木之下 晃(きのした あきら、1936年7月16日 - 20… 木之下 晃(きのした あきら、1936年7月16日 - 2015年1月12日)は、日本の写真家。日本福祉大学客員教授。 長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。1955年長野県諏訪清陵高等学校卒業。日本福祉大学社会福祉学部を卒業後、中日新聞社、博報堂に勤務し、広告写真などに携わる。音楽好きで演奏会に通ううちに、勤務地の名古屋で開催される音楽演奏会の記録撮影の仕事を得る。これをきっかけに、音楽をめぐる写真を撮影するようになる。1970年『音と人との対話 音楽家 木之下晃写真集』を自費出版。これにより、1971年日本写真協会賞新人賞を受賞。1973年、フリーランスの写真家となる。初期は主としてポピュラー音楽の演奏会を対象に、広告写真での経験を生かし、ブレやゆがみなどの効果を駆使した「音の映像化」というテーマを追求したが、80年代にはクラシック音楽を対象に、音楽家の演奏中のポートレートに取り組む。
沢田 教一(さわだ きょういち、戸籍上の表記は澤田 教一、1… 沢田 教一(さわだ きょういち、戸籍上の表記は澤田 教一、1936年〈昭和11年〉2月22日 - 1970年〈昭和45年〉10月28日)は、日本の報道写真家。ベトナム戦争を撮影した『安全への逃避』でハーグ第9回世界報道写真大賞、アメリカ海外記者クラブ賞、ピューリッツァー賞を受賞した。位階は従五位。 日本光学工業(現ニコン)は「1971年度(原文ママ)のピューリッツァー賞も、ニコンによる作品に授与された。ベトナム戦線において取材にあたったUPI通信社の沢田カメラマンの『安全への逃避』という力作である」と主張していたが、実際には日本製カメラをどんなに勧められても「日本のカメラは写りが悪い」「日本のカメラを使うと壊れちゃうんだよ」といって日本製のカメラを使いたがらなかったという。
操上 和美(くりがみ かずみ、1936年1月19日 - )は… 操上 和美(くりがみ かずみ、1936年1月19日 - )は、日本の写真家。男性。北海道富良野市出身。 広告写真以外に、井上陽水のCDジャケットやツアーパンフレットの撮影も手掛けている。 繰上和美と誤記されることが多い。
松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は… 松本 徳彦(まつもと のりひこ、1936年1月1日 - )は、日本の写真評論家、写真家。 九州産業大学芸術学部・大学院講師、東京工芸大学芸術学部講師などを務め、写真史に関する啓蒙活動、美術館の写真収集に関する協力活動などを、きわめて積極的に行うほか、写真弘社のカレンダーの制作にも協力しており(解説など)、写真家としても作品を残している。 広島県尾道市に生まれる。日本大学芸術学部写真学科卒業。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7… 内田 良平(うちだ りょうへい、1936年 - 2019年7月1日)は、おもに山岳写真を手がけた日本の写真家、著作家。 神奈川県横浜市出身。1954年に東京都立芝商業高等学校を卒業した。 1959年にベルニナ山岳会に入会し、以降、登山活動とともに山岳写真に取り組む。1970年に山岳写真家として独立し、以降は国内外各地で撮影を重ね、ネパール側のヒマラヤ山脈への取材旅行は、生涯に80回以上に及んだという。 1970年代からヒマラヤ・カメラトレッキングを組織し、1979年にはその参加者を中心に閑良屋会(ヒマラヤカイ)を結成して、以降、年1回の写真展「内田良平と閑良屋会(ヒマラヤカイ)山岳写真展「遥かなる山」」を開催し続けた。
柳沢 信(やなぎさわ しん、本名=まこと、1936年 - 2… 柳沢 信(やなぎさわ しん、本名=まこと、1936年 - 2008年6月2日)は、日本の写真家。東京都墨田区向島生まれ。神奈川県立湘南高等学校、東京写真短期大学卒業。
広田 尚敬(ひろた なおたか、1935年11月19日 - )… 広田 尚敬(ひろた なおたか、1935年11月19日 - )は日本の鉄道写真家。中央大学経済学部卒業。 東京都に生まれる。幼少時より鉄道に興味を持ち、大学卒業後、会社員を経て1960年にフリーの写真家となる。日本の鉄道雑誌・書籍のほか、米国の鉄道雑誌「Trains」でも写真を発表し、鉄道撮影において高い評価を得た。特に1970年代~80年代初めは、南正時と共に日本において最も有名な鉄道写真家であった。 当初は廣田尚敬という名を使っていたが、子供たちにも解かりやすいようにと広田尚敬に変えたという。 編成写真だけでなく、革新的な撮影技法や自作の撮影機材を用い、斬新な作品を輩出した。中でも走行中の列車の側面を車両の真横から自作のスリットカメラを使い流し撮りし、車両があたかも止まって背景が流れているかのように撮る撮影手法が特に知られており、広田はこの撮影方法を動止フォトグラフと呼んでいる。
南 良和(みなみ よしかず、1935年〈昭和10年〉10月8… 南 良和(みなみ よしかず、1935年〈昭和10年〉10月8日 - )は、日本の写真家。日本写真家協会会員。 埼玉県秩父市出身。東京綜合写真専門学校卒業。幼い頃に喘息を患い引きこもりがちだったが、父親からカメラを渡され、中学生の時から写真を初め、1955年頃から地元の子供や若者、山村風景などをテーマに撮影を続ける。その後東京で写真を学び、故郷に戻る。 自分の地域の慣習や慣習に興味を持ち、年々白黒で写真を撮り、時間の経過とともに観察する変化を注意深く観察し、追跡している。
齋藤 康一(さいとう こういち、1935年3月31日 - )… 齋藤 康一(さいとう こういち、1935年3月31日 - )は、日本の写真家。東京都品川区生まれ。 東京学芸大学附属竹早中学校、東京都立竹早高等学校卒業後、日本大学芸術学部写真学科入学。 大学在学中、写真家林忠彦の助手を19歳から務めた後、写真家秋山庄太郎の助手となった。1959年大学卒業後フリーとなった。 週刊誌・月刊誌等に数多くの人物写真および、ルポルタージュを多数掲載。 1965年、第一回日中青年大交流に日本写真家協会より参加、以後、80回中国各地を訪問、取材する。日本写真家協会名誉会員。日本写真協会監事。 1976年、第7回講談社出版文化賞をシリーズ「この人」にて受賞。1988年には日本写真協会年度賞。
高梨 豊(たかなし ゆたか、1935年2月6日 - )は、日… 高梨 豊(たかなし ゆたか、1935年2月6日 - )は、日本の写真家。東京造形大学元教授。 東京都出身。1957年、日本大学芸術学部卒業後、八木治のスタジオに就職。その後、桑沢デザイン研究所に入り、大辻清司に学ぶ、1961年、卒業。日本デザインセンターに入社。1968年には写真同人誌「プロヴォーク」に参加(1970年の活動休止まで)。1970年、日本デザインセンターを退社、フリーとなる。1980年、東京造形大学助教授、1983年、教授、2000年、客員教授。 ライカ同盟(メンバー:高梨豊、赤瀬川原平、秋山祐徳太子)家元。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
白川 義員(しらかわ よしかず、1935年〈昭和10年〉1月… 白川 義員(しらかわ よしかず、1935年〈昭和10年〉1月28日 - 2022年〈令和4年〉4月5日)は、日本の写真家。「地球再発見による人間性回復へ」をテーマに、原始の風景と聖地などを撮り続けた。 1996年から『世界百名山』撮影プロジェクトを開始する。エドモンド・ヒラリーらの各国の11名が選考委員を快諾して、この委員と「白川義員世界百名山撮影プロジェクトを支援する会」により、世界の山から110座を選んだ。これをもとに2001年(平成13年)までに、自ら127座すべてを空から撮影した。理想の被写体を求めて、日の出や日没時を含めて360度のあらゆる方向からその山を眺め航空機の窓を開けての撮影を行った。
野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 200… 野上 透(のがみ とおる、1935年〈昭和10年〉- 2002年〈平成14年〉)は、日本の写真家。本名は、根岸 秀廸(ねぎし ひでみち)。 1935年(昭和10年)、東京都台東区に生まれる。1958年(昭和33年)、日本大学芸術学部写真学科を卒業後、講談社へ入社。1964年(昭和39年)にフリーランスとなる。文士をはじめ、各界で活躍する人々の人物写真、報道写真、ルポルタージュ等を撮影。1977年(昭和52年)、第8回講談社出版文化賞を受賞。女子美術大学、NHK文化センターの講師を務める。2002年(平成14年)、死去。 作品は東京都写真美術館、JCIIフォトサロン、日本写真保存センター、日本大学芸術学部、横浜市民ギャラリーなどに収蔵されている。
榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真… 榊 晃弘(さかき てるひろ、1935年 - )は、日本の写真家。福岡県福岡市出身。
熊切 圭介(くまきり けいすけ、1934年9月24日 - 2… 熊切 圭介(くまきり けいすけ、1934年9月24日 - 2020年11月27日)は、日本の写真家。本名は奎介。 2015年〜2019年日本写真家協会会長。長男は同じく写真家の熊切大輔。 東京都下谷西町出身。1958年日本大学芸術学部写真学科卒業。丹野章に師事。報道写真を中心に、美術全集収録の写真撮影などにもたずさわる。 三重県名張市でおきた名張毒ぶどう酒事件の遺児を記録した「母なき新入生」で、1961年講談社三賞の写真賞。 のちにフリーランスの写真家として週刊誌を中心に月刊誌、グラフ誌など主にジャーナリズムの分野で活動する。同時に単行本、美術全集等の撮影を行う。写真集に「東南アジア鉄の旅」など。
金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 19… 金坂 健二(かねさか けんじ、1934年9月22日 - 1999年7月2日)は日本の映画作家、評論家、写真家。 東京都生まれ。祖父はうなぎ屋だが、父親は家業を継がず家を貸して不動産収入で遊食していた。足立区立千住小学校から旧制東京都立江北中学校に入学、学制改革を経て、1952年、東京都立江北高等学校卒業。同校在学中は美術部に籍を置き、英語が得意で、成績は学年400人中1番から2番で通していた。東京大学に落ちて1浪で早稲田大学と慶應義塾大学文学部に合格し、後者に入学、1957年、同英米文学科卒業。松竹映画国際部に社長(城戸四郎)付きの通訳として籍を置き、ハーヴァード大学の国際セミナーに参加するうちに米国のアングラ映画作家と知り合い、松竹を休職中にフルブライト基金を受けて渡米、ノースウェスタン大学に1年間留学。
藤井 秀樹(ふじい ひでき、1934年8月28日 - 201… 藤井 秀樹(ふじい ひでき、1934年8月28日 - 2010年5月3日)は、日本の写真家である。本名は秀喜(ひでき)。
吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 20… 吉田 ルイ子(よしだ ルイこ、1934年7月10日 - 2024年5月31日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。 北海道室蘭市出身。父親は鉄鋼会社の重役であり、裕福な家庭に育つ。小学校時代に同じ学校に通っていたアイヌの生徒への差別を目の当たりにしたことでジャーナリストの道を志す。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業。 NHK国際局の嘱託を経て、朝日放送にアナウンサーとして勤務。1961年、フルブライト交換留学生として渡米し、オハイオ州立大学とコロンビア大学で学び、フォトジャーナリズム専攻で1964年にコロンビア大学より修士号を取得した。 コロンビア大学在学中に、リベラルの白人男性と結婚。
深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月… 深瀬 昌久(ふかせ まさひさ、本名・よしひさ、1934年2月25日 - 2012年6月9日)は、日本の写真家。北海道中川郡美深町生まれ。写真表現を通して「私性」と「遊戯」を追求した写真家として知られる。 1908年に祖父・庸光が美深町に創設した深瀬写真館の長男として誕生したため、3代目跡継ぎとして期待された。6歳になるとプリント水洗の仕事を手伝わされ、外に遊びにいきたい気持ちをじっと我慢しながら従事したという。深瀬はのちに「私の写真への怨恨はたぶんこのころ芽生えたものであろう」と記すほどであった。日本大学芸術学部写真学科に入学するために上京し、その後は東京の広告会社である第一宣伝社に就職。これをきっかけに写真家としての道を歩むこととなり、深瀬写真館は後に弟の了暉が継ぐことになる。
菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を… 菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を中心に活動する写真家、画家、実業家。北海道江別市出身。 1952年北海道札幌工業高等学校採鉱科卒業。同年、三菱鉱業芦別鉱業所に入社。1954年に同社を退職し、画家に転向。1955年に読売日本アンデパンダン展に出展や、東京・銀座養生堂画廊で個展を開催。 北海道振興代表取締役社長久末鉄男の助力を得て、1964年にスナックバー (飲食店)の「バー・サン」を経営。さらに、シャンソンバーやパブを手掛け、1966年ドリームフード株式会社を札幌に設立し、同社代表取締役社長に就任。1970年に居酒屋「いろはにほへと」を札幌にオープンさせ、全国にチェーン店方式を採用し、「いろはにほへと」のほか「春花秋灯」「常盤うどん」などの飲食店チェーンを札幌圏を中心に出店する一方、関東、関西、東北にも進出。
早崎 治(はやさき おさむ、1933年5月7日 - 1993… 早崎 治(はやさき おさむ、1933年5月7日 - 1993年11月11日)は、日本の写真家。日本広告写真家協会元会長。 京都府京都市生まれ。立命館中学校・高等学校、立命館大学経済学部卒業。大学在学中は写真部に所属し、写真に熱中し写真雑誌への投稿を始める。卒業後、写真評論家重森弘淹の紹介で広告制作会社「ライトパブリシティ」入社。 1964年東京オリンピックの一連のポスター(1962年、1963年:亀倉雄策と共同製作)が反響を呼び、イタリアで開催されたポスター展でもグランプリを獲得。その後、「早崎スタジオ」を設立。商業広告写真を中心に幅広く活躍した。 1993年11月11日、取材中の転落事故により死去。
細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 20… 細江 英公(ほそえ えいこう、1933年3月18日 - 2024年9月16日)は、日本の写真家。勲等は旭日重光章。清里フォトアートミュージアム館長(初代)、東京工芸大学名誉教授、鎌鼬美術館名誉館長、文化功労者。本名は細江 敏廣(ほそえ としひろ)。 東京写真専門学校講師、東京写真大学短期大学部教授、社団法人日本写真家協会副会長、東京工芸大学芸術学部教授などを歴任した。 息子の細江賢治も写真家。 山形県米沢市に生れ、東京で育つ。 1951年に富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞する。翌年、19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。評論家の福島辰夫は、土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目。
白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 20… 白簱 史朗(しらはた しろう、1933年2月23日 - 2019年11月30日)は、日本の山岳写真家。ヒマラヤを始めとする世界の峰、日本国内の名峰を四季にわたって数多く撮影し、発表してきた。特にライフワークとして南アルプスの写真を多く撮影している。 日本を代表する山岳写真家として、高い評価を受けている。山岳写真のほか、風景写真などを中心に活動を続け、写真集などの刊行物を多数出版している。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watan… 渡辺 貞夫(わたなべ さだお、英語: Sadao Watanabe、1933年〈昭和8年〉2月1日 - )は、日本を代表するジャズサクソフォーン奏者、ジャズミュージシャン、作曲家、写真家である。 栃木県宇都宮市出身。 「ナベサダ」の愛称でサックス奏者・フルート奏者としてジャズ、フュージョンの分野で活動を展開。世界的な人気を誇る。 写真家としても知られ、これまで6作の写真集を出版している。 ちなみに、妹はジャズシンガーのチコ本田、弟はジャズドラマーの渡辺文男、娘に絵本作家の渡辺眞子がいる。 父親は薩摩琵琶奏者。ビング・クロスビー主演の映画「ブルースの誕生」を観て、クラリネットを始める。栃木県立宇都宮工業高等学校を卒業後、1951年に上京。
川田 喜久治(かわだ きくじ、1933年1月1日 - )は、… 川田 喜久治(かわだ きくじ、1933年1月1日 - )は、日本の写真家。茨城県土浦市出身。立教大学経済学部卒業。 1933年 1月1日、現在の茨城県土浦市で冷凍事業会社を経営する家庭に生まれる。姉1人、兄1人の3人兄弟。茨城県立土浦第一高等学校に入学。後に東京・池袋にある立教高等学校に編入。毎朝、「マタイ受難曲」など賛美歌を歌う学生生活を送った。高校卒業時に伊豆長岡温泉で遊び、芸者をモデルに撮影した作品を土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める『カメラ』に応募する(特選を獲得)。立教大学経済学部経済学科に入学し、写真部に在籍。写真部の共同制作として「池袋」のドキュメントを撮影。1955年 - 卒業後、新潮社に入社。
脇 リギオ(わき りぎお、1933年 - )は多摩美術大学教… 脇 リギオ(わき りぎお、1933年 - )は多摩美術大学教授(2004年定年退官)で、写真家。京都生まれ。 日本大学芸術学部卒業。脇色彩写真研究所(1973年設立)を主宰。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 20… 二川 幸夫(ふたがわ ゆきお、1932年11月4日 - 2013年3月5日)は、日本の建築写真家、建築批評家。 大阪市出身。1951年大阪市立都島工業高等学校建築科卒業、1956年に早稲田大学文学部を卒業。在学中、建築史教授・田辺泰の勧めで民家の撮影を開始。 1957 - 59年、美術出版社から『日本の民家』全10巻(文:伊藤ていじ)を発表。1959年、同著によって毎日出版文化賞を受賞する。 1970年、建築書籍専門の出版社「A.D.A.EDITA Tokyo」を設立。建築デザイン専門誌「GA JAPAN」などを発行した。 安藤忠雄、妹島和世、ザハ・ハディドら、建築家の才能をいち早く見い出し、紹介した。
タック牧田(タックまきた、1932年10月 - 2026年3… タック牧田(タックまきた、1932年10月 - 2026年3月30日)はワシントン州シアトル出身のスポーツ写真家。本名は牧田 隆。関西学院大学在学中はアメリカンフットボール部に所属した。大学卒業後、1961年にアメリカに留学、その後、海兵隊に入り原子力潜水艦での勤務も経て1964年にAFLのニューヨーク・ジェッツの専属フォトグラファーとなった。1974年からNFL公式カメラマンとなっている。ニュージャージー州在住。スーパーボウルを第1回から取材しており日本で行われたアメリカンボウルの際には来日を果たしている。NFLのほか、ケンタッキーダービーやインディ500なども撮影している。 関西学院大学アメリカンフットボール部でプレイし、1953・1954年と甲子園ボウルで優勝を2回経験している。
行田 哲夫(ぎょうだ てつお、1932年8月6日 - 20… 行田 哲夫(ぎょうだ てつお、1932年8月6日 - 2025年10月11日 )は日本の写真家。 長野県諏訪郡永明村(現茅野市)生まれ。長野県永明高等学校を経て、日本大学芸術学部映画学科中退。1955年学習研究社入社。社会部カメラマンから映画部に転じる。1961年退社しフリーランスとなる。
川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は… 川口 邦雄(かわぐち くにお、1932年4月15日 - )は、日本の山岳写真家。 東京府東京市(現東京都大田区)出身。1951年東京都立京橋化学高等学校卒。小学生の頃より昆虫採集や植物採集などを通じて自然と親しむ。登山は高校卒業後、同窓生を中心に山岳会を結成。1950年代より作家としてカメラ誌、山岳誌に山岳写真を発表、1964年、写真家として独立。1967年4月、日本山岳写真集団を、初のプロ写真作家集団として結成。参加作家は、三宅修(代表)、白簱史朗、山下喜一郎、小森康行、内田良平、横山宏、竹之原陽一郎、大塚大、川口の9名。日本山岳写真協会理事長。
西岡伸太(にしおか しんた、1932年 - )は、日本の写真… 西岡伸太(にしおか しんた、1932年 - )は、日本の写真家。滋賀県草津市生まれ。二科会写真部特別会員。(社)日本写真家協会会員。(社)日本広告写真家協会功労会員。シュピーゲル写真家協会名誉顧問。京都丹平会長。滋賀写真家協会顧問。草映会主宰。 1952年より山沢栄子に師事。以後、琵琶湖やその周辺の写真を撮り続ける。毎日新聞日本写真美術展文部大臣賞、第7回ブルーレーク賞、平成10年度滋賀県文化賞を受賞。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
山田 圭一(やまだ けいいち、1931年12月23日 - )… 山田 圭一(やまだ けいいち、1931年12月23日 - )は、日本の写真家、教育工学者、社会工学者。筑波大学名誉教授。 東京府出身。1954年東京大学工学部応用化学科卒。ゲッティンゲン大学、フライブルク大学に学ぶ。理学博士、64年東大工学博士。東京工業大学助教授、教授、筑波大学社会工学系教授。95年定年退官、名誉教授、電気通信大学教授。 山岳航空写真のパイオニアとして、国際航空安全学会KO3(岡部)賞、日本航空協会航空功績賞を受ける。航空保安協会評議員。航空ジャーナリスト協会会員。RCC3(第二次ロッククライミングクラブ)同人。
奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - … 奈良原 一高(ならはら いっこう、1931年11月3日 - 2020年1月19日)は、日本の写真家。 大牟田に生まれる。本姓は楢原。判事であった父親の転勤にともない日本各地を転々とし3歳から6歳までを長崎で過ごす。1950年、島根県立松江高校(現・島根県立松江北高等学校)卒業。1954年、中央大学法学部を卒業し、早稲田大学大学院芸術専攻(美術史)修士課程に入学。 前衛美術に傾倒し、1955年には、池田満寿夫、靉嘔らが結成したグループ「実在者」に参加。桜島の黒神村、長崎の端島(軍艦島)における人々の生活から鮮烈な印象を受け、両島の取材を開始。その成果を問うべく1956年5月に開催した初個展「人間の土地」が大きな反響を呼び、写真家としての道を進めた。
並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2… 並河 萬里(なみかわ ばんり、1931年10月29日 - 2006年5月7日)は、日本の写真家。並河亮の子。
井上 博道(いのうえ はくどう、1931年6月28日 - 2… 井上 博道(いのうえ はくどう、1931年6月28日 - 2012年12月12日)は、日本の写真家。産経新聞のカメラマンを経て、フリーに。大和路の世界をライフワークにしていた。
山本 善之助(やまもと ぜんのすけ、1931年(昭和6年)4… 山本 善之助(やまもと ぜんのすけ、1931年(昭和6年)4月1日 - 2001年(平成13年)10月11日)は、日本の写真家。一部文献では山本 善之介とも。 1931年(昭和6年)4月1日、当時の東京市本郷区(現・東京都文京区の一部)で、上野のアメヤ横丁の布団屋(現在のたいまる本店の場所)の七人兄姉弟の五男として生まれる。父:廣三郎、母:冨美子。 1945年(昭和20年)3月、聖橋工業高校(神田駿河台:聖橋高等工学校)を第2学年で戦時動員令にて終了中退。 1946年(昭和21年)4月、東京都立芝商業学校(旧制中学、現東京都立芝商業高等学校)を入学、1950年(昭和25年)3月卒業。 1950年(昭和25年)4月、東京都立芝商業高等学校(新制高校)第4学年編入、1952年(昭和27年)3月卒業(1年間休学)。
埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年… 埴 沙萠(はに しゃぼう、1931年2月3日 - 2016年2月23日)は、日本の植物生態写真家。40年以上植物の生態を撮り続けた。特に人生の後半は、植物が芽を出す瞬間を取り続けた。持論は足元に小宇宙がある。 1949年に「シャボテン研究家」(原文のママ)の龍膽寺雄に師事。1951年に東京農業大学に砂漠植物研究室を設置したとしている。 また、1960年には静岡県伊東市大室山のシャボテン公園の企画設計を担当し、砂漠植物研究室のコレクションを移した。 なお、同地は2016年10月22日に名称変更して「伊豆シャボテン動物公園」となっている。公園完成後に東京農業大学を辞して、山口県屋代島(周防大島)に移住。
井上 青龍(いのうえ せいりゅう、1931年 - 1988年… 井上 青龍(いのうえ せいりゅう、1931年 - 1988年8月18日)は、日本の写真家。高知県土佐市生まれ。 1951年より岩宮武二に師事。大阪・釜ヶ崎地域の写真を撮り続け、1961年に『人間百景—釜ヶ崎』で第5回日本写真批評家協会新人賞、カメラ芸術新人賞を受賞する。 1976年に大阪芸術大学芸術学部写真学科講師となり、1977年に同大学助教授、1987年に同大学教授となった。 1988年、徳之島での撮影中に波にさらわれて事故死した。享年57。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
秋山 実(あきやま みのる 1930年12月14日 - )は… 秋山 実(あきやま みのる 1930年12月14日 - )は、日本の写真家。偏光顕微鏡写真、ミクロアート等で知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月3… 一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月30日 - )は、日本の写真家。長崎市出身。
舘石 昭(たていし あきら、1930年6月11日 - 201… 舘石 昭(たていし あきら、1930年6月11日 - 2012年9月9日)は、日本の水中写真家。株式会社水中造形センター会長。 千葉県館山市出身。1958年、羽仁進監督の長編ドキュメンタリー映画『海は生きている』で水中撮影を担当するなど、水中写真・水中撮影というジャンルを開拓。1969年には日本初のスキューバダイビング専門誌である『マリンダイビング』を創刊した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
長尾 靖(ながお やすし、1930年5月20日 - 2009… 長尾 靖(ながお やすし、1930年5月20日 - 2009年5月2日)は、東京都出身の写真家。1961年に日本社会党委員長の浅沼稲次郎が刺殺される瞬間を撮影したことで、日本人として初めてピューリッツァー賞を受賞した。 1953年、千葉大学工学部工芸化学科写真映画専攻を卒業。毎日新聞社に入社。1960年10月12日、日比谷公会堂で日本社会党の浅沼稲次郎委員長が刺殺される瞬間を撮影した。カメラの最後に残っていたフィルム1枚での撮影だった(撮影の経緯は沢木耕太郎の著書『テロルの決算』に詳述されている)。これにより、1961年、日本人初のピューリッツァー賞を受賞した。同じ写真でピューリッツァー賞の他に世界報道写真大賞も受賞しており、こちらも日本人初の受賞となっている。
長谷部 宏(はせべ こう、コ―・ハセベ、1930年4月29日… 長谷部 宏(はせべ こう、コ―・ハセベ、1930年4月29日 - )は日本の写真家。本名:長谷部 欣宏(はせべ よしひろ)。 東京都出身。1960年代から1990年代まで多くの洋楽ミュージシャンを撮影。日本人カメラマンとしては初めてビートルズを1965年に撮影している。 東京都墨田区にて出生。学生時代から、写真関連の仕事をしていた姉の夫の手伝いなどをしていた。周囲の勧めもあり、東京写真専門学校(現東京工芸大学)に進学する。 1951年に東京写真専門学校を卒業。近代映画社でカメラマンを務める。上原謙や原節子、美空ひばりや坂本九といった日本映画界、音楽界を代表するスターたちや、1954年2月に訪日したマリリン・モンローを撮影する。
東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日… 東松 照明(とうまつ しょうめい、男性、1930年1月16日 - 2012年12月14日)は、日本の写真家。 戦後日本を代表する写真家の一人。ヨーロッパやアメリカでも写真展を開くなど、海外での評価も高い。愛知県名古屋市出身。 愛知県名古屋市に生まれる。1954年 - 愛知大学法経学部経済学科在学中、土門拳・木村伊兵衛が審査員を務める「カメラ(CAMERA)」の月例コンテストに応募。学内新聞に発表した「皮肉な誕生」が反響を呼ぶ。卒業後、『岩波写真文庫』のスタッフになる。 1956年 - フリーとなる。1958年 - 「地方政治家」を題材にした作品群で日本写真批評家協会新人賞受賞。 1959年 - 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立(61年解散)。
阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 200… 阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 2008年9月17日)は、ジャズ・フォトグラファー。 東京・早稲田出身。1940年に紀元2600年全国児童絵画展で文部大臣賞銀賞を受賞。 1945年に海軍兵学校に入校(78期)。この時期に米軍の英語放送を聴き、ジャズの魅力にはまる。 その後、1948年に旧制早稲田中学校卒業、1951年に旧制早稲田大学卒業。 翌1952年にはBOAC(英国海外航空会社:現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身会社)に就職。 1953年頃よりレコード・ジャケットのデザインと写真をメインに活動。また、ジャズのDJとしてラジオ番組を持つことになった。 1960年初頭からカヴァー・アートの研究のため渡米するようになり、ニューヨークを拠点に活動を始める。
田沼 武能(たぬま たけよし、1929年2月18日 - 20… 田沼 武能(たぬま たけよし、1929年2月18日 - 2022年6月1日)は、日本の写真家。文化勲章受章者。東京工芸大学名誉教授、文化功労者、一般社団法人日本写真著作権協会会長。位階勲等は従三位勲三等。 サンニュース・フォトス、サン通信社での勤務を経てフリーランスとなり、東京工芸大学芸術学部教授、社団法人日本写真家協会会長(第5代)などを歴任した。 東京府出身の写真家である。サンニュース・フォトスに入社するも、倒産にともないサン通信社に移籍し、その後フリーランスとなった。主に世界の現状、子供達の姿を撮影する。なお、『芸術新潮』やアメリカ赤十字社においては嘱託として活動し、『ライフ』では契約写真家として活動した。
斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 20… 斎藤 耕一(さいとう こういち、1929年2月3日 - 2009年11月28日)は、日本の映画監督、写真家、スチルカメラマン。 東京府八王子市に生まれる。立教大学中退後、東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)に入学する。卒業後、1949年、太泉映画(現・東映東京撮影所)にスチルカメラマンとして入社し、今井正の『ひめゆりの塔』で「キネマ旬報スチールコンテスト」で1位入賞する。 1954年、日活に引き抜かれ、中平康、今村昌平、市川崑など多くの作品のスチルを担当した。その他には中平康の『月曜日のユカ』などの脚本も手がけている。 しかし次第に自身のイメージと作品とのあまりのずれに失望し、1967年、私財を投じて「斎藤プロダクション」を設立する。
薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 -… 薬師川 虹一(やくしがわ こういち、1929年1月30日 - )は、日本の英文学者、詩人、写真家。同志社大学名誉教授。 英国初期ロマン派が専門。詩誌『Ravine』編集・発行同人。日本現代詩人会、日本詩人クラブ、日本翻訳家協会、日本写真協会、日本バイロン協会、関西詩人協会、京都現代詩協議会、京都写真芸術家協会、京都市芸術文化協会に所属。 京都市生まれ。1952年同志社大学文学部英文科卒、1954年同大学院修士課程修了。立命館大学専任講師、助教授、教授、同志社大学文学部教授、1999年名誉教授、東海学園大学経営学部教授。 1997年京都市芸術文化協会賞受賞。2010年瑞宝中綬章受章。
岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1… 岡村 昭彦(おかむら あきひこ、1929年〈昭和4年〉1月1日 - 1985年〈昭和60年〉3月24日)は、日本の写真家、ジャーナリスト。ベトナム戦争を撮影した報道写真で知られる。 東京府出身。大日本帝国海軍参謀の岡村於菟彦の長男として生まれる。父方の曾祖父に明治天皇侍従の堤正誼、父方の祖父に大審院判事・弁護士・中央大学学長の岡村輝彦がおり、母方の曾祖父に日本赤十字社創設者で伯爵の佐野常民、母方の祖父に海軍少将で子爵の田村丕顕がいる。父のいとこに二・二六事件判決後に後追い自殺した海軍少佐堤正之、伯父(父の姉の夫)に医学者緒方知三郎、弟に、後の俳優岡村春彦がいる。 学習院初等科から学習院中等科に進むが退学。
高田 誠三(たかだ せいぞう、1928年10月14日 - 2… 高田 誠三(たかだ せいぞう、1928年10月14日 - 2010年10月2日)は、日本の写真家。 大阪芸術大学写真学科教授、全日本写真連盟理事、日本写真家協会会員、朝日カルチャーセンター講師などを歴任した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。 この項目は、カメラに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:写真/PJ:カメラ)。
村井 修(むらい おさむ 1928年(昭和3年)9月27日 … 村井 修(むらい おさむ 1928年(昭和3年)9月27日 - 2016年(平成28年)10月23日)は日本の写真家。 愛知県半田市出身。愛知県立第七中学校(現・愛知県立半田高等学校)を経て、1950年東京写真工業専門学校(現・東京工芸大学)を卒業。 建築や彫刻を被写体とした写真家活動を始め、東京で独立。小田仁二郎、瀬戸内晴美(寂聴)らによる同人誌「Z」の表紙(写真)を担当する。新旧東京都庁舎ほか一連の丹下健三の建築、白井晟一の作品など数多くの建築物を撮影し、1980年代には数年間に及ぶ京都迎賓館の撮影を手掛けた。シドニー・オペラハウス、関西国際空港、中部国際空港、東京駅などの写真を撮影・発表している。