古田 真美(ふるた まみ、1954年- )は、世界遺産などの… 古田 真美(ふるた まみ、1954年- )は、世界遺産などの研究者。夫の古田陽久が設立したシンクタンクせとうち総合研究機構および世界遺産総合研究所の各事務局長を務めた(1998年現在[update]–)。 広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校から青山学院大学に進学し文学部史学科を卒業する。1990年からシンクタンクせとうち総合研究機構の事務局長職につき、世界遺産総合研究所事務局長兼務(1998年–)。広島県景観審議会委員、広島県放置艇対策あり方検討会委員、NHK視聴者会議委員などを歴任する。世界の40か国約200箇所の世界遺産地を歴訪、世界遺産委員会に例年、オブザーバーとして出席してきた。
純 アリス(じゅん アリス、1953年6月20日 - 201… 純 アリス(じゅん アリス、1953年6月20日 - 2019年7月12日)は、日本のタレント、グラビアアイドル。女優。本名:三浦 雅璃子(みうら まりこ)。三浦 真理子(みうら まりこ)。旧姓は久保(くぼ)。広島県呉市出身。アクトエンタープライズに所属していた。身長164cm、B83cm、W57cm、H86cm(1980年6月)。 夫は俳優の三浦浩一。次男の三浦孝太、三男の三浦涼介はともに俳優である(次男の孝太は2021年に芸能界を引退)。 父親は戦後、当地に駐留したニュージーランド兵。母は日本人。一人っ子。2歳のときに両親が離婚。父親はニュージーランドに帰国し、母は上京。雅璃子は兵庫県神戸市の祖母のもとで育てられ、中学二年で上京したが、母のもとではなく、叔母の家に預けられた。
三戸 正宏(みと まさひろ、1953年〈昭和28年〉3月22… 三戸 正宏(みと まさひろ、1953年〈昭和28年〉3月22日 - )は、広島県呉市出身の農業協同組合経営者。 大阪電気通信大学工学部を卒業後は、一般企業での勤務を経て、1977年に呉農業協同組合に入組。 呉農協では、信用部事業推進課課長、信用部部長、監査室室長、非常勤理事、常勤監事等を歴任し、2019年6月からは、代表理事組合長に就任。 2023年4月1日に、広島県内の農業協同組合は、JA呉を含めた9農協が合併し、ひろしま農業協同組合を東広島市に設立。三戸は、初代代表理事組合長に同日から就任。2024年6月25日付で代表理事組合長を退任し、非常勤理事に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
岡本 朗(おかもと あきら、1952年<昭和27年>6月28… 岡本 朗(おかもと あきら、1952年<昭和27年>6月28日 - )は、広島県呉市出身のシンガーソングライター。旧芸名、岡本 一生(おかもと いっせい)。 シンガーソングライターとして、渡辺プロダクションよりデビュー。その傍ら、フジパシフィックミュージックと契約し、作曲活動を行った。その後、岡本朗に改名。劇団カクスコのア・カペラ・編曲と歌唱指導などを行う。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。
栩野 幸知(とちの ゆきとも、1952年5月28日 - )は… 栩野 幸知(とちの ゆきとも、1952年5月28日 - )は、日本の俳優であり、劇用刺青師、ガンエフェクトコーディネーター。広島県呉市出身。
町支 寛二(ちょうし かんじ、1952年5月5日 - )は、… 町支 寛二(ちょうし かんじ、1952年5月5日 - )は、広島県呉市出身のギタリスト。浜田省吾の長きに渡るパートナーとして知られる。
清水 希茂(しみず まれしげ、1952年〈昭和27年〉2月1… 清水 希茂(しみず まれしげ、1952年〈昭和27年〉2月19日 - )は、日本の実業家、元・中国電力株式会社代表取締役会長、元・相談役。第9代中国経済連合会会長(2023年8月31日退任)。 広島県呉市出身。広島県立呉三津田高等学校を経て1974年(昭和49年)大阪大学基礎工学部卒業。同年中国電力株式会社入社。主に火力畑を歩み、各地の発電所に勤務した後、2007年(平成19年)執行役員に就任。 2009年(平成21年)常務取締役、2011年(平成23年)取締役副社長を経て、2016年(平成28年)4月取締役社長に就任。同年6月より代表取締役社長執行役員。 2021年(令和3年)12月に行われた原子力規制委員会との意見交換で、テロ対策施設の為、非公表にされている島根原子力発電所の特定重大事故等対処施設の場所を言いかけ、更田豊志委員長から注意された。
鈴木 英貴(すずき ひでたか、1952年 - )は、日本のク… 鈴木 英貴(すずき ひでたか、1952年 - )は、日本のクライマー、カイトサーファー。 広島県呉市で生まれ、神奈川県横須賀市で育つ。 早稲田大学を2年で中退し、1980年よりアメリカに渡る。当時世界でも最難のクラックルートと言われた[誰によって?]カリフォルニア・ジョシュア・ツリーの“Stingray(5.13d)”フリー初登を筆頭に全米で数々のルートを初登・開拓。 渡米前は国内でアルパイン・クライミングをしており、未だ再登されていない甲斐駒ヶ岳赤石沢左方ルンゼ 冬季単独初登などの記録を持つ。 1990年後半、ボルダリングムーブメントの先陣を切ってビショップ (カリフォルニア州)に移住。1998年から2000年の3年間はビショップでボルダリングを半年、残りの半年はフランスのブリアンソンでルートクライミングをする生活を送った。
太田 房江(おおた ふさえ、1951年〈昭和26年〉6月26… 太田 房江(おおた ふさえ、1951年〈昭和26年〉6月26日 - )は、日本の政治家、実業家、タレント、通産官僚。本名は齊藤 房江(さいとう ふさえ)、「太田」は旧姓である。通称は「ふぅちゃん」。 参議院議員(2期)、経済産業副大臣兼内閣府副大臣(第2次岸田第1次改造内閣)、厚生労働大臣政務官(第3次安倍第1次改造内閣)、参議院文教科学委員長、大阪府知事(公選第15・16代)、岡山県副知事、通商産業省大臣官房審議官、自由民主党副幹事長、同参議院副幹事長、同政務調査会内閣第一部会長代理、自由民主党女性局長などを歴任。日本初の女性知事としても知られている。 国鉄社員の父の長女として広島県呉市に生まれる(現住所は大阪府豊中市新千里南町3丁目)。
古田 陽久(ふるた はるひさ、1951年4月24日 - )は… 古田 陽久(ふるた はるひさ、1951年4月24日 - )は、世界遺産に関する研究者で、自身が設立したシンクタンクせとうち総合研究機構から刊行されている著書をはじめ、多数の著書がある。1998年に世界遺産総合研究所を設立し、所長となっている。 山口県萩市を本籍に広島県呉市生まれ。広島県立呉三津田高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部卒業。15年間の総合商社勤務(日商岩井(現:双日))を経て、1990年(平成2年)シンクタンクせとうち総合研究機構を設立。1995年(平成7年)11月に、それまで資料の少なかったユネスコの「世界遺産」に関するデータを『世界遺産データ・ブック』(シンクタンクせとうち総合研究機構発行)として出版、朝日新聞の全国版(1995年12月14日朝刊大阪本社版では「生活予報」、東京本社版では「世界遺産ひと目で 140カ国、440件紹介」)で紹介される[要出典]。
古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - … 古今亭 菊丸(ここんてい きくまる、1951年4月1日 - )は、広島県呉市出身の落語家。落語協会所属。出囃子は『勧進帳』。紋は『鬼蔦』。 崇徳高等学校卒業。広島修道大学在学中の1975年11月に二代目古今亭圓菊に入門、古今亭志ん八と共に楽屋入りし菊助と名乗る。翌年3月に広島修道大学商学部商業学科を卒業し、11月に池袋演芸場にて『たらちね』で初高座。 1980年6月、古今亭志ん八、古今亭菊松、金原亭駒平と共に二ツ目昇進、菊之助を襲名。 1990年3月に林家しん平、林家錦平、橘家半蔵とともに真打昇進。菊丸に改名。 趣味∶ハワイ旅行、ゴルフ。お気に入りのアロハシャツがユニクロでも買えることに気づいてショックを受けているらしい。
向谷 匡史(むかいだに ただし、1950年12月3日 - )… 向谷 匡史(むかいだに ただし、1950年12月3日 - )は、広島県呉市出身の作家、僧侶、武道家(日本空手道昇空館館長)、保護司。 拓殖大学を卒業後、週刊誌記者を経て作家に。 1950年12月3日、広島県呉市に生まれる。広島県立呉宮原高等学校卒業。一浪して拓殖大学政経学部政治学科入学、74年卒業。高校時代から空手を始める。 在学中から漫画雑誌の活版ページなどに記事を書いていて、大学4年時に在学のまま小規模の経済雑誌に就職。次いで、夕刊スポーツ紙「内外スポーツ」で競馬担当。卒業はあきらめていたが、4月になり、授業料納付の案内が来ないので、まさかと思いつつ大学に行って問い合わせると、無事、卒業していたので本人が驚いたという。
新宅 よしみつ(しんたく よしみつ、1950年9月20日 -… 新宅 よしみつ(しんたく よしみつ、1950年9月20日 - )は、日本の漫画家。広島県呉市倉橋島出身。別名:新宅 善光(読みは同じ)。 高校を中退し、1967年に上京後、井上智に弟子入り。その後、久松文雄、梅本さちおのアシスタントを経て1972年、少年マガジン増刊号にて「闇に光る眼」でデビュー。後に永井豪のダイナミックプロでもアシスタントとして活動している。 2018年現在は画家としても活動しており、広島県呉市で絵画展を開いている。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
大久保 一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - … 大久保 一久(おおくぼ かずひさ、1950年7月22日 - 2021年9月12日)は、日本のミュージシャン、フォークシンガー、シンガーソングライターである。薬剤師でもある。血液型はA型。愛称は「クボやん」。広島県呉市出身。広島県立呉宮原高等学校を経て、昭和大学薬学部卒業。
川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )… 川崎 清貴(かわさき きよたか、1950年7月11日 - )は、日本の陸上競技選手。男子円盤投元日本記録保持者。中京大学体育学部卒業。身長198cm、体重100kg。 日本選手権6回優勝。日本記録を6回更新した選手で、1979年4月22日に出した60m22cmは、2017年まで陸上競技最古の日本記録として残っていた。 広島県呉市出身。広島県立広高等学校~中京大学卒業。中京大時代の1970年からインカレ3連覇。大学卒業後は大昭和製紙に入社し活躍。1973年から日本選手権2連覇。 1974年には梁川昌三が樹立した52m22の日本記録を10年ぶりに更新する52m86の日本新記録をマーク。1975年、53m18の日本新記録を樹立。
甲賀 真理子(こうが まりこ、1949年7月30日 - )は… 甲賀 真理子(こうが まりこ、1949年7月30日 - )は、日本のファッションデザイナー。広島県豊田郡安浦町(現・呉市)出身。広島県立呉三津田高校 - 東京学芸大学中退。1973年、文化服装学院卒業。 1974年、ニコル入社。ニコルブランド担当デザイナーとなる。1979年、ZELDA(ゼルダ)のチーフデザイナーに就任。年2回のコレクションを発表。1986年、同社取締役。ゼルダをMARIKO KOUGAと改め、1989年、マリコ・コウガ・アールを発表。1998年、ニコルを退職し、(株)マリコ・コウガを設立した。 ソワール(「MARIKO KOUGA Fil Dore」)やワールド(「LAMiAViTA」)などの数多のプロジェクトにて指揮やライセンス事業を手掛けてきたほか、日本を代表するファッションデザイナーとして東京ファッションデザイナー協議会とともに若手クリエイターの支援などにも取り組んでいる。
中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )… 中嶋 成博(なかじま しげひろ、1948年10月2日 - )は、日本の技術者、実業家。富士フイルムホールディングス代表取締役社長や、日本化学工業協会副会長を務めた。 広島県呉市出身。父は元大日本帝国海軍の技術者。聖光学院高等学校を経て、1971年に東京工業大学理学部化学科卒業後、同大学大学院理工学研究科化学専攻修士課程で光化学スモッグの研究に従事。 博士課程進学も考えたが進学希望者が多かったため、1973年に大学院修了後は、先輩の勧めで富士写真フイルム(現富士フイルム)に入社した。入社後は、企業の研究は自由度が低いと考えて工場勤務を志望し、足柄工場技術課に配属され薬剤設計を担当。1979年係長に昇格。
水野 節夫(みずの せつお、1948年 - )は、日本の社会… 水野 節夫(みずの せつお、1948年 - )は、日本の社会学者、法政大学教授である。 広島県呉市出身。1972年東京大学文学部卒業。1978年東京大学大学院社会学研究科博士課程後期中退。埼玉大学教養学部非常勤講師、東京水産大学非常勤講師、カリフォルニア大学バークレー校パーソナリティー評価・調査研究所客員研究員、東京大学教養学部非常勤講師などを経て、現在は法政大学社会学部教授。
宮迫 千鶴(みやさこ ちづる、1947年10月16日 - 2… 宮迫 千鶴(みやさこ ちづる、1947年10月16日 - 2008年6月19日)は、画家・エッセイスト。夫は画家の谷川晃一。 広島県呉市出身。1970年、県立広島女子大学文学部卒業。1984年エッセイ集『超少女へ』で注目され、上野千鶴子との対談を刊行、絵のほかに多くの女性論などのエッセイを刊行した。一貫してオカルト、スピリチュアルへの関心を抱いていた。1996年には『婦人之友』の表紙絵を担当していた。 2008年6月19日午後11時57分、リンパ腫のため埼玉県川越市の病院で死去。60歳没。 1991年の朝日新聞夕刊に連載していたコラムで、「(女性の結婚相手の条件として)3高というと怒る男性がいる。
小村 和年(こむら かずとし、1947年(昭和22年)5月1… 小村 和年(こむら かずとし、1947年(昭和22年)5月1日 - )は、日本の政治家、運輸・国土交通官僚。広島県呉市長(3期)、日本下水道協会会長などを歴任した。 広島県呉市出身。呉市立阿賀中学校、広島県立広高等学校卒業。1966年(昭和41年)4月、国税庁広島国税局入局。1967年(昭和42年)4月、呉税務署に配属。 1972年(昭和47年)3月、中央大学商学部卒業。同年4月、運輸省に入省、鉄道監督局総務課配属。1998年、近畿運輸局運航部長。2000年、運輸省航空局地域航空活性化対策室長。中国運輸局企画部長を経て、2001年(平成13年)8月、国土交通省を退職。 2001年(平成13年)11月4日に行われた呉市長選挙に立候補するも、現職の小笠原臣也に敗れ落選。
板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年… 板垣 英憲(いたがき えいけん、本名「ひでのり」、1946年〈昭和21年〉8月7日 - )は、日本の政治評論家、ジャーナリスト。 広島県呉市に生まれる(旧本籍地は鳥取県東伯郡大栄町(現北栄町)、現在はさいたま市在籍)。 東工大理工学部附属工業高校、中央大学法学部法律学科、海上自衛隊幹部候補生学校入校(第23期一般幹部候補生課程)。 1972年、毎日新聞社東京本社記者となり、社会部、政治部に所属。首相官邸に詰め福田赳夫・大平正芳、安倍晋太郎・田中六助各内閣官房長官の番記者を担当した。日本医師会、日本歯科医師会、全国健康保険組合連合会や、経済部に籍を置いて東証記者クラブにも所属、東京証券取引所、四大証券会社(大和・日興・野村・山一)、公正取引委員会などを担当した。
荒野 泰典(あらの やすのり、1946年 - )は、日本の歴… 荒野 泰典(あらの やすのり、1946年 - )は、日本の歴史学者。立教大学名誉教授。専門は日本近世史。広島県呉市出身。
河原 さぶ(かわはら さぶ、1945年11月10日 - )は… 河原 さぶ(かわはら さぶ、1945年11月10日 - )は、日本の俳優、タレント。広島県呉市出身。旧芸名は河原 裕昌(かわはら ひろまさ)。1982年に現在の芸名に改名。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 呉市立五番町小学校から、父の転勤で東京に移り、板橋区立上板橋第二小学校、板橋区立上板橋第二中学校を経て、広島市に転居し、広島市立国泰寺中学校、広島県広島国泰寺高等学校を卒業。兄は1960年代に活動した男性コーラス・グループ、「フォー・メイツ」の河原茂樹(河原たけし)で、兄に憧れ上京した。 1965年、東映演技研修所(第一期生)に入所。2年間大部屋俳優として活動するが、「スターにしてくれ」と東映本社に直談判に行き東映をクビになる。
坂田 明(さかた あきら、1945年2月21日 - )は、日… 坂田 明(さかた あきら、1945年2月21日 - )は、日本のジャズ・サクソフォーン奏者、タレント、俳優。ミジンコ研究家としても知られている。 息子もミュージシャンで、元・バンド「Polaris」のドラマー坂田学。 広島県呉市広長浜生まれ。広島県立広高等学校を経て、広島大学水畜産学部水産学科に進学し、井上敬三に師事。ジャズ研でアルトを吹く。大学卒業後、1969年4月に上京し、「細胞分裂」を結成。「ピットイン」「プルチネラ」等で活動。1972年から1979年末まで山下洋輔トリオに在籍。激しいサックス演奏で知られるようになる。同トリオを脱退後は、さまざまなグループの結成・解体を繰り返し、2000年から「坂田明mii(みい)」を中心に活動。
白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は… 白井 寿昭(しらい としあき、1945年1月13日 - )は、日本の競馬評論家。日本中央競馬会(JRA)の元調教師。所属は栗東トレーニングセンター。 戸籍上の表記は白井 壽昭だが、JRAでは旧字体等の登録が認められていない為、「寿昭」に修正して登録、引退後の活動名も修正表記で行う。 広島県呉市生まれ、大阪府育ち。立命館大学経営学部在学中はマンドリンクラブに所属していた。大学卒業後、1968年に京都・上田武司厩舎で厩務員となる。1973年には同厩舎の調教助手となり、1978年に調教師免許取得。 初出走は1979年10月6日の中京競馬第9競走のハルカボシで14着、初勝利は1980年3月23日の阪神競馬第8競走のスズカセイコーで、延べ46頭目であった。
峰崎 直樹(みねざき なおき、1944年(昭和19年)10月… 峰崎 直樹(みねざき なおき、1944年(昭和19年)10月14日 - )は、日本の元政治家。
岡野 昌弘(おかの まさひろ、1944年7月31日 - )は… 岡野 昌弘(おかの まさひろ、1944年7月31日 - )は、広島県呉市出身の元バレーボール選手。サントリー(現サントリーサンバーズ)初代監督。第4回から第11回Vリーグ実行委員長。 私立呉港高校時代からセッターとして活躍する。家庭の事情で大学進学を断念し1963年富士フイルムに入社。チームは1969年、実業団リーグに降格したが、主将として翌1970年、日本リーグ復帰に導いた。1973年、空前のバレーボール人気に目を付け、チームが創設されたサントリーへ新チーム作りを請われ移籍。選手の引き抜きでバレー界は大揺れしたが、初代監督兼選手として大古誠司らと共に奔走。自ら全国を駈けずり選手を集めるなどで1974年、全日本実業団大会優勝、翌1975年、結成2年目の超スピードでチームを日本リーグ入りさせた。
赤堀 侃司(あかほり かんじ、1944年7月21日 - )は… 赤堀 侃司(あかほり かんじ、1944年7月21日 - )は、日本の教育工学者。東京工業大学名誉教授。日本教育情報化振興会名誉会長。元日本教育工学会会長。 広島県呉市生まれ。1967年静岡大学理学部物理学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科物理学専攻修了、理学修士。1989年東京工業大学工学博士。 静岡県立清水南高等学校教諭、東京学芸大学講師、同助教授、東京工業大学助教授、同教授、同名誉教授、白鷗大学理事・教授・教育学部長、国連大学高等研究所客員教授、コンピュータ教育開発センター理事長等を歴任。 2005年日本教育工学会会長。2012年日本教育情報化振興会会長。2015年ICT CONNECT21(みらいのまなび共創会議)会長。
国貞 泰汎(くにさだ やすひろ、1944年1月1日 - )は… 国貞 泰汎(くにさだ やすひろ、1944年1月1日 - )は、広島県呉市出身の元プロ野球選手(内野手)。愛称は「ゴリ」。
富永 俊夫(とみなが としお、1943年5月1日 - )は、… 富永 俊夫(とみなが としお、1943年5月1日 - )は、日本の遠泳家。修道中学校・高等学校、慶應義塾大学出身。現在、津軽海峡単独遠洋横断の世界最高齢記録(73歳)を所持している。広島県呉市出身。広島市西区在住。 学生時代には水泳や水球の選手として活躍した。その後、大手家電メーカーに就職した。退職後に、水泳を再開し以下の経験を持つ。 80歳までは頑張りたいと話している。
藤本 佑子(ふじもと ゆうこ、現姓:内田、1943年1月14… 藤本 佑子(ふじもと ゆうこ、現姓:内田、1943年1月14日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。
山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者… 山野 勝(やまの まさる、1943年 - )は、日本の編集者、坂道研究家。講談社顧問、日本坂道学会会長。広島県呉市出身。 広島県呉市で生まれ、2歳から山口県柳井市で、小学校1年から東京都で育つ。早稲田大学政治経済学部新聞学科を卒業後、報知新聞社に入社し、その後講談社に入社する。「週刊ヤングマガジン」編集長、常務取締役、講談社コミッククリエイト代表取締役社長を歴任後、フリーへ転身。「週刊ヤングマガジン」編集長時代には『AKIRA』、『ビー・バップ・ハイスクール』などを世に出した。 歩けば東京が分かるだろうと、45歳頃から坂の魅力に目覚め、2年半かけ、名前のある約640の坂を「踏襲」。2000年に居酒屋で偶然会ったタモリと2人で坂道愛好家の会、日本坂道学会を設立した。
庄垣内 正弘(しょうがいと まさひろ、1942年4月17日 … 庄垣内 正弘(しょうがいと まさひろ、1942年4月17日 - 2014年3月23日)は、日本の言語学者。京都大学名誉教授。専門はウイグル語などのチュルク語研究。 広島県呉市出身。大阪外国語大学卒業、京都大学大学院博士課程中退、1974年に京都大学文学部助手、1980年に神戸市外国語大学助教授、1984年教授、1994年「古代ウイグル文阿毘達磨倶舎論実義疏の研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。1996年、京都大学大学院文学研究科教授、2006年に定年退官、名誉教授、京都産業大学客員教授(~2012年3月)。 2003年から2006年まで日本言語学会会長を務めた。ベルリン自由大学客員教授 (Mercator Professor (DFG))。
的川 泰宣(まとがわ やすのり、1942年〈昭和17年〉2月… 的川 泰宣(まとがわ やすのり、1942年〈昭和17年〉2月23日 – )は、日本の宇宙工学者、工学博士である。専門は、軌道工学、システム工学。 広島県呉市生まれ。戦艦大和が建造中の呉海軍工廠が一望できる高台が遊び場だった。呉市立荒神町小学校、呉市立二河中学校、広島大学附属高等学校を経て東京大学に進学する。1965年に東京大学工学部航空学科宇宙工学コースを第一期生として卒業し、東京大学大学院工学研究科航空学専攻に進学する。大学院の最後の年には、日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げに貢献。的川は糸川英夫の最後の弟子である。1970年東京大学大学院工学研究科航空学専攻博士課程を修了し、東京大学宇宙航空研究所に入所。
高鷲 忠美(たかわし ただよし、1941年1月30日 - )… 高鷲 忠美(たかわし ただよし、1941年1月30日 - )は、日本の図書館情報学者。八洲学園大学特任教授。専攻は図書館情報学、資料組織論、学校図書館経営論。全国学校図書館協議会理事。 広島県呉市生まれ。1963年東京学芸大学教育学部卒業、1964年文部省図書館職員養成所(現・筑波大学図書館情報学群)卒業、亜細亜大学図書館司書、図書館短期大学助手、静岡女子短期大学(現・静岡県立大学短期大学部)講師を経て、1975年助教授。東京学芸大学教授、附属教育実践総合センター長、附属図書館長を経て、現職。 学校図書館司書教諭の必要性を訴えていることや、図書館学の基本文献・教科書執筆で知られる。メディア出演もしている。
あすな ひろし(本名:矢野 高行(やの たかゆき)、1941… あすな ひろし(本名:矢野 高行(やの たかゆき)、1941年1月20日 - 2001年3月22日)は、日本の男性漫画家。東京都生まれ[3]、6歳から18歳まで広島県呉市育ち[4]。広島県修道高等学校卒。
奥原 國雄(おくはら くにお、1941年〈昭和16年〉1月1… 奥原 國雄(おくはら くにお、1941年〈昭和16年〉1月10日 - )は、日本の実業家。ケムコ商事代表取締役会長。 広島県呉市出身。広島県呉阿賀高等学校卒業。1963年、立教大学経済学部卒業。1978年、呉青年会議所第26代理事長。1992年、コトブキ技研工業社長に就任する。 趣味はゴルフ、囲碁。住所は広島県呉市和庄登町、西中央5丁目。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、… 伊賀 健一(いが けんいち、1940年6月15日 - )は、日本の工学者。工学博士。広島県呉市出身。東京科学大学栄誉教授・旧名東京工業大学18代学長。文化功労者 1940年、広島県呉市出身。広島大学附属高等学校を経て、東京工業大学理工学部電気工学課程卒業。大学4年次に末松安晴研究室で光・量子エレクトロニクスの研究に入門。東京工業大学教授、電子情報通信学会会長、日本学術振興会理事を歴任。 2007年より2012年まで東京工業大学学長。高速データ通信の信号源等に応用されている面発光レーザー(VCSEL)生みの親。高速光ファイバー通信網などインターネットやデータセンターの光配線への基礎技術、コンピューターマウス、レーザープリンターのレーザー光源などに展開される光エレクトロニクスの基礎を築いた。
槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 … 槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 夛鶴子、1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の映画監督、スクリプター。 1940年、日野夛鶴子として広島県呉市に生まれる。1945年の広島市への原子爆弾投下の際には、爆心地から25キロ離れた、当時の安佐郡久地村(現在の広島市安佐北区)の父親の実家で被爆する。1950年に大阪へ転居し、後に大阪府立北野高等学校に進む。この間、両親が離婚し、高校の頃から母の槙坪姓を名乗るようになる。 早稲田大学第一文学部演劇科卒業。在学中に最初の結婚をし、出産する(後に離婚)。24歳ころに関節リウマチを発症するが、27歳ころに俳優の米倉斉加年に紹介され、スクリプター(記録係)として民芸映画社で働くことになり、映画界に入る。
立石 二六(たていし にろく、1940年2月7日 -2024… 立石 二六(たていし にろく、1940年2月7日 -2024年)日本の法学者。専門は刑法。北九州市立大学名誉教授。元京都女子大学教授。広島県呉市出身 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
ゼンジー北京(ゼンジー ペキン、本名 渡辺重信、1940年〈… ゼンジー北京(ゼンジー ペキン、本名 渡辺重信、1940年〈昭和15年〉1月3日 - )は、広島県呉市出身のタレント、手品師である。和光プロダクション所属。 お笑いマジックのパイオニアとして、コミカルなトークと手品を融合させ、独自のエンターテインメントを築き上げている。 広島県呉市生まれ。4歳の時、大阪府三島郡(現在の摂津市)へ転居。大阪府立春日丘高等学校を卒業後、1958年にデパートのマジック売り場で、ディーラー兼実演販売をしていたゼンジー中村に弟子入りし、「魔法のグループ」で後見で初舞台。1963年に独立し、新花月を皮切りに角座に出演。デビュー当初は本名にちなんだ「ゼンジー渡辺」の芸名で活動。
奥原 征一郎(おくはら せいいちろう、1940年〈昭和15年… 奥原 征一郎(おくはら せいいちろう、1940年〈昭和15年〉 - )は、日本の実業家。グローカル代表取締役会長。コトブキ技研工業初代社長。呉商工会議所名誉会頭。呉観光協会会長。 広島県呉市出身。1962年、慶應義塾大学文学部社会学科卒業、寿工業入社。1972年、取締役副社長を経て1979年、代表取締役、同年にコトブキ技研工業初代社長に就任。 1983年、社会福祉法人白寿会理事長。1984年、コトブキシステム創立、代表取締役。1992年、コトブキグループ本部設置、代表に就任する。1995年、呉ビール代表取締役。 1989年、呉商工会議所副会頭、1995年、常議員を経て同年より会頭。 奥原が代表取締役を務めていたアジア特殊製鋼(船舶などに使う特殊鋼母材の専門メーカー)は2012年4月3日、事業を停止し、事後処理を弁護士に委任したと発表した。
畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年… 畑 俊二(はた しゅんじ、1939年7月6日 - 2020年[要出典])は、日本の学生野球指導者。元四国学院大学硬式野球部監督、元国士舘大学硬式野球部監督。広島県呉市出身。 広島県出身。呉阿賀高校を卒業後、立教大学に進学。長嶋茂雄が卒業した後の三塁手として活躍し、社会人野球の電電東京に入社。チームの主力選手として都市対抗野球大会にも出場し、チームをベスト4に導いた。 現役を引退後、東都大学野球の国士舘大学の監督に就任、チームを1部リーグ昇格に導いた。その後、高校野球、社会人野球で監督を務め、中央大学、全日本大学野球選手権大会優勝時の近畿大学、選抜高等学校野球大会優勝時の観音寺中央高の臨時コーチを経て、2005年1月に四国学院大学の監督に就任。
岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月… 岡光 序治(おかみつ のぶはる、1939年(昭和14年)2月1日 - )は、日本の官僚。厚生事務次官を経て、収賄罪で懲役。出所後、ウィーティービーフーズ株式会社を設立し、同社社長や会長を務める。 広島県呉市出身。呉海軍工廠に勤務していた父親が、岡光1歳の時に亡くなり、親ひとり子ひとり、女手ひとつで育てられ、苦学して広島県立呉三津田高等学校に進学、東京大学法学部卒業後、1963年(昭和38年) 厚生省に入省した。社会局援護課に配属された。厚生省を選んだ理由は、子供の頃、呉の実家近くに岸信介らが設立した東洋パルプの工場があり、大量の汚水を瀬戸内海に流す光景が頭から離れず、豊かで美しい瀬戸内海を取り戻したいという思いからだという。
古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月1… 古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月10日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元漫画家。広島県呉市(旧・豊田郡)安浦町三津口出身。 1958年に上京。同年、講談社の雑誌『なかよし』夏の増刊号掲載『二つのうそ』でデビュー。1959年、同誌に『ぶどう園の歌』を発表。1960年、『なかよし』で『花の子マリ』連載。吉田竜夫のアシスタントも務めていた。 1966年に妹が結婚して、漫画家の望月三起也と姻戚になる。 1970年代には『超人バロム・1』、『流星人間ゾーン』、『勇者ライディーン』、『伝説巨神イデオン』などのコミカライズで活躍。集英社の伝記物の学習漫画も手掛けた。
倉田 侃司(くらた かんじ、1938年11月26日 - )は… 倉田 侃司(くらた かんじ、1938年11月26日 - )は、日本の教育学者。 広島県呉市生まれ。1961年広島大学教育学部小学校教育専攻卒、1963年同大学院教育行政学修士課程修了。広島大学教育学部附属三原小学校教諭、鈴峯女子短期大学講師、助教授、広島文教女子大学教授、広島経済大学教授。2007年退任。
和崎 俊哉(わざき しゅんや、1938年11月14日 - 2… 和崎 俊哉(わざき しゅんや、1938年11月14日 - 2011年)は、日本の俳優。本名同じ。旧芸名は和崎 俊也(読み同じ)、和崎 隆太郎。広島県呉市出身。 広島県立呉宮原高等学校卒。1957年に東映へ入社し、京都撮影所製作の時代劇映画に数多く出演。1966年に松竹に移籍するが1969年にフリーとなり、以降はテレビドラマや舞台を中心に活動。 時代劇作品における凄腕の用心棒や剣客などの武闘派役から悲運な善人役、冷酷非情な悪役、若いメンバーをまとめる頼もしい司令塔役まで、叩き上げの役者として幅広い演技力を発揮した。2011年、大腸癌により死去。
中本環(なかもと たまき、男性、1937年8月15日- )は… 中本環(なかもと たまき、男性、1937年8月15日- )は、日本文学研究者。 広島県呉市生まれ。広島大学文学部国文科卒、同大学院博士課程満期退学、尾道短期大学講師、比治山女子短期大学助教授、熊本大学教育学部助教授、教授、2003年定年退官。文学雑誌『町塾』を刊行する。光村図書の小中学校国語教科書の編纂にも携わった。
小割 まさ江(こわり まさえ)(1935年8月7日 - )は… 小割 まさ江(こわり まさえ)(1935年8月7日 - )は、日本のジャズ歌手である。 広島県呉市出身、広島大学附属中学校卒業、血液型はA型。小割には1人の兄、4人の姉がおり、海軍で仕事をしていた父・権之助、母・益代のもと、1935年に5人兄弟の末っ子として生まれる。小学生時代、青い鳥児童合唱団に所属し、NHK広島放送局で童謡を歌ったこともあった。1952年に一家で大阪へ移住し、その頃より、ジャズ・ヴォーカルに興味を抱く。知人がジャズ・バンドを持っていたことから、歌い始めるようになる。その後、1954年に大阪で、花田与一のビッグ・ジャズメンの専属歌手としてデビューし、当初はバラードを得意としていたが、ビッグ・ジャズメンの演奏スタイルに感化され、リズム&ブルース風の楽曲も歌うようになり、リズム&ブルースを得意とした女性シンガーとして活躍した。
森野 繁夫(もりの しげお、1935年(昭和10年)1月14… 森野 繁夫(もりの しげお、1935年(昭和10年)1月14日 - 2013年(平成25年)11月28日)は、中国文学者。広島県呉市生まれ。1957年広島大学文学部中国文学科卒、1963年同大学院文学研究科博士課程満期退学。75年「斉梁詩の研究」で文学博士。地方公務員である公立高校教員となり広島県立福山誠之館高等学校教諭、1972年広島大学教育学部助教授、文学部教授、96年定年退官、名誉教授、安田女子大学教授。六朝の詩が専門。