福田 己津央(ふくだ みつお、1960年10月28日 - )… 福田 己津央(ふくだ みつお、1960年10月28日 - )は、日本のアニメ監督、脚本家、演出家。かつては福田 満夫およびふくだ みつお名義で活動していた。栃木県出身。 早稲田高等学校出身。在学中は漫画研究会に所属。高校卒業後、1979年に日本サンライズ(現・バンダイナムコフィルムワークス)に19歳で入社。 OVA『新世紀GPXサイバーフォーミュラSAGA』において、家庭内での仕事についての話し相手だった妻の両澤千晶を脚本家に抜擢し、以降は自らの監督作品でほぼ一括してシリーズ構成を両澤に任せている(両澤の脚本の仕事も記録にあるものでは、夫の福田が監督した作品にほぼ限られている)。 主な作品はテレビアニメ『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』『GEAR戦士電童』『機動戦士ガンダムSEED』シリーズなど。
久松 真一(ひさまつ しんいち、1960年10月23日 - … 久松 真一(ひさまつ しんいち、1960年10月23日 - ) は日本の脚本家、劇作家、演出家。 福岡県北九州市八幡東区出身。天理大学外国語学部フランス学科卒業後、天理教道友社出版部に勤務。1987年より2年間、富良野塾にて脚本家倉本聰に師事する。第五期生。 1991年、日本テレビの連続ドラマ『助教授一色麗子 法医学教室の女』(主演篠ひろ子)の最終回を執筆してデビュー。2004年、NHKのドラマ『玄海〜わたしの海へ〜』で、放送文化基金賞テレビドラマ部門本賞を受賞。2011年、WOWOWのドラマ『再生巨流』で、ATP賞テレビグランプリ2011、ドラマ部門優秀賞を受賞。同年、渡哲也、渡瀬恒彦の兄弟が40年ぶりに共演した話題のドラマ、ドラマ特別企画2011『帰郷』(TBS)を執筆。
奥田 圭(おくだ けい、1960年9月27日 - )は、熊本… 奥田 圭(おくだ けい、1960年9月27日 - )は、熊本県を拠点に活動する演出家・ディスクジョッキー。本名:鳴瀬 公治(なるせ こうじ)。 熊本市出身。有限会社NEVER LAND代表取締役。天秤座。
山内 勉(やまうち つとむ、1960年9月21日 - )は、… 山内 勉(やまうち つとむ、1960年9月21日 - )は、日本の俳優、声優、脚本家、演出家。大阪府堺市出身。身長160 cm、体重78 kg。大阪市立大学経済学部卒業。ブロードウェイ・バウンズ所属兼社長。以前はMC企画、プロダクション・タンクに所属していた。“創造集団”生活向上委員会主宰。俳優としては山内 ツトム名義で活動している。 *医龍 Team Medical Dragon この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
大竹野 正典(おおたけの まさのり、1960年〈昭和35年〉… 大竹野 正典(おおたけの まさのり、1960年〈昭和35年〉9月17日 - 2009年〈平成21年〉7月19日)は日本の劇作家、演出家。本業は会社員。 「演(や)りたい時が演(や)り時よ」を合言葉に精力的に数々の舞台作品を執筆、上演。2009年7月19日に不慮の事故に遭い死去。享年49歳。 生涯、自ら戯曲賞に応募したことは無く、他人の手による応募も全部を通して計4回のみ。その理由として「社会で普通に仕事をする目線が無くなると、僕は台本をかけない」という返事がいつも返ってきた。(妻・後藤小寿枝 談)大竹野の作品を敬愛する者は多く、没後もあらゆる団体、劇団によって遺した作品が上演されている。 大阪府大阪市で生まれる。
えんどう てつや(1960年9月7日 - )は、日本の男性ア… えんどう てつや(1960年9月7日 - )は、日本の男性アニメ監督、演出家、脚本家、アニメーター、音響監督。旧名は遠藤 徹哉(読みは同じ)。フリー。日本映画監督協会会員。
今野 徹(こんの とおる、1960年9月2日 - 2017年… 今野 徹(こんの とおる、1960年9月2日 - 2017年12月5日)は、日本のテレビ番組の演出家、プロデューサーである。北海道函館市出身。上智大学卒業後、株式会社イースト(後のイースト・エンタテインメント)に入社。落語関係の番組を多数担当。都民寄席実行委員などを務め、浅草演芸ホール8月下席「禁演落語の会」の解説で高座にも上がっている。落語家との親交も深く、結婚式の司会のひとりは、当時二ツ目だった柳家三太楼(現・三遊亭遊雀)だった。 落語研究会は白井良幹から引き継いで1998年から20年近くプロデューサーを務めた。出演者と演目決め、本番の進行からテレビ番組の編集までほとんど一人でやっていた。 2012年には、居住地町田市で鶴川落語会を立ち上げる。
樫田 正剛(かしだ しょうご、1960年8月15日 - )は… 樫田 正剛(かしだ しょうご、1960年8月15日 - )は、日本の演出家、脚本家、漫画原作者。作詞家。LDH JAPAN所属。北海道苫小牧市出身。 大学時代からバラエティ番組の構成作家を担当。その後、雑誌ライター、ラジオ、テレビの番組放送作家を経て脚本家となる。テレビドラマ脚本家としてのデビュー作は、1991年の世にも奇妙な物語『パパは犯罪者』。1993年10月に旗揚げした「劇団方南ぐみ」と「編集プロダクション 方南ぐみ」を主宰している。漫画原作者としてのデビュー作は、1994年の『始末屋事件簿』(集英社)。フリージャーナリストの樫田秀樹は兄。
雨宮 秀彦(あめみや ひでひこ、1960年(昭和35年)6月… 雨宮 秀彦(あめみや ひでひこ、1960年(昭和35年)6月25日 - )は、日本のテレビ演出家、テレビディレクターでWEBディレクター。日本テレビ放送網情報・制作局エグゼクティブディレクターを務めた。 裏ワザ動画を配信するYouTubeチャンネル「裏ワザ倶楽部」代表。クリエイター養成スクール「雨宮秀彦 動画クリエイタースクール」代表。読売理工医療福祉専門学校TVディレクター学科非常勤講師。東京2020公式ライブ配信番組『2020 FAN TV』総合演出。三宅健YouTubeチャンネル「健ちゃんの食卓」企画、演出、出演。 1983年、日本テレビ(現・日本テレビホールディングス)に入社。『11PM』『アメリカ横断ウルトラクイズ』『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』などのディレクターを経て、1994年に『嗚呼!バラ色の珍生!!』、1997年に『伊東家の食卓』を企画・演出。
中島 陽典(なかじま ようすけ、1960年6月23日 - )… 中島 陽典(なかじま ようすけ、1960年6月23日 - )は、日本の俳優、演出家である。ケイセブン中村屋所属。
はせ ひろいち(1960年6月22日 - )は、日本の劇作家… はせ ひろいち(1960年6月22日 - )は、日本の劇作家、演出家。岐阜県岐阜市生まれ。劇団ジャブジャブサーキット代表。 1960年、岐阜市に生まれる。岐阜大学卒業後、1984年に劇団ジャブジャブサーキット結成。1989年、地元新聞社退社を期に作・演出に専念。以降、劇団代表。書き下ろし戯曲は110本を越す。観客との想像力共有を計った戯曲と、会話劇にセリフ外の関係性構築を要求する演出論を武器に、演劇に残されたリアリティーを追求する。拠点にアトリエを構えた地域ならではの繊細な芝居作りが信条。90年代に全国的に同時多発した「静かな演劇」の一角を担いつつ、独自の物語性と題材の柔軟さが評価され、その新しい進化型として注目を集める。
稲田 博(いなだ ひろし、1960年6月12日 - )は、俳… 稲田 博(いなだ ひろし、1960年6月12日 - )は、俳優、脚本家、演出家。劇団イナダ組代表。「イナダ」名義でも活動する。北海道函館市出身。北海高等学校、北海道東海大学(現・東海大学)芸術学部情報デザイン学科卒業。東海大学(北海道・旭川キャンパス芸術工学部)と北海道浅井学園大学(現・北翔大学)生涯学習システム学部・芸術メディア学科・舞台芸術コース非常勤講師。 大学時代に1学年上の先輩に誘われ、演劇を始める。北海道東海大学時代は演劇部「えびぞった」の部長。1988年からは自身のプロデュース公演を行い、活動。1990年、現在CREATIVE OFFICE CUEの会長である鈴井貴之と意気投合し、鈴井主宰として、劇団「OOPARTS」を立ち上げる。
石原 慎一(いしはら しんいち、1960年5月26日 - )… 石原 慎一(いしはら しんいち、1960年5月26日 - )は、日本の男性歌手、俳優、声優、ナレーター、作曲家、演出家。山梨県甲府市出身。血液型はA型。愛称は「慎ちゃん」など。 幼い頃より、キーボードなどの音楽教育を受ける。大学2年在学中から片桐和子、山口英治にヴォーカルを師事し、本格的に歌のレッスンを始める。大学卒業後、1983年に東京ディズニーランドのスモールワールド・ステージ「キッズ・オブ・ザ・キングダム」のプリンス役でデビュー。翌年1984年、ディズニーから離れ、「超電子バイオマン」のカバーをソニーからリリースし歌手デビュー。その後、アメリカ遊学等を経て、1985年より千葉繁が主宰の劇団バーストマンに参加(2000年に解散)。
瀬々 敬久(ぜぜ たかひさ、1960年5月24日 - )は、… 瀬々 敬久(ぜぜ たかひさ、1960年5月24日 - )は、日本の映画監督、脚本家、演出家、俳優。 1960年5月24日、大分県真玉町(現:豊後高田市)に生まれる。 大分県立高田高等学校時代に数合わせで入部させられた物理部にたまたまビデオカメラが備えてあったために、自主制作映画を撮り始める。当時は大林宣彦、大森一樹、石井岳龍など学生の自主映画からすぐにデビューする映画監督が登場し、テレビや雑誌で多く紹介されていたことで影響を受けたという。大阪での予備校生活を経て京都大学文学部哲学科に入学後、映画部に入部。満25歳を迎える1985年、16mm映画『ギャングよ、向こうは晴れているか』を自主製作、監督する。
天野 天街(あまの てんがい、1960年5月20日 - 20… 天野 天街(あまの てんがい、1960年5月20日 - 2024年7月7日)は、日本の劇作家、演出家。 愛知県一宮市出身。愛知学院大学文学部史学科中退。 1982年、劇団少年王者舘旗揚げ、主宰。名古屋を拠点に演劇活動を行う。 1997年、名古屋市芸術奨励賞受賞。1998年より、KUDAN Project始動。2000年、「くだんの件」で岸田國士戯曲賞候補。 漫画家・つげ義春の作品「必殺するめ固め」の映画化(脚本・監督)を進めていることを公表。絵コンテも公表している(「コミックボックス別冊VOL.7」、04年)が、多忙の為中断している。 2024年7月7日に肺がんのため死去。64歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
相原 一夫(あいはら かずお、本名:相原 幸典(あいはら ゆ… 相原 一夫(あいはら かずお、本名:相原 幸典(あいはら ゆきのり)、1960年5月13日 - )は、日本の俳優・脚本家・演出家・大学教授。 中央大学法学部法律学科を4年で中退する。劇団樹間舎第1期生であり、主に文学座退団後の木村光一主宰「地人会」の舞台に出演する。 ニューヨークに留学後、独自の演劇メソッドを展開して、現在はエイベックス・アーティストアカデミー東京校アクター講師を務める。 数々のアーティストや俳優を育てる。主な教え子にエイベックス系で、AAA(西島隆弘・宇野実彩子・浦田直也・日高光啓・與真司郎・末吉秀太・伊藤千晃)、若槻千夏、東原亜希、高山都、大石参月、Dream(現 E-girlsKana、Erie、Aya、Ami、Shizuka)、高杉さと美、元dreamの長谷部優、橘佳奈、青山玲子、湊あかね、丸高愛実、Dream5(重本ことり)、その他、ホリプロのタレントスカウトキャラバンも何度かアクタートレーナーとして参加し、グランプリの友利恵、中別府葵、安田聖愛を教えていた。
森岡 利行(もりおか としゆき、1960年4月1日 - )は… 森岡 利行(もりおか としゆき、1960年4月1日 - )は、日本の脚本家・映画監督・演出家。 大阪府八尾市出身。20代の頃は舞台俳優として、状況劇場、ブリキの自発団、劇団離風霊船といった劇団を転々とした。1993年に劇団「ストレイドッグ」を結成する。1995年に「新・悲しきヒットマン」で脚本を書き、2000年に「クラヤミノレクイエム」で映画を監督し、2004年に映画化企画『路地裏の優しい猫』が第3回日本映画エンジェル大賞を受賞したのちに映画化されて、2008年に「子猫の涙」として公開された。第20回東京国際映画祭「日本映画 ある視点」部門で特別賞を受賞した。現在は脚本、映画監督、舞台演出などの活動が主である。
佐藤 順一(さとう じゅんいち、1960年3月11日 - )… 佐藤 順一(さとう じゅんいち、1960年3月11日 - )は、日本のアニメーション監督、演出家。東映動画出身。フリーを経て2000年にハルフィルムメーカー取締役に就任し、吸収合併でTYOアニメーションズとなった後も2016年まで所属。2017年よりツインエンジン所属。 別名義として「甚目 喜一」「天上 はじめ」「ミソト ハジメ」「星野 らんちゅう」「ひかわ さくら」などがある。 愛称はサトジュン、さとし、ジュミスなど。妻は多くの佐藤作品で選曲など音響関係の仕事を務めている佐藤恭野(旧姓渡辺)。 『美少女戦士セーラームーン』『おジャ魔女どれみ』『ケロロ軍曹』などの長期放映された人気作品の第1シリーズを立ち上げたヒットメーカー。
大日 琳太郎(だいにち りんたろう、1960年3月10日 -… 大日 琳太郎(だいにち りんたろう、1960年3月10日 - )は、日本の劇作家、演出家、作曲家、俳優。ふるさとの物語制作委員会の芸術監督。宮城県芸術協会会員。 宮城県仙台市出身。本名は針生登志雄(はりうとしお)。父貞一、母貴美子の次男として生まれた。仙台市立若林小学校、仙台市立八軒中学校、宮城県仙台第一高等学校、東北大学経済学部卒業。 東北大学入学後、作曲を佐藤真に師事。ピアノを松浜恵子、杉山哲雄に師事。楽典を鶴岡たみ子に師事する。大学卒業後上京し、1988年第12回神奈川芸術祭作曲コンクール入選。その後、20年にわたり東京で俳優として活躍しながら、能の謡曲と仕舞を古川充 (観世流九皐会)に師事、義太夫教室にも通い、近松門左衛門や真山青果、三島由紀夫らに私淑し多くの戯曲を執筆、また演出した。
河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )… 河森 正治(かわもり しょうじ、1960年2月20日 - )は、日本のメカニックデザイナー、アニメーション監督・演出家。富山県東礪波郡平村(現南砺市)生まれ。株式会社Vector Vision所属、株式会社サテライト特別顧問。 監督としての代表作は「マクロスシリーズ」「アクエリオンシリーズ」など。おもなメカニックデザインとしては「マクロスシリーズ」の可変戦闘機(バルキリー)や、「新世紀GPXサイバーフォーミュラシリーズ」のサイバーフォーミュラ、「エウレカセブンシリーズ」のLFO、ゲーム「アーマード・コアシリーズ」のアーマード・コアなどがある。 1980年代初頭のアニメブーム期に、アニメファン世代の大学生デザイナーとして頭角を現す。
加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作… 加納 幸和(、1960年1月25日 - )は日本の俳優、劇作家、脚本家、演出家。劇団「花組芝居」主宰。お笑いタレント、喜劇俳優、講談師の森田展義とは親同士がいとこのため、はとこである。その他の親戚に俳優、声優の森田順平、俳優の森田浩平、俳優の森田晋平がいる。 兵庫県尼崎市出身。日本大学芸術学部演劇学科卒業。大学の卒業論文「『櫻姫東文章』の再生と可能性」で芸術学会賞を受賞。 1984年10月、演劇プロデュース団体「加納幸和事務所」を設立。1987年、劇団「花組芝居」に改名。同年4月1日、『ザ・隅田川』公演で旗揚げ。 花組芝居の全作品の脚本、演出を手掛け、主に歌舞伎をモチーフにした作品が多い。 俳優、雑誌のコラム連載、専門学校の講師としても活動している。
いのうえ ひでのり(本名:猪上 秀徳、1960年1月24日 … いのうえ ひでのり(本名:猪上 秀徳、1960年1月24日 - )は、日本の演出家、劇作家。劇団☆新感線主宰。 福岡県出身。福岡大学附属大濠高等学校卒業後、大阪芸術大学芸術学部舞台芸術学科に入学。大学在学中の1980年に劇団☆新感線を結成(初の公演は『熱海殺人事件』)。旗揚げ当初は役者も兼ねていたが、1995年からは演出に専念している。 演出家としてはハードロックやヘヴィメタルを大音量で頻繁に使用し、ライブコンサート並みの派手な照明を駆使するのが特徴。特に歴史や神話をモチーフとした作品はいのうえ歌舞伎と呼ばれ、演劇ファンのみならず音楽ファンも巻き込んだ爆発的な観客動員数を誇る。劇団の本公演以外にもホリプロやジャニーズ事務所、松竹など大手芸能事務所と手を組み、数々の公演を手掛けている。
初山恭洋(はつやま やすひろ、1960年 - )はテレビドラ… 初山恭洋(はつやま やすひろ、1960年 - )はテレビドラマ演出家、映画監督。 北海道出身。北海道倶知安高等学校時代はテニス部所属。深町幸男監督に師事。数多くの地上波ドラマの監督、助監督を務めている。
北林佐和子(きたばやしさわこ、1960年 - )は、大阪府出… 北林佐和子(きたばやしさわこ、1960年 - )は、大阪府出身の脚本・演出家。 大阪府立高津高等学校を経て追手門学院大学東洋文化学科卒業。日本の伝統芸能を近代の新しい感性でアレンジできる数少ない脚本・演出家との評価がある。
川村 毅(かわむら たけし、1959年12月22日 - )は… 川村 毅(かわむら たけし、1959年12月22日 - )は、日本の劇作家、演出家。 東京都生まれ、横浜育ち。神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒。明治大学政治経済学部在学中、1980年に劇団第三エロチカを結成、1986年には「新宿八犬伝 第一部」で第30回岸田國士戯曲賞を受賞。1991年に映画「ラスト・フランケンシュタイン」の監督を務め、2002年に自作戯曲上演プロデュースカンパニー「T factory(ティーファクトリー)」を創立。『せりふの時代』編集委員。小説も書いたことがある。2013年、『4 four』で第16回鶴屋南北戯曲賞、芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
小林 宏史(こばやし ひろし、1959年12月21日 - )… 小林 宏史(こばやし ひろし、1959年12月21日 - )は、日本の俳優・演出家。東京都練馬区出身。本名、小林 宏史(こばやし ひろふみ)。 演劇集団 円出身。1982年ごろから俳優として活動。映画『鏡の中の悦楽』でデビュー。デビューから数年は日本テレビ系のドラマに出演することが多かった。
小林 公一(こばやし こういち、1959年12月13日 - … 小林 公一(こばやし こういち、1959年12月13日 - )は、日本の演劇プロデューサー、演出家。宝塚歌劇団元理事長、宝塚音楽学校元校長。阪急電鉄常任監査役。大阪府池田市生まれ。 宝塚音楽学校校長および阪急電鉄名誉顧問で元社長・会長の小林公平の長男、松岡辰郎の外孫。母方の祖父(母の小林喜美にとっては叔父→養父)は同じく元社長の小林米三(辰郎の弟)。曾祖父は阪急阪神東宝グループおよび宝塚歌劇団の創立者である小林一三である。叔父は松岡功(母の弟)、松岡修造は従弟にあたる。サントリー相談役・鳥井信一郎は従父(母のいとこ)にあたる。父方の伯父には三菱商事会長を務めた三村庸平、阪急不動産副社長を務めた三村亮平がいる。
内藤 裕敬(ないとう ひろのり、1959年12月4日 - )… 内藤 裕敬(ないとう ひろのり、1959年12月4日 - )は、栃木県出身の劇作家・演出家・俳優。劇団「南河内万歳一座」座長、大阪芸術大学舞台芸術学科教授。 大阪芸術大学舞台芸術学科卒業。秋浜悟史教授(劇作家・演出家)に師事。 大学在学中の1980年、劇団「南河内万歳一座」を旗揚げ。『蛇姫様』(作・唐十郎)を自身の演出で上演する。以降、同劇団の全作品の作・演出を手がける。大阪を活動拠点とし、年2回の2都市公演(東京・大阪)を基本に活動中。海外へは特にアジアに目を向け、韓国公演(1987、88年)中国公演(1995年)を実施。現代的演劇の基礎を土台とし、常に現代を俯瞰した作品には定評がある。劇団外での作・演出も多く、俳優としても唐組・兵庫県立ピッコロ劇団等客演多数。
今関 あきよし(いまぜき あきよし 、本名:今関 明好(読み… 今関 あきよし(いまぜき あきよし 、本名:今関 明好(読み同じ)、1959年11月19日 - )は、日本の映画監督、演出家。東京都出身。日本大学豊山高等学校卒業、日本大学経済学部中退。 学生時代の1975年頃から自主制作により8ミリ映画の製作を開始し、1979年に三留まゆみ主演の自主映画『ORANGING'79』がオフシアター・フィルムフェスティバル'79(のちのぴあフィルムフェスティバル)で大林宣彦の推薦により入選。1982年には文芸坐を中心とする自主映画プロジェクトマインド・ウェーブ・シネマに参加し、『フルーツ・バスケット』『MILK○MILK』を発表する。 1983年に富田靖子主演の劇場映画『アイコ十六歳』で商業映画デビュー。
マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・… マキノ ノゾミ(1959年9月29日 - )は、日本の俳優・劇作家・脚本家・演出家である。劇団M.O.Pを主宰するとともに、オフィス・マキノに所属している。本名は牧野 望。 静岡県浜松市出身[リンク切れ]。浜松日体高等学校、同志社大学文学部卒業。 1984年、劇団M.O.Pを結成。同年つかこうへい作『熱海殺人事件』公演で旗揚げ。以後、役者として舞台に立つ傍ら演出もこなしている。近年は脚本家としての活動が多く、外部の舞台へも作・演出と幅広く活動する。 2002年後期のNHK連続テレビ小説『まんてん』の脚本を担当したことで広くその名を知られるようになった。 妻は劇団M.O.P.に所属した女優のキムラ緑子。
工藤統太郎(くどうとうたろう 1959年9月20日-)は、日… 工藤統太郎(くどうとうたろう 1959年9月20日-)は、日本の舞台演出家、TVディレクター、イベントプロデューサー。北海道出身。アクターズスタジオを設立。アメリカのミレニアムダンスコンプレックスの日本法人元代表。中華人民共和国ミスユニバース名誉顧問。株式会社JAIP代表取締役。ジャイプトーキョー、バッケンレコード、ロックスターレコード、ギャングスターレコード、ロックスター音楽出版&ディベロップメント、外国人就労支援センター、ADMアランディーノマーケティングリサーチ社、各社代表。血液型B型。 北海道室蘭市の地方紙室蘭民報社に勤める両親の長男として生誕。4歳から音楽教室、7歳からピアノを習う。 後に母親が飲食店の多店舗経営に乗り出し一時期家は裕福であったようだ。
吉田 正樹(よしだ まさき、1959年〈昭和34年〉8月13… 吉田 正樹(よしだ まさき、1959年〈昭和34年〉8月13日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家。吉田正樹事務所代表取締役。ワタナベエンターテインメント代表取締役会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校、東京大学法学部卒業。東大法学部の同期には元M&Aコンサルティング代表の村上世彰や自由民主党所属の衆議院議員である林芳正などがいる。 フジテレビにて在職中はゼネラルプロデューサー、編成制作局バラエティ制作センター部長、第二編成部企画担当部長、バラエティ制作センターライン部長等を歴任し、SBIホールディングスインキュベーション部ライン部長待遇を兼務した。3代目いいとも青年隊(スタッフ隊)のメンバーでもあった。
五世 野村 万之丞(のむら まんのじょう、1959年〈昭和3… 五世 野村 万之丞(のむら まんのじょう、1959年〈昭和34年〉8月9日 - 2004年〈平成16年〉6月10日)は、日本の狂言方和泉流能楽師・俳優・演出家(総合プロデューサー)、野村万蔵家8代目当主(1995年 - 2004年)、萬狂言初代代表、NPO法人ACT.JT初代理事長、能楽協会理事、重要無形文化財(総合認定)保持者。本名:野村 耕介(のむら こうすけ)。東京都豊島区出身。 弟に九世野村万蔵(二世与十郎)。長男は野村太一郎。甥に 六世野村万之丞、野村拳之介、野村眞之介がいる(いずれも弟・九世万蔵の子)。本名は野村 耕介(のむら こうすけ)。 死後の2005年に「八世 野村 万蔵」を追贈されている。
谷口 誠治(たにぐち せいじ、1959年〈昭和34年〉7月1… 谷口 誠治(たにぐち せいじ、1959年〈昭和34年〉7月10日 - )は、実業家、演出家、芸能プロモーター。フォーチュンエンターテイメント代表取締役社長。 大阪府吹田市生まれ。血液型はA型。公務員から芸能界に転身しミュージカル世界ツアーに出演。日本に戻り数々のショー演出を手掛け、その後芸能プロダクション設立。菅野美穂をはじめとし要潤らを発掘育成マネージメント。 芸能プロ設立のきっかけは大阪の大学に通っていた時にローラースケートブームが起こり知人のスケート場をプロデュースしてヒットさせたこと。ローラースケートリンク3ヵ所をオープン。マネージメントをする傍ら、プロスケーターとしてテレビやイベントに出演。
平岡 紀子(ひらおか のりこ、1959年(昭和34年)6月2… 平岡 紀子(ひらおか のりこ、1959年(昭和34年)6月2日 - )は、日本の演出家。父は三島由紀夫。母は平岡瑤子。結婚後は、冨田紀子となった。三島没後20年に、三島の戯曲『葵上』『弱法師』の演出を手がけ、母親の死後は、弟・威一郎と共に三島の著作権保護に努めた。 1959年(昭和34年)6月2日、父・三島由紀夫(本名:平岡公威)と母・瑤子(旧姓:杉山)の長女として誕生。19時頃、虎の門病院に駆けつけた三島は、新生児室のガラス越しに初めての我が子を見る。6月8日のお七夜で「紀子」と命名された。三島はもともと「尹」と名付けたかったが、当用漢字にないので諦め、その代わりに後に書かれる小説『宴のあと』(1960年)の登場人物に沢村尹と名付けたとされる。
倉本 美津留(くらもと みつる、1959年〈昭和34年〉6月… 倉本 美津留(くらもと みつる、1959年〈昭和34年〉6月2日 - )は、日本の放送作家・ソングライター・脚本家・演出家。その他に、ラジオパーソナリティ・音楽家としても活動。 広島市生まれ、大阪府育ち。 大阪府立交野高等学校、京都産業大学卒業。元来は音楽家志望で、フォーライフ・レコードの新人オーディションに応募した。一歳年上の合格者・原田真二にショックを受け、音楽は諦めたという。1982年に大阪の番組制作会社に入社。『夜はクネクネ』で放送作家デビュー。主に関西の番組を中心に活動していたが、いわゆるベタな「大阪の笑い」のあり方に疑問を抱き、『EXテレビ(火曜日)』などで様々な実験的企画を手掛け、頭角を現すと共に、後述のダウンタウンや島田紳助らが東京でのレギュラー番組を増やすに伴い、1990年代中期、活動の場を東京に移す。
川本 勇(かわもと ゆう、1959年4月25日 - )は、滋… 川本 勇(かわもと ゆう、1959年4月25日 - )は、滋賀県を中心に活動するプロデューサー、音楽家、タレント、演出家、企業経営者。愛称は“ミスターびわ湖”勇(ゆう)さん。 『滋賀を盛り上げろ! びわ湖を守れ! ロックせよ! 』をコンセプトにした人気 テレビ番組「勇さんのびわ湖カンパニー」(BBCびわ湖放送)のプロデューサー、メインパーソナリティとして出演、2021年9月に放送1000回を迎えた。 他の出演番組は、YouTube生配信番組「びわモニ」、KBS京都テレビ「勇さんのびわ湖バイタル研究所」、KBS京都ラジオ「勇さんのカタリズム」、BBCびわ湖放送・あいコムこうか「勇さんのあいコムランド」などなど。
佐藤 東弥(さとう とうや、1959年4月11日 - )は、… 佐藤 東弥(さとう とうや、1959年4月11日 - )は、日本のテレビドラマディレクター、演出家。日本テレビ放送網ゼネラルディレクター。 日本テレビが制作する映画では、映画監督も務める。 父は映画監督の佐藤純彌、祖父は日本刀学者の佐藤貫一。伯父に言語学者で東京大学名誉教授の佐藤純一、従弟に法学者の佐藤信行がいる。 東京都北多摩郡田無町(後に市制施行し田無市、現・西東京市)出身。早稲田大学第一文学部ロシア文学専修卒業後、1983年に日本テレビ入社。 入社以来テレビドラマの演出を担当しており、主な代表作に『金田一少年の事件簿』、『ごくせん』、『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』、『14才の母』、『ハケンの品格』、『家政婦のミタ』『神はサイコロを振らない』などがある。
東野 博昭(ひがしの ひろあき、1959年3月7日 - )は… 東野 博昭(ひがしの ひろあき、1959年3月7日 - )は、日本の放送作家、演出家。愛称「がっしゃん」。 大阪府門真市出身。関西学院大学文学部卒業。高校の同級生北野誠とともにアマチュアコンビ「まこと&がっしゃん」を結成し、「お笑いスター誕生!!」(日本テレビ)に出演する。3週勝ち抜き実力派コンビであったが1年でコンビ解消。その後北野は大学卒業後松竹芸能に所属しタレントデビュー、東野は大学卒業後一度は中学校の社会科講師をするも赴任先の学校が荒れていたこともあってか、笑いの仕事を捨てきれず半年後、放送作家に転向する。 構成作家ちろりんとして活躍し、現在はテレビプロデューサーで毎日放送制作局次長の浜田尊弘とは関学時代からの友人である。
飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、… 飯田 譲治(いいだ じょうじ、1959年3月1日 - )は、日本の映画監督、脚本家、テレビドラマの演出家。小説家。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、明治大学中退。自主映画出身の映画監督。1980年、8ミリ映画『休憩』でぴあフィルムフェスティバルに入選。友人に、『世にも奇妙な物語』などの作曲で知られる蓜島邦明がいる。 『世にも奇妙な物語』シリーズでは、「中村功一」のペンネームでいくつか脚本を書いている。そのうち、『常識酒場』、『トラブルカフェ』は『NIGHT HEAD』の原型となった。 今井雅之、東根作寿英、豊川悦司、武田真治等、出演当時ほぼ無名であった役者をキャスティングして細かな演技指導を行って彼らをスターダムに押し上げた。
鈴木 聡(すずき さとし、1959年〈昭和34年〉3月1日 … 鈴木 聡(すずき さとし、1959年〈昭和34年〉3月1日 - )は、演出家、脚本家、劇団主宰である。東京都出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 父親はテレビドラマなどの演出家だった鈴木利正。 早稲田大学在学中に劇団「てあとろ50'」に入団し、脚本・演出を担当する。卒業後の1982年、博報堂に入社し、コピーライターとして勤務する一方、劇団「サラリーマン新劇喇叺屋」(現・劇団ラッパ屋)を結成。 1990年大阪・近鉄劇場にて上演された朝日放送創立40周年記念ミュージカル「阿国 OKUNI」で脚本・演出を担当した。同舞台の演出を担当した栗山民也と共に、「ソングデイズ」、「バルセロナ物語」(共に1991年上演)、「下町のショーガール」(1992年上演)などの作品を製作。
わかぎ ゑふ(わかぎ えふ、1959年2月13日 - )は、… わかぎ ゑふ(わかぎ えふ、1959年2月13日 - )は、日本の女優、劇作家、演出家、エッセイスト。旧芸名、若木え芙、わかぎえふ。 大阪府出身。劇団リリパットアーミーII所属、座長を務める。玉造小劇店主宰。所属事務所はオフィスPSC。夫はリリパットアーミーII所属の俳優・演出家の朝深大介。 作家としての代表作は『大阪の神々』(2003年,ISBN 978-4-08-747608-8)及び『小説リトル・チャロ』(2009年,ISBN 978-4-14-005564-9)。 大阪で、外国航路の船長であった明治生まれの父親とその後妻である母親の間の一粒種として生まれる。兄たちは父の先妻の子で全て戦前の生まれという特異な家庭環境にあり、「自分より年上の甥、姪がいる」という複雑な立場。
宮城 聰(みやぎ さとし、1959年2月9日 - )は、日本… 宮城 聰(みやぎ さとし、1959年2月9日 - )は、日本の演出家。ク・ナウカ シアターカンパニー理事長、公益財団法人静岡県舞台芸術センター芸術総監督。東京都出身。財団法人舞台芸術財団演劇人会議評議員、前BeSeTo演劇祭国際委員会日本代表委員。立教大学現代心理学部教授。
吉田 鋼太郎(よしだ こうたろう、1959年〈昭和34年〉1… 吉田 鋼太郎(よしだ こうたろう、1959年〈昭和34年〉1月14日 - )は、日本の俳優、演出家。本名同じ。 大阪府生まれ、東京都日野市出身。ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属。 小学生時代の6年間を大阪で過ごし、日野市で育つ。日野市立日野第三中学校卒業後、全寮制の聖パウロ学園高等学校に進学。高校在学中に劇団雲のシェイクスピア喜劇『十二夜』を見て役者を志す。上智大学文学部ドイツ文学科在学中、シェイクスピア研究会公演『十二夜』で初舞台を踏む。同大学中退。 劇団四季には6か月在団し、シェイクスピア・シアター、劇工房ライミング、東京壱組を経て、1997年に演出家栗田芳宏と共に劇団AUNを結成、演出も手がける。
金田一 仁志(きんだいち ひとし、1959年 - )は、主に… 金田一 仁志(きんだいち ひとし、1959年 - )は、主に北海道で活躍するローカルタレント・俳優・脚本家・演出家。 北海道紋別市出身。芸能事務所「キンダイチィーズ・パフォーミング・アーツ・グループ」(劇団「金田一探偵事務所」)主宰。さっぽろ市民ミュージカル代表・日本俳優連合・日本演劇教育連盟全国委員。 生後間もなくは「タカオ」という名前も候補とされていたが、助産師が皇太子ご成婚にあやかり「天皇家から一文字貰ったほうが良い」と発言したことから「仁」を用いて仁志と命名される。 赤面症をなおすべく高校で演劇部に入り脚本の面白さを知り、在学中から戯曲を執筆し学校演劇脚本集に収録され、東京での演劇活動を見据えて東京都内の劇団にも脚本を送り評価されたものの「なぜ北海道で活動しないのか」と懐疑的な反応があり、その後1978年に「劇団さっぽろ」に入団。
緒方 明(おがた あきら、1959年 - )は、日本の映画監… 緒方 明(おがた あきら、1959年 - )は、日本の映画監督、演出家である。佐賀県出身。日本映画大学教授。 1959年、佐賀県に生まれる。その後、長崎市で過ごす。福岡大学在学中に石井聰亙監督と出会い、石井作品の助監督を務めるようになる。1981年、監督作品の『東京白菜関K者』が第4回ぴあフィルムフェスティバルで入選を果たした。 その後は高橋伴明、大森一樹の助監督を経て、フリーのテレビディレクターとしてCM、ミュージック・ビデオ、ドラマ、ドキュメンタリーなどを多数演出。 2000年に『独立少年合唱団』で劇場映画デビューし、第50回ベルリン国際映画祭にてアルフレッド・バウアー賞を受賞した。『いつか読書する日』でモントリオール映画祭審査員特別賞受賞。
古城十忍(こじょう としのぶ、1959年 - )は日本の劇作… 古城十忍(こじょう としのぶ、1959年 - )は日本の劇作家・演出家。宮崎県小林市出身。東京都在住。本名、古城俊伸。 1959年、宮崎県小林市生まれ。宮崎県立小林高等学校、熊本大学法文学部法科卒業。 熊本日日新聞政治経済部記者を経て、1986年、劇団一跡二跳を結成。 2005年文化庁新進芸術家派遣にてロンドン及びスコットランドに200日間留学。 2008年7月同劇団を解散。 2009年、劇団ワンツーワークスを結成。 社団法人日本劇団協議会専務理事。新国立劇場演劇研修所講師。日本劇作家協会理事。
瀬崎 一世 (せざき かずよ、1959年 - )は、日本のテ… 瀬崎 一世 (せざき かずよ、1959年 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家。 株式会社E&W(旧・イースト・エンタテインメント)・企画推進室室長、元・日本女性放送者懇談会・会長。 慶應義塾大学法学部卒業。1983年にテレビ制作会社イースト入社。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
丹下 一(たんげ まこと、1959年 - )は日本の俳優・演… 丹下 一(たんげ まこと、1959年 - )は日本の俳優・演出家。日本や海外で、東西の古典や民俗芸能をベースにした現代演劇の作品から即興、プレイバックシアターまで幅広く活動。国際演劇協会会員。2010年よりTama+ project主宰。 早稲田大学演劇学科卒。卒論は岩手県早池峰山の「山伏神楽」について。在学中の1978年より森尻純夫主宰の劇集団流星舎に参加、1981年の解散まですべての舞台に出演した。また、流星舎が企画運営していた早稲田銅鑼魔館のプロデュース公演の制作に参加。早池峰神楽の岳流、石鳩岡神楽などの公演に関わる。 1982年より2000年まで千賀ゆう子企画に参加。制作を担当しつつ俳優、楽師として出演。
望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )… 望月 智充(もちづき ともみ、1958年12月31日 - )は、日本の男性アニメーション監督、演出家、脚本家。北海道出身。妻はアニメーターの後藤真砂子。坂本郷名義で脚本や演出を担当することもある。 亜細亜堂に入社し、アニメーターを経て演出家、監督となる。その後、フリーに。 東京都立小松川高等学校卒業後、早稲田大学に進学。入学の年に始まった『機動戦士ガンダム』に影響を受け、早稲田アニメーション同好会に入る。自主制作アニメや同人誌を制作していたが、あまりにものめり込みすぎて大学を留年してしまう。普通の就職をする気が無くなり、アニメーターになることを思い立つ。 1981年、動画のアルバイトをきっかけに、大学を中退してベテランアニメーターの芝山努、小林治が経営するアニメ制作会社「亜細亜堂」へ入社。