穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年1月4日 - 没年不… 穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年1月4日 - 没年不明)は、日本の女流歌人。本名澤木 数枝。 山林大地主で資産家の澤木再吉の末娘として秋田県男鹿に生まれる。1928年、東京府荏原郡田園調布(東京都大田区田園調布)に移住。1943年、高等女学校を卒えて鈴木亨のもとで古事記を学ぶ。叔父澤木四方吉(慶應義塾大学部文学科教授)が折口信夫の旧友だった影響により、折口に傾倒。1944年4月、戦災を避けて秋田に帰郷。 1948年、折口の媒酌により、酒類評論家で技術士の穂積忠彦(俳優穂積隆信の兄)と結婚。1952年、折口から「生萩」の号を受ける(故郷秋田のナマハゲに由来)。 1975年4月、穂積と離婚。
前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 … 前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。 奈良県吉野郡下市町広橋で、父理策、母可志の二男として誕生。旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)を経て、同志社大学経済学部に入学するが、1945年(昭和20年)に応召されて中退。戦後まもなく詩作を始め、フランスやドイツの詩を学ぶ一方、柳田國男や折口信夫の民俗学にも傾倒した。1951年(昭和26年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。1956年(昭和31年)、詩集『宇宙駅』を刊行した。 その後、短歌に転じ、前川に師事する。
山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2… 山名 康郎(やまな やすろう、1925年12月15日 - 2015年6月18日)は、昭和・平成期の歌人。北海道南富良野町生まれ。北海道歌人会設立に参画。第33回日本歌人クラブ賞、第61回北海道文化賞受賞。 父の山名薫人も短歌雑誌・結社の『潮音』に所属した歌人である。 1925年(大正14年)12月15日、北海道上川管内南富良野町に生まれる。1940年(昭和15年)、15歳で短歌結社(雑誌)『潮音』『新墾()』に入会。現在の札幌光星高等学校を卒業。明治大学に進学。大学在学中より特別幹部候補生として苫小牧市沼ノ端の独立旅団に入隊し、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終戦を迎える。 戦後は1948年(昭和23年)、北海道新聞社に入社。
岡井 省二(おかい しょうじ、1925年11月26日 - … 岡井 省二(おかい しょうじ、1925年11月26日 - 2001年9月23日)は、日本の俳人。号に、槐、槐庵、槐散人など。 三重県度会郡生まれ。大阪大学医学部卒業。内科医のかたわら句作をはじめ、加藤楸邨および森澄雄に師事。1968年、「寒雷」に入会、1970年、「杉」創刊に参加。翌年、第1回杉賞を受賞。1984年、宇佐美魚目、大峯あきららと俳誌「晨」を創刊し、二人とともに代表同人。1991年、「槐」を創刊、主宰。 代表句に、宇治市・三室戸寺参道の句碑に刻まれた「あぢさゐの色をあつめて虚空とす」(句集『鯨と犀』所収)などがある。門下に、児玉輝代、菅原鬨也、小山森生、山西雅子、加藤かな文、吉野裕之などがいる。
成瀬 櫻桃子(なるせ おうとうし、1925年(大正14年)1… 成瀬 櫻桃子(なるせ おうとうし、1925年(大正14年)11月25日 - 2004年(平成16年)12月14日)は、俳人。本名・冨造。 岐阜県岩村町に生まれる。旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学工学部)卒。 1940年より句作、水原秋櫻子の「馬酔木」、加藤楸邨の「寒雷」に投句。1946年「春燈」創刊に参加、久保田万太郎に師事。1963年に万太郎が死亡、以後安住敦に師事する。1988年、安住敦の死により「春燈」主宰を継承。句集に『風色』『素心』など。1973年、句集『風色』により第13回俳人協会賞、1996年『久保田万太郎の俳句』(ふらんす堂/新版・講談社文芸文庫)で俳人協会評論賞を受賞。編著『こでまり抄 久保田万太郎句集』(ふらんす堂)も刊行。
深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1… 深作 光貞(ふかさく みつさだ、1925年9月27日 - 1991年10月24日)は、日本の文化人類学者、評論家、歌人。 京都大学文学部仏文科卒、東京大学大学院で石田英一郎に文化人類学を学ぶ。1952年にパリ・ソルボンヌ大学留学、1953年よりNHK欧州総局、1957年より毎日新聞パリ支局勤務。日南貿易取締役のかたわらアンコール・ワットの研究をする。1960年より東南アジアでのフィールドワークの後、フランス文学から文化人類学へ専門を変更。ワシントン州立大学客員教授、京都精華短期大学教授、学長、京都精華大学教授、奈良女子大学教授、明治学院大学教授を歴任した。カンボジアの地域研究を専門に、幅広い批評活動を行った。
宮崎 蕗苳(みやざき ふき、1925年9月6日 - 2022… 宮崎 蕗苳(みやざき ふき、1925年9月6日 - 2022年1月20日)は、日本の華道家、歌人。柳原白蓮の長女。短歌結社「ことたま」を継承して主宰した。東京都出身。昭和天皇の又従兄妹。 1925年、柳原白蓮・宮崎龍介の長女として生まれた。父方の祖父、宮崎滔天(とうてん)は、清朝を倒した辛亥革命を指導した中国の革命家、孫文の盟友として知られる。国父である孫文の友人・滔天の孫として、5年に1度は辛亥革命の記念式典に国賓として招待され、歓迎された。父の龍介は1937年、日中戦争の和平工作のため、当時の首相、近衛文麿の命をうけ蒋介石への密使として派遣された。しかし途中で憲兵に拘束され、未遂に終わった(宮崎工作)。
平井 さち子(ひらい さちこ、1925年8月31日 - )は… 平井 さち子(ひらい さちこ、1925年8月31日 - )は、東京都出身の俳人。東京市日暮里(現荒川区)生。1946年、夫の恩師である中村草田男の「萬緑」に入会。1956年、夫と大学の同級であった高橋沐石の勧めで「子午線」に参加。夫の留学や赴任に伴いアメリカ合衆国、ついで北海道に移住。当地では野鳥愛護活動に従事、また北海道文学館理事も務めた。1983年、東京に戻る。1990年、『鷹日和』により第30回俳人協会賞受賞。他の句集に『完流』『紅き栞』『背中』『日々片々』がある。季題趣味を離れた自由な句風。
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 20… 山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は、日本の歌人。 前川佐美雄に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。 愛知県名古屋市西区出身。父・渡辺鑑三は尾張藩医の末裔で、その従兄は俳人の沼波瓊音。母タマエ(旧姓馬島)の本家も代々の尾張藩医で、後水尾天皇を快癒させたことで知られる高名な眼科医の家系。母方の祖父は明治の蘭方医。母は尾上柴舟に師事して国文学を学んでいた。二兄一姉をもつ次女(次兄は智恵子生誕以前に死亡)。6歳の秋に父が脳出血で倒れて半身不随となり、療養のために愛知県知多郡新舞子の別宅に移住。
伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 201… 伊丹 公子(いたみ きみこ、1925年4月22日 - 2014年12月15日)は、日本の俳人・詩人。本名・岩田 きみ子。俳人の伊丹三樹彦は夫、同じく俳人の伊丹啓子は長女。 高知県出身。兵庫県立伊丹高等女学校(現・兵庫県立伊丹高等学校)卒業。1946年、三樹彦に師事。同年、三樹彦編集・発行の同人誌「まるめろ」創刊。1949年、日野草城主宰の俳誌「青玄」が創刊され、「まるめろ」は合流。2005年の「青玄」解散後は、2006年に啓子が創刊した「青群」に参加。1972年、現代俳句協会賞受賞。また、詩を村野四郎に師事。2014年12月15日、心不全のため死去。
樋口 美世(ひぐち みよ、1925年4月16日 - )は、日… 樋口 美世(ひぐち みよ、1925年4月16日 - )は、日本の歌人。 茨城県出身。駒澤大学文学部国文学科卒業。 少女時代より作歌を始める。結婚で一時中断した後、駒澤大学国文学科に学ぶ。1957年に「女人短歌」に入会し編集委員を務める。1965年「地中海」入会。1980年より81年まで日本歌人クラブ幹事。歌集に「形」「翼がほしき」「白昼」「零るる刻」など。日本歌人クラブ、現代歌人協会所属。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日… 井澤 純(いざわ じゅん、1925年〈大正14年〉3月18日 - 1996年〈平成8年〉5月12日)は、日本の図書館司書・評論家・著作家・歌人。 国立科学博物館附属自然教育園園長等を歴任。 東京大学文学部卒業。1946年、愛知県公立高校の教諭となり、1958年専任司書教諭。1961年文部省初等中等教育局勤務、1977年国立淡路青年の家、1981年国立沖縄青年の家所長を務めた後、国立科学博物館附属自然教育園園長となる。道徳教育・図書館学についての著作のほか、小説・短歌をものした。 1995年、勲三等瑞宝章受章。1996年5月12日、心不全のため死去。
田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15… 田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15日- )は日本の歌人。岩手県宮古市出身で盛岡市に在住。2025年(令和7年)12月1日、永眠。享年100. 1925年岩手県川井村(現在の宮古市西部)に生まれる。結婚後は盛岡に住む。1961年、新墾社に入社。1973年、未来短歌会に入会。1974年、『北宴』文学会の復刊に参加。1982年、『岬』創刊に参加。1984年、季刊個人誌『淼』を発刊し、1988年に終刊。翌1989年、季刊個人誌『漨』を発刊、1994年に終刊。1982年、第28回角川短歌賞に応募し、474人中の34人の候補に残る。 第一歌集『美しと思う花いくつ覚えしか』の刊行は著者50歳の時。
松澤 昭(まつざわ あきら、1925年3月6日- 2010年… 松澤 昭(まつざわ あきら、1925年3月6日- 2010年8月13日)は、東京出身の俳人。東京府滝野川町(現北区)生。父は「雲母」同人の松澤鍬江。少年時代より萩原朔太郎、三好達治に憧れて詩作を試み、また10代の頃より松澤家の常連来客である松村蒼石らを知り俳句に興味を持つ。1944年、学徒動員時代に句作を開始。1946年、法政大学経済学部を卒業。この年に飯田蛇笏に会い師事する。1953年、「雲母」同人。1956年より現代俳句協会会員。1961年、石原八束、文挾夫佐恵、柴田白葉女らとともに「秋」を創刊。主宰を務める。1962年、「秋」主宰を辞し、1964年「四季」を創刊・主宰。2000年、現代俳句協会会長に就任。
赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28… 赤尾 兜子(あかお とうし、1925年(大正14年)2月28日 - 1981年(昭和56年)3月17日)は、日本の俳人。本名は赤尾俊郎。 兵庫県揖保郡網干町新在家(現:兵庫県姫路市網干区)で材木問屋を営む父・常治と母・とよの8人兄弟の二男として生まれた。網干尋常小学校、兵庫県立龍野中学校(現:兵庫県立龍野高等学校)を経て、1942年(昭和16年)旧制大阪外語専門学校中国語科へ入学する。この頃より俳誌『馬酔木』や『火星』に投句を始める。なお、同級生には蒙古語科の司馬遼太郎、一年上の印度語科に陳舜臣がいた。1944年(昭和19年)太平洋戦争激化のため、この年の9月に繰り上げ卒業し姫路に帰郷した。 1946年(昭和22年)京都大学文学部中国文学科入学、在学中の1948年(昭和23年)に水谷砕壺により俳誌『太陽系』の同人に推挙された。
石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11… 石田 よし宏(いしだ よしひろ、1924年(大正13年)11月20日 - 2015年(平成27年)5月14日)は、日本の俳人。栃木県宇都宮市出身。宇都宮農林専門学校(現宇都宮大学農学部)農業経済学科卒業。本名は石田 榮宏(いしだ よしひろ)。 現代俳句協会に所属した俳句作家(本人は俳人ではなく俳句作家という肩書きを好んで使っていた)で、作品は前衛的な俳句、難解俳句と評される。評論も得意とし、『月々のことば』と称する俳句の評論を、毎月はがきで発行し、ライフワークとなっていた。 20代で作句を始め、俳誌「風」、「鬼怒」(創刊同人)、「鷹」を経て、平成12年「地祷圏」創刊・代表就任。平成21年通信句会『統』発足・主宰就任。
森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 201… 森田 峠(もりた とうげ、1924年10月16日 - 2013年6月6日)は、俳人。本名・康秀。 大阪府生。國學院大學国文科卒。1942年より作句し「誹諧」の高浜虚子・年尾選に投句。1944年、岡安迷子に師事。迷子に連れられて小諸に疎開中の虚子に会いに行き、この際に虚子から「峠」の俳号を貰った。 1951年、兵庫県尼崎市尼崎高等学校に教員として奉職。同年、阿波野青畝の「かつらぎ」に入会。翌年より長く編集長を務めたのち、1990年に青畝より「かつらぎ」主宰を継承。2013年、同名誉主宰に就任。また俳人協会顧問も務めた。 代表句に「箱河豚の鰭は東西南北に」などがある。虚子・青畝に学んだ写生を信条とし、吟行を重んじた。
新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12… 新井 章(あらい あきら、1924年〈大正13年〉10月12日 - 2001年〈平成13年〉6月11日)は、日本の歌人、文芸評論家。江戸川大学名誉教授。同じく江戸川大学教授を務める新井正彦(1957年 - )は子。 長野県上伊那郡長谷村(現伊那市)生まれ。1945年10月に長野青年師範学校を卒業後、長野県小野青年学校などの教諭を歴任。1958年、國學院大學文学部文学科卒。1970年4月より江東区立亀戸中学校教頭。1985年より江戸川女子短期大学教授、人文学科長。1990年より江戸川大学教授、教養部長。1995年に定年退職し、名誉教授。歌誌『水門』主宰、千葉日報歌壇選者。
野見山 ひふみ(のみやま ひふみ、1924年8月28日 - … 野見山 ひふみ(のみやま ひふみ、1924年8月28日 - )は、福岡県出身の俳人。本名ヒフミ。旧姓・末崎。 稲築村(現嘉麻市)生まれ。福岡県立保健婦学校(現福岡県立大学看護学部)卒。1946年、野見山朱鳥と結婚。1947年、朱鳥の指導のもとで俳句をはじめ「ホトトギス」に投句、高浜虚子に師事。1952年、朱鳥の主宰誌「菜殻火」創刊に伴い発行事務を担当。1970年、朱鳥没後、遺言により「菜殻火」主宰を継承。句集に『秋の暮』『花文鏡』『野に遊ぶ』、編著に『野見山朱鳥全集』がある。
猪股 静弥(いのまた しずや、1924年(大正13年)8月1… 猪股 静弥(いのまた しずや、1924年(大正13年)8月12日 - 2009年(平成21年)9月8日)は日本の文学研究者、歌人。帝塚山短期大学名誉教授、専門は上代文学(万葉集)、寧楽短歌会代表。 1924年(大正13年)8月12日、大分県香々地町に生まれる。18歳の頃にアララギに入会し、土屋文明に師事する。1951年(昭和26年)に法政大学文学部国文学科を卒業し、奈良市立一条高校に勤務する。その後、愛知女子短期大学講師を経て、帝塚山短期大学教授に就任し、退職後、名誉教授となる。2009年(平成21年)9月8日に死去、85歳。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年〈大正13年〉7月7… 岡野 弘彦(おかの ひろひこ、1924年〈大正13年〉7月7日 - 2026年〈令和8年〉4月24日)は、日本の歌人。位階は従三位。 國學院大學名誉教授、日本芸術院会員、文化功労者。文化勲章受章者。國學院大學文学部教授、國學院大學文学部学部長、國學院大學栃木短期大学学長などを歴任した。 三重県一志郡美杉村(現・津市)生まれ。代々神主の家に、父・弘賢の長男として生まれる。川上尋常小学校、神宮皇學館普通科を経て、1948年(昭和23年)國學院大學国文科卒。1957年國學院大學専任講師、1961年に助教授、1969年に教授、1975年からは文学部長。1995年から2007年まで國學院大學栃木短期大学学長。
八木 三日女(やぎ みかじょ、1924年7月6日 - 201… 八木 三日女(やぎ みかじょ、1924年7月6日 - 2014年2月19日)は、大阪府堺市出身の俳人、眼科医(医学博士)。本名・下山ミチ子。 大阪女子高等医学専門学校(現・関西医科大学)卒。在学中、澁谷道らと学生俳句会に参加し、同医専に教授として在任していた平畑静塔に師事し俳句をはじめる。「激浪」「雷光」「梟」「夜盗派」「縄」を経て「海程」同人。1964年、同人誌「花」を創刊・代表を務める。 「例ふれば恥の赤色雛の檀」(『紅茸』)「満開の森の陰部の鰭呼吸」(『赤い地図』)「赤い地図なお鮮血の絹を裂く」(同)など、鋭敏な感性で独自の抽象的・エロス的世界を展開。関西前衛俳句を代表する女性俳人として注目された。
玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010… 玉城 徹(たまき とおる、1924年5月26日 - 2010年7月13日)は、昭和・平成期の歌人、文芸評論家。 宮城県仙台市米ヶ袋生まれ。1931年(昭和6年)東京府北多摩郡武蔵野町吉祥寺に転居。1939年(昭和14年)北原白秋主宰の『多磨』に入会。白秋没後は巽聖歌に師事した。青山学院中学部を経て、1944年(昭和19年)第二高等学校卒、東京帝国大学文学部美学美術史科卒。戦時中は学徒動員を経験した。 戦後は都立高校の教師を務めるかたわら短歌を続け、歌壇や戦後派短歌、前衛短歌から距離を置いた独自のスタンスを保ち続けた。1972年(昭和47年)『樛木』で第24回読売文学賞受賞。1978年(昭和53年)歌誌「うた」創刊、2002年(平成14年)まで続けた。
小笠原 和男(おがさわら かずお、1924年5月16日 - … 小笠原 和男(おがさわら かずお、1924年5月16日 - 2016年12月17日)は、俳人。 愛知県碧南市出身。1939年岩田潔に俳句を学ぶ。石田波郷、石塚友二に師事。1969年『鶴』(星野立子)に参加、『飛鳥集』同人、1984年『初蝶』創刊に参加、主宰。『立羽集』同人。
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8… 大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名は菅野 民子(かんの たみこ)。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 1924年(大正13年)5月8日、岩手県盛岡市八幡町に、父・菅野佐介、母・カネの三姉妹の次女として生まれる。 盛岡市立城南尋常小学校、岩手県立盛岡高等女学校(現岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)へ進む。石川啄木に憧れ、在学中に前川佐美雄の短歌指導を受ける。卒業後、岩手県立釜石高等女学校(現岩手県立釜石高等学校)の教諭となり、終戦を迎えた。1947年(昭和22年)結婚、男児を早死産し半年あまり病床にあった。
岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017… 岩田 正(いわた ただし、1924年4月30日 - 2017年11月3日)は、日本の歌人、評論家。妻で歌人の馬場あき子と「かりん」を創刊。 東京世田谷駒沢生まれ。国士舘中学校在学中に短歌を知る。早稲田大学高等学院予科を経て、早稲田大学文学部国文科卒。在学中の1946年に早稲田大学短歌会に入会し、同年歌誌「まひる野」創刊に参加。窪田空穂、窪田章一郎に師事。また渡辺順三編集の「人民短歌」(後の「新日本歌人」)の編集手伝いを行う。大学卒業後、都立高等学校教諭となり定年退職まで務める。 1977年に「まひる野」を退会。1978年に馬場あき子とともに歌誌「かりん」を創刊。朝日カルチャーセンター、角川短歌通信講座などで短歌を指導。
大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 20… 大橋 敦子(おおはし あつこ、1924年4月18日 - 2014年2月21日)は、日本の俳人。 俳人大橋櫻坡子の長女として、母の生地福井県敦賀に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒。父に師事し、父没後の1972年、『雨月』の主宰を継承する。1979年句集『勾玉』で現代俳句女流賞受賞。『雨月』名誉主宰。俳人協会名誉会員。 2014年2月21日、心不全のため死去。89歳没。
水庭 進(みずにわ すすむ、1924年3月21日-2017年… 水庭 進(みずにわ すすむ、1924年3月21日-2017年6月14日)は、戦前・戦後に活躍したアナウンサー、教育者、文筆家、俳人。 東京生まれ。東京外国語学校英語科卒。日本放送協会の国際放送の英語アナウンサーを務めた。俳人協会会員。 巣鴨学園を経て東京外国語学校(現・東京外国語大学)、英米科3年生在学時の1944年、学生アルバイトとして英語アナウンサーとなり、その後1946年に職員として入局。 戦後の国際放送再開以降も英語アナウンサーとしてニュースや朗読番組などで活躍し、1967年の吉田茂国葬の実況生中継も行った。チーフアナウンサー、アジア部長、欧米部長、国際局次長などを務め、1980年に定年退職。
磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 … 磯貝 碧蹄館(いそがい へきていかん、1924年3月19日 - 2013年3月24日)は、俳人、書家。 東京出身。本名は甚吉。豊南商業学校(現・豊南高等学校)中退。川柳、自由律俳句を経て、1954年中村草田男に師事。1960年『与へられたる現在に』で角川俳句賞受賞。1966年『握手』で俳人協会賞受賞。1974年俳誌「握手」を創刊し主宰する。2004年句集『馬頭琴』により第5回雪梁舎俳句大賞特別賞受賞。書を金子鷗亭に学び、創玄展審査員を務めた。2013年3月24日、肺癌のため死去。89歳没。
高松 秀明(たかまつ ひであき、1924年3月16日 - 2… 高松 秀明(たかまつ ひであき、1924年3月16日 - 2019年4月14日)は、歌人。 北海道出身。東京外国語学校卒。岡山巌に師事し、同人誌『木立』を主宰した。『歌と観照』同人の他、個人誌『獅子座』を刊行した。1996年、『宙に風花』で第23回日本歌人クラブ賞を受賞。
齊藤 美規(さいとう みき、1923年12月6日 - 201… 齊藤 美規(さいとう みき、1923年12月6日 - 2012年12月26日)は、昭和・平成期の俳人。本名・克忠(まさなお)。 新潟県西頸城郡下早川村(現・糸魚川市)生まれ。高岡高等商業学校(現・富山大学経済学部)卒。1941年、高岡高等商俳句会で山口花笠の指導を受け俳句を始める。翌年「寒雷」に入会。戦中戦後期の事情により1958年まで中断。1960年、中野弘一の「海峡」入会。1961年、和知喜八の「響焔」入会。1964年、「寒雷」同人。1970年、森澄雄の「杉」創刊同人。1981年、「麓」を創刊・主宰。これに先立ち「寒雷」以外の同人を辞退。同年、第28回現代俳句協会賞受賞。2006年、第6回現代俳句大賞受賞。
藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は… 藤岡改造(ふじおか かいぞう、1923年10月11日- )は、日本の作家、俳人。 長野県松本市生まれ。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て旧制二松學舍専門学校卒。新制高等学校移行後の母校国語教師となった。号は筑邨(ちくそん)。学校で飼っていた犬クロの世話役をしていた体験から、『職員会議に出た犬クロ』を執筆。ベストセラーとなり、2003年「さよなら、クロ」として映画化された。「信毎俳壇」「俳句四季」の選者。俳人協会評議員。
勝原 文夫(かつはら ふみお、1923年(大正12年)9月2… 勝原 文夫(かつはら ふみお、1923年(大正12年)9月20日 - 2017年(平成29年)4月24日[要出典])は、日本の風景学者、景観論者、農業経済学者、農学者、俳人。 東京府に生まれる。東京府立第六中学校(現・東京都立新宿高等学校)卒業後、1年の浪人を経て旧制東京府立高校に入学し、2年生のとき学徒出陣で輜重隊に入隊した。[要出典] 復学後に府立高校を卒業して[要出典]東京大学経済学部に進学し、農業経済学を専攻した。[要出典]1948年の大学卒業後、創立時の国立国会図書館調査局に入り、39年間在職して1987年に退職した。同年、農村風景論に関する著述活動により、第8回国立公園協会田村賞を受賞した。
北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、… 北沢 郁子(きたざわ いくこ、1923年8月22日- )は、歌人。
上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月2… 上田 三四二(うえだ みよじ、1923年(大正12年)7月21日 - 1989年(平成元年)1月8日)は、昭和期の歌人・小説家・文芸評論家。内科医。専門は結核。医学博士。 兵庫県加東郡市場村字樫山(現:小野市樫山町)出身。柏原中学、第三高等学校、1948年京都帝国大学医学部卒。結核を専門とする内科医として、国立京都療養所や国立療養所東京病院に勤務。 1949年(昭和24年)に北原白秋系の歌誌「新月」に参加し、その後アララギ派に移行。1956年(昭和31年)には歌会「青の会」結成に参加。1966年(昭和41年)に大腸癌、1983年(昭和58年)に膀胱癌を患う。二度の大病を経て、晩年は生命の内面を見つめ直した著述が多くなり、西行や良寛といった仏教の死生観を追求した歌人に傾倒した。
和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015… 和田 悟朗(わだ ごろう、1923年6月18日 - 2015年2月23日)は、兵庫県出身の俳人・化学者。専門は物理化学。奈良女子大学名誉教授。 武庫郡御影町(現・神戸市東灘区御影町)出身、大阪大学理学部卒業。神戸大学理学部助教授、奈良女子大学理学部教授を経て同女子大学名誉教授(物理化学)。 俳句は1952年より始め、橋閒石の「白燕」に参加、のち同人。高柳重信の「俳句評論」、赤尾兜子の「渦」同人を経て1992年より「白燕」同人代表。1977年、現代俳句協会関西地区会議議長に就任。のち現代俳句協会副会長を経て、2004年3月より同顧問。2010年「風来」創刊・主宰。 1969年第16回現代俳句協会賞、2007年第7回現代俳句大賞、2013年句集『風車』により第64回読売文学賞詩歌俳句賞を受賞。
北田 傀子(きただ かいじ、本名:北田 茂(きただ しげる)… 北田 傀子(きただ かいじ、本名:北田 茂(きただ しげる)、1923年(大正12年)5月7日 - 2019年(令和元年)9月)は、日本の自由律俳句の俳人。自由律俳句結社「草原」主宰、月刊随句誌『草原』を発行する随句社社主。前号は千秋子。 山口県大島郡小松町中田(現・周防大島町小松)に生まれる。 1938年に上京し、淀橋区の薬局で働き始めるとともに、夜間学校に入学する。1940年、自由律俳句結社「層雲」に入門。荻原井泉水に師事する。この時の俳号は千秋子。1944年、応召され、広島船舶通信連隊補充隊に配属される。1945年、台北の野戦病院で終戦を迎える。同年、東芝に入社。以降、1983年に定年退職を迎えるまで、途中タイへの出向をはさみつつ、同社に勤務する。
森 一郎(もり いちろう、1923年4月19日 - 1991… 森 一郎(もり いちろう、1923年4月19日 - 1991年10月21日)は、日本の英語教師・俳人。 奈良県出身。奈良県立畝傍中学、東京文理科大学卒業。奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)英語科教諭、東京都立日比谷高等学校英語科教諭、関西学院大学教授、奈良産業大学教授、中央ゼミナール講師を歴任。 日比谷高校時代にまとめた入試頻出順の英単語集である『試験にでる英単語』(青春出版社)の初版の1967年以降、2006年現在までに累計1500万部を超える大ベストセラーとなり、大学受験参考書・英単語集の金字塔を打ち立てた。1975年に第一回目の改訂が行なわれ、当時社会問題化した環境問題等に関する単語を追加し、時事英語試験への対策を強化した。
堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月… 堀口 星眠(ほりぐち せいみん、1923年〈大正12年〉3月13日 - 2015年〈平成27年〉2月2日)は、群馬県出身の俳人、医師。本名・慶次。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。旧制高崎中学、旧制新潟高校を経て、1942年に東京帝国大学医学部入学。1947年に卒業後、東大付属病院物療内科入局。 東京帝国大学在学中より水原秋桜子に師事。1949年、軽井沢に友人と共同で「森の家」と称する家を借り、翌年より大島民郎、相馬遷子、岡谷公二らと句会。「馬酔木」に新風を吹き込み馬酔木高原派と呼ばれた。1952年「馬酔木」同人。1955年、郷里の安中市にて開業。1958年馬酔木賞。1976年句集『営巣期』で第16回俳人協会賞受賞。
安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - … 安立 スハル(あんりゅう すはる、1923年1月28日 - 2006年2月26日)は、昭和・平成期の歌人。京都府京都市東山区出身。 1939年、肺結核の療養中に作歌を始める。1940年、京都府立桃山高等女学校卒業。1941年、北原白秋主宰の歌誌「多磨」入会。1949年、宮柊二に初めて会い、指導を受けるようになる。1953年、宮柊二主宰の歌誌「コスモス」創刊に参加。1956年、第三回コスモス賞受賞。1964年、第一歌集『この梅生ずべし』を刊行。生前に歌集はこの一冊のみである。母親の介護を終えて間もなく、83歳で死去。生涯独身だったという。 少女時代から肺結核による長い療養生活を送り、多くの歌人にその作品を慕われながらも素顔さえあまり見せないという地味な生涯だった。
神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 20… 神尾 久美子(かみお くみこ、1923年1月28日 - 2014年10月26日)は、日本の俳人。 福岡県出身。本名・洋子。福岡県京都郡立京都高等女学校(現・福岡県立京都高等学校)卒。野見山朱鳥に師事し、1953年『菜殻火(ながらび)』同人。神尾季羊と結婚し、季羊主宰の『椎の実』に参加する。97年季羊没後『椎の実』主宰。飯田龍太に師事し『雲母』同人。俳人協会顧問。
波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 19… 波多野 爽波(はたの そうは、1923年1月21日 - 1991年10月18日)は、東京府出身の俳人。高浜虚子に師事、「ホトトギス」同人、俳誌「青」を創刊・主宰。本名・敬栄(よしひで)。 父・敬三、母・辰子の長男として東京府に生まれる。祖父は元宮内大臣の子爵・波多野敬直。生まれた年に鎌倉の母の実家の別荘で関東大震災に遭い家屋の下敷きとなるも、叔父に庇われて助けられた。なおこの別荘は虛子の次女・星野立子の隣家であり、爽波が助けられる場面に19歳の立子の姿もあったという。1939年、健康を害し鎌倉で療養中に「ホトトギス 」を読みふけり、翌年より同誌に投句をはじめる。1929年。学習院初等科、1935年、学習院中等科、1940年、学習院高等科文科甲類入学。
高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1… 高柳 重信(たかやなぎ しげのぶ、1923年1月9日 - 1983年7月8日)は、俳人。本名は高柳重信(しげのぶ)、俳人としては「じゅうしん」を自称した。 3行ないし4行書きの多行書きの俳句を提唱・実践し、金子兜太らと共に「前衛俳句」の旗手となった。歌人の高柳蕗子は実子。俳人の中村苑子と事実婚(内縁関係)にあった。
鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 201… 鷲谷七菜子(わしたに ななこ、1923年1月7日 - 2018年3月8日)は、日本の俳人。 大阪府出身。楳茂都流の舞踊家・楳茂都陸平と元宝塚歌劇団娘役の吉野雪子(千鳥)との間の長女。本名・ナナ子。生後7ヶ月で楳茂都流二代目家元の祖父に引き取られ、祖父母によって育てられる。1940年、夕陽丘高等女学校(現・大阪府立夕陽丘高等学校)卒業。 高女時代より俳句をはじめ、1942年より「馬酔木」に入会、水原秋桜子に師事。また1946年、「南風」に入会し山口草堂にも師事する。1951年「馬酔木」同人。「南風」編集・発行に参加し、1962年より「南風」婦人投句欄選者(1980年まで)。1984年、草堂の指名により「南風」主宰となる。
吉野 昌夫(よしの まさお、1922年12月19日 - 20… 吉野 昌夫(よしの まさお、1922年12月19日 - 2012年7月1日)は、昭和期から平成期にかけての歌人。 東京都生まれ。東京大学農学部農業経済学科卒業。府立高等学校(現・首都大学東京)在学中の1942年、北原白秋創刊の歌誌『多磨』に入会し、木俣修に師事。翌年、学徒出陣。1953年、歌誌『形成』創刊に参加、編集に当たり、1983年の木俣没後は責任編集者を務めた。1997年、歌集『これがわが』で第4回短歌新聞社賞受賞。 職業としては、大学を卒業後、農林省に入った。その後、農林漁業金融公庫設立と同時に農林省を退職し、30歳で入庫。名古屋に二回ほど転勤。60歳で定年退職。最後の役職は理事。
村越 化石(むらこし かせき、1922年12月17日 - 2… 村越 化石(むらこし かせき、1922年12月17日 - 2014年3月8日)は、静岡県藤枝市出身の俳人。本名は村越 英彦(むらこし ひでひこ)。ハンセン病とその後遺症と闘いながら句作を続け「魂の俳人」と呼ばれた。 静岡県志太郡朝比奈村(現:藤枝市岡部町)新舟(にゅうぶね)に生まれる。1938年、16歳のときハンセン病の罹患がわかり、旧制静岡県立志太中学校(現:静岡県立藤枝東高等学校)を退学、上京し治療に専念する。この時期に療友の勧めで俳句を知った。1941年に結婚、同年群馬県草津町湯之沢を経て、妻とともに同町の国立療養所栗生楽泉園に入園。同園の「栗の花句会」(のち高原俳句会となる)で、先輩俳人の浅香甲陽から俳句精神を学んだ。
河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 198… 河野 愛子(こうの あいこ、1922年10月8日 - 1989年8月9日)は、歌人。栃木県宇都宮市出身。 軍人の家系に生まれる。広島女学院高等女学校卒。1947年、「アララギ」に入会し、土屋文明に師事。1951年、『未来』創刊に参加。以後その中心女流歌人として、鋭いメタフィジカルな作風で活躍。門下に中川佐和子、干場しおりなど。1982年、『リリヤンの笠飾』で第18回短歌研究賞受賞。1983年、『黒羅』で第8回現代短歌女流賞受賞。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 … 安嶋 弥(安嶋 彌、やすじま ひさし、1922年9月23日 - 2017年12月9日)は、日本の文部官僚、歌人、教育学者。 石川県松任市(現・白山市)出身。1944年東京帝国大学法学部卒。1946年文部省入省(学校教育局)。1969年文部省大臣官房長、74年初等中等教育局長、1975年文化庁長官、1977年宮内庁東宮大夫、1980年浩宮徳仁親王の成年式を指揮。退任後は日本工芸会会長を務めた。佐藤佐太郎創刊の歌誌「歩道」同人で、アララギ派の歌人としても活動。 2017年12月9日午後5時、肺炎のため東京都内の病院で死去した。95歳没。
小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ … 小川 双々子(おがわ そうそうし、本名:小川二郎 (おがわ じろう)、 1922年9月13日 - 2006年1月17日)は、俳人。 岐阜県出身。1941年に「馬酔木」に入門。加藤かけい、山口誓子などに師事し、1953年第4回「天狼」賞受賞、1955年「天狼」同人。1958年「河口」を発行、1963年「地表」を創刊、主宰になる。2005年に現代俳句協会の第5回「現代俳句大賞」を受賞する。 瀧実業学校(現滝高等学校)甲種商業科を卒業後、住友本社に入社。1953年より1959年まで胸部疾患により、病臥に臥す。1959年カトリックに受洗し、のち名古屋の出版社黎明書房に入り、定年まで勤める。一時期、広島平和祈念式典に参列した。
阿久津 善治(あくつ ぜんじ、1922年8月24日 - 19… 阿久津 善治(あくつ ぜんじ、1922年8月24日 - 1988年2月1日)は、日本の歌人。晩年の前田夕暮に師事し、直系中の直系として純粋で源泉的な生き方と作風を貫いた。1946年2月から1948年10月までの2年3か月にわたり、福島県郡山市から『詩歌』(白日社)の戦後復刊の編集刊行にあたった。1956年、ケルン短歌会を創設し、主宰となる。生涯で幾たびかの生死を分ける病魔との戦いを経て、人生の多くを病床で過ごす傍ら、自然主義歌人として身近な自然と人生の厳しさと温かさを透明な視点の中に収めつつ、高く深い立場から人間と自己を見つめ続けた。 福島県郡山市に生まれる。1928年、6歳の時に、商家を営む伯父の阿久津藤七・クニ夫妻の養子となる。