中小」、安倍晋太郎、竹下とともに「安竹小」と総理総裁候補として目された。しかし、運輸大臣時代に国鉄改革をめぐって、土光敏夫や中曽根康弘首相など政財界の支持を失い、影響力が低下。
小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1… 小坂 善太郎(こさか ぜんたろう、1912年〈明治45年〉1月23日 - 2000年〈平成12年〉11月26日)は、日本の政治家。位階は正三位。自由民主党の衆議院議員(16期)。外務大臣(第83・84・99代)、経済企画庁長官(第23代)、国家公安委員会委員長(初代)、労働大臣(第8代)を歴任した。 長野県長野市出身。学習院を経て、1935年(昭和10年)に東京商科大学(現在の一橋大学)を卒業する(上田貞次郎ゼミナール)。三菱銀行勤務や信越化学工業直江津工場長、同社取締役を経て、1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙に長野1区(当時)から立候補し、初当選する。以後、当選16回(当選同期に二階堂進・江﨑真澄・小沢佐重喜・石井光次郎・坂田道太・水田三喜男・村上勇・川崎秀二・井出一太郎・早川崇・中野四郎など)。
夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年(明治41年)9月8日… 夏目 忠雄(なつめ ただお、1908年(明治41年)9月8日 - 1997年(平成9年)9月30日)は、参議院議員(2期)。長野県長野市長(3期)。長野県議会議員。 長野市生まれ。松本高等学校文科甲類、1932年東京帝国大学法学部卒業。1955年長野県議会議員当選、2期目の途中で辞職し、1962年長野市長選挙に当選、1974年第10回参議院議員通常選挙長野県選挙区に自由民主党から出馬し、初当選。1979年第2次大平内閣科学技術政務次官、1980年第12回参議院議員通常選挙で再選した。 長野市長在任中は篠ノ井市等との2市6町村合併による「大長野市」の実現に尽力した。
松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治3… 松橋 久左衛門(まつはし きゅうざえもん、1905年(明治38年)1月2日 - 1970年(昭和45年)11月30日)は、日本の政治家。長野県長野市長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 長野市生まれ。家業は鋼材商「鍋久」で、代々「松橋久左衛門」を襲名する。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、旧制松本高等学校文科を経て、1929年東京帝国大学経済学部卒業。家業の鋼材商「鍋久」を承継し、長野市連合青年会長、長野市会議員を経て、昭和14年(1939年)長野県会議員となる。 同21年(1946年)長野市長臨時代理者となり、翌年に施行された初の公選による長野市長選挙で当選。また戦後の特例で長野県議会議員を兼務し、議長として「分県論」を収束させた。
倉島 至(くらしま いたる、1901年(明治34年)6月19… 倉島 至(くらしま いたる、1901年(明治34年)6月19日 - 1993年(平成5年)3月4日)は、日本の政治家。長野県長野市長(2期)。 長男はジャーナリストの倉嶋康、弟は気象学者の倉嶋厚。 長野市生まれ。旧制長野中学(現長野県長野高等学校)、旧制松本高校文科甲類を経て、1925年東京帝国大学法学部法律学科卒業。1925年朝鮮総督府に奉職。終戦時は慶尚北道内務部長、1946年引揚げ。1947年法政大学工業専門学校の教授から長野市助役となる。1951年長野県地方労働委員会事務局長。 1954年の長野市長選挙に立候補して初当選し、2期務めた。 在任中は飯綱高原の観光開発に乗り出し、スキー場やキャンプ場などを開設。
池田 宇右衛門(いけだ うえもん、1894年〈明治27年〉5… 池田 宇右衛門(いけだ うえもん、1894年〈明治27年〉5月3日 - 1960年〈昭和35年〉1月5日)は、日本の政治家。参議院議員。 長野県上水内郡三輪村(現長野市)生まれ。同郡上松農業会評議員を経て、長野市農会総代、副会長から会長となった。1928年(昭和3年)長野市会議員、1939年(昭和14年)長野県会議員となる。農村青年教育に力を入れ、中年青年代表者の指導員設置を提唱し、女子専門学校や市道展望道路の開通に尽力した。その他、養蚕組合長、長野県農会常任理事、全国都市農会常任理事、同副会長、長野市、長野県各参事会員、都市計画地方委員、長野県蚕糸会、同園芸協会各副会長、長野県花卉組合連合会、長野市農業協同養蚕組合連合会各会長などを歴任した。
小林 暢(こばやし とおる、1879年〈明治12年〉10月1… 小林 暢(こばやし とおる、1879年〈明治12年〉10月19日 - 1935年〈昭和10年〉1月2日)は、明治後期から昭和戦前期にかけての実業家・政治家。長野県更級郡信田村(現・長野市)の人物で、実業界では長野農工銀行や八十二銀行(前身六十三銀行を含む)の頭取を長く務め、政界では貴族院多額納税者議員を1期7年務めた。 小林暢は、1879年(明治12年)10月19日、長野県更級郡信田村(現・長野市信更地区)の素封家・小林元辰(士族)の長男として生まれた。父・元辰は1878年(明治11年)の大蔵省調査によると県を代表する大地主35人のうちの一人であった。1887年(明治20年)8月、父の死去により家を継ぐ。
飯島 正治(いいじま まさじ / しょうじ、文久元年5月22… 飯島 正治(いいじま まさじ / しょうじ、文久元年5月22日〈1861年6月29日〉 - 1922年〈大正11年〉7月24日)は、明治から大正時代にかけての日本の政治家・実業家である。政治家としては長野県会議員(1期)や衆議院議員(2期)を歴任、実業家としては六十三銀行頭取を長く務めた。号は雪州。 子に六十三銀行の後身にあたる八十二銀行で頭取を務めた飯島正一がいる。 飯島正治は、文久元年5月22日(新暦:1861年6月29日)、飯島新左衛門の長男として生まれた。飯島家は信濃国更級郡今井村(後の長野県更級郡中津村、現・長野市)の素封家。300年を越える旧家であり、先祖は上野国館林から移り住んできたと伝わる。
小坂 善之助(こさか ぜんのすけ、嘉永6年7月15日〈185… 小坂 善之助(こさか ぜんのすけ、嘉永6年7月15日〈1853年8月19日〉 - 大正2年〈1913年〉12月21日)は、日本の政治家、実業家。長野県会議員、衆議院議員を務めた。 明治23年(1890年)の帝国議会開設以来、4回衆議院議員に当選、中央政界に活躍するかたわら、信濃銀行(現みずほ銀行)を興し、山国長野県の豊富な水資源に着眼して長野電灯を創業、県下で最初の水力発電所をつくった。また信濃毎日新聞の基礎を固めた。 信濃国水内郡里村山村(1881年村山村に改称、現長野市)出身。父は3代目善之助(隠居名善三)。善之助の家は3代前に分家したもので、本家は代々名主を務めた豪家だった。 善之助は、少年時代から村の大将格で、村芝居ではつねに主役をつとめた。
鹿野 勇之進(かの ゆうのしん、1851年10月8日(嘉永4… 鹿野 勇之進(かの ゆうのしん、1851年10月8日(嘉永4年9月14日) - 1914年(大正3年)4月7日)は、日本の海軍軍人、政治家、華族。海軍中将正四位勲二等功三級男爵。貴族院議員。 信濃国松代藩士鹿野外守泰敬の子。明治4年(1871年)9月、海軍兵学寮(5期)に入学。1879年(明治12年)9月、海軍少尉任官。1885年(明治18年)9月、「筑波」分隊長となり、海軍兵学校教授兼生徒分隊長、「扶桑」分隊長、海軍大学校副官、海軍参謀部第1課員などを経て、1890年(明治23年)10月、海軍少佐に昇進。 1891年(明治24年)4月、「松島」回航事務取扱委員、同副長、練習船「干珠」艦長、横須賀水雷隊攻撃部司令などを歴任し、日清戦争では「西京丸」艦長として出征した。