永井隆(ながい たかし、1958年(昭和33年) - )は、… 永井隆(ながい たかし、1958年(昭和33年) - )は、日本のフリージャーナリスト、元東京タイムズ経済部記者。日本経済新聞社の刊行する雑誌などに多く執筆している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
溝上 憲文(みぞうえ のりふみ、1958年 - )は、日本の… 溝上 憲文(みぞうえ のりふみ、1958年 - )は、日本の人事ジャーナリスト。 鹿児島県阿久根市出身。明治大学政治経済学部政治学科卒業。月刊誌や週刊誌の記者などのキャリアを経て、独立する。主に新聞や雑誌・Webメディアなどで、経営・人事・雇用・賃金・年金問題などを中心としたテーマを執筆している。また、日本労働ペンクラブ会員・事務局長を務め、『非情の常時リストラ』(文春新書)で2013年度日本労働ペンクラブ賞を受賞した。
松本 充治(まつもと みちはる、1958年 - )は、日本の… 松本 充治(まつもと みちはる、1958年 - )は、日本のモータージャーナリスト。兵庫県出身。早稲田大学卒。 会社員を経て、1984年に東京タイムズに入社し、校閲部、文化部記者を歴任する。1986年にフリーランスライターとして独立し小学館の「TOUCH」(現在休刊)、「週刊ポスト」の契約取材記者として数多くの事件を取材する。その後は、趣味であるバイクのジャンルに活動を広げ、「月刊アウトライダー」のライターとして参加。1988年には日本人唯一のISDEライダー、トシ・ニシヤマに同行取材する。1996年にはオフロードバイクの魅力や活動を紹介する自身の活動拠点「オンザロード」を創設。2000年にはBMW・GSを中心としたクロスカントリー系ビッグオフロード愛好家の集まりとして「GSバカミーティング」を主宰。
近藤 晶一(こんどう しょういち、1958年 - )は、日本… 近藤 晶一(こんどう しょういち、1958年 - )は、日本の映像ディレクター、ジャーナリスト。 1958年、愛媛県西条市に生まれる。愛媛県立西条高等学校を卒業後、東京造形大学映像学科に進学。在学中からテレビ制作会社でアシスタントディレクターとして働き、後に大学を中退して映像制作の道へ進む。 1983年、映像制作会社に入社。TBSの海外取材・裏社会系番組を中心にディレクターとして活動。 1990年からはテレビ朝日の報道番組『サンデープロジェクト』特集を担当。カンボジア、アメリカ、南米など世界各地の危険地帯で精力的に取材を行い、以下の企画を制作した。 1994年以降はABC朝日放送『驚き桃の木20世紀』を中心に活動し、「連合赤軍・浅間山荘事件」「大韓航空機 金賢姫」「日本赤軍・泉水博の生涯」などを手がける。
曽我部 司(そがべ つかさ、1958年 - )は、日本のジャ… 曽我部 司(そがべ つかさ、1958年 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、デザイナー。 北海道出身・在住。北海道札幌東高等学校卒業。1991年から取材活動を開始し、パプアニューギニアのフリ族や旧ユーゴスラビアの民族紛争を取材。94年春にボスニア・ヘルツェゴビナ郊外のスレブレニッツァの取材中に被弾して帰国。その後、チェコ共和国のプラハに取材の地を求める。 チェコ共和国での5年間の取材の後、2000年、『ホッケー69-チェコと政治とスポーツと』を発表し、本作で第9回開高健賞奨励賞を受賞した。2003年には、徹底した取材と検証による書き下ろし作品『北海道警察の冷たい夏-稲葉事件の深層』を発表。
上島 嘉郎(かみじま よしろう、1958年〈昭和33年〉 -… 上島 嘉郎(かみじま よしろう、1958年〈昭和33年〉 - )は、日本のジャーナリスト。産経新聞社月刊「正論」第2代編集長。 長野県上伊那郡出身。その後、愛媛県松山市に転居。 愛媛県立松山南高等学校卒業後、フリーランスを経て、1991年、産経新聞社に入社。サンケイスポーツ編集局整理部を経て、1995年退職。 その後、1997年に創刊された月刊日本の編集長を務めた。1998年に産経新聞社に復社。以後、2004年月刊「正論」編集部担当部長、2005年、同誌編集長、2006年11月付で別冊正論の編集長を2010年9月末まで兼任(統括編集長)にて歴任。2014年7月31日付で産経新聞社を再度退社。 退社後はフリーのジャーナリストとして「大東亜戦争の研究」など執筆・言論活動を継続。
小川 一(おがわ はじめ、1958年 - )は日本のジャーナ… 小川 一(おがわ はじめ、1958年 - )は日本のジャーナリスト。2015年6月から毎日新聞社取締役。2015年3月から日本新聞協会編集委員会代表幹事。 京都市生まれ。京都大学教育学部卒業。 1981年に毎日新聞社に入社し、社会部に18年在籍した。同社横浜支局長、社会部長、販売局次長、コンテンツ事業本部次長、「教育と新聞」推進本部長、執行役員東京本社編集編成局長を歴任。毎日新聞の電子新聞サービス「デジタル毎日」責任者。土門拳賞第33回選考委員。 家族は妻と2男。趣味は剣道。 2017年9月6日に「山尾志桜里氏の幹事長交代。週刊誌が彼女の不倫疑惑を報じるよう」、「こういうスキャンダルで政治や政局が動くのは残念」と嘆いた。
黒木 昭雄(くろき あきお、1957年12月19日 - 20… 黒木 昭雄(くろき あきお、1957年12月19日 - 2010年11月)は、日本の警察ジャーナリスト、探偵。元警視庁巡査部長。東京都出身。 2010年11月2日、千葉県市原市で、駐車した車の中で死亡しているのが発見された。自殺とみられているが、不審死であるとの指摘もある。2011年4月3日、テレビ朝日系『ザ・スクープSP』「ジャーナリスト黒木昭雄さん死の真相」にて、その死に疑問を投げかける番組が放送された。 一方で生前親交のあった篠田博之によれば、遺書が見つかったことや自殺した11月1日の黒木の行動が判明していることから、「外形的には間違いなく自殺である」と述べている。黒木は11月1日午後4時頃ホームセンターで練炭コンロ2つや軍手、マッチなどをクレジットカードで購入した。
小尻 知博(こじり ともひろ、1957年12月12日 - 1… 小尻 知博(こじり ともひろ、1957年12月12日 - 1987年5月4日)は、日本のジャーナリスト。朝日新聞記者。 1957年12月12日、広島県豊田郡川尻町(現・呉市)で生まれた。「博く学を修め、知恵深く立派な子に」との願いから、「知博」と名付けられた。幼い時からよく読書をする少年で、「大きくなったら偉い人になって小尻家の名を挙げてくれよ」と言われ育った。1964年4月、川尻町立川尻小学校に入学。いたずら好きで、小学校へ何度も母親がお詫びに行った。小学3年の時、新聞係になり壁新聞「たけのこ新聞」を作った。この頃「僕は将来、新聞記者になるんだ」と話す。社会科の問題追求、国語読解はクラスで飛び抜けて優秀だった。
根岸 豊明(ねぎし とよあき、1957年(昭和32年)11月… 根岸 豊明(ねぎし とよあき、1957年(昭和32年)11月14日 - )は、日本の実業家、ジャーナリスト。日本テレビ放送網株式会社取締役執行役員、札幌テレビ放送株式会社代表取締役会長を歴任した。 東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。1981年4月1日、日本テレビ放送網入社。 編成局を経て報道局社会部記者に異動。1985年には宮内庁担当となり、浩宮徳仁親王の英国留学を取材し、直接インタビュー取材を行うなどした。 1987年9月に内臓疾患の手術を受けた昭和天皇の病状推移を受け、日本テレビが“昭和最後の日”を見据えた報道体制強化が採られた際には担当記者陣の中心として活動、特に1988年9月19日深夜の昭和天皇吐血による容態急変の際には、当時の高木顕宮内庁侍医長の取材から緊急事態が起こったことを察知したことを報道局に伝え、1989年1月7日の昭和天皇崩御に至る一連の事象の取材・報道に携わった。
水島 宏明(みずしま ひろあき、1957年(昭和32年)10… 水島 宏明(みずしま ひろあき、1957年(昭和32年)10月21日 - )は、日本のジャーナリスト、メディア研究者。元上智大学文学部新聞学科教授。元法政大学社会学部メディア社会学科教授。専門はテレビ報道論、デジタルジャーナリズム、ドキュメンタリー制作、貧困報道。長らくテレビディレクターやテレビプロデューサーを務めた。 北海道札幌市出身。北海道札幌北高等学校を経て、1982年に東京大学法学部を卒業。同年から札幌テレビ放送 (STV) で勤務を始め、記者としてNNNロンドン特派員(1988年~1992年)や同ベルリン支局長(1998年~2003年)などを務めた。 テレビディレクターをしていた1987年、札幌市白石区の母子家庭でDV被害者のシングルマザーが生活保護を申請できずに餓死した「札幌母親餓死事件」を知り、生活保護制度の問題点をまとめたドキュメンタリー番組『母さんが死んだ―生活保護の周辺』を手掛けた。
杉尾 秀哉(すぎお ひでや、1957年9月30日 - )は、… 杉尾 秀哉(すぎお ひでや、1957年9月30日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト。立憲民主党所属の参議院議員(2期)。元TBS報道局記者。 福岡県北九州市で生まれ、船乗りだった父の転職で兵庫県明石市に移り住んだ。小学生の頃は病弱だったうえ、吃音があったが少しずつ克服したという。 1973年に神戸大学附属明石中学校を卒業し、兵庫県立加古川東高等学校に入学。高校時代は放送部に所属。コンテスト応募のため『少年院を出て奉仕活動に取り組む少年』のラジオドキュメンタリーを制作したことが、放送局の報道局員に関心を持つきっかけをつくった。1977年、東京大学に入学。東京大学ではアメリカンフットボール部「東大ウォーリアーズ」で主将を務めた。
六川 亨(ろっかわ とおる、1957年9月25日 - 202… 六川 亨(ろっかわ とおる、1957年9月25日 - 2025年11月17日)は、日本のサッカージャーナリスト。 兄はサッカーカメラマンの六川則夫。 東京都板橋区出まれ。板橋区立板橋第一小学校、板橋区立板橋第一中学校、東京都立文京高等学校を経て法政大学を卒業後、1981年に大学時代からアルバイトをしていた日本スポーツ企画出版社に入社し、サッカーダイジェスト編集部に配属になる。1988年からは「サッカーダイジェスト」編集長を歴任し、1993年のJリーグ発足を機に週刊化への先鞭をつける。 2001年に日本スポーツ企画出版社を去りフロムワンに入社。富樫洋一が立ち上げた「CALCIO2002」の編集長を受け継いだほか、「サッカーズ」「totoONE」「プレミアシップマガジン」「浦和レッズマガジン」の創刊に携わった。
石塚 元章(いしづか もとあき、1957年9月23日 - )… 石塚 元章(いしづか もとあき、1957年9月23日 - )は、日本のニュースキャスター、ジャーナリスト。中京地区のTBS系列局・CBCテレビの特別論説委員(元・報道・番組総局論説室長)。愛知県名古屋市出身。妻は元CBCアナウンサーの古木淑恵。 名古屋市立向陽高等学校、同志社大学法学部卒業。 子供の頃にボーイスカウト名古屋第22団(千種区)に所属していた。 1981年4月、中部日本放送(CBC)に入社。報道局記者として、愛知県警察記者クラブや行政・経済などの取材を担当。 1992年から1995年まで『CBCニュースワイド』のメインキャスターを務めた。 1996年から3年間、JNN ウィーン支局長を務め、NATO軍ユーゴスラビア空爆、コソボ紛争で現地取材を行う。
飯塚 浩彦(いいづか ひろひこ、1957年(昭和32年)9月… 飯塚 浩彦(いいづか ひろひこ、1957年(昭和32年)9月15日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。産業経済新聞社(産経新聞社)取締役会長、関西テレビ放送取締役。 兵庫県生まれ。滋賀大学経済学部卒業。 1981年(昭和56年)、産経新聞社に入社。社会部記者、社会部や経済部のデスクなどを経て、2005年大阪本社編集局次長兼社会部長、2009年大阪本社編集局長兼写真報道局長。 2011年(平成23年)取締役東京本社編集局長、2013年常務取締役、2015年専務取締役。この間、2014年に日本新聞協会編集委員会の代表幹事を務める。 2017年(平成29年)6月、代表取締役社長に就任し 、僚紙『フジサンケイ ビジネスアイ』を発行する日本工業新聞社会長にも就いた。
吉田 敏浩(よしだ としひろ、1957年9月11日 - )は… 吉田 敏浩(よしだ としひろ、1957年9月11日 - )は、日本のジャーナリスト。 大分県臼杵市出身。大分県立臼杵高等学校、明治大学文学部卒業。在学中は明治大学探検部に所属。1985年3月から1988年10月まで、ビルマ(現ミャンマー)北部のカチン人などの少数民族を長期取材し、マラリアに感染して生死の境をさまよう。その長期取材の記録をNHK番組「回想のジャングル」で発表。記録をまとめた「森の回廊」を出版し、第27回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。「赤紙と徴兵」(彩流社)で第2回いける本大賞を受賞。『「日米合同委員会」の研究』で第60回JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。戦争のできる国に変わるおそれのある日本の現状について主に取材している。
石川 一郎(いしかわ いちろう、1957年9月8日 - )は… 石川 一郎(いしかわ いちろう、1957年9月8日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家である。テレビ東京ホールディングス代表取締役会長。 神奈川県横浜市生まれ。聖光学院高等学校を経て、1980年3月一橋大学社会学部卒業後、同年4月に日本経済新聞社に入社。 日本経済新聞入社後は経済・政治畑で新聞記者として活動。2003年3月から3年間、日本経済新聞名古屋支社編集部長を務める。 2006年3月に日本経済新聞東京本社編集局次長兼政治部長に就く。 2007年3月から日本経済新聞東京本社編集局次長在職のまま、東京本社版夕刊編集長と論説委員に就任。その後、2011年3月に日本経済新聞社執行役員となり、2012年3月に常務取締役、2015年3月に専務取締役にそれぞれ昇任。
隈本 邦彦(くまもと くにひこ、1957年〈昭和32年〉年9… 隈本 邦彦(くまもと くにひこ、1957年〈昭和32年〉年9月7日-)は、日本の科学ジャーナリスト、科学技術コミュニケーター、防災・医療倫理研究者。元NHK記者。江戸川大学メディアコミュニケーション学部特任教授、2025年4月に同大学の名誉教授に就任、名古屋大学大学院環境学研究科客員教授。薬害オンブズパースン会議副代表。専門は科学コミュニケーション、防災工学、医療倫理。
長井 健司(ながい けんじ、1957年〈昭和32年〉8月27… 長井 健司(ながい けんじ、1957年〈昭和32年〉8月27日 - 2007年〈平成19年〉9月27日)は、愛媛県今治市出身の映像ジャーナリスト。APF通信社所属。 2007年9月27日、ミャンマーのヤンゴンで軍事政権に対する僧侶・市民の反政府デモを取材中、軍兵士に至近距離から銃撃され死亡したと報道されている。 愛媛県立今治西高等学校を卒業後、東京経済大学経済学部に進学。卒業後にアメリカに1年間留学した。元々はミュージシャン志望であった。日本に帰国して映像ジャーナリスト(カメラマン、リポーター、執筆家の複合職種)として活躍する前はアルバイトで生活していたという。日本テレビ報道特捜プロジェクトのディレクターなどを経て、1997年よりAPF通信社(東京都港区赤坂に所在)の契約記者として活動。
長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22… 長谷部 剛(はせべ つよし、1957年(昭和32年)8月22日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。日本経済新聞社代表取締役会長。 青森県八戸市出身。青森県立八戸高等学校を経て、1980年に早稲田大学政治経済学部卒業後、日本経済新聞社入社。大阪編集局社会部、名古屋編集部、東京編集局経済解説部、経済部に記者として勤務。その後、秘書室長、東京編集局経済部長、経営企画室長等を歴任。 2012年常務、2015年専務、2020年副社長を経て、2021年3月に社長に就任。グローバルとデジタルを両輪とする事業戦略を進め、日経電子版の有料会員数を伸ばし、2026年3月代表権のある会長に退く。
秋尾 沙戸子(あきお さとこ、1957年8月10日 - )は… 秋尾 沙戸子(あきお さとこ、1957年8月10日 - )は、日本のジャーナリスト、放送コメンテーター、女優(ウズベキスタン)、作詞家。慶應義塾大学非常勤講師。 愛知県名古屋市出身。東京都立新宿高校を経て、東京女子大学英米文学科卒業。上智大学大学院アジア地域研究博士課程後期単位取得満期退学。 サントリー宣伝部に勤めた後、テレビの報道番組キャスターとしてテレビ朝日「CNNデイウォッチ」、NHK総合「ナイトジャーナル」(93年2月、関口宏のサンデーモーニングに出演した際にNHKのプロデューサーからナイトジャーナルのキャスターのオファーを受けた)、関西テレビ「ワンダラーズ」などに出演した。2001年にはウズベキスタンで製作された映画「オイジョン」に女優として主演、キノショック映画祭審査員賞を受賞した。
二村 伸(にむら しん、1957年7月7日 - )は、日本の… 二村 伸(にむら しん、1957年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト・NHK解説委員・ニュースキャスター。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て大阪外国語大学アラビア語科卒業後、1980年に入局した。 1990年~1994年カイロ特派員時代に、湾岸戦争、パレスチナ紛争、アフリカ内戦等を取材、戦場報道記者として活動。 1997年~2004年ボン、ベルリン支局長(欧州連合拡大、アフガニスタン戦争、イラク戦争等取材)。 2004年以降、報道局国際部担当部長、NHK解説委員、アジア総局長(バンコク駐在)、NHK海外ネットワークキャスターを担当。 2015年以降、NHK解説委員室解説副委員長を務める。
井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月… 井上 樹彦(いのうえ たつひこ、1957年〈昭和32年〉7月4日 - )は、日本の放送ジャーナリスト、実業家。NHK副会長を経て、第25代NHK会長に就任(2026年(令和8年)1月25日付)。福岡県久留米市出身。 副会長在任中の2023年、前体制の「BS番組ネット配信問題」について、国会で承認された予算を含む計画に対し「違法性」に言及したことが報じられた。この発言は同年4月の臨時役員会でなされ、組織内のコンプライアンスに対する厳しい姿勢が示されたとされる。
箕輪 幸人(みのわ ゆきと、1957年(昭和32年)6月28… 箕輪 幸人(みのわ ゆきと、1957年(昭和32年)6月28日 - )は、日本のジャーナリスト。実業家。フジテレビ常務取締役を経て、テレビ新広島代表取締役社長を務める。血液型B型。 茨城県鉾田市出身。 1982年早稲田大学商学部卒業後、フジテレビに入社。水口昌彦(WOWOW取締役)、堤康一(ネクステップ社長)は入社同期。 入社以来、一貫して報道局に所属し、報道カメラマンを経て、15年以上を社会部に在籍。主に警察、司法、教育、災害、原発などを担当。FNNスーパータイムディレクター 、警視庁・司法両キャップ、社会部デスク、同副部長、同部長、同専任部長・解説委員、解説委員を歴任した。 2010年6月報道局長、2011年6月執行役員報道局長、2012年6月取締役(報道・情報制作・国際担当)・報道局長、2013年6月常務取締役(報道・情報制作・国際担当)・報道局長・解説委員長。
堀田 佳男(ほった よしお、1957年〈昭和32年〉6月22… 堀田 佳男(ほった よしお、1957年〈昭和32年〉6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。元日本テレビNEWS24特別解説委員。日本外国特派員協会正会員。 1957年生まれ。東京都中野区出身。早稲田大学文学部卒業後、米首都ワシントンのアメリカン大学大学院国際関係課程修了。高校時代にNHKで放映された未来への遺産のマヤ文明(特にマヤ文字)の謎に触発されて考古学者になることを夢見る。大学2年時にバックパッカーとしてアメリカに行った時、考古学を断念。以後、アメリカでジャーナリストになることを次なる夢にしたという。 1982年に留学のため渡米。本人は「英語ではかなり苦労した」と語っている。大学院在学中に読売新聞ワシントン支局でインターンとして働き、卒業後は首都ワシントンの米情報調査会社に勤務。
髙見 信三(たかみ しんぞう、1957年5月15日 - )は… 髙見 信三(たかみ しんぞう、1957年5月15日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。QUICK社長。 福岡県出身。1976年福岡県立修猷館高等学校を経て、1982年早稲田大学法学部卒業。 1982年日本経済新聞社に入社。新聞記者として、大阪経済部をスタートに証券・金融分野のニュースを取材し、チューリッヒ支局長、ロンドンの欧州編集総局次長として、海外特派員としても現地から記事を書き、帰国後は東京本社証券部次長、経済部次長、2005年3月日経金融新聞編集長などを歴任。長年にわたり経済関係部署からニュース報道に関わる。2011年4月電波・電子戦略室長となり、新聞発行事業を核とした同社のメディア戦略づくりに携わった後、2012年3月日経QUICKニュース代表取締役社長に就任。
鎌田 靖(かまだ やすし、1957年5月5日 - )は、日本… 鎌田 靖(かまだ やすし、1957年5月5日 - )は、日本のジャーナリスト。ホリプロ所属。 福岡県旧嘉穂町(現嘉麻市)の出身で、福岡県立嘉穂高等学校・早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後の1981年4月に、記者としてNHKに入局。入局後は社会部に配属された。 NHK神戸放送局に勤務していた1995年には、当時家族と共に住んでいた神戸市東灘区で阪神・淡路大震災に遭遇。その後の関連報道でデスク業務に当たったことも相まって、阪神・淡路大震災の取材をライフワークに定めた。家族は震災後も神戸市内に住んでいるため、鎌田自身はNHK放送センターへの異動を機に、東京での単身赴任生活に入った。 NHK放送センターで解説委員に転じてからは、池上彰の後任として、2005年4月から『週刊こどもニュース』の「お父さん」役に起用。
石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年〈昭和32年〉4月… 石原 伸晃(いしはら のぶてる、1957年〈昭和32年〉4月19日 - )は、日本の政治家、ジャーナリスト、コラムニスト、タレント。 衆議院議員(10期)、近未来政治研究会(石原派)会長、自民党外交調査会長代行、規制改革担当大臣(第1次小泉内閣・第1次小泉第1次改造内閣)、国土交通大臣(第3・4代)、自民党金融調査会長、衆議院法務委員長、自民党政務調査会長(第49代)、自民党幹事長(第45代)、環境大臣(第19代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災・経済財政政策)、自民党たばこ議員連盟副会長、自民党外交再生戦略会議議長、内閣官房参与(観光立国その他特命担当)、自由民主党東京都支部連合会最高顧問等を歴任。
黒田 伸(くろだ しん、1957年(昭和32年)4月14日 … 黒田 伸(くろだ しん、1957年(昭和32年)4月14日 - )は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家。 北海道教育大学非常勤講師。北海道スポーツ推進審議会委員。北広島FMメイプル・パーソナリティ。合同会社きたひろボールパークラジオ代表。NPO法人日本海外スポーツ交流協会理事、メルボルンマラソン日本事務局次長。 1957年(昭和32年)4月14日、福岡県久留米市生まれ。父親は日本統治下の台湾・花蓮港生まれのため、出身地は主として鹿児島県姶良郡湧水町としている。母親は久留米市生まれ。二人兄妹の長男。 妹は放送作家の順子。千葉大学教育学部附属中学校-千葉県立船橋高等学校-早稲田大学社会科学部卒。
大塚 智彦(おおつか ともひこ、1957年〈昭和32年〉4月… 大塚 智彦(おおつか ともひこ、1957年〈昭和32年〉4月7日 - 2023年〈令和5年〉12月25日 )は、東京都港区出身の国際ジャーナリスト。 國學院大學文学部史学科卒、米ジョージ・ワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社に入社し、長野支局、防衛庁担当、ジャカルタ支局長を歴任。産経新聞社でシンガポール支局長、防衛省担当などを経て、2014年からはPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材執筆を行った。 著書に『アジアの中の自衛隊』『民主国家への道 ジャカルタ報道2000日』など。 1985年8月の日本航空123便墜落事故、97年9月のガルーダ・インドネシア航空152便墜落事故、97年12月のシルクエアー185便墜落事故と航空機墜落事故を3度も現場で取材したことで知られる。
山口 寿一(やまぐち としかず、1957年3月4日 - )は… 山口 寿一(やまぐち としかず、1957年3月4日 - )は、日本のジャーナリスト、新聞記者、実業家。読売新聞グループ本社代表取締役社長・主筆代理、読売新聞東京本社代表取締役会長、読売巨人軍取締役オーナー、日本テレビホールディングス代表取締役取締役会議長、日本テレビ放送網取締役、読売中京FSホールディングス取締役、読売テレビ放送取締役。 東京都出身。早稲田大学高等学院26期を経て早稲田大学政治経済学部卒業後、1979年読売新聞社入社。記者職で、社会部や司法担当が長く、法務省(司法)記者クラブではキャップを務めていたこともある。 2002年に、読売新聞社が持株会社を創設してグループを再編成した際には、新設された読売新聞グループ本社法務部長に就き、同社の法務事務の責任者となった。
石川 一洋(いしかわ いちよう、1957年 - )は、日本の… 石川 一洋(いしかわ いちよう、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。NHK元記者。専門はロシア情勢。NHK解説委員を務めその担当分野は、ロシア、ユーラシア、エネルギーなど。 岩手県出身。岩手県立盛岡第一高等学校(1976年卒業)、東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業後、1982年NHK入局。 1982年から1985年に秋田放送局記者、1985年から1988年に青森放送局三沢通信部記者を経て、1988年から1992年は報道局取材センター国際部記者を務め、1992年から1996年にモスクワ支局記者、1996年から1998年に報道局国際部記者、1998年から2002年に報道局国際部デスク・日露プロジェクト統括経て、2002年から2007年にはモスクワ支局長を務めた。
青野 由利(あおの ゆり、1957年 - )は、日本の科学ジ… 青野 由利(あおの ゆり、1957年 - )は、日本の科学ジャーナリスト、新聞記者、毎日新聞社論説室専門編集委員。
杉田 弘毅(すぎた ひろき、1957年 - )は日本のジャー… 杉田 弘毅(すぎた ひろき、1957年 - )は日本のジャーナリスト。共同通信社ワシントン支局長、論説委員長を経て同社特別編集委員兼論説委員。BS朝日「日曜スクープ」アンカー、明治大学政治経済学部特任教授、星槎大学客員教授、国際新聞編集者協会(IPI)理事、公益財団法人フォーリン・プレスセンター評議員、NHKカルチャーセンター講師を兼務。2021年度日本記者クラブ賞受賞。 愛知県生まれ。東京都立上野高等学校を経て、1980年一橋大学法学部卒業、共同通信社入社。大阪社会部を経て、1989年から外信部。ソヴィエト連邦、中東移動特派員としてソビエト連邦の崩壊や湾岸戦争を取材したのち、テヘラン支局長、ニューヨーク特派員、ワシントン特派員、外信部次長、外信部副部長、ワシントン支局長を経て、2010年編集委員兼論説委員。
石山 永一郎(いしやま えいいちろう、1957年 - )は、… 石山 永一郎(いしやま えいいちろう、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。元共同通信社マニラ支局長。 慶應義塾大学文学部卒。1982年、共同通信社入社。宇都宮支局、名古屋支社編集部、外信部、マニラ支局長、ワシントン特派員、編集委員などを経て2017年に退職。17年9月から邦字紙「日刊まにら新聞」編集長を務めた後、アジア専門季刊誌「リアルアジア」編集長。 2022年11月より公益財団法人新聞通信調査会の月刊誌「メディア展望」編集長。 祖父・石山龍児は日本の俳優。父・石山陽は元福岡高検検事長。
滝田 洋一(たきた よういち、1957年 - )は、日本のジ… 滝田 洋一(たきた よういち、1957年 - )は、日本のジャーナリスト、経済評論家。日本経済新聞編集委員。名古屋外国語大学特任教授。 1957年1月、千葉県で生まれる。 1981年に慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程を修了した後、日本経済新聞社に入社。証券部、金融部、チューリヒ支局、経済部編集委員、論説副委員長、米州総局編集委員などを歴任した。 2008年に、リーマン・ショックに伴う世界金融危機の報道により、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞した。 テレビ東京では、レギュラーコメンテーターとして、複数の番組で経済解説を務めている。2024年より名古屋外国語大学現代国際学部 グローバルビジネス学科の特任教授に着任して、現代企業論などを指導している。
鍛冶 俊樹(かじ としき、1957年 - )は、日本の軍事ジ… 鍛冶 俊樹(かじ としき、1957年 - )は、日本の軍事ジャーナリスト。 広島県出身。1983年3月、埼玉大学教養学部卒業後、同年4月、航空自衛隊に入隊。主に情報通信関係の将校として11年間勤務。 1994年、一等空尉で退職後、評論活動に入る。1995年、第1回読売論壇新人賞佳作入選(「日本の安全保障の現在と未来」に対して)。2011年、メルマガ「鍛冶俊樹の軍事ジャーナル」が「メルマ!ガ・オブザ・イヤー 2011」審査員特別賞を受賞。2012年、アパグループ主催の「真の近現代史観」懸賞論文にて「文化防衛と文明の衝突」が第五回最優秀藤誠志賞の佳作として入賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
阿部 孝次(あべ こうじ、1957年 - )は、日本のジャー… 阿部 孝次(あべ こうじ、1957年 - )は、日本のジャーナリスト、翻訳家。翻訳はポルトガル語を対象とする。 大阪市西成区[要出典]に生まれる。大阪府立天王寺高等学校を経て[要出典]、東京大学教養学部を卒業する。 1982年からマドリード・コンプルテンセ大学に留学ののち、読売新聞社東京本社に入社した。読売新聞社では北海道支社、地方支局、編集局整理部、地方部などをへて、メディア局事業部に移る。その間ポルトガル語文学を翻訳する。[要出典]2012年時点では東京読売サービスに勤務していた。
小倉 清子(おぐら きよこ、1957年 - )は、日本のジャ… 小倉 清子(おぐら きよこ、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。ネパールの政治事情に詳しい。 1957年、栃木県に生まれる。1981年、東京大学農学部卒業。1993年よりネパールに在住。 1990年、偶然滞在していたネパールで民主化運動(ジャナ・アンドラン)に遭遇し、衝撃を受ける。1050人へのインタビューを基にして、その際の記録を『王国を揺るがした60日 : 1050人の証言・ネパール民主化闘争』として出版した。 また、2006年の民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)でも同様に、『ネパール王制解体 : 国王と民衆の確執が生んだマオイスト』に取りまとめた。「マオイスト」として知られるネパール共産党毛沢東主義派の本拠・ロルパ郡まで潜入し、その実態を明らかにした。
黄木 紀之(おおぎ のりゆき、1957年 - )は日本のジャ… 黄木 紀之(おおぎ のりゆき、1957年 - )は日本のジャーナリスト。NHK社会部担当部長、編成局長、NHK理事等を経て、NHK財団理事長。 愛知県出身。1981年一橋大学社会学部卒業、日本放送協会(NHK)入局。社会部記者、社会部副部長、編成計画部副部長を経て、2004年からの編成局担当部長時代には、週刊文春の記事について立花孝志に対し面接をし、録音やめろと問いかけたとされる。 2005年社会部担当部長。2007年テレビニュース部エグゼクティブ・プロデューサー。2008年おはよう日本部エグゼクティブ・プロデューサー。2009年テレビニュース部長。 2011年報道局編集主幹。2012年編成局計画管理部長。
岩田 一平(いわた いっぺい、1957年 - )は、日本のジ… 岩田 一平(いわた いっぺい、1957年 - )は、日本のジャーナリスト、編集者。 大阪生まれ。父親は風刺漫画化だった。 早稲田大学政治経済学部政治学科卒。朝日新聞記者を経て、週刊朝日副編集長、アサヒカメラ編集長、朝日新書編集長などを務め、のち、教育事業部で就活支援や作文講座にかかわる事業などに従事。 新聞社勤務のかたわら、10年以上、神保町のマスコミ就職用作文私塾「ペンの森」で就活生の作文指導をしている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
谷口 智彦(たにぐち ともひこ、1957年 - )は、日本の… 谷口 智彦(たにぐち ともひこ、1957年 - )は、日本の雑誌記者、ジャーナリスト。元内閣官房参与、元慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授。日本会議会長。 株式会社日経BP編集委員室主任編集委員、外務省外務副報道官、明治大学国際日本学部客員教授などを歴任した。 1957年、香川県高松市に生まれる。1976年に岡山県立岡山朝日高等学校を卒業。上京し、東京大学に進学した。東京大学では法学部に在籍し、1981年に卒業した。大学卒業後は日本朝鮮研究所にて研究員に就任し、1984年まで務めた。同年、東京精密の従業員となり、翌年まで勤務した。 1985年より2005年にかけて日経BPにて勤務した。
石澤 靖治(いしざわ やすはる、1957年 - )は、日本の… 石澤 靖治(いしざわ やすはる、1957年 - )は、日本の教育者、ジャーナリスト。学習院大学・教授。 山形県山形市生まれ。山形東高校を経て、立教大学社会学部社会学科卒業後、ダイヤモンド社入社。週刊ダイヤモンド記者。フルブライト留学で渡米。ハーバード大学国際問題研究所(CFIA)フェロー。同大ケネディ行政大学院修了(MPA) 、博士(政治学、明治大学)。ワシントンポスト極東総局記者、ニューズウィーク日本版副編集長などを経て、2000年より学習院女子大学助教授、2002年より同教授、2011年より同学長。2017年3月末で任期満了に伴い同学長を退任。2026年4月より学習院大学との統合により、学習院大学・国際文化交流学部教授。
城本 勝(しろもと まさる、1957年 - )は、日本のジャ… 城本 勝(しろもと まさる、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。元日本国際放送代表取締役社長。NHK解説委員室解説副委員長やNHK福岡放送局長を歴任。解説委員としての担当分野は政治。 熊本県熊本市出身。熊本県立熊本高等学校を経て一橋大学社会学部を卒業後、1982年NHKに入局し、地元九州・福岡局の記者としてキャリアをスタートさせる。大学及び入局同期に菅康弘がいる。 東京転勤後は報道局政治部記者として経世会、民主党などを担当。広島局選挙担当デスク、本部報道局政治部副部長などを務めた。 2004年から政治担当の解説委員となり、『日曜討論』や『時論公論』など、解説委員室制作の番組に出演。 2009年解説主幹。
宮崎 満教(みやざき みつのり、1956年12月8日 - 2… 宮崎 満教(みやざき みつのり、1956年12月8日 - 2014年)は、日本の実業家、出版プロデューサー、スポーツ・ジャーナリスト。別名義に荘田 健一(そうだ けんいち)がある。静岡県出身。 立教大学文学部日本文学科を卒業後、内外タイムスに入社し社会部を経て運動部記者となり、読売ジャイアンツ番を10年間担当する。 リム出版社長時代には少年時代からファンだった漫画『8マン』の完全復刻版を企画し、原作の平井和正・作画の桑田二郎を熱心に説得して雑誌連載時は桑田のアシスタントが代筆した「魔人コズマ」エピローグ編を25年ぶりに本人の手で描き起こした「完全版」として刊行され、全7巻で50万部以上を売り上げるヒットを記録した。
角南 源五(すなみ げんご、1956年〈昭和31年〉10月2… 角南 源五(すなみ げんご、1956年〈昭和31年〉10月20日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。テレビ朝日副社長、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)取締役、BS朝日取締役相談役。 岡山県出身。1979年(昭和54年)慶應義塾大学商学部卒業後、全国朝日放送(テレビ朝日)に記者として入社。 日本航空123便墜落事故、昭和天皇の容体報道、雲仙岳噴火などの現場取材で活躍。1993年(平成5年)から97年にかけてはソウル支局に赴任し、北朝鮮問題の取材報告のほか、韓国放送公社・KBSワールドラジオの日本向け放送番組「南北の窓」では、週1回レギュラー・コメンテーターを務めた。 その後、報道局ANNニュースセンター編集長、2010年(平成22年)に取締役総務局長、14年に常務、16年に吉田慎一(テレビ朝日ホールディングス社長も兼任)の後任として第15代社長に就任した。
島津 幸広(しまづ ゆきひろ、1956年10月19日 - )… 島津 幸広(しまづ ゆきひろ、1956年10月19日 - )は日本の政治家、ジャーナリスト。日本共産党所属の衆議院議員(1期)。
福島 良一(ふくしま よしかず、1956年10月3日 - )… 福島 良一(ふくしま よしかず、1956年10月3日 - )は日本のスポーツジャーナリスト、メジャーリーグアナリスト。 千葉県出身。学習院高等科、中央大学商学部卒業。大学在学中から主としてメジャーリーグの評論・取材を行っている。 高校時代、メジャーの試合を観戦したことをきっかけに造詣を深め、パシフィック・リーグ広報部長でメジャー通としても知られた伊東一雄(パンチョ伊東)に教わり、「特定の応援するチームを作らないで、大リーグ全体を楽しんでほしい」と薦められた。 1977年にはアメリカ野球愛好会を結成して代表に就任したほか、ジャーナリストとしてテレビ出演などを行う傍ら、評論・解説書を多数執筆する。メジャーリーグを専門とするジャーナリストだが、日本プロ野球もチェックしており、日本人メジャーリーガーやNPBでプレー経験のあるメジャーリーガーなど、日本人向けの情報を発信する特徴がある。
西森 マリー(にしもり まりー、1956年7月19日 - )… 西森 マリー(にしもり まりー、1956年7月19日 - )は、イギリス出身、1980 - 1990年代の日本で活躍した翻訳家、映画評論家であり、米国のジャーナリストである。本名、マリー・シェヘラザード・伊神(1986年時点)。 野生動物保護運動に取り組み、イスラム教徒でもある。菜食主義者。 父はオランダ人、母は日本人。英語、アラビア語、フランス語、日本語に堪能。 1976年にエジプトのカイロ大学へ留学(専攻は比較言語心理学)後、東京外国語大学(心理学、アラビア語専攻)卒業。1979年、フジテレビにリポーターとして入社。フジテレビ退社後は『11PM』(日本テレビ)でインタビュアーなどを務める。キャスター以外にロックの訳詞家としては、ローリング・ストーンズ、デフ・レパード、ボン・ジョヴィなどの1000枚以上のアルバムに日本語訳詞をつけた。
野村 進(のむら すすむ、1956年7月7日 - )は、日本… 野村 進(のむら すすむ、1956年7月7日 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。 東京都生まれ。東京都立国立高等学校卒業、上智大学外国語学部英語学科中退。1978年からフィリピンのマニラに2年間留学。留学中にフィリピン新人民軍に約5ヵ月間同行した体験をもとに帰国後、デビュー作『フィリピン新人民軍従軍記』を25歳で上梓し、本多勝一や佐木隆三らに絶讃された。 その後、日本人のサイパン移民の聞き書き『海の果ての祖国』(のちに大幅に加筆し『日本領サイパン島の一万日』と改題)を20代の6年間かけてまとめる。この作品は第19回大宅壮一ノンフィクション賞にノミネートされた。 羽生善治、孫正義、佐渡裕などに取材した『天才たち』のような人物論や、救命救急センターに泊り込みで取材した「ドキュメント救命救急センターの一週間」(別冊宝島83『当世死に方新事情』)をきっかけとした先端医療ルポも数多い。