川口 聡(かわぐち さとし、1983年(昭和58年)11月2… 川口 聡(かわぐち さとし、1983年(昭和58年)11月2日 - )は、日本の実業家。株式会社リーピー代表取締役。福岡県久留米市出身。中小企業応援士。サウナ・スパ健康アドバイザー認定。 好きな言葉は、論語の「子曰、知之者不如好之者、好之者不如樂之者(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)」 2006年、西南学院大学商学部経営学科卒業。 卒業後は、国内最大手のスカウト・ヘッドハンティング会社、レイス株式会社に就職。スカウトエージェントとしてIT業界を中心に担当。その後、顧問紹介サービス「顧問名鑑」の立ち上げにも関わる。同グループ内での活躍が評価され、新規事業(ECコンサルタント事業)における事業責任者としてmode株式会社に参画。
石井 陽介(いしい ようすけ、1979年〈昭和54年〉7月2… 石井 陽介(いしい ようすけ、1979年〈昭和54年〉7月24日 - )は、日本の起業家・経営者。株式会社あつまる 代表取締役社長。同社はGPTW Japan主催『日本における「働きがいのある会社」』ランキング 小規模部門で4年連続1位を獲得。 福岡県久留米市生まれ。 久留米高校卒業後は進学せずフリーターとして過ごす。2005年にWeb制作会社を設立。売上第一とした経営方針に社員からの反発があり、2010年に代表を辞任。同年に分社化して株式会社あつまるを設立。その後稲盛和夫が主宰する盛和塾に入塾し、経営哲学を学ぶ 。
貞方 邦介(さだかた くにすけ、1967年12月20日- )… 貞方 邦介(さだかた くにすけ、1967年12月20日- )は日本の実業家、起業家。ホテル、飲食店など10店舗以上を経営するアルカサバの代表取締役社長。福岡県久留米市出身。くるめふるさと大使を務める。 小学生の頃、スーパーカーブームでフェラーリに憧れたのが、社長を志したきっかけ。 20代でフェラーリを手に入れ、30歳で豪邸を建て、40歳でホテルオーナーになるのを夢見て福岡から単身上京し、國學院大学に入学。 家賃6万円のアパートに住み、大学生向けのパーティーイベントを催す学生サークルを立ち上げる。 そして、コネも資金も無い22歳の大学在学中に学生向けの広告代理店を設立。 ところが2年後、仲間はみんな卒業し、借りていた広尾のオフィスをたたみ、住居兼事務所にて一人で再出発。
鳥取 三津子(とっとり みつこ、1964年(昭和39年)12… 鳥取 三津子(とっとり みつこ、1964年(昭和39年)12月31日 - )は、日本の経営者、元客室乗務員。日本航空(JAL)代表取締役社長。 福岡県久留米市出身。福岡県立伝習館高等学校、活水女子短期大学英文科卒業。1985年4月、東亜国内航空(TDA、後のJAS・日本エアシステム)に客室乗務員として入社。1988年には定期国際線への進出に伴い国際線担当の乗務員となる。JALとJAS合併の際は客室乗務員ではなく、安全関連の業務を担当し両社の客室乗務員の安全マニュアルの再編に携わった。2015年5月、成田第1客室乗員部第2客室乗員室長。16年5月、成田第2客室乗員部長。19年4月、野見山エアライン客室安全推進部長。
橋本 朋郁(はしもと ともふみ、1960年7月20日 - )… 橋本 朋郁(はしもと ともふみ、1960年7月20日 - )は、日本の実業家。株式会社フククルフーズ代表取締役社長、高千穂学園評議員。 福岡県久留米市出身。1983年3月高千穂商科大学(現高千穂大学)商学部卒業、同年4月株式会社若狭薬品入社。同年11月退職。その後、税理士事務所、マンションデベロッパーに勤務し、一般職、課長職、所長代理を務め、株式会社テンガイに経理部長として就職。2007年7月から同社の関連会社だったサイバックの専務取締役に就任。2008年4月25日付けで同社代表取締役社長に就任した。同社は2013年3月に株式会社フククルフーズへ社名変更し、引続き代表取締役社長を務めるが、2021年にフククルフーズは特別清算手続開始決定となる。
井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月… 井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月4日 - )は、日本の放送ジャーナリスト、実業家。NHK副会長を経て、第25代NHK会長に就任(2026年(令和8年)1月25日付)。福岡県久留米市出身。 副会長在任中の2023年、前体制の「BS番組ネット配信問題」について、国会で承認された予算を含む計画に対し「違法性」に言及したことが報じられた。この発言は同年4月の臨時役員会でなされ、組織内のコンプライアンスに対する厳しい姿勢が示されたとされる。
村井 利彰(むらい としあき、1955年1月4日 - )は、… 村井 利彰(むらい としあき、1955年1月4日 - )は、日本の実業家。ニチレイ代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長。日本冷蔵倉庫協会会長や大日本水産会副会長、食品産業センター副会長なども務めた。 福岡県久留米市出身。1973年久留米大学附設高校卒業。1977年九州大学経済学部卒業、日本冷蔵(現ニチレイ)入社。2001年経営企画部長。2005年取締役執行役員兼ニチレイロジグループ本社代表取締役社長。2007年からニチレイ代表取締役社長を務め、タイでのチキン工場建設などを行った。2012年ニチレイロジグループ本社取締役会長兼務。2013年ニチレイ代表取締役会長。日本冷蔵倉庫協会会長、大日本水産会副会長、食品産業中央協議会会長、食品産業センター副会長、内閣府消費者委員会委員なども務めた。
坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は… 坂口 征二(さかぐち せいじ、1942年2月17日 - )は、昭和期に活躍した日本のプロレスラー、柔道家、実業家。福岡県久留米市出身。世界の荒鷲と呼ばれた。長男は格闘家・元プロレスラーの坂口征夫、次男は俳優の坂口憲二。 受験に失敗し、一年高校浪人して久留米市立南筑高校に入学。1960年、柔道三段を取得。高校卒業後、明治大学に進学。柔道部で神永昭夫の指導を受ける。1963年10月、バーデン=バーデンでのIOC総会で柔道の1968年メキシコシティーオリンピックからの除外が決定。国際柔道連盟(IJF)はIOCに再考を促す。坂口はその長身を生かし、1964年東京オリンピック前には「仮想ヘーシンク」として、神永の稽古相手を務めた。
國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月2… 國武 豊喜(くにたけ とよき、1936年(昭和11年)2月26日 - )は、日本の化学者・教育者・会社役員。理研ベンチャーである株式会社ナノメンブレン取締役および北九州産業学術推進機構の理事長。北九州市立大学元副学長。 福岡県久留米市に生まれ、久留米大学附設高等学校卒業後、九州大学工学部応用化学科に入学。大学4年時に秋吉三郎教授、麻生忠二助教授の高分子化学講座へと配属される。修士課程修了後、秋吉教授の「アメリカの大学院を範とする基礎研究重視の大学院教育システムの確立」のため、ペンシルベニア大学の博士課程へと進学する (Ph.D. Adviser, Charles. C. Price)。約2年半で博士学位を取得し、カリフォルニア工科大学のCarl G. Niemann Groupで博士研究員として研究を行う。
権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日… 権藤 満(こんどう みのる、1935年7月7日 - )は、日本の経営者。九州朝日放送の社長、会長を務めた。 福岡県久留米市出身。1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。取締役、事業開発本部長、常務、専務を歴任した。 2003年から2010年まで九州朝日放送の社長を務め、2010年から2011年までに会長を務めた。2004年から2006年までは日本民間放送連盟副会長も務めた。 2018年から地元の久留米市で監査委員を務めている。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 20… 別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 2021年2月27日)は、日本の実業家。 福岡県久留米市出身。1958年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年にテレビ西日本に入社。 1985年7月に制作局長に就任し、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務め、2005年6月から2009年までに会長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役、フジテレビジョン取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役も務め、2000年から2006年までに日本民間放送連盟理事を務めた。 2008年4月に旭日中綬章を受章した。 2021年2月27日肺炎のために死去。87歳没。
石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)… 石橋 幹一郎(いしばし かんいちろう、1920年(大正9年)3月1日 - 1997年(平成9年)6月30日)は、日本の実業家。ブリヂストンの社長・会長を務めた。ブリヂストンタイヤ創業者の石橋正二郎の長男。 石橋正二郎の長男として福岡県久留米市に生まれる。旧制・中学明善校(現在の福岡県立明善高等学校)、福岡高等学校 (九州大学教養部の前身)を卒業後、1年間の浪人を経て1937年、東京帝国大学に進学。1943年に東京帝国大学法学部を卒業後、海軍主計科の短期現役(略称「短現」、短期現役海軍主計科士官(10期))に志願して、同年9月、海軍経理学校に入学。1944年3月に卒業。東京監督官事務所監査官付となる。
赤司 俊雄(あかし としお、1915年(大正4年)8月24日… 赤司 俊雄(あかし としお、1915年(大正4年)8月24日 - 1992年(平成4年)12月26日)は、日本の実業家。三和銀行元頭取。 福岡県久留米市出身。1941年に東京帝国大学経済学部を卒業後、三和銀行に入行。1967年5月に取締役に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1976年4月に同行が発足して以来、初めての生え抜きとして頭取に就任し、「ピープルズバンク」をモットーに、カードローンや年金型預金商品の開発などにより、銀行の大衆化を進め、金融業界では初めてQC(品質管理)活動を導入した。1982年6月に会長に退く。 その一方で、日本銀行参与、大阪銀行協会会長、全国銀行協会連合会副会長、日本ソフトボール協会会長なども歴任した。
真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003… 真藤 恒(しんとう ひさし、1910年7月2日 - 2003年1月26日)は、日本の実業家。福岡県久留米市出身。石川島播磨重工業(現:IHI)の社長、電電公社の最終代総裁、NTT初代社長・会長を務めた。また、ドクター合理化の異名を取った。 中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1934年春、九州帝国大学工学部造船学科を卒業後、播磨造船所(後の石川島播磨重工業)に入社。戦後はアメリカの「海運王」、ダニエル・ラドウィックと手を組み、当時としては画期的な手法で数々の船舶を建造し、専門の船ではそれまでの常識を破った「ズングリムックリ」型のタンカーを考え出したり、従来の貨物船が一隻ごとにオーナーと仕様を決めるオーダーメイドであったのを、あらかじめ造船所が主要スペックを決めてカタログ販売する標準船を世に送り出した。
森山 喜由(もりやま きよし、1909年1月25日 - 19… 森山 喜由(もりやま きよし、1909年1月25日 - 1977年2月1日)は、日本の経営者。エスエス製薬社長を務めた。福岡県久留米市出身。 1932年に東京帝国大学経済学部を卒業。髙島屋、秋葉原デパート等での勤務を経て、1960年にエスエス製薬取締役に就任し、1962年に専務、1964年に副社長を経て、1970年には社長に就任。1976年12月に相談役に退いた。 1977年2月1日呼吸不全のために死去。68歳没。
結城 鉄雄(ゆうき てつお、1892年7月15日 - 197… 結城 鉄雄(ゆうき てつお、1892年7月15日 - 1971年6月18日)は、日本の経営者。大日本セルロイド社長を務めた。福岡県久留米市出身。 1915年に東京高等商業学校を卒業。三井物産での勤務を経て、大日本セルロイドに転じ、1937年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1955年1月には社長に就任。1964年1月から1968年1月までに会長を務めた。富士写真フィルム監査役も務めた。 1962年に藍綬褒章を受章し、1966年に勲三等旭日中綬章を受章。 1971年6月18日急性心不全のために死去。78歳没。
石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年〈明治22年… 石橋 正二郎(いしばし しょうじろう、1889年〈明治22年〉2月1日 - 1976年〈昭和51年〉9月11日)は、日本の実業家。ブリヂストン創業者。 ブリヂストンタイヤ(現・ブリヂストン)の創業者であり、1966年(昭和41年)8月1日に日産自動車と合併したプリンス自動車工業の育ての親(出資者)でもあり、プリンス・ロイヤル、プリンス・スカイラインの名付け親である。また、張り付け式ゴム底足袋(地下足袋)の考案者でもある。 企業活動を通じて、日本のゴム工業や自動車工業の発展に多大な貢献を行った。長年の功績により2002年(平成14年)には日本自動車殿堂入り、2006年(平成18年)には米国自動車殿堂入りを果たしている。
2代 石橋 徳次郎(いしばし とくじろう、1886年(明治1… 2代 石橋 徳次郎(いしばし とくじろう、1886年(明治19年)2月23日 - 1958年(昭和33年)8月19日)は、昭和時代前期の政治家、実業家。福岡県久留米市長。前名は重太郎。 先代・石橋徳次郎の長男として久留米城下荘島町に生まれる。家業の仕立て屋「しまや」をつぎ、弟正二郎とともに業容を拡大。1912年(大正元年)には「しまや足袋」の宣伝に九州初の自動車を使用して知名度を高めた。1918年(大正7年)「日本足袋株式会社」を発足、1922年(大正11年)貼付式ゴム底足袋、即ち、地下足袋を発明(1923年10月 実用新案登録番号第80594号)し発売。1936年(昭和11年)デパート旭屋(現.久留米井筒屋)を創立。
大藪 守治(おおやぶ もりじ、1883年(明治16年)10月… 大藪 守治(おおやぶ もりじ、1883年(明治16年)10月14日 - 1945年(昭和20年)10月15日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 福岡県久留米市苧扱川町(現:久留米市本町)で、実業家・大藪房次郎の三男として生まれる。両替町(現: 城南町)に分家した。早稲田大学を修了後、欧米に遊学した。 1909年(明治42年)以降、筑後水力電気社長、九州水力電気取締役、筑後電気取締役、昭和電灯取締役、九州電気協会評議員、久留米商工会議所顧問などを務めた。筑後水力電気が九州水力電気に合併した際に、その分配金について紛争が生じたが、他の重役よりも社員を優先する立場に立って処理を行った。
岡 幸三郎(おか こうざぶろう、1876年(明治9年)1月2… 岡 幸三郎(おか こうざぶろう、1876年(明治9年)1月24日 - 1955年(昭和30年)11月23日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、久留米市長。 三潴県三井郡通町(現福岡県久留米市通町)で、3代・岡茂平の三男として生まれる。父の死後、兄が事業に失敗して朝鮮に渡ったため、岡家の再興を志し、1924年(大正13年)母が死去すると直ぐに中国・青島に渡航して沈没船引揚業を営んだ。私財を蓄えて帰国し、久留米絣 (株) の支配人を経て絣問屋を設立した。その後、久留米商工会議所議員、久留米縞同業組合議長、久留米絣同業組合議長、地方森林会議員、福岡県教育会評議員、同県国防会参与、久留米絣工業組合連合会副理事長、久留米畜産組合長などを務めた。
日比 翁助(ひび おうすけ、1860年8月12日(万延元年6… 日比 翁助(ひび おうすけ、1860年8月12日(万延元年6月26日) - 1931年(昭和6年)2月22日)は、明治時代から昭和前期にかけての実業家。三越百貨店を創業し三越の経営改革を進め、日本初の百貨店をつくった人物。号は美勲。 娘のシゲノは陸軍大将・緒方勝一の妻。 幕末の1860年(万延元年)に筑後国久留米藩士・竹井安太郎(馬廻格・高良山別荘臨番)の次男として生まれる。1876年(明治9年)18歳で江崎済の黒木塾にて学ぶ。海軍軍人になることを志し、竹崎氏に漢学を、剣術を藩主指南役・津田氏に、南画を同藩の狩野氏に学んだ。1879年(明治12年)日比家の養嗣子になった事で転向する。 剣も相当の腕だったが、久留米藩御納戸役時代に福澤諭吉の著作を読んで傾倒し、上京して1884年(明治17年)、慶應義塾を卒業。
熊本 寿人(くまもと ひさと〔仮、読み不詳〕、1858年9月… 熊本 寿人(くまもと ひさと〔仮、読み不詳〕、1858年9月21日(安政5年8月15日)- 1924年(大正13年)1月10日)は、明治から大正期の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・北村。 筑後国三潴郡、のちの福岡県久留米市で久留米藩士・北村養啓の二男として生まれ、三潴郡木室村中木室(現大川市)の熊本謹蔵の養子となる。和洋学を修めた。 1886年(明治19年)福岡県の花筵業振興のため合資会社共産社を設立。花筵の製造、販売に従事し、染料の改善、染釜の改良などにより製品の品質向上に尽力した。また、筑後茣蓙商同業組合頭取、福岡県花筵同業組合長などを務めた。その他、三潴銀行取締役、福岡県農工銀行監査役にも在任した。
大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永… 大藪 房次郎(おおやぶ ふさじろう、1852年2月9日(嘉永5年1月20日)- 1927年(昭和2年)5月2日)は、明治から昭和初期の実業家、政治家。衆議院議員。 筑後国御井郡久留米城下苧扱川町(現福岡県久留米市本町)で、富豪・大藪萬蔵の長男として生まれる。1900年(明治33年)8月に分家した。 第六十一国立銀行取締役、久留米紡績会社社長、筑後水力電気顧問、大川鉄道顧問などを務め、市営瓦斯事業の開始などに尽力し、貧困層への義捐などを行った。 政界では、1889年(明治22年)4月の市制施行の際に久留米市会議員に選出されたが数ヶ月で辞職。その後、市参事会員に就任。1889年(明治22年)4月から1914年(大正3年)まで久留米市会議員に選出され、その他、所得税調査委員会会長、宅地価修正委員会会長などを務めた。
倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉… 倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉 - 大正6年〈1917年〉6月)は、日本の実業家、足袋職人。主として明治時代から大正時代にかけて活動した人物であり、ムーンスターの創業者である。足袋王、九州の足袋王あるいは久留米の足袋王と異名される。大正3年(1914年)に緑綬褒章を受章している。 倉田家の祖先は武士であり、江戸時代に久留米藩に出仕して御先手物頭を務めたこともあったとされる。やがて町人に転向してからは、両替商や呉服商、米穀商を営む豪商となったが、水難事故や火災などに相次いで遭遇したために、家の経済力は徐々に衰退していき、雲平が生まれる頃には煎餅屋を経営していた。 雲平は、嘉永4年4月(1851年5月)、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市)の米屋町に五男一女の末子として出生した。
鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1… 鹿毛 信盛(かげ のぶもり、1850年2月26日(嘉永3年1月15日)- 1914年(大正3年)9月9日)は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。 筑後国御井郡、後の金島村(現福岡県久留米市)で、鹿毛佐金次の長男として生まれる。嘉永6年(1853年)に家督を相続した。 1878年(明治11年)以降、福岡第十七国立銀行(現福岡銀行)取締役、甘泉社社長、金島銀行頭取、福岡県御井郡農業組合長、両筑十二郡精藍組組長、久留米絣同業組合組長、久留米絣株式会社代表などを務めた。 政界では、福岡県会議員となり、また、1890年(明治23年)9月29日、貴族院多額納税者議員に任じられ、1897年(明治30年)9月28日の任期満了まで1期在任した。
永野 芳宣(ながの よしのぶ、1931年- ) は、日本の実… 永野 芳宣(ながの よしのぶ、1931年- ) は、日本の実業家、経営評論家。 福岡県久留米市出身、横浜市立大学商学部卒業、東京電力に勤務し、常任監査役、特別顧問、日本エネルギー経済研究所研究顧問、政策科学研究所長・副理事長、九州電力エグゼクティブアドバイザー、立山科学グループ特別顧問、福岡大学研究推進部客員教授などを経て、久留米大学特命教授。イワキ(株)特別顧問、(株)正興電機製作所顧問、ジット(株)顧問、TM研究会事務局長などを務める。
田中 久重 (2代目)(たなか ひさしげ、1846年10月2… 田中 久重 (2代目)(たなか ひさしげ、1846年10月20日(弘化3年9月1日) - 1905年(明治38年)2月23日)は、江戸時代後期から明治にかけての実業家。 筑後国久留米の金工、金子荘右衛門の六男として生まれ、初代田中久重の門弟となり、才能を見込まれて養子田中大吉となる。 1873年、初代とともに上京し、翌年、電信寮製機所に勤め、御雇外国人技師の指導を受けて電信機の製作に従事。外国人技師が帰国した後、日本人技術者のみで機械製作を推進した。 1881年、初代の死去により襲名。翌年、東京芝浦に大工場(田中製作所)を建設し、海軍からの要請で水雷などを製造するも、海軍工廠が充実して受注がなくなり、負債を負って三井に経営が移り、1883年、芝浦製作所(のちの東芝)になった。