関の花 勉(せきのはな つとむ、1959年5月2日 - )は… 関の花 勉(せきのはな つとむ、1959年5月2日 - )は、茨城県真壁郡関城町(現在の筑西市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は栗原 勉(くりはら つとむ)。186cm、106kg。最高位は東十両11枚目。得意技は右四つ、寄り、吊り。 中学校で柔道を始め、父親の知人が伊勢ヶ濱部屋の後援会に入っていた縁で入門した。1975年3月場所に初土俵。出世は早い方ではなかったが、怪力を活かした右四つからの投げや吊りといった豪快な相撲で着実に番付を上げて行き、1983年11月場所に十両昇進。この場所は4勝11敗と負け越して1場所で幕下に陥落。十両はこの1場所のみであった。その後も幕下上位で相撲を取り続けたが、1990年5月場所限りで廃業。
霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月… 霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月3日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。最高位は東大関。現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。うっちゃり。現在は年寄・陸奥。弟子の霧島鐵力と区別して「初代霧島」と呼ばれることもある。 農家の長男として生まれる。幼少時から体を鍛えるのが好きで、小学校では3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履くなどしていた。サッカーが好きであったが、中学にサッカー部が無かったため中学時代は野球部に入部し、2年生から柔道部に転向。
市ノ渡 三四四(いちのわたり みつよし、1959年4月2日 … 市ノ渡 三四四(いちのわたり みつよし、1959年4月2日 - )は、青森県上北郡七戸町(旧・天間林村)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は四股名と同じ市ノ渡 三四四。現役時代の体格は身長184cm、体重145kg。最高位は東十両5枚目(1985年5月場所)。得意技は左四つ、寄り、掬い投げ。 本名と同じ天間林村市ノ渡地区出身。名前「三四四」は、1959年(昭和34年)4月生まれであることに由来する。三本木農業高校時代から本格的に相撲を初め、東京農業大学時代には全国大会に出場するなど活躍した。農大と縁のある時津風部屋に入門し、1982年3月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。左四つが得意でありながら、突き押しでも力を発揮し、初土俵から勝ち越しを続けた。
闘竜 賢二(とうりゅう けんじ、1958年12月19日 - … 闘竜 賢二(とうりゅう けんじ、1958年12月19日 - )は、兵庫県加古川市出身(出生地は東京都北区岩淵町)で、三保ヶ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は田中 賢二(たなか けんじ)。最高位は西関脇(1984年5月場所)。現役時代の体格は180cm・154kg。得意手は右四つ、突き・押し・寄り。 加古川市立川西小学校時代は東平津稲荷の相撲大会で4年生ながら上級生を次々に倒し注目された。加古川市高砂市組合立宝殿中学校に進むも、伝統のあった相撲部が廃部になっていたため柔道部に入り、3年次の兵庫県大会個人戦で準優勝、近畿大会出場を果たした。 中学卒業後、三保ヶ関部屋(当時、中学校の先輩である大竜川が所属していた)へ入門。
大富士(おおふじ、1958年8月26日 - 2012年10月… 大富士(おおふじ、1958年8月26日 - 2012年10月14日)は、東京都大田区出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)所属の元大相撲力士、オフィス北野所属の日本のタレント・俳優。大相撲時代の四股名は大富士 慶二(おおふじ けいじ)、本名は伊藤 敬司(いとう けいじ)。身長194cm、体重150kg。特技は大食い、早食い。得意技は左四つ、寄り、突き。最高位は西十両6枚目(1980年5月場所)。 中学校を卒業してしばらくした後に元横綱・北の富士の井筒部屋(その後、師匠の九重部屋継承に伴い所属変更)に入門し、1974年9月場所、本名の伊藤で初土俵を踏んだ。序ノ口を1場所、序二段を2年、三段目を4場所で通過し、1977年3月場所で新幕下に昇進。
富士の岩 秀之(ふじのいわ ひでゆき、1958年7月18日 … 富士の岩 秀之(ふじのいわ ひでゆき、1958年7月18日 - )は、九重部屋から井筒部屋、再度九重部屋に所属した元大相撲力士。本名は岩木 秀之(いわき ひでゆき)。福岡県柳川市出身。182cm・148kg。最高位は西十両13枚目。得意技は右四つ、寄り。 後述の通り、廃業時点では嵐富士 裕紀(あらしふじ ひろゆき)を名乗っていたが、本項では十両在位時に名乗っていた富士の岩に統一して記述する。 小学校では野球をやっており、ポジションは三塁手や二塁手を務めた。小学5年生からは柔道も始めた他、地元の相撲大会にも駆り出されて出場し、毎回のように優勝したと言う。神社の奉納相撲中学生の相撲大会で優勝した際に、有望な中学生2人の存在を耳にして同大会を訪れていた年寄九重(第41代横綱・千代の山)に素質を見出され、会って話していくうちに九重は岩木少年の非常に礼儀正しい点を一遍に気に入り、岩木少年も九重の熱心な勧誘を受けて中学校卒業直後に入門した。
大乃花 武虎(おおのはな たけとら、1958年6月23日 -… 大乃花 武虎(おおのはな たけとら、1958年6月23日 - )は、山梨県東八代郡八代町(現・笛吹市)出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は大野 久好(おおの ひさよし)。身長189cm、体重148kg。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭13枚目(1988年3月場所)。 兄・喜夫(よしお、1956年9月生まれ)は、高砂部屋の元三段目力士・八代錦(やしろにしき、初土俵:1972年7月、引退:1978年9月)。妻は、部屋の兄弟子・翔鵬(しょうほう、最高位・十両11枚目)の妹。 八代中学校では野球部で活躍したが、相撲にも興味を持ち、山梨県大会で2位の成績を残している。中学2年生の時、大鵬親方に直接入門を志願し、上京。
栃司 哲史(とちつかさ てつお、1958年4月25日 - )… 栃司 哲史(とちつかさ てつお、1958年4月25日 - )は、愛知県名古屋市中川区出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は後藤 哲雄(ごとう てつお)。最高位は西関脇(1988年1月場所)。現役時代の体格は180cm、159kg。得意手は突き、押し、突き落とし、いなし、叩き。 現在は、年寄・入間川として、雷部屋(出羽海一門)の部屋付き親方を務めている。 実家は「有限会社 後藤クレーン」という建設会社であり、2013年時点で現存している。 幼少よりスポーツ万能で、小学校の頃は水泳の大会などで優勝したが、中京中学校に入学すると相撲部に入部した。 中京中学校では全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学生横綱に輝く等の優秀な成績を収め、その後、中京高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)を経て日本大学に進学した。
多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)… 多賀竜 昇司(たがりゅう しょうじ、1958年(昭和33年)2月15日 - )は、茨城県日立市出身(本籍地は北茨城市)で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒谷 昇(くろたに のぼる)。最高位は西関脇(1983年(昭和58年)11月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ。 現在は、年寄・鏡山として追手風部屋に所属。 日立市立成沢小学校時代はあまりにも元気がありすぎて、5年生の時にサッカーのゴールポストで逆上がりしてポストごと倒れ、顔に17針も縫う傷を負ったこともあるという。 日立市立多賀中学校では野球部に所属し、捕手でキャプテンを務めた。野球の腕を買われて東洋大学附属牛久高等学校への入学が一旦決定したが、経済的な事情で断念。
草竹 幸一(くさたけ こういち、1957年12月5日 - )… 草竹 幸一(くさたけ こういち、1957年12月5日 - )は、宮崎県串間市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。184cm、135kg。最高位は東十両11枚目。得意技は左四つ、寄り。 中学校から柔道を始めて宮崎商業高校でも続けた。体格の良さを見込んで訪ねて来た大鵬から勧誘され、相撲は好きではなかったが、周囲に説得されて入門した。1973年7月場所に初土俵、1982年1月場所に24歳で十両昇進を果たすも5勝10敗と負け越し、十両在位はこの1場所に終わる。1984年7月場所限りで廃業。 初めて序ノ口に在位した1973年9月場所では、非常に珍しい「5勝2敗の6名による序ノ口優勝決定戦」に出場した(結果は初戦敗退)。
竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 -… 竹葉山 真邦(ちくばやま まさくに、1957年8月21日 - )は、福岡県浮羽郡浮羽町(現:同県うきは市、出生地は同県八幡市)出身で、宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は田崎 誠(たざき まこと)。現役時代の体格は176cm、121kg。得意手は突き、押し。最高位は東前頭13枚目(1986年9月場所)。 現役引退後は、1989年6月から2004年8月までと、2010年12月から2022年7月までの2度にわたり宮城野部屋の師匠となり、横綱白鵬らを育成した。 幼い頃から相撲を始め、北九州市立黒崎中学校では相撲部がなかったため、野球部に所属した。 中学2年時に父の知人から勧誘され、中学卒業と同時に宮城野部屋へ入門し、1973年3月場所にて初土俵を踏んだ。
髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 … 髙望山 大造(こうぼうやま だいぞう、1957年8月15日 - )は、宮城県栗原郡築館町(現在の栗原市)出身で高嶋部屋と熊ヶ谷部屋に所属した元大相撲力士。本名は蓬田 光吉(よもぎだ こうきち)。最高位は西関脇(1984年1月場所)。現役時代の体格は179cm、145kg。得意手は突き、押し、もろ差し、寄り。 現在は、年寄・高島(高嶋)である。 肉牛を飼育する農家の三男として生まれた。蓬田兄弟は全員運動神経に長けていて、長兄と弟は相撲が、次兄はバレーボールが得意であった。築館中学校に入学してから本格的に相撲を始め、中学時代は2年連続して全国中学相撲選手権大会の宮城県予選の個人戦で優勝という実績を残した。
薩洲洋 康貴(さっしゅうなだ やすたか、1957年6月7日 … 薩洲洋 康貴(さっしゅうなだ やすたか、1957年6月7日 - )は、鹿児島県指宿市出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)に所属した元大相撲力士。本名は吉崎 克幸(よしざき かつゆき)。最高位は西前頭筆頭(1988年3月場所)。現役時代の体格は183cm、150kg。得意手は突き、押し、叩き、引き。現在は、年寄・立田山である。 乾物店の長男で、指宿市立北指宿中学校では柔道に打ち込んでいた。鹿児島実業高等学校に進学してからも柔道を継続するつもりであったがレギュラーになれず、困っていたところ相撲部に勧誘されて相撲に転向した。 高校在学中に君ヶ濱部屋へ入門し、1976年1月場所にて、18歳で初土俵を踏んだ。
琴風 豪規(ことかぜ ごうき、1957年4月26日 - )は… 琴風 豪規(ことかぜ ごうき、1957年4月26日 - )は、三重県津市出身で佐渡ヶ嶽部屋所属の元大相撲力士、演歌歌手。本名は中山 浩一(なかやま こういち)。江東区立深川第二中学校卒業。最高位は東大関。現役時代の体格は身長183cm、体重173kg。得意手は左四つ、寄り。元年寄・尾車。日本放送協会の大相撲専属解説者。スポーツ報知評論家。愛称は「ペコちゃん」。日本相撲協会退職後は、琴風 浩一(ことかぜ こういち)を名乗っている。 海軍相撲で鍛えた相撲好きの父(1989年、63歳で死去)の下に生まれる。中山少年が幼稚園児であった頃から家族と佐渡ヶ嶽部屋との縁はすでにできており、父は巡業で地元に佐渡ヶ嶽部屋一行が来ると送迎から夜の接待まで務めた。
琴千歳 幸征(ことちとせ こうせい、1957年4月22日 -… 琴千歳 幸征(ことちとせ こうせい、1957年4月22日 - )は、北海道千歳市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は山本 稔(やまもと みのる)。身長182cm、体重127kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭5枚目(1981年9月場所)。 千歳市立千歳中学校2年生の時に、佐渡ヶ嶽部屋の三段目力士・紀州洋から部屋の千歳合宿の見学を勧められ、稽古風景を見て同部屋への入門を決意。1971年7月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。 同年11月から東京場所の日曜日を除いて中学生力士の本場所出場が認められなくなったが、それ以降は病弱な母を置き去りにできないという理由から、中学卒業まで場所出場を除いて帰郷状態にあった。
凱皇 仁(かいおう ひとし、1957年4月14日- )は、新… 凱皇 仁(かいおう ひとし、1957年4月14日- )は、新潟県十日町市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は上村 仁(かみむら ひとし)。身長186cm、体重156kg。最高位は東十両7枚目。得意手は右四つ、寄り、突き。 1973年3月場所初土俵、順調に出世して20歳で幕下中堅まで番付を上げた1977年7月場所中に風呂場で倒れ、はずみでガラス戸を突き破った左腕に大怪我を負い、半年近いブランクを強いられた。復帰後は右腕一本で相撲を取るような形になりながら、約4年後の1982年3月場所に十両昇進。当時の十日町市の広報紙によると十両昇進を祝う激励会には500人が集まるなどかなりの期待があった様子であり、後援会長が紙上で「もし52年(1977年)7月の、左腕動脈切断という大怪我がなかったなら、この激励会は大関昇進祝いであったかも知れない」と語っていた。
白岩 政寿(しらいわ まさとし、1957年3月5日 - 20… 白岩 政寿(しらいわ まさとし、1957年3月5日 - 2022年2月17日)は、秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。現役引退後は死去するまで若者頭をつとめた。本名は佐藤 政敏(さとう まさとし)。182cm、110kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、上手投げ。 本人が語るところによると、相撲をはじめたきっかけは、中学2年の夏休みに器械体操で鉄棒から落下して負傷したことであった。両手首を脱臼骨折し、二学期中も学校を早退して通院しており、帰宅後に九月場所を見て興味を持った。体操をするには身体が大きかったこともあり、相撲界に入門する夢を抱いた佐藤少年であったが、担任の妻が大曲農業高校の教員であったことから進学して相撲部部員になることを勧められたという。
若嶋津 六夫(わかしまづ むつお、1957年〈昭和32年〉1… 若嶋津 六夫(わかしまづ むつお、1957年〈昭和32年〉1月12日 - 2026年〈令和8年〉3月15日)は、鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)出身で二子山部屋に所属した大相撲力士。最高位は東大関。身長188 cm、体重125 kg。本名は日高 六男(ひだか むつお)。 妻は同じ鹿児島県出身で元アイドル歌手の高田みづえ(若嶋津が幕内に昇進した頃に雑誌のインタビューで「理想の女性は」と聞かれてみづえの名を出していた。それから4年ほど後に実際に結婚することとなる)。南国出身の精悍な顔立ちで、「南海の黒豹(クロヒョウ)」の異名で呼ばれ、当時人気だった少年漫画『キャプテン翼』の登場人物の名前にも起用されるなど、人気の高い力士だった。
鳳凰 倶往(ほうおう ともみち、1956年12月7日 - 2… 鳳凰 倶往(ほうおう ともみち、1956年12月7日 - 2013年1月16日)は、愛知県蒲郡市出身で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。本名は壁谷 友道(かべや ともみち)。最高位は東関脇(1984年7月場所)。現役時代の体格は180cm、152kg。得意手は左四つ、寄り、上手投げ。 蒲郡市立西浦中学校では柔道部に在籍し、主に地元の大会で活躍した。柔道部の13年先輩である玉の海に憧れて大相撲入りを待望していたところ、中学3年生の時に当時の濱風親方(元前頭11・宮柱)の勧誘を受け、二所ノ関部屋に入門。1971年9月場所で初土俵を踏んだ。当初の四股名は本名と同じ「壁谷」。 なお、皮肉にもこの場所を最後に玉の海は虫垂炎の悪化による腹膜炎で急逝し、結果として壁谷と玉の海が同じ現役の土俵に立った唯一の場所となった。
友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか、1956年12月5日 - 2… 友鵬 勝尊(ゆうほう まさたか、1956年12月5日 - 2017年9月8日)は、沖縄県宮古島市(旧・平良市)出身で大鵬部屋に所属した大相撲力士。引退後は大鵬部屋を経て大嶽部屋に所属し、日本相撲協会の世話人を務めていた。本名は長崎 勝。最高位は西幕下筆頭(1987年1月場所)。得意技は押し。 沖縄県立宮古高等学校で柔道を始め、沖縄県の新人戦で3位に入った。準決勝で対戦した相手の父親が大鵬部屋大阪後援会と知り合いだった縁で、1975年2月に大鵬が自ら宮古島までスカウトに来た。上京して一旗揚げたい気持ちが強まり、大鵬部屋に入門、高校は中退した。 1975年5月場所に「宮古島」の四股名で初土俵を踏む。
若筑波 茂(わかつくば しげる、1956年10月30日 - … 若筑波 茂(わかつくば しげる、1956年10月30日 - )は、茨城県土浦市出身で高砂部屋所属の元大相撲力士。本名は田中 茂(たなか しげる)。得意手は右四つ、寄り、下手投げ。身長174cm、体重114Kg。最高位は西十両8枚目(1984年7月場所)。 中学時代は柔道部に所属し、土浦市大会で準優勝の活躍を見せた。定時制高校に進学し、高校に通学しながら千代田区神田の市場で勤務していたが、市場内の食堂の主人が高砂部屋の元力士だったので声を掛けられ、入門を勧められた。しかし、身長が170cm 体重が67kgしかなく、角界でやっていける自信がなかったので、高校の先生に相談すると「勧める自信は無いがその気が有るなら夏休みを利用して一度試してごらん。
大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - … 大徹 忠晃(だいてつ ただみつ、1956年10月29日 - )は、福井県大野市出身で二所ノ関部屋に所属した元大相撲力士。本名は南 忠晃(みなみ ただみつ)。身長193cm、体重130kg。得意手は左四つ、吊り、寄り。最高位は西小結(1987年3月場所)。 中学時代は剣道をやっていた。長身を見出されて二所ノ関部屋に入門し、中学在学中の1971年(昭和46年)7月場所に初土俵を踏んだ。東京で名を上げるために泣いて反対する母を振り切っての入門であった。1975年9月3日の押尾川部屋独立騒動では17代押尾川の側についたが、移籍は認められず二所ノ関部屋に残留することになった。1980年1月場所に新十両へ昇進。
花龍 真吾(はなりゅう しんご、1956年10月28日 - … 花龍 真吾(はなりゅう しんご、1956年10月28日 - )は、花籠部屋、放駒部屋に所属した元力士。本名は周詞 真吾(しゅうじ しんご)。熊本県天草郡五和町(現・天草市)出身。身長179cm、体重112kg。最高位は東十両12枚目。得意技は左四つ、寄り、投げ。 祭りの相撲大会に駆り出された時に日本大学櫻丘高等学校の相撲部に所属していた部員に見出され、父も大の相撲好きだったので勧められて入門を決意した。1974年5月場所に初土俵、1984年1月場所に本名の周詞 真吾で十両に昇進するも、途中休場し翌3月場所に幕下陥落。1984年9月場所に花龍 真吾の四股名で再十両を果たすも、3勝12敗の大敗を喫し翌11月場所に幕下陥落。
琴藤沢 和穂(ことふじさわ かずのり、1956年10月15日… 琴藤沢 和穂(ことふじさわ かずのり、1956年10月15日 - )は、高知県高知市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は藤沢 和穂(ふじさわ かずのり)。最高位は西幕下2枚目(1980年1月場所)。 1974年、高知高等学校3年時に高校横綱に輝き、翌1975年に同志社大学へ入学。大学時代は1学年上である近畿大学の長岡末広(後の大関朝潮太郎)が最大のライバルとなり、長岡が大学を卒業して角界入りした1978年に第56代学生横綱となる。藤沢を巡っては当然ながら各相撲部屋のスカウト合戦も激しかったが、最終的には佐渡ヶ嶽部屋への入門が決まり、同時に佐渡ヶ嶽部屋に入門した日本大学出身の元高校横綱である花田安(はなだ やすし、四股名は琴花田安、最高位東幕下21枚目)と共に1979年3月場所にて幕下付出デビューを飾るはずであった。
王湖 伊津男(おうこ いつお、1956年8月17日 - 20… 王湖 伊津男(おうこ いつお、1956年8月17日 - 2013年4月24日)は、北海道釧路市出身で友綱部屋に所属した大相撲力士。本名は鈴木 伊津男(すずき いつお)。最高位は東前頭14枚目(1982年7月場所)。現役時代の体格は179cm、154kg。得意手は左四つ、寄り。 引退後は長く、世話人として友綱部屋の後輩達の指導に当たった。 地元・釧路市の春採中学校では、柔道で鳴らした。2年生の時、近所の風呂屋の主人(工藤東一)から角界入りを勧められ、直ちに上京。同郷の元小結・巴潟が率いる友綱部屋に入門し、1970年9月、14歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵には、後の横綱・千代の富士がいる。 なお、当初の四股名は、本名に因んだ「鈴木山」であった。
斉須 稔(さいす みのる、1956年(昭和31年)8月16日… 斉須 稔(さいす みのる、1956年(昭和31年)8月16日 - )は、福島県西白河郡東村(現:白河市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は斎須 稔(さいす-)。現役時代の体格は188cm、134kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭2枚目(1983年11月場所)。 中学3年生の時上京して伊勢ヶ濱部屋に入門し、1971年7月場所で初土俵を踏んだ。以来時間は掛かったものの、着実に番付を上げて行き、1978年9月場所では東幕下3枚目の地位で幕下優勝を果たした。翌11月場所、十両に昇進。その場所は9勝6敗と勝ち越し、いきなり十両の上位まで番付を上げ、入幕を期待された。ところが6勝9敗と負け越し、それ以降は十両下位と幕下を往復する生活が続き低迷した。
佐田の海 鴻嗣(さだのうみ こうじ、1956年7月19日 -… 佐田の海 鴻嗣(さだのうみ こうじ、1956年7月19日 - )は、大阪府堺市中区出身(出生地は熊本県阿蘇郡一の宮町(現・同県阿蘇市一の宮町))で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は松村 宏司(まつむら こうじ)。最高位は東小結(1982年1月場所、1982年3月場所、1983年11月場所)。現役当時の体格は182cm、132kg。得意手は右四つ、寄り。 右差し、またはもろ差しからの速攻を得意とした、技能派力士であった。 堺市立上野芝中学校卒業後に出羽海部屋へ入門し、1972年3月場所で初土俵。 厳しい師匠(元横綱・佐田の山)や鷲羽山、大錦などの個性溢れる兄弟子達に鍛えられて順調に番付を上げ、1978年3月場所で新十両昇進。
三杉磯 拓也(みすぎいそ たくや、1956年(昭和31年)5… 三杉磯 拓也(みすぎいそ たくや、1956年(昭和31年)5月11日 - )は、青森県八戸市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は上沢 秀則(かみさわ ひでのり)。最高位は西前頭2枚目(1979年1月場所、1982年3月場所)。現役時代の体格は187cm、121.5kg。得意手は左四つ、突っ張り、寄り、上手投げ、突き落とし。現役引退後は、1988年から2021年まで峰崎部屋の師匠を務めた。7代峰崎。 14歳で弟ができるまで1人っ子として育ち、幼少期は大人しい性格からいじめられていた。とはいえ187cmの長身は当時から目を引き、中学生の相撲大会に出場し、何人ものスカウトが来た。
牛若丸 悟嘉(うしわかまる さとよし、1956年5月5日 -… 牛若丸 悟嘉(うしわかまる さとよし、1956年5月5日 - )は、埼玉県草加市出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は江口 悟(えぐち さとし)。175cm、121kg。最高位は東十両8枚目。得意技は突き、押し。 1970年9月場所で初土俵、当初は本名にちなんだ「若江口」の四股名で通していたが、1976年11月場所後に過去に左網膜剥離で入院して手術を受けた時に心機一転を図るために、部屋の女将や神幸と相談して「牛若丸」に改名した。 改名した1977年1月場所では7戦全勝で幕下優勝を果たし、見事翌場所の十両昇進を決定づけた。 1978年3月場所限りで廃業。廃業後は東京都品川区五反田でスナック「牛若丸」を開き経営したが、1981年に閉店して琴の製造業を営んだ。
巨砲 丈士(おおづつ たけし、1956年4月18日 - )は… 巨砲 丈士(おおづつ たけし、1956年4月18日 - )は、三重県四日市市出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)所属の元大相撲力士。本名は松本 隆年(まつもと たかとし)。最高位は東関脇。身長183cm、体重148kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ。時津風部屋所属の元十両筆頭・劍龍は父で、全日本選抜柔道体重別選手権大会で2度優勝するなど柔道選手として活躍した松本宣子は妹。歴代横綱13人との対戦は大相撲史上2位の記録。 中学時代は野球と空手を行い、野球の腕前は東邦高校から勧誘が来るほどのものであった。相撲には興味が無かったが大鵬の元兄弟子が近くに引っ越してきてその娘が松本と同級生になり、 そこから内弟子探しに奔走していた大鵬に連絡が渡って大鵬から松本へ電話がかかった。
板井 圭介(いたい けいすけ、本名は四股名と同じ、1956年… 板井 圭介(いたい けいすけ、本名は四股名と同じ、1956年3月21日- )は、大分県臼杵市出身で、かつて大鳴戸部屋(現存せず)に所属していた元大相撲力士。最高位は西小結(1989年5月場所)。現役時代の体格は178cm、139kg。得意技は突き、押し、叩き。
綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日… 綾の海 金太郎(あやのうみ きんたろう、1955年8月17日 - )は、現在の青森県つがる市出身で大鵬部屋に所属した元大相撲力士。本名は黒滝 隆男(くろたき たかお)。現役時代の体格は177cm、107kg。最高位は東十両13枚目(1980年7月場所)。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。 小学校から相撲部に所属し、青森県大会でも動きの良さを活かした相撲で大活躍し、この頃から力士を志していた。高校を中退し、家族に無断で上京。寿司屋でアルバイトしていたところを常連客の紹介により、大鵬部屋へ入門した。1973年9月場所にて初土俵を踏み、翌11月場所は序ノ口優勝を果たした。1980年7月場所で十両に昇進するも、5勝10敗と大きく負け越し、十両はこの1場所のみとなった。
嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8… 嗣子鵬 慶昌(ししほう よしまさ、1955年(昭和30年)8月14日 - 2006年(平成18年)10月7日)は、長崎県北高来郡森山町(現在の諫早市)大字森山慶師野名出身で大鵬部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は田中 修(たなか おさむ)。現役時代の体格は190cm、122kg。最高位は西前頭2枚目(1983年(昭和58年)7月場所)。得意手は右四つ、寄り、上手投げ。 横綱・大鵬の内弟子として森山町立森山中学校卒業直前に二所ノ関部屋へ入門し、1971年(昭和46年)1月場所にて、15歳で初土俵を踏んだ。翌年1月には、引退後「一代年寄」となった大鵬親方が二所ノ関部屋から分家独立したのに伴い、大鵬部屋へ移籍。
小沼 克行(こぬま かつゆき、1955年(昭和30年)8月1… 小沼 克行(こぬま かつゆき、1955年(昭和30年)8月14日 - )は、埼玉県春日部市大字粕壁出身で鏡山部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。身長180cm、体重134kg。得意手は左四つ、寄り。自己最高位は東前頭9枚目(1976年(昭和51年)5月場所)。通称・北の湖二世。 埼玉県立草加高等学校を中退後、角界入り。1971年(昭和46年)7月、元横綱・柏戸が興した鏡山部屋より初土俵を踏んだ。角界入りの動機は、以前より柏戸に心酔していたことであった。 なお、高校在学時までは、砲丸投げやサッカーなどを得意としていた。 入門当初から期待され、着々と番付を上げていった。 1975年(昭和50年)7月場所にて、同部屋の先輩である安達(後の前頭筆頭・蔵玉錦)と同時に十両へ昇進。
星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - … 星岩涛 祐二(ほしいわと ゆうじ、1955年7月25日 - )は、鹿児島県揖宿郡開聞町出身で陸奥部屋(入門時は井筒部屋)に所属した元大相撲力士。本名は野口 祐二(のぐち ゆうじ)。現役時代の体格は身長182cm、体重138kg。得意手は左四つ、上手投げ、蹴手繰り。趣味は野球観戦。最高位は東前頭14枚目(1989年7月場所)。愛称は「イワトナルド」(後述)。 中学時代は野球部に所属。4番打者を務めるなど活躍し、高校も推薦入学を勧められていた。しかし、知人の紹介で井筒親方(元前頭2・鶴ヶ嶺)を紹介され、中学3年生の時に井筒部屋へ入門。1970年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。 小兵だったが着実に番付を上げ、入門2年目には後に師匠となる元・星甲(後述)が一時期名乗っていた「星兜」の四股名を貰い、早くから将来を嘱望された。
亀山 弘章(かめやま ひろあき、1955年7月13日 - )… 亀山 弘章(かめやま ひろあき、1955年7月13日 - )は、出羽海部屋に所属していた元大相撲力士。本名同じ。最高位は東幕下11枚目。 栃木県安蘇郡田沼町(現在の佐野市)出身。1971年1月場所初土俵を踏む。1981年7月場所最高位の東幕下11枚目まで上がるが、3勝4敗と1点の負け越しとなる。1988年1月場所で幕下で負け越し、三段目に落ちてから、幕下に上がることはなかった。その後は三段目や序二段で取り続け、序二段に落ちた1993年7月場所を最後に廃業した。22年間にも及ぶ力士生活だった。 実家は衣料品の問屋をやっており、取引先の主人と当時日本相撲協会理事長だった武蔵川(元前頭出羽ノ花)が知り合いだったため、武蔵川は弟子の出羽海(元横綱佐田の山)に伝え、出羽海は亀山の家を訪れ、入門させた。
千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - … 千代の富士 貢(ちよのふじ みつぐ、1955年6月1日 - 2016年7月31日)は北海道松前郡福島町出身の元大相撲力士。第58代横綱。本名・秋元 貢(あきもと みつぐ)。血液型はA型。
栃剣 展秀(とちつるぎ のぶひで、1955年(昭和30年)4… 栃剣 展秀(とちつるぎ のぶひで、1955年(昭和30年)4月26日 - )は、愛知県名古屋市昭和区出身で春日野部屋に所属した元大相撲力士。本名は平野 展秀(ひらの のぶひで)。現役当時の体格は171cm、116kg。最高位は西前頭2枚目(1983年11月場所・1984年3月場所)。得意技は突き、押し、蹴返し、血液型はAB型。 小学校6年生の時に熱田神宮の少年相撲大会で優勝し、それを見た中京中学校相撲部の監督に見出されて1968年春、中京中学校へと進学した。小学校時代は野球に熱中していたが、「野球部は強豪校だからレギュラーに選ばれるのは大変だが、相撲部なら選ばれるかもしれない」と考えて相撲部に入ったという。
大豊 昌央(おおゆたか まさちか、1955年3月29日 - … 大豊 昌央(おおゆたか まさちか、1955年3月29日 - )は、新潟県北魚沼郡堀之内町(現・同県魚沼市)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 栄二(すずき えいじ)。現役時代の体格は187cm、165kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西小結(1983年1月場所)。部屋公式プロフィールによると、好物は野菜、豆腐、納豆、梅干、甘くない辣韭、玄米、ネギ、ちりめんじゃこなどのヘルシー系。 中学時代はスキーや陸上競技を経験し、中学卒業後は実家の土建会社に就職した。18歳の時に知人から時津風親方(元大関・豊山)を紹介され上京し、時津風部屋に入門。1973年11月場所で初土俵を踏んだ。初土俵の同期には、後の前頭・栃剣がいる。
岩波 重廣(いわなみ しげひろ、1955年2月15日 - 1… 岩波 重廣(いわなみ しげひろ、1955年2月15日 - 1999年1月21日)は、千葉県木更津市畑沢出身(山口県光市育ち)で、立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は岩下 栄一(いわした えいいち)。最高位は東前頭8枚目(1980年5月場所)。現役時代の体格は181cm、143kg。得意手は突き、押し。趣味はラジコン。 出生地は千葉県だが、父・吉郎の仕事(新日鉄の社員であった)の関係で小学校時代(それ以前の幼稚園時代も含む)から高校1年生の1学期までは、山口県光市で過ごした。 1970年7月、生まれ育った千葉に戻り、8月より千葉県立天羽高等学校に転入。 高校2年生の時に何となくではあるが力士を志望し、元関脇・羽黒山が率いる立浪部屋の門を叩いた。
雷昊 充敏(らいこう みつとし、1954年12月14日 - … 雷昊 充敏(らいこう みつとし、1954年12月14日 - )は、埼玉県越谷市出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は荒川 賢次。179cm125kg。最高位は東幕下2枚目。 1969年5月初土俵、1980年9月引退。志州山真国と同じく最高位が幕下で最多となる十両力士との対戦10番を誇る。雷昊充敏以前に立浪部屋所属の雷昊がいたが別人物(最高位三段目)である。 1980年5月場所には東幕下2枚目と関取目前まで進出したが、関取昇進はならず、これが最高位となった。ちなみにその場所では、取組編成における調整の関係上、9日目に6番相撲を取り、10~14日目が5日連続取組なしとなり、千秋楽に7番相撲を取るという珍しい形となっている(その場所の星取は「●や○や●や○○●ややややや●」の3勝4敗)。
栃赤城 雅男(とちあかぎ まさお、1954年〈昭和29年〉1… 栃赤城 雅男(とちあかぎ まさお、1954年〈昭和29年〉10月31日 - 1997年〈平成9年〉8月18日)は、群馬県沼田市薄根町出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は金谷 雅男(かなや まさお)。最高位は東関脇(1979年5月場所、同年9月場所、1980年3月場所)。身長182cm、体重140kg。得意手は右四つ、小手投げ、腕捻り、掛け投げ。 沼田市で呉服店を営む両親の元で、3人兄弟の次男として出生した。中学では水泳部、群馬県立沼田高等学校では柔道部に所属し、国民体育大会に柔道群馬県代表として出場。高校時代の体重は既に100㎏を超えていたこの柔道での活躍が春日野親方(元横綱・栃錦)の目に留まり再三勧誘され、高等学校を卒業する直前に春日野部屋へ入門することとなった。
玉龍 大蔵(たまりゅう だいぞう、1954年7月22日- )… 玉龍 大蔵(たまりゅう だいぞう、1954年7月22日- )は、長崎県長崎市出身で片男波部屋に所属した元大相撲力士。本名は永田 大蔵(ながた だいぞう)。最高位は西小結(1987年11月場所)。現役時代は身長191cm・体重125kg。得意手は右四つ・吊り・上手投げ・足癖など。趣味は音楽鑑賞。血液型はA型。 林業を営む一家の次男として生まれ、長崎市立東長崎中学校では、柔道を経験した。 中学3年生の時、元関脇・玉乃海の片男波親方の勧誘を受けて、片男波部屋に入門。初めは勧誘を断ったが、自身がNHK相撲解説者の玉ノ海梅吉(元関脇)と同郷であると教えられ、その縁で見学だけならというつもりで部屋を訪れたらそのまま入門が決定したという。
琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - 201… 琴若 央雄(ことわか ちかお、1954年4月7日 - 2016年3月10日)は、北海道増毛郡増毛町雄冬出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した大相撲力士。本名は香島 春男(かしま はるお)。最高位は東前頭2枚目(1979年1月場所)。現役時代の体格は197センチメートル、139キログラム。得意手は右四つ、上手投げ、突っ張りなど。 雄冬中学校在学時は、野球部に在籍していた(一塁を守り、チームの主軸打者として活躍したという)。相撲の経験はまったくなかったが、中学卒業後地元で港湾作業に従事していた際に60キログラム詰めのセメント袋を2つ持ち運ぶ怪力が評判となり、1971年6月頃、佐渡ヶ嶽部屋のマネジャーである大林(二所ノ関部屋に所属した元力士でもあり、現役時代の名は「飛幡山」(最高位:序二段47枚目)、福岡県出身)という人の勧誘を受けて角界入りを決めるに至った。
貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 -… 貴羽山 善之(たかばやま よしゆき、1954年3月31日 - )は、広島県呉市出身で宮城野部屋に所属した元大相撲力士。本名は高間 義之(たかま よしゆき)、身長183cm、体重111kg。最高位は西十両10枚目(1981年5月場所)。得意技は右四つ、吊り。 中学校では野球部に所属し、ポジションは捕手と外野手を務めた。卒業後も野球を続けるために広島県のなかで野球の名門である私立呉港高校へ入学したが、兄が陸上部で活躍していたので誘われて陸上部に入部した。2年生になって体格が大きくなったので市民大会の砲丸投げに高校生の部で出場しようとした時は、前日に釘を踏んでしまって歩くのも大変だったが、出場を辞退するのも悔しいので強引に参加し優勝してしまった。
天ノ山 靜雄(あまのやま しずお、1953年12月28日(戸… 天ノ山 靜雄(あまのやま しずお、1953年12月28日(戸籍上は1954年1月1日) - 1997年9月17日)は、佐賀県小城郡多久村(現在の多久市)出身で時津風部屋に所属した大相撲力士。本名は尾形 靜雄(おがた しずお)。身長191cm、体重179kg。得意手は突き、押し。最高位は西前頭筆頭(1980年7月場所、1982年5月場所)。 多久市立西渓中学校で柔道を始めたが、既に身長が184cm、体重が100kgに達していたので、相撲部から強引な形で多久市大会や佐賀県大会に出場させられて優勝はしたが、人に廻し姿を見せるのが嫌だったことと強引に相撲を取らせた周囲への反発から余計に相撲が嫌いになった。
飛騨乃花 成栄(ひだのはな しげよし、1953年12月13日… 飛騨乃花 成栄(ひだのはな しげよし、1953年12月13日 - )は、岐阜県大野郡朝日村(現役当時、現・同県高山市)大字浅井出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は平林 修(ひらばやし おさむ)。最高位は西前頭筆頭(1981年11月場所)。身長182cm、体重140kg。得意手は右四つ、上手投げ。 中学校を卒業後に上京して二子山部屋へ入門し、1969年3月場所で初土俵を踏んだ。 取的時代が長く、上位に進むきっかけにと「飛騨乃花」に落ち着くまで6回も改名するほど苦労したが、部屋に関取衆が多くて稽古相手に恵まれ力を付けた。 1979年7月場所で十両昇進、そして1980年9月場所で新入幕を果たした。
大觥 吉男(たいこう よしお、1953年10月30日 - )… 大觥 吉男(たいこう よしお、1953年10月30日 - )は、青森県青森市出身で二子山部屋に所属した元大相撲力士。本名は横山 吉男(よこやま よしお)。最高位は西前頭8枚目(1978年7月場所)。現役時代の体格は174cm、133kg。得意手は左四つ、寄り。 建築業の家庭に、8人兄弟の末っ子として生まれた。もともと本人は力士になる気がなかったが、長兄は青森県下のアマチュア相撲の強豪で東奥日報杯の一般の部でも優勝しており、この長兄が熱心に角界入りを勧めた。最終的には両親の反対も押し切って、中学校在学中に二子山部屋へ入門した。 初土俵は、1968年11月場所。初土俵の同期生には、後の小結・青葉山と前頭・影虎がいる。
天剛山 隆清(てんごうやま たかきよ、1953年10月2日 … 天剛山 隆清(てんごうやま たかきよ、1953年10月2日 - )は、新潟県新潟市出身で木瀬部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 高志(さとう たかし)。182cm、145kg。最高位は東十両5枚目(1982年1月場所)。得意は右四つ、寄り。 新潟明訓高等学校では、初め柔道部に所属、高校1年生の秋にレスリングに転向した。日米親善高校レスリング大会の新潟代表に決まった際、取材に訪れたNHK記者から、相撲をやらないかと勧誘され、木瀬部屋を紹介された。小学2年生の時に父を交通事故で亡くしてからは母子家庭であったが、母の名が「キセ」であり、縁を感じて高校2年生の秋に入門した。1970年11月場所に天剛山 隆清(てんごうさん たかきよ)の四股名で初土俵、1981年11月場所に新十両、1982年7月場所に四股名の読みを「てんごうさん」から「てんごうやま」に改めた。
大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - … 大錦 一徹(おおにしき いってつ、1953年9月11日 - )は、新潟県佐渡郡羽茂町(現役当時、現・同県佐渡市羽茂)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は尾堀 盛夫(おほり もりお)。身長185cm、体重145kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げ。最高位は東小結(1973年11月場所)。 中学在学時に、実家近くの味噌製造会社の常務から勧誘され、「好きなだけ食べられる」という口説き文句が決め手となって出羽海部屋に入門。1968年5月場所にて、14歳で初土俵を踏んだ。本人は「テレビに映る幕内以上の力士になる」と入門に際して意気込んでいた。 「稽古していれば何も言わなかった」という9代出羽海の元で熱心に相撲に励み、9代出羽海に言われたことは二度と繰り返して言われないように心構えを持っていた。