藤原 大翔(ふじわら はると、2005年12月26日 - )… 藤原 大翔(ふじわら はると、2005年12月26日 - )は、福岡県行橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。 行橋市立今川小学校4年生のときに『野菊ベースボールクラブ』で野球を始め、行橋市立中京中学校では硬式野球の『京築ボーイズ』に所属し、二塁手を務めていた。 飯塚高校へ進学すると、入学当初は二塁手であったが、スピードボールを買われて投手に転向した。2年春からベンチ入りすると、2年秋以降に急成長。3年時には強打の横浜高校との練習試合で7回を投げ、4失点で切り抜けた。3年夏の県大会では4試合に登板し、17回1/3で22奪三振を記録した。 2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成6位指名を受けた。
能智 亜衣美(のうち あいみ、1996年1月14日 - )は… 能智 亜衣美(のうち あいみ、1996年1月14日 - )は、福岡県行橋市出身の日本人の柔道家。階級は63kg級。身長162cm。バスト94cm。リーチ162cm。握力は右46kg、左46kg。血液型はA型。段位は参段。組み手は左組み。得意技は内股。 柔道は豊津小学校3年の時にダイエットが目的で苅田少年柔道クラブにおいて始めた。企救中学3年の時に全国中学校柔道大会57kg級に出場するも初戦で敗れた。宮崎日大高校へ進むと、1年の時にはインターハイで3位に入った。2年になって階級を63kg級に上げると、全国高校選手権63kg級準決勝で松商学園高校2年の津金恵に横四方固で敗れるが3位になった。3年の時にはインターハイの準決勝で津金に判定で敗れてまたも3位だった。
中山 開帆(なかやま かいほ、1993年1月11日 - ) … 中山 開帆(なかやま かいほ、1993年1月11日 - ) は、福岡県行橋市出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。九州サッカーリーグ・ヴェロスクロノス都農所属。 2015年、近畿大学からギラヴァンツ北九州に加入。最初の3シーズンは公式戦出場0だった。2018年9月15日、J3第23節の鹿児島ユナイテッドFC戦でスタメン出場し念願のプロデビューを果たした。2019シーズン終了後、契約満了により北九州を退団。 2020年3月、水戸ホーリーホックに加入。水戸加入後は大ベテラン本間幸司や小澤章人を抑えて第2GKとしてベンチ入りしており、5月30日に行われたJ2リーグ第16節愛媛FC戦で正GK牲川歩見が欠場したため、代わって先発に抜擢され、水戸加入後初出場を果たした。
二保 旭(にほ あきら、1990年5月18日 - )は、福岡… 二保 旭(にほ あきら、1990年5月18日 - )は、福岡県行橋市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。現在は福岡ソフトバンクホークスに所属。
中野 あき(なかの あき、1986年6月30日 - )は、福… 中野 あき(なかの あき、1986年6月30日 - )は、福岡県行橋市出身の女優。株式会社エコーズ所属。 日本映画学校俳優科卒業。2009年10月~2015年9月まで株式会社中野笑店に所属。2015年11月より株式会社エコーズに移籍。ペットはセキセイインコのだいふく。趣味は写真撮影。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
凛(りん、1986年5月3日 - )は、日本の女性ケータイ小… 凛(りん、1986年5月3日 - )は、日本の女性ケータイ小説家。身長は165cm、血液型はO型、趣味はショッピング、特技はソフトボール。福岡県行橋市出身。 中学生の頃にケータイ小説の世界に足を踏み入れ、高校生の頃に執筆活動を本格化。短大在学中に発表した「もしもキミが。」が、2005年出版された「ケータイからあふれたLOVESTORY」に収録され、後に単独出版。この作品は2007年上半期のベストセラーランキングで2位を記録する。その後続編の「今でもキミを。」も出版。こちらも同ランキングで4位を記録した。また、ゴマブックス刊の文庫本の監修も務めている。2010年2月には堤幸彦監督にて「もしもキミが。
時久 省吾(ときひさ しょうご、1984年4月15日 - )… 時久 省吾(ときひさ しょうご、1984年4月15日 - )は、福岡県行橋市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。 小学校2年でサッカーを始め、行橋FC、リミットレスFCを経て、大津高校に入学。1年時にU-16日本代表に選出され、3年時の全国高等学校サッカー選手権大会では、大会優秀選手に選ばれた。その後日本高校選抜として、デュッセルドルフ国際ユースサッカー大会に出場した。 2003年、早稲田大学に進学。同年5月、特別指定選手として東京ヴェルディ1969に登録された。2005年8月、ユニバーシアード・イズミル大会では正GKとして優勝に貢献。その帰りに徳永悠平、兵藤慎剛とともに、1週間バレンシアCFの練習に参加した。
光永 隆志(みつなが たかし、1982年6月22日 - )は… 光永 隆志(みつなが たかし、1982年6月22日 - )は、日本の元俳優、モデル。福岡県の生まれ、愛知県出身。 1982年、福岡県行橋市にて生まれる。その後、愛知県名古屋市に移住。バグジーヒーローズクラブに所属していた。俳優・モデルとして活躍。船橋競馬場のナビゲーターもしていた。引退後は、株式会社光志代表。
平谷 悦郎(ひらたに えつお、1979年1月16日 - )は… 平谷 悦郎(ひらたに えつお、1979年1月16日 - )は、日本の脚本家。 福岡県行橋市出身。京都科学技術専門学校を経て映画美学校脚本コース第一期高等科修了。2012年、平松伸二原作のオリジナルビデオ作品で脚本家デビュー。2013年、内田英治と脚本を共作した『グレイトフルデッド』で劇場映画デビュー。ライターとしても活動し、独特のフェティズムを生かした筆致に定評がある。協同組合日本シナリオ作家協会 理事。 特筆がない限り脚本家として参加。
光畑 真樹(こうはた まさき、1978年 - )は、日本の実… 光畑 真樹(こうはた まさき、1978年 - )は、日本の実業家。クリエイティブディレクター、イベントプロデューサー、東京美人Project 総合プロデューサー、総合イベントプロデュースグループである株式会社グローバルプロデュース代表取締役。株式会社グローバルメタバース代表取締役社長。株式会社グローバルスタジオ取締役副社長。 福岡県行橋市生まれ。大学卒業後、JTBグループでイベントプロデュースに従事。元より歴史好き(特に幕末)であった光畑は、30歳を過ぎた頃からその影響もあり、自分自身も何かやるべきと考えるに至り、仲間を集め、2012年4月に3人で株式会社グローバルプロデュースを創業。その後、イベント業界の専門家を集めたプロデューサー集団に育て上げ、国内外で年間200件(2024年現在)を超えるイベントを主催者のパートナーエージェントとして企画制作。
工藤 政宏(くどう まさひろ、1977年〈昭和52年〉9月1… 工藤 政宏(くどう まさひろ、1977年〈昭和52年〉9月18日 - )は、日本の政治家、福岡県行橋市長(2期)、元行橋市議会議員(3期)。 福岡県行橋市生まれ。行橋市立泉小学校、行橋市立泉中学校、常磐高等学校を経て、2002年日本大学法学部政治経済学科卒。卒業後は学習塾勤務、愛知県犬山市長インターン、茨城県議会議員秘書を経て、帰郷し、2012年、行橋市議会議員に当選し、3期務めた。この間美夜古青年会議所に入り、理事長となる。 2022年2月27日に行われた行橋市長選挙に立候補し、立憲民主党・国民民主党の推薦を受けた現職の田中純と、元副市長の松本英樹を破り初当選した。 2026年(令和8年)2月22日投開票の市長選に再選。
江種 辰明(えぐさ たつあき、1976年10月28日 - )… 江種 辰明(えぐさ たつあき、1976年10月28日 - )は、日本の柔道家。野村忠宏と同じく長く日本の60kg級を代表する選手。得意技は背負い投げ、釣込腰。 福岡県行橋市出身、福岡工業大学附属城東高等学校・天理大学卒。 アジア大会やアジア選手権で優勝経験があるほか、2005年と2007年の世界柔道選手権大会にも出場している。2008年、嘉納治五郎杯東京国際柔道大会ワールドグランプリ2008優勝。 拓殖大学柔道部特別コーチとして指導も行なっていた。 1994 愛知国体柔道競技少年男子(福岡チーム先鋒) 優勝 1995 全日本ジュニア柔道選手権大会 優勝 1998 グルジア国際柔道選手権大会 優勝 1998 講道館杯全日本体重別選手権大会 3位 1999 嘉納治五郎杯国際柔道選手権大会 2位 1999 アジア柔道選手権大会 (温州) 3位 1999 フランス国際柔道選手権大会 2位 1999 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位 1999 熊本国体柔道競技成年男子(東京チーム先鋒) 優勝 1999 韓国国際柔道選手権大会 3位 1999 講道館杯全日本体重別選手権大会 3位 2000 全日本選抜柔道体重別選手権大会 2位 2000 韓国国際柔道選手権大会 3位 2000 ロシア大統領杯国際柔道大会(団体) 3位 2000 アジア柔道選手権大会(東京) 優勝 2001 アジア柔道選手権大会(ウランバートル) 3位 2001 ハンガリー国際柔道選手権大会 優勝 2001 チェコ国際柔道選手権大会 3位 2001 宮城国体柔道競技成年男子(東京チーム先鋒) 優勝 2002 日本国際柔道選手権大会 2位 2002 ロシア国際柔道選手権大会 優勝 2002 エストニア国際柔道選手権大会 優勝 2002 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位 2002 ワールドカップ国別団体柔道大会(スイス・バーゼル) 優勝 2002 モスクワグランプリ国際柔道選手権大会 優勝 2002 講道館杯全日本体重別選手権大会 優勝 2003 全日本選抜柔道体重別選手権大会 3位
小島 大作(こじま たいさく、1975年10月6日 - )は… 小島 大作(こじま たいさく、1975年10月6日 - )は、福岡県行橋市出身の元プロ野球選手(内野手)。プロ野球時代の登録名は「ダイ」。
菊池 直人(きくち なおと、1971年11月18日 - )は… 菊池 直人(きくち なおと、1971年11月18日 - )は、DRAGON GATEのリングアナウンサー。福岡県行橋市出身。身長163cm、体重58kg、血液型A型。
竹下 欣伸(たけした よしのぶ、1967年1月20日 - )… 竹下 欣伸(たけした よしのぶ、1967年1月20日 - )は日本のベーシスト・音楽プロデューサー・編曲家。所属事務所はハーフトーン音楽出版。 福岡県行橋市生まれ。 12歳でギター、トロンボーンを始め、16歳のころからウッドベースを持つようになる。その後、東京芸術大学音楽学部器楽科コントラバス専攻に進学。 当時東京芸術大学の学生であった葉加瀬太郎、斉藤恒芳と共に結成したクライズラー&カンパニーのメンバーとして1990年にメジャー・デビューした。 1996年にクライズラー&カンパニーを解散後、ベーシスト、スタジオ・ミュージシャン、音楽プロデューサー、編曲家として本格的に活動を始め、現在に至る。 現在では、平原綾香や久石譲、宮本文昭、池田聡、桑田佳祐、南野陽子などのコンサートのバックメンバーとして重要な役割を果たしている。
井上 頼子(いのうえ よりこ、1963年9月30日 - )は… 井上 頼子(いのうえ よりこ、1963年9月30日 - )は、日本の政治家。福岡県小竹町長(1期)。 福岡県行橋市出身。1988年3月、福岡教育大学卒業。小学校の教員となる。1989年に結婚。嫁ぎ先の小竹町の米穀店での手伝いを通して、地域と関わるようになる。 2012年4月、特定非営利法人学童保育協会を立ち上げ、理事や事務局長を務めた。 2022年12月11日に行われた小竹町長選挙に立候補し、元町議の河島大紀ら2候補を破り初当選した。2023年1月29日、町長に就任。 ※当日有権者数:6,132人 最終投票率:66.45%(前回比:pts) 2025年3月3日、井上は町議会で、小竹町立病院の財政状況について答弁。
飯塚 徳男(いいづか のりお、1963年5月21日 - )は… 飯塚 徳男(いいづか のりお、1963年5月21日 - )は、日本の医学者。医学博士(山口大学にて取得)。広島大学元教授。専門は、医歯薬学・薬学・天然資源系薬学の研究。漢方診療学。福岡県出身。 1963年、福岡県行橋市出身。1982年福岡県立京都高等学校卒業。1989年山口大学医学部卒業。同年、同大学第2外科入局。1990年4月、市立八幡浜総合病院の研修医として外科に勤務。1991年4月国立山口病院、1992年4月 山口大学医学部附属病院(大学院)、1995年9月同大学医学部附属病院(医員)、1997年8月に同大学医学部・先端分子応用医科学・生体防御機能学助手。2006年8月に同大学医学部・消化器病態内科学・漢方診療科准教授、2009年8月、同大学医学部附属病院・漢方診療部准教授、2013年に同大学医学部附属病院・漢方診療部診療教授を経て、2016年3月広島大学大学院医歯薬保健学研究院漢方診療学講座教授に就任。
幸後 和壽(こうご かずひさ、1950年7月20日 - )は… 幸後 和壽(こうご かずひさ、1950年7月20日 - )は日本の実業家。トクヤマ代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。発明協会会長奨励賞実施功績賞受賞。 福岡県行橋市生まれ。父は日本国有鉄道職員。福岡県立門司高等学校を経て、1975年東京工業大学(現東京科学大学)工学部化学工学科卒業、徳山曹達(現トクヤマ)入社。電解製造部で技術課長や第二課長を務めるなどして工場現場で長く勤務したのち、1999年エレクトロニクス営業部長。同年ICケミカル部長。2002年シェイパル営業部長。2004年理事機能材料部門副部門長兼シェイパル営業部。2006年取締役機能材料部門長、鹿島工場管掌。2009年から代表取締役社長を務め、マレーシアでの多結晶シリコン事業への投資などを進めたが、市況の暴落により特別損失を計上し2015年に代表取締役会長に退いた。
阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日… 阿木津 英(あきつ えい、1950年1月25日 - )は、日本の歌人。短歌結社「八雁(やかり)」主宰。本名は末永英美子(すえなが えみこ)。現代短歌にフェミニズム思想を導入し、女歌運動に影響を与える。 福岡県行橋市生まれ。福岡県立京都高等学校卒業。九州大学文学部哲学科心理学専攻卒業。 出版社、児童相談所の心理判定員、塾の教師などの職歴を重ねながら、作歌活動を続ける。石田比呂志に師事し、1974年、石田が主宰する短歌結社「牙」に参加。後に石田と結婚(その後、協議離婚)。この時、筆名を阿木津とする。 1979年、「紫木蓮まで」30首にて短歌研究新人賞を受賞。同年、短歌結社「未来」に所属するが後に退会。
長倉 翠子(ながくら すいこ、本名「和子(かずこ)」、別名「… 長倉 翠子(ながくら すいこ、本名「和子(かずこ)」、別名「長倉翠」、1937年(昭和12年)7月6日 - 2016年(平成28年)9月18日)は、日本の栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 轆轤に頼らない独特な手びねりの作陶手法で、母性愛を感じた益子の陶土に包まれながら女性の柔らかさや妖艶さを表現し、神秘的な施釉で織り成し「陶」を表現していった、益子焼の陶芸家の中でも稀有な感性を持った女流陶芸家であった。 1937年(昭和12年)7月6日、福岡県行橋市に生まれる。実の母親は、九州では有名であった全盲の女義太夫(瞽女)。そして父親はその弟子となっていた、当時60代の参謀本部技官であったという。
松本 惟子(まつもと ゆいこ、1936年10月1日 - )は… 松本 惟子(まつもと ゆいこ、1936年10月1日 - )は、日本の政治家、元民主党衆議院議員(1期)。戸籍名は村上 惟子。 福岡県行橋市出身。1955年京都高等学校卒。同年安川電機に入社。同社労組の中央執行委員を務めた。1979年から電機労連の青年・婦人対策専門部長に就任。1987年に発足した連合の副事務局長に就任し、同時に婦人部門を担当した。翌1988年に女性局長を兼務。1996年10月に行われた第41回総選挙において民主党の比例九州ブロック単独候補として立候補、当選した。2000年の第42回総選挙では、福岡県第5区から民主党候補として立候補したが、落選した。
神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - … 神崎 昌久(こうざき まさひさ、1929年10月12日 - 2019年10月7日)は、日本の経営者。中山製鋼所社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1954年に九州工業大学工学部機械工学科を卒業し、同年に富士製鉄(のちの新日本製鐵)に入社。1985年6月に取締役に就任し、1989年6月に常務、1993年6月に副社長、1995年6月に常任顧問を経て、1997年3月に中山製鋼所最高顧問に就任し、同年6月には社長に昇格。2006年6月には取締役相談役に就任。 2019年10月7日に心不全のために死去。89歳没。
白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 19… 白川 宏(しらかわ ひろし、1921年11月20日 - 1991年8月16日)は、日本の経営者。東陶機器社長を務めた。 福岡県行橋市出身。1946年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に東洋陶器に入社。 1965年1月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1985年2月から1987年2月までに社長を務めた。 1985年に藍綬褒章を受章。
立木 勝(たき まさる、1906年8月2日 - 1987年4… 立木 勝(たき まさる、1906年8月2日 - 1987年4月13日)は、大分県知事(1971年 - 1979年)。官選も含めると第45・46代、公選のみでは第7・8代にあたる。 福岡県京都郡行橋町(※現在の行橋市、本籍は大分県大分市坂ノ市)出身。旧制大分中学校(現大分上野丘高校)、旧制第三高等学校を経て、1931年に東京帝国大学法学部政治学科を卒業し、東京市社会局、京城府の小林鉱業に勤務。 終戦後に大分市役所に入り、1953年に大分県庁に移る。1955年に木下郁が県知事に当選すると、総務部長に抜擢され、総務部長、出納長、副知事として16年間の木下県政の女房役を務めた。 1971年に木下が引退すると、その後を継いで大分県知事に初当選。
奥村 喜和男(おくむら きわお、1900年1月4日 - 19… 奥村 喜和男(おくむら きわお、1900年1月4日 - 1969年8月19日)は、日本の逓信官僚。内閣情報局次長。革新官僚の代表的人物の一人。号は東陽。 福岡県今川村(現在の行橋市)出身。豊津中学、第五高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学。1923年に高等文官試験に合格、1925年に大学を卒業して逓信省に入省。 同盟通信社や満洲電信電話株式会社の設立に参画し、1935年の内閣調査局設立時に調査官に任じられ、出弟二郎とともに電力国家管理案を作成して電力会社の「民有国営」の実現に奔走した。1937年の企画院創設によって同院調査員に転ずる。統制経済の推進役、革新官僚(新官僚)の代表的存在であった。 1941年には東条内閣の内閣情報局次長に任ぜられ、戦時体制下における言論統制及び統制経済の確立に努める。
橋上 保(はしがみ たもつ、1889年(明治22年)7月 -… 橋上 保(はしがみ たもつ、1889年(明治22年)7月 - 1949年(昭和24年)11月26日)は、大正から昭和前期の実業家、政治家。参議院議員。 福岡県京都郡椿市村(現行橋市)で、橋上弥五郎、モトの二男として生まれ、1914年(大正3年)に家督を相続した。1904(明治37年)高等小学校を卒業した。 1923年(大正12年)6月、上山田炭鉱(現嘉麻市上山田)を開鉱。1931年(昭和6年)1月、橋上鉱業 (株) を設立し社長に、弟・俊崇が常務取締役に就任。1937年(昭和12年)5月、新山野炭鉱(現嘉麻市山野)を開鉱。同年6月、日本炭業 (株) を設立し社長に就任。1938年(昭和13年)宝珠山鉱業 (株) を設立し代表となり、1940年(昭和15年)同社長に就任。
藤田 勇(ふじた いさむ、1887年 - 1955年)は日本… 藤田 勇(ふじた いさむ、1887年 - 1955年)は日本の新聞記者、実業家、阿片ブローカー、フィクサー。『東京毎日新聞』や『報知新聞』の記者を経て1919年に東京毎日新聞社社長となり、「厳正非中立」を掲げて組合運動や社会主義者、アナキストを支援。1923年にはヨッフェ訪日を実現させた。他方で貴族院の「研究会」の黒幕となり、日中戦争期には上海への麻薬の密輸に携わった。 1887(明治20)年、福岡県行橋市の生まれ。 中学卒業後、大陸へ密航し、馬賊になろうとした。 日本に帰国後、新聞『日本』の記者となり、東京毎日新聞や報知新聞の記者を経る。 1919(大正8)年から東京毎日新聞社社長。就任当時、「いさぎよく、正義と弱者と善に味方する」という意味の「厳正非中立」という標語を新聞の一面に掲げ、また銀座の社屋の屋上から垂れ幕を下げていた[要検証 – ノート]。
田淵 助六(たぶち すけろく、1884年6月28日 - 19… 田淵 助六(たぶち すけろく、1884年6月28日 - 1969年10月27日)は、福岡県出身の日本の実業家。 福岡県京都郡仲津村(現・行橋市)で農業を営んでいた田淵市平の長男として生まれる。中学を中退し跡取りを次男に譲って北海道への移民団に加わって札幌へと移住。北海道庁に給仕として入庁、道庁勤務の傍ら夜間中学を卒業の後、1906年に北海法学校を卒業。 北海法学校卒業後に帝国鉄道庁入庁、書記を経て1907年に任官。1913年に釧路運輸事務所、その後旭川運輸事務所、鉄道省移行後に札幌鉄道局運輸課で貨物業務、小樽駅第13代駅長(1923年12月1日-1929年3月29日)、旭川駅16代駅長(1929年3月30日-1930年10月)、札幌鉄道局運輸課高等官を歴任した。
中山 悦治(なかやま えつじ、1883年7月15日 - 19… 中山 悦治(なかやま えつじ、1883年7月15日 - 1951年12月25日)は大正・昭和期の実業家。中山製鋼所の創設者。 福岡県行橋市南泉の中山家に生まれ、行橋市立泉小学校を卒業。豊津中学校(現在の育徳館中学校)三年時、父が事業に失敗し、中途退学。その後、製糸工事、炭鉱、行商など様々な職を転々した。1919年に兵庫県尼崎にメッキ炉1基、作業員数名からなる亜鉛鉱金製造工場を開設した。この工場が中山悦治商店を経て中山製鋼所となる。
唐辛 多喜弥(とうがらし たきや、1864年6月2日 - 1… 唐辛 多喜弥(とうがらし たきや、1864年6月2日 - 1944年6月27日)は、福岡県行橋市出身で雷部屋に所属した大相撲力士。本名は奥村 多喜弥(旧姓:宮原)。最高位は西前頭11枚目(1896年1月場所)。現役時代の体格は164cm、81kg。 唐辛という非常に珍しい四股名の持ち主だが、これは「小粒でもピリリと辛い」という意味が込められていたという。名付け親は彼を贔屓にしていた伊藤博文とも、黒田清隆とも伝わる。 当初は大坂相撲で取っていたが上京し、15代横綱梅ヶ谷に入門、1883年(明治16年)1月場所序二段付出で東京相撲の初土俵を踏んだ。十両には1889年(明治22年)1月場所に昇進、入幕は1894年(明治27年)5月場所のことだった。
末松 謙澄(すえまつ けんちょう、1855年9月30日〈安政… 末松 謙澄(すえまつ けんちょう、1855年9月30日〈安政2年8月20日〉- 1920年〈大正9年〉10月5日)は、日本の明治から大正期のジャーナリスト・政治家・歴史家。正二位勲一等子爵。帝国学士院会員。幼名は千松(または線松)、号は青萍。 豊前国京都郡前田村(現在の福岡県行橋市前田)に大庄屋役末松房澄と伸子の4男として生まれる。1865年(慶応元年)より地元の碩学村上仏山の私塾水哉園にて漢学・国学を学んだ。1866年(慶応2年)の第二次長州征討(小倉戦争)時には、末松家は戦火で焼け出された。 1871年(明治4年)に上京、佐々木高行宅の書生となり、佐々木の娘・静衛がグイド・フルベッキの娘に英語を教わっていた縁で、フルベッキ家に居候していた高橋是清と親交を結んだ。
堤 猷久(つつみ みちひさ、1853年4月14日(嘉永6年3… 堤 猷久(つつみ みちひさ、1853年4月14日(嘉永6年3月7日)- 1925年(大正14年)1月20日)は、明治から大正期の農業技術者・公吏・政治家。衆議院議員。通称・荘蔵。 豊前国京都郡行事村(福岡県京都郡行橋町を経て現行橋市行事)で、酒造業・堤半蔵の長男として生れ、堤兵蔵の養嗣子となる。文久3年(1863年)から慶応2年(1866年)まで佐藤堪蔵に師事し漢学を学んだ。1873年(明治6年)頃、上京してオランダ人ファン・カステールから英語、数学を学んだ。1875年(明治8年)から1876年(明治9年)まで東京学農社で農学、理化学を研究した。 1877年(明治10年)福岡県庁に入り判任官10等属に任官し勧農掛に配属され、県下の農業指導に尽力。
建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12… 建野 郷三(たての ごうぞう、1842年1月12日(天保12年12月1日) - 1908年(明治41年)2月16日)は、幕末の小倉藩士、明治期の官僚・外交官・実業家。大阪府知事、元老院議官。旧名・牧野弥次左衛門。 豊前国京都郡延永村(現:行橋市延永)に生まれる。小倉藩士・建野建三の養子となり「郷三」と改名。第二次長州征討において長州藩との戦いに従軍した。明治3年(1870年)、イギリスに留学し法律学を学んだ。 1877年(明治10年)11月、宮内省御用掛三等侍補心得となる。以後宮内権大書記官、兼太政官権大書記官を歴任。1879年(明治12年)、グラント前米国大統領の来日に当たり接伴掛を務めた。 1880年(明治13年)5月、大阪府知事に就任し約9年間在任、在任中に大阪府と堺県の合併を実現させた。