石田 輝男(いしだ てるお、1933年 - )は日本の教育者… 石田 輝男(いしだ てるお、1933年 - )は日本の教育者ならびに工業技術者である。京都市下京区出身。
京都府 京都市:1,199人
石田 輝男(いしだ てるお、1933年 - )は日本の教育者… 石田 輝男(いしだ てるお、1933年 - )は日本の教育者ならびに工業技術者である。京都市下京区出身。
内記良一(ないき りょういち、1933年-1994年7月7日… 内記良一(ないき りょういち、1933年-1994年7月7日)は、日本のアラビア語学者。 京都市出身。大阪外国語大学アラビア語学科卒業。京都大学大学院文学研究科言語学専攻修士課程修了。東京外国語大学アラビア語学科助教授、教授を務めた。在職中に死去。
西村暢夫(にしむら のぶお、1933年 - 2024年12月… 西村暢夫(にしむら のぶお、1933年 - 2024年12月6日)は、イタリア文化研究家、書籍輸入業者、翻訳家。(財)日伊協会評議員。 京都市生まれ。1956年東京外国語大学イタリア語科卒業。1975年国際交流基金の派遣で日本語講師としてヴェネツィアに滞在。株式会社文流取締役社長をへて会長。書籍の輸入、翻訳を行い、イタリアに日本人のための料理学校を設立し、日本でのイタリア料理普及など、日伊文化交流に尽くした功績で、1980年サンドロ・ペルティーニ大統領から教育・文化・芸術銀賞を授与され、99年イタリア政府から大騎士の称号を授かる。
川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は… 川本 浩司(かわもと こうじ、1932年12月1日 - )は、京都府京都市出身の元プロ野球選手。 山城高校から関西学院大学を経て1955年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
熊谷 一乗(くまがい かずのり、1932年〈昭和7年〉11月… 熊谷 一乗(くまがい かずのり、1932年〈昭和7年〉11月26日 - )は、教育学者、評論家、創価大学名誉教授。 京都市生まれ。鳥取県出身。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、創価大学文学部助教授、新潟大学教育学部教授、創価大学教育学部教授、名誉教授、桐生大学教授。
冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11… 冨士谷 あつ子(ふじたに あつこ、1932年(昭和7年)11月2日 - )は、日本の評論家。京都文化創生機構理事長、日本ジェンダー学会前会長。 京都市出身。本名は鈴木あつ子。評論家、日本ペンクラブ名誉会員。 京都大学農学部卒。1996年京都大学より博士(農学)の学位を取得。1970年から「京のおんな大学」を主宰。これを改組・改称し特定非営利団体京都生涯教育研究所、所長・副理事長を務めた。現在は京都文化創生機構理事長を務める。 1977年、京都国際文化協会を在洛文化人らと設立(のち財団法人。2012年まで副理事長)。この法人を基盤として日本女性学研究会を有志と設立し、日本女性学会の設立も提言(幹事就任)。
福田 喜重(ふくだ きじゅう、1932年9月26日 - 20… 福田 喜重(ふくだ きじゅう、1932年9月26日 - 2022年12月16日)は、日本の刺繡家、重要無形文化財保持者。刺繡では唯一人の人間国宝である。 京都市生まれ。京都市立第一工業学校(現・京都市立京都工学院高等学校)卒業。父である刺繡家福田喜三郎に1948年から師事。父からの厳しい指導によって本格的伝統技法を習得した。刺繡作品は主に和服。一越縮緬や綸子地などの生地を使用し、意匠では自然物を流動的に表現し、色糸による刺繡で微妙なグラデーションや細かい作業によって繊細で流れるような曲線を描く。そのため、作品は平坦にならず、奥行きを感じさせ絵柄になる。1976年に日本工芸会日本伝統工芸展に初入選、以降受賞を重ねる。
市野瀬 浩(いちのせ ひろし、1932年7月10日 - )は… 市野瀬 浩(いちのせ ひろし、1932年7月10日 - )は、日本の経営者。日本新薬社長、会長を務めた。初代社長を務めた市野瀬潜の孫でもある。 京都府京都市出身。1950年に京都大学法学部を卒業し、同年に日本新薬に入社。1991年に取締役に就任し、1996年6月に専務を経て、1997年6月に社長に就任。2001年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 20… 藤井 知昭(ふじい ともあき、1932年6月16日 - 2023年3月24日)は、日本の音楽学者。文化・音楽評論家。位階は従四位。 国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授。専攻は民族音楽学・音楽人類学・比較芸術学。 京都府京都市生まれ。名古屋育ち。名古屋大学文学部哲学科卒業。 名城大学助教授を経て、国立民族学博物館助教授、教授、副館長。1996年3月退官、名誉教授。 また、1988年に国立の総合研究大学院大学文化科学研究科が設置されると、教授・比較文化学専攻長、文化科学研究科長を併任し、1996年3月退官、名誉教授。 その後は中部大学中部高等学術研究所副所長、教授を務めた。特任客員教授。
川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )… 川那部 浩哉(かわなべ ひろや、1932年5月10日 - )は、日本の生物学者。京都大学名誉教授。滋賀県立琵琶湖博物館前館長(名誉学芸員)。専門は群集生態学、動物社会学。理学博士(京都大学 , 1960年)。 京都市出身。1948年(昭和23年)京都府立第二中学校を卒業、1951年(昭和26年)京都府立鴨沂高等学校を卒業後、京都大学理学部に入学。宮地傳三郎教授を師事し、動物学と生態学を学んだ。 1960年、京都大学の助手に任官。その後、1967年に助教授、1977年に教授に昇任。1996年に教授を退官後、滋賀県立琵琶湖博物館館長に就任した。2010年に滋賀県立琵琶湖博物館館長を退任。 淡水生物の生態を主に研究。
池田 進(いけだ すすむ、1932年5月7日 - )は、日本… 池田 進(いけだ すすむ、1932年5月7日 - )は、日本の心理学者、関西大学名誉教授。 京都市生まれ。京都市立西京高等学校卒業。1955年京都大学文学部哲学科卒業。1960年同大学院文学研究科心理学専攻博士課程満期退学。1961年日本リサーチセンター入社。1964年京都大学文学部助手。1967年関西大学社会学部専任講師。1969年助教授。1974年教授。1995年「顔の諸現象をめぐる実験的研究の展望と考察」で関西大学社会学博士。2003年定年退職、名誉教授。 2011年瑞宝中綬章受章。
中村宣一朗(なかむら のぶいちろう、1932年5月3日- 2… 中村宣一朗(なかむら のぶいちろう、1932年5月3日- 2025年3月20日)は、日本の会計学者、大阪大学名誉教授。 和歌山県で育つ。京都市出身。1955年大阪外国語大学イスパニア語科卒、学士入学して1959年大阪大学経済学部卒、65年同大学院博士課程単位取得退学、77年「会計統一化政策」で経済学博士の学位を取得。甲南大学助教授、教授をへて、1982年大阪大学経済学部教授。96年定年退官、名誉教授となり、摂南大学教授を務めた。日本会計研究学会太田賞受賞。
真継 伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。193… 真継 伸彦(まつぎ のぶひこ、戸籍上は旧字の「眞繼」。1932年3月18日 - 2016年8月22日)は、日本の作家。元姫路獨協大学教授。京都市生まれ。 京都大学文学部独文科卒業後の1954年に上京し、創元社の校正アルバイトに就き、1955年に専修大学図書館に就職。同人誌「半世界」に「杉本克己の死」の一部を発表。 一向一揆を題材にした小説を構想し、執筆に専念するために退職、1961年から青山学院大学ドイツ語非常勤講師となる。1963年、盗賊から浄土真宗に帰依する男を描いた歴史小説『鮫』で文藝賞を受賞。これに第二篇を加えて翌年刊行、また中村錦之助主演で東映で映画化された。 その後、芝浦工業大学に勤め、1967年に腹膜炎の手術で休職していた間に、同じく一向一揆を扱った続編『無明』執筆を開始。
赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、… 赤木 昭夫(あかぎ あきお、1932年3月17日 - )は、日本の科学史家、評論家、翻訳家。NHK職員、慶應義塾大学教授、放送大学教授等を歴任。 専攻は科学史、技術論、メディア論。 京都市生まれ。1955年東京大学文学部英文科卒業後、NHK入局。NHK科学番組プロデューサー、NHK科学技術担当解説委員(NHK解説委員)を経てNHKを退職。 慶應義塾大学環境情報学部教授、放送大学教授、コロンビア大学ジャーナリズム大学院フェローを歴任。 慶應義塾大学での教え子に、吉川浩満、山本貴光ら慶応SFC一期生がいる。
粂川 光樹(くめかわ みつき、1932年2月22日 - 20… 粂川 光樹(くめかわ みつき、1932年2月22日 - 2018年12月20日)は、日本の作家、国文学者。明治学院大学名誉教授。 京都市生まれ。東京大学国文科卒、同大学院修士課程修了、五味智英に師事して上代文学を専攻、かたわら同人誌『半世界』に小説を発表、長谷川泉の経営する医学書院に秦恒平と同期入社。1965年「極東語学校夜話」で直木賞候補となる。同年プリンストン大学専任講師として渡米、1969年帰国し、関東学院女子短期大学、フェリス女学院大学に勤め、1981年シンガポール大学講師、1986年帰国し、東京大学留学生教育センター講師、明治学院大学国際学部教授。 2002年定年退職し、2007年『上代日本の文学と時間』(笠間書院)を上梓。
柴野 昌山(しばの しょうざん、1932年1月7日 - )は… 柴野 昌山(しばの しょうざん、1932年1月7日 - )は、日本の教育社会学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。1956年京都大学教育学部教育社会学科卒、61年同大学院博士課程退学。1969年「人格形成の構造 教育と社会の基礎理論」で京大教育学博士。金城学院大学講師、京都大学教育学部助教授、教授、95年定年退官、名誉教授、早稲田大学教育学部教授、特任教授。2001年関西福祉大学特任教授。
中井 貞次(なかい ていじ、1932年1月4日 - )は、京… 中井 貞次(なかい ていじ、1932年1月4日 - )は、京都市出身の日本の染織家。日本芸術院会員。京都市立芸術大学名誉教授。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
川勝 主一郎(かわかつ しゅいちろう、1931年11月28日… 川勝 主一郎(かわかつ しゅいちろう、1931年11月28日 - 2025年3月31日)は、ラグビー監督・指導者。俳優でもある。関西ラグビーフットボール協会会長。京都市生まれ。 1931年、京都府京都市で生まれた。立命館大学経済学部卒業、滋賀大学専攻科修了。1954年、大映所属の俳優となった。ちなみに、勝新太郎、市川雷蔵らと同期であった。俳優としてテレビドラマ『部長刑事』などに出演した。また、花園高等学校ラグビー部の監督として、1964年から1978年までの15大会で14度の京都府代表となり、全国高校ラグビー準優勝3回を成し遂げた。テレビドラマ『スクール☆ウォーズ』で、相模一高のモデルは花園高等学校で、勝又監督のモデルが彼であったという。
小林 敏峯(こばやし としみね、1931年9月19日 - 1… 小林 敏峯(こばやし としみね、1931年9月19日 - 1999年12月10日)は、日本の実業家。マイカルの創業者の一人。京都府京都市出身。位階は正五位。 1950年に洛陽高等学校を卒業。1954年1月にヤマト小林商店代表取締役に就任し、1963年11月にはニチイ(のちのマイカル)副社長に就任し、1982年11月には社長に昇格。1996年5月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1999年12月10日心不全のために死去。68歳没。死没日付をもって正五位に叙された。
林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 200… 林 成年(はやし なりとし、1931年9月14日 - 2008年2月6日)は、日本の俳優。京都府京都市伏見区出身。慶應義塾大学文学部卒業。本名は長谷川 寿(はせがわ ひさし)。父は俳優の長谷川一夫。女優の長谷川季子、長谷川稀世は妹。妻は上田吉二郎の養女。 1937年、大阪歌舞伎座で初舞台、同年に父・一夫主演の映画『土屋主悦』で映画デビューした。大学卒業後は大映に入社し、『新・平家物語』、『赤胴鈴之助』シリーズなど数多くの映画に出演。1960年に大映を退社し、1962年、東宝に移った。以降は東宝歌舞伎にレギュラー出演するなど、舞台を中心に活躍した。他に杉良太郎などの舞台に客演した。 2008年2月6日、心不全のため死去、76歳だった。
三輪 泰司(みわ ひろし、1931年 (昭和6年)8月27日… 三輪 泰司(みわ ひろし、1931年 (昭和6年)8月27日 - )は、京都芸術大学教授、同大学環境デザイン学科長、工学博士(京都大学、1974)。現・客員教授。株式会社地域計画建築研究所代表取締役・会長を経て現取締役相談役。専門学校ビジネスカレッジ京都校長。京都デザイン会議議長。NPO平安京 理事長。日本の都市プランナーで都市計画協会マスター都市プランナー。都市災害に備える技術者の会役員。府庁旧本館利活用応援ネット代表。京都デザイン関連団体協議会議長。京都商工会議所議員(都市美化・環境対策特別委員会副委員長)など。京都市生まれ。技術士建設部門(都市計画/地方計画)/再開発プランナー/一級建築士。
山村 美紗(やまむら みさ、1931年8月25日 - 199… 山村 美紗(やまむら みさ、1931年8月25日 - 1996年9月5日)は、日本の小説家、推理作家。父は民法学者で京都大学名誉教授の木村常信、4人姉弟の長女であり、弟は政治学者で北海道大学名誉教授の木村汎、他に妹が2人いる。配偶者は東山高校の元数学教師で退職後画家に転身した山村巍(たかし)(1928年 - 2022年)、長女は俳優の山村紅葉。 京都府京都市で生まれ、父親は朝鮮総督府京城法学専門学校校長事務取扱に任じられて終戦まで朝鮮に在住し、山村も日本統治時代の朝鮮の京城で育ち、京城師範付属小学校から京城第一高女へ進学した。帰国後にぜんそくを患い家で療養する時期もあったが、1957年に京都府立大学女子短期大学部を経て文学部国文科を卒業する。
松本 章男(まつもと あきお、1931年7月16日 - )は… 松本 章男(まつもと あきお、1931年7月16日 - )は、日本の作家、随筆家。 京都市生まれ。京都大学文学部仏文科卒業。元人文書院取締役編集長。京都の地誌、古典などに関する随筆、小説を執筆する。 2008年、『西行 その歌 その生涯』で第17回やまなし文学賞受賞。
山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は… 山下 正男(やました まさお、1931年7月16日 - )は、日本の哲学者。京都大学名誉教授。専門は論理と数理の比較思想史。 京都府京都市出身。1953年京都大学文学部哲学科卒。1958年同大学院博士課程満期退学。1965年関西学院大学文学部助教授、1968年京都大学人文科学研究所助教授、1981年教授。1995年定年退官、名誉教授、近畿大学文芸学部教授。
上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、… 上田 利男(うえだ としお、1931年6月18日 - )は、日本の社会学者。 京都市生まれ。1962年関西大学文学部卒。1964年立教大学大学院応用社会学研究科修士課程修了。日本専売公社(現JT)京都工場、本社勤務を経て、1977年小集団研究所を創立。小集団活動について国内外多くの企業で実践指導を行うとともに、1977-95年関西大学講師として小集団理論を講義。
芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - … 芦屋 雁之助(あしや がんのすけ、1931年5月29日 - 2004年4月7日)は、日本の俳優、歌手。本名、西部 清(にしべ きよし)。愛称は、雁ちゃん。血液型O型。京都府京都市出身。京都市立朱雀中学校卒業。 実家の家業は京都で友禅染の染物屋を営んでいたが、芸事、道楽事が好きであった父は戦後、「若松家」の亭号を名乗り、芸人として活動し始めるばかりか、一座を組んで巡業の日々となる。清は父について芸をこなしながら、一時、漫才師・五條家弁慶の弟子となり、前座として中国の服を着て手品をしたり師匠と漫才や芝居の舞台に立った。その後、18歳の時に弟・秀郎と当時人気の漫才師、芦の家雁玉・林田十郎に弟子入りし、「雁之助(清)・小雁(秀郎)」の名をもらうが、弟子入りしてまもなく亭号「芦の家」を勝手に「芦屋」に変えたため破門される(後に活躍が認められ破門を解かれる)。
高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - … 高林 陽一(たかばやし よういち、1931年4月29日 - 2012年7月15日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー。京都府京都市生まれ。父親は着物のデザイナー。 1955年、立命館大学法学部政治学科中退。1960年、銀座ヤマハホールで8m/mの自主映画の個人映写会を開き、若手実力派映画監督として注目される。同年の『石っころ』が評価された。1963年、16m/m第1作の「砂」がベルギー実験映画祭で特別賞を受賞。 1964年、飯村隆彦、石崎浩一郎、大林宣彦、金坂健二、佐藤重臣、ドナルド・リチー、足立正生らと実験映画製作上映グループ「フィルム・アンデパンダン」を結成。1964年に発表した「ひなのかげ」はニューヨーク近代美術館所蔵作となり脚光を浴びる。
中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 201… 中島 みち(なかじま みち、1931年2月10日 - 2015年10月29日)は、日本のノンフィクション作家。本名、高橋 道(たかはし みち)。旧姓、中島(なかじま)。 京都府京都市出身。1948年、東京都立武蔵高等女学校卒業。東京女子大学英文科卒業。1953年2月に大学卒業後、当時のラジオ東京(現在のTBS)にアナウンサー2期生として入社。1958年12月にラジオ東京を退社。1959年1月、ラジオ東京と嘱託契約しタレントアナ第二号に(中島道名義)。1970年に中央大学大学院法学研究科(刑事法専攻)修士課程修了。同年乳がん手術を機に医療の質や安全について関心を持って作家活動を始め、一貫して患者の立場から医療改革を訴え、医療に法律が関わる問題とその接点となる諸問題、医療制度、安楽死、がんの告知、臓器移植、尊厳死など生命倫理の問題医療に関する問題をテーマした作品の執筆、訳書、評論活動が多く、脳死の状態を「見えない死」と紹介するなど、医療現場が直面する課題を社会に投げかけたり、看護の日を発案し制定を呼びかけた。
飯野 春樹(いいの はるき、1931年2月8日 - 1995… 飯野 春樹(いいの はるき、1931年2月8日 - 1995年7月18日)は、日本の経営学者。経済学博士(京都大学・1980年)(学位論文「バーナード研究」)。関西大学教授・京都大学教授・大阪学院大学教授を歴任。 京都市生まれ。1953年京都大学経済学部卒、1958年同大学院博士課程退学、関西大学商学部講師、1961年助教授、1969年教授、1978年商学部長、1980年「バーナード研究」で経済学博士(京都大学)の学位を取得。1985年京都大学経済学部教授。1994年定年退官、大阪学院大学教授。
種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 201… 種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 2014年1月14日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(内野手)。 1949年、京都市立第一工業学校(現洛陽工業高校)卒業後に南海ホークスにテスト生として入団。高校時代のチームメイトに、後に南海でもチームメイトとなる岡本伊三美がいる。1951年は、南海土建に出向し社会人野球でもプレーした。 1952年6月26日の近鉄戦(彦根球場)で関根潤三から自身のプロ初安打となる先頭打者ホームランを放った(この記録は、それから60年後の2012年9月29日に宮﨑祐樹〈オリックス〉がロッテ戦〔京セラドーム〕で藤岡貴裕からプロ初安打となる先頭打者ホームランを放つまで出なかった)。
遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 200… 遠藤 晃(えんどう あきら、1931年1月29日 - 2003年6月18日)は、昭和から平成時代の行政学者。立命館大学名誉教授。専門は地方行政学。 京都市生まれ。1948年京都府立第三中学校(現京都府立福知山高等学校)卒業。1948~1970年京都市役所に勤務。この間、1949年京都府立山城高等学校定時制卒業。1953年立命館大学二部経済学部卒業。1954~1967年京都市職員労働組合専従。1970年立命館大学産業社会学部助教授。1976年同産業社会学部教授。1996年退職、名誉教授。2003年6月18日、肺炎のため京都市東山区の病院で死去。72歳。 自治体問題の研究者。1963年の設立以来、自治体問題研究所の研究活動に参加。
杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 -… 杉本 秀太郎(すぎもと ひでたろう、1931年1月21日 - 2015年5月27日)は、日本のフランス文学者・文芸評論家・エッセイスト。国際日本文化研究センター名誉教授、京都女子大学名誉教授。日本芸術院会員。 京都府京都市出身。1948年、旧制四高に入学。1949年に学制変更で、新制京都大学文学部仏文科に入学。1953年に卒業後、1956年、同大学院に入学し、1961年、博士課程単位取得満期退学。 1962年、京都女子大学文学部専任講師、1965年、助教授、1971年、教授。1988年に新設された国際日本文化研究センター教授に就任し、1996年に定年退職。同年に日本芸術院会員、筑摩書房で『杉本秀太郎文粋』(全5巻)が刊行された。
玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 -… 玉村 文郎(たまむら ふみお、1931年(昭和6年)1月 - )は、日本の言語学者・日本語学者。同志社大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1951年大阪外事専門学校フランス科卒業、1953年大阪外国語大学フランス語科卒業、1957年京都大学大学院言語学専攻修了。1955年京都府立高等学校教諭、1968年大阪外国語大学講師、71年同助教授、1974年同志社大学文学部助教授、82年同教授。この間、京都大学、大阪大学・同大学院、京都府立大学、龍谷大学、仏教大学、国立国語研究所等に出講。2001年定年、同志社大学名誉教授。2002年「日本語語彙の研究」で龍谷大学博士(文学)。 日本語教育学会理事・編集委員長・副会長、新村出記念財団代表理事、京都国際文化協会理事などを歴任した。
北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年1… 北村 泰一(きたむら たいいち、1931年 - 2025年12月1日)は、日本の地球物理学者。九州大学名誉教授。理学博士。京都市出身。 京都府立京都第一中学校、京都府立鴨沂高等学校を経て、1950年(昭和25年)、京都大学理学部地球物理学科に入学。京都大学山岳部に在籍。1954年(昭和29年)卒業、同大学院修士課程に進学し、長谷川万吉研究室で広野求和から地磁気の指導を受ける。なお、のちに第4次南極越冬隊に参加し、ブリザードのため遭難死した福島紳とは、小学校から大学院まで一貫して同級生同士だった。 修士課程在籍中、長谷川万吉から第1次南極地域観測隊への参加を打診される。その後、長谷川が、隊長に選ばれた永田武との確執から、南極関係の人事から事実上手をひくことになっため、山岳部の先輩である今西錦司に直訴して西堀栄三郎副隊長への紹介状を書いてもらい、西堀に直訴して観測隊に加えられる。
橋谷 博(はしたに ひろし、1930年12月7日 - )は日… 橋谷 博(はしたに ひろし、1930年12月7日 - )は日本の化学者。島根大学名誉教授。理学博士(京都大学)。 京都府京都市生まれ。1953年に立命館大学理工学部化学科卒業、同年助手。1958年、日本原子力研究所研究員。1982年、公募に応じ、島根大学理学部化学科(現・総合理工学部物質科学科)教授。「地方の人も物もない大学で教鞭をとりたい」のだったという。分析化学教室において、フィールドワークを旨とし、自ら潜水士免許を取得し宍道湖・中海の水質調査を行い、「源五郎」の愛称で呼ばれ、本人も名刺に「潜水士 源五郎」と記していたという。 1964年、理学博士(京都大学)。学位論文の題は「Analysis of various kinds of uranium base alloys using extraction-photometric method 」。
有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - … 有川 正治(ありかわ まさはる、1930年10月13日 - )は、日本の俳優。京都市出身。東映京都撮影所所属。本名同じ。 京都府京都市北区紫竹生まれ。出生前に父親が死去し、養家の「有川」姓を名乗る。1949年、京都府立機械工業学校を卒業。1951年に立命館大学経済学部を中退した後は養父経営の牧場で働いていたが、俳優志望だった甥のマネージャーになるつもりで29歳の時に東映京都撮影所へ入社。甥は外交官を目指して先に俳優を辞めたものの、有川は入社3年目頃から台詞つきの役を与えられるようになり、以降、大柄な体格と強面の風貌を活かして悪役を中心に東映京都制作の時代劇映画や任侠映画、テレビ時代劇などで50年近くに渡って活躍した。
中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年… 中 久信(なか ひさのぶ、1930年9月22日- 2009年8月13日 )は、日本の経営者。日立物流社長、会長を務めた。 京都府京都市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に日立製作所に入社した。1979年8月に日立運輸東京モノレールに転じ、理事、取締役を経て、1982年6月に日立物流常務に就任し、専務、副社長を経て、1994年6月に社長に就任。2000年6月に会長に就任。 2009年8月13日、死去。78歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月1… 山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月14日 - 2000年 <平成12年> 12月17日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は正四位。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究科修了、徳岡神泉に師事。1955年日展初入選。1961年日展特選・白寿賞。1966年日展菊花賞。1974年京都市立美術大学助教授、日展評議員。1975年日展文部大臣賞、京都市立芸術大学教授。1990年京都府文化賞功労賞受賞。1992年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事。1996年京都市立芸術大学を退職、名誉教授、京都市文化功労者。1997年名古屋芸術大学教授。1999年日本芸術院会員。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2… 恒藤 敏彦(つねとう としひこ、1930年8月10日 - 2010年4月14日)は、日本の物理学者。京都大学名誉教授。 京都府京都市出身。父は法哲学者の恒藤恭。祖父は地質学者の恒藤規隆。兄弟に同志社大学法学部教授を務めた恒藤武二がいる。1953年京都大学理学部物理学科卒、1958年京都大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士(京都大学)。 1963年大阪大学理学部講師、1967年京都大学理学部助教授、1971年京都大学理学部教授。1994年京大定年退官、名誉教授、龍谷大学理工学部教授。
片山 貞雄(かたやま さだお、1930年7月 - )は、日本… 片山 貞雄(かたやま さだお、1930年7月 - )は、日本の経済学者。滋賀大学名誉教授。瑞宝中綬章受章者。 1930年7月京都市生まれ。1948年3月大阪府立生野中学校卒業、同年4月彦根経済専門学校入学。1949年4月学制改革によって滋賀大学経済学部発足にともない同学部に入学し、1953年3月第一期生として卒業。その後神戸大学大学院経済学研究科に進学、1958年3月同研究科博士課程単位取得退学。 1958年滋賀大学経済短期大学部講師、1961年同助教授、1964年1月経済学部助教授、1972年5月同教授。1976年フルブライト上級研究員として米国ジョージア大学にて研究。1986年4月からは経済学部長・経済学研究科長を務めた。
阪本 寧男(さかもと さだお、1930年(昭和5年)6月5日… 阪本 寧男(さかもと さだお、1930年(昭和5年)6月5日 - )は、日本の農学者、京都大学名誉教授。 京都府京都市生まれ。1954年(昭和29年)京都大学農学部農林生物学科卒業、1965年(昭和40年)農学博士。1962年(昭和37年)アメリカ・ミネソタ州立大学修士課程修了。1954年(昭和29年)国立遺伝学研究所研究員、1974年(昭和49年)京都大学農学部助教授、1984年(昭和59年)教授となる。1994年(平成6年)定年退官、名誉教授、龍谷大学教授を務め、2011年(平成23年)退職。
飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2… 飯田 修三(いいだ しゅうぞう、1930年5月10日 - 2006年12月3日)は、日本の経営学者・会計学者。 京都市出身。大阪市立大学卒。1961年同大学院博士課程満期退学。79年「生産性分析論」で大阪市大商学博士。1961年富山大学経営短期大学部講師、助教授、龍谷大学経済学部助教授、教授、1981年岡山大学経済学部教授、94年定年退官、名誉教授 追手門学院大学教授、兵庫大学教授、大阪人間科学大学副学長。管理会計論。
阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、… 阿井 美千子(あい みちこ、1930年1月17日 - )は、京都府京都市上京区出身の日本の女優。宝塚歌劇団出身。旧芸名は百 ちとせ(もも ちとせ)、阿井 三千子(あい みちこ)。本名は渡辺 千歳。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1… 安藤 美紀夫(あんどう みきお、1930年1月12日 - 1990年3月17日)は、日本の児童文学作家・文芸評論家。日本女子大学家政学部教授。本名は安藤 一郎。 京都府京都市出身。1954年京都大学文学部イタリア文学科卒業後、北海道で高校教師を務める。その傍ら、1957年頃よりイタリア児童文学の翻訳の刊行を始め、自ら創作を始めて、1961年『白いりす』でデビューし、産経児童文化賞を受賞。1962年、評論「ピノッキオとクォーレ」で高山賞(日本児童文学者協会主催)受賞。 1972年、北海道から東京都東大和市に移り、日本女子大学家政学部児童学科の非常勤講師となる。1973年『でんでんむしの競馬』で国際アンデルセン賞作品賞・野間児童文芸賞・日本児童文学者協会賞・赤い鳥文学賞・サンケイ児童出版文化賞受賞。
栗田 修(くりた おさむ、1930年 - )は、日本の教育学… 栗田 修(くりた おさむ、1930年 - )は、日本の教育学者。京都教育大学・滋賀県立大学名誉教授。 京都市生まれ。1953年京都学芸大学教育学科卒、京都市立上桂中学校教諭。1954年フルブライト奨学金によりシカゴ大学教育学部大学院に学び修士課程修了。1958年京都大学大学院教育学研究科修士課程修了、京都学芸大学教育学部助手、1965年京都教育大学(校名変更)助教授、77年教授。1972年「デューイ教育学の起源 彼の生長としての教育観はいかなる過程をへて成立したか」で京大教育学博士。79年京都教育大学附属桃山中学校校長、89年京都教育大学附属図書館長、1994年定年退官、名誉教授、宇治市生涯学習センター所長、1995年滋賀県立大学人間文化学部教授、同交流センター長、2011年退任、名誉教授。
川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)… 川上 のぼる(かわかみ のぼる 、本名:川上 登(読み同じ)、1929年12月11日 - 2013年9月7日)は、日本の腹話術師、声帯模写師。 寄席芸としての腹話術を確立した第一人者と評される。日本腹話術師協会名誉会長を歴任した。 京都市出身。日本画家の川上拙以の次男(兄は東映の美術監督やCFディレクターを務めた川上晃、弟は陶芸家の川上徹)。 芸事好きの父が2代目渋谷天外や2代目桂春團治らと親交があったため、幼少時から芝居小屋や寄席の楽屋に出入りする。少年時代からチャップリンやヒトラーのモノマネを得意とし、その芸の腕を買った2代目天外に「養子に欲しい」と言わしめたほどだったという。 旧制中学5年の時、腹話術師エドガー・バーゲン(英語版)の出演する映画に感激し、ぬいぐるみを用いた見よう見まねの腹話術を、学校の文化祭で披露した。
新田 博衞(にった ひろえ、1929年10月28日 - 20… 新田 博衞(にった ひろえ、1929年10月28日 - 2020年4月11日)は、日本の美学者。京都大学名誉教授。 京都市生まれ。1955年京都大学文学部哲学科卒業。1960年京都大学大学院文学研究科博士課程美学美術史専攻修了。京都大学文学部助手(1961年4月-1964年3月)、京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)講師(1964年4月-1966年3月)を経て京都大学教養部講師へ(1966年4月)。1968年4月より同助教授、1978年5月より同教授。1988年4月-1990年3月教養部長。1992年10月より総合人間学部教授に異動、1993年3月停年退官後、大阪芸術大学大学院教授(1993年4月-2000年3月)。
粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日… 粟辻 博(あわつじ ひろし、1929年〈昭和4年〉7月20日 - 1995年〈平成7年〉5月5日)は、日本のテキスタイルデザイナーである。京都府京都市出身。 京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)卒業後、鐘淵紡績(後のカネボウ、現在のクラシエホールディングス)に勤務する傍ら、テキスタイルや油絵の制作を手掛ける。1955年(昭和30年)に上京した後に、フリーランスとしての活動を開始した。 その後は粟辻の作品が二科展や読売アンデパンダン展等に出品されたり、個展を開いたことにより数多くの賞を受賞する。1966年(昭和41年)にはフジエテキスタイルのデザイン主任に就任し、1988年(昭和63年)には多摩美術大学の教授となった。
岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 202… 岩崎 馨(いわさき かおる、1929年5月29日 - 2025年2月22日 )は、日本の労働運動家。 京都市生まれ。1948年12月日本鋼管に入社し、電機課に配属となる。1953年明治学院大学経済学部卒業。1964年9月日本鋼管製鉄労働組合連合会中央執行委員調査担当を経て、のち同労組調査部長。1976年政策推進労組会議事務局次長。1978年日本鉄鋼産業労働組合連合会(鉄鋼労連)調査部長。1978年4月明治学院大学経済学部講師(1981年3月まで)。1982年全日本民間労働組合協議会(全民労協)調査局長(2002年まで)。1985年社団法人国際産業・労働研究センター事務局長。2000年財団法人社会経済生産性本部(2009年より日本生産性本部)社会労働部参与、労働研究センター事務局長。