伊佐治 好音(いさじ たかね、1995年10月4日 - )は… 伊佐治 好音(いさじ たかね、1995年10月4日 - )は、三重テレビ放送 (MTV) の女性アナウンサー。 岐阜県中津川市出身。岐阜県立中津高等学校、名古屋市立大学人文社会学部卒業 。名古屋のアナウンサーワークショップNAWS出身 2018年、大垣ケーブルテレビに入社。2021年3月退社。 2021年4月、三重テレビ放送に移籍。2021年5月7日に同局のInstagramで顔見せライブ配信を行った。2024年自身が制作した『受刑者と社会を結ぶ くみひも』が全国制作者フォーラム2024で『丹羽美之賞』受賞した。
山田 元気(やまだ げんき、1994年12月16日 - )は… 山田 元気(やまだ げんき、1994年12月16日 - )は、岐阜県中津川市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ブラウブリッツ秋田所属。ポジションはゴールキーパー。 空中戦の高さと安定感のあるシュートストップが持ち味。 一卵性双生児 兄の山田大地もサッカー選手(アルテリーヴォ和歌山所属。ポジションはディフェンダー)。 小学校2年生の時、中津川市のFC XEBECへ入団しサッカーを始めた。4年生からGKとなり、中学3年生までDFの双子の兄とともに兄弟でチームの守備の要として活躍した。中学校卒業後は地元を離れ、京都サンガF.C.U-18へ入団。しかし京都U-18では1年上に杉本大地がおり、出場機会に恵まれなかった。
中嶋 茜(なかしま あかね、1990年8月17日 - )は、… 中嶋 茜(なかしま あかね、1990年8月17日 - )は、日本の女子ゴールボール選手。元ゴールボール女子日本代表。クラスは視覚障害カテゴリーB2。 岐阜県中津川市出身、岐阜県立岐阜盲学校時代にゴールボールを始める。2009年にカナダのモントリオールオープントーナメント、東京で開かれたアジアユースパラゲームズと優勝。翌年マレーシアで開催されたアジア選手権大会でも優勝。 日本福祉大学在学中にロンドンパラリンピック(2012年)のゴールボール女子日本代表として欠端瑛子、浦田理恵、安達阿記子らとともに出場 、金メダルを獲得した。 同年、中津川市民栄誉賞を受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
山口 剛(やまぐち たけし、男性、1989年4月4日 - )… 山口 剛(やまぐち たけし、男性、1989年4月4日 - )は、日本のレスリング選手。ブシロードクラブ所属。身長180cm。 岐阜県中津川市出身。中津商業高校、早稲田大学スポーツ科学部卒業。 中津川市立西小学校時代は柔道を経験していたが、中学時代、柔道の練習の一環でレスリングを体験し、そこから本格的にレスリングを始める。 高校時代では、全国高等学校選抜レスリング大会、全国総体、全国高校生グレコローマンスタイル選手権、国体を制し、四冠王に輝く。 2011年8月、全日本学生レスリング選手権大会フリースタイル84kg級で優勝。 2012年7月24日、秋葉原・UDXシアターで行われた「新日本プロレスxブシロード戦略発表会2012(夏)」にて、永田裕志よりスカウトを受け、ブシロードクラブの第1号として入門。
松原 大祐(まつばら だいすけ、1987年11月8日 - )… 松原 大祐(まつばら だいすけ、1987年11月8日 - )は、元静岡第一テレビのアナウンサー。岐阜県中津川市出身。実妹は中京テレビアナウンサーの松原朋美。 岐阜県立中津高等学校では野球部に所属。大学受験の際には、青山学院大学と大阪府立大学に合格し、キャンパスがオシャレだったからという理由で青山学院大学国際政治経済学部国際経済学科に進学し、卒業する。 2010年4月、熊本朝日放送に入社。 2019年3月、熊本朝日放送を退社ののち、4月に静岡第一テレビに入社。 2021年9月6日、新型コロナウイルスに感染したことを『every.しずおか』にて公表ししばらく休養していたが、9月20日の同番組で復帰を公表した。
原 杏奈(はら あんな、1985年8月21日 - )は、日本… 原 杏奈(はら あんな、1985年8月21日 - )は、日本のタレント、モデル。旧芸名は「原 アンナ」(読み方同じ)。岐阜県中津川市出身。ケイダッシュステージ所属。元夫はお笑いコンビHi-Hiの上田浩二郎。
山内 太地(やまうち たいじ、1978年1月10日 - )は… 山内 太地(やまうち たいじ、1978年1月10日 - )は、日本のライター、大学研究家、教育ジャーナリスト、学校経営コンサルタント。主に日本の大学の研究を専門とし、大学についての記事を手がける。 岐阜県中津川市出身。岐阜県立中津高等学校、東洋大学社会学部社会学科卒業。東洋大学在学中にマスプロ教育に疑問を持ち、他大学に関心を持つようになる。初めて行った他大学は学習院大学で、以後国内外の大学のキャンパスを訪問している。2009年10月21日に沖縄キリスト教学院大学を訪問し、日本国内の4年制大学773校をすべて訪問した 学生時代には、松本哉の思想に感銘を受け、法政の貧乏くささを守る会と連携した「東洋の貧乏くささを守る会」を結成、「全日本貧乏学生総連合」へ加盟するとともに大学内で鍋闘争などを実行した。
小栗 仁志(おぐり ひとし、1968年6月1日 - )は日本… 小栗 仁志(おぐり ひとし、1968年6月1日 - )は日本の政治家、実業家。岐阜県中津川市長(1期)。元共栄液化ガス代表取締役社長。 1968年6月1日生まれ。岐阜県中津川市出身。 岐阜県立恵那高等学校、東京国際大学を経て三菱液化ガス(現:アストモスエネルギー)に入社。東京には10年間過ごした。 1997年、郷里の中津川に戻り家業である共栄液化ガスに入社。2009年、代表取締役社長に就任した。 この間、岐阜県LPガス協会会長、中津川市倫理法人会会長、中津川市教育委員会委員長も務めた。 2024年1月14日投開票の中津川市長選挙に地元経済界などに擁立され出馬。現職の青山節児を大差で破る。※当日有権者数:61,728人 最終投票率:59.21%(前回比:16.82pts) 開票結果は、当選 小栗仁志 55歳 無所属 新 22,977票、青山節児 72歳 無所属 現 13,059票だった。
杉本 達治(すぎもと たつじ、1962年〈昭和37年〉7月3… 杉本 達治(すぎもと たつじ、1962年〈昭和37年〉7月31日 - )は、日本の政治家、自治官僚。元福井県知事(公選第19代・20代)。 官僚時代から続くセクハラ行為が2025年に発覚。同年12月4日に福井県知事を辞職した。 岐阜県中津川市出身。岐阜県立多治見北高等学校卒業。1986年3月、東京大学法学部卒業。1986年4月に旧自治省に入省。 2018年11月2日、任期満了に伴う福井県知事選挙に立候補する意向を表明。同月、総務省を退官。 2019年4月7日に行われた福井県知事選挙は、福井県議会の自由民主党所属議員(県会自民党)のうち、党本部の方針により福井県連は杉本を支持した。これに反発して現職知事の西川一誠を支持する議員が別会派を結成するなど分裂選挙となった。
日置俊次(ひおき しゅんじ、1961年)は、日本の歌人、小説… 日置俊次(ひおき しゅんじ、1961年)は、日本の歌人、小説家、日本近代文学研究者、青山学院大学文学部教授。専門は横光利一、夏目漱石、芥川龍之介、宮沢賢治、窪田空穂、井伏鱒二、太宰治、中島敦、正岡子規、村上春樹、泉鏡花などの作家論のほか、宮崎駿、細田守などを始めとする現代アニメーション論。また、馬場あき子、岩田正などを始めとする現代短歌論。 岐阜県中津川市生まれ。岐阜県立中津高等学校、東京大学文学部国文学科卒業。在学中、サンケイ・スカラシップ奨学生としてフランスへ留学、エクス・マルセーユ第1大学にて言語学を専攻、その後東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、博士課程中退。フランス政府給費留学生としてソルボンヌのパリ第3大学大学院博士課程で比較文学専攻、DEA取得。
恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )… 恵那櫻 徹(えなざくら とおる、1960年7月29日 - )は、岐阜県恵那郡坂下町(※現役当時、現・同県中津川市)出身で押尾川部屋に所属した元大相撲力士。本名は早川 徹(はやかわ とおる)。最高位は西前頭筆頭(1990年11月場所)。現役時代の体格は180cm、135kg。得意手は右四つ、突っ張り、押し。 一時「恵那桜」と新字の「桜」を使った時期もあったが、本記事では便宜上「恵那櫻」の表記で通す。 岐阜県立恵那北高等学校(※2007年3月限りで廃校となり、岐阜県立中津高等学校へ統合)を中退後、押尾川部屋に入門。もともとは料理人志望で、中学卒業後は料理の専門学校に通うつもりでいた。入門の動機は、押尾川親方(元大関・大麒麟)から勧誘を受けた時に「力士になれば、ちゃんこ料理を作れるよ」と言われた事だという。
曽我 信之(そが のぶゆき、1952年2月26日 - )は日… 曽我 信之(そが のぶゆき、1952年2月26日 - )は日本の実業家。株式会社FUJI代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長、一般社団法人日本ロボット工業会理事。 岐阜県中津川市出身。1975年名古屋工業大学経営工学科卒業、富士機械製造入社。1997年富士電機製造経営企画室長。2006年富士機械製造ハイテック事業本部事業企画室長。2007年富士機械製造取締役執行役員。2008年富士機械製造取締役常務執行役員。2009年富士機械製造代表取締役社長。2019年社名をFUJIに変更し、同社代表取締役社長。2019年FUJI代表取締役会長に就任。日本ロボット工業会理事や、日本工作機械工業会理事も務めた。
大山 耕二(おおやま こうじ、1949年(昭和24年)9月2… 大山 耕二(おおやま こうじ、1949年(昭和24年)9月29日 - )は、日本の建設・国土交通技官、政治家。元中津川市長(2期)。 岐阜県中津川市出身。中津川市立西小学校、中津川市立第一中学校、岐阜県立中津高等学校、名古屋大学工学部土木工学科卒業。1975年3月、名古屋大学大学院工学研究科修士課程修了。同年4月、建設省に入省。1992年4月、豊田市助役に就任。1999年、和歌山県土木部長に就任。その後、名古屋国道事務所長などを経て、2003年7月、国土交通省中部地方整備局副局長に就任。 2004年4月18日に行われた中津川市長選挙に自民党・民主党・公明党の推薦を受けて立候補。現職の中川鮮を破り、初当選を果たした。
交告 弘利(こうけつ ひろとし、1946年8月20日 - )… 交告 弘利(こうけつ ひろとし、1946年8月20日 - )は、岐阜県中津川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。纐纈 弘利とする文献もある。 岐阜短期大学付属岐阜高等学校(現・岐阜第一高等学校)在学中に、阪神タイガースの熱心なスカウトを受け、高校2年時の1963年に高校を中退して、阪神に入団した。 翌1964年に投手として選手登録。当時の阪神の投手コーチだった、杉下茂が惚れ込んだ逸材だったが、体が硬く全体的にギクシャクしていたため、プロでは伸び悩んだ。スリークォーターよりやや下から繰り出される球には、伸びや切れも感じられなかったと伝わる。1965年10月5日の巨人戦(後楽園球場)がプロ初登板。
那須野 昌隆(なすの よしたか、1946年 - )は、日本の… 那須野 昌隆(なすの よしたか、1946年 - )は、日本の実業家。西濃運輸株式会社・代表取締役社長である。岐阜県中津川市出身。愛知大学法経学部卒業。 愛知大学法経学部法学科を卒業後、1968年西濃運輸株式会社に入社。以来41年間に亘り西濃運輸一筋に勤務。中部地区営業部長を経て、1997年取締役、2003年常務、2007年専務、2008年副社長、2009年4月より社長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、企業に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 経済)。
大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は… 大島 史洋(おおしま しよう、1944年7月24日 - )は、日本の歌人。本名読み、ふみひろ。岐阜県中津川市出身。歌誌「未来」選者・運営委員長。現代歌人協会理事長。歌人としての実作活動のみならず、「未来」誌の編集実務を取り仕切る編集者としても活躍。マガジンハウスで「鳩よ!」などの編集長を務めた大島一洋は兄。
吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5… 吉田 喜昭(よしだ よしあき、1937年〈昭和12年〉4月5日 - 2001年〈平成13年〉1月24日)は、日本の脚本家、絵本作家である。日本脚本家連盟信託者。生前は日本放送作家協会会員、東洋大学講師であった。『ムーミン』『昆虫物語 みなしごハッチ』等のテレビアニメーションの脚本家として知られ、『天才バカボン』『ど根性ガエル』『ジャングル黒べえ』『元祖天才バカボン』『ろぼっ子ビートン』ではメイン作家であった。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田義昭(1932年 - 1989年)は同音異字の別人、テレビドラマデータベース等で混同されている作詞家・作曲家の古田喜昭(1949年 - )は一字違いの別人。
亀井 俊介(かめい しゅんすけ、1932年8月14日 - 2… 亀井 俊介(かめい しゅんすけ、1932年8月14日 - 2023年8月18日)は、日本の比較文学者、アメリカ文学者、アメリカ大衆文化研究者。東京大学名誉教授。 岐阜県中津川市生まれ。新制岐阜県立中津高等学校卒業。1953年、東京大学文学部英文科卒。1952年、同大学院比較文学比較文化専攻修士課程修了。はじめ詩人を目指していた。同大学院比較文学比較文化専攻博士課程在学中に休学し、セントルイスのワシントン大学に留学。メリーランド大学大学院などをへて、1962年に帰国して大学院に復学。1963年、東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程単位取得退学。師の一人に島田謹二がいる。 1963年東京大学教養学部助教授、1984年教授、1993年定年退官、名誉教授、東京女子大学教授、2003年岐阜女子大学教授。
伊藤 英三(いとう えいぞう、1902年12月2日 - 19… 伊藤 英三(いとう えいぞう、1902年12月2日 - 1971年10月2日)は、日本の経営者。花王社長を務めた。 岐阜県中津川市出身。1919年に愛知薬学校(現名古屋市立大学薬学部)を卒業し、長瀬商会での勤務を経て、大日本油脂常務、日本有機社長を歴任した。1948年に花王石鹸社長に就任した。1954年に花王油脂との合併により、花王石鹸副社長に就任し、1968年5月に再び社長に就任した 1971年10月2日、心臓衰弱のために死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
伊藤 恭一(いとう きょういち、1888年(明治21年)4月… 伊藤 恭一(いとう きょういち、1888年(明治21年)4月15日 - 1950年(昭和25年)3月16日)は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員。 岐阜県恵那郡付知村(付知町を経て現中津川市付知町)で、伊藤文弥の三男として生まれる。付知小学校卒業後、検定試験で准教員の資格を得て郷里の学校で教員を務め、1910年(明治43年)3月、岐阜県師範学校を卒業した。 加納小学校訓導に就任。以後、付知小学校訓導、同校長、岐阜県視学、岐阜市白山小学校長、同市徹明小学校長などを歴任。さらに、白山商工実修学校長、徹明商業青年学校長、岐阜県教員購買組合監事、同県国民学校長会副会長、大日本教育会岐阜県支部参与などを務めた。
前田 青邨(まえだ せいそん、1885年〈明治18年〉1月2… 前田 青邨(まえだ せいそん、1885年〈明治18年〉1月27日 - 1977年〈昭和52年〉10月27日)は、日本画家。位階は従三位。岐阜県中津川市出身。本名、前田 廉造(まえだ れんぞう)。妻は荻江節の5代目荻江露友。三女の夫が美術史家の秋山光和。 青邨は大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。ことに武者絵における鎧兜の精密な描写は有名である。 1935年(昭和10年)、帝国美術院の改革が行われると会員に選出されるが、翌1936年(昭和11年)年に示された平生改革案に反対して横山大観ら日本芸術院メンバーなどとともに会員を辞任する。その後、1937年(昭和12年)に帝国美術院が改組して帝国芸術院として発足すると芸術院会員となった。
島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5… 島崎 藤村(しまざき とうそん、1872年3月25日〈明治5年2月17日〉 - 1943年8月22日)は、日本の詩人・小説家。本名は島崎 春樹(しまざき はるき)。筑摩県木曾の中山道馬籠(現在の岐阜県中津川市馬籠)生まれ。帝国芸術院会員。次男は画家の島崎鶏二、三男は同じく画家の島崎蓊助。 『文学界』に参界し、ロマン主義に際した詩人として『若菜集』などを出版する。さらに、主な活動事項を小説に転じたのち、『破戒』や『春』などで代表的な自然主義作家となった。作品は他に、日本自然主義文学の到達点とされる『家』、姪との近親姦を告白した『新生』、父である島崎正樹をモデルとした歴史小説の大作『夜明け前』などが存在する。
林 直助(はやし なおすけ、1871年3月24日 - 195… 林 直助(はやし なおすけ、1871年3月24日 - 1953年5月13日)は、明治時代から昭和時代の医学者、寄生虫学者、病理学者。ツツガムシ病研究の第一人者として知られる。 岐阜県恵那郡福岡村(現中津川市)に生まれた。1897年11月、第一高等学校医学部を卒業後、東京帝国大学医科大学衛生科選科に入学したが、翌年退学している。1900年に検疫官を命ぜられ、1901年2月に退職した。同月に京都帝国大学医科大学に入り藤浪鑑教授の助手となり、病理学、恙虫病について研究をおこなう。1906年、恙虫病調査委員を嘱託された。同年12月、愛知県立医学専門学校の教諭となり、病理学や病理解剖学などを担当した。1913年1月、論文「恙虫病病理解剖並に組織学的研究」により、医学博士の学位を授けられた。
牧野 彦太郎(まきの ひこたろう、1866年7月15日(慶応… 牧野 彦太郎(まきの ひこたろう、1866年7月15日(慶応2年6月4日) - 1940年(昭和15年)7月9日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。実業家。衆議院議員。 牧野丈之助の長男として、美濃国恵那郡付知村(岐阜県恵那郡付知町を経て現中津川市付知町)に生まれる。1904年(明治37年)3月、家督を相続する。1890年(明治23年)慶應義塾を卒業する。 農業を営み、東京木管製造所を経営した。 1912年(明治45年)5月の第11回衆議院議員総選挙では岐阜県郡部から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。
野呂 駿三(のろ しゅんぞう、1865年7月27日(慶応元年… 野呂 駿三(のろ しゅんぞう、1865年7月27日(慶応元年6月5日) - 1945年(昭和20年)12月7日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。旧姓・菅井。 美濃国恵那郡、のちの岐阜県恵那郡中津町(中津川町を経て現中津川市)で菅井九三の三男として生まれ、先代万次郎の養子となり1898年(明治31年)家督を相続した。酒と醤油醸造業を営む。御嵩町長、岐阜県会議員、同議長、東美銀行、濃飛商工銀行各頭取、東美鉄道取締役、中央製紙、木曽興業、樺太工業各(株)監査役となる。 1920年の第14回衆議院議員総選挙において岐阜7区から立憲政友会公認で立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1924年の第15回衆議院議員総選挙には立候補しなかった。
長瀬 富郎(ながせ とみろう、文久3年11月21日(1863… 長瀬 富郎(ながせ とみろう、文久3年11月21日(1863年12月31日) - 明治44年(1911年)10月26日)は実業家。花王の創業者。 美濃国恵那郡福岡村(現在の岐阜県中津川市福岡)の造り酒屋に生まれる。12歳の時に、母親の実家である加茂郡神土村(後の加茂郡東白川村神土)へ奉公に出る。17歳のとき奉公先の店主の弟が独立したのに従い店を移る。 23歳の時に、店を辞め上京する。150円の資金で米相場を張っても失敗し、無一文になる。この時の挫折を教訓とし、「堅実に生きる」事を終生の誓いとする。 出直すべく日本橋馬喰町の小物問屋に入店、経営を任されるまでになる。その後1887年、23歳で独立を果たし「長瀬商店」(のちの花王)を馬喰町2丁目に創業する。
千早 正次郎(ちはや しょうじろう、1856年8月12日(安… 千早 正次郎(ちはや しょうじろう、1856年8月12日(安政3年7月12日) - 1938年(昭和13年)10月18日)は、明治から昭和時代戦前の政治家。大日本帝国海軍軍人。衆議院議員。 苗木藩留守居役・千早正理の次男として、美濃国恵那郡日比野村(岐阜県恵那郡苗木村、苗木町、中津川町を経て現中津川市)に生まれる。1878年(明治11年)海軍主計学校を卒業する。同年、兄の千早正路が割腹自殺する。 海軍省に出仕し、1886年(明治19年)供給課長を経て累進し海軍大主計(大尉相当官、後の主計大尉)に進んだ。このころ、同じ海軍主計学舎第一期卒業生の飯村知、加唐為重とともに軍を辞め、生命保険会社設立を企画するも断念(加唐はその後帝国生命保険を設立)。
市岡 政香(いちおか まさか、1855年(安政2年9月) -… 市岡 政香(いちおか まさか、1855年(安政2年9月) - 1933年(昭和8年)1月10日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 美濃国恵那郡中津川村(のち岐阜県恵那郡中津川町、中津町、中津川町を経て現・中津川市)に生まれる。東美銀行取締役となる。 1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において岐阜6区から無所属で立候補したが落選した。同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。1900年、前島丈之助の辞職による岐阜6区の補欠選挙に立候補して当選する。衆議院議員を1期務め、1902年の第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1933年に死去した。
熊谷 孫六郎(くまがい まごろくろう、1832年3月22日(… 熊谷 孫六郎(くまがい まごろくろう、1832年3月22日(天保3年2月20日) - 1902年(明治35年)8月3日)は、明治時代の政治家。実業家。養蚕家。衆議院議員。官選初代岐阜市長。岐阜県会議長。 美濃国恵那郡付知村(岐阜県恵那郡付知村、付知町を経て現中津川市付知町)で、製糸業・熊谷孫六の息子として生まれた。和漢学を学ぶ。 岐阜県会議員、同常置委員、同副議長、同議長を歴任した。また、近隣町村と合併して人口不足を解消し私財を投じるなどして岐阜市の市制を実現し、同市の初代市長に就任した。 実業家としては資金貸与、濃南各会社社長、岐阜米糸取引所理事長、東京硝子、日本運輸各取締役を務めた。ほか、蚕業試験場を設立し蚕糸改良に尽力した。
髙相 祐子(たかそう ゆうこ、7月23日 - )は、元岐阜放… 髙相 祐子(たかそう ゆうこ、7月23日 - )は、元岐阜放送 (GBS) のアナウンサー。 岐阜県中津川市出身。岐阜県立恵那高等学校、愛知淑徳大学卒業。 大学を卒業後、ケーブルテレビ会社の春日井小牧コミュニケーションテレビ(現・中部ケーブルネットワーク (CCNet) 春日井局)に2年半勤務。同社で経験を積んだ後、NHK松山放送局の契約キャスターとなる。その後はNHK長野放送局の契約キャスターを経て、2007年春から岐阜放送のアナウンサーを務めていた。
島崎 正樹(しまざき まさき、天保2年5月4日(1831年6… 島崎 正樹(しまざき まさき、天保2年5月4日(1831年6月13日 - 明治19年(1886年)11月29日)は、幕末の国学者。 小説家島崎藤村の父で、「夜明け前」の主人公「青山半蔵」のモデルとなった人物である。 号は松翠園静雅()、粲園()、静舎()、観山楼()、璞堂()、静斎()。字は禎夫()。初名は重寛()。通称は吉左衛門()。 中山道馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる島崎吉左衛門重韶の子として生まれ、長じて家督を継いだ。 中津川宿の問屋役であった、間秀矩(はざま ひでのり)に国学を学び、また中津川の医師の、馬島靖庵に皇学・漢学を学び、文久3年(1863年)に秀矩の紹介で平田篤胤の没後門人となる。