葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - … 葉上 照澄(はがみ しょうちょう、1903年8月15日 - 1989年3月7日)は、哲学者、天台宗の僧侶、千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。比叡山延暦寺長﨟で初代印度山日本寺竺主および世界連邦日本宗教委員会会長を務めた。世界平和のためには宗派を超えた宗教者の連帯が必要との持論から、世界宗教サミットを発起・開催した。 岡山県赤磐郡石生村原(現在の岡山県和気郡和気町原)の天台宗・元恩寺住職の葉上慈照の長男として生まれる。小学校一年の時、備前岡山藩主の池田家の寺である金剛山常住寺の弟子となる。1916年(大正5年)9月、岡山県立岡山中学校に進学、1920年(大正9年)第六高等学校 (旧制)の入学試験では数学で満点を取り、首席入学した。
藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1… 藤井 龍心(ふじい りゅうしん、1903年7月21日 - 1998年4月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。種智院大学教授。真言宗智山派管長。智積院65世能化。専門は密教学。真言宗清和院住職。義父に、智積院55世能化の高井観海。
叡南 祖賢(えなみ そけん、1903年(明治36年)5月15… 叡南 祖賢(えなみ そけん、1903年(明治36年)5月15日 - 1971年(昭和46年)1月4日)は、天台宗の僧侶。千日回峰行大行満大阿闍梨、大僧正。無動寺谷明王堂輪番、比叡山延暦寺執行として弟子育成と比叡山の復興に尽力、叡山の傑僧と言われた。 愛知県丹羽郡豊富村(現、一宮市千秋町)の伊藤家の二男として生まれる。1910年(明治43年)、7歳で愛知県西春日井郡賢林寺において密蔵院中村勝契大僧正について得度。同年、愛知県龍光寺住職稲田祖珪の養子となり、名を賢一から祖賢と改名する。 1918年(大正7年)、愛知県の中学校から、比叡山中学校に転校する。1922年(大正11年)、天台宗西部大学に入学。
関牧翁(せき ぼくおう、1903年〈明治36年〉4月15日 … 関牧翁(せき ぼくおう、1903年〈明治36年〉4月15日 - 1991年〈平成3年〉2月13日)は、日本臨済宗の僧侶。 臨済宗天龍寺派管長。天龍寺二百四十一世。俗姓は岩井のち関。諱は巍宗。号は叱咤室また集瑞軒。天龍寺規則・宗制の改正を断行し、自由奔放な禅者として知られた。主な弟子には大森曹玄、加藤隆芳、平田精耕、荒金天倫がいる。 群馬県甘楽郡下仁田町に生まれる。初名は岩井 敏夫。旧制富岡中学校を卒業し、慶応義塾大学医学部予科に進学するが、中退。武者小路実篤の提唱した「新しき村」の思想に感化され、伊吹山麗の「愛の村」で青年を指導。 1928年(昭和3年)岐阜県揖斐郡揖斐川町の瑞巌寺の岡部洪宗和尚について得度。
寺本 恵真(てらもと えしん、1903年3月10日 - 19… 寺本 恵真(てらもと えしん、1903年3月10日 - 1970年1月12日)は、日本の真宗大谷派の僧侶。教育者。学校経営者。札幌大谷短期大学初代学長。
平等 通昭(びょうどう つうしょう、1903年2月25日 -… 平等 通昭(びょうどう つうしょう、1903年2月25日 - 1993年9月20日)は、浄土真宗の僧、仏教研究者。 神奈川県横浜市出身。別名・都筑照雄、平等通照。浄土真宗本願寺派善教寺の継嗣。本名・通照(みちてる)、得度して通昭だが、双方を用いた。 早稲田高等学院を経て、1926年東京帝国大学文学部梵文学科卒。自寺に印度学研究所を設け著述刊行した。1929年善教寺住職となり、1962年新羽幼稚園を設立、園長となる。なお、1947年と1951年の横浜市議会議員選挙(港北区選挙区)に日本社会党公認で立候補し落選している。
森本 孝順(もりもと きょうじゅん、1902年(明治35年)… 森本 孝順(もりもと きょうじゅん、1902年(明治35年)11月17日 - 1995年(平成7年)6月19日)は、律宗の僧侶。第81世唐招提寺長老(住職に相当)。律宗管長。 奈良県磯城郡生まれ。10歳で京都の壬生寺に入寺。大谷大学卒。1940年、奈良県五條市の講御堂寺、住職就任。以後、講御堂寺を自坊とす。荒廃していた唐招提寺の再興に尽くし、1946年、長老に就任。1980年、鑑真和上坐像(国宝)の中国里帰りを実現。1983年、130年ぶりに戒壇を復興した。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
山本 空外(やまもと くうがい、1902年9月13日 - 2… 山本 空外(やまもと くうがい、1902年9月13日 - 2001年8月7日)は、哲学者、浄土宗の僧。 1902年、広島市南区金屋町生まれ。旧名・幹夫。1926年、東京帝国大学文学部哲学科を卒業。 1927年より(旧制)山形高等学校教授、1929年より広島文理科大学助教授。1929から1931年まで欧米に留学して学ぶ。1935年「哲学体系構成の二途 プローティーノス解釈試論」を提出して文学博士号を取得。1936年より広島文理科大学教授。1945年に被爆し、同年望月信亨のもとで出家する。1947年、広島文理科大学を退官する。1952年より愛媛大学文理学部教授をつとめた。1953年、法蓮寺住職となり、また広島大学文学部教授となった。
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体: 廣川 弘禪、190… 広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体: 廣川 弘禪、1902年〈明治35年〉3月31日 - 1967年〈昭和42年〉1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。 衆議院議員。農林大臣(第12・14・16代)、行政管理庁長官(第6代)、自由党総務会長・幹事長、民主自由党幹事長、財団法人青葉学園理事長、青葉学園短期大学初代学長を歴任した。位階・勲等は正三位勲一等瑞宝章。 福島県石川郡玉川村生まれ。生家は曹洞宗の寺院大安寺。苦学し曹洞宗大学(後の駒澤大学)仏教学部中退。当時広川は、藤田俊訓らと共に同大学の単科大学昇格運動に積極的に参加していたため「風紀を乱す」として大学に目をつけられており、退学理由についても「当時の学長である忽滑谷快天の怒りを買った」ためとする説がある。
広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902… 広川 弘禅(ひろかわ こうぜん、旧字体:廣川 弘禪、1902年(明治35年)3月31日 - 1967年(昭和42年)1月7日)は、日本の政治家、僧侶、教育者。「弘禅」は曹洞宗の僧侶名で、本名は広川 弘(ひろかわ ひろし)。農林大臣、国務大臣行政管理庁長官、日本自由党総務会長を歴任した。正三位勲一等瑞宝章。
増永 霊鳳(ますなが れいほう、1902年(明治35年)3月… 増永 霊鳳(ますなが れいほう、1902年(明治35年)3月5日 - 1981年(昭和56年)12月29日)は、日本の仏教学者、曹洞宗の僧侶。駒澤大学名誉教授。仏教学専攻。 福井県福井市出身。駒澤大学仏教学部卒。同研究科卒。文学博士。駒澤大学仏教学部教授、駒澤大学短期大学部長を歴任。
市川 白弦(いちかわ はくげん、1902年(明治35年)2月… 市川 白弦(いちかわ はくげん、1902年(明治35年)2月28日 - 1986年(昭和61年)6月7日)は、臨済宗の僧侶、社会運動家。 哲学者市川浩は長男。
鈴木 修学(すずき しゅうがく、1902年1月5日 - 19… 鈴木 修学(すずき しゅうがく、1902年1月5日 - 1962年6月7日)は、日本の社会福祉の実践家で教育者、日蓮宗僧侶。日本福祉大学の創立者で初代学長。学校法人法音寺学園、昭徳会理事長。日蓮宗大僧正。 1902年(明治35年)愛知県江南市寄木町の菓子の卸売りを兼ねる農家に生まれる。父は熱心な法華経信者であった。布袋尋常高等小学校高等科卒業後に家業を継ぎ、菓子の他にパンの製造と卸売を始めて成功する。やがて法華経の教えによる社会の救済を実践していた仏教感化救済会の杉山辰子と出会い、家業や蓄財を精算したお金を携えて救済会に入会する。1928年、辰子の養女みつと結婚。同年、辰子の指示により、夫婦で福岡県福岡市のハンセン病療養所を運営する。
小田 雪窓(おだ せっそう、1901年(明治34年)11月2… 小田 雪窓(おだ せっそう、1901年(明治34年)11月28日 - 1966年(昭和41年)9月17日)は、大正・昭和時代の日本の臨済宗の禅僧。大徳寺506世、大徳寺派第11代管長等を歴任した。本名は小田虎蔵。雪窓は道号で、法諱は宗甫。蔵暉室と号した。 1901年(明治34年)に鳥取県八頭郡河原町(現在の鳥取市河原町)で生まれる。1913年、鳥取・竜峯山広徳寺の第21世住持・杉原春窓(元令)の下で得度。 1921年(大正10年)に妙心寺に掛塔、瑞巌宗碩に師事し、法嗣となる。 1947年(昭和22年)、師の瑞巌が大徳寺派9代管長・大徳寺503世に就任すると、高齢を理由に雪窓を大徳僧堂の師家代参とした。
水野 弘元(みずの こうげん、1901年11月19日 - 2… 水野 弘元(みずの こうげん、1901年11月19日 - 2006年1月1日)は、日本のパーリ語仏教(原始仏教)の研究者、僧侶。駒澤大学総長を務めた。同大名誉教授、東京大学文学部教授。学位は、文学博士(東京大学)。インドナーランダ大学名誉文学博士。 1901年、佐賀県に生まれた。曹洞宗第四中学林(現高川学園高等学校・中学校)、山口高等学校経て、東京帝国大学に進学。1928年、東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業し、同大学大学院に進んだ。 1935年、駒澤大学講師に就任。1940年、教授に昇進。1959年から1962年には、東京大学教授を兼任した。1976年より駒澤大学副学長、1982年より駒澤大学総長をつとめた。
筑土 鈴寛(つくど れいかん、1901年9月28日 - 19… 筑土 鈴寛(つくど れいかん、1901年9月28日 - 1947年2月12日)は、日本の僧侶、民俗学者。東京府北多摩郡神代村(現東京都調布市)生まれ。初名を寛也。 私立天台宗中学校(現駒込高校)、國學院大學予科に学び、1924年(大正13年)東漸院住職となる。1926年國學院大學文学部国文学科卒業、東京帝国大学文学部副手、1928年(昭和3年)大正大学予科講師、同予科・専門部教授を経て1944年大正大学教授。 折口信夫より唱導文芸の研究を受け継ぎ、中世の宗教芸文に関する研究を確立した。 1947年に宗教芸文学会を設立したが、まもなく若くして亡くなった。 国文学の業績が多く、折口の後継者の一人と目されていた。
森 諦圓(もり たいえん、1901年5月27日 - 1990… 森 諦圓(もり たいえん、1901年5月27日 - 1990年7月30日)は、日本の僧侶、教育者。真言宗御室派管長。総本山仁和寺第41世門跡。本名(出家するまでの名)森調四郎。 香川県三豊郡比地二村(現 三豊市高瀬町)出身。旧制香川県立三豊中学校、真言宗京都大学(現・種智院大学)卒業。 貧しい大工の家に生まれ、8歳の時「米のメシが食べたい、学問がしたい」という動機で仏門に入った。覚城院での厳しい修行を経て、三豊中学、真言宗京都大学を卒業する。卒業論文は、『児童の宗教教育の理論と実践』。大学卒業後、覚城院第57世住職となる。戦時中は、陸軍第十一師団付従軍布教師として上海ウーマンに敵前上陸を共に行動した。
加賀尾 秀忍(かがお しゅうにん、1901年1月5日 - 1… 加賀尾 秀忍(かがお しゅうにん、1901年1月5日 - 1977年5月14日)は、昭和期に活躍した真言宗の僧侶。フィリピン・モンテンルパの戦犯刑務所で教誨師として活躍したので『モンテンルパの父』ともよばれている。 1901年1月5日、岡山県真庭郡落合町の極楽寺に生まれる。落合尋常小学校を卒業後、おなじ落合にある木山寺に入り、住職の高藤秀本に師事し漢籍・経文を習った。1929年、真言宗京都大学を卒業して真言宗の僧侶となる。宝蔵院の住職をつとめたのち、高野山東京別院の副主監となる。 1949年11月4日、フィリピン・マニラ郊外のモンテンルパにある、当時、戦犯刑務所だったニュー・ビリビット刑務所に、病気のため早期帰国した安達本識(あだち・ほんじき)教誨師の後任として赴任する。
谷口節道(たにぐち せつどう、1901年 - 1986年)は… 谷口節道(たにぐち せつどう、1901年 - 1986年)は、日本の曹洞宗の僧侶、福祉事業家。霊眼寺(富山県富山市中布目)住職。児童養護施設ルンビニ苑(富山県富山市中布目)初代園長。 駒澤大学専門部を女性として初めて卒業した、5人の尼僧のひとりとしても知られる。尼僧の地位向上にも貢献した。駒澤大学での勉学を終えて、郷里の富山に戻る折、複数の戦争孤児らを見るに見かねて、ともかくも一緒に連れ帰ったのが、福祉事業の最初とされる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
許 永鎬(ホ・ヨンホ、朝鮮語: 허영호、1900年12月21… 許 永鎬(ホ・ヨンホ、朝鮮語: 허영호、1900年12月21日 - 1952年1月30日?)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、社会運動家、仏教の僧侶・宗教家、大韓民国の教育者、政治家。制憲国会議員。 別名に許 允(ホ・ユン、허윤)などがある。号は玄州(ヒョンジュ、현주)。法名は鏡湖(キョンホ、경호)。日本名は徳光 允、徳光 翼。 慶尚南道釜山府(現・釜山広域市)出身。東萊高等普通学校(現・東萊高等学校)、東洋大学、大正大学仏教学科卒。 梵魚寺が運営する中等学校の3年在学中に三・一運動に関連する東莱市場の独立万歳デモを主導したため、逮捕され1年間投獄された。出獄後は日本留学を経て、朝鮮に帰り講演活動を行った。
千葉 省一(ちば しょういち、1900年〈明治33年〉10月… 千葉 省一(ちば しょういち、1900年〈明治33年〉10月14日 - 1988年〈昭和63年〉10月18日)は、日本の政治家、僧侶。宮城県本吉町長、曹洞宗布教師、宗議会議員などを歴任。勲五等双光旭日章綬章 本吉郡御嶽村(現・気仙沼市)生まれ。1927年(昭和2年)、曹洞宗大学(現: 駒澤大学)卒業。愛知中学校舎監、曹洞宗布教師、軍人布教師、中国吉林市の日満寺を開設し吉林省強化興亜禅林、九台布教所を設立。磐石県禅宗寺を設立。南満鉄道巡回布教師、宗議会議員などを経て、本吉町長を務める。1963年(昭和38年)4月30日に町長に就任した。1967年(昭和42年)4月に無投票で再選を果たした。1975年(昭和50年)4月に4選を果たした。
田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1… 田中 松月(たなか しょうげつ、1900年9月15日 - 1993年5月12日)は、日本の政治家、僧侶、部落解放運動家。日本社会党所属の衆議院議員(当選3回)。本名は久光(後述の叙位・叙勲での官報告示は「田中松月」で告示されている)。 福岡県嘉穂郡大隈村(現・嘉麻市)の被差別部落の出身。1925年、旧制平安中学校(現・龍谷大学付属平安中学校・高等学校)卒業。浄土真宗の僧侶となる。そのかたわら部落解放運動に身を投じ、1922年の全国水平社創立大会には福岡県からの唯一の参加者として出席。1935年には全国水平社中央委員に就任。1939年には福岡県会議員に当選、1946年まで務めたのち、1946年の第22回衆議院議員総選挙で衆議院議員に初当選(日本社会党)。
山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 198… 山田 無文(やまだ むもん、1900年7月16日 - 1988年12月24日)は、日本の臨済宗の僧侶。道号は太室、法諱は素圭、のち無文。室号は通仙洞。俗姓は山田。花園大学名誉学長・臨済宗妙心寺派管長。
芙蓉 良順(ふよう りょうじゅん、1900年2月4日 - 1… 芙蓉 良順(ふよう りょうじゅん、1900年2月4日 - 1983年8月13日)は、日本の仏教学者、僧侶。大正大学教授、学長。真言宗智山派管長。智積院62世能化。専門は密教学。 この項目は、宗教家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 宗教/ウィキプロジェクト 宗教)。
坂本 幸男(さかもと ゆきお、のち改名して坂本日深(にちじん… 坂本 幸男(さかもと ゆきお、のち改名して坂本日深(にちじん)、1899年(明治32年)9月12日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は、日蓮宗系の仏教学者、僧侶。 1899年、岡山県津島生まれ。日蓮宗不受不施派の家系。東京帝国大学文学部印度哲学科を卒業する。卒業後は東洋大学教授となる。1948年より立正大学仏教学部教授となり、翌1949年には学部長を務める。1954年、「慧苑の華厳教学の研究 特に教判論を中心として」で東北大学より文学博士の学位を取得。身延山久遠寺第84世・深見日円の弟子となり日深と改名。1966年立正大学に法華経文化研究所を設立して所長となる。1968年、立正大学学長に就任。
安藤 覚(安藤 覺、あんどう かく、1899年(明治32年)… 安藤 覚(安藤 覺、あんどう かく、1899年(明治32年)6月16日 - 1967年(昭和42年)11月27日)は、昭和期の僧侶、政治家。衆議院議員(5期)。僧名は覚堂。 神奈川県愛甲郡小鮎村(現厚木市)に生まれる。1925年、日本大学専門部宗教科卒業。神奈川県愛甲郡依知村(後厚木市に編入)の曹洞宗安竜寺、同広徳寺の住職を務める。 萬朝報や読売新聞の記者を務め、後に読売新聞社政治部長・編集局次長、日本大学新聞研究室講師、神奈川民声新聞社社長、神奈川中央交通、小田急運送各取締役、神奈川県仏教連盟、同青年連盟各理事となる。 1942年の第21回衆議院議員総選挙では翼賛政治体制協議会推薦で神奈川県3区から立候補して初当選するが、戦後公職追放処分となる。
小池 政恩(こいけ せいおん、1899年4月18日 - 19… 小池 政恩(こいけ せいおん、1899年4月18日 - 1963年12月20日)は、日蓮宗僧侶、衆議院議員(1期)。息子は三島市長の小池政臣、孫は衆議院議員の小池政就。 静岡県出身。1929年法政大学文学部英法科を卒業後、日蓮宗布教院で教学を学ぶ。沼津市の住本寺住職、三島市猛通寺住職、宗会議員を歴任した後に本山玉沢妙法華寺貫首に晋山。三島高等実科女学校で教鞭も執った。宗教活動のほか社会福祉活動にも力を注ぎ、境内に老人福祉施設「玉沢昭寿園」を作った。1959年、社会福祉法人静岡恵明学園の理事長に就任。 政治家としては第22回衆議院議員総選挙に日本自由党から静岡県選挙区で立候補し当選した。
井川定慶(いかわ じょうけい、1898年12月18日 - 1… 井川定慶(いかわ じょうけい、1898年12月18日 - 1977年5月27日)は、浄土宗の僧侶。佛教大学名誉教授。 1898年、奈良県磯城郡平野村(現:田原本町)瑞花院で生まれた。県立畝傍中学校(現:奈良県立畝傍高等学校)、佛教専門学校を経て、京都帝国大学文学部国史科に入学。1923年に卒業した。 卒業後は、華頂高等女学校教諭となり、次いで京都大学嘱託となって近衛家文書調査にあたった。 1945年、大阪府高石市の専称寺住職となった。また、京都西山短期大学講師として教鞭をとった。佛教大学助教授となり、後に教授昇進。1962年、学位論文『法然上人絵伝の研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得。1969年に佛教大学を定年退職し、名誉教授となった。
花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)1… 花山 信勝(はなやま しんしょう、1898年(明治31年)12月3日 - 1995年(平成7年)3月20日)は、日本の仏教学者、浄土真宗本願寺派の僧侶。東京大学名誉教授。 1898年、石川県金沢市で生まれた。第四高等学校を卒業し、東京帝国大学印度哲学科に進学。卒業後に同大学大学院に進んで日本仏教史を専攻した。 修了後は東洋大学教授に就いた。後に東京大学文学部教授、國學院大學教授を務めた。1935年、『聖徳太子御製法華経義疏の研究』で学士院恩賜賞を受賞。1942年、学位論文『勝鬘経義疏の上宮王撰に関する研究』を提出して文学博士号を取得。 1946年2月より、東大教授を務める一方で巣鴨拘置所の教誨師となり、東條英機ら7人のA級戦犯の処刑に立ち会った。
日淳(にちじゅん、1898年(明治31年)10月10日 - … 日淳(にちじゅん、1898年(明治31年)10月10日 - 1959年(昭和34年)11月17日)は、日蓮正宗の僧侶。大石寺第65世法主。姓は堀米。竜谷阿闍梨。院号は信乗院。道号は泰栄。 1898年(明治31年)、長野県伊那市坂下町、堀米暦太郎の次男として誕生。幼名は寿万男(すまお)。10歳で父と死別。1911年(明治44年)、伊那市信盛寺の当時の住職、岡田道篤のもとへ得度し、諦栄と名乗ったが、のちに大石寺第57世日正に師僧変更し道号を泰栄(たいえい)と改名。 1922年(大正11年)6月には神奈川教会所担任教師に、同年12月に大石寺百貫坊住職となり、その後、京都・住本寺住職取り扱い、東京中野教会(後の昭倫寺)主管(信盛寺住職兼任)、東京・常泉寺住職を歴任。
本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日… 本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日 - 1978年6月30日)は、日本の英文学者、評論家、浄土真宗の僧侶。法政大学名誉教授。 愛知県名古屋市の寺院に生まれ、自らも僧籍を有した。本名・けんしょう。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を経て、1923年東京帝国大学文学部英文科卒。九州帝国大学講師、旧制福岡高等学校教授、東京女子高等師範学校教授を経て、1933年から1966年まで法政大学教授を務めた。その後、駒沢大学、実践女子大学、武蔵野女子大学の教授を歴任。シェイクスピア、ロレンスなど英文学の翻訳・研究に加え、近代日本文学など広範な評論活動をおこなった。 夏目漱石、親鸞に関する著作のほか、エッセイストとしても長年執筆を行い、学内事情を暴露した『大学教授』や『歎異抄入門』はベストセラーとなった。
野澤 密全(のざわ みつぜん、1898年9月3日 - 197… 野澤 密全(のざわ みつぜん、1898年9月3日 - 1971年11月11日)は、日本の真言宗の僧侶。信貴山真言宗初代管長。信貴山中興の偉人とも称されている。 香川県仲多度郡高篠村(現・まんのう町)生まれ。11歳で親元を離れて奈良県の信貴山で寺に入り、14歳の時に僧侶となった。1920年、真言宗京都大学(現・種智院大学)卒業。27歳という異例の若さで宗会議員になったほか、大阪で野澤幼稚園を運営した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。
小野 光洋(おの こうよう、1898年4月4日 - 1965… 小野 光洋(おの こうよう、1898年4月4日 - 1965年11月19日)は、日蓮宗僧侶、参議院議員(1期)。文教大学創立者。 山梨県東八代郡富士見村(現・笛吹市)東油の妙油寺住職小野日祥の息子として生まれる。幼名はみのる。 1918年、旧制甲府中学卒業後、日蓮宗大学補習科入学、また同時期に得度。1924年、日蓮宗大学本科を卒業後、翌年、同大学が立正大学となったため再度文学部哲学科に入学。1927年、馬田行啓と共に立正学園を設立。戦後1946年には同学園理事長に就任するほか、学園の各種学校の校長にもなった。1953年には新設された立正学園女子短期大学の学長に就任。また1947年には日本私立中学高等学校連合会理事長にもなった。
塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1… 塚本 善隆(つかもと ぜんりゅう、1898年2月8日 - 1980年1月30日)は、浄土宗僧侶・仏教史学者。中国仏教研究の世界的権威。京都大学名誉教授。元日本学士院会員。 1898年、愛知県海部郡七宝村(現・あま市)で生まれた。15歳の時に仏門に入った。佛教専門学校(現・佛教大学)で学び、1918年に卒業。その後は東京に出て宗教大学(現・大正大学)研究科に進み、1920年に卒業。博士課程は京都帝国大学文学部哲学科インド哲学専科で修め、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡に師事。1923年に修了し、その後は京都帝国大学文学部史学科東洋史専科で学んだ。東洋史学は桑原隲蔵、羽田亨に師事し、仏教学を望月信亨、矢吹慶輝、椎尾弁匡の下で学び、仏教学・史学を併修した独自の学風であった。
藤田 俊訓(ふじた しゅんくん、1898年2月8日 - 19… 藤田 俊訓(ふじた しゅんくん、1898年2月8日 - 1975年2月25日)は、日本の僧侶(曹洞宗)、大学経営者。佐賀県杵島郡大町町出身。 賢崇寺第29代住職、駒沢女子学園学監、駒澤大学学監などを歴任。「駒大中興の祖」と呼ばれる。 佐賀県神埼郡城田村の光円寺住職の父・亮雄と母センの長男として生まれる。1925年、曹洞宗大学(今の駒澤大学)卒業。大学在学中、学内誌「第一義」の編集に携わる(1922年から卒業迄)。1923年、夏休みを早めに切り上げて上京したため、関東大震災に遇う。広川弘禅や安藤文雄らと共に曹洞宗大学の単科大学昇格運動に積極的に関わった。 苦学して大学卒業後、曹洞宗総務院に務めるが程なく帰郷し宗侶として活動。
桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 -… 桜井 徳太郎(さくらい とくたろう、1897年6月21日 - 1980年12月28日)は、日本の陸軍軍人、僧侶。最終階級は陸軍少将。法名、全覚。
大河内 了悟(おおこうち りょうご、1897年5月3日 - … 大河内 了悟(おおこうち りょうご、1897年5月3日 - 1976年10月13日)は、愛知県幡豆郡平坂村(現・西尾市)出身の浄土真宗僧侶・仏教学者。真宗大谷大学教授、岡崎女子短期大学教授。号は虚洞。 1897年(明治30年)5月3日、愛知県幡豆郡平坂村(現・西尾市)の無量寿寺に生まれた。父は無量寿寺第24世住職の了雲。 1926年(大正15年)3月、真宗大谷大学研究科を卒業し、擬講となった。その後無量寿寺の第25世住職となった。1927年(昭和2年)3月には真宗大谷大学の教授に就任した。 1957年(昭和32年)7月、真宗大谷派嗣講師の学階を受けた。1967年(昭和42年)7月、安居本講を命じられて「顕浄土真実行文類ニ」を講じた。
赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1… 赤松 月船(あかまつ げっせん、1897年3月22日 - 1997年8月5日)は、日本の詩人、曹洞宗僧侶。梅花流詠讃歌で知られる。岡山県浅口郡鴨方村(現・浅口市)出身。旧名は藤井卯七郎。 小学校卒業と同時に井原の善福寺の住職赤松仏海の養子となり、13歳で得度、1914年(大正3年)から新居浜の瑞応寺で修行、1916年から大本山永平寺で修行。1918年(大正7年)、僧籍を離れ上京して生田長江に師事。文学上の友人としては村井武生がいる。佐藤春夫、室生犀星らと知り文学活動を始め、『紀元』『文藝時代』などに参加。 1936年、岡山県に帰り、洞松寺(矢掛町)、善福寺の住職。1950年、曹洞宗特派布教師。1951年、正教師。
佐々木 雄堂(ささき ゆうどう、明治30年(1897年) –… 佐々木 雄堂(ささき ゆうどう、明治30年(1897年) – 昭和39年(1964年))は、大正から昭和期の曹洞宗の僧侶。平安山龍泰寺(佐賀県佐賀市)の住持職(方丈)。郷土史家、教育家、思想家。 佐賀県佐賀市赤松町にある平安山龍泰寺の住職をつとめる佐々木家の長男として生まれる。佐々木家は代々、佐賀県神埼市の吉祥山泰蔵院住持職を世襲する寺家であり、佐賀県曹洞宗の名刹・龍泰寺の住職に晋山したものである。生母は佐賀藩士石井探玄(新蔵)の娘チカ。母方の家系は、佐賀藩祖鍋島直茂の正室陽泰院の甥石井茂成の子孫の家であった。 長じて、駒澤大学仏教学部に学び、卒業後、父の跡を継いで龍泰寺に仕え、住持職に就任。神埼市の泰蔵院の住持職をも兼務した。
西 義雄(にし よしお、1897年 - 1993年3月29日… 西 義雄(にし よしお、1897年 - 1993年3月29日)は、臨済宗の僧、仏教学者。
平岡 宕峯(ひらおか とうほう(とほう)、1896年8月24… 平岡 宕峯(ひらおか とうほう(とほう)、1896年8月24日 - 1994年6月20日)は、日本の教育者、僧侶、実業家。本名は平岡 静人()。 勲三等瑞宝章。高野山真言宗大僧正。韓国圓光大学校名誉哲学博士。広島県安芸郡下蒲刈町(現・呉市)出身。真言宗京都大学、真言宗高野山大学、佛教専門学校(旧制)卒業。全国私立学校連合会副会長、日本私立中学校高等学校連合会会長ならびに大阪私立中学校高等学校連合会会長歴任。学校法人清風学園および同法人清風南海学園の創立者で、現在も前者では「校祖」、後者では「学父」と呼称される。 1896年(明治29年)8月24日、広島県安芸郡下蒲刈島村に平岡幸太郎の三男として生まれた。
梶浦 逸外(かじうら いつがい、1896年7月10日-198… 梶浦 逸外(かじうら いつがい、1896年7月10日-1981年2月10日)は、臨済宗の僧侶。愛知県出身。臨済宗大学(現花園大学)卒。法諱は宗実。室号は霧隠軒、正眼寺関栖後は梅熟軒と号す。俗性は梶浦。臨済学院専門学校校長、1944年岐阜県正眼寺住職、69年妙心寺派管長。正眼短期大学を創立。禅の海外普及に努めた。世寿八十六。
硲慈弘(はざま じこう、1896年6月16日-1946年4月… 硲慈弘(はざま じこう、1896年6月16日-1946年4月16日)は、天台宗の僧、仏教学者。 和歌山県生まれ。天台宗大学(のち大正大学)卒。東京帝国大学へ内地留学、島地大等に師事、その『天台教学史』の編纂助手を務める。1927年大正大学講師、助教授、教授。初代天台宗教学研究所長。
竹田 益州(たけだ えきじゅう、1896年(明治29年)- … 竹田 益州(たけだ えきじゅう、1896年(明治29年)- 1989年(平成元年)6月20日)は、昭和を代表する臨済宗の禅僧。俗姓は最初は土田で、のち竹田と改姓。法諱は宗進、道号は益川。室号は金剛窟。大分県西国東郡上真玉村(現・豊後高田市)出身。1954年から1989年まで臨済宗建仁寺派管長を務めた。 1896年(明治29年)7月10日、大分県西国東郡上真玉村(現・豊後高田市)で、土田忠米と妻ウメの三男として出生。進と名付けられる。父は漢籍を好み、村の寺小屋で教えていた。1902年(明治35年)、矢野要平家の養子となる。翌年、上伊美尋常小学校に入学したが、1904年(明治37年)には養子先の主人が日露戦争出征のため、矢野家を出た。
山田 恵諦(やまだ えたい、明治28年(1895年)12月1… 山田 恵諦(やまだ えたい、明治28年(1895年)12月1日 - 平成6年(1994年)2月22日)は、日本の天台宗の僧侶。第253世天台座主を20年務め、「比叡山宗教サミット」の開催や「一隅を照らす運動」に尽力した。その行動的な姿から「空飛ぶお座主」といわれた。 明治28年(1895年)12月1日、兵庫県揖保郡太子町に生まれる。母に連れられて寺に参詣した際、修行者の姿に心を惹かれて仏教に憧れたという。明治37年(1904年)延命寺で出家し、堀恵慶の弟子となる。この時「恵諦」の法名を賜る。16歳で比叡山に入り、比叡山中学に入学。大正9年(1920年)天台宗西部大学卒業、卒業後は天台学の専門研究員となる。
中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月… 中西 悟堂(なかにし ごどう、1895年(明治28年)11月16日 - 1984年(昭和59年)12月11日)は、日本の野鳥研究家で歌人・詩人、天台宗僧侶。文化功労者。日本野鳥の会の創立者。本名は富嗣、悟堂は法名。他に筆名として赤吉(しゃくきち)。 「野の鳥は野に」を標語に自然環境の中で鳥を愛で、保護する運動を起こした。「野鳥」や「探鳥」は悟堂の造語。 1895年(明治28年)、石川県金沢市長町に生まれ、富嗣と命名される。祖父は加賀藩士。父親は海軍軍楽隊教官だったが、悟堂の生後まもなく病死し、母は長崎の実家に帰ったまま行方不明となり、父の兄で中西家十代の当主元治郎(悟玄)の養嗣子となる。3歳頃より四書五経を学び千字文を書写する。
山名 義芳(やまな ぎほう、1895年10月11日 - 19… 山名 義芳(やまな ぎほう、1895年10月11日 - 1960年3月26日)は、真宗大谷派僧侶、衆議院議員(1期)。 兵庫県出身。1920年大谷大学を卒業。僧侶となり少年保護司などとして活動。岐阜教務所、高岡教務所、神戸教務所、富山教務所の所長を歴任し、大谷派教学顧問に就任を経て鹿児島教務所長になった。 政治家としては第23回衆議院議員総選挙に民主自由党から兵庫県第4選挙区で立候補し当選。国会では花まつりを祝日にするよう求める請願を行なった。
草葉 隆圓(くさば りゅうえん、1895年(明治28年)3月… 草葉 隆圓(くさば りゅうえん、1895年(明治28年)3月13日 - 1966年(昭和41年)9月20日)は、日本の社会福祉事業家、政治家、僧侶。参議院議員(4期)、厚生大臣(第24代)。雅号・隆月。 福岡県出身。1920年(大正9年)、大谷大学を卒業し欧米に留学。1921年(大正10年)から社会福祉事業に従事し、愛知県遺友会会長となる。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙に愛知地方区から出馬し当選(任期3年)。以後、第2回、第4回、第6回参議院議員通常選挙で再選され、連続4回当選を果たした。 参議院議員としては、参議院在外同胞引揚問題に関する特別委員長、同議院運営委員長、同外務委員長、同日米安全保障条約等特別委員長を務める。
柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11… 柴山 全慶(しばやま ぜんけい、1894年(明治37年)11月30日 - 1974年(昭和49年)8月29日)は昭和期日本に活躍した臨済宗の禅僧。 愛知県葉栗郡浅井町に生まれる。室号は寒松軒、道号は文明。法諱は全慶、俗姓は柴山。花園大学・大谷大学教授を務めた。また8回に渡って渡米し、諸大学で禅学を講義した。1931年(昭和6年)に日本仏教エスペランチスト連盟を起こしたエスペランティストでもある。また、詩『花語らず』でも知られている。1959年(昭和34年)臨済宗南禅寺派管長(1959-1974)に就任し、管長在位のまま1974年遷化。世寿81。 父・悦太郎、母・いと、七人兄弟の次男として生まれ、幼名を真一といった。
井上 義衍(いのうえ ぎえん、明治27年(1894年)7月2… 井上 義衍(いのうえ ぎえん、明治27年(1894年)7月27日 - 昭和56年(1981年)3月2日)は、日本の曹洞宗の僧侶。浜松市龍泉寺住職(曹洞宗師家会会長)。号は玄魯。 明治27年(1894年)7月27日、広島県豊田郡瀬戸田町(現、尾道市)長光寺に次男として生まれる。明治40年(1907年)に町内向上寺にて得度し、国泰寺僧堂に入る。大正4年(1915年)に東京青松寺に移り、7年に名古屋日泰寺に移る。 北野元峰、杉本道山、原田祖岳、飯田トウ隠に師事、日泰寺で参禅中、市街地に出かけて観劇の最中に悟りを開く。大悟。大正13年(1924年)に浜松龍泉寺住職となる。 さらに、講師を務めるの縁で、飯田欓隠に参禅、師の鉄槌を受ける。