磯村 健治 (いそむら けんじ、1949年12月11日 - … 磯村 健治 (いそむら けんじ、1949年12月11日 - )は日本の俳優、実業家。本名同じ。別名義:香月 淳(1974年頃まで)、磯村 憲二、磯村 憲司(読みは同じ)。 山口県徳山市(現・周南市)出身。東洋大学経営学部中退。文学座、劇団雲を経て、六月劇場、野津修平事務所に所属していた。 1970年代から80年代にかけての刑事ドラマ等では、チンピラ役・犯人役などの悪役を数多く演じた。 その後は映像制作会社である「トゥエンティ・ファースト・シティ株式会社」、「株式会社プレサリオ」を創設しグループの代表取締役を務め、俳優業からはリタイアしている。 2012年の第46回衆議院議員総選挙に埼玉6区より日本維新の会の公認候補として出馬したが落選した。
重廣 恒夫(しげひろ つねお、1947年(昭和22年)10月… 重廣 恒夫(しげひろ つねお、1947年(昭和22年)10月11日 - )は、日本の登山家。山口県徳山市(現在の周南市)生まれ。日本山岳会会員。兵庫県尼崎市在住。 小学3年生の頃に始めた昆虫採集で珍種を求めて山奥に入るようになり、次第に登山に傾倒していく。1967年、山口県立徳山高等学校卒。1971年(昭和46年)に、岡山理科大学応用化学科卒、オニツカ(現在のアシックス)に入社する。 1973年(昭和48年)、第2次RCC隊に参加し、この当時、エベレストの南西壁の最高到達点までの登攀(とうはん)を果たし、1977年(昭和52年)に、日本山岳協会隊で、K2の日本人初、世界でも2番目の登頂を達成。1979年(昭和54年)、高田直樹を隊長とする京都カラコルムクラブ隊で、ラトックI峰に初登頂を果たした。
島津 幸男(しまづ ゆきお、1945年12月18日 - )は… 島津 幸男(しまづ ゆきお、1945年12月18日 - )は、山口県の政治家。周南市議会議員(1期)。前周南市長(1期)。
伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、… 伊藤 繁雄(いとう しげお、1945年1月21日 - )は、日本の卓球選手。 山口県周南市生まれ。専修大学卒業。1969年の世界選手権で男子シングルス、男子団体優勝の2冠に輝いた。生まれつき左利きであるが、現役を引退するまで、右手でラケットを打ち続けた。現在は、小中学生対象の講習会に参加し選手育成に努めている。 1971年名古屋世界選手権では団体戦で調子が出ず、苦手を公言していたカラカセビッチ等欧州選手の他中国選手の前陣速攻にも苦戦していたが、個人戦になると期待された長谷川、河野が敗退する中で李富栄、シュルベクの強敵を連破、17歳のステラン・ベンクソンには敗れたものの決勝に進出し、面目を保った。
高村 正彦(こうむら まさひこ、1942年〈昭和17年〉3月… 高村 正彦(こうむら まさひこ、1942年〈昭和17年〉3月15日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:10863)。公益財団法人日本武道館会長(第9代)。自由民主党憲法改正実現本部最高顧問。 衆議院議員(12期)、経済企画庁長官(第50代)、法務大臣(第70代)、防衛大臣(第3代)、外務大臣(第122・135代)、衆議院農林水産委員長、番町政策研究所会長(第3代)、自民党副総裁(第13代)、日中友好議員連盟会長、武道議員連盟会長、少林寺拳法振興議員連盟会長、自民党たばこ議員連盟顧問などを歴任した。 元衆議院議員高村坂彦の四男。息子は衆議院議員の高村正大。 山口県徳山市(現・周南市)出身。
河村 和登(かわむら かずと、1939年(昭和14年)9月2… 河村 和登(かわむら かずと、1939年(昭和14年)9月25日 - )は、山口県の政治家。元山口県周南市長。元山口県徳山市長。元山口県徳山市議会議長。山口県立徳山商工高等学校卒業。
中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 -… 中村 典正(なかむら てんしょう、1935年12月12日 - 2019年8月16日)は、おもに歌謡曲、演歌を手がける日本の作曲家。本名:中村貞夫(なかむら さだお)。 山口県の後の新南陽市〜周南市にて誕生。地元開催の「コロムビア歌謡コンクール」徳山大会で入賞し、歌手を志して「かばん1つで上京」した。1958年には「コロムビア歌謡コンクール」全国大会で入賞して若山彰の付き人となる。原六朗に師事した後、歌手ではなく作曲の道に進んだ。 1963年、北島三郎の『三郎太鼓』のB面曲『田舎へ帰れよ』で、本名の中村貞夫として作曲家デビューした。1969年には、中村千里名義で同じく北島三郎の『仁義』をヒットさせた。
竹元 勝雄(たけもと かつお、1927年7月25日 - 20… 竹元 勝雄(たけもと かつお、1927年7月25日 - 2006年5月8日)は、山口県徳山市(現:周南市)出身のプロ野球選手(投手)、プロ野球審判員。 山口県立徳山中学校在学時から投手としてプレー。戦後、社会人野球の藤山炭鉱に在籍。 1950年2月、大阪タイガースにテスト入団。1951年に一軍登録されたが、4月22日の大洋ホエールズ戦に敗戦処理として登板しただけでわずか1年で退団。 退団後は、社会人野球の篠崎倉庫に在籍していたが、1954年にセントラル・リーグが造った新日本リーグの審判となりこれを機に審判として再出発。1955年のシーズン途中に新日本リーグが解体され、関東の球団がセントラル・リーグが管理するイースタン・リーグに、愛知以西の球団がパシフィック・リーグが管理するウエスタン・リーグに転籍するとセントラル・リーグの関西審判部に入局(※ 入局は1956年)。
林 忠彦(はやし ただひこ、1918年〈大正7年〉3月5日 … 林 忠彦(はやし ただひこ、1918年〈大正7年〉3月5日 - 1990年〈平成2年〉12月18日)は、日本の写真家である。 山口県生まれ。木村伊兵衛、土門拳、渡辺義雄などと並ぶ昭和を代表する写真家の一人である。太平洋戦争(大東亜戦争)後の日本の風俗や文士、風景など多岐にわたる写真を撮影した。 特に文士を撮影したものは有名で、銀座のバー「ルパン」で知り合った織田作之助・太宰治・坂口安吾の酒場での姿や、坂口安吾の紙屑に囲まれた仕事場の風景は、林忠彦の名を世に知らしめた。 太宰治の写真を撮った時のことについて、林は以下のように回顧している。ルパンは銀座の文春画廊の裏横丁にあって、仕事の連絡場所として林が使っていたバーだった。
飯田 房太(いいだ ふさた、1913年(大正2年)2月12日… 飯田 房太(いいだ ふさた、1913年(大正2年)2月12日 - 1941年(昭和16年)12月8日)は、日本の海軍軍人。海兵62期。空母「蒼龍」戦闘機搭乗員として真珠湾攻撃に参加。戦死による二階級特進で最終階級は海軍中佐。 1913年(大正2年)2月12日、山口県都濃郡富田村 (現周南市)で旧家の一人息子として生まれた。1925年(大正14年)4月、徳山中学校 (現山口県立徳山高等学校)に進学、1931年(昭和6年)4月、海軍兵学校に入学し、1934年(昭和9年)11月17日、同校(62期)を125名中5番の成績で卒業した。少尉候補生として艦隊勤務や遠洋航海など実務練習を経て、1936年(昭和11年)4月、海軍少尉に任官、軽巡洋艦「那珂」に配属された。
松井 魁(まつい いさお、1910年12月30日 - 198… 松井 魁(まつい いさお、1910年12月30日 - 1987年8月19日)は、日本の魚類学者。 山口県新南陽市(現・周南市)生まれ。1934年水産講習所(現・東京海洋大学)増殖学科卒。水産講習所助教授、1946年第二水産講習所教授、1952年「日本産鰻の形態及び生態に関する研究」で京都大学理学博士、下関水産科学賞受賞、水産学会賞、1953年小野臨湖実験場長、1954年日本農学会賞受賞、1971年水産大学校長、1975年下関水族館顧問。1976年宇部短期大学学長。1983年勲三等旭日中綬章受勲、主として鰻を研究し、随筆も書いた。
まど・みちお(1909年〈明治42年〉11月16日 - 20… まど・みちお(1909年〈明治42年〉11月16日 - 2014年〈平成26年〉2月28日)は、日本の詩人。作詞家。本名は石田 道雄(いしだ みちお)。25歳のときに北原白秋にその才能を認められた。詩作りは20代から始め、以来生涯にわたって詩を作り続けた。創作意欲の源は、政治・行政・教育・経済・戦争などに対する不満である。「ぞうさん」や「やぎさんゆうびん」などの、そのおおらかでユーモラスな作品は童謡としても親しまれている。表現の前に存在があるという意味で「存在の詩人」とも称された。 山口県都濃郡徳山町(のちの徳山市、現在の周南市)の生まれ。幼い頃に父が仕事の都合で台湾へ渡り、さらにまどが5歳の時に母がまどの兄と妹を連れて同地に移住したため4年ほどの間、祖父と2人での生活を送っている。
筑紫 歌都子(ちくし かつこ、1904年〈明治37年〉7月3… 筑紫 歌都子(ちくし かつこ、1904年〈明治37年〉7月30日 - 1984年〈昭和59年〉10月28日)は日本の音楽家。 1904年(明治37年)、山口県都濃郡鹿野村(現在の周南市)に生まれる。出生名は竹田カツノであったが、14歳の頃に大日本家庭音楽会の会長、坂本五郎に才能を認められ、彼の養女となったことで坂本姓となる。また、同時期に歌都子の芸名を付け、坂本歌都子として活動している。この芸名は自分の好きな「歌」と郷里の都濃郡の「都」を取って自分でつけたという。坂本家の養女となる際に福岡市に移り住んでいる。 坂本家で琴の他、ヴァイオリン、大正琴、ピアノ等を学んだ後に18歳で琴の作曲活動を始める。
池 清(いけ きよし、1895年6月10日 - 1952年1… 池 清(いけ きよし、1895年6月10日 - 1952年10月17日)は、朝鮮総督府官僚。徳山市(現・周南市)市長。 山口県都濃郡徳山町(現在の周南市)出身。1917年、逓信官吏練習所卒。朝鮮総督府逓信局に勤務する。1925年に高等試験行政科に合格した後、朝鮮総督府逓信局副事務官、京城貯金管理所主計課長、朝鮮総督府逓信事務官、逓信局庶務課長、高等海員審判所理事官、新義州税関長などを経て、朝鮮総督府農林局林政課長兼土地改良課長から平壌府尹に勤務し、終戦を迎えた。日本に引揚げた後の1947年、徳山市助役に就任した。 1951年の徳山市長選挙に立候補。池は「市政の刷新」「健全財政化」「産業の振興と工場誘致」「学校の建設と充実」などを公約に激しい選挙戦を制して当選、市長に就任した。
厚東 常吉(ことう/こうとう つねきち、1884年(明治17… 厚東 常吉(ことう/こうとう つねきち、1884年(明治17年)6月4日 - 1968年(昭和43年)9月12日)は、大正から昭和時代の政治家。実業家。衆議院議員。山口県会議長。旧姓は竹中。号は沐雨、暴雷。 竹中乕吉の三男として、山口県熊毛郡八代村(熊毛町を経て現周南市)に生まれる。幼くして阿武郡椿東村船津(現萩市椿東船津)の叔父厚東武勝の養子となる。萩中学校中退。 椿東村会議員、萩町会議員、阿武郡会議員、1939年(昭和14年)9月、山口県会議員、同参事会員、1941年(昭和16年)11月、同議長を歴任した。 ほか、財界では萩実業会会長、萩商工会、山口県商工経済会、同国民健康保険組合連合会各顧問、同司法保護委員会参与、萩竹材、萩土地建物、長門峡自動車、萩グランド、萩興業建物各取締役社長、常茂恵ホテル社長を務めた。
児玉 源太郎(こだま げんたろう、旧字体: 兒玉 源太郞、1… 児玉 源太郎(こだま げんたろう、旧字体: 兒玉 源太郞、1852年4月14日〈嘉永5年閏2月25日〉- 1906年〈明治39年〉7月23日)は、明治時代の日本の陸軍軍人、政治家。日露戦争において満洲軍総参謀長を務め、勝利に貢献した。階級は陸軍大将、栄典は正二位勲一等功一級子爵。 嘉永5年(1852年)閏2月25日、周防国都濃郡徳山の本丁で、長州藩の支藩・徳山藩の上士(馬廻役、100石。)児玉半九郎忠硯の長男として生まれる。当時、児玉家には長女の久子と次女の信子がいるのみで、児玉源太郎が初めての男子であったため、彼の誕生に家族一同は大いに喜んだ。児玉が生まれた時に父・半九郎は向かいの家に住む友人で漢学者の島田蕃根の家に赴き、四、五人で詩文に興じていたが、家人が慌ただしくやって来て男子誕生を告げたため、半九郎は歓喜して直ちに島田家から帰宅し、祝杯を挙げた。
寺島 秋介(てらしま あきすけ / てらじま あきすけ / … 寺島 秋介(てらしま あきすけ / てらじま あきすけ / てらじま しゅうすけ、1842年11月17日(天保13年10月15日)- 1910年(明治43年)7月30日)は、日本の官僚・政治家。諱・直方、通称・秀之助。 周防国熊毛郡原村(現周南市)で長州藩士・寺島太次郎直一、沢夫妻の長男として生まれる。下関戦争、禁門の変に参加した。 慶応4年1月12日(1868年2月6日)浪華隊隊長に就任。同年2月27日(3月20日)東征大総督・有栖川宮熾仁親王の副参謀を命ぜられ江戸に下り、上野戦争では団子坂口の諸藩兵の総指揮を担当した。同年7月2日(8月19日)奥羽鎮撫総督九条道孝の参謀に任じられ奥州を転戦し、明治元年11月1日(1868年12月14日)京都に帰還した。
島田 蕃根(しまだ ばんこん/みつね、1827年12月25日… 島田 蕃根(しまだ ばんこん/みつね、1827年12月25日(文政10年11月8日)- 1907年(明治40年)9月2日)は、幕末から明治時代に活躍した僧、仏教学者である。法名は円真。別名に如縄道人等。 役藍泉(島田浄観)の孫として周防の徳山に生まれる。幼年期より徳山藩に仕え、儒教や神道等宗教に関する事を多く学んだ。後に天台宗本山派修験道教学院の住職となる。 後に藩主の命によって上洛し興譲館で教鞭を執り、勤皇説を唱えた。維新後の1872年(明治5年)に廃藩置県に携わるため還俗し同時期に活躍した福田行誡、獅岳快猛らと共に『大蔵経』の編纂に携わった。その後、教部省や内務省内の社寺局等に勤めるなど現代における仏教の興隆に貢献した。
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宇賀 伊津緒(うが いつお、? - 1950年)は、日本の実… 宇賀 伊津緒(うが いつお、? - 1950年)は、日本の実業家、翻訳、文筆家。ペンネームは、宇賀一男、宇賀一朗。日本ではじめてカレル・チャペック『ロボット』を翻訳し、「人造人間」という造語を造った。 山口県周南市出身。1915年、東京高等商業学校に入学。一橋俳句会加入。1917年、東京高等商業学校を卒業し、鈴木商店に就職した。 1919年末から1925年にかけてニューヨーク支社に勤務。宇賀一男のペンネームで『紐育新報』『日米時報』の年賀広告を執筆。テニスプレーヤーとしても活躍した。1923年には、 俳句誌『層雲』にアントン・チェーホフ『手帖』の抄訳やエッセイ「紐育にて」が掲載された。同年7月、『人造人間』を刊行。
佐倉 薫 は、日本の女性声優。山口県周南市出身。リマックス所… 佐倉 薫 は、日本の女性声優。山口県周南市出身。リマックス所属。
竹本 英史 は、日本の男性声優、ナレーターである。山口県徳山… 竹本 英史 は、日本の男性声優、ナレーターである。山口県徳山市(現・周南市)出身。青二プロダクション所属。
香綾 しずる(かりょう しずる、11月15日 - )は、元宝… 香綾 しずる(かりょう しずる、11月15日 - )は、元宝塚歌劇団雪組の男役スター。 山口県周南市、県立徳山高等学校出身。身長171cm。血液型B型。愛称は「がおり」。 2002年、宝塚音楽学校入学。 2004年、宝塚歌劇団に90期生として入団。雪組公演「スサノオ/タカラヅカ・グローリー!」で初舞台。その後、雪組に配属。 2009年、白羽ゆり退団公演となる「ZORRO 仮面のメサイア」で、新人公演初主演。入団6年目での抜擢となった。 2017年7月23日、早霧せいな・咲妃みゆトップコンビ退団公演となる「幕末太陽傳/Dramatic “S”!」東京公演千秋楽をもって、宝塚歌劇団を退団。 退団後は一般社団法人・日本アジア青年交流協会に勤務、現在は常務理事を務めている。
大橋 照子(おおはし てるこ、3月5日 - 、本名:山本 照… 大橋 照子(おおはし てるこ、3月5日 - 、本名:山本 照子)は、フリーアナウンサーである。現在はNPO「日本スピーチ・話し方協会」代表を務めている。 山口県周南市生まれ。東京都立駒場高等学校を経て慶應義塾大学文学部ドイツ文学科在学中にFM東京で番組『ファッション・クラシック』を担当し、卒業後に日本短波放送(ラジオたんぱ、現在の日経ラジオ社、愛称はラジオNIKKEI)へ入社する。 アナウンサーとして公開番組『ヤロウどもメロウどもOh!』などを担当すると、深夜放送とBCLの流行にともないラジオパーソナリティとして「チェリーちゃん」の愛称で人気を博する。シングルレコード「たんぽぽ色の飛行船、素敵な昨日」とLPレコード「さくらんぼ」を発売すると、週刊誌やテレビのドキュメント番組が取材する他、自他共に親衛隊を称する熱心なファンらが大橋本人が公認の下で、通勤時や私事の買い物に荷物を持つなどして同行する姿が散見されている。
今井 麻美 は、日本の声優、歌手、舞台女優。学位は学士(文学… 今井 麻美 は、日本の声優、歌手、舞台女優。学位は学士(文学)(明治大学)。東京都渋谷区生まれ、山口県徳山市育ち。EARLY WING所属。
青木 京子(あおき きょうこ)は、日本のアナウンサー。 山口… 青木 京子(あおき きょうこ)は、日本のアナウンサー。 山口県周南市出身。上野学園大学卒業。山口放送のアナウンサーであり、ラジオのパーソナリティーを務めている。 2018年(平成30年)8月29日から山口県の農林水産物需要拡大協議会アンバサダーとして県産農林水産物等の情報を広く発信している。 趣味は、ゴルフ、スキューバーダイビング、茶道、ヴァイオリン、ストレッチである。本人曰く、「大きな口はチャームポイント」である。 他、KRYニュース(テレビ、ラジオいずれも)を担当。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:アナウンサー)。