佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - … 佐竹 利彦(さたけ としひこ、1910年(明治43年) - 1998年(平成10年)7月24日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ二代目社長。おいしくて光沢のある白米ができる精米機を発明し、精米理論を体系化した。またヤシ・ソテツ類植物の収集・分類において権威であった。東京大学で農学博士号を取得(近代精米技術に関する研究)、東京農業大学名誉博士(ヤシの研究)、広島大学名誉博士(近代精米およびヤシの研究)。 1910年(明治43年)、佐竹利市の長男として生まれる。旧制山陽中学校(現・山陽高等学校)で優秀な成績を収め、旧制広島高等工業学校(現・広島大学工学部)への推薦入学が決まっていた。
沼田 恵範(ぬまた えはん、1897年4月12日 - 199… 沼田 恵範(ぬまた えはん、1897年4月12日 - 1994年5月5日)は、宗教家、仏教伝道者。実業家、「ミツトヨ」創業者。 広島県賀茂郡志和町(現・東広島市志和町)の浄土真宗本願寺派・浄蓮寺の三男に生まれ、京都平安中学(現・平安高等学校)に学ぶ。卒業後、本山である西本願寺から派遣され1915年、仏教布教のため19歳で渡米。ハリウッド・ハイスクールとカリフォルニア大学バークレー校(UCB)で数学を4年、さらに同校大学院で経済学(統計経済、景気変動学)を学ぶ。「今でこそ日米は平等に扱われているが、当時は日本人は犬猫のようだった」と奮起、学業と平行して米国人に仏教文化を伝えたいと英文雑誌「ザ・パシフイック・ワールド」を創刊。
藤田 定市(ふじた さだいち、1889年〈明治22年〉4月1… 藤田 定市(ふじた さだいち、1889年〈明治22年〉4月1日 - 1973年〈昭和48年〉9月3日)は、日本の実業家。フジタ工業(現・フジタ)会長。広島県知事をつとめた藤田雄山は孫。 広島県賀茂郡中黒瀬村字大多田(現・東広島市黒瀬町)の農家に生まれる。藤田次助の三男。1910年12月、21歳の頃、兄の一郎とともに広島市台屋町で土木建築請負業を始める。 土木建築請負業を営む。1916年、「藤田組」を名乗り、兄の一郎が組長に、定市が副組長になる。1944年、藤田組社長に就任。1945年8月6日の広島市への原子爆弾投下により、定市は自宅で家屋の下敷きとなり、重傷を負う。1962年、藤田組会長に就任。
藤田 一郎(ふじた いちろう、1886年〈明治19年〉5月5… 藤田 一郎(ふじた いちろう、1886年〈明治19年〉5月5日 - 1949年〈昭和24年〉9月19日)は、日本の実業家、土木建築請負業、地主。藤田組(現・フジタ)初代社長。広島県多額納税者。東亜木材防腐社長。広島商工会議所顧問。族籍は広島県平民。参議院議長を務めた藤田正明は甥。 広島県賀茂郡中黒瀬村字大多田(現・東広島市黒瀬町)の農家に生まれた。藤田次助の二男。1900年、高等小学校を卒業。 郷里で百姓のまま埋もれたくなかったため、広島市で請負業をやっていた母方のおじに当たる森信正市の店で小僧として働く。土木建築業の見習いの傍ら夜学に通い、建築や簿記を学ぶ。17歳の時、アメリカへの密航を企てたが、失敗に終わり再び森信方に連れ戻された。
京山 若丸(きょうやま わかまる、1878年(明治11年) … 京山 若丸(きょうやま わかまる、1878年(明治11年) - 1953年(昭和28年)5月13日)は、明治~昭和期の浪曲師。本名、坂上仁三郎。広島県白市村(現・東広島市)出身。 22歳で大阪に出て2代目京山恭安斎の弟子となる。修行時代は「義士伝」なども読んだが、デビュー後は関西では珍しく、旧ものは読まず自作自演の「新談(新作)読み」で通した。明治維新に想を得た「乃木将軍」や「召集令」、「江藤新平」、「大西郷」などの傑作を残している。1908年(明治41年)6月、桃中軒雲右衛門、2代目吉田奈良丸に次いで上京。セリフの切れよし、声よし、人物描写に長け、品格のある立派な舞台姿で人気を博し雲右衛門、吉田奈良丸、京山小円らと覇を競い、浪曲の第1期黄金時代を築いた。
岸田 光太郎(きしだ こうたろう、1872年〈明治5年〉4月… 岸田 光太郎(きしだ こうたろう、1872年〈明治5年〉4月 - 没年不明)は、台湾基隆に居住した日本人で、材木商人。岸田材木店創業者。 政治家の岸田文雄や宮澤洋一の曽祖叔父。岸田幾太郎は兄、岸田正記、岸田正次郎は甥にあたる。 岸田忠次郎の三男として広島県賀茂郡西志和村(現東広島市)に生まれる。岸田家は代々農業を営んでいた。郷里の小学校に入って普通学を修め、父業を助けて郷里に暮らす。 日清戦争が終結し台湾が日本の領土に属すると、1897年(明治30年)3月に兄と共に台湾へ渡り、基隆市にて材木商を開業した。同商店の開業当時は微々たる一商舗に過ぎなかったが、後に基隆屈指の材木商となった。
大山 正樹(おおやま まさき、1869年5月23日〈明治2年… 大山 正樹(おおやま まさき、1869年5月23日〈明治2年4月12日〉 - 没年不明)は、日本の醸造家、「大和花」醸造元、広島県酒造組合賀茂郡支部長、広島県多額納税者、政治家(広島県賀茂郡西志和村長)、名望家。 広島県賀茂郡西志和村(現東広島市)に生まれた。大山源之助の長男。1897年、家督を相続した。酒造業を営んだ。 1909年、村会議員に当選。1921年8月より1933年5月まで3期にわたり西志和村長在職。村長退職に際し村より影徳碑を建設された。 貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した。 大山家は醤油醸造業を営んでいたが、正樹の父・源之助は明治初年に酒造業にあらため「大和花」と命名し斯業を経営した。
岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日〈慶… 岸田 幾太郎(きしだ いくたろう、1867年11月19日〈慶応3年10月24日〉 - 1908年〈明治41年〉9月14日)は、日本の実業家。 第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と元経済産業大臣の宮澤洋一は曽孫である。 1867年11月19日(慶応3年10月14日)、安芸国賀茂郡奥屋村(現:広島県東広島市志和町奥屋)に岸田忠次郎・さみ夫妻の長男として生まれる。岸田家は、幾太郎の曽祖父である岸田直五郎の代に「新出屋(あたらしや)」を屋号にして分家し、以来奥屋村で農業を営んだ。 1891年(明治24年)頃に農機具、種苗、呉服などを輸出し、輸出先の北海道から仕入れた海産物の販売業を始める。1894年(明治27年)に三宅直之助の四女・スミと結婚。
佐竹 利市(さたけ りいち、1863年4月20日〈文久3年3… 佐竹 利市(さたけ りいち、1863年4月20日〈文久3年3月3日〉 - 1958年〈昭和33年〉9月25日)は、日本の技術者・実業家。広島県東広島市出身。 サタケ創業者。日本で初めて動力式精米機を開発する。また竪型精米機も開発しこれが吟醸酒誕生につながるなど、日本の酒造りに貢献した。 1863年(文久3年)、安芸国賀茂郡寺家村(現・広島県東広島市西条町)で代々農業を営む家系の長男として生まれる。5歳のときに叔父から算数を学び、のち独学で進め、幼少期より神童と謳われた。10歳のとき、父親を亡くす。1875年(明治8年)13歳のとき寺家村長と地区の名士だった木村和平(のちの賀茂鶴酒造)から任され地租改正に伴う測量業務・地積計算に2年間従事した。
横山 雅男(よこやま まさお、文久2年12月16日(1863… 横山 雅男(よこやま まさお、文久2年12月16日(1863年2月4日) - 1943年(昭和18年)2月12日)は、日本の統計学者。安芸国賀茂郡吉土実村(現・広島県東広島市)出身。 広島県師範学校(広島大学教育学部の前身)卒業。広島県内で小学校教員を務めた後上京。当時はまだ新奇な学問であった統計学の存在を知り、表記学社(1878年スタチスチック社、1892年統計学社と改名、1944年東京統計協会と合併し日本統計協会と改称)が1883年、杉亨二や岩崎弥太郎、渋沢栄一、世良太一らの尽力で設立した日本で最初で最後の統計専門学校「共立統計学校」の第一期生として入学。3年間、杉亨二の弟子として本格的に統計学を学ぶ。
内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857… 内藤 守三(ないとう もりぞう、安政4年2月13日(1857年3月8日) - 昭和21年(1946年)2月22日)は、実業家、政治家。国勢調査創設者。安芸国賀茂郡板城村馬木(現在の広島県東広島市)出身。幼名・太郎一。 若くして庄屋をつとめ、戸長にもなる。竹原の学館で漢学を修め1870年上京、東京開成学校で英語、法律、国勢学(統計学)を、皇典講究所で国学を学ぶ。卒業後黒瀬川の浚渫事業に携わった後、実業家となり1888年呉市に呉土工会社を設立。呉海軍工廠の誘致・山陽鉄道の国有化等に尽力、また呉市二河公園の建設など同地の市街地整備にあたった。1892年には高性能爆弾の研究を進めていた下瀬雅允に資金を提供し、日露戦争で威力を発揮した下瀬火薬の開発に協力した。
黒川 修三(くろかわ しゅうぞう、1855年(安政2年2月)… 黒川 修三(くろかわ しゅうぞう、1855年(安政2年2月) - 1922年(大正11年)4月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 安芸国賀茂郡(のち広島県賀茂郡東志和村→志和町、現・東広島市)生まれ。賀茂郡書記、戸長、広島県会議員、同副議長となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島5区から無所属で立候補するが次点で落選した。1892年の第2回衆議院議員総選挙では中央交渉会から立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して次点で落選した。 のちに北海道に渡り、鉱山業に従事した。1922年に死去した。
穐山 忠夫(秋山、あきやま ただお、1853年11月(嘉永6… 穐山 忠夫(秋山、あきやま ただお、1853年11月(嘉永6年10月) - 1904年(明治37年)5月13日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。 安芸国豊田郡、のちの広島県豊田郡乃美村(豊栄町を経て現東広島市)出身。広島県会議員、同郡部会副議長、同議長となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において広島6区から立憲改進党公認で立候補したが落選。1892年の第2回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選。1894年の第3回衆議院議員総選挙では無所属で立候補して当選した。1898年3月の第4回衆議院議員総選挙で再選。同年9月の第5回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1904年に死去した。
三浦 仙三郎(みうら せんざぶろう、1847年3月8日〈弘化… 三浦 仙三郎(みうら せんざぶろう、1847年3月8日〈弘化4年1月22日〉 - 1908年〈明治41年〉8月15日)は、日本の酒造家。1887年(明治20年)創案した軟水による酒醸造法「三浦式醸造法」は、天下の名酒広島酒発展の基礎を築いた。「吟醸酒の父」ともいわれる。また酒造りの傍ら、村会議員、三津町長および町会議員としても活躍した。 1847年(弘化4年)雑貨問屋を営む清水屋忠兵衛の長男として広島県賀茂郡三津村(現東広島市安芸津町三津)に生まれる。雑貨問屋を営んでいたが家督を弟に譲り、1876年(明治9年)酒造場を譲り受け酒造業を始め、1878年(明治11年)創業した。1898年(明治31年)、軟水に適した改良醸造法を考案し、同年「改醸法実践録」を発刊してその普及をはかった。
脇 栄太郎(脇 榮太郎、わき えいたろう、1847年(弘化4… 脇 栄太郎(脇 榮太郎、わき えいたろう、1847年(弘化4年10月) - 1908年(明治41年)12月7日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(当選4回)。 安芸広島藩領賀茂郡、のちの寺西村(広島県賀茂郡西条町、寺西村、寺西町、西条町を経て現東広島市)出身。12、3歳の時に京師、浪花に数年遊学する。漢籍および剣術を修めた。業成ると故郷に帰り、家業の農業、醸造業等に従事する。 農兵組頭、庄屋、戸長、第八大区書記、賀茂郡書記を経て、1882年(明治15年)、広島県会議員に当選。広島県会議員、同常置委員、同議長などを務めた。ほか、山陽鉄道、中国紡績各重役、私立関西中学校財団理事などを歴任した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では広島県第5区から出馬し当選。
松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月… 松浦 唯次郎(まつうら ただじろう、1834年(天保5年5月) - 1901年(明治34年)5月4日)は、日本の政治家、衆議院議員(1期)。 安芸国賀茂郡津江村(のち広島県賀茂郡下黒瀬村→黒瀬町、現・東広島市)生まれ。漢籍を学ぶ。豊田郡松江村(のち沼田西村、現・三原市)、下北方村(のち北方村、現・三原市)各庄屋、豊田郡戸長、広島県第九大区長、豊田郡長、学区取締、豊田郡徴兵事務官、検疫委員、日本赤十字社豊田郡委員長となる。 1892年の第2回衆議院議員総選挙において広島5区から中央交渉会で立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、1894年の第3回衆議院議員総選挙は不出馬。1901年に死去した。
江木 鰐水(えぎ がくすい、1811年1月16日(文化7年1… 江木 鰐水(えぎ がくすい、1811年1月16日(文化7年12月22日) - 1881年(明治14年)10月8日)は、江戸時代後期から明治期の備後福山藩(現福山市)の儒学者、洋学者、開港論者。 藩校誠之館教授・医者・備後福山藩儒官。名は戩(ゆき)字は晋戈(しんか)。通称は繁太郎。号は健斎・三鹿斎。文化7年12月22日(1811年1月16日)安芸国豊田郡戸野村(現広島県東広島市河内町戸野)の庄屋福原与曽八(藤右衛門貞章)の三男として生まれる。 文化12年(1815年)6歳のとき父を亡くす。福山藩医・五十川菽斎(いかがわしゅくさい)および篠崎小竹に師事。福山藩医・江木玄朴の家を継ぎ江木を名乗るも、医術を好まず。
鞘師 里保 は、日本の歌手、ダンサー、女優、コレオグラファー… 鞘師 里保 は、日本の歌手、ダンサー、女優、コレオグラファー、元アイドル。モーニング娘。の元メンバー(9期)。イメージカラーは赤。
伊谷 亜子(いたに あこ、10月5日生)は、広島県東広島市出… 伊谷 亜子(いたに あこ、10月5日生)は、広島県東広島市出身のシンガーソングライター、タレント、舞台役者、声優、ナレーター。 高校卒業まで広島に居住。専修大学人間科学部社会学科卒業後、演劇集団 円の研究生になり修了。円・演劇研究所36期。最終選考で劇団員には選ばれなかった。2013年3月全国公開された大和田伸也初監督作品「恐竜を掘ろう」で映画デビュー。 趣味・百マス計算、特技:癒し系イラスト。高所作業車、小型車両系建設機械の資格を保有している。 現在は「コスプレギターアーティスト」として東京、名古屋、大阪、滋賀などでライブを行っている。 出身は上記の通り、広島県東広島市であるが、現在の実家は滋賀県にあり、活動も滋賀県を中心としたものになっている。
久保田 智子 は、TBSテレビの元報道記者。元アナウンサー。… 久保田 智子 は、TBSテレビの元報道記者。元アナウンサー。TBSテレビを退職し、2024年4月1日付で姫路市教育長に就任した(任期3年)。
Qoonie(クーニー)は、日本のシンガーソングライター、作… Qoonie(クーニー)は、日本のシンガーソングライター、作曲家、ピアニスト。ソロ活動のほか、音楽ユニットSeptember (Rie&Qoonie) での活動や、他アーティストへの楽曲提供を行う。 広島県東広島市出身。 中学2年生のころから曲を書き始め、高校生のときはオリジナル楽曲で弾き語りスタイルのライブを頻繁に行う。大学生時代には作成したデモテープを各方面へと配付するようになり、その中の一本がプロデューサーの耳に止まり、卒業後に上京した。 2001年(平成13年)1月にインディーズレーベル(音倉レコード)よりシングル「そばにいてあげる」をリリース。(天野月と同じく、音倉レコードの発足時の新人であった。