日淳(にちじゅん、1898年(明治31年)10月10日 - … 日淳(にちじゅん、1898年(明治31年)10月10日 - 1959年(昭和34年)11月17日)は、日蓮正宗の僧侶。大石寺第65世法主。姓は堀米。竜谷阿闍梨。院号は信乗院。道号は泰栄。 1898年(明治31年)、長野県伊那市坂下町、堀米暦太郎の次男として誕生。幼名は寿万男(すまお)。10歳で父と死別。1911年(明治44年)、伊那市信盛寺の当時の住職、岡田道篤のもとへ得度し、諦栄と名乗ったが、のちに大石寺第57世日正に師僧変更し道号を泰栄(たいえい)と改名。 1922年(大正11年)6月には神奈川教会所担任教師に、同年12月に大石寺百貫坊住職となり、その後、京都・住本寺住職取り扱い、東京中野教会(後の昭倫寺)主管(信盛寺住職兼任)、東京・常泉寺住職を歴任。
渋谷 紫郎(しぶや しろう、1893年〈明治26年〉11月1… 渋谷 紫郎(しぶや しろう、1893年〈明治26年〉11月18日 - 1945年〈昭和20年〉1月12日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争初期に第十六駆逐隊司令として南方攻略戦に参加し、のち第百一戦隊司令官として戦死した海軍中将である。 長野県出身。海軍兵学校44期で、席次は95名中32番。1917年(大正6年)少尉任官。渋谷は海軍水雷学校高等科学生を修了した水雷専攻士官で、ほぼ一貫して海上勤務に終始した海上戦闘の猛者であった。4艦の水雷長、3艦の駆逐艦長、軽巡洋艦「神通」副長を経て、第一水雷隊及び第二十七駆逐隊の司令を務めた。この間1928年(昭和3年)少佐、1934年(昭和9年)中佐へ進級。1939年(昭和14年)11月大佐へ進級し、第一掃海隊司令、第七駆逐隊司令を経て第十六駆逐隊司令に就任。
山岸 主計(やまぎし かずえ、1891年 - 1984年)は… 山岸 主計(やまぎし かずえ、1891年 - 1984年)は、日本の木版画家。 1891年、長野県上伊那郡美篶村(現・伊那市)に生まれ、15歳で上京し木版彫刻家、武藤李吉に師事。やがて師匠に代わり読売新聞社に勤めるようになり、挿画を彫り木版の腕を磨くと同時に、黒田清輝率いる葵橋洋画研究所で美術を学んだ。 1926年には、文部省より欧米における版画についての調査を託され渡航。各国で視察と版画の実技を行いながら、後に着手するシリーズ『世界百景』の写生を進める。帰国後は、絵を描き、版を彫り、紙に刷るまでを単独で行う"創作版画"に取り組むいっぽう、横山大観や石川寅治ら画家の作品を版画にするなど精力的に活動した。
矢崎 邦次(やさき くにじ、1890年 <明治23年> 2月… 矢崎 邦次(やさき くにじ、1890年 <明治23年> 2月28日 - 1977年 <昭和52年> 1月23日)は、日本の経営者。長野県伊那市出身。位階は正五位。 1916年に東京高等商業学校を卒業し、同年に第一銀行に入行。1941年7月に取締役に就任し、1945年3月に澁澤倉庫専務を経て、1949年5月には社長に就任。1956年5月から1958年5月までに会長を務めた。 1971年11月に勲三等瑞宝章を受章。 1977年心臓発作のために死去。87歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
有馬 浅雄(ありま あさお、明治17年〈1884年〉2月15… 有馬 浅雄(ありま あさお、明治17年〈1884年〉2月15日 - 昭和18年〈1943年〉10月6日)は、日本の政治家。衆議院議員。 長野県上伊那郡伊那部村(現伊那市)生まれ。明治41年(1908年)に上京し、東京府北豊島郡滝野川町役場の吏員となる。後に助役、町長に推挙され、東京府会議員となる。 東京府税務協議会長、東京府五郡町村互助会長、大日本消防協会理事、帝都教育会理事など各種団体の役員、顧問、相談役に就任して奔走し、九十九里漁業会社などの企業重役も務める。 昭和7年(1932年)第18回衆議院議員総選挙に長野県3区から出馬し当選、同年東京市会議員に当選。同11年(1936年)に政界を引退し、大政翼賛会東京支部常務員となったが、太平洋戦争中の同18年(1943年)に没した。
松島 肇(まつしま はじめ、1883年2月20日 - 196… 松島 肇(まつしま はじめ、1883年2月20日 - 1961年4月15日)は、日本の外交官。
三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 … 三沢 寛一(みさわ かんいち、1882年(明治15年)9月 - 1968年(昭和43年)7月15日)は、日本の文部・内務官僚、政治家。北海道札幌市長、山形県知事、島根県知事、札幌観光協会長。
三津木 春影(みつぎ しゅんえい、1881年10月15日 -… 三津木 春影(みつぎ しゅんえい、1881年10月15日 - 1915年7月8日)は、小説家・翻訳家。本名は一実(かずみ)。男性。
春日 政治(かすが まさじ、1878年4月1日 – 1962… 春日 政治(かすが まさじ、1878年4月1日 – 1962年6月30日)は、日本の国語学者。平安時代初期の古経典から仮名や古訓点の研究に業績を残し、訓点語学の基礎を築いた。
池上 秀畝(いけがみ しゅうほ、1874年(明治7年)10月… 池上 秀畝(いけがみ しゅうほ、1874年(明治7年)10月11日 - 1944年(昭和19年)5月26日)は、明治時代から昭和にかけての日本画家。特に山水・花鳥画を得意とした。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)に紙商兼小間物屋の次男として生れる。本名は國三郎。祖父池上休柳は、家業は番頭に任せて高遠藩・御用絵師に狩野派を学び、慶応2年(1866年)には自らの画論『松柳問答』を刊行、その翌年亡くなっている。父池上秀華も、岡本豊彦から四条派を学び、祖父と同様、俳句や短歌を詠み、茶道や華道に凝るといった趣味三昧の生活ぶりだったという。今でも高遠から上伊那各地の旧家には、彼らの作品が所蔵されている。
豊島 恕平(とよしま じょへい、1862年〈文久2年〉 - … 豊島 恕平(とよしま じょへい、1862年〈文久2年〉 - 1920年〈大正9年〉9月29日)は、信濃国伊那郡高遠(現・長野県伊那市高遠町)出身の医師・実業家・政治家。高遠電灯社長、高遠電気軌道創立者。立憲政友会所属。長野県会議員(2期)。 文久2年(1862年)、信濃国伊那郡高遠(現・長野県伊那市高遠町)に生まれた。父親は高遠藩士の亀井則義であり、恕平は九男だった。親戚の豊島篤次は長崎県で官吏(裁判所刑事部)を勤めており、亀井恕平は豊島家に養子に入った。1878年(明治11年)4月には長崎中学校を卒業して長崎医学校に入学した。 1884年(明治17年)には医術開業試験に合格して医師開業免許を受け、三菱会社の高島炭鉱病院に勤務した。
中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年… 中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年1月25日〕 - 昭和4年〔1929年〕7月7日)は日本の林学者・農商務官僚・政治家(代議士)。号は「背水」または「背山」で、通称「背水将軍」。 日本初の林学博士の一人で、原敬首相暗殺犯中岡艮一の大叔父(中岡の父・精の叔父)にあたる。歴史学者の中山久四郎元東京文理科大学教授は養子で、その長女二三子は、南洋拓殖社長を務めた下田文一の妻。 信濃国伊那郡高遠城下(現在の長野県伊那市)に儒学者・中村元起(黒水と号す)の二男として生まれる。中村家は代々高遠藩の藩儒の家柄。明治2年(1869年)上京し安井息軒に学んだのち、翌年貢進生として開成学校に入学する。
伊沢 修二(いさわ しゅうじ、旧字体:伊澤、1851年7月2… 伊沢 修二(いさわ しゅうじ、旧字体:伊澤、1851年7月27日(嘉永4年6月29日) - 1917年(大正6年)5月3日)は、日本の教育者、文部官僚。近代日本の音楽教育、吃音矯正の第一人者である。号は楽石。 信濃国高遠城下(現在の長野県伊那市高遠町)に高遠藩士の父・勝三郎、母・多計の子として生まれる。幼名は八弥。父は20俵2人扶持の低禄の下級武士のため極端な貧乏暮らしだった(事実上1年4人で分け与えなけければならないこととなっている)。 1861年(文久1年)から藩校進徳館で学び、1867年(慶応3年)に江戸へ出府。ジョン万次郎に英語を学ぶ。万次郎が欧米に出張すると、1869年(明治2年)に築地に転居したアメリカ合衆国長老教会の宣教師カラゾルスから英語を学ぶ。
高橋 白山(たかはし はくざん、天保7年12月(1837年)… 高橋 白山(たかはし はくざん、天保7年12月(1837年) - 明治37年(1904年)3月10日)は幕末の漢学者。明治時代の教育者。諱は利貞。字は子和。通称は敬十郎。信州教育の開拓者と呼ばれる。 信濃国伊那郡高遠城下に高遠藩儒の高橋利常(確斎)の長男として生まれる。藩校進徳館で中村元起に学び、16歳で助教、文久3年(1863年)には師範代となり藩主の侍講も兼帯した。好学にして博識、在任の13年間で進徳館の蔵書3万冊をほとんど読みつくしたという。文政年間に江戸に出て藤森天山に入門、鷲津毅堂、大沼枕山らと交流した。 明治維新の際には白山の思想は危険視され、長尾無墨と共に藩を追放される。その後、幕府領の手良村野口(現伊那市)で開塾し、医者も兼ねた。
長尾 無墨(ながお むぼく、天保3年(1832年) - 明治… 長尾 無墨(ながお むぼく、天保3年(1832年) - 明治27年(1894年)11月3日)は、日本の南画家、教育者である。幼名は佐伝次、諱は冀北、通称は平右衛門、別号に天雁、張天梅、千里などがある。 『説諭要略』や『善光寺繁昌記』を書いたことでも有名。明治時代、中央で活動したにもかかわらず、写真や肖像画はこれまでに見つかっていない。 信濃国伊那郡高遠藩の藩士・宇夫形豊久の長男として高遠城下(現・長野県伊那市)に生まれる。高遠藩は学問が盛んだったことで知られているが、その高遠藩が育てた人材の一人である。学問を父と中村元恒に学び、詩文に長じ、特に絵画を得意とした。万延元年(1860年)に藩校・進徳館が開講すると、27歳でその大助教に迎えられた。
須田 泰嶺(すだ たいれい、文政8年5月5日(1825年6月… 須田 泰嶺(すだ たいれい、文政8年5月5日(1825年6月20日) - 明治41年(1908年)9月5日)は日本の医師(蘭方医)。諱は経哲 、号は経石、老嶺。 信濃国伊那郡西伊那部村(三州街道伊那部宿、現長野県伊那市)の医家に生まれる。弘化元年(1844年)には江戸の林洞海、嘉永元年(1848年)には佐倉の佐藤泰然に入門し蘭方医学を学んだ。嘉永4年(1851年)に帰郷して外科、産科を開業し、種痘を実施したことで高遠藩から賞詞を授かった。また天保の大飢饉に直面する農民の飢餓を『天保雑記』に記した。 安政4年(1857年)藩命で再び上京し、林洞海と伊東玄朴に入門し、象先堂の塾頭を務め、文久元年(1861年)、麻酔薬クロロホルムを使用した下腿切断手術を日本で初めて実施した。
木下 リョースケ(きのした リョースケ、10月12日 - )… 木下 リョースケ(きのした リョースケ、10月12日 - )は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト。長野県伊那市出身。 五十嵐公太が開校している学校でキーボード講師として務める。 2000年、サポート・キーボードとして活動を始める。 2002年、ビジュアル系バンド・シドの前身バンド「SHULA」に加入。 2003年、ロックバンド「camino」にRYOSUKEとして加入し、キーボード・マニピュレーターを担当。テキサス州ダラスにて行われた『Project A-Kon 14』に出演し、初の海外ライブを行う。以降サンノゼ、ヒューストン、ニューオリンズ、ワシントンDC、トロントなど数年にわたりアメリカ、カナダにてライブを行っている。
有賀 照人(あるが てると、9月9日[要出典] - )は、日… 有賀 照人(あるが てると、9月9日[要出典] - )は、日本の漫画家。長野県伊那市出身。[要出典] 高校3年生の時、週刊少年ジャンプ「ホップ・ステップ賞」で佳作受賞。1987年、『週刊少年ジャンプ』49号掲載の「セーラー服騎士」で十代デビュー。[要出典]その後、1988年、『週刊少年ジャンプ』36号から「舞って!セーラー服騎士」を連載。1999年から『ビジネスジャンプ』にて警視総監アサミを連載開始。2016年から『週刊漫画ゴラク』や[要出典]『ゴラクエッグ』にパラダイスシリーズを発表。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
中嶋 智子(なかじま ともこ、4月5日 - )は、元福井放送… 中嶋 智子(なかじま ともこ、4月5日 - )は、元福井放送 (FBC) アナウンサー、元NHK長野放送局契約キャスター。 長野県松本市で生まれ、大町市・長野市・伊那市で育つ。本人は伊那市を出身地としている。高校を卒業した後は志望大学に入るために浪人生となるが、その頃に地元長野のテレビ局から受けた取材をきっかけに放送業界を志す。 大学を卒業後の2005年4月、福井放送に入社した。同期に元同局アナウンサーの鶴渕さやかがいる。中嶋はFBC入社前に東京アナウンスセミナーに通っていたことがあるが、そこでも鶴渕と同期であった(共に5期生)。 2011年3月にFBCを退社して長野へ帰郷し、同年4月から地元NHK長野放送局の契約キャスターを務めていた。
紿田 英哉(たいだ ひでや)は、日本の実業家。丸紅専務取締役… 紿田 英哉(たいだ ひでや)は、日本の実業家。丸紅専務取締役、丸紅英国会社(現・丸紅欧州会社)社長、丸紅経済研究所会長、国際教養大学特任教授・理事を務めた。 長野県伊那市出身。長野諏訪清陵高等学校を経て、東京大学教養学部卒業。丸紅入社。同社常務取締役を経て、同社専務取締役、丸紅英国会社(現・丸紅欧州会社)社長、丸紅経済研究所会長。2002年国際交流基金理事・日米センター所長。スズキ・メソード国際協会(ISA)理事長、国際教養大学特任教授・理事、アークヒルズクラブ専務理事、学校法人桐朋学園理事、国際経済交流財団理事、サイトウキネン財団評議員、空港総合研究所理事、アメリカ研究振興会理事などを務めた。
平澤 真希(ひらさわ まき)は、日本のピアニスト、作曲家。長… 平澤 真希(ひらさわ まき)は、日本のピアニスト、作曲家。長野県伊那市出身。平澤音楽事務所所属。 大手企業役員などを歴任した平澤家の長女として生まれる。3歳の時からピアノを始め各ピアノ・コンクールに入賞。長野県伊那北高等学校を経て、東京音楽大学に入学。在学中にカロル・シマノフスキの音楽に強い影響を受ける。 1993年(平成5年)、霧島国際音楽祭グランプリ受賞。この折、音楽祭審査委員として来日していたポーランドの名ピアニスト、レギナ・スメンジャンカに才能を認められ、ショパン音楽アカデミーに奨学金特待生として留学。シマノフスキの作品を中心に、ピアノソロ、ヴァイオリンデュオ、コンチェルト等、幅広いレパートリーを習得し、在学中からポーランド各地で演奏活動を行なう。
天津 冴(あまつ さえ)は、日本の漫画家。男性。長野県伊那市… 天津 冴(あまつ さえ)は、日本の漫画家。男性。長野県伊那市出身。 まりお金田(伊原金蔵)等と大野哲也のアシスタントとして活動していた。まんがの森津田沼店で副店長していたことがある。成人誌でデビューし、成人本を2冊出したのち、角川書店の『エースネクスト』で一般誌にデビュー。同社の『月刊少年エース』をメインに執筆しており、同誌に連載された「がぁーでぃあんHearts」はドラマCD化、OVA化され出世作となる。その後『月刊少年エース』にて「まるごと♥杏樹学園」を、『月刊少年エース』および『エースアサルト』にて「くらくらくー」を連載。『月刊少年エース』2009年4月号にて読み切り「ゆずchu♥」を掲載、2009年(平成21年)7月に創刊された『ヤングエース』にて若干設定を変更して連載。