浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、… 浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、H・G・ウェルズの研究家。 東京生まれ。1952年中央大学経済学部卒業。ウェルズを翻訳研究し『解放された世界(英語版)』の思想が、世界人権宣言と日本国憲法の成立に影響したと唱える。
職業が研究家:823人
浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、… 浜野 輝(はまの てる、1928年 - )は、日本の翻訳家、H・G・ウェルズの研究家。 東京生まれ。1952年中央大学経済学部卒業。ウェルズを翻訳研究し『解放された世界(英語版)』の思想が、世界人権宣言と日本国憲法の成立に影響したと唱える。
平島 裕正(ひらしま ひろまさ、1928年 - )は、日本の… 平島 裕正(ひらしま ひろまさ、1928年 - )は、日本の医学者、塩の研究家、民俗学者。 兵庫県神戸市に生まれる。徳島大学医学部を卒業した。1957年に大阪大学より医学博士の学位を取得する。四国女子大学教授を務めた。民俗学的な評論のほか、塩を中心として健康に関する著作を多く執筆した。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
上杉 千年(うえすぎ ちとし、1928年 - 2009年8月… 上杉 千年(うえすぎ ちとし、1928年 - 2009年8月4日)は、日本の歴史研究家、高等学校教諭。新しい歴史教科書をつくる会理事や職能団体「日本教師会」代表を務めていた[要出典]。 岐阜県生まれ。1950年、國學院大學文学部史学科を卒業。高等学校の社会科教師として岐阜県・静岡県で教鞭をとる傍ら、歴史教科書問題の研究家として多くの論文を発表する。 2007年7月13日、在日アメリカ大使館に提出されたアメリカ合衆国下院121号決議全面撤回を求める抗議書にも賛同者として名を連ねた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
森本 和夫(もりもと かずお、1927年12月6日 - 20… 森本 和夫(もりもと かずお、1927年12月6日 - 2012年10月1日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、道元研究家。東京大学名誉教授。 1927年、奈良県で生まれた。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)を経て、東京大学文学部仏文科に進学。同大学大学院に進み、博士課程を中退。 1960年、東京大学教養学部助教授に就き、フランス語を講じた。のち教授昇格。1988年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。2012年に死去。 専門はフランス文学ならびにフランス思想であり、はじめサルトルなど実存主義に始まり、メルロ=ポンティ、ロラン・バルト、ジャック・デリダなどを日本に紹介した。その後、フランス思想との関連から道元へと関心を深め、『正法眼蔵』の読解を行なっている。
千鹿野 茂(ちかの しげる)、1927年(昭和2年)10月1… 千鹿野 茂(ちかの しげる)、1927年(昭和2年)10月17日 - 2014年(平成26年)4月14日)は、日本の家紋研究家、日本家紋研究会創設者、前会長。埼玉県飯能市出身。 約40年に渡り家紋を研究し、全国各地を遍歴して膨大な家紋を収集し名字と家紋の関係を研究した。日本家紋研究会を創設し、日本の家紋研究に大きく貢献した。また、実の息子の高澤等も家紋研究家で、現在研究会会長を務めている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25… 大澤 正道(大沢正道、おおさわ まさみち、1927年9月25日 - 2022年9月[要出典])は、日本のアナキズム研究家、文筆家、編集者。 名古屋市出身。別名・大原緑峯。1950年東京大学文学部哲学科卒。在学中、日本アナキスト連盟に参加、機関紙の編集に携わる。 卒業後平凡社に入り1966年雑誌『黒の手帖』を創刊。編集局長、出版局長、取締役を歴任し、1986年退社。
萩中 美枝(はぎなか みえ、1927年〈昭和2年〉8月7日 … 萩中 美枝(はぎなか みえ、1927年〈昭和2年〉8月7日 - 2021年〈令和3年〉4月4日 )は、アイヌ文化研究家。夫はアイヌ出身の言語学者である知里真志保。 北海道様似郡様似村に麹製造業・萩中与三治の長女として生まれる。庁立旭川高等女学校(現・北海道旭川西高等学校)を卒業し、郷里の国民学校で2年間、助教諭として勤務する。1948年(昭和23年)の夏、様似町の友人の家で知里真志保を紹介され、いっしょにアポイ岳に登る。知里は萩中をアイヌ語やアイヌ文化の研究に導いた。 1956年(昭和31年)8月に、北海道大学文学部に勤務していた知里から求婚され、同年秋に結婚。自身は再婚(知里は再々婚)で、前夫は知里の弟子。
中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)… 中澤 正(中沢 正、なかざわ ただし、1927年1月6日-)は、料理史研究家、料理人。 山梨県甲府生まれ。1939年4月上京、東駒形の伯父の家に寄食。その後外地で暮らし、1946年復員、47年関西へ移り、あなごや調理師会幹事高橋辰男に師事し大阪などで働く。1955年上京、日本橋室町一丁目和食信洲などで働く。1963年2月、鉄道弘済会中部支部に入会、とくがわ荘に勤務。この間、進士慶幹に師事して歴史を学んだ。日本料理講師。名古屋在住。
加藤 雅彦(かとう まさひこ、1927年 - 2015年)は… 加藤 雅彦(かとう まさひこ、1927年 - 2015年)は、日本のヨーロッパ問題研究家、エッセイスト。 名古屋市生まれ。東京大学法学部卒業。NHKに入局。ほかベルリン自由大学に留学。NHKベオグラード、ボン支局長、解説委員などを歴任。 1992年『ドナウ河紀行』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。日本ヨハン・シュトラウス協会会員。
後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 20… 後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 2017年12月22日)は、日本の科学ジャーナリスト・サイエンスプロデューサー、科学教育研究家。平成記念かざこし子どもの森公園初代公園長、飯田市少年少女発明クラブ会長、東京の科学実験グループ「ガリレオ工房」名誉会員。 長野県飯田市生まれ。東京理科大学理学部物理学科卒業。工学院大学附属高等学校で教諭を、工学院大学、東京都立大学 (1949-2011)、上智大学、明治大学などで講師を務める。 1992年に「青少年のための科学の祭典」を設立。科学技術館を中心とし、日本各地の80都市で行った。第1~4回、9回の全国大会実行委員長を務めた。 現在はサイエンスプロデューサーとして、各地で「親子科学教室」など開催するほか、飯田市科学教育ボランティアグループ「おもしろ科学工房」(平成13度組織化)スタッフとともに市内および下伊那郡内の小・中学校を対象に「巡回科学実験教室」(平成11年度スタート)を開設している。
柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 20… 柴野 拓美(しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家、SF作家、SF研究家・評論家。 日本初のSFファングループ『宇宙塵』の主宰者として知られ、同名の同人誌の編集長を務めた。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名だった。 石川県金沢市出身。父・柴野為亥知(ためいち)は陸軍軍人にして詩人・画家でもあり、多数の軍歌を作詞・作曲し、満州映画協会の創設にも関わった。小学校時代から山中峯太郎や海野十三に傾倒。東京で青山学院に入学するが、のち金沢に戻り、金沢二中から四修(飛び級)で第四高等学校に進む。 実父が陸軍大佐であった事から「軍」に関しては複雑な心境を持っていた。
桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、… 桝居 孝(ますい たかし、1926年10月24日 - )は、児童文化史研究家。東京に生まれ、神奈川県鎌倉市、藤沢市で育つ。第一高等学校卒、東京帝国大学法学部法律学科卒業。公務員として自治省、神奈川県、鹿児島県、大阪府に30年勤務。日本赤十字社職員として大阪府支部、日赤本社に十余年勤務。大阪府教育長在職中に大阪府立国際児童文学館の設立に関与。2011年『日本最初の少年少女雑誌『ちゑのあけぼの』の探索 「鹿鳴館時代」の大阪、京都、神戸』で日本児童文学学会特別賞受賞。
牧原 純(まきはら じゅん、1926年8月15日 - 201… 牧原 純(まきはら じゅん、1926年8月15日 - 2015年3月26日)は、日本の演劇評論家、チェーホフ研究家、翻訳家。 東京生まれ。本名、島地 純(しまじ じゅん)。東京外国語大学ロシア語学科卒。文化放送でラジオ・ドラマ演出など、放送関連の仕事をし、同局の編成局長や営業局長などを務める。その後チェーホフ関係の翻訳を行う。 2015年3月26日、呼吸不全のため死去。88歳没。
古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8… 古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の思想史学者・古代史研究家。専門は親鸞等の中世思想史だが、むしろ古代史研究において著名である。
秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015… 秋葉 實(あきば みのる、1926年6月29日 - 2015年4月11日)は、日本の歴史研究家。江戸時代の探検家・松浦武四郎研究の第一人者で、北海道紋別郡遠軽町丸瀬布地域(旧丸瀬布町)の郷土史研究や、丸瀬布地域の住民有志でつくる任意団体「山脈(やまなみ)文化協会」発行の地域新聞『山脈』の編集、北海道遺産選定の蒸気機関車「雨宮21号」の動態保存などにも貢献した。 1926年(大正15年)、北海道紋別郡遠軽村ムリイ(現・遠軽町丸瀬布武利)生まれ。1940年、東京市深川区(現・江東区)の材木店の養子となったあと、陸軍少年通信兵学校を修了したが、養子先の一家が東京大空襲で全滅したため、終戦後の復員にともない出身地の丸瀬布に戻り、丸瀬布郵便局に勤務した。
工藤 晃(くどう あきら、1926年2月10日 - 2024… 工藤 晃(くどう あきら、1926年2月10日 - 2024年9月20日)は、日本の政治家、経済研究家。元衆議院議員(日本共産党公認、通算4期)。日本共産党中央委員会名誉役員。 東京都出身。旧制第五高等学校(現在の熊本大学)、東京大学理学部地質学科を卒業。1976年の衆院選に東京7区から出馬し初当選。以後1990年に落選するまで衆議院議員を4期務めた。地盤は佐々木憲昭に譲る。議員時代は党経済政策委員会責任者や社会経済研究所副所長などを歴任する。議員引退後は、日本共産党中央委員会付属社会科学研究所で主に経済研究に従事する。 1999年、前年10月に新日本出版社より刊行した『現代帝国主義研究』が、「アメリカの軍事支配、多国籍企業の支配を最新の資料にもとづき解明」したことにより、第24回野呂栄太郎賞を受賞。
中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は… 中田 幸平(なかた こうへい、1926年2月10日 - )は、日本の舞台衣裳デザイナー、玩具研究家、歴史家。 栃木県栃木市生まれ。戦後上京し俳優座に入る。1955年過ぎ桑沢デザイン研究所講師となり、舞台衣裳デザイナーとして独立する。1985年NHK大河ドラマ「春の波涛」の風俗考証を手がける。かたわら尾崎秀樹の大衆文学研究会に参加した。
石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日… 石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日 - 2017年1月8日)は、日本古代史研究家。東京都出身。 1953年、東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文科卒業。1953年~1977年、東京都立千歳高等学校教諭。 主に以下のような説を主張している。
冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の… 冨澤 繁信(とみざわ しげのぶ、1926年 - )は、日本の実業家・歴史研究家。日本「南京」学会理事兼事務局長。 神奈川県横浜市生まれ。東京大学文学部ドイツ文学科卒業、更に同大経済学部経済学科入学。 戦後の1951年、住友信託銀行入社。退任後は住商リースで副社長。1998年退任。 「新しい歴史教科書をつくる会」の創立に参加。
東野 利夫(とうの としお、1926年 - 2021年4月1… 東野 利夫(とうの としお、1926年 - 2021年4月13日)は、日本の医師(産婦人科)、小説家、医学史研究家。 医学史の研究家として数々の作品を残す。日本ペンクラブに所属し、医学生時代に九州大学生体解剖事件(九大生体解剖事件)の目撃者として貴重な体験談を後身に示した。この事件が本人に医者への不信感となり、医師となることに迷った末に、命を助けられる産婦人科医を志す動機となったという。開業後7年経った頃に精神的に不調を来し、心療内科に2か月入院。同様に九州大学生体解剖事件に関わった恩師平光吾一は釈放後、業務に復帰していたが病床に着き、1965年、東野が訪ねると、平光は「九大」「B29」とうわごとの様に言葉の端々に述べたことを語っている。
碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月2… 碇 義朗(いかり よしろう、1925年〈大正14年〉12月21日 - 2012年〈平成24年〉10月16日[要出典])は、日本の航空・自動車研究家、著作家である。 奄美大島生まれ。鹿児島県名瀬町(現:奄美市)出身。東京都立航空工業学校(現:東京都立産業技術高等専門学校)卒業後、1942年(昭和17年)12月より陸軍航空技術研究所に勤務。1949年、横浜工業専門学校(現:横浜国立大学)卒業。 航空機・自動車研究家として各誌に執筆。著書に 『最後の撃墜王』『紫電改の六機』『陸軍「隼」戦闘機』『戦闘機入門』『最後の二式大艇』『夢の超特急走る』『ハイブリッドカーの時代』『ペルシャ湾の軍艦機』『飛龍天に在り』など多数。
安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1… 安川 茂雄(やすかわ しげお、1925年12月13日 - 1977年10月23日)は、日本の登山家、ノンフィクション作家、登山史研究家。 本名は長越成雄。東京出身。早稲田大学文学部仏文科卒。 中学時代から登山を好み、登山家、編集者として働きながら、「霧の山」などの山岳小説を発表。 1966年RCCヒンズークシ登山隊長。三笠書房編集長、朋文堂、あかね書房などの顧問を経て、1974年四季書館を設立、社長を務めた。
生方 良雄(うぶかた よしお、1925年11月24日 - 2… 生方 良雄(うぶかた よしお、1925年11月24日 - 2021年6月19日 )は、日本の鉄道研究家。小田急電鉄で車両部長や運輸計画部長などを歴任した。 東京市牛込区(現在の東京都新宿区牛込)で生まれる。1929年、4歳の時に世田谷区経堂町に転居、その後、父親の仕事の関係で1934年から1940年までは中国東北部(満洲)の奉天市(現・瀋陽市)に移住するが、それ以外は一貫して経堂に在住している。日本大学理工学部機械科在学中には、日大鉄道研究会の発足に関わったほか、高松吉太郎が関わっていた東京鉄道同好会にも参加している。 1948年に日本大学を卒業し、東京急行電鉄(大東急)に入社。国鉄への就職も考えていたが、当時の国鉄は運輸省直轄で、港湾や気象庁に配属されることもあると聞き、地元の東急に決めたという。
佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1… 佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1988年3月23日)は、日本の美術史家、陶磁器研究家。東洋美術史、中国、日本の陶磁史を研究。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部芸術学科卒。1951年大阪市立美術館学芸員、学芸課長、1972年京都市立芸術大学教授、1980年学長。北海道立近代美術館館長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 20… 斎藤 文一(さいとう ぶんいち、1925年8月13日- 2017年10月20日)は、日本の宇宙物理学者、宮沢賢治研究家。新潟大学名誉教授。岩手県北上市出身。 岩手県立黒沢尻中学校を経て、東北大学理学部卒業、同大学院で1962年、理学博士の学位を取得。博士論文は「夜光発光機構の研究」。オーロラの研究者として南極観測隊(第5次夏隊、1960年 - 1961年)に加わったのち、新潟大学理学部教授を務める[要出典]。 詩人でもあり、詩誌『歴程』同人。宮沢賢治の研究家としても知られ、宮沢賢治学会イーハトーブセンターの設立発起人(1990年)や宮沢賢治イーハトーブ館の初代館長(1992年-1994年)も務めた。
江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 200… 江頭 数馬(えがしら かずま、1925年8月4日 - 2004年7月26日)は、日本のジャーナリスト、中国研究家。 佐賀市生まれ。東亜同文書院大学第44期生、京都大学文学部東洋史学科卒。毎日新聞社に入り、北京支局長となるが文化大革命に際し国外追放となる。受難の書「燕山夜話」紹介解説で1966年菊池寛賞受賞、1968年米中関係全国委員会の招請で渡米報告、1979年論説委員で退社、日本大学商学部教授を務め、95年退職。上海師範大学客員教授。
茶園 義男(ちゃえん よしお、1925年7月28日 - 20… 茶園 義男(ちゃえん よしお、1925年7月28日 - 2010年代)は、日本の歴史家、昭和史研究家。 徳島県美馬郡(のち三好郡を経て三好市)西祖谷山村出身。広島文理科大学哲学科卒。同大学院倫理学研究科四修。阿南工業高等専門学校教授。パシフィック・ウエスタン大学名誉教授、文学博士(未確認)。平成昭和研究所を主宰、戦争犯罪を研究。1994年、TBSテレビ「わたしは貝になりたい」の考証主幹。 没年は不詳だが、阿南市の広報誌で2010年3月にインタビューを受けた時点では84歳で存命だった。その後、徳島新聞の2015年10月25日付記事では「戦犯問題の著名な研究者だった故茶園義男さん」と記述されており、この間に死去したことが知られる。
高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2… 高崎 隆治(たかさき りゅうじ、1925年7月25日 - 2013年6月)は、日本の戦争研究家。 神奈川県横浜市生まれ。法政大学文学部国文科卒。在学中に学徒兵として召集。主に戦時下の雑誌ジャーナリズム及び戦争文学をテーマとした執筆・講演活動を続けている。講談社『昭和萬葉集』では編纂部顧問をつとめた。1996年、里村欣三研究その他で、人文科学研究協会研究奨励賞を受賞。2008年、第14回横浜文学賞受賞。創価学会系の人物である[要出典]。
吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月… 吉村 証子(よしむら あかしこ、1925年(大正14年)7月3日 - 1979年(昭和54年)4月23日)は、日本の科学史家、児童科学読物作家、科学読物研究家。 農政学者・小出満二(こいで まんじ)の双子の次女として福岡に生まれ、その後、東京に移った。1947年に津田塾専門学校(現:津田塾大学)理科1期生として物理化学科を卒業、1951年に東京大学理学部地球物理学科を卒業。普連土学園、神田女学園で講師をしながら平凡社の『理科事典』『科学技術史年表』の編集・執筆に当たる。1955年弁護士・吉村節也と結婚。1956年津田塾大学講師となり亡くなるまで科学史を教える。1967年日本子どもの本研究会を設立、副会長。
蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014… 蜷川 譲(にながわ ゆずる、1925年3月9日 - 2014年7月9日)はフランス文学者、比較文学者、ロマン・ロラン研究家。 本籍は愛知県一宮市。台湾台北州基隆市に生まれる。愛知東海中学校卒。1948年早稲田大学政経学部卒業、同文学部大学院にて現代フランス文学を専攻。1954年渡欧、1957年帰国までパリ大学ソルボンヌにおいて学ぶ。日本福祉大学教授、早稲田大学講師などを務めた。1951年に兵藤正之助、金井光太郎らと日本ロマン・ロラン協会を創立。昭和30年代からは窪村らの参加を得て、東京の新宿(初期は毎月)、水道橋労音(年3回)、五反田(年2回)、吉祥寺(晩年は年2回)で、449回にわたり「ロマン・ロラン研究会」を主催した。
津神 久三(つがみ きゅうぞう、1925年2月26日 - 2… 津神 久三(つがみ きゅうぞう、1925年2月26日 - 2017年10月10日)は、日本のイラストレーター、西部劇研究家。 東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。本名・小林久三。別名・白井哲。1948年東京美術学校油絵科卒。NHKに2年勤めた後、フリーのイラストレーターとなり1963年渡米。ニューヨークで18年間過ごし、1980年帰国。千葉大学工学部教授としてイラストを教えた。1999年定年退官。西部劇研究家でもあった。
もろさわ ようこ(1925年2月13日 - 2024年2月2… もろさわ ようこ(1925年2月13日 - 2024年2月29日)は、日本の女性史研究家。本名は兩澤葉子。一般財団法人「志縁の苑」代表理事。 1925年、長野県北佐久郡本牧村(現・佐久市)生まれ。 生家が没落し、女中奉公をしながら小学校を卒業。旧制専門学校入学者検定合格。戦中、疎開してきた陸軍士官学校・生徒隊本部に勤める。戦後、北信毎日新聞の記者(1946年)、鐘淵紡績丸子工場にあった鐘紡丸子高等文化学院の教員(1947年)を経て、1949年に上京した。 1946年には、初めて選挙で一票を投じた。 1951年、日本婦人有権者同盟(会長:市川房枝)の本部事務局に入り、機関紙『婦人有権者』を編集。また、財団法人婦選会館が発行する『月刊婦人展望』の編集者をつとめた。
大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-19… 大河内 常平(おおこうち つねひら、1925年2月9日-1986年6月26日)は、日本の作家、刀剣研究家。 本名・山田常平(じょうへい)。東京生まれ。 敗戦後、日本大学芸術学部に進学し卒業後、進駐軍に勤めるかたわら推理小説を書き、「地獄からの使者」が『別冊宝石』の懸賞に入選。以後多くの小説を書くが、70年代に筆を折り、刀剣研究と軍装コレクションに熱中した。
阿久根 巌(あくね いわお、1925年1月16日 - 201… 阿久根 巌(あくね いわお、1925年1月16日 - 2018年10月14日[要出典])は日本映画の美術監督、サーカス研究家。東京出身。 1944年、東京高等工芸学校(現・千葉大学)卒業。1948年に東宝撮影所に入社。美術監督として『独立愚連隊』『日本のいちばん長い日』『犬神家の一族』『八甲田山』『ビルマの竪琴』『螢川』等を手がける一方、日本のサーカスの歴史研究を続ける。浅草六区など、数多くの資料を収集・提供し、数々の文献に名前を残す存在である。 ※賞歴のある作品は太字で記す。
小沢 健志(おざわ たけし、1925年1月9日 - 201… 小沢 健志(おざわ たけし、1925年1月9日 - 2019年7月4日)は、日本の写真評論家、写真研究家。 東京出身。日本大学法文学部卒業。九州産業大学大学院教授、日本写真芸術学会名誉会長などを歴任。写真評論家としては金丸重嶺の弟子にあたる。 日本の幕末から明治期の古写真蒐集の第一人者であり、近代日本の初期写真史研究に先鞭を付けた人物で、多くの著述刊行、講演を行った。 1991年設立の「日本写真芸術学会」にも関わり、設立当初は副会長(3人のうちの1人、初代会長は渡辺義雄)、続いて第2代会長(1998年就任)を歴任した。2002年に会長を退任し名誉会長となった。 2019年7月4日、老衰により死去。
稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 201… 稲田 年行(いなだ ねんこう、1925年1月4日 - 2014年2月3日、本名:稻田俊志、いなだ としゆき)は、日本の版画家、浮世絵研究家、郷土玩具収集家、岐阜大学名誉教授、浜松大学教授( - 2000年)。位階は従四位。 東京美術学校卒、同専修科修了。安井曽太郎に師事。日本美術家連盟会員、大学版画協会会員、竹とんぼの会会員。水府森家の末裔で、森鴻次郎の孫。建築家稲田尚之の兄、版画家松田ハルミの夫、哲学者純丘曜彰、版画家稲田醍伊祐の父。憲法学者小林直樹の甥。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推… 伊藤 秀雄(いとう ひでお、1925年1月2日 - )は、推理・冒険小説研究家。 神奈川県川崎市生まれ。1949年日本大学法文学部文学科卒。1950年川崎市役所に勤務。のち日大講師。黒岩涙香の古書を収集、これを研究した。 1986年『明治の探偵小説』で日本推理作家協会賞受賞。1989年、「黒岩涙香―探偵小説の元祖」で大衆文学研究賞研究・考証部門を受賞。 大衆文学研究会・日本文芸家協会各会員。「探偵趣味」同人。
浜 栄助(はま えいすけ、1925年 - 1996年6月10… 浜 栄助(はま えいすけ、1925年 - 1996年6月10日)は、現在の長野県茅野市出身の教育者、植物研究家、公立高等学校教諭である。日本産スミレの研究者として知られる。 長野県諏訪郡永明村(現・茅野市)に生まれる。長野県諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)を経て、1947年、東京高等師範学校理科第三部卒業。東京第二師範学校男子部教官、長野県永明高等学校教諭、東京都立小松川高等学校教諭、長野県諏訪二葉高等学校教諭、長野県阿南高等学校教頭、長野県岡谷東高等学校教頭、長野県屋代南高等学校校長、長野県富士見高等学校校長、長野県長野西高等学校校長などを歴任し、1985年退任。長野県諏訪二葉高等学校教諭は1955年から1966年まで務めるが、その間スケート部の監督としてインターハイで女子総合優勝を導く。
名和 秀雄(なわ ひでお、1925年 - 2003年2月9日… 名和 秀雄(なわ ひでお、1925年 - 2003年2月9日)は、日本の昆虫研究家。名和昆虫博物館元館長。 東京都出身。東京繊維専門学校(現東京農工大学)卒業。農林省農業技術研究所勤務を経て名和昆虫研究所に入る。 1972年(47歳の時)に4代目の名和昆虫研究所並びに名和昆虫博物館館長に就任。 東海ラジオ放送のミッドナイト東海(1972年10月 - 1975年3月)、岐阜放送ラジオのヤングスタジオ1431のパーソナリティを務めた。 2003年2月9日にうっ血性心不全の為に死去。78歳没。
原 子朗(はら しろう、1924年12月27日 - 2017… 原 子朗(はら しろう、1924年12月27日 - 2017年7月4日)は、日本の詩人、日本近代文学研究家、早稲田大学名誉教授、元宮沢賢治イーハトーブ館館長、早稲田大学出版部取締役。宮沢賢治、文体論などを研究する。 長崎県出身。早稲田大学文学部卒業、早稲田大学大学院中退。 日夏耿之介、吉田一穂に師事。1950年『詩世紀』創刊に参加。『文藝首都』編集同人として近代詩論などを執筆。立正女子大学、早稲田大学政治経済学部教授を歴任。 1986年『石の賦』で現代詩人賞受賞。 1993年『宮沢賢治語彙辞典』で宮沢賢治賞受賞。 1995年、早稲田大学を定年退職し、名誉教授。昭和女子大学教授に転じる。 2012年、瑞宝小綬章受章。
久保田 博(くぼた ひろし、1924年9月5日 - 2007… 久保田 博(くぼた ひろし、1924年9月5日 - 2007年1月18日)は、日本の鉄道技術者、鉄道研究家。 鉄道省の職員(機関士)の子として、長野県諏訪市上諏訪に生まれる。 1946年秋、大阪大学工学部を卒業し、運輸省に入省。1年間の鉄道現場研修の後、鷹取工場(兵庫県)に配属される。1949年に日本国有鉄道(国鉄)が運輸省から独立発足した際、国鉄に移籍。 以後、長野工場→本社勤務→仙台鉄道管理局・東北支社→中部支社(名古屋)と渡り歩き、小倉工場長を最後に国鉄を退職。その後、高砂熱学工業の技師長や東北大学の講師などを務めた。国鉄本社勤務時代には青梅鉄道公園の保存機関車の選定に携わったことがある。
金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 20… 金子 徳好(かねこ とくよし、1924年7月24日 - 2007年11月26日)は、反戦活動家・平和活動家・ミニコミ研究家である。 東京都渋谷区に生まれる。東京高等農林学校(現・東京農工大学)中退。 戦後渋谷でローカル新聞を主宰。労組書記(全銀連)を経て、日本機関紙協会勤務。 1965年、「アメリカはベトナムから手をひけ」を書いたゼッケンをつけて8年間にわたり通勤。その記録として『ゼッケン8年』(朝日新聞社)を1974年に刊行している。 1981年10月には核廃絶を訴え再びゼッケン通勤を始め、1984年の広島原爆忌まで続けられた。 退職後は地域のミニコミに力を入れ、地域からの平和運動を研究・促進。
鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、… 鈴木 五郎(すずき ごろう、1924年7月13日 - )は、日本の航空評論家、航空史研究家。 京都府加佐郡中舞鶴町(現・舞鶴市)生まれ。1943年大日本飛行協会横浜飛行訓練所(学生航空連盟)で水上機の操縦訓練を受ける。1944年8月三重海軍航空隊2期飛行予備生徒隊に入隊。 1948年9月東京大学文学部を卒業。小学館児童編集部を経て読売新聞社出版局に勤務。1979年定年退職。
森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000… 森 満喜子(もり まきこ、1924年5月18日 - 2000年10月)は、医師、沖田総司研究家、歴史作家。本名、大場満喜。 神奈川県横浜市生まれ。1945年大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。2年生の夏休みに父の任地の函館に帰省したとき、大映映画「維新の曲」を見て、南条新太郎扮する沖田総司に魅せられる。終戦後まもなく医専を卒業してすぐに結核療養所に勤務。1947年、父の仕事の関係で大牟田に転居、1948年から1976年まで大牟田保健所に勤務。1981年上京、葛飾赤十字血液センターに勤務。その間、医師として結核を担当しつつ沖田総司に関する著作を上梓。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日… 興津 要(おきつ かなめ、1924年〈大正13年〉4月21日 - 1999年〈平成11年〉10月20日)は、日本の近世文学研究家・落語研究家。早稲田大学名誉教授。専門は近世後期の滑稽本と明治期の落語、戯作、ジャーナリズム。位階は正五位。 栃木県足利市生まれ。栃木県立足利高等学校を経て、1949年早稲田大学文学部国文学科卒業。当時の同級生に立原正秋がいた。1951年まで大学院に在籍、教育学部助手。1956年同専任講師、1959年助教授、1968年早稲田大学教育学部国語国文学科教授、1995年定年退任、名誉教授。1999年死去。死没日付をもって正五位に叙された。 1972年から1974年にかけて講談社文庫として刊行した『古典落語』シリーズ全6巻は200万部を超すロングセラーとなり、現在は一部が講談社学術文庫で刊行されている。
薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 201… 薄井 憲二(うすい けんじ、1924年3月30日 - 2017年12月24日)は、日本のバレエダンサー、振付家、バレエ指導者、舞踊評論家、舞踊史研究家。 蘆原英了、東勇作に師事してバレエを学び、第2次世界大戦後の日本バレエ界で活躍した。1930年代から収集を続けているバレエ関連の文献資料は、個人が収集したものとしては世界有数といわれる。 モスクワ国際バレエコンクールやヴァルナ国際バレエコンクールなど内外のバレエコンクールの審査員を歴任し、2006年に第4代日本バレエ協会会長に就任した。 東京で生まれた。母や姉とともに歌舞伎や宝塚歌劇団などの舞台を観に行くことが多く、幼少時から踊りを見るのは好きだった。
鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 200… 鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 2005年9月12日)は日本の数学者、珠算史研究家、国士舘大学名誉教授。 大正13年(1924年)3月29日、東京府南足立郡(現、東京都足立区)に生まれた。昭和25年(1950年)、専修大学商経学部商業学科卒業。昭和33年(1958年)、文部省より珠算史の研究で大学講師の認定を受け、昭和35年(1960年)、国士舘大学政経学部講師。昭和44年(1969年)、同助教授。昭和49年(1974年)同教授。昭和51年(1976年)、日本大学文理学部国文学科卒業。平成5年(1993年)、国士舘大学定年退職、名誉教授の称号を受ける。平成14年(2002年)、勲四等旭日小綬章を受章。
大塚 野百合(おおつか のゆり、1924年3月10日 - )… 大塚 野百合(おおつか のゆり、1924年3月10日 - )は、日本の英文学者、キリスト教文化・賛美歌研究家。恵泉女学園大学名誉教授。キリスト教文化功労者。
井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2… 井上 宗和(いのうえ むねかず、1924年2月25日 - 2000年1月1日)は、日本の写真家、城郭研究家、ワイン評論家。推理小説も手がけた。 愛媛県宇和島市生まれ。日本大学農学部拓殖学科に在学中に学徒出陣し、名古屋の高射砲兵科に配属。陸軍病院に入院中、名古屋大空襲により名古屋城天守閣が焼け落ちる様子を目撃している。これを機に、城郭に関心をもち続けた。 戦後は公職追放を受け一時帰郷。復学後、元担任教授の今村忠助の勧めで新設の新聞学科を卒業。カメラマン編集者として雑誌・新聞社に勤務。1955年2月日本城郭協会を設立し、代表世話人に就任。のちに常務理事を務めた。 1964年、井上フォトプロダクションを設立。
吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924… 吉沢 伝三郎(吉澤 傳三郎、よしざわ でんざぶろう、1924年2月8日 - 2003年4月15日)は、日本の哲学・倫理学研究家。ニーチェを主とした近代ドイツ哲学研究で知られる。東京都立大学名誉教授。 1924年(大正13年)、大阪府に生まれる。1941年(昭和16年)に大阪府立高津中学校を卒業後、旧制一高に進学。1949年(昭和24年)に東京帝国大学文学部倫理学科を卒業。和辻哲郎から教えを受けた最晩年の弟子の一人であり、和辻にその人柄と秀逸な研究をこよなく愛された愛弟子だった。 卒業後は東京都立大学教授となる。1987年に定年退官。2003年に死去。急死した最愛の長男の墓に永眠している。 専門は近代ドイツ哲学。