南山 英雄(みなみやま ひでお、1940年2月29日 - 2… 南山 英雄(みなみやま ひでお、1940年2月29日 - 2021年12月2日)は、日本の技術者、実業家。北海道電力代表取締役社長、北海道経済連合会会長などを務めた。 北海道出身。1963年東京大学工学部電気工学科卒業、北海道電力入社。原子力設計課長、総合研究所長等を経て、1992年取締役企画部長に昇格。取締役旭川支店長等を経て、1995年常務取締役。1997年取締役副社長。1999年取締役社長。2004年取締役会長、北海道経済連合会会長。2007年から高橋はるみ北海道知事資金管理団体萌春会会長を務めたほか、高橋知事に毎年10万円の献金を行うなどした。2008年北海道電力相談役。 2021年12月2日、死去。
栢原 英郎(かやはら ひでお、1940年〈昭和15年〉2月1… 栢原 英郎(かやはら ひでお、1940年〈昭和15年〉2月13日 - 2025年〈令和7年〉5月6日)は、日本の運輸技官、土木技術者。技術士、工学博士、土木学会認定特別上級土木技術者(調査・計画)。 運輸省港湾局長や、同省技術総括審議官、北海道大学公共政策大学院特任教授、日本港湾協会会長、土木学会会長等を歴任した。土木学会功績賞受賞。 東京都立小山台高等学校を経て、1964年(昭和39年)北海道大学工学部土木工学科卒業、運輸省(現国土交通省)入省。1980年(昭和55年)国際臨海開発研究センター主任研究員。1984年(昭和59年)国土庁計画・調整局計画官。1987年(昭和62年)運輸省港湾局開発課長。
山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ… 山本 紘(、1940年2月1日 – )は、東洋工業(現マツダ)の自動車技術者。京都府宮津市出身。ユーノスコスモ主査。元商品本部副本部長。マツダモータースポーツの生みの親の一人で、レース監督まで務めた。 1962年、大阪工業大学機械工学科卒業、卒業論文にはロータリーエンジン (RE) の設計図を描いた。同年東洋工業入社、実験研究部に配属され、内燃機関燃焼研究を担当。 1963年の日本グランプリよりモータースポーツ活動に専念、以後エンジニアとして海外・国内のレースに関与し、後にレース監督まで務めた。 1964年、日本グランプリにキャロル360/600で参戦。1966年(マツダの海外レース初戦)、1967年のシンガポールグランプリ、マカオグランプリにファミリア800と1000クーペで参戦し、いずれもクラス優勝を果たした。
市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 20… 市川 憲和(いちかわ のりかず、1940年1月2日 - 2021年11月21日)は、日本の実業家、情報技術者。株式会社デジタル・インフォメーション・テクノロジー創業者・名誉会長。 愛媛県大洲市出身。1968年東京理科大学理学部二部数学科卒業後、日本電信電話公社入社。プログラマーの資格を取得し、1976年データ通信システム(のちのDTS)入社。1996年東洋インフォネットを設立し、同社代表取締役社長に就任。2002年東洋アイティーホールディングスを設立し、同社代表取締役社長に就任。2006年にはデジタル・インフォメーション・テクノロジーへ社名を変更し、2015年には東京証券取引所JASDAQに上場させ、2017年に東京証券取引所一部への市場変更を果たした。
見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の… 見城 尚志(けんじょう たかし、1940年 - )は、日本の工学者、精密小型モーター開発のエンジニア。ニデックモーター基礎研究所名誉所長。ニデック技術顧問。工学博士(東北大学)。 1940年、静岡市に生まれる。1958年、静岡県立静岡高等学校卒業。1964年、東北大学大学院工学専攻科修士課程修了。同年、TEAC入社。磁気記録機器用精密小型モータの設計と研究を開始。1965年、職業訓練大学校常勤講師。1966年より学生の指導を始める。最初の学生の中に永守重信がいた。1970年、東北大学より交流モータの回転電気機械の電磁界理論で工学博士。1971年、職業訓練大学校助教授。1976年、ロンドンで開かれた世界最初の小型モータ学会に出席。
大石 不二夫(おおいし ふじお、1940年 - )は、日本の… 大石 不二夫(おおいし ふじお、1940年 - )は、日本の化学者、鉄道技術者。神奈川大学名誉教授。元鉄道技術研究所・鉄道総合技術研究所鉄道研究員。専門は高分子材料科学。高分子学会理事、日本ゴム協会評議員、成形加工学会副会長、マテリアルライフ学会会長等を歴任。 1940年東京府東京市小石川区(現・東京都文京区)生まれ。練馬区立石神井東小学校、練馬区立石神井東中学校、東京都立化学工業高等学校卒業。1963年東京都立大学工学部工業化学科卒業(入学は理学部)、日本国有鉄道入社。1964年鉄道技術研究所入所。1983年工学博士の学位を取得。1987年国鉄分割民営化に伴い、鉄道総合技術研究所に移行(主幹研究員)。
芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - … 芦塚 日出美(あしづか ひでみ、1939年12月27日 - )は、日本の電気技術者、実業家。九州電力代表取締役副社長や、九州通信ネットワーク代表取締役社長、博多座代表取締役社長、九州先端科学技術研究所理事長等を歴任した。 長崎県諫早市出身。福岡県立修猷館高等学校を経て、1962年九州大学工学部電気工学科卒業、九州電力入社。上椎葉水力発電所、北九州支店電力課で計5年現場経験を積んだのち、、本社の工務部給電課に配属された。1973年フランス電力で研修。1982年九州電力本社企画部設備計画課長。1987年電気事業連合会に工務部長として出向。1992年九州電力大分支店長。1995年九州電力工務部長。1996年九州電力企画部長。
稲生 武(いのお たけし、1939年9月11日 – )は日本… 稲生 武(いのお たけし、1939年9月11日 – )は日本の実業家、技術者、元いすゞ自動車株式会社代表取締役社長。 いすゞ自動車では操縦安定性、振動騒音、人間工学などの研究開発を行い、大型車開発を中心とする技術者出身の経営者である。また、1974年には品質工学を提唱していた田口玄一博士から操縦性評価などについての指導を受けた。 この間、(株)いすゞセラミックス研究所、いすゞエンジニアリング(株)、(株)いすゞ中央研究所の各社長を歴任した。また、東京工業大学機械系同窓会白星会会長、日本機械学会フェロー、自動車技術会フェロー、2004年には品質工学会会長を務めた。
松村 外志張(まつむら としはる、1939年9月6日-)は、… 松村 外志張(まつむら としはる、1939年9月6日-)は、日本の生命科学研究者・バイオ技術者。理学博士。東京都生まれ。
岩居 文雄(いわい ふみお、1939年5月29日 - )は、… 岩居 文雄(いわい ふみお、1939年5月29日 - )は、日本の技術者、実業家。コニカミノルタホールディングス取締役代表執行役社長や、同社取締役会議長、東京工芸大学理事長、日本オプトメカトロニクス協会会長などを務めた。 東京都出身。1963年学習院大学理学部卒業、小西六写真工業(のちのコニカ、現コニカミノルタ)入社。事務機事業部八王子工場製造部技術グループリーダーを経て、1983年事務機事業部八王子工場製造部長。 1988年コニカカメラ事業部長。1991年情報機器事業本部機器販売事業部長。1992年取締役情報機器事業本部長兼同本部機器販売事業部長。1996年常務取締役情報機器事業本部長兼同本部機器販売事業部長。
湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 20… 湯野川 孝夫(ゆのかわ よしお、1939年4月3日 - 2003年11月26日)は、日本の自動車技術者、実業家。元豊田工機代表取締役社長。 山形県米沢市出身。山形県立米沢興譲館高等学校を経て、1962年東北大学工学部機械工学科卒業。トヨタ自動車で開発に携わり、トヨタ自動車工業労働組副執行委員長等を経て、1992年には石坂芳男、白水宏典らとともに取締役に昇格した。豊田工機常務取締役、豊田工機代表取締役副社長を経て、2000年からは豊田工機代表取締役社長を務めていたが、2003年に出張先の東京都内のホテルで死亡しているのが発見され、覚王山日泰寺で社葬が行われた。
好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )… 好川 純一(よしかわ じゅんいち、1939年3月7日 - )は、日本の自動車技術者・実業家。トヨタ自動車取締役や、豊田紡織代表取締役社長、トヨタ紡織代表取締役会長、岡山大学経済学部特任教授等を歴任した。 岡山県久米郡美咲町出身。1961年徳島大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業入社。大野耐一に師事しトヨタ生産方式の整備にあたり、楠兼敬の下でトヨタ自動車生産調査室主査(部長)として、生産調査室の活動の確立を進めたのち、1988年トヨタ自動車取締役に昇格。トヨタ自動車高岡工場長、上郷工場長を経て、1994年豊田紡織取締役副社長。 1996年から豊田紡織代表取締役社長を務め、2004年にはアラコ、タカニチとの合併契約を締結し、トヨタ紡織への商号変更を行った。
小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 20… 小山 義一(こやま よしかず、1939年1月16日 - 2019年5月)は、京都府出身の鉄道技術者である。 7000系電車(パノラマカー)のフロントアイ開発に携わったことで有名である。
猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、… 猪俣 博(いのまた ひろし、1938年12月4日 - )は、日本の技術者、実業家。日立メディコ代表取締役社長や、同社取締役会長、日本医療機器産業連合会副会長、日本画像医療システム工業会会長などを歴任した。 新潟県長岡市出身。1961年新潟大学工学部電気工学科卒業、日立製作所入社、那珂工場配属。1980年日立製作所那珂工場医用機器設計部長。1991年日立製作所那珂工場長。1995年日立製作所計測器事業部長。1997年日立製作所取締役計測器事業部長。1999年日立製作所上席常務取締役計測器グループ長&CEO。2001年日立メディコ代表取締役社長。2005年日立メディコ取締役会長。2006年日本画像医療システム工業会会長、日本医療機器産業連合会副会長。
森 健一(もり けんいち、1938年9月28日 - )は、日… 森 健一(もり けんいち、1938年9月28日 - )は、日本のコンピュータ科学者、技術者。工学博士(東京大学、1970年)。日本初の商品化されたワードプロセッサである東芝「JW-10」開発のグループリーダーなどの業績がある。 1938年(昭和13年)、東京生まれ。1957年、麻布高等学校卒。1962年、東京大学工学部応用物理学科を卒業。東京芝浦電気株式会社(現:東芝)に入社。同社の中央研究所(後の総合研究所)で文字認識の研究に従事。1967年、郵政省からの委託研究である「自動手書き郵便番号読み取り装置」を開発した。 続いて、自然言語処理の応用として見込みのある商品として日本語ワードプロセッサに着目。
蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )… 蛇川 忠暉(じゃがわ ただあき、1938年6月29日 - )は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長を経て、トヨタ自動車が新たに子会社化した日野自動車で代表取締役社長や代表取締役会長として同社の再建にあたった。日本科学技術連盟理事長、型技術協会会長なども歴任。デミング賞本賞、大倉喜七郎賞受賞。 北海道小樽市生まれ。北海道札幌西高等学校を経て、1961年北海道大学工学部機械工学科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1988年取締役に昇格。1994年常務。1996年専務。1999年取締役副社長。2001年相談役に退いた。 2001年からトヨタ自動車が子会社化した日野自動車の代表取締役社長を務め、経営危機にあった同社を、外部出身者として改革により再建を行って、赤字からの回復を達成。
神田 泰典(かんだ やすのり、1938年2月22日 - 20… 神田 泰典(かんだ やすのり、1938年2月22日 - 2018年2月7日)は、日本のコンピュータ技術者である。日本語情報処理の分野において多大な功績を残した。2006年時点での肩書は富士通株式会社顧問だった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中西 宏幸(なかにし ひろゆき、1938年1月8日 - 20… 中西 宏幸(なかにし ひろゆき、1938年1月8日 - 2021年7月5日)は、日本の技術者、実業家、工学博士。三井化学代表取締役会長兼社長や、日本化学会会長などを務めた。 山口県出身。1957年静岡県立静岡高等学校卒業。1961年東北大学工学部卒業。1966年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。同年 三井石油化学工業(現三井化学)入社。本店経営計画室企画調整部長を経て、1991年取締役岩国大竹工場長に昇格。1993年常務取締役本店経営計画室長。1996年専務取締役本店経営計画室長。1997年代表取締役副社長。 1999年から三井化学代表取締役社長を務め、住友化学との経営統合交渉にあたるなどした。
斎藤 公男(さいとう まさお、1938年 - )は、日本の構… 斎藤 公男(さいとう まさお、1938年 - )は、日本の構造エンジニア(構造家)。日本大学名誉教授、日本建築学会元会長。現在、A-Forum代表、日本建築文化保存協会理事。 群馬県立前橋高等学校卒業。日本大学在学時に坪井善勝の元で学び、バックミンスター・フラーに魅了される。空間構造や構造デザインに対する強い関心を育み、その後の大学における「教育・研究・設計」の融合を図ることへのテーマとつなげる。卒業後は、日本大学理工学部建築学科で教鞭をとりながら、空間構造デザイナーとして数多くの作品を生み出してきた構造設計者の一人である。特に、張弦梁構造の設計の第一人者として知られる。 全日本弓道連盟会長であった父の斎藤友治が日本弓をひく姿から「美と強」の調和的世界に感銘を受け、張弦梁構造の設計・デザインにつながったと語る。
林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動… 林 義正(はやし よしまさ、1938年 - )は、日本の自動車エンジニア。日産自動車でエンジン開発を手がけた後、2012年3月まで東海大学工学部教授を務めた。 日産時代には1989年に実戦デビューした日産・VRH35の開発主管を務め、以下のような実績を挙げた。 モータースポーツ分野の研究が盛んに行われている。中でも開発コースにおいては、全日本スポーツカー耐久選手権(JLMC)やル・マン24時間へ参戦する為の車両開発が行われている。同学科ではプロトタイプレーシングカーの開発を行っており、前述の通り2008年にはル・マン24時間レースへの参戦を果たした。その後も2009年 - 2011年にかけてアジアン・ル・マン・シリーズに参戦するなど活動を続行してきたが、2012年3月に林が退任することに伴い、2012年1月に富士スピードウェイでテスト走行を行ったのを最後にプロジェクトを終了した。
江尻 正員(えじり まさかず、1937年3月9日 - )は、… 江尻 正員(えじり まさかず、1937年3月9日 - )は、機械工学や画像処理を専門とする日本のエンジニア。工学博士(大阪大学)、エンゲルバーガー賞受賞者。1970年に世界に先駆けて積み木を認識・積み重ねる人工知能ロボットを開発。その後画像処理を世界で初めて工業応用したとされるボルト自動締結ロボットも開発した。 日立製作所中央研究所において制御工学、画像処理、人工知能、ロボット工学の研究に取り組み、様々な自動機械、ロボットを開発。中央研究所と機械技術研究所では技師長を務めている。 なお、学術界では画像処理を中心とした国際会議の開催に貢献。定年退職後も産業技術コンサルタントとして活動し、日本ロボット学会会長や横断型基幹科学技術研究団体連合副会長などを歴任している。
伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広… 伊藤 修令(、1937年3月7日 - )は、日本の技術者。広島県竹原市出身。 1959年、広島大学工学部機械工学科卒業。同年4月、プリンス自動車の前身の富士精密工業に入社。 主にスカイライン(ALSID II型 - S50型系)のシャーシ設計を担当。日産自動車との合併後も、スカイライン、ローレル、レパード(F30型、F31型)の開発に参画。1982年1月からはプレーリー(主管)、マーチK10型(主管)などの開発を担当。 1984年には、初代からスカイラインの開発に携わり、2代目から同車の開発主管を一貫して務めていた桜井眞一郎が病に倒れて入院したことにより、旧・プリンス時代からの桜井の後輩で一番弟子であり、共に車両開発に携わっていた伊藤が、急遽、他車種の開発主管から異動してスカイラインの開発主管を引き継ぐことになった。
福井 敏雄(ふくい としお、1937年 - )は、日本の自動… 福井 敏雄(ふくい としお、1937年 - )は、日本の自動車技術者。元トヨタ・チーム・ヨーロッパ(TTE)副社長。東京都世田谷区出身。 父・福井近夫(後に日本テレビ放送網社長)が読売新聞社に勤務しており、転勤の関係で戦後間もない時期に京都に移住、高校の途中までを京都で過ごす。 1960年に慶應義塾大学工学部を卒業して日産自動車に入社。日産に入社した理由について、大学で大気汚染の研究をしていた際に実験用の分析機が必要になった際、当時子安にあった日産の研究所に機材を使わせてもらうよう依頼に行ったのがきっかけで、しばらく実験のため研究所に通っているとある日「ちょっと面接があるから」と呼び出されたところ、当時の川又克二社長をはじめとする役員陣がずらっと揃っており、そのまま内定が出て入社に至ったと語っている。
佐野 彰一(さの しょういち、1937年 - )は、日本の自… 佐野 彰一(さの しょういち、1937年 - )は、日本の自動車技術者。東京都出身。東京大学工学部航空学科卒業。 本田技研工業(ホンダ)において、第1期ホンダF1のシャシー設計などを担当したことで知られる。 父親が自動車・オートバイ好きで、当時父親が持っていたメグロのオートバイがよく調子が悪くなるため、整備を手伝っていたことで、機械関係に興味をもつようになる。一方で幼少期は天文学に興味があったが、父親から「天文学者になってどうやって飯を食っていくんだ?」と聞かれて返答に詰まり、「宇宙に一番近いと思った」との理由で東大の航空学科に進んだとも語っている。この頃、父親のオートバイのエンジンのボアアップのため、ボーリングを発注した工場に持って行った際に、その土間に転がっていたホンダのエンジンを触った所「全然ガタがなかった」のに驚き、将来の就職先としてホンダを意識し始めたという。
谷口 一郎(たにぐち いちろう、1936年12月8日 - 2… 谷口 一郎(たにぐち いちろう、1936年12月8日 - 2009年11月1日)は、日本の技術者、実業家。学位は工学博士(1972年)。三菱電機株式会社相談役。 社団法人経済団体連合会宇宙開発利用推進会議会長、三菱電機株式会社社長・会長、社団法人日本経済団体連合会宇宙開発利用推進委員会委員長などを歴任。 兵庫県出身。幼いころは海野十三や山中峯太郎の小説に親しみ、「アフリカに行って猛獣狩りのプロになりたい」との夢を抱く。その後、京都大学理学部物理学科にて物理学を修めた。また、工学博士の学位を取得した。 大学卒業後、三菱電機に入社。主に技術畑を歩み、軍事分野や宇宙開発分野で豊富なキャリアを積んだ。特に、人工衛星の管理業務などに従事した。
平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2… 平井 雅英(ひらい まさひで、1936年11月27日 - 2005年1月14日)は、日本の技術者、実業家。元ユニチカ代表取締役社長。高分子学会賞受賞。 福岡県福岡市出身。1961年九州大学工学部卒業、大日本紡績(のちのユニチカ)入社。新規キレート樹脂の開発とその利用技術に関する研究で昭和52年度高分子学会賞受賞。 1983年中央研究所第6研究室長。1986年スパンボンド生産開発部長。1991年取締役スパンボンド事業本部副本部長。1994年取締役中央研究所長。1996年常務取締役スパンボンド事業本部長。1999年常務取締役繊維事業本部長兼ユニチカファイバー代表取締役社長。 2000年から代表取締役社長を務め、建設部門からの撤退を行うなどした。
川本 信彦(かわもと のぶひこ、1936年3月3日 - )は… 川本 信彦(かわもと のぶひこ、1936年3月3日 - )は、日本の自動車技術者。本田技研工業(ホンダ)の第4代社長。東京都出身。麻布高等学校から東北大学に進み、大学院精密工学科修了。 ホンダF1の草創期から携わってきた一人で、第2期ホンダF1時代には総責任者を務めた。また、ホンダ・レーシング・ディベロップメント(HRD)や、無限ホンダ(現:M-TEC)設立者の一人としても名を連ねている。 1963年に大学院を修了し本田技研工業に入社。入社理由は軽飛行機技術者応募広告を見て応募した。入社当初は後にホンダの3代目社長となる久米是志の助手として、ホンダ初の四輪市販車「型式:AS280(後の商品名;S500)」「型式:AK250(後の商品名;T360)」のエンジン開発に携わる。
塩見 正直(しおみ まさなお、1936年(昭和11年)- )… 塩見 正直(しおみ まさなお、1936年(昭和11年)- )は、日本の環境自動車技術者、経営者。トヨタ自動車・エスティマ、プリウスの開発者。トヨタ車体株式会社会長。「環境のトヨタの立役者」として知られる。 昭和11年(1936年)、龍雲寺住職・塩見正道の次男として京都府福知山市雲原に生れる。曾祖父は出石藩士・塩見信四郎。 昭和34年(1959年)3月、名古屋工業大学機械工学科卒業。 昭和34年(1959年)4月、トヨタ自動車工業株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)入社。 昭和49年(1974年)、同社技術部シャシー設計課・課長。 昭和55年(1980年)、タウンエース主査(チーフエンジニア)。 昭和58年(1983年)、エスティマの主査(CE)となり、翌昭和59年(1984年)、製品開発企画室に配属。
有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11… 有村 國孝(ありむら くにたか、1935年〈昭和10年〉11月21日 - )は、日本の技術者、発明家、工学博士。ICカードの発明者。 1964年東京工業大学大学院博士課程修了、工学博士。1970年にICカードを発明し特許を取得。アリムラ技研株式会社の代表取締役として、商用化に挑戦したが、経営破綻し1993年に株式会社エイアイテクノロジーへ営業譲渡された。同社は2001年にジーエルサイエンス株式会社に吸収されたが、2013年にジーエルソリューションズ株式会社として再び分社化された。また、基本特許の切れた1990年からは平松雄一などによりICカードの市場開発も行われた。 有村國俊滋賀県議会議員は甥。
重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 20… 重渕 雅敏(しげふち まさとし、1935年7月4日 - 2017年5月3日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本セラミックス協会会長、北九州商工会議所会頭などを務めた。正四位旭日重光章。 福岡県田川郡添田町生まれ。福岡県立田川高等学校を経て、1958年九州大学工学部卒業、東洋陶器(現TOTO)入社。1983年取締役。1987年常務取締役。1992年専務取締役。1994年代表取締役副社長。 1998年から東陶機器代表取締役社長を務め、人員削減などの経営改革にあたり、また、大建工業やYKK APと業務提携しリフォーム事業の確立を行った。2003年代表取締役会長。
高橋 朗(たかはし あきら、1935年3月25日 - 200… 高橋 朗(たかはし あきら、1935年3月25日 - 2006年8月14日)は日本の技術者、実業家。トヨタ自動車取締役副社長や、デンソー取締役会長、日本科学技術連盟理事長などを歴任した。藍綬褒章受章。デミング賞本賞受賞。 山形県出身。1957年山形大学工学部機械科卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。1984年大橋正昭、大西匡らとともに取締役に昇格。1988年常務取締役。1996年取締役副社長。1999年デンソー取締役副会長。2000年デンソー取締役会長。同年藍綬褒章受章。2004年デンソー相談役。TQMをトヨタグループで実践したことが評価され、同年デミング賞本賞受賞。2006年日本科学技術連盟理事長。
尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、… 尾上 規喜(おのえ きよし、1935年3月16日 - )は、日本の放送技術者、実業家。元フジ・メディア・ホールディングス取締役(常勤監査等委員)、元フジテレビジョン監査役。 京都府宮津市出身。京都府立宮津高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科卒業。フジテレビジョン開局前の1958年12月に同社に入社。 入社後は映画部写真室を皮切りに、報道部外信班、放送部主事、放送技術局部長(技術管理)、総務局人事部長などを経て1987年6月、技術局長。 1989年6月、取締役技術局長。1991年6月、取締役 総務・人事担当兼人事局長、1992年6月、常務取締役。1994年7月、常務取締役 総合調整担当、1997年6月、専務取締役 管理業務本部長。
須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本… 須賀 次郎(すが じろう、1935年1月25日 - )は日本の社会起業家 教育者 技術者。財団法人 社会スポーツセンター顧問。特定非営利活動法人 日本水中科学協会を設立代表理事。東京府東京市日本橋区(現・東京都中央区)出身。全日本潜水連盟理事長、財団法人社会スポーツセンター常務理事。株式会社スガ・マリンメカニック代表取締役、株式会社テ・ルを代表取締役を退任している。
御巫 清泰(みかなぎ きよやす、1934年(昭和9年)10月… 御巫 清泰(みかなぎ きよやす、1934年(昭和9年)10月1日 - 2012年(平成24年)7月7日)は、昭和から平成時代の土木技術者、実業家。運輸省港湾局長、関西国際空港会社社長を歴任。 1958年(昭和33年)東京大学土木工学科卒業。運輸省に入省し、港湾局環境整備課長、港湾局計画課長、港湾局技術参事官、港湾局長などを歴任。1998年(平成10年)関西国際空港代表取締役社長に転じ、2003年(平成15年)日本港湾協会会長となった。ほか、土木学会理事、関西支部長などを務めた。2005年(平成17年)土木学会功績賞受賞。2012年(平成24年)7月7日、急性硬膜下血腫により死去した。
丸山 瑛一(まるやま えいいち、1934年7月12日 - 2… 丸山 瑛一(まるやま えいいち、1934年7月12日 - 2019年12月24日)は日本の電子技術者。材料工学者、理化学研究所名誉研究員。工学博士(1977年、大阪大学)。 長野県上田市出身。長野県上田高等学校を経て、昭和32年(1957年)東京大学教養学部教養学科科学史科学哲学分科卒業。同34年(1959年)同理学部物理学科卒業。同年日立製作所中央研究所に入所し、同59年(1984年)主管研究長、同60年(1985年)基礎研究所長。のち研究開発推進本部技師長。平成5年(1993年)オングストロームテクノロジー研究機構常務理事。平成11年(1999年)政策研究大学院大学教授を経て、理化学研究所フロンティア研究システム長。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
小嶋 忠(こじま ただし、1934年1月16日 - 2007… 小嶋 忠(こじま ただし、1934年1月16日 - 2007年12月30日)は日本の光学技術者。元コニカ取締役。光ディスク用非球面アクリル製レンズの開発で知られる。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
牧野 洋(まきの ひろし、1933年(昭和8年)12月10日… 牧野 洋(まきの ひろし、1933年(昭和8年)12月10日 - 2021年10月5日)は、日本の機構学、ロボット工学の研究者、技術者。技術士(機械部門)、工学博士(東京大学)。山梨大学名誉教授、自動化推進協会名誉会長で、牧野オートメーション研究所代表。ロボット殿堂入りした組み立て用産業用ロボット「SCARA(スカラ)」の開発者で、カムやロボットなどの機構解析でも顕著な業績を挙げている。 山梨大学教授、同 地域共同開発研究センター長、精密工学会自動組立専門委員会委員長、自動化推進協会会長などを歴任。「牧野の平面三角法」「牧野座標系」「牧野機構学」など、名前を冠する用語もある。1985年エンゲルバーガー賞、アセア・ゴールデンロボット賞、2013年瑞宝中綬章。
若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月… 若林 克彦(わかばやし かつひこ、1933年〈昭和8年〉9月9日 - 2024年〈令和6年〉7月18日)は、大阪市出身の日本の技術者、実業家。ハードロック工業創業者、代表取締役会長。「ナニワの発明王」の異名を持つ。 今宮工業高等学校を経て、1956年、大阪工業大学機械工学科卒業。世界でオンリーワンの機械部品「ハードロックナット」を発明・開発。1974年、ハードロック工業を創業、代表取締役会長。「世界が注目する日本の中小企業100社」にも選出された。第10回日本イノベーター大賞、第35回発明大賞本賞、2009年旭日双光章を受章。主な著書は、「絶対にゆるまないネジ - 小さな会社が世界一になる方法」(中経出版)。
小平 均(こだいら ひとし、1933年9月2日 - )は、日… 小平 均(こだいら ひとし、1933年9月2日 - )は、日本の実業家、技術者。東京電子応用研究所(TEAL)代表取締役社長。 茨城県出身。長野県諏訪郡豊平村(現・茅野市)育ち。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校)を経て、千葉大学工学部卒業。三波工業入社。東方電機 (現・パナソニック コネクト)に転職し、ファクシミリ開発にかかわる。電卓を開発し、カシオ計算機に転職。電気機械振興協会卓上電子計算機分科会の佐々木正会長と共にタムラ製作所の援助で1968年東京電子応用研究所(TEAL:Tokyo Electronic Application Laboratory)を創業し、代表取締役社長に就任。
尾澤 達也(おざわ たつや、1933年9月 - )は、日本の… 尾澤 達也(おざわ たつや、1933年9月 - )は、日本の技術者、実業家。学位は薬学博士(明治薬科大学・1986年)。姓の「澤」は「沢」の旧字体のため、新字体で尾沢 達也(おざわ たつや)とも表記される。 株式会社資生堂化学研究所での勤務を経て、株式会社資生堂製品研究所所長、皮膚科学研究所副所長、株式会社資生堂研究開発本部本部長、株式会社資生堂専務などを歴任した。 1933年(昭和8年)9月に生まれ、奈良県にて育つ。太平洋戦争終結後、筑波大学の前身である東京教育大学に進学し、理学部化学科にて学んだ。1957年(昭和32年)3月、東京教育大学理学部化学科を卒業。同年4月、資生堂化学研究所に入社。
浅田 篤(あさだ あつし、1933年3月30日 - )は、日… 浅田 篤(あさだ あつし、1933年3月30日 - )は、日本の技術者、実業家、工学博士。シャープ代表取締役副社長や、任天堂代表取締役会長を務めた。発明協会発明賞、科学技術庁長官賞等受賞。 大阪府出身。1955年浪速大学(現大阪府立大学)工学部電気工学科卒業、早川電機工業(現シャープ)入社。計算機の開発に従事し、1971年発明協会発明賞受賞。1975年には工学博士の学位を取得。1982年科学技術庁長官賞受賞。1984年シャープ専務取締役IC事業本部本部長。1988年シャープ代表取締役副社長。 1993年藍綬褒章受章。1996年ビジネス機械・情報システム産業協会会長。1998年シャープ常任顧問。1999年任天堂常任顧問。
岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14… 岡野 雅行(おかの まさゆき、1933年(昭和8年)2月14日 - )は、日本の工業技術者、経営者。金属加工会社・岡野工業株式会社の代表取締役(社長・ただし2018年に2年後を目途に廃業すると表明している・後述)。東京都墨田区出身。 1933年(昭和8年)生まれの東京都出身。金属深絞り加工の世界的工業技術者(金型職人)として知られていて、東京都墨田区の従業員数6人という小さな町工場でありながら、その高い技術カが日本はもちろん、世界の大企業やNASAなどに注目され、製品が次々に採用される実績を持つ。講演多数、著書20以上。 1945年、向島更正国民学校初等科を卒業後、実父が創業した金型工場を手伝い始める。
米谷 美久(まいたに よしひさ、1933年1月8日 - 20… 米谷 美久(まいたに よしひさ、1933年1月8日 - 2009年7月30日)は、日本の光学技術者。元オリンパス光学工業常務。 香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、早稲田大学第一理工学部機械工学科卒業。 醤油醸造業を営む家庭に生まれる。高校生の頃から父親の持っていたライカのカメラで撮影を行い、早稲田大学に進むと在学中にカメラの内部構造に関する特許など4件を取得している。1956年(昭和31年)に同大学を卒業してオリンパス光学工業に入社。 入社3年目の1959年(昭和34年)に、当時の標準的なカメラの3分の1程度の価格となる6,000円で質の高いカメラを作るように命ぜられた。
木澤 博司(きざわ ひろし、1933年1月7日 - 2007… 木澤 博司(きざわ ひろし、1933年1月7日 - 2007年9月14日)は東京都中野区生まれ、岡山県出身の自動車エンジニア。 本田技研工業の開発部門である本田技術研究所の元専務。日本大学旧工学部(現日本大学理工学部)卒。 ホンダ四輪の草創期からのメンバーで、シビックの開発責任者としても知られる。その後もアコードなどの基幹車種に携わり、今日のホンダの経営に貢献した。 大学卒業後、日野自動車系列でオリエントブランドでオート3輪の製造・販売を行っていた三井精機工業に入社。埼玉県の桶川工場にあった実験課に5年間勤務した。この頃に所属していた小型自動車協会で海外の小型車に触れる機会を得るとともに、後のホンダF1の監督である中村良夫と出会い、中村の誘いで1963年に四輪に進出して間もない本田技研工業に中途入社。
亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004… 亀井 俊郎(かめい としお、1933年1月6日 - 2004年5月20日)は、日本の技術者、実業家。川崎重工業代表取締役社長、同社代表取締役会長、日本造船工業会会長等を歴任した。 茨城県水戸市出身。1955年横浜国立大学工学部卒業、川崎重工業神戸造船所造船工作部技師。野田工場長、取締役産機・鉄構事業本部副事業本部長兼FA・ロボット事業部長、専務取締役資材本部長・営業総括本部副本部長などを経て、1997年代表取締役社長。1998年弘陵造船航空会会長。1999年から日本造船工業会会長や日本産業機械工業会副会長、次世代金属・複合材料研究開発協会理事長、関西経済連合会科学技術委員会委員長、通商産業省航空機工業審議会委員、運輸省海運造船合理化審議会委員を務め、韓国企業に対する批判などを展開した。
石田 輝男(いしだ てるお、1933年 - )は日本の教育者… 石田 輝男(いしだ てるお、1933年 - )は日本の教育者ならびに工業技術者である。京都市下京区出身。
藤井 浩二(ふじい こうじ、1933年 - )は、日本の鉄道… 藤井 浩二(ふじい こうじ、1933年 - )は、日本の鉄道技術者、鉄道ダイヤ作成者、鉄道愛好家、元京成電鉄鉄道本部運輸部運転課長である。 千葉県成田市出身。京成電鉄で駅務員や乗務員を歴任後、事務職となり許認可申請や運行計画を担当した。その後運輸部運転課計画係長を歴任し、坪田實の後任として運転課長に昇格した。 乗務員時代には自費で京成社員向けに運転/鉄道車両関連の研究発表の冊子を作成していた時期もあった。また電気車研究会発行の『電気車の科学』などの専門雑誌に投稿。日本鉄道運転協会発行の『運転協会誌』にも多数の研究発表を行った。 運転課に配属された当時は、いずれも同業他社では本格的に実施されていなかった事例を考案し、実施したものもあった。
山本 清一(やまもと きよかず、1932年(昭和7年)11月… 山本 清一(やまもと きよかず、1932年(昭和7年)11月1日 - 2018年(平成30年)12月12日)は、日本の瓦工事技術者、日本伝統瓦技術保存会会長。奈良県生駒市に生まれる。 父は瓦を葺く職人で、その4男に生まれる。尋常高等小学校卒業後に職人になり、21歳まで父の下で屋根瓦葺き(桟瓦葺)の仕事をする。その後、文化財の瓦葺きの棟梁の井上新太郎のもとで本瓦葺の修行をして、26歳で独立した。東大寺大仏殿や法隆寺金堂など多くの伝統的な建築物の復元、再建に取り組む。1960年(昭和35年)、28歳で姫路城昭和大修理の瓦工事の棟梁が辞め次の棟梁に抜擢され務める。1963年(昭和38年)、31歳で会社組織化し山本瓦工業株式会社を設立する。
川口 衞(かわぐち まもる、1932年10月21日 - 20… 川口 衞(かわぐち まもる、1932年10月21日 - 2019年5月29日)は、日本の建築構造家、構造エンジニア。工学博士(東京大学・論文博士・1966年)。法政大学名誉教授。株式会社川口衞構造設計事務所主宰。国際シェル・空間構造学会(IASS)元会長。趣味特技に民謡。 坪井善勝の下で国立代々木競技場構造設計に参画。 構造設計では建築構造と造形のあり方や、新しい構造技術の開発を主眼として構造設計活動を展開している。教育者、研究者としても建築構造設計を専門として、初期のシェル構造や張力構造、またスペースフレーム構造から免震構造まで、幅広く研究分野を開拓し実践してきた。国立競技場(千駄ヶ谷)建設には、構造アドバイザーとして参加した。