鈴木 一人(すずき かずと、1970年10月13日 - )は… 鈴木 一人(すずき かずと、1970年10月13日 - )は、日本の政治学者。東京大学公共政策大学院教授。地経学研究所所長。専門は国際政治学、国際政治経済学、EU研究。 長野県上田市出身。1987年9月、千葉県立東葛飾高等学校を休学し、同年10月、父の仕事に伴い渡米してカリフォルニア州サンマリノ市立サンマリノ高等学校へ留学し、1989年6月、同高校卒業。1990年4月、立命館大学国際関係学部に入学。飛び級で同大学院に進学するため、1993年3月に中退。1995年3月、同大学院国際関係研究科修士修了、同年4月、研究科博士後期課程入学。英国留学のため、翌年3月退学。1996年9月、サセックス大学ヨーロッパ研究所に入学し、2000年9月、博士号取得。
菅沼 拓夫(すがぬま たくお、1969年 -)は、日本の情報… 菅沼 拓夫(すがぬま たくお、1969年 -)は、日本の情報工学者。東北大学教授。同大学サイバーサイエンスセンター 研究開発部 ネットワーク研究部 教授・センター長。大学院情報科学研究科 兼任。博士(工学)。長野県上田市出身。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
村上 勇介(むらかみ ゆうすけ、1964年 - )は、日本の… 村上 勇介(むらかみ ゆうすけ、1964年 - )は、日本の政治学者、地域研究者。京都大学東南アジア地域研究研究所教授。専門は、ラテンアメリカ地域研究、政治学。 長野県上田市出身。1982年3月、長野県上田高等学校卒業。1986年3月、東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業後、筑波大学大学院修士課程地域研究研究科に進学。メキシコ国費留学生(外務省)としてメキシコ国立自治大学国際関係センターで研究に従事した後、在ペルー日本国大使館、国立民族学博物館地域研究企画交流センター、京都大学地域研究統合情報センターを経て、2018年2月より現職。筑波大学より博士(政治学)の学位の取得。 日本ラテンアメリカ学会理事(2006~2010年)、地域研究コンソーシアム事務局長(2007~2009年)、神戸大学経済経営研究所共同研究員などを兼任。
塩入 諭(しおいり さとし、1958年 - ) は、日本の視… 塩入 諭(しおいり さとし、1958年 - ) は、日本の視覚科学者。東北大学電気通信研究所所長や、東北大学総長特別補佐、日本視覚学会会長、映像情報メディア学会副会長などを歴任した。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1981年東京工業大学工学部機械物理工学科卒業。1983年東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻修士課程修了。1986年東京工業大学大学院総合理工学研究科物理情報工学専攻博士後期課程修了(工学博士)。 同年東京工業大学総合理工学研究科研究生、モントリオール大学博士研究員。1989年国際電気通信基礎技術研究所視聴覚機構研究所研究員。1990年千葉大学工学部画像工学科助手。
松井 正文(まつい まさふみ、1950年 - )は、日本の動… 松井 正文(まつい まさふみ、1950年 - )は、日本の動物学者。京都大学名誉教授。両生類研究の第一人者で、日本動物学会賞を受賞した。元日本爬虫両棲類学会会長。 長野県上田市生まれ。長野県上田高等学校を経て、1972年信州大学繊維学部卒業。1975年京都大学大学院理学研究科博士課程中退、京都大学教養部助手。1984年理学博士。1987年京都大学教養部助教授。1991年京都大学大学院人間・環境学研究科助教授。1998年京都大学大学院人間・環境学研究科教授。2000年日本動物学会賞受賞。2015年京都大学名誉教授。両生類研究の第一人者で、日本爬虫両棲類学会会長などを歴任した。
二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )… 二宮 正人(にのみや まさと、1948年11月17日 - )は、ブラジルの法学者、弁護士、翻訳家。サンパウロ大学法学部博士教授。専門は、比較法、国際法、日伯外交史、移民史。長野県上田市出身。 ブラジル連邦共和国の弁護士(ブラジル弁護士会サンパウロ支部登録26565号)として、日本企業の法務に携わるほか、ブラジルと日本の両国の大学で教鞭をとる。留学先の東京大学大学院法学政治学研究科においては、高野雄一、池原季雄および星野英一にそれぞれ指導を受ける。 日系人の移民の歴史にも造詣が深く、また、日本の公人がブラジルを訪問した際、逆にブラジルの公人が日本を訪問した際の通訳を務める。 CIATE 国外就労者情報援護センター理事長、一般財団法人あしなが育英会賢人達人会メンバー、日本学術振興会(JSPS)顧問(サンパウロ海外アドバイザー)、国際協力機構(JICA)顧問を務める。
宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 信之(みやさか のぶゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。東京医科歯科大学名誉教授、同大学医学部附属病院元病院長。専門は膠原病内科学、臨床免疫学。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授である宮坂昌之は双子の兄に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。1973年(昭和53年)東京医科歯科大学医学部卒業後、同大学第一内科へ入局する。 1979年(昭和54年) カリフォルニア大学医学部へ留学し、1981年(昭和56年) には転じてテキサス大学医学部に留学する。帰国後には、1986年(昭和61年)東京女子医科大学リウマチ痛風センター助教授から、1989年(平成元年)には東京医科歯科大学難治疾患研究所教授となり、1995年(平成7年)に東京医科歯科大学第一内科教授となる。
宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月… 宮坂 昌之(みやさか まさゆき、1947年〈昭和22年〉9月18日 - )は、日本の医学者。大阪大学免疫学フロンティア研究センター招へい教授。専門は免疫学、実験病理学。東京医科歯科大学名誉教授である宮坂信之は双子の弟に当たる。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校へ進学し、中学時代から始めた剣道ではインターハイ出場を果たした。のちに京都大学へ進学し、1973年(昭和48年)に医学部を卒業した後は、田附興風会北野病院内科へ勤務した。翌年1974年には9月に開院されたばかりの金沢医科大学血液免疫内科にて助手として入局した。1977年(昭和52年) にはオーストラリア国立大学ジョン・カーティン医学研究所へ留学し、1981年(昭和56年)には免疫学博士課程修了し、Ph.D.(免疫学)を取得する。
伊藤 眞(いとう まこと、1945年2月14日 - )は、日… 伊藤 眞(いとう まこと、1945年2月14日 - )は、日本の法学者。専門は民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・倒産法・裁判法。東京大学名誉教授。早稲田大学客員教授。日本大学客員教授。日本学士院会員。三ヶ月章門下。弟子に菱田雄郷など。 長野県上田市生まれ。新訴訟物理論を提唱した三ヶ月章を師に持ちながら、実務の採用する旧訴訟物理論に立脚し理論を展開。 資格試験予備校「伊藤塾」の塾長である、伊藤真(いとう まこと)とは別人である。
池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日 - )は内… 池田 義雄(いけだ よしお、1935年3月29日 - )は内科学を専門とする日本の医学者。日本生活習慣病予防協会理事長、セルフメディケーション推進協議会会長、タニタ体重科学研究所所長、糖尿病治療研究会代表幹事などを務める。 長野県上田市出身。1961年に東京慈恵会医科大学医学部を卒業、同大学講師、助教授、教授を務め、2000年に退任。医学博士。 1997年度日本肥満学会会長。厚生労働省薬事・食品衛生審議会新開発食品調査部会委員。2005年日本糖尿病学会坂口賞を梶沼宏と共同で受賞。日本糖尿病・肥満動物学会第5回平成24年後藤賞受賞。2014年度(平成26年)日本肥満学会功労賞受賞。 2011年の池田の著書『量る・計る・食べるダイエット』がトーハン調べ「2011年 年間ベストセラー」に入った。
山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25… 山本 草二(やまもと そうじ、1928年(昭和3年)2月25日 - 2013年(平成25年)9月19日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(東京大学・1969年)(学位論文「宇宙通信の国際法-国際企業の法形態として-」)。東北大学名誉教授。国際海洋法裁判所裁判官。長野県上田市出身。長男は外交官の山本条太。
小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )… 小嶋 謙四郎(こじま けんしろう、1925年3月28日- )は、日本の心理学者、早稲田大学名誉教授。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1949年早稲田大学文学部哲学科心理学卒業。1974年「乳幼児における自己制御機構の発達的研究」で文学博士。早大講師を経て、1959年文学部教授。家庭裁判所研修や国立公衆衛生院の講師も併任した。1995年定年退官、名誉教授。
久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月… 久保田 晴寿(くぼた せいじゅ、1923年(大正12年)6月26日 - 2004年(平成16年)8月31日)は、日本の薬学者。専門は薬品合成化学。 長野県上田市出身。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1946年京都帝国大学医学部薬学科卒業。1947年母校助手。1951年徳島大学薬学部助教授、1957年教授、1972年薬学部長を経て、1988年に徳島大学学長に就任し1991年に学長を退任。退任後の1992年に大阪薬科大学学長に就任、1995年に同大学学長を退任。1997年、勲二等旭日重光章受章。 1953年、京都大学薬学博士。論文名は「アセチレンとアンモニアの縮合に関する研究」。 2004年に急性呼吸不全のため徳島県小松島市の病院で死去。
松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 20… 松井 正直(まつい まさなお、1917年12月9日 - 2012年3月12日)は日本の農芸化学者。東京大学名誉教授、理化学研究所名誉研究員。生理活性天然物の合成に関する研究領域の第一人者として活躍した。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1938年旧制静岡高等学校理科卒業、1941年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。同年台湾製糖に入社し、理化学研究所に研究員として派遣され、1942年に理研研究員のまま理研栄養食品に移り、1945年住友化学に勤務しながら京都帝国大学に4年間派遣された。1953年東大助教授となり、1956年同教授。1967年から1978年まで理研主任研究員を兼ねる。
土屋 敦博(つちや あつひろ、1916年11月23日 - 2… 土屋 敦博(つちや あつひろ、1916年11月23日 - 2002年10月6日)は、日本の保健学者。専門は障害児病理、スポーツ医学。博士(医学)。 長野県上田市出身。日本体育大学(旧制日本体育専門学校)卒業。信州大学教授を経て、長野大学教授。1972年から学長代行を務め、1977年正式に学長を歴任。 その他、1964年から1968年まで長野県サッカー協会会長を歴任。1960年上田市体育協会功労賞受賞。1964年長野県スポーツ協会スポーツ振興功績者有功賞受賞。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - … 小泉 清明(こいずみ きよあき、1904年12月17日 - 1977年10月26日)は、日本の生物学者。理学博士(1935年)。信州大学教授などを歴任。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、1928年京都帝国大学農学部農林生物学科卒業。翌年、母校講師。理学博士(1935年)。 1930年台北帝国大学助教授、1944年熱帯医学研究所所長、1949年岐阜師範学校(学制改革により岐阜大学教育学部)教授、1958年信州大学教授、1960年同繊維学部長などを歴任し、1969年定年退官。 日本生態学会環境問題専門委員会委員長、長野県水質審議会委員、日本学術会議自然保護研究連絡委員会委員なども務める。
長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4… 長谷川 晃一(はせがわ こういち、1903年(明治36年)4月1日 - 1967年(昭和42年)4月25日)は、早稲田大学政治経済学部教授、同学部教養諸学研究会評議員、早稲田大学世界連邦研究会会長、世界連邦建設同盟常任理事・国際部長。 1903年4月1日、長野県上田市に生まれる。 1920年5月、渡米しカリフォルニア州の商業高校に入学し、1923年6月に卒業する。同年9月、オハイオ州のマイアミ大学に入学する。1927年6月に卒業し、政治経済学でB.A.の学位を受ける。同年9月、シンシナティ大学大学院都市行政学科に入学する。1928年6月、修了しM.A.(修士)の学位を受ける。同年9月、コロンビア大学大学院の市政学科に入学する。
山極 一三(やまぎわ かずみ、1897年(明治30年)4月2… 山極 一三(やまぎわ かずみ、1897年(明治30年)4月26日- 1968年(昭和43年)5月19日)は、日本の医学者、生理学者、脳波研究者。医学博士。 日本人初の脳波研究者である。ただし帰国後は脳波研究からは手を引く。興奮伝導に関する理論研究に専念した。 東京高等歯科医学校(後の東京医科歯科大学)教授を務めた。 長野県小県郡西塩田村で出生、2,3才の頃東京に移る。大正4年に東京府立第三中学校を卒業、大正8年に第一高等学校を卒業、大正13年に東京帝国大学医学部医学科を卒業。昭和6年12月から橋田邦彦研究室の助教授を務めた。橋田門下での最優秀の学者と評される。 昭和8年、ヨーロッパへ留学。昭和11年まで主にケンブリッジ大学のエドガー・エイドリアン(1932年ノーベル生理学賞受賞)の下でヒト頭皮上計測脳波黎明期の研究に従事した。
小口 忠太(おぐち ちゅうた、1875年1月6日 - 194… 小口 忠太(おぐち ちゅうた、1875年1月6日 - 1945年7月23日)は、日本の医師、医学者。特に眼科学の分野で著名な人物である。 長野県小県郡上田町(現上田市)生まれ。 1889年(明治22年)長谷川泰の済生学舎(のちの日本医学校、日本医学専門学校を経て日本医科大学)に入門し、3年で医師免状を下付された。 さらに東京帝国大学の選科生として河本重次郎に学び、修了後は軍医として1894年(明治27年)には日清戦争、1905年(明治38年)には日露戦争に従軍。陸軍軍医学校教官、陸軍医務局御用掛となる。 その後は東京第一衛戍病院に勤務。その間、「小口病」として学会に認められた特異な眼病患の最初の研究が成された。