石橋 瀬凪(いしばし せな、2006年4月22日 - )は、… 石橋 瀬凪(いしばし せな、2006年4月22日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィルダー(MF)。 Jリーグ・湘南ベルマーレ所属。 神戸弘陵学園高校 から2025年に湘南ベルマーレに加入した。 2025年5月25日のアルビレックス新潟戦でJリーグ初出場を果たす。 2026年1月に行われたAFC U23アジアカップ2026でU-23日本代表に選出された。
坂本 稀吏也(さかもと きりや、2003年4月23日 - )… 坂本 稀吏也(さかもと きりや、2003年4月23日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・モンテディオ山形所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 セレッソ大阪西U-15時代から大型で左利きのストライカーとして注目を集めた。 2019年、U-18へと昇格した1年目に、フォワードとして大阪府国体選抜のメンバーに選ばれた。 2021年より風間八宏がアカデミーの技術委員長に就任し、指導方針が「止める・蹴る」の個人技術に主眼をおいたものに変わった事で、2021年4月からプロになるために、ポゼッションや戦術に対して頭を使うサッカーをする興國高校に加入した。 興國高校に加入した高校3年からディフェンダーとなった。
永長 鷹虎(えいなが たかとら、2003年4月7日 - )は… 永長 鷹虎(えいなが たかとら、2003年4月7日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・福島ユナイテッドFC所属。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 高校1年生までは無名の存在だったが、高校入学後に身体が急成長。1学年上の樺山諒乃介からスプリントを学び、オフ・ザ・ボールの動きも改善。2021年6月16日、興國高校から川崎フロンターレへの加入内定が発表された。 2022年シーズンより川崎フロンターレに入団。6月1日、天皇杯2回戦でプロデビューを果たし、プロ初ゴールを決める活躍を見せた。 2023年6月、水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍。 2024年シーズンよりザスパ群馬へ育成型期限付き移籍。
加藤 聖(かとう ひじり、2001年9月16日 - )は、兵… 加藤 聖(かとう ひじり、2001年9月16日 - )は、兵庫県神戸市北区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・RB大宮アルディージャ所属。ポジションはディフェンダー(DF)。JFAアカデミー福島9期生。 2019年9月4日、2020年シーズンよりJFAアカデミー福島の同期植中朝日とともにV・ファーレン長崎に加入することが発表された。 2年目の2021年3月27日、J2第5節の大宮アルディージャ戦に途中出場し、プロデビューを果たした。8月25日、J2第24節のツエーゲン金沢戦でプロ初ゴールを決めた。 2023年7月、横浜F・マリノスへ完全移籍加入。 2025年、ファジアーノ岡山FCへ完全移籍加入。 2026年、RB大宮アルディージャに完全移籍。
小林 友希(こばやし ゆうき、2000年7月18日 - )は… 小林 友希(こばやし ゆうき、2000年7月18日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。エクストラクラサ・ヤギエロニア・ビャウィストク所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 ヴィッセル神戸のサッカースクール出身で当時から高身長、左利きということで注目されていた。スクールからアカデミーへ昇格後も順調に成長し2016年5月、高校1年生でトップチームに2種登録された。翌2017年も6月に2種登録され、天皇杯2試合でベンチ入りした。 2018年4月4日に行われたルヴァンカップの湘南ベルマーレ戦にてトップチーム公式戦に初出場した。4月15日、第8節の横浜F・マリノス戦でJ1リーグ初出場を果たした。
西矢 健人(にしや けんと、1999年11月7日 - )は、… 西矢 健人(にしや けんと、1999年11月7日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。Kリーグ・浦項スティーラース所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 大阪桐蔭高校時代に主将として第96回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。卒業後は明治大学に進学。同期に青嶋佑弥、稲見哲行、岡庭愁人、加藤蓮、杉浦文哉、藤原悠汰がいた。サッカー選手の西矢慎平(カターレ富山)は実弟。 2022年に当時JFLだったFC大阪への加入が決まった。FC大阪ではアマチュア登録だった。 FC大阪がJ3に加盟した2023年は開幕から20試合連続で出場した。 2023年8月、藤枝MYFCに期限付き移籍。 2023年12月4日、藤枝への完全移籍が発表された。
濱 琳太郎(はま りんたろう、1999年5月18日 - )は… 濱 琳太郎(はま りんたろう、1999年5月18日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 神戸FCから兵庫県立西宮高等学校を経て、高知大学に進学した。2021年と2022年の全日本大学サッカー選手権大会にも参加した。 2023年3月7日にフィリピン・フットボールリーグのセブFCに加入した。シーズン中の加入であったが、3得点を記録した。その後契約を更新し、AFCカップに参加した。
藤谷 壮(ふじたに そう、1997年10月28日 - )は、… 藤谷 壮(ふじたに そう、1997年10月28日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。レイラック滋賀FC所属。ポジションは右サイドバック。 プロサッカー選手の藤谷匠は実兄。 小学生年代からヴィッセル神戸のアカデミーで育ち、2014年、15年と2年連続でトップチームに2種登録され、2015年4月12日J1・1stステージ第5節ヴァンフォーレ甲府戦で途中出場で初出場。17歳5か月15日でクラブの最年少出場記録を更新した。 2016年シーズンよりヴィッセル神戸のトップチームに昇格。神戸ジュニア(現U-12)からは初の昇格となった。 2017年4月12日、ルヴァンカップ第2節の横浜F・マリノス戦で同シーズン初先発を果たした。
小林 里歌子(こばやし りかこ、1997年7月21日 - )… 小林 里歌子(こばやし りかこ、1997年7月21日 - )は、兵庫県神戸市出身の女子サッカー選手。日テレ・東京ヴェルディベレーザ所属。元サッカー日本女子代表。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。Jリーガーの小林成豪は実兄。 小学校時代に兄の小林成豪も所属していた地元の若草少年サッカークラブでサッカーを始める。神戸市立小束山小学校出身。小学6年生の時には4x100mリレーの選手として神戸女子選抜長距離大会に参加して3位になる。10歳で神戸市女子トレセンU-11、12歳でナショナルトレセンU-12関西を経て、U-13日本女子選抜に選ばれた。神戸市立多聞東中学校に進学すると同時にアギラス神戸に入団、12歳でなでしこチャレンジリーグの試合に出場するようになった。
和田 倫季(わだ ともき、1994年10月30日 - )は、… 和田 倫季(わだ ともき、1994年10月30日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。サッカー指導者の和田昌裕は父、サッカー選手の和田篤紀は兄に当たる。 Kリーグ時代の登録名は倫季(ハングル: 토모키)。 2013年シーズンよりヴィッセル神戸のトップチームへ昇格。J3のJリーグ・アンダー22選抜のメンバーとして試合に出場。 2015年7月31日、Kリーグクラシック・仁川ユナイテッドFCへ期限付き移籍。2016年1月、神戸との契約が満了となり退団した。 2016年より同リーグの光州FCに完全移籍。2017年7月27日、兄・篤紀のいる韓国・KリーグチャレンジのソウルイーランドFCに移籍。
米原 祐(よねはら ゆう、1994年8月18日 - )は、兵… 米原 祐(よねはら ゆう、1994年8月18日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。日本フットボールリーグ・Criacao Shinjuku所属。ポジションはディフェンダー(DF)。 作陽高校を経て、関西学院大学へ進学し、4年次に主将を務めた。 2017年より、SC相模原へ加入した。 2019年、いわてグルージャ盛岡に移籍。 2020年、Criacao Shinjukuへ加入。
小林 成豪(こばやし せいごう、1994年1月8日 - )は… 小林 成豪(こばやし せいごう、1994年1月8日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・レノファ山口FC所属。ポジションはミッドフィールダー。マネジメント会社はジャパン・スポーツ・プロモーション(JSP)。 サッカー選手の小林里歌子は妹に当たる。 ヴィッセル神戸のアカデミーの出身で、高校卒業後に関西学院大学に入学。大学ではサッカー部に所属し、井筒陸也や呉屋大翔が同期に当たる。大学4年次にはヴィッセル神戸の特別指定選手として承認された。 2016年、ヴィッセル神戸に入団。指揮官のネルシーニョのサッカーにいち早く対応し開幕戦から出場機会を得ると、5月18日のナビスコ杯予選・ヴァンフォーレ甲府戦でプロ初得点をマーク。
和田 篤紀(わだ あつき、1993年2月9日 - )は、兵庫… 和田 篤紀(わだ あつき、1993年2月9日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。サッカー指導者の和田昌裕は父、サッカー選手の和田倫季は弟に当たる。 Kリーグ時代の登録名は篤紀(ハングル: 아츠키)。 ヴィッセル神戸のアカデミーの出身。2011年に関西大学に入学してサッカー部に入部。2011年、2012年および2014年に全日本大学選抜に選出された。 2015年、京都サンガF.C.に入団した。2016年シーズン終了後に契約満了によりチームを退団。 2017年より韓国のソウルイーランドFCと契約した。7月には、弟の倫季も同年7月にソウルEへ移籍した。日本人の兄弟が同じクラブでプレーするのはKリーグ初である。
昌子 源(しょうじ げん、1992年12月11日 - )は、… 昌子 源(しょうじ げん、1992年12月11日 - )は、兵庫県神戸市北区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・FC町田ゼルビア所属。ポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。 小学生時代にフレスカ神戸でサッカーを本格的に始める。入団当初のポジションはフォワードであった。 中学生になると、ガンバ大阪ジュニアユースに入団してプレーを続ける。当時のチームメイトに宇佐美貴史や大森晃太郎がおり、中学1年時は共に同じピッチに立ってプレーをしていた。中学2年に入る頃に膝を負傷し、満足にプレーできない日々が続いた。中学3年の途中でG大阪のジュニアユースを退団し、しばらくサッカーをしない空白期間があった。
池永 航(いけなが わたる、1991年11月30日 - )は… 池永 航(いけなが わたる、1991年11月30日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。ポジションはDF (主にCB)。 清明学院高等学校から「体育の教師の免許が取れるから」との理由で大阪体育大学へ進学。同級生に山本大稀、伊佐耕平らがいる。1年生からベンチ入りを果たし、4年生の時(2013年)には中心メンバーの一人として関西学生リーグ1部優勝と大学選手権(インカレ)での全国制覇に貢献する。 翌2014年に日本フットボールリーグ (JFL) ・レノファ山口FCに入団。この年のJFLではルーキーイヤーながら全26試合のうち25試合に出場(うち24試合は先発フル出場)し、山口のJ3リーグ入りに貢献した。
安藤 由翔(あんどう なおと、1991年8月28日 - )は… 安藤 由翔(あんどう なおと、1991年8月28日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。
飯尾 竜太朗(いいお りゅうたろう、1991年1月30日 -… 飯尾 竜太朗(いいお りゅうたろう、1991年1月30日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー(サイドバック)。 ヴィッセル神戸の下部組織出身。阪南大学では主将を務め、右サイドバックとして2012年の総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント、関西学生サッカーリーグ優勝に貢献した。 練習参加したクラブは、全て不合格ではあったが、最終的に松本山雅FCに合格、2013年より入団。2015年、J1に昇格。 2017年にV・ファーレン長崎へ完全移籍により加入した。2018年J1に昇格。 2019年にベガルタ仙台に完全移籍で加入。 2020年をもってベガルタ仙台を退団。
湯田 逸友(ゆだ はやと、1989年10月9日 - )は、兵… 湯田 逸友(ゆだ はやと、1989年10月9日 - )は、兵庫県出身のサッカー選手。関西サッカーリーグ・レイジェンド滋賀FC所属。ポジションは、ミッドフィールダー。
澤田 由佳(さわだ ゆか、1989年2月12日 - )は、兵… 澤田 由佳(さわだ ゆか、1989年2月12日 - )は、兵庫県神戸市出身の元女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 啓明学院高等学校卒業。地元神戸の本庄FCガールズでサッカーを始め、神戸FCレディースからTASAKIペルーレFCに入団。所属クラブが2008年シーズンをもって活動休止したため、2009年にスペランツァF.C.高槻へ移籍。 その後、ASエルフェン狭山FCを経て2013年からバニーズ京都SCに所属。2016年9月24日の静岡産業大学磐田ボニータ戦にてリーグ通算150試合出場を達成。 2018年、伊賀フットボールクラブくノ一に移籍。 2020年、スペランツァ大阪高槻に移籍。
金 正也(キム・ジョンヤ、1988年5月17日 - )は、兵… 金 正也(キム・ジョンヤ、1988年5月17日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手(元プロサッカー選手)。ポジションはディフェンダー。 小学生の頃に地元神戸市の夢野SCでサッカーを始める。また、父親の影響で幼稚園~小学校までは神戸ポートアイランドジェッツJr.その後中学3年まで 高槻市のクラブでアイスホッケーもプレーしていた。高校は神戸科学技術高校に進学。 2007年に駒澤大学に進学。1年次から激しいプレーとヘディングの強さを生かしたセンターバック として出場機会を得て活躍し、3年次には豊富な運動量でボランチ(アンカー)の位置でもプレーし、関東大学選抜にも選ばれた。4年次には主将を務め、チームを総理大臣杯優勝に導いた。
柏木 陽介(かしわぎ ようすけ、1987年12月15日 - … 柏木 陽介(かしわぎ ようすけ、1987年12月15日 - )は、兵庫県神戸市須磨区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(攻撃的ミッドフィールダー、セントラル・ミッドフィールダー)。元日本代表。 妻は元TBSアナウンサーの佐藤渚。 兵庫県神戸市須磨区出身で、揖保郡御津町(現:たつの市)で育った。小中学校の同級生には木下真吾がいた。中学3年時、ヴィッセル神戸ユースに進もうとしていたが、サンフレッチェ広島からスカウトされ、テストを経て2003年広島ユースに加入。その当時は体がかなり細かったこともあり、関西圏チームのどこからも具体的なスカウトはなかった。 元々は攻撃的なMFの選手だったがボランチにコンバートされ、高校2年からレギュラーを掴み、チームの中軸としてユースチームで高円宮杯全日本ユース選手権の初制覇、日本クラブユース選手権の連覇を達成し、高校3年次には2種登録選手としてナビスコカップに出場。
増田 清一(ますだ きよかず、1987年5月13日 - )は… 増田 清一(ますだ きよかず、1987年5月13日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。 ポジションはディフェンダー。
木島 悠(きじま ゆう、1986年5月18日 - )は、兵庫… 木島 悠(きじま ゆう、1986年5月18日 - )は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。九州サッカーリーグ・ジェイリースFC所属。登録ポジションはフォワード。 滝川第二高校サッカー部では、同期にSDウエスカFW岡崎慎司がいる。筑波大学蹴球部では4年時には関東大学リーグ1部にて18得点をマークし、得点王となっている。同期には西川優大、田中秀人、永芳卓磨、野本泰崇らがいた。 2009年、高校時代の同級生・岡崎慎司が所属する清水エスパルスに加入し、再チームメイトになった。清水時代では、3シーズン在籍したが、リーグ戦では出場機会は無し。通算出場試合はカップ戦での5試合のみであった。2011年限りで清水を退団。
上杉 哲平(うえすぎ てっぺい、1985年11月11日 - … 上杉 哲平(うえすぎ てっぺい、1985年11月11日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
河本 裕之(こうもと ひろゆき、1985年9月4日 - )は… 河本 裕之(こうもと ひろゆき、1985年9月4日 - )は、兵庫県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー。 神戸市西区のサッカーの名門高校滝川第二高等学校を卒業。全国大会においても主力として活躍。 2010年の第22節京都サンガ戦では、後半34分に3人の交代枠を使い切った状態でゴールキーパー榎本達也が2枚目のイエローカードにより退場。徳重健太のユニフォームを借りて残り時間をゴールキーパーとしてプレーしたが、榎本に加えて松岡亮輔も退場となっており2人少ない状況であったためセットプレーに参加していたことも影響し、ロスタイムにディエゴと渡邉大剛にゴールを決められた。チームも0-3で敗れている。
木村 光佑(きむら こうすけ、1984年5月14日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1984年5月14日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、コーチ。ポジションはディフェンダー(サイドバック)。 メジャーリーグサッカー(以下MLS)初の日本人選手。 2007年1月のMLSサプリメンタルドラフトで日本人プレーヤーとして初めてコロラド・ラピッズに全体の35番目で指名され、同年3月に正式契約の28人枠に生き残り、日本人初のMLSプレーヤーとなった。 2007年シーズンも終わりに近づいた9月22日のレアル・ソルトレイク戦で右サイドバックとして90分間プレーし、1年目にしてトップデビューを果たす。10月7日のトロントFC戦でも同ポジションでフル出場。
藤田 祥史(ふじた よしひと、1983年4月13日 - )は… 藤田 祥史(ふじた よしひと、1983年4月13日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 サッカー選手の藤田浩平は実弟。 立命館大学時代には、関西大学リーグ得点王を2回、アシスト王を1回獲得し大学屈指のストライカーだった。 2006年にサガン鳥栖に入団。ルーキーながら開幕戦に出場し、以後スタメンに定着。4得点を挙げる。 2007年は前年までチームのエースストライカーであった新居辰基が移籍したため、攻撃の柱として期待されると、見事その期待に応え、J2得点ランキングで日本人トップとなる24得点をあげた。この年のシーズンオフには、複数のJクラブのオファーがあったが、それを断って鳥栖への残留を決めた。
前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )… 前田 遼一(まえだ りょういち、1981年10月9日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 兵庫県神戸市で生まれる。1歳の頃からアメリカへ転居し、小学1年生までの6年間をロサンゼルスで過ごす。日本へ帰国し小学2年生からは東京都の小学校へ、同3年生時に横浜市へ転居し鴨志田緑小学校に通った。 2歳年長の兄の影響でサッカーを始め 小学3年生の時に本格的に取り組み始める。1993年度の全国高校選手権を観て、同大会に出場した暁星高校への進学を決め 1994年より暁星中学校へ進学。中学生時には東京都選抜やナショナルトレセンに選出された。
西部 洋平(にしべ ようへい、1980年12月1日 - )は… 西部 洋平(にしべ ようへい、1980年12月1日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 1999年に浦和レッズに入団したが、その年にチームはJ2降格となる。2000年のJ2終盤では、総監督に就任した横山謙三に抜擢され田北雄気を抑えて正GKの座を掴み、J1復帰に貢献。しかし、2002年にハンス・オフトが監督に就任すると開幕直後こそは正GKとしてゴールマウスに立っていたが、シーズン序盤に当時2年目の山岸範宏に正GKの座を奪われ出場機会が激減。 2003年には都築龍太が加入した事で、第3のGKとなってベンチ入りすらも出来なくなった。 2003シーズン途中の6月にGKに負傷者が続出していた鹿島アントラーズに期限付き移籍するも曽ヶ端準の前に出場機会はなかった。
明神 智和(みょうじん ともかず、1978年1月24日 - … 明神 智和(みょうじん ともかず、1978年1月24日 - )は、兵庫県神戸市出身のプロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(ボランチ)。元サッカー日本代表。
船越 優蔵(ふなこし ゆうぞう、1977年6月12日 - )… 船越 優蔵(ふなこし ゆうぞう、1977年6月12日 - )は、兵庫県神戸市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、フォワード(FW) 。S級指導者ライセンス所持)。 1993年、U-17世界選手権で初のベスト8に入ったU-17日本代表の中心選手。中田英寿・宮本恒靖・松田直樹・戸田和幸などメンバーが揃うチームのエースストライカーであった。1995年サンフレッチェ広島の今西和男総監督は、高木琢也の後継者として船越に目をつけスカウトしようとしていた。その際、船越は海外留学を強く希望していたが、今西には「コミュニケーション能力が備わってない状況で海外留学させる気はない」ポリシーがあったため手を引いた。
小菊 昭雄(こぎく あきお、1975年7月7日 - )は、兵… 小菊 昭雄(こぎく あきお、1975年7月7日 - )は、兵庫県神戸市出身の元アマチュアサッカー選手、サッカー指導者。J2リーグ、サガン鳥栖監督。 滝川第二高校出身で、高校時代は黒田和生から指導を受けた。中盤の選手で、高校1年生の時に全国高校選手権の登録メンバーに入ったが、出場機会は皆無だった。高校2年生で、父親を病気で亡くした。[要出典] 1994年、愛知学院大学に入学。 プロ選手になるのは難しいという立場を理解するようになった。「サッカーの近くで仕事がしたい」という夢を知っていた友人(当時のセレッソ大阪社長鬼武健二の息子)に紹介され、セレッソ大阪に手紙を書いて面接に臨んだ。 卒業直前の1998年2月からセレッソ大阪下部組織のコーチにアルバイト採用され、子供たちを教えるところからスタートした。
和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、… 和田 昌裕(わだ まさひろ、1965年1月21日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。次男の和田篤紀および三男の和田倫季もサッカー選手である。
永島 昭浩(ながしま あきひろ、1964年〈昭和39年〉4月… 永島 昭浩(ながしま あきひろ、1964年〈昭和39年〉4月9日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手で、サッカー解説者、スポーツキャスター。元サッカー日本代表。長女の永島優美は元フジテレビのアナウンサー。また、プロ野球の横浜DeNAベイスターズに所属している佐野恵太、福岡ダイエーホークス、西武ライオンズ、阪神タイガースなどでプレーした佐々木誠とも親戚関係にある(佐野の妻が優美の夫の妹、佐々木は佐野の伯父にあたる)。 小学4年からサッカーを始め、御影工業高校時代は1年からインターハイ出場、1、2年時には全国高校選手権出場。3年では兵庫県選抜入りし、島根国体で優勝。 高校卒業後の1983年、松下電器産業サッカー部(現:ガンバ大阪)に入団。
祖母井 秀隆(うばがい ひでたか、1951年9月2日 - )… 祖母井 秀隆(うばがい ひでたか、1951年9月2日 - )は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手・サッカー指導者、経営者。 兵庫県神戸市で生まれ、幼少期は兵庫県芦屋市で育つ。宮川小学校、芦屋市立精道中学校、報徳学園高校を経て、大阪体育大学に入学。 大学卒業後、1975年に読売サッカークラブに入団。半年で退団し、西ドイツに渡り、ドイツ4部リーグのBTSノイシュタント(BTS Neustadt)でプレー。退団後は引き続現地に留まり、ケルン体育大学でコーチング学を学ぶ。 1984年に帰国して、母校の大阪体育大学サッカー部および同好会チームの大体大蹴鞠団(佐川急便大阪SCの前身)でコーチを担当。 1995年からジェフユナイテッド市原・千葉(当時はジェフユナイテッド市原)の育成部長、1997年から2006年までゼネラルマネージャーに就任。
加藤 寛(かとう ひろし、1951年1月29日 - )は、兵… 加藤 寛(かとう ひろし、1951年1月29日 - )は、兵庫県神戸市出身(生まれは岡山県久米郡)のサッカー指導者。元ヴィッセル神戸監督。1977年から1998年まで日本サッカー協会ナショナルトレセンコーチも務めていたほか、兵庫県サッカー協会常務理事・日本クラブユースサッカー連盟理事なども務め、神戸アスリートタウンクラブの設立など、関西を中心にサッカーの普及に尽力している。父親は神戸フットボールクラブ創設者の1人である加藤正信。 父親の影響でサッカーを始め、神戸市立上野中学校、神戸市立葺合高等学校を経て、大阪体育大学に進学。大学1年生のときには第1回FIFAコーチング・スクールでデットマール・クラマーの助手を務めた。
継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - … 継谷 昌三(つぎたに しょうぞう、1940年6月25日 - 1978年6月2日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手。ポジションはMF。 神戸市出身で実家は材木商を営んでいて、裕福であったとされる。関西学院中学部サッカー部では3年次の1955年に主将を務めた。関学高等部でもサッカー部に所属して関学高等部の黄金時代の中心的な役割を担った。 1959年に関西学院大学に入学しサッカー部に所属し、この年に開催されたAFCユース選手権1959の日本代表に選出された。また、大学3年次の1961年8月15日にはインドネシア代表戦で日本代表として初出場した。大学4年次は主将を務めた他、1962年のアジア大会の代表に選出され出場も果たした。
杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 20… 杉本 茂雄(すぎもと しげお、1926年12月4日 - 2002年4月2日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、実業家。選手時代のポジションはHB、FB。 兵庫県立第一神戸中学校を経て関西学院大学法学部に入学。在学中はサッカー部に所属した。1948年3月に大学を卒業し、同年4月に京阪神急行電鉄(現:阪急電鉄)に入社。 同社入社後もサッカーを続け、鴇田正憲らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として1950年、1953年および1955年の全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)の優勝に貢献した。 1951年2月11日の全関西戦で日本代表として初出場 し、1951年3月にインドで開催されたアジア競技大会、1954年3月の1954 FIFAワールドカップ・予選など国際Aマッチ3試合を6試合に出場した。
岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 200… 岡田 吉夫(おかだ よしお、1926年8月11日 - 2002年6月22日)は兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。元丸紅参与。 兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)時代は賀川浩らと共に活躍。神戸高等工業学校(神戸大学工学部の前身)を経て、早稲田大学に進学して、ア式蹴球部に所属した。1950年に大学を卒業して大平鉱山(岡山県)に入社した。 関学クラブ在籍時の1951年2月11日、全関西戦で日本代表として初出場した。以降は1951年のアジア大会、1954 FIFAワールドカップ・予選、1954年のアジア大会などに出場。合計で国際Aマッチ7試合に出場した。 また、1990年代には早稲田大学ア式蹴球部女子の監督を務めた。
岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1… 岩谷 俊夫(いわたに としお、1925年10月24日 - 1970年3月1日)は兵庫県神戸市灘区出身の新聞記者、サッカー選手、サッカー指導者。 御影師範学校附属小学校でサッカーを始める。 1938年に兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)へ進学、ア式蹴球部のエースとして1941年に明治神宮競技大会で優勝、翌1942年には主将として橿原神宮大会優勝と明治神宮競技大会連覇に貢献した。1943年に早稲田大学に進学しア式蹴球部へ入部。 1945年7月に兵役に就いたが、病気のために同年8月に除隊となった。戦後は早稲田大学に復学し、1946年と1947年に関東大学サッカーリーグ戦と東西大学1位対抗において2年連続二冠に貢献した。
鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 20… 鴇田 正憲(ときた まさのり、1925年6月24日 - 2004年3月5日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、経営者。1940年代から1950年代の日本を代表する右ウイング。 神戸市立西灘小学校、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高校)を経て、1944年に関西学院大学経済学部に入学。在学中はサッカー部に所属し、関西学生サッカーリーグなどで優勝した。 1950年3月に大学を卒業後、1950年4月に田辺製薬(現:田辺三菱製薬)に入社。サッカー部では、賀川太郎とのコンビで活躍し、全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝に貢献。また、杉本茂雄らと共に「関学クラブ/全関学」(現役、OBで構成される混成チーム)の一員として全日本選手権大会 (現:天皇杯全日本サッカー選手権大会)で4回の優勝の優勝に貢献した。
賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990… 賀川 太郎(かがわ たろう、1922年8月9日 - 1990年3月6日)は、兵庫県神戸市出身の元サッカー選手。 神戸一中(現・県立神戸高校)、神戸経済大学(現・神戸大学)を経て、1948年に田辺製薬サッカー部に入団。全日本実業団サッカー選手権大会で6連覇を含む7回の優勝を遂げた田辺製薬の黄金期を支えた一人だった。同時期の天皇杯全日本サッカー選手権大会には大阪クラブの選手として出場し、1951年から3年連続で準優勝している。 日本代表としてもワールドカップ・スイス大会予選など、国際Aマッチ5試合に出場した。 2006年に第2回日本サッカー殿堂入りした。サッカーライターの賀川浩は実弟である。
大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 19… 大谷 四郎(おおたに しろう、1918年4月23日 - 1990年11月9日)は、兵庫県神戸市出身のサッカー選手、サッカー指導者、サッカージャーナリスト。東洋紡元社長の大谷一二は実兄。また、俳優の大谷亮介は長男、高畑裕太は孫である。 1918年4月23日神戸市御影生まれ。内海紡績常務取締役を務めた大谷恭助の四男として生まれる。御影師範学校附属小学校時代からサッカーに親しみ、兵庫県立第一神戸中学校(現:兵庫県立神戸高等学校)でサッカー部に入部。1934年の全国招待大会、1935年の全国中等学校選手権(現・全国高等学校サッカー選手権大会)に優勝し、2年連続全国大会制覇を達成した。第一高等学校(文科乙類)在学時代にも得点力のあるFWとして活躍。
津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日 - 1979… 津田 幸男(つだ ゆきお、1917年8月15日 - 1979年4月17日)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはGK。兵庫県神戸市出身。 第一神戸中学校時代に二宮洋一、直木和らと共に1933年に全国中等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)で優勝。卒業後には二宮と共に慶應義塾大学へ進学し、体育会ソッカー部へ入部。レギュラーの座を掴むと関東大学サッカーリーグ戦4連覇(1937年、1938年、1939年、1940年)、1937年の全日本総合蹴球選手権大会 (後の天皇杯全日本サッカー選手権大会)優勝、慶應BRB(現役選手とOBからなる混成チーム)の一員として1936年、1939年、1940年の全日本総合蹴球選手権大会 優勝に貢献した。
播磨 幸太郎(はりま こうたろう、1915年 - 1953年… 播磨 幸太郎(はりま こうたろう、1915年 - 1953年7月19日)は、日本のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード。兵庫県神戸市出身。 兵庫県御影師範学校附属小学校を経て、兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現:兵庫県立神戸高等学校)に入学し、サッカー部に所属。右近徳太郎が2年先輩に、直木和、津田幸男および二宮洋一が1年後輩に当たる。1933年1月に開催された第15回全国中等学校蹴球選手権大会での優勝に貢献した。 1933年に神戸一中を卒業して、慶應義塾大学予科に入学。慶應入学後よりソッカー部に所属して予科1年次よりレギュラー選手となった。また、在学中には慶應BRBで1度(1936年)、慶應義塾大学として1度(1937年)の計2回全日本選手権(現在の天皇杯全日本サッカー選手権大会)で優勝した。